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 【 BS鑑賞ガイド 】


 11月(2002年)のBS津大夫特集は実に魅力的な番組で、個人的には文楽を一番熱心に見ていた時代とも重なり、今から大いに楽しみです。番組の中味について詳細には発表されていないようですが、題名と年代から推定できる範囲で、朝日座公演に関してのみ、いささかの「鑑賞ガイド」を記してみようと思います(個人名の敬称は略させていただきました)。

いよいよNHK−BSの「津大夫特集」が始まりますが、予想通り、放送時間の変更があるようです。
今日(24日)現在の放送予定は次の通り。*

11月26日(火)
12:15〜14:15(120分)(1)志渡寺
14:15〜16:15(120分)(2)合邦

11月27日(水)
12:15〜14:30(135分)(3)盛綱陣屋
14:35〜16:50(135分)(4)弁慶上使・勘助住家

11月28日(木)
12:15〜14:45(150分)(5)壺坂・鰻谷

 「志渡寺」は昭和47年4月朝日座公演。番付に「名人団平七十五回忌に因んで」とあるように、この段を弾きながら絶命したと伝えられる名人二世豊澤団平を追善しての上演です。三味線は彦六系の流れを汲むということで先代寛治。玉男の源太左衛門(かしらは文七)、勘十郎の内記(かしらは孔明)という、役のイメージとは逆の配役が妙。栄三のお辻、玉五郎の菅の谷、一暢の坊太郎。この後、昭和49年2月に東京国立劇場でも上演されましたが、床は織大夫(現・綱大夫)・燕三に変わっています。その後18年ほどのブランクを経て、平成4年11月に大阪・文楽劇場で上演されたのはご存知のとおりです。

 「合邦」は昭和48年7月朝日座公演。番付に「三世津大夫追善狂言」とあるように、昭和16年に亡くなった先代の三十三回忌を追善しての公演。玉男の玉手御前、勘十郎の合邦、玉五郎の合邦女房という配役。この公演での端場は伊達路大夫(現・伊達大夫)・叶太郎でしたが、引き続き行われた同年9月の東京・国立劇場公演では津大夫息の緑大夫と寛治息の団六(現・寛治)が端場を勤め、話題となりました。人形も亀松の玉手御前、勘十郎の合邦に代わっています。

 「盛綱陣屋」は昭和50年1月朝日座公演。三味線は勝太郎。先代寛治が昭和49年8月に亡くなった後、津大夫の相三味線は勝太郎となり、49年9月の東京・国立劇場でその披露が行われました。これは大阪・朝日座での披露公演となったものです。期待されたコンビでしたが、勝太郎の病気のため2年弱で終わってしまったのは実に残念なことでした。玉男の盛綱、亀松の篝火、玉五郎の早瀬、文雀の微妙、玉昇の和田兵衛、簑太郎の小四郎という配役。以前、平凡社から出た「日本古典芸能大系(音と映像による)」の第12巻に収められているのはこの映像です。

 「御所桜堀川夜討・弁慶上使」は、津大夫・吉兵衛の床に、人形は玉男の弁慶、簑助のおわさ、文雀の侍従太郎、一暢の信夫という配役。昭和54年12月4日の大阪厚生年金会館で行われた「NHK上方芸能鑑賞会」の公演で、放送は翌55年2月11日でした。なお、このコンビでは昭和52年1月3日にNHK−FMで「弁慶上使」を放送していますが、もちろんラジオですので上記のものとは別物です。また、このコンビは、朝日座、国立小劇場の本公演ではこの段をやっていません。*

 「本朝廿四孝・勘助住家」は、昭和50年の公演【10月朝日座公演。昭和47年10月に「忠臣蔵」が通しで出た時から、毎年10月の朝日座は、当時固定していた越路大夫・先代喜左衛門、津大夫・先代寛治、南部大夫・松之輔という相三味線を外して、老練に中堅若手を組み合わせた意欲的な公演が行われ、昭和51年まで5年間続きました(51年で終わってしまったのは、先代寛治、先代喜左衛門、松之輔、そして弥七までもが亡くなってしまったからです)。十九大夫・先代喜左衛門の「六段目」(47年)、小松大夫・喜左衛門の「楼門」、咲大夫・寛治の「甘輝館」(48年)、津大夫・団六(現・寛治)の「松波琵琶」、文字大夫・喜左衛門の「政岡忠義」(49年)等、当時の中堅若手太夫にとって、貴重な実戦経験をこの時期に積んだことがその後の彼らの貴重な財産となっていることは言うまでもありません。昭和50年10月の「勘助住家」は前半が呂大夫・弥七、後半が津大夫・清治という意表をつく実に魅力的な配役でした。呂大夫はこの時の経験を機会ある毎にインタビューなどで回想していましたし、平成12年に惜しくも亡くなった時、葬儀の出棺時に流されていたのはこの時の録音であると聞いたことがあります。放送時間から見ると今回は後半の津大夫・清治の演奏(約40分)だけのような気がしますが、機会を改めて全段通して是非再放送していただきたいものです。人形は勘十郎の横蔵、清十郎の慈悲蔵、玉男の母越路、簑助のお種という配役。】ではなく、昭和56年1月の朝日座公演でした。前が文字大夫(現・住大夫)・勝平(現・喜左衛門)で、後が津大夫・道八。人形は、勘十郎の山本勘助、文雀の直江山城、玉男の母越路、簑助のお種。*

 「鰻谷」は昭和56年10月朝日座公演。勝太郎が病気になってからの津大夫の三味線は吉兵衛(昭和52年1月〜55年1月)、道八(昭和55年2月〜56年2月)を経て、昭和56年4月から団二郎改め団七が正式な相三味線となりました(披露演目は4月大阪が「弥作の鎌腹」、5月東京が「渡海屋」)。朝日座では昭和45年10月以来、11年ぶりの「鰻谷」でした。玉男の八郎兵衛、文昇のお妻、紋寿のお妻の母、清之助の娘お半という配役。

これで、津大夫の相三味線であった寛治(志渡寺・合邦・壺坂)、勝太郎(盛綱陣屋)、吉兵衛(弁慶上使)、道八(勘助住家)、団七(鰻谷)の演目を全て揃えた、というラインナップだった訳ですね。*

 【ある意味で津大夫自身が最も充実していた吉兵衛時代の演目が一つも入っていないのが、ちょっと残念です。「九段目」は昨年12月にBSで放送されましたが、放送されたものだけでも「質店」(52年1月)、「高綱物語」(54年7月)、「八陣・政清本城」(54年10月)等がある筈ですので、別の機会に是非放送していただきたいものです(特に「質店」)。】
 

提供者:五郎兵衛さん(2002.10.30)
*追加・訂正(2002.11.24)