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【 浄瑠璃早合点(音曲鼻けぬき) 】

(2000.03.02)ね太郎
(2019.03.18補訂)
 
浄瑠璃早合点(音曲鼻けぬき)
 
底本 『浄瑠璃早合点』
明治三十四年十月十五日発行 竹中清音堂
浄瑠璃早合点と浄瑠璃秘曲抄を合綴
 
浄瑠璃早合点は下記の改題本
『音曲鼻けぬき』【大阪大学 忍頂寺】寛政九年七月、太瓶楽居撰、浪華書林 勝尾屋六兵衛・海部屋勘兵衛版 六十五丁半
翻字は日本庶民文化史料集成 第七巻 人形浄瑠璃『音曲鼻けぬき』三一書房 を参照した。
 
本書は竹本摂津大掾『義太夫の心得』にも多く利用されている。

はなけぬき序
欲(よく)酒(さけ)をのむ人は、餅(もち)をきらひ、善(よく)学文(がくもん)する人は、芝居(しはい)を見ず。各(おの/\)其(その)好所(このむところ)を以(もつ)而、自(ミつから)楽(たのしミ)とする。予若年(じやくねん)より、浄瑠理(じやうるり)をこのむといへども、魯鈍(ろどん)にして、得(う)ること未然(ミぜん)也。耳鳥斎(にてうさい)主人ハ、旧誉(きうよ)銘人(めいじん)の意(ゐ)を弁(わきまへ)、世上(せじやう)に融通(ゆうつう)せり。門(もん)に入(いつ)て聞(きく)に、昔噺(むかしはなし)の滋味(ぢミ)理暁(りきやう)を、鼻紙(はながみ)の端(はし)に書(かき)とゞめ、友楽(ゆうらく)初心(しよしん)の助(たすけ)るもとはなけぬきと外題(げだい)して、一巻(いちくわん)とす。言葉(ことバ)の過(すき)たる是、古人(こじん)の教道(きやうどう)見る人、赦(ゆる)し給ふべし。
ゆるきのまつりことミの夏
 太瓶楽居撰 
 

目録
(注:目録の題、順は本文とかならずしも一致していません。)

 
1
○操(あやつり)芝居(しバゐ)の弁5オ
2
○稽古(けいこ)の仕様(しやう)  10オ
3
○稽古屋(けいこや)の心得(こゝろへ)7オ
4
○声(こへ)を熟(しゆく)するの弁12オ
5
○外題欠(けれんけつ)といふ論(ろん)14ウ
6
○無理当(むりあて)自然(しせん)の弁17ウ
○文句(もんく)善悪(せんあく)の弁21ウ
7
○素人(しらうと)より太夫(たいふ)ニ成(なる)弁29オ
8
○位付(くらゐつけ)評争(へうあらそ)ひの論(ろん)  32オ
9
○三味線(さミセん)の弁33ウ
10
○舎理場(ちやりバ)の弁38オ
11
○出(で)かたりの弁35オ
12
○節付(ふしづけ)節配(ふしくバ)りの伝(でん)39ウ
13
○操(あやつり)をよく語(かた)ると云(いふ)弁(べん)40ウ
14
○寄進(きしん)大会(おほくわい)の節(せつ)の心得(こゝろへ)43オ
15
○月会(つきくわい)順会(じゆんくわい)の事(こと)46ウ
16
○座敷(ざしき)浄瑠璃(しやうるり)心得(こゝろへ)の弁(べん)45ウ
17
○去嫌(さりきら)ひ七筒(か)の伝(でん)47ウ
18
○口中(こうちう)開合(かいかう)の事
19
○四季(しき)調子(てうし)50オ
20
○浄瑠理(じやうるり)音義(おんぎ)の伝51オ
21
○間拍子(まひやうし)並程(ほど)といふ事52オ
22
○修羅(しゆら)之(の)事(こと)53ウ
23
○景事(けいごと)道行(ミちゆき)の伝54オ
24
○産字(うミじ)の心得(こゝろへ)54ウ
25
○中音(ちうおん)にて語(かた)る心得55ウ
26
○長(ながき)ハ継(つき)短(ミぢかき)ハ切(きる)といふ事59ウ
27
○詞(ことバ)に品(しな)ある伝 60オ
並四音(しおん)之事61ウ
28
○浄瑠理(じやうるり)語(かた)る節(セつ)身構(ミがまへ)の事62ウ
29
○節(ふし)に四季(しき)ある弁63オ
目録終

○操(あやつり)芝居(しばい)の弁
浄瑠利(じやうるり)ハ元(もと)、仁儀(じんぎ)、孝貞(かうてい)、忠信(ちうしん)の道(ミち)を、やわらかにして、愚俗(ぐそく)に能(よく)通(つう)し、禁(いましめ)とする芸(げい)なり。故(かるがゆへ)に古(いにし)へは貴人(きにん)も用(もち)ひたまひて、人に依(より)て受領(じゆりやう)を賜(たまハ)りしなり。小野女(おのゝめ)の十二段の論(ろん)ハ、おふむが杣(そま)、外題年鑑(げだひねんかん)に委(くハ)しければ略(りやく)す。其頃(そのころ)所々(ところ/\)に芝居(しばい)して勧善(くわんぜん)懲悪(ちやうあく)の利(り)を眼前(がんせん)に操(あやつり)、老若(らうにやく)児童(じどう)のしめしとす。夫(それ)より芝居物(もの)となりける故(ゆへ)、雑芸(ざつげい)とおもハるゝ様(やう)になり行(ゆき)たり。儀(き)太夫節(ふし)ハ謡(うたひ)を和解(わげ)て実意(じつゐ)専(もつぱ)らと語(かた)る故(ゆへ)人情(にんじやう)に能(よく)通(つう)じ、世上(せじやう)大(おほい)に流行(りうかう)し、花(はな)になく妓婦(ぎふ)水(ミづ)に住(すむ)船頭(せんどう)まで、浄るり語(かた)らぬ者(もの)ハなし。儀太夫節ハ浪華(らうくハ)を元(もと)として五畿内(こきない)を善(よし)とする。其(その)故(ゆへ)ハ他国(たこく)にも上手(じやうず)に語る人も有(ある)べけれども、儀太夫節(ふし)の音(おん)備(そな)ハらず。譬(たとへバ)東武(ゑど)の板子節(いたこぶし)、伊勢(いせ)の河崎音頭(かハさきおんどう)、其(その)外(ほか)国々(くに/\)在々(ざい/\)の田植歌(たうへうた)まで浪華(らうくわ)の人(ひと)よく諷(うたひ)真似(まに)れども、節ハ似(に)れども音(おん)ハ似せることあたハず。是(これ)其(その)国々(くに/\)土地(とち)に備(そな)はりたる音ある故(ゆへ)なり。浄るりハ惣名(そうミやう)にして、文(ぶん)に節あるは何(なに)にても(しやう)浄るりなり。是(これ)ハお通(つう)の十二段(だん)より夫(それ)/\ヘ分(わか)れたり。今浪花(らうくわ)の人(ひと)浄るりとのミ覚(おぼ)へ居(い)るハ儀太夫節なり。京都(きやうと)の人ハ今におゐて此唱(となへ)別(わか)れり。謡(うたひ)には家本(いへもと)あり。儀太夫節ハ家本なき故遺(や)りたい儘(まゝ)に語(かた)る共(とも)誰(たれ)が咎(とかむ)る者(もの)もなく、心(こゝろ)有(ある)人(ひと)は忍(しの)びて笑(わら)ひ譏(そし)るばかりなり。さすれば至(いたつ)て六ケ敷(むつかしき)芸なるべし。万人の称(せう)より一人の笑(わらひ)を恥(はづ)るとハ諸芸(しよげい)の禁(いま)しめなり。諸芸とも都(すべ)而昔に衰(おとる)といへども、儀太夫節程おとりたるハあるべからず。中而名ある太夫故人(こじん)となりて年数(ねんすう)遠(とを)からざるに、儀太夫節の風儀大きに替(かハ)り、東西(とうさい)花実(くわじつ)の別(わか)ちもなく、銘々気儘(きまゝ)流儀(りうぎ)と成たり。古人(こしん)をおもふハ諸道の法也。古人に便(たよ)り少なりとも、古法(こハう)を聞(きゝ)求(もとめ)、風儀(ふうぎ)正敷(たゝしく)ありたきことなり。
○稽古(けいこ)心得(こゝろへ)の弁
昔(むかし)の稽古(けいこ)ハ、道行より景事(けいこと)、節ことを得(とく)と熟(しゆく)して、段物(だんもの)にかゝる。是(これ)ハ、節の名を会得(ゑとく)させん為也。今の人ハ其(その)故(ゆへ)を知らず唯(たゞ)気短(きミぢ)かく我声が能(よひ)やら、悪(わる)ひやら、調子(てうし)が、有やら、無(ない)やら、論(ろん)に不及始より、三段目を稽古(けいこ)する。是等ハ向(むかう)見す猪(いのしゝ)稽古(こ)といふものなり。唯(たゞ)何(なに)となき、ハルフシ、スヱフシ、を二三十遍(へん)もくりかへし、先生を退屈(たいくつ)させ、共身も情(せい)つかし、何にも覚ず、ロ直しにはやり歌(うた)、諷(うた)ふてかへる。当世(とうせい)ハ皆これなり。先(まつ)稽古(けいこ)せんとおもはゞ能き師匠(しセう)を吟味して、声(こへ)の皮(かわ)のむけるまでハ軽(かろ)き端場(はバ)を習(な)らひ、譬(たと)へこゝろに覚たりとも幾度(いくたび)も、大声(おゝこへ)あげて語り見る。いかぬ所へは考(かんがへ)をつけ、節(ふし)を得(とく)と覚たれば、それより程(ほと)長短(ちやうたん)序破急(しよはつきう)を、尋ね問ひとくと熟(じゆく)して、其一段を情(せい)出して語(かた)るべし。覚へたれば能(よひ)にして、外の稽古にかゝるべからず。百日に百盃(はい)の道理(どうり)にて、終(つい)にハ人に聞すやうにも成るべし。是も習(なら)ひ、あれもならひするハ、宜(よろ)しからず。歴々の太夫にても、同しことなり。上手の芸に何にても面白なきことハあるまじきなれども、得(とる)と得ぬの相違なり。染太夫が大塔の宮(おふとうのミや)、薄雪(うすゆき)、政太夫が忠臣蔵九段目、鬼市の三段目、或ハ住太夫が、伊賀越鏡山抔いつ出しても相応(そうわう)の入りあり。是にて悟るべし。譬(たとへ)ていわは誰(た)れそれが、三勝ハ面白けれども、誰(たれ)それかのハ面白(おもしろ)なひといふ。同し文句(もんく)に同し節(ふし)、別(べつ)に替り有まじなれども稽古(けいこ)の熟(しゆく)せしと、熟せぬの相違(さうい)なり。其人々の上手下手、心得にもあるべけれども、多(おゝ)くハ稽古の厚薄(かうはく)にあることなり。儀太夫芝居(しはい)始(はじま)りて、凡二百年近きに及べども、三段目語(かた)る太夫ハ当代まで僅(わつか)五六人にかぎるなり。まして赤素人(あかしろと)の初心として三段目ハ入らざることなり。悲(かな)しくも廿年の功(かう)を積(つミ)四十にして弁(わきまへ)、五十より六十までを盛(さか)りとする。下手(へた)上手ともに、積(つも)りし功(かう)ハ心(こゝろ)に不及、たとへば物に光(ひか)りあると光りなきがごとし。此義理を能(よく)考(かんがへ)、心長(こゝころなが)く稽古有べし。
○稽(けい)古屋の弁
卅年ばかり以前(いぜん)までハ、町々に素人(しろと)浄瑠理(じやうるり)語(かた)る者(もの)ハ、靱(うつぼ)に南金(なんきん)、堂嶋に髭久(ひげきう)、順慶町(じゆんけいまち)に平助、其後、塚五(つかご)、ひら八抔、僅(わつか)に五六人ほどありて、至極(しごく)珍敷(めづらしく)、人の用ひも格別なりしに、今ハ素人(しろと)浄る利、蟻(あり)の涌(わく)がごとくに有て、名(な)も悉(ことゞと)くハおぼへられず。去ルによつて稽古や殊(こと)之(の)外(ほか)いそがしく一町に三四軒程つゝありて、末(す)へ町なりとも稽(けい)古屋の無(なき)ハなし。先(まつ)弟子(でし)よりも師匠(ししやう)足(たら)ざる故、浄瑠利四五段おぼへると、進(すゝ)めて稽(けい)古屋となる。都而(すべて)三都(と)の有難(ありがた)さ、安き師匠(ししやう)へはやすき弟子行、上中下共に相応(さうわう)の口すぎ出来(でき)ること、浪花(らうくわ)の繁昌(はんじやう)爰(こゝ)に見へたり。かゝる稽(けい)古屋へ行ハ、修行(しゆぎやう)のけいこと云(いふ)ものにして、誠(まこと)の稽古とするにあらず。至(いたつ)て初心(しよしん)は是に便(たよ)り、口(くち)ほどき手解(ほとき)といふ。先(まつ)一封(いつふう)を持参して、師弟(してい)の礼(れい)をなす。扨(さて)稽古(けいこ)と成るに、師匠の知(し)らざるもの多(おゝ)くあり。知らぬといはゞ、一封逃(にげ)ても去(いな)んかと、今晩(こんばん)ハ本見(ミ)へず明日と突延(つきのば)し、明朝(ミやうてう)早々(さう/\)近附(ちかづき)へ行て筋を聞(き)き、直様(すぐさま)受売の片言(かたこと)交(まぜ)り、師匠(ししやう)さへおぼへねバ、弟子(でし)ハ猶どき/\として分(わか)らず。是ハ余(あま)り六か敷(しき)なり、代物(しろもの)をかへんといふ。師匠(ししやう)悦(よろこ)びお前(まへ)にハ是がよろしかるべしと、少(すこし)し覚へたるものを、進(すゝ)めて稽古(けいこ)する。弟子(でし)ハ是より、次第(したい)に毒気(とくき)を吹込(ふきこま)れて、浄瑠利(じやうるり)正達(たつ)の道(ミち)をながく失(うしな)ふ。さりながら南鐐壱片を、六十日に割(わ)れハ、当時(たうじ)の相場(さうバ)にて、一日十弐文ばかりにあたる。是にて昼夜(ちうや)を楽(たのしむ)こと奢(おこり)にあらず、栄耀(ゑよう)にあらず、程(ほど)よき楽(たのし)ミなるべし。
稽古屋の歌に
こぬハ上折々来(く)るは中の弟子(でし)毎日来るハ下々の下のでし
○声(こへ)を熟(じゆく)する弁
昔(むかし)より一声二節(ふし)といふことハ、儀太夫に移(うつ)りよく、四音(おん)、五音(こゐん)、明定(めいじやう)して一越(いちこつ)・平調(へいちやう)・双調(そうちやう)まて、かね揃(そろい)、息(い)き次(つき)長(なか)く文名(ふんめい)明(あき)らかなるを、一声と云(いふ)なり。当世大将(しやう)声といひて、大声あり。尤小音(せうおん)成(なる)よりハよし。といへとも余(あま)り太(ふと)く大(おゝ)きなる声ハ、小まわりせず、振廻(ふりまハ)し自由(じゆう)ならず。これ等(ら)ハ下手(へた)声といふ。又ハ太(ふと)きしハがれたる、きばり声を黒しといへども、左にあらず。上品(じやうひん)にして、糸移(うつ)りよく、水くさからず甘(あま)からず、にがミありて口さハき能(よく)、自由(じゆう)にとゞくをこそ善(よし)といふへし。又ハ届ぬ所に面百味(おもしろミ)ありて、文句の情(ぜう)を語(かた)る。是(これ)本旨が故に能(よく)通(つう)ず。むかしハ斯(かく)のごとく、妙音(めうおん)有といへども、当世(とうせい)ハすくなしと見へたり。声(こへ)ハその人の持前(もちまへ)よりほかハ、別(べつ)に仕(し)やうあるべからす。悪声(あくせい)小音(せうおん)といふとも、日/\夜/\に語(かた)れば、小音ハ大音と成り、悪声にも味(あじハひ)出て、自然(しぜん)の妙を得(う)るものなり。故人(こしん)上総(かづさ)太夫・嘉助綱太夫生(うま)れ付たる、悪声なれども、熟(しゆく)して後(のち)に妙(めう)音となり、只(たゝ)一心(いつしん)の以(もつ)てなす時ハ、得ぬことハあるべからず。唯(たゞ)凝(こ)り給(たま)へかたり給へ/\。
13ウ−14オ
(『やかましひわいのふおいて下され』『おもしろかろが』『はなけぬき』の書き入れ)
○外連欠(けれんけつ)といふ弁
けれんけつといふ論(ろん)ハ、是もと岡又を真似(まね)過してより出(で)たることなり。又兵衛岡太夫は元と筑前掾のでしなりしが、先師(せんし)古人(こじん)と也てより、西口(にしくち)政太夫に附(つき)てもつぱら、播磨(はりま)場をかたりて、太政入道(たいせうにうとう)兵庫(ひやうこの)岬の三段目是等(これら)大当りせしなり。又ハ富士(ふじ)日記三段目、能語る。甚(はなはた)正(たゞ)しき芸(げい)なりしが、三度目操(くり)かへし忠臣蔵をせし時、九段目を勤大当りして評判(ひやうばん)遠近(ゑんきん)にふるふ。是より後良(やゝ)もすれバ筑前(ちくぜん)場を語りしが、次第(しだい)に年(とし)積(つも)りて一二の音(をん)薄(うす)くなり、声(こへ)を釣(つ)るに従(したかう)て、無性に末にて、操(くり)あげくりおろし語(かた)る故に自然(しせん)と治定(てう)ならさりけり。されども本正敷(たゞしき)芸なる故、諸人(しよにん)是に随(した)がひ此風(ふう)義を覚たり。当(とう)世の筑前(ちくぜん)ばをきくに、何れもミな岡又の流(りう)なり。筑前掾は銘人(めいじん)なり。治(をさま)り無(なき)ことハ語(かた)らず。当世(とうせ)の人(ひと)是(これ)を知(し)らすくり上(あけ)るのを筑前(ちくぜん)とこゝろヘ、地合(ぢあい)ハのら猫(ねこ)の如(こと)キ、声(こへ)を出(いだ)し、スヱフシを見付ると文句(もんく)の大小(だいせう)も論(ろん)セす、[スヱテ]差(さし)うつむいても、[スヱテ]どうど伏(ふ)しても、[スヱテ]暫(しバ)し詞(ことば)も、[クル]前後(せんこ)も知(し)らず、[クル]りうていこがれても、声(こへ)のあらん限りくり上(あ)け語(かた)る。是情(せう)にはづれて文句(もんく)の意味(ミ)わからず。譬(たと)ヘハ絹川堤(きぬかわつゝミ)の浄るりに、老のくりこと恩愛(をんあい)のといふ、文句(もんく)大きに操(くり)りあけたり。六十余(よ)の老人(らうじん)ことに立役(たちやく)なり。是等(これら)ハ了簡(りやうけん)違(ちがひ)なり。されども岡(をか)又斯(かく)語(かた)りし故、弁(わきま)へなき人は爰(こゝ)大事とくり上(あげ)語(かた)る。筑前(ちくぜん)ハかくのごとき、ぶ調法(てうはう)ハ有るまじ。銭屋(ぜにや)此太夫ハ生得(せいとく)声(こへ)ほそく、音力(をんりき)甲斐(かひ)なき故、口中味梅(あんばい)ハ似(に)せず、只(たゝ)筑前(ちくせん)の腹持(はらもち)詞(ことバ)の情(しやう)を能(よく)語る故上手の名(な)を得(え)たり。平右衛門嶋太夫、元祖駒(こま)太夫内匠(たくミ)大和右三人とも、大和彦太夫を似(に)せて語る。なれども皆(ミな)俺(おのれ)/\が、信(しん)ずる所に一利(いちり)ありて、風儀(ふうき)替(か)るといへども、水上(ミなかミ)清(きよ)き故何(いつ)れも、銘(めい)人の評(ひゃう)を得たり。今の世の浄瑠理(しやうるり)語り、多は外連(けれん)を習(なら)ひて見物(けんぶつ)に誉(ほめ)させたひといふ心(こゝろ)先立(さきたつ)故、勘心(かんしん)の元(もと)を失(うしな)ひさまでもなきことを仰山(ぎやうさん)にかたるなり。耳(ミゝ)に立(たつ)て聞飽(きゝあき)する故二段とハ聞(きけ)ず。是(これ)本儀太夫節(ふし)の実意(じつい)をしらざる故なり。
○無理当(むりあて)自然(しぜん)の弁
儀太夫節ハ陽中(やうちう)の陰(いん)なり。一段語(かた)る中(うち)に見物(けんふつ)の誉(ほめ)るにも所(ところ)によりて邪魔(しやま)になり、座敷(さしき)浄るり抔(なと)も皿鉢(さらはち)の鳴音(なるをと)にも、所(ところ)に寄(よ)りて妨(さまたげ)と成り、浄瑠利(しやうるり)の情(しやう)を失(うしな)ひ、始終(しゝう)のさハりとなるものなり。当世(とうせい)の人は見物(けんふつ)にはやく、誉(ほめ)させんことをこゝろがけ、三(ミ)下(くだ)り四下り語(かた)る内(うち)に無理(むり)に当節(あてふし)をこしらヘ、声(こへ)をかけさす。是(これ)をつかまへるといふ。欠落者(かけおちもの)の追人(おつて)と、取違(とりちがへ)居(い)ると見へたり。見物の心に自然(しせん)とこたヘヨウトほめるを、中の誉(ほめ)とする。誠(まこと)ハ感心の余(あま)りに、アツト腹(はら)の内(うち)へ感(かん)するを上の誉とする。ワア/\トほめるハ下のほめなり。歌舞妓(かふき)役者(やくしや)、元祖(くわんそ)嵐小六ハ、初日(しよにち)に見物(けんぶつ)の誉(ほめ)る所ハ抜(ぬき)又二日めに誉る所ハ抜き、幕(まく)を引て後(のち)鳴呼(あゝ)、面白(おもしろ)かりしと感(かん)ずるやうにせしハ、是(これ)見(ミ)ざめさせぬ工夫(くふう)、こゝろの巧(たくま)しき所なり。何芸(なにげい)にても油厚(あぶらこく)味過(むます)ぎたるハ長持のせぬ物なり。有隣(うりん)大和ハ度々(たび/\)、見物の誉(ほめ)る日あれバ床(ゆか)より下りて腹(はら)を立(たて)、不作法(ふさハう)なる見ぶつなりと云(いゝ)しとなり。此(この)意(い)尤(もつとも)高(たか)し。今ハ見物(けんぶつ)ワア/\と誉(ほめ)るを当(あた)りと心得(こゝろへ)、猶(なを)/\当節(あてぶし)をおもひ付き、女形(おんながた)のせりふハさまでもなひ文句(もんく)にもサハリを附(つけ)姫(ひめ)も、傾城(けいせい)も、嚊(かゝ)も、娘(むすめ)も、分らずけれんをつかひ、下品(けひん)にもいやらしく、いか程(ほと)嗜(たしなミ)よき女も無性(むしやう)にくさくきこへたり。むかし播磨の語(かた)りし襤褸錦(つゝれのにしき)出立(しゆたつ)の段、後(あと)にお春(はる)が操言(くりこと)の、おもへばさつきの四の字(し)尽(づく)しといふ文のふし付五百石取(と)りの女房年はへ生立(おいたち)節(ふし)に顕(あらハ)れ、東西の太夫感(かん)じたりといふ。近(ちかき)ハ元祖(くわんそ)鐘(かね)太夫が語(かた)りし、廿四孝四段目八重垣姫(やへがきひめ)が口説(くどき)のサハリ、文造(ぶんざう)の仕立(したて)此ふしにて能弁べし。貴人(きにん)下賎(けせん)の分(わかち)ありと、芸の善悪(せんあく)爰(こゝ)に有なり。うか/\と心のつかぬものハ百年稽古(けいこ)して語るとも其(その)功(こう)あるまじ。近松(ちかまつ)半二かいふに見物が新(あたら)しうなる故、芝居も持(も)てたる物(もの)といひしハ高論なり。去年(きよねん)あたりに元服(げんぷく)したる人、二三十年以前(いせん)生(うま)れたる見物、浄(じやう)るりハ此やうなるものと心得(こゝろへ)、無性(むしやう)に誉(ほめ)る故能(よ)きと心得、安房(あほう)をつくす是(これ)即(すなハち)毒(どく)を呑がごとし。当節(あてぶし)ばかりに凝(こら)ずとも、正道(せうとう)に心ざすべし。宝暦年中に阿弥陀池(あミだいけ)門前(もんぜん)新芝居(しんしばい)にて、始(はしめ)て操(あやつり)を十文にてミせたり。則十七太夫、淀太夫、信濃太夫抔(なそ)出たり。見物も十文切にて帰ることなれバ、太夫も語(かた)り退(の)きのやうになりて、さしてもなきにとり、或(あるひ)は堅(かた)き詰合(つめあい)の場にても当節(あてぶし)を入る様になりたり。其(その)節(せつ)より芝居に本家なきゆへ本(もと)も末(すへ)も行儀(ぎやうぎ)悪敷(あしく)見物も一日芝居の見物ハ心(こゝろ)静(しづか)なり。十文の見物ハ気(き)もせはしなくすこしにても滋味(じミ)なる場(バ)ハ退屈(たいくつ)して面白(おもしろ)がらす。当世(とうせい)ハ見物も下手(へた)浄(しやう)るりも下手なり。たま/\能事(よきこと)を進(すゝむ)る人あれバ、尤なれども今ハこれが徳なりといふて聞入ず。上手(じやうず)になる道(ミち)を失(うしな)ふハ、当分(とうぶん)凌(しの)ぎといふべし。
○文句(もんく)善悪(せんあく)の弁
浄(じやう)るりを雑芸(さつけい)とおもハるゝハ元(もと)作者(さくしや)太夫の、得失(とくしつ)より出たるなり。近松門左衛門ハ元(もと)禅僧(ぜんそう)也。悟(さと)りの中に又悟りて、浄瑠利(じやうるり)作者となりしハ五常(ごじやう)の道理(どうり)を通俗(つうぞく)し、悪(あく)を除(のぞ)き善(せん)を勧(すゝ)むる、是(これ)則(すなハち)仏心(ぶつしん)なり。和漢(わかん)の文(ぶん)に達(たつ)し歌道(かどう)に委敷(くわしく)、祇園(きをん)与市、近松を日本の文者(ぶんしや)と称(せうし)たりといふ。門左衝門が作文(さくぶん)妙(ミやう)なりとハ、穂積(ほずミ)が作せし難波土産(なにハミやげ)にくわしければ、爰(こゝ)に略(りやく)す。門左衛門につゞいて、竹田出雲是同しく銘作者(めいさくしや)なり。惣(すべ)て作文ハ嘘(うそ)を誠(まこと)に作(つく)るといふも更(さら)なりといへども、近松(ちかまつ)が作(さく)ハかいて退(のく)程(ほと)の嘘(うそ)なれども、人形の貴賎(きせん)男女の情(ぜう)真実(しんじつ)に聞(きこ)へて見物の心にひし/\と当(あた)る。是人情(にんじやう)を能(よく)書(かき)たる故なり。国性爺(こくせんや)抔(なと)ハ世上の人能知て古(ふる)き噺(はな)し抔(なと)いふ人(ひと)多(おゝ)し。数多(あまた)有(ある)中(なか)にも河内通(かよい)百人女郎抔ハ、いにしへの源氏(げんじ)伊勢物語(いせものがたり)にも同かるべし。寿(ねひき)の門松将碁(せうぎ)の段、武士町人傾城(けいせい)女房(によぼう)皆(ミな)それ/\の、人情(にんじやう)見るがことく奇(き)なり妙(ミやう)なり。其頃(そのころ)は銘作(めいさく)を上手なる太夫語(かた)る故浪花(らうくわ)の名物と成て、芝居の繁昌(はんじやう)たとふるに物(もの)なし。三拾年ばかり以前(いぜん)ハ夜七ツより見物来りて明六ツに大序(じよ)をひらき、五段の浄るり八ッ頃にハ打出したり。是(これ)全(まつたく)作者と太夫の智足(ちそく)器量(きりやう)ある故なり。近年の浄瑠利作ハ文(ぶん)拙(つたな)く、たま/\古事(こじ)を引に何に有ことやら紛敷(まぎらしき)語(ご)共有て、一段世界の広狭(ひろせま)も論(ろん)せず頭(あたま)かちに仰(きやう)山なるばかりにて末(すへ)に至(いた)りて仕舞つかず、時向(しかう)の伝(つたい)悪敷(あしく)序(しよ)に仕込たる解(ほどき)も見へず、道行(ミちゆき)景事(けいごと)を書(かく)文才(もんさい)なければ、多くハ道行もなし。元来浄るり作ハ、神祇(しんき)・釈教(しやくきやう)・恋(こひ)・無常(むじやう)、世界の栄枯(えいこ)人形の苦楽(くらく)・得失(とくしつ)・時節(じせつ)の次第(したい)始終(ししう)文縁(ぶんゑん)の、切ざるやうこそ作文成べし。近年(きんねん)語(かた)る阿波(あハ)の鳴戸(なると)といふ浄るり、極(きハめ)て悪しといふにハあらねども、近松出雲が作も嘘(うそ)ハ違(ちが)ひなけれ共、うそに実(ミ)の有と、実のなきを噛(かミ)しめていふ譬(たとへ)なり。此(この)順(じゆん)礼の娘ハ大胆(たん)不敵(てき)の者にて、五十余里を唯(たゞ)一人金子を懐(ふところ)にして野山にふし辛苦(かんく)を凌(しの)ぎ来(く)るませ者、ちらと口を押へられ死るなり。十郎兵衛ハ盗賊(とうぞく)の頭(かしら)もする者が、懐の金の多少(たしやう)見ざるハ、きつい下手なる盗賊なり。金もすくなし殺しやうも悪し。切殺すか、しめころせバ梅の由兵衛に似寄(によ)りて趣向古しとおもひ、又ハ愁(うれい)をしつかふ書たいばかり、娘の殺しやうにことをかきたるなり。愁(うれい)の大きさと、娘の死にやう不都合(ふつかう)にて、十郎兵衛ハ疎忽者(そこつもの)、女房ハ周章(あわて)もの、只趣向新しきに心(こゝろ)屈(くつ)したるといふものか。さしてもなひ世界人物(ふつ)なが/\敷(しき)愁(うれい)を拵(こしら)へ、大(おう)場にかきなすハ元来無理なることゆヘ、作者(さくしや)も如在(じよさい)あるまじくなれ共なんとなふ底(そこ)水(ミず)くさく、嘘(うそ)の実(じつ)と嘘(うそ)のうそとの意味(ミ)斗(ばかり)、娘(むすめ)の死(しに)やう一ッにて其場(そのは)に居(い)たる人形(にんぎやう)皆(ミな)分別(ふんべつ)なしとなり。此(この)浄(じやう)るりばかり差ていふにハ有(あら)ず、数多(あまた)あれども当世(とうせい)耳(ミゝ)ちかき故一ッニッたとへていふなり。花襷(はんだすき)とふ浄るりに三途(さんづ)の川の川端で待(まつ)て居(い)て下さんせといふ文(ふん)あり。此娘ハ後先(あとさき)の見へぬむこひ心(こゝろ)なり。五年十年暑寒(しよかん)風雨(ふうう)を凌(しの)き、川ばたに待て居らるゝ物(もの)か、居(い)られぬものが、大躰(たいてい)知(しれ)たることなり。未来(ミらい)ハ一トツ蓮(はちす)などいふ、文も古き故新(あたら)しき文をかきたる、心と見へたれども、何(なん)と成共文の有(ある)べきこと、是等(これら)ハ文の新しきに屈(くつ)して、女の情(じやう)を取損(とりそん)じたるものなり。斯(かく)のごときたぐひ数多(あまた)有(あれ)とも、云(いゝ)尽(つく)すにいとまあらす、文盲(もんもう)愚智(ぐち)の見物(けんふつ)斗(ばかり)なれバ、ことすめども相応(おう)に、文才(さい)有る人も聞(きく)物(もの)ぞかし、恥(はつ)べきことなり。五段の浄るり大序ハ口伝(くでん)、五段目ハ明語(めいご)といひて、一日世界(せかい)の解(とき)治(おさま)りなれバ大切のものなり。近(きん)年の作(さく)は五段目なし、たま/\五段目有ハ紙半枚ばかりになんの訳も無(なき)ことを書(かき)、夫も本出迄ハなし。正本出(いだ)すに付て、拠(よんところ)なくふしやう/\に五段目を書なり。当世(とうせい)芝居も見物も気短(きミち)かく、早合点(はやがつてん)して五段目ハ悪人(あくにん)退治(たいじ)、見いでもよひ、せいでもよしなれども、正本ハ作者(さくしや)の寸尺(すんしやく)あらわれ、不智(ふち)不文の悪名(ミやう)遁(のがれ)がたし。浄(しやう)るりの趣向(しゆかう)ハ世界の大小に従(したが)ひ、古(ふるき)を新(あたら)しく用(もち)ひ、直(すぐ)なるを逆に用ひて、趣向(しゆかう)は大躰に立(たて)らるゝ物なれども、文ハ法ある者ゆへ六か敷(しき)なり。仮名(かな)つかひを委(くハ)しく会得(えとく)すれバ知(ち)行にも成程のことなれバ、知(し)らぬもことハりなれどもすこしハ心懸(かく)へきことなり。太夫も是に同しうして、少しハ字(じ)も読(よミ)仮名づかひも習(ならふ)べし。文の善悪(ぜんあく)にて損徳(そんとく)あること、自然(しぜん)と情(ぜう)の厚(かう)薄聴聞(ちやうもん)衆人の心に通(つう)じ太夫のぶ調法(てうハう)となり笑わるゝことなり。爰(こゝ)に余りあきれの舞(まひ)たることあり。夕霧(ぎり)文章(しやう)ハ近松門左衛門の作(さく)にして、夕霧といふ傾城(けいせい)の名を題(たい)にして、春花(しゆんくハ)秋花(しうくハ)の古歌を引、月雪鳥(つきゆきとり)の附(つけ)合恋慕(れんほ)忍(しの)びの古(ふる)ことを一段に書(かき)て、人も知りたる銘(めい)文なり。尤国太夫一仲節(いつちうぶし)抔(なぞ)にて語るといへども、儀太夫ぶしなれバ儀太夫を語る太夫ハ、儀太夫節にて語るべきに、一仲ぶしにて語(かた)るハ何事ぞや。儀太夫の語りし節を知らぬ故といふべきか。それハ正本に儀太夫の打たる章(しやう)を見て考(かん)がふべし。此浄るり嘉助綱太夫拵(こしら)へ語りしが、是(これ)とても時代(じだい)違(ちが)ひゆへむかしハしらねども、儀太夫の本躰(たい)を崩(くず)さず儀理(きり)有(あつ)て面(おも)白し。其頃芝居にて語るべきに極(きハまり)しか病重りて故人(こじん)と成。尤当世昔の節にてハ見物(けんぶつ)の気に合(あひ)まじ成れども、すこしハ遠慮すべきはつ。すべてサハリといふ名目(めうもく)あれば、一仲ぶしもいれまじきにハあらねども、サハリも大躰(たいてい)限(かぎり)りあるものなり。一仲(いつちう)節を儀太夫の中へ突(つき)交(ませ)るハ余(あま)りにぶ仕付(しつけ)なるべし。かやうに太夫より行儀崩(くす)す故、町中の人も是をよしとおもひ語ること儀太夫の意(い)も銘作の本意(い)を失(うしな)ふ。流を汲業(ぎやう)人には冥(ミやう)加いかゞ有(ある)べし。近松半二ハ穂積(ほつミ)の兄弟にて、学文有て歌(か)学にもくらからず。中向(ちうかう)の上手なり。此半二がいひし噺に、切角(せつかく)心(こゝろ)を込(こめ)たる作(さく)なれども、語(かた)り殺(ころ)さるゝこそ悲(かな)しけれと歎きしも一むかし。惜むべし/\。
○素人(しろと)より太夫になる弁
竹本豊竹両(りやう)芝居に本家有時、座摩稲荷(ざまいなり)おはつ天神社内(しやない)に、稽古場(けいこバ)あり太夫に成らんとおもふ者ハ、稽古場へ出(いで)て修行(しゆぎやう)する。評判(ひやうばん)能(よく)バ本家より呼出(よひいた)し、又一座太夫の内より吹挙(すいきよ)する共、一座の太夫人形つかひまで打寄(うちより)、先(まづ)目見へをきゝ能(よく)バ抱(かゝ)ヘ、悪敷バかゝヘず。抱へるに於ては、鼻紙(はなかミ)代(しろ)として金子拾両出(いだ)す。役(やく)も序中(しよなか)極(きハま)りなり。其頃(そのころ)ハ卒爾(そつじ)に出(でる)事堅かりしが、今ハ甚(はなハだ)心安(こゝろやす)し。稽古(けいこ)屋の月会(つきくわい)にも、おだてらるゝ程の浄るりでも、太夫名を付き芝居へ出る、初日幟(のぼり)、表方(おもてかた)への祝儀(しうぎ)、上下の振舞(ふるまい)、是れ等(とう)芝居の賑(にきハ)ひとなり、先(まつ)見(ミ)ならひと名附(なづけ)て至(いたつ)て初心なるハ、役場(やくば)なし。勿論(もちろん)無給(むきう)銀にて出勤(しゆつきん)する、太夫のことなれバ、むさきなりもならす、薄き衣物にても引張(ひつはり)、京八丈の羽織(はをり)を着(ちや)くし、弁当(べんとう)取りに六七百文の賃(ちん)を出し、座蒲団(ぶとん)に張込(はりこミ)、古幟(ふるのほり)のたんせん、長髷(ハけ)の辻法印(つしハういん)見(ミ)るごとく、人(にん)形つかひにハ屎(くそ)のことくあしらハれ、傍(そバ)で見(ミ)る目も気之毒(きのとく)なり。右のごとき太夫かぞふるに暇(いとま)あらず。斯(かく)て長くも捨置(すておか)れぬ故、相応(わう)に役(やく)場をあてがひ語らする。見物(けんぶつ)も賢こくて同(おな)し銭(せに)出すならハ、すこしなりとも能き太夫を聞(きく)心(こゝろ)にて、時分(じぶん)を考(かんがへ)おそく行(ゆく)故、自然(しせん)と始(はじま)り遅(おそ)く、昼(ひる)すぎ八ッ頃(ころ)より、見物(けんふつ)来る夜(よ)に入(いれ)は、油(あふら)蝋燭(らうそく)の費芝居にハ、物入(ものいり)多(おゝ)く数多(あまた)太夫ありて無(なき)がことく、役(やく)に立(た)ツ太夫ハ給銀(きうぎん)、次第に高(たか)く成(な)り芝居師も引合(ひきあへ)たる故長(なが)くハ続(つゝか)ず。一月払(はら)ひ十日払五日払と成(なり)て、行損(ゆきそこ)なハゞ夫切(それぎり)の心(こゝろ)と見へたり。太夫も又同し心にて、我(わか)芸(げい)の未熟(ミしゆく)なるも弁(わき)まへず、早く金(かね)のほしさに心せき、身の程(ほど)も顧(かへり)ミず、少(すこ)しの縁(ゑん)を求(もとめ)て古(ふる)き銘人(めいじん)の名を附(つけ)、名聞(めうもん)を起(おこす)。何太夫が二人あるの、何太夫が三人あるのと、名て揺(ゆす)れども世上(せじやう)の人合点(かてん)せす。是等(これら)世(よ)にいふ蟇(かいる)の行列(ぎやうれつ)にて先祖(せんぞ)の名(な)を涜(けが)すといふものなり。芸(げい)さへ熟(じゆく)して正達(せうたつ)すれバ自(おのづから)人も用(もち)ひ称する。是(これ)時(とき)を得(う)るにして其(その)時(とき)故人(こじん)銘誉(めいよ)の名を附(つく)ども人も笑(わら)ふまじ。薯蕷(やまのいも)が鰻(うなぎ)ニなるも、地気(ちき)天水(てんすい)の順(じゆん)ずる。時(とき)来(きた)らねバ成(なり)かたし。堰(せい)てハことを仕損(しそん)ずる道理(どうり)、脅(おびや)かしても揺(ゆすつ)ても其手(そのて)ハ喰(くわ)ぬ耳(ミゝ)の穴(あな)、擽(こそバ)かりけることどもなり。
○評附(ひやうつけ)争(あらそ)ひの弁
竹本豊竹両(りやう)本家(ほんけ)ありし時ハ先官(せんくわん)旧功(きうこう)の者(もの)よりハ上(かミ)に立(たゝ)んこと堅(かた)く、至(いたつ)て芸(げい)秀(ひいで)るに於(おい)てハ、座頭(かしら)より評(ひやう)を上(あけ)前後(ぜんご)と成。切(きり)芝居となつてより行儀(ぎやうぎ)崩(くづ)れ俺大将(おのれたいしやう)となり、良(やゝ)もすれは評附(ひやうつけ)位争(くらいあらそ)ひありて、小障(こしやう)すくなからず。太夫三味線(さミせん)ともに故人(こじん)上手の名をつけ名聞(ミやうもん)ハ能(よ)けれども、大躰(てい)ハ押(おせ)/\の芸(げい)故(ゆへ)に位あらそひ混雑(こんさつ)する。気性(きしやう)高(たか)き者ハ、いたく勢(きほ)ひを振(ふる)ハず、至(いた)らぬ者程(ほど)評(ひやう)を争(あらそ)ひ善(よき)を憎(にく)ミ、悪(あしき)を従(した)がへ友(とも)として親(したしミ)、是(これ)芸(けい)の未熟(ミじゆく)気性(きしやう)下(ひく)きより出(いつ)る。我(われ)を知(し)り人を知る教(お)しへこそ訣要(かんよう)なり。評附(ひやうつけ)争(あらそ)ひ給銀(きうきん)争(あらそ)ひにこる程(ほと)、芸(けい)に凝(こつ)て正達(しやうたつ)すれば脇(わき)より下(した)には置(おく)まし。当世(とうせい)ハ唯(たゝ)髪(かミ)の曲(ハけ)の高下(たかひく)、青岱(せいたい)の厚薄(かうはく)、上草履(うハぞうり)の鼻緒(はなを)弁当(べんとう)の菜(さい)の善悪(ぜんあく)是(これ)にこる程(ほと)浄(じやう)るりに凝(こつ)たれば、上手にもなるべし。兎角(とかく)役(やく)にも立(たゝ)ぬ小障(こせう)を捨(すて)て芝居仕(し)のこりぬやうこそ大事(だいじ)なるべし。
 
○三味線(さミせん)の弁
儀太夫の三味線(さミせん)ハ、音色(いろ)厚(あつ)く好当(こうとう)なるを古風(こふう)とする。当時(とうし)ハ重(おも)き駒を掛(かけ)、音(ね)色ほそく障(さわり)ハ蝉(せミ)の鳴音(なくね)にひとしく、端手(はて)なるを専一(せんいち)とす。尤風儀(ふうき)に寄(よ)るといへども、時代(じだい)の堅(かた)き場(ば)抔ハ乗移(のりうつり)悪(あし)くさなから浅間敷(あさましく)聞(きこ)へ自然(しせん)と浄(しやう)るりの意見(いミ)を妨(さまたげ)情(じやう)を失(うしのふ)。欠声(かけこえ)も程(ほと)あり。太夫より大(おゝき)成(なる)声(こへ)を出(いだ)し、喚(おめき)叫(さけ)ひ手の廻(まハ)る儘(まゝ)に引倒(ひきたをし)、掛撥(かけはち)すくひ撥(ばち)のちやらくらにて紛(まきら)かし、引にくひことハ引能(よひ)様(やう)に拵(こしら)へ直(なを)し、端手を専(もつはら)とするハ素人(しらうと)たましと云(いふ)物(もの)にして音(ね)も能手も能廻るハ数多(あまた)有れど、儀太夫節(ふし)を能(よく)弾(ひく)ハ少し。時代の中(なか)に世話(せハ)有(あり)、世話の中に時代(したい)有、一行(いちきやう)一句(いつく)の間に気持(きもち)虚実(きよじつ)の心得(こゝろへ)有(あり)、十分(ぶん)を八分に用(もちゆ)こと助役(しよやく)の法(ハう)也。都(すべ)ての芸者(けいしや)人の能事(よきこと)も知(しり)悪敷(あしき)ことも知(しつ)てハ居(い)れど我(わか)芸の未熟(ミしゆく)より負(まけ)おしミ出(いで)て横道(よこミち)へ行こと気性(きせう)の上下智愚(ちぐ)の二ッに有(ある)ことなり。末(まつ)世といへども端手(はて)をきらひ正道(せうとう)なる芸を好(このミ)聞分(きゝわけ)る人も有ぞかし。人(ひと)及(およバ)されバ情(じやう)をもつて恕(じよ)すへしと云(いふ)。芸道(げいどう)に真実(しんじつ)なくてハまん頭(ちう)の皮(かハ)ばかり喰ふがごとし。
○出語(でかた)りの弁
名ある太夫始(はじめ)て出勤(しゆつきん)するか、又ハ遠国(ゑんごく)へ出て久々にて帰国(きこく)し目見得(めミへ)として、出語(かたり)する、或(あるひ)ハ追善(ついぜん)祝(しう)儀事すべて、諸客(しよかく)へ礼(れい)を厚(あつ)くする為(ため)なれバ、行儀(きやうき)正敷(たゝしく)すべきことなり。昔(むかし)有隣(うりん)大和椀久(わんきう)ゆかりの十徳、又ハ河内通振分髪(ふりわけかミ)、邯鄲(かんたん)抔(なぞ)出語りせしに口(くち)も動(うごか)ざりしハ行儀(ぎやうぎ)正(たゝ)しき太夫なり。誠(まこと)に出語ハ斯(かく)有(ある)べきことと、諸見物(しよけんぶつ)感称(かんせう)する。又西口政太夫宝暦年中、日高川(ひたかゞハ)入相花王(いりあいざくら)狂言(きやうけん)半(なかバ)にして、芝居類焼(しやう)セり。普請(ふしん)成就(じやうじう)して、四段目大道具なれば急(きう)に出来兼(できかね)、四段目の替り用明(ようめい)天皇鐘(かね)入を出語(でがたり)せしに、首(くび)少し右へ傾(かたむき)ければ、見物(けんぶつ)の評判(ひやうばん)大和におとりしとなり。謹(わつか)に頭(くび)少しかたむきてさへかくのごとし。
36オ
当世(とうせい)ハ出語(でがたり)度々(たび/\)にして珍(めづら)しからす。二段目三段目四段目の差別(しやべつ)なく出語(でがた)りする。此故ハ東国(とうこく)抔(など)へ行(ゆき)て景事(けいこと)を知(しら)ざる太夫目見(めミ)へに段物(だんもの)を語り始(はじ)め、余国(よこく)の風儀(ふうぎ)本(もと)へ移(うつ)る。又ハ老(おひ)て声(こへ)衰(おとろ)へ届(とゝ)きかねるを恐(おそ)れて、まんざら顔見てハ悪口(わるくち)もいふまじとの掠(かす)り。さあれハとて見苦(くる)しく顔(かほ)をしはめ、首(かしら)を振廻(ふりまハ)し鼻(はな)を五十度(たび)かんだ、白湯(さゆ)を百度(たび)呑(のん)だの、何太夫が顔(かほ)ハおかしい顔をする、浄(じやう)留りよりハ首(くひ)振(ふる)のが面白(おもしろ)ひ抔(なそ)と評判(ひやうばん)する。三段目抔(など)長(なが)き大場(ば)を語(かた)れハ、顔もしかめ身(ミ)もだへせねバ力(ちから)らなく水(ミづ)くさき故(ゆへ)尤(もつとも)なり、故に古人(こしん)ハ短(ミちか)きけいごとを語(かた)りたり。是(これ)見物(けんぶつ)へ礼(れい)をなすに、行儀(きやうき)正敷(たゞしく)せん為(ため)なり。今にても老(おひ)たる太夫の、音力(おんりき)甲斐(かひ)無(なき)ハ是非(せひ)なし。若(わか)き太夫是を能(よき)ことに見ならひ、町(まち)の稽古屋(けいこや)の初会(はつくわひ)納会(おさめくわひ)等(とう)に来(き)て出語(てかたり)する。故(ゆへ)もなく騒動(さうとう)さすこと不礼(ふれい)なり。今世にいふ粋詞(すいことハ)にハ寒(さむ)ひともいふなり。近年太夫仲間のよき億病(おくひやう)隠(かく)しなるべし。太夫座(さ)といふて床(ゆか)に御簾(ミす)を掛(かけ)る、古実(こじつ)ありて芝居の規模(きぼ)なり。今のごとくに出語はづんてハ床(ゆか)も後(のち)にハ入らぬ様になり京都(きやうと)の首振(くびふり)芝居同然(どうぜん)になるべし。
○舎利場(シヤリハ)の弁
おとけたる浄るりをちやり場(バ)といふハ和田合戦(わたかつせん)四ノロ河内太夫の場にて、鶴ケ岡(つるがおか)別当(べつとう)阿舎利(あしやり)手負(ておい)の真似(まね)して追人(おつて)を欺(あざむ)く、其(その)文(ふん)節配(ふしくばり)おかしく大当(おゝあた)りせしより阿舎利場/\と称(せう)す。其後(そのゝち)も阿の字(し)をとりて、舎利場/\とおかしき浄るりハ何にても名目(ミやうもく)舎利場となり、用明天王(ようめいてんわう)三段目飯焚(まゝたき)の場に此(この)摺子木(すりこぎ)のふとさハふとふても、ざまばつかりといふ文句(もんく)、見物(けんぶつ)じや/\落(おち)か来(き)て、近松ハおどけたることを書(かき)しとわらひけるといふ。是ハ上代(じやうだい)なりひらかな四のロ、辻法印(つしハうゐん)抔(なぞ)ハ、見物腹(はら)を抱(かゝへ)てわらひしとなり。是四の切の仕込(しこミ)にして、浪人(らうにん)の源太(げんた)大尽(だいじん)出立(てたち)の解(ほどき)、次第(したい)能(よく)して尤(もつとも)面白(おもしろ)し。今のちやりハ取(とつ)て付(つけ)たる様(やう)なる趣向にして、兎角(とかく)下掛(しもかゝ)りへ落(おと)して下品(げひん)なり。是(これ)趣向(しゆかう)の道理(とうり)分(わから)ず、薄情(はくじやう)なる故おかしミなく下がゝりをいふて笑(わ)らハせんと巧(たく)ミし物なり。上総(かづさ)紋太夫が語(かた)りし出入湊(でいりのミなと)はんじ物(もの)が起情(きしやう)の場、声(こへ)をおかしくつかわず、人形(きやう)の情(しやう)を能(よく)語(かたり)し故、見物(けんぶつ)大(おゝき)に笑らひ興(きやう)を催(もよほ)す。おかしき声(こへ)を出(いた)し下掛(しもがゝ)りをいふべからず。こぢ附(つけ)て笑らわせんとするとも、情(じやう)はづれてハおかしみなし。考(かんがへ)あるべし。
○ 節配(ふしくばり)ふし附(つけ)の弁
音(おん)に四音、三重(ちう)に七ケの品(しな)、送(をく)りに、七ケの伝(でん)あること深(ふか)き古法(こはう)、是等(これら)ハ以心伝心(いしんでんしん)にて、今いふてハ間(ま)ニ合(あ)ふまじ。譬(たと)へバ親(おや)の代(よ)に金持(かねもつ)て、息子(むすこ)の代(よ)にハ蝋燭(らうそく)の請売(うけうり)、格子(かうし)に看板(かんばん)出(いだ)し、間口(まくち)ハ十分一(じうぶんいち)成(なれ)ども昔(むかし)に替(かわ)らぬ何(なに)屋何兵衛なるが如(ごと)し。儀太夫節(ふし)ハ本(もと)二十四節なり。障(さわり)で四十八節と成(な)る。其余(そのよ)表具(ひやうく)文弥(ぶんや)半太夫数多(あまた)あれども、是又助(たすけ)の障(さわり)とする。儀太夫節ハ、余(よ)に法外(はうぐわい)の節を、用(もちゆ)るものにあらず。只新敷(あたらしき)節を附(つけ)んと、六(むつ)かしきユリ又は声(こへ)おかしき吟(ぎん)に振廻(ふりまわ)しつかふといへども、節に名なくてハ、儀太夫節にあらず。節の重(かさ)なるを忌(いむ)といへども、夫(それ)も文句(もんく)の治定(でう)に寄(よ)りて赦(ゆる)すべし。時代(じだい)世話(せわ)の節行躰(きやうたい)紛明(ふんミやう)にして、世界(かい)人形山(さん)海、里屋(りおく)、松花(せうくわ)、貴賊(きそく)、心持(もち)とする。文ハ、世界なり詞(ことハ)ハ水なり。節ハ風雨(ふうう)のごとし。天気(き)次第(したい)能(よ)くハ豊(ゆたか)なり。次第あしくハ、凶(きやう)なり。五段の世界一段の景色(けいしき)人形の実虚(じつきよ)序発急(じよはつきう)こそ第一なり。引ク節ハ極(きわめ)て引き、引かぬふしハ極て引ず。節のぶらつくを禁(いま)しめ、治定(でう)するこそ善(よし)といふ也。
 
○操(あやつり)を能(よく)語(かた)ると云(いふ)弁
操を語(かた)るに上手(じやうず)下手(へた)あること、是則(すなわち)太夫心得(ろへ)の善悪(せんあく)にあり。作者(さくしや)五段の浄るりを書(か)き颪(おろ)して、一座(ざ)の太夫より夫(それ)/\へ役場(やくば)を割附(わりつく)る。序(じよ)より五段目まで、人形の生(おひ)立、貴賤(きせん)老若(らうにや)く行年(きやうねん)を得(とく)と呑込(のミこみ)、其(その)情(じやう)を能(よく)すれハ、自然(しぜん)と人形生(いき)たるごとく、見(ミ)へるものなり。京都の太夫に能(よく)泣(な)く太夫あり、愁(うれい)の文句(もんく)さへ見付(ミつけ)ると、聊(いさゝか)のことも無性(むしやう)に泣故泣味噌(なきミそ)太夫といふとかや。この男ひらかなの鐘(かね)場を語(かた)る。お筆梅がへ出合の所前後(ぜんこ)も弁(わきま)へず、大(おゝ)きに泣。尤(もつとも)愁(うれい)の文句なれば泣も理(ことわり)なれども、実(じつ)浄るりの意味(いミ)ハさにあらず。此お筆といふ人形ハめろ/\泣(なく)女にあらず。木曾(そ)殿(どの)に奉公(ミやつか)へしてかひ/\敷(しく)も、山吹(ぶき)御前(ごせん)若君(きみ)乞(こひ)望んで預(あづか)り、番場を欺(あざむ)き其(その)場を遁(のが)れ又/\大津にて追人(おつて)を引請(ひきうけ)、親(おや)ハ討死(うちじに)したれとも、其(その)身(ミ)ハ薄手(うすで)も負(おわ)ず、大勢の家来(けらい)と戦(たゝかひ)山吹の死骸(しがひ)を葬(ほうむり)、若君(わかぎミ)の有家(ありか)をたづね、樋(ひぐ)口に渡(わた)し頼朝(よりとも)出頭(しゆつとう)の、梶原(かぢわら)を討(うた)んとする、大胆不敵(だいだんふてき)の女なり。過(すぎ)たることをぐど/\泣(なく)人形にあらず。深(ふか)く泣(ない)てよくバ内匠大和が泣て置(おく)なり。序(しよ)より生立(おひたち)たる人形の情(しやう)はづれ、作者の本意(ほんい)も失(うしな)ひ何(なに)となく、下品(げひん)になりて浅間敷(あさましく)聞(きこ)へることぞかし。都(すべ)て操(あやつり)ハ此心得(こゝろへ)大切なり。嘉助綱太夫東海道七里の渡(わたし)二段目に、底皮(そこひ)盲人(もうじん)の家老(からう)上仕(じやうし)と出合(であい)のせりふ、刀(かたな)を抜(ぬき)て目先(さき)へ突付(つきつけ)る、請答(うけこたへ)の情(じやう)能(よく)も語(かた)りたり。是全(まつた)く綱太夫が気持(きもち)上手より出たり。人形に目ハあれども、自然(しぜん)と明盲(あきめくら)のやうに見へたり。善悪(ぜんあく)とも此類(たぐい)数多(あまた)あれども、道理(とうり)を云ばかりなれバ文(ふん)略(りやく)す。船頭(せんどう)の娘(むすめ)に姫君のごとき愁(うれい)もあり。源七染太夫が紙屋治兵衛が女房のサハリ、教興寺(きやうこうじ)のおはつがサハリ、近(ちか)きたとヘハ是なり。悪(あく)人方なれバとて、むしやうにこわいこへ出すにもあらず。悪人にも貴賎(きせん)あり。人形の情(じやう)さへはづさねバ自然(しぜん)と動(うご)く物なり。心得(こゝろへ)有(ある)べし。
○大会(おゝくわい)寄進(きしん)の弁
寄進(きしん)浄(じやう)るり大寄(よせ)等(とう)にて、当んとおもはゞ、出ぬを一の当(あて)とす。当時(とうじ)素人(しろと)浄瑠理方角/\に、組(くミ)/\ありて、人数(にんじゆ)多(おゝ)きを誉とする故に、一向(いつかう)浄るりの理(り)の字(じ)にもならぬ。初心(しよしん)出(いて)て語る何(なに)かハもつてたまるべき。おきくされひきずり颪して、踏(ふ)め極洞(ごくどう)め抔(なそ)いふ、千本鑓(せんぼんやり)を喰(く)ひほう/\の躰(てい)にて、床(ゆか)より逃(にげ)ておりる。振飯(にぎりめし)ハ勿論(もちろん)茶(ちや)も呑(のめ)ぬ心配(しんはい)何(なん)のためなるぞや。懇意(こんい)知音(ちゐん)その場(ば)にありて、胸(むね)を痛(いため)挨拶(あいさつ)に口籠(くちこも)る、当人(とうにん)ハなを面目(めんほく)なく、赤面(せきめん)して隠(かく)れ忍(しの)び、夜(よ)も寝(ね)られぬ程(ほと)の無念(むねん)。まづ稽古(けいこ)を得(とく)と熟(しゆく)して、我(わが)持前(もちまへ)より軽(かろ)き物(もの)を手短(てミぢ)かく語(かた)り、恥(はぢ)をすくなふかくを中(ちう)の当(あて)とする。大躰(たいてい)熟(しゆく)するまで出(で)ぬがよし。相応(さうわう)ニ語(かた)る人成りとも、前後(ぜんご)の出(だ)し物(もの)をかんがヘ、似寄(によ)りたる物(もの)ハ語(かた)るべからず。かつら物の跡(あと)ハ時代(じだい)を語り、愁(うれい)の跡ハ修羅(しゆら)か、ちやりを語る。是(これ)前後(ぜんご)を助(たす)け我(われ)も当(あて)る道理(どうり)なるべし。
44ウ−45オ
(『引きずり出してなぐれ/\/\』『はなけぬき』の書き入れ)
○座舗(さしき)浄瑠利(じやうるり)の弁
第一行儀(ぎやうぎ)正(たゝ)しく、夫(それ)/\へ丁寧(ていねい)に挨拶(あいさつ)を述(のべ)、扨(さて)語(かた)る浄(じやう)るり女中多(おゝ)き座(ざ)ハ、指合(さしあい)なることを語(かたら)ず。祝儀事(しうぎごと)なれバ大きなる愁(うれい)を語(かた)らず。娘(むすめ)多(おゝき)座にてハ、不儀ふ縁(ゑん)のことを語らず。是第一の心得(こゝろへ)なり。扨浄るり終(おハつ)て後(のち)大酒(たいしゆ)をすべからす。食事(しよくじ)も下作(げさく)にすべからす。焼物(やきもの)ハ当家(とうや)の挨拶(あひさつ)次第にて、竹の皮(かわ)を用(もちゆ)るとも、菜籠(さいらう)ハ無用たるべし。さまでもなき取肴(とりざかな)までも、前後(ぜんこ)を争(あらそ)ひ菜籠(さいらう)へ押(おし)こみ、菓子類(くわしるい)密柑(ミかん)迄も袂(たもと)にするハ、下作千万(せんばん)なり。かやうなる賎方(いやしほう)ある時ハ、同道(どうどう)の者も冥惑(めいわく)におもひ、浄るり語る者ハ下品(げひん)なりと、賎(いヤ)しめられんこと恥(はづ)べき次第なり。
○月会(つきくわい)順会(じゆんくわい)の弁
稽古(けいこ)やハすべて、小づかひ銭(ぜに)、ふ自由なるものゆヘ、会料(くわいりやう)現銀(けんきん)に持参(ぢさん)し、語り物も随分短(ミぢ)かく語り、壱人(ひとり)にても人数(にんじゆ)多く語らせるやう、夜更れバ燈火(ともしひ)の費(ついへ)多(おゝ)き故、早く仕舞(しまい)せるやうにすべし。是仁(しん)なり、礼なり。跡さき見ずに長(なが)く語るべからず。好こそ物の上手(じやうず)なりと、むかしハいふたれども当世ハ好こそ物の下手(へた)にして、兎角(とかく)長(なが)し。風呂(ふろ)でも、長入する者ハ嫌(きら)ハれるなり。過(すぎ)たるハ及ざるにてよひかげんを知るべし。順会(じゆんくわい)も又(また)此(この)意(い)に同し。銘々(めい/\)雑用(ぞうやう)なりといへども、気儘(きまゝ)すべからず。礼なくてハ終(つい)に仲間破(なかまわれ)して逸作(いつさく)と成(なり)、人にまじハる者(もの)ハ礼儀(き)第一(いち)にして、末(すへ)長(なが)きを善(よし)とする。浄(じやう)るりも又同し。上手(じやうず)成とも、八分(ハちぶん)にひかへめに短(みじ)かく語(かた)るこそ考(かんがへ)なるべし。
○去嫌(さりきらい)七箇(か)の弁
第一 声(こへ)を似(に)せるをきらふ信仰(しんかう)なれバ心を似(に)すべし。惣(そう)じて似(に)せるに能(よき)事(こと)ハ似(に)ぬものなり。
第二 仰山(ぎやうさん)にやかましきをきらふ。只(たゞ)やすらかにして上品(じやうひん)に語(かた)るべし。
第三 味(うま)ひ事をいハんと声(こへ)をすかしべた正根(しやうね)をきらふ。さら/\語(かた)るベし。
第四 長(なが)くしてぶらつき地合(ぢあひ)ならぶを嫌(きら)ふ。長短(てうたん)大事(だいじ)にすべし。
第五 調子(ちやうし)持前(もちまへ)より下(ひく)う楽(らく)せんとするをきらふ。しんどすべし。行儀(ぎやうき)あしくなる也。
第六 こゑをつくり舌味(いやミ)ありて下品(げひん)なるをきらふ。
第七 浄(しやう)留りを好(すい)てけいこをきらふをいましむる。
おどろく時のハア、かなしミ/\てのハア、いかつてのヱヽ、たのし見てのヱヽ、にくミてのヱヽ、我身をくやミてのヱヽとをくよひかくるナウ/\、ちかき物いふナウ、其品々ハ文(ぶん)理をよく/\工夫(くふう)あるべし。
 
口中開合(かいがふ)の事
49オ−49ウ
 
アイウヱヲ  鼻喉(はなのんど)にわうず
カキクケコ  をく歯(は)にわうす
サシスセソ  歯(は)にわうず
タチツテト  舌にわうす 軽
ナニヌ子ノ  舌にわうず 重
ハヒフヘホ 唇(くちびる)に軽(かるく)わうず
マミムメモ 唇に重(おもく)わうず
ヤイユヱヨ 喉音(こうをん)にして鼻に近(ちか)し
ラリルレロ 舌の根(ね)より出る
ワ井ウヱオ 鼻(はな)喉(のんど)にわうず
口(くち)をすぼむ
舌(した)を出し口を中(ちう)に開(ひら)く
歯をかミロをほそむ
歯をかミ唇(くちびる)をひらく
歯も唇も開く
十二時もおなじ事、とらの時を平調(へいてう)にあて申候。それより次第/\なり。左の図(ず)のごとし。
 
四季調子
50オ
双調 黄鐘 一越
平調 盤渉
春ハ双調
夏ハ黄鐘
秋ハ平調
冬ハ盤渉
土用ハ一越
呂の音よろこひの音とするなり。夫ハ天に用ゆへ天には楽しミ多によつてなり。律の音かなしミの音とする也。夫は地に用ゆべし。下界にくるしミ多ニ依て也。
右にしるし有十二時の調子
50ウ
調子之性(てうしのせい)
双調ハ 木  春のどのこへ
黄鐘ハ 火  夏はのこゑ
一越ハ 土  土用きはの声
平調ハ 金  秋したの声
盤渉ハ 水  冬口びるの声
浄瑠理(じやうるり)音義(をんぎ)伝(でん)
一 凡(およそ)五音(ゐん)にはづるゝはなし。浄るりハ流水(りうすい)の如し、節ハ淀(よどミ)のごとし。水(ミず)ハ方園(ほうゑん)にて、或(あるひ)ハ浅(あさ)き瀬(せ)にて波(なミ)を催(もよほ)し、深(ふか)き所(ところ)にてゆるく岩(いわ)にせかれてハ逆巻(さかまき)のぼる。広(ひろ)き所ハ遅(をそく)細(こまか)き所ハ急(きう)也。音曲(をんぎよく)も右(ミぎ)の如(ごと)し。文句(もんく)に心を付(つけ)、広(ひろ)き所ハ広く急なる所ハ急、各(をの/\)文義(もんき)に応(をう)ずべし。我(われ)こそ語(かた)り上手顔(じやうずかほ)は無益(むやく)也。さすればおもくしたるくもたれて聞(きゝ)にくきもの也。只(たゞ)やすらかに軽(かろ)く人の耳(ミゝ)に立(たゝ)ぬやうに、或(あるひ)ハ節九ツ又は十の内にて壱ツ舌(した)のうへにちらりと面白(をもしろ)き節(ふし)を語(かた)るべし。珍膳(ちんゼん)も飽(あけ)バ味(あぢ)なし。粗食(そじき)も珍敷(めつらしき)時は甘露(かんろ)にまさるべし。
声(こへ)の口伝(くでん)
一 浄(じやう)るりを語(かた)る声(こへ)をかたるといふ事あり。声(こゑ)を語(かた)るとハ上(あげる)ルも下(さげる)ルも品(しな)を付(つけ)やらでもよき所(ところ)をゆりなどしてハ文句(もんく)の分(わけ)分(わか)らず。是(これ)あしき也。浄るりハのミこみのあしき人に物語(ものがたり)する心なるべし。
 
間拍子(まひやうし)の口伝並ニ程(ほど)といふ事
間拍子(まひやうし)といふ事(こと)、間(ま)ハ人の歩行(あるく)如(ごと)し。右の足(あし)壱尺(しやく)運(はこべ)バ左(ひだり)の足(あし)壱尺少(すこし)も長短(てうたん)なし。定(さだま)りたる事陰陽(ゐんやう)の道理(だうり)爰(こゝ)を以て本間(ほんま)をすはやく歩行(あるく)時(とき)ハはやき間(ま)、緩(ゆるき)時はゆるく間(ま)、いづれも其(その)ほど相違(さうゐ)なし。拍子ハ是につれ手を振(ふる)ごとく、右の足すゝむ時(とき)は左(ひだり)の手(て)すゝみ、左の足すゝむ時(とき)ハ右の手すゝむ。是陰陽(ゐんやう)の道理(だうり)なり。三味線(さミせん)の間(ま)は手を振(ふる)間(ま)也。右(ミぎ)の足(あし)を踏出(ふミいた)す時(とき)同(おなしく)右の手を振出(ふりいだ)すハ間拍子(まひやうし)ひとつにもつれあふ故(ゆへ)間拍子(まひやうし)にあらず。扇子(あふぎ)拍子(ひやうし)ハ三味線の間(ま)と同(をな)じ事(こと)也。右(ミぎ)扇子(あふぎ)拍子(ひやうし)第(だい)一のものなり。能々(よく/\)、工夫(くふう)有べし。本間(ほんま)にはづれてハ音曲(おんぎよく)にあらず。惣(すべ)て口(くち)と心(こゝろ)相違(さうゐ)有るによりあしき間(ま)に成也。又ハ生れつきあしき間も有(あり)。是(これ)とても稽古(けいこ)におこたりなきハおのづから拍子宜敷(よろしく)なる物(もの)なり。又程(ほど)といふ事、是(これ)ハ間拍子(まひやうし)の中(うち)にあり。
 
修羅(しゆら)の事
一 修羅ハ心(こゝろ)を鎮(しづ)め、間拍子無油断(ゆだんなく)、口はやく語(かた)るべし。心いそげバ間拍子崩(くづ)れ文句(もんく)も分(わか)らず悪(あし)し。只(たゞ)心静(しづか)に口拍子(ひやうし)にて語(かた)るべし。間拍子(まひやうし)間拍子ひとつになれば是くづるゝなり。文句(もんく)しづか成(なる)時(とき)ハ心持(こゝろもち)をはやく語(かたる)ベし。
 
景事(けいごと)道行(ミちゆき)の伝
一 景事道行などハ心をいさましく静(しづか)に語(かた)るがよし。心の句切(くぎり)第(だい)一に心懸(こゝろがく)べし。心の句切(くぎり)のなきは文句(もんく)なまり、或(あるひ)ハ分(わか)らず。早(はや)き拍子事ハなをもつてなり。
 
産字之事
一 産字といふ事あり。先ゆりながしハ産字にてゆるべし。産字左にあらハす。
54ウ
いいろをはあにいほをへゑとをちいりいぬうるうををわあかあよを
たあれゑそをつうねゑなあらあむうううゐいのをおをくうやあまあ
けゑふうこをゑゑてゑああさあきいゆうめゑみいしいゑゑひいもを
せゑすう
右の通(とを)り文句(もんく)の分(わか)れハ産字(うミじ)より有なり。あるひハ歌(うた)にても上るりにても又ハ節(ふし)事にても皆うミ字にて引事有。ゆる事あり、
いいろをはあ
右ゑひもせす迄(まで)かくの如(ごと)し。こと/\く記(しるす)に不及(およばず)。浄るり歌(うた)にても此心得(こゝろへ)第一なり。
浄るり中音(ちうおん)之事
一 浄るりハ中音要(かなめ)なり。中(ちう)より起(をこ)り一チ三通ふ。左に一二三の分れを記す。
陰一、音 二同 陽三、同
古(いにしへ)天地(あめつち)未(いまだ)剞(ひらけず)陰陽(ゐんやう)不全(まつたからず)渾沌(こんとん)として鶏子(たまご)のごとし。軽(かろく)清(すめ)るものハ薄靡(たなびき)昇(のぼり)て為天(てんとなり)、重(おもく)濁(にご)る物(もの)ハ淹滞(とゞこほり)て為地(ちとなる)。一ハ陰也、三ハ陽(やう)也。一ノ音(おん)ハ重(おもく)濁(にご)れる是陰なり。三はかろく清(すめ)るなれば陽(やう)也。然者(しかれば)三を上にし一を下(しも)にする道理(どうり)なれ共、陰(ゐん)ハ沈(しづむ)陽(やう)ハのぼる。然る時ハしづむ物を上にして、浮物(うかぶもの)を下にすれバ下(した)より登(のぼ)らんとして又うへよりはしづまんとする。左あれば陰陽(ゐんやう)中にてミつる。陰陽(ゐんやう)の合する所ハ二なり。陰陽の満(ミつ)る所にこそ声(こへ)あり曲(きよく)あり、万(よろづ)発(おこ)るハ爰(こゝ)なり。左(さ)あれば二の音(ゐん)を専(もつぱ)らに語(かた)るべし。中(なか)へ戻(もど)りては陰陽へかよふ。兎角(とかく)中音(ちうおん)動(うご)きなき様(やう)に心得べし。一の音の響(ひゞき)ハ如此(かくのごとく)、三の音のひゞきハかくのごとく、左(さ)あれは一より下へのぞみ、三よりハ上をのぞむ。上下より集(あつま)る所は二ノ音(をん)也。然れバ中を第一にすべし。仮名割(かなわり)の事、母(はゝ)ハはハ、女をおうな、河内(かハち)をかうち、此(この)類(るい)多(おほ)クあらハすにおよはず。開合(かいがふ)ハ五音(ゐん)也。記すにあたハす。詰文字(つめもじ)の事(こと)、のゝ字(じ)をを有といふ字(じ)をなると詰(つめ)る、先(まづ)此類也。口伝(くでん)。武道(ぶだう)世話事(せわごと)替(かハ)るべし。節(ふし)に切字(きりじ)有(あり)。左に顕(あらハす)。
本フシ 賀茂(かも)の 此所切字 川きし 此所切字 浪(なミ)こへて
切字といふハ節(ふし)たるみなく間(ま)を崩(くづ)さぬためなり。惣して切字によく/\工夫(くふう)有べし。句切(くぎり)なくても心(こゝろ)の句切事なり。
賀茂のにて切ハ川きしといはんとて切なり。たとヘバ犬猫(いぬねこ)にてもさきへ飛(とば)んとて身(ミ)をちゝむ心なり。川岸(かわぎし)のフシに勢(せい)を付んとて、賀茂のにて切ル、是ハちゞむ心也。又浪(なミ)こへにて切ハ跡をゆるく始とて切。万事(ばんじ)いづれもフシとても此心なるべし。浄るりハ語り出せるより仕舞(しまひ)ふ迄縁の切レぬやうに引張(ひつはり)を第一に語(かたる)べし。離(はな)ればなれになれハ聞人も退(たい)屈の出(で)ルもの也。節落(ふしおとし)に気を付べし。跡(あと)の出と縁(ゑん)切(きれ)ざるやうに心得べし。節(ふし)を云て仕廻(しまい)くつろぎたる心にて離(はな)れ/\になりあしし。上手(しやうす)下手(へた)ハ情(じやう)より分(わか)るなり。何(なん)の稽古(けいこ)もなき咄(はな)しにさへ上手下手有。ましてや上るりにおいてをや。ものゝはなしにても情をうつし、愁(うれひ)ハうれいの心(こゝろ)になり、修羅(しゆら)は其心になりてはなせば聞人(きくひと)面白(おもしろし)。おのづから今(いま)見るやうに思われ退屈(たいくつ)なし。是を咄(はなし)上手と云、下手ハ其心なくことばに実(じつ)なく唯(たゞ)作雛(つくりびな)のごとし。五躰(たい)連続(れんぞく)すれども五常(じやう)なし。或(あるひ)はうれいの文句(もんく)にはてなる節(ふし)を付かたれどもあわれハ増ぞかし。用明天王(ようめいてんわう)鐘入(かねいり)に人のよろこぶ日といへば、我ハなげきのますかゞみ、此(この)節(ふし)冷泉節(れいぜいふし)にてはでなり。文句ハうれひなり。こゝろもち大事なり。
 
長(ながき)ハ継(つぎ)短(ミじかき)ハ切(き)るといふ事
一 長ハ継(つぎ)みじかきハ切といふ事、長きと云ハたとヘハ壱尺の物壱尺壱寸より四寸九歩迄を長きとす。壱尺より内九歩迄を短(ミじかき)とす。長くば継のフシ薄雪(うすゆき)にあり。あたをろそかにハそんじませねともの節(ふし)、長(ながき)ハ継(つぐ)のふしなるべし。短(ミじかき)ハ切レの心ハ長(てう)は継(つぐ)の節(ふし)にて心得(こゝろへ)べし。
 
詞(ことバ)に品(しな)有事
一 詞にも品あり。相人(あいて)むかひの詰合(つめあい)と、また他(た)の事語(かた)ると詞(ことバ)にちがひあり。詰合もかたりも同(をな)じ格(かく)にてハしやべつなし。心を付べし。愁(うれい)の内(うち)に修羅(しゆら)有、修羅の内に愁有。何(いづ)れも文句(もんく)に応(をう)ゼずしてハ音曲(おんぎよく)にあらず。浄(じやう)るりハ心(こゝろ)、三味線(さミセん)人形(ぎやう)ハ手足なり。手足の動(はたらき)ハ心より起(おこ)るなれば、三味セんも人形も語(かたる)人の心に応じ愁(うれい)ハうれい修羅(しゆら)は修羅よく/\心を付べし。無左ては三味線(セん)ハ糸を能ひくといふなるべし。浄るりをひくとは云(いひ)がたし。人形も其(その)通(とを)り。大塔(おふとふ)の宮(ミや)音頭(をんどう)の段(だん)踊(をどり)は人の心を浮(うか)す道具(だうぐ)なれとも、おどりの内に力若(りきわか)が心の内(うち)おもひやられ愁(うれい)を催(もよほ)するは浄るりの語(かた)りやうなり。なす事々(こと/\)、是等(これら)の道具(どうぐ)にて察(さつす)べし。花園(はなその)が音頭のふくミうれひよりおこる。いづれもかくの如し。随分(ずいぶん)/\心がけ鍛練(たんれん)すべし。右(ミぎ)顕(あらハ)す所の区(まち/\)一概(がい)には定(さだめ)がたし。士農工商(しのうこうしやう)其別(そのわかれ)あり。
四音(しをん)の事
一 祝言(しうげん)、幽玄(ゆうげん)、恋慕(れんぼ)、哀傷(あいしやう)、此四音工夫の第一なり。祝言の時ハ文字(もんじ)うつりをなるほどたゞしく、ふとからずほそからず早きを本とす。是(これ)祝言(しうげん)の地躰(ぢたい)なり。たとひ残(のこ)りの音(をん)かたる共声(こへ)ハいつ迄(まで)も祝言(しうげん)の声(こへ)にて、心に思ひ入をかへて語(かた)るべし。
一 幽玄(ゆうげん)ハ祝言(しうげん)の声(こへ)を其(その)儘(まゝ)にて、吟(ぎん)をやわらげうき/\と只(たゞ)琴(こと)笛(ふへ)鼓(つゞミ)などを聞(きゝ)、花(はな)のもとに日をくらし家路(いへぢ)を忘(わす)るゝこゝろにて語(かた)るべし。
一 恋慕(れんぼ)ハ幽玄(ゆうげん)のうへにせつなるこゝろざしを専(もつぱ)らとす。いかにも人のうちもまれなつかしき心をもち、ふかく思ひ入て語るべし。思ひ内にあれば色(いろ)外(ほか)にあらわるゝ。白露(しらつゆ)も紅葉(もみぢ)におけバ紅(くれない)の玉(たま)といへるがごとし。
一 哀傷(あいしやう)九[乃]事、是ハまへのよせいをこと/\く忘(わす)れ、恋慕(れんぼ)を少(すこ)し残(のこ)しよわくならぬ様に心をもち、心底(しんてい)に無常(むじやう)を専一(せんいち)とするなり。
 
音曲(をんぎよく)身(ミ)がまへの事
一 惣じて音曲ハ身がまへ第一なり。先(まづ)わり膝(ひざ)にして腰(こし)をすヘ、頭(かしら)をろくにもち、こゝろハ其儘(まゝ)心をちりげに置(をく)。身がまへあしけれバ声(こへ)の出所あしく、諸芸(しよげい)ともに右の心得なきハたしなみうすきゆへなり。
節(ふし)の四気(き)の事
一 節(ふし)の四気(き)といふ事、一には調子(てうし)、二には拍子(ひやうし)、三に節(ふし)、四には時(とき)の気(き)、四音(おん)の位(くらい)を考(かんが)へ語(かた)るを以て四気(き)といふ。又節(ふし)が躰(たい)をもつ、躰がふしをもつといふ事有。又拍子(ひやうし)が程(ほと)をもつて程がひやうしをもつといふ事もあり。よく/\心得べし。
一 口(こう)舌(ゼつ)心の音曲(おんきよく)といふ事、口舌よくかなひ心のきゝたるをいふなり。此三ツ一ツもかけてハ有べからず。たとヘ口舌(こうゼつ)よく叶(かな)ふとも、あるひハ座敷(さしき)の禁句(きんく)、又我得調子(ゑてうし)をわすれなどセば其興(けう)有べからず。よく/\心得べし。口といふハ文字あつかひあざやかにすら/\と自由(しゆう)にいひわけ、開合(かいがふ)かなづかひを極(きハ)め、文字(もんじ)に実(ミ)を入レてしかもふしきれもなくかる/\と語(かた)る所ハ舌(した)なり。心に万法(まんばふ)こもるなれバ四音曲(おんきよく)ハ声に力を忘(わす)れこゝろに力(ちから)をもつべしとあり。よく/\工夫(くふう)あるべし。
一 上(じやう)るりの中へ外の音曲(をんぎよく)入るとても、それへうつる所、又それより上るりへうつる音に木にたけをつきたるやうにてハせんなし。とかくうつりよく/\工夫けいこあるべし。さすれバ後(のち)にハしぜんと名人(めいじん)ともなるなり。