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【 音曲口伝書 】

テキストは近世芸道論(岩波書店)、霞亭文庫本を参照した。
( )内はルビ、〈 〉内は左注。

 

音曲口伝書(おんぎよくくでんしよ)

 

叙(じよ)

 

此書(このしよ)は、傀儡(くわいらい)の優曲(ゆうきよく)にして世の知(し)る所(ところ)なり。父(ちゝ)竹本播磨少掾(たけもとはりまのせうじやう)、門人(もんてい)順四軒(じゆんしけん)がために口授(くじゆ)する所(ところ)なり。此道(このみち)による人(ひと)、此書(このしよ)をねんごろに見(み)て、父(ちゝ)が趣意(しゆゐ)を委(くはし)くし玉はゞ、地下(ちか)に悦(よろこぶ)べし。今(いま)や是(これ)を同志(どうし)〈おなじこゝろざしのもの〉の為(ため)に彫刻(てうこく)せんと謀(はかつ)て序(じよ)を乞(こ)ふ。よつて、筆(ふで)を採(とつ)て其証(そのせう)を述(のべ)て序(じよ)となす耳(のみ)。

明和辛卯仲秋

中紅屋長右衛門(花押)

 

目録(もくろく)

 

一 浄瑠璃(じやうるり)の原始(はじまり)

    附り師伝(しでん)段々(だん/\)の由来(ゆらい)

一 同 工夫(くふう)の事(コト)

    附り音声(おんせい)大小の事

一 信(しん)あれば得(とく)ある事

    附り宝物(たからもの)の事

一 深切(しんせつ)なるといふ事

    附り子わかれの段を語る事

一 音曲(おんぎよく)口伝(くでん)

    附り浄瑠璃五十二番

一 冷泉(れいぜい)ぷしの事

一 あみとぷしの事

一 コハリの事

一 男女(なんによ)わかちの事

一 情(ぜう)ふかくといふ事

一 音(おん)の事

一 調子(てうし)の事

一 誉(ほめ)られやうの事

一 たしなみといふ事

 以上十五箇条

目録畢(もくろくおはり)

 

竹本播磨少掾(たけもとはりまのせうしやう)

 

口伝(くでん) 門弟(もんてい)順四軒(じゆんしけん)聞書(きゝがき)

 

浄瑠璃(じようるり)の原始(はじまり)

 

琵琶法師(びわほうし)の語(かた)るものを平家とて、平家物語(へいけものがたり)にふしを付たるものなり。浄瑠璃といふは、浄瑠璃姫の事を織田信長公(おたのぶながこう)の侍女(めしつかい)小野の阿通(おつう)が作(さく)にて、浄瑠璃物語十二段にふしを付て、琵琶法師に語らせられる。平家を語るは古(ふる)めかしとて、浄瑠璃を語れ、浄瑠璃が珍(めづ)らしとぞ流行(はやり)ける。折節(をりふし)、琉球国(りうきうこく)の楽器(がくき)三味線わたり来(きた)りしを弾ならして浄瑠璃に合せけるより、縦(たとひ)山姥(やまうば)が事を作りたる物がたりにても、ふしを付て三味線に合せさへすれば浄瑠璃を語るといひふらせしゆへ、此音曲の名とぞ成にける。其ころの三味線はやはり琵琶の手のごとく、浄瑠璃も平家のふしにてすこしやはらげ、謡(うたい)に似(に)よりたるものゆへ、浄瑠璃に師匠(ししやう)なし、謡(うたい)を父(おや)と心得よと、我師、

播翁、其師、 竹本筑後掾、其師、 

井上播磨掾より申伝へられしよし、うけ玉はり候。

斯(かく)て浄瑠璃も、盲人法師の曲(きよく)にて、幾年(いくとし)か平家は琵琶、浄瑠璃は三味線とわかり過来(すぎきた)りしが、寛文年中、井上市郎太夫といふ人、謡にくわしく音声うまれ得て自由なりけれぱ、一流(りう)工夫(くふう)して語り出す〈今にハリマ地といふこれなり〉。諸人珍(めづ)らしともてはやせしより、操(あやつり)人形に合せ戯場(しばい)御免を蒙(かうぶ)り、井上播磨掾と受領(じゆれう)を拝(はい)す。

同時代(どうじだい)宇治加太夫といふ人、これも謡にくわしく、井上氏の音曲世(よ)にはやりけるゆへ、又一流語り出す〈芦屋道満四段目〽たれにとひたれにとはましいはふじの。此地合加太夫ぷしなり〉。宇治加賀掾と受領を拝して、戯場興行(こうぎやう)ある。これより両流もつぱら世に弘(ひろ)まりはやる。爰(こゝ)に井上播磨掾門弟に四天王寺村徳(とく)屋理兵衛といふ人、よく師伝を習(なら)ひ得て、折ふしは戯場へすけにも出られ、今播磨と諸人(しよにん)ほめける。此人の弟子同所同村の五郎兵衛、音声すぐれてよかりけるが、つら/\おもはれけるは、我(わが)語る所の井上氏(し)の流は、地ふし長ふして音を表(おもて)としふしを裏(うら)にこめて語り、又宇治氏(し)の流は、地ふし短(みぢか)ふして音を裏(うら)にかくし、ふしを細(こまか)に語り、両流共いまだ節(ふし)章句(しやうく)さだかならず。漸(やう/\)詞・地・地色・地中などゝばかり也。いでや井上の長きをちゞめ、宇治の短きをのばし、音の表裏(ひやうり)をそなへ、節(ふし)の長短をまじへ、序破急(じよはきう)をさだめ、一流を立て語(かた)るに、諸人はなはだよろこぶ。こゝにおゐて名(な)を竹本義太夫と改(あらた)め、筑後掾と受領を拝す。今の世にいたるまで、筑後ぶし、義太夫ぶしともてはやす元祖なり。此 筑後掾の声、二三町ほどづゝ聞(きこ)へしといふ。もとより声も大きなるに音また妙(めう)なるゆへ、諸万人聴(きゝ)入、しづまりて物音(ものおと)せざりしゆへ、芝居の外(そと)まで聞へし事、妙(めう)音さもあるべし。時(とき)に門弟余多(あまた)の中(なか)に、中紅(ちうもみ)屋長四郎といふ人、よく師伝(しでん)をのみこみ語りけるゆへ、我も芝居を勤(つとめ)たしと望(のぞみ)けれども、音声小まへなればとて、筑後掾その事をゆるさゞれば、口惜(くちおし)き事かなとおもひくらしける折から、同門弟、兄弟子若太夫豊竹上野掾と受領を拝し、芝居を興行す〈上野掾をのちに越前掾とあらたむる〉。此時(とき)に中紅(ちうもみ)屋長四郎事、若竹政太夫と名乗(なのり)、此芝居へ出る。筑後掾、政太夫がかたり口を聴(きい)て感(かん)心し、我(わが)一流(りう)を残(のこ)し伝へん事、此人より外にあるまじと、後悔(こうくわい)して急(きう)に呼(よび)かへし、苗字(めうじ)を竹本に改(あらた)め、芝居を勤(つと)む。正徳四年甲午(きのへむま)九月十日、筑後掾六十四歳にて身(み)まかりぬ。遺言(ゆいげん)にして義太夫となり、名跡(めいせき)相続(さうぞく)し、猶又音節(おんせつ)章句(せうく)を正(たゞ)し、終(つゐ)に受領を拝して、竹本播磨少掾といふ。其かたるところ、音声に深(ふか)く人情(にんぜう)をふくみけるゆへ、聴人(きくひと)感心(かんしん)して、浄瑠璃中興(ちうこう)開基(かいき)の名人(めいじん)なりと誉(ほめ)て、名(な)を日(ひ)の本(もと)の外(ほか)までも輝(かゞやか)しける事、世(よ)の人の知(し)るところなり。時(とき)に延享元年甲子七月廿五日、やみて身まかりぬ。不聞院乾外孤雲居士(ふもんいんけんぐわいこうんこじ)と号(ごう)す。年五十四歳、天王寺領の国恩寺に葬る。別(べつ)に碑銘(ひめい)の文(ぶん)を書(かき)て四天王寺の西門石の鳥居の傍(かたわら)に建(たて)て祭る。

 

浄瑠璃(じやうるり)工夫(くふう)の事

播師つね/\申されけるは、我長四郎のむかし、小音なるゆへ、芝居はつとまるまじと筑後翁申されけるとき、つら/\おもふは、音声の大小は人の生(うまれ)つき也。音曲の事は、世話のたとへにも、声なふて人をよぶといふ事あり。生得(うまれゑ)たる調子(てうし)をはづれ語れば、脾胃(ひゐ)を損(そこ)なひ、調子、律(りつ)にかなはず。応(わう)ぜざれば人感(かん)ぜず。音声の 師匠より遙(はるか)におとりしは生れつきなれば、是非(ぜひ)もなし。音は銘々の音あり。音をもつて人情(にんぜう)の喜(き)〈よろこび〉怒(ど)〈いかる〉哀(あい)〈かなしみ〉楽(らく)〈たのしみ〉、真実(しんじつ)に語らば、小音なりとも人の感心せぬ事はあるまじ。工夫して語りしと申されしが、成ほど人感心したると見へて、播翁師の語り出されると、手習子供の無言(むごん)をまもるごとく、しづまり聴(きゝ)入けるゆへ、芝居の外まで聞へし也。こゝを以(もつ)て音が第一じやと心得よ。情をふかく語れば、声はちいさくとも人が感心して、よく聴(きゝ)わけ、鳴呼(ああ)おしゐ事や、声がやりたひと誉(ほめ)らるゝやうがよいといふ序(つゐで)ばなしに、

豊竹越前掾は音声よき人にて誉ぬものなし。しかしながら鉢(はち)の木(き)の文弥(ぶんや)ぶしにて誉(ほめ)を請られしは、義太夫の本意(ほんゐ)にはあらず。此事そしるにはあらず、唯(たゞ)執行(しゆぎやう)の心得の為(ため)にはなすと申されし。

 

信(しん)あれば得(とく)ある事

我そも/\此音曲を好みて、元文三戊午の年五月十日、

播翁師の門に入、弟子となる。我年二十歳なり。夫より一日も稽古(けいこ)におこたらず。 播翁師、病中命終(めいじう)の今までも側(そば)にありける信(しん)にや、浄瑠璃は下手(へた)か上手(じやうず)かしらねども、此道(このみち)におゐての宝物(たからもの)望(のぞま)ずしてみな我が手にある事、左(さ)のごとし。

 

    目録

一 播磨少掾自筆書状(じひつのぢやう) 一通

  此書面は、寛保三癸亥の年の九月[大内裏大友真鳥 寛保3.10.25]より、雑[魚+侯]場(ざこば)重兵衛をすゝめて政太夫と名乗らせ、芝居へ助けに出したる時(とき)の礼状なり。

 

一 腹帯(はらおび) 壱筋

  延享元甲子の年七月廿五日、病中手づから我にたまはる。此帯を寛延三庚午の年、 播師七回忌追善の節、政太夫えゆづる。其後天王寺西門、播師の石塔の傍(そば)に此腹帯をおさめて、曲帯塚(きよくたいづか)を建(たて)る。

 

一 拍子扇子(ひやうしあふぎ) 壱柄

  宝暦十庚辰年、十七回忌追善を営(いとな)みたしと、山城の伏見の里の我友(わがとも)催(もよふ)して、此扇子を伏見の中書嶋なる建長寺(けんてうじ)庭におさめて石牌(せきひ)を建(たて)て、あふぎ塚(づか)と名(な)づく。

 

一 調子笛(てうしぶへ) 八橋定右衛門作

  播師 別(べつ)して秘蔵(ひそう)の品也。子息長右衛門より我にゆづられる。此笛は長四郎の昔(むかし)得られたる名笛也。

 

一 唐人(とうじん)沈草亭(ちんそうてい)の文筆(ぶんひつ)

  此文章(ぶんしやう)は、播師の浄瑠璃妙なる事を長崎にて聞およぴ、唐人の誉(ほめ)詞なり。其訳は、門弟喜太夫長崎へ下向して、此沈草亭に浄瑠璃を語りきかせければ、喜太夫が妙音、此師匠は誠に名を聞およぴたり、嘸々とおもふ、どふぞ成べき事ならば聞たい、といふ心のちんぷん漢文(かんぶん)なり。これ日(ひ)の本(もと)の外までも名をかゞやかしけるは、古今に独りの竹本播磨少掾なりと、此事をしりたる人、申出して感(かん)じ入也。

 

一 凍石(らうせき)の朱印(しゆいん) 二個

  これも唐人(とうじん)五志明(ごしめい)、彫刻(てうこく)して播師におくる。これも喜太夫に言伝(ことづけ)来(きた)る。印(いん)の文字は竹本播磨少掾と一面(いちめん)、いま一面は藤原喜教(よしのり)、かへす/\も唐(から)まで名をしらるゝ程には、大ていの名人(めいじん)ではあるまじと奉レ存候。

 

一 掛物揃(かけものぞろへ)の戯場本(ゆかぼん)

  播師の直本といふは外になし。我ためには数品の中の第一ならずや。

 右いづれも遺言(いひげん)にて、我に譲(ゆづ)らるゝ。

 

一 筑後掾自筆(じひつ)の起請文(きせうもん)

  これは筑後掾いまだ五郎兵衛といひし時に、師匠天王寺村徳屋利兵衛へ差出されたる起請文なり。これ我手に入し事は、宝暦十三癸未年九月十日、筑後翁の五十年忌祥月(せうつき)命日(めいにち)なり。石塔は天王寺西門の傍(かたはら)に宝筐印塔(ほうきやういんとう)を建(たて)て祭る。門徒宗(もんとしう)にて、戒名(かいめう)は釈(しやく)の道喜(どうき)といふ。此塔は先達而、豊竹越前掾建立なり。右追善供養(ついぜんくよう)すみて後(のち)、徳屋利兵衛の末葉(ばつよう)何某(なにがし)の方へ参りければ、誠(まこと)に見ぬ世のむかしを忘(わす)れず、厚(あつ)き志を感じ入との挨拶(あいさつ)にて、此起請文をあたへらるゝ。一流の元祖の筆、仏法一宗(しう)の元祖の筆も同じ事なり。尊(たつと)むべし/\。

 

一 竹田(たけだ)千前軒(せんぜんけん)の墨跡(ぼくせき) 一幅

  これは竹本とり立の座本、人のしる竹田出雲掾なり。延享元甲子の年七月廿五日、竹本播磨少掾、遠行(ゑんぎやう)の時の追悼(いたみ)の発句なり。

    まへがき

   播州(ばんしう)司馬(しば)〈めうじなり〉喜教(よしのり)〈なのり〉、音曲ならぷ人なく一芸(げい)ほゐをとげて、はまのぜう(播磨掾)に任(にん)ぜられ、竹本二代の祖(そ)たり。誉(ほま)れある  受領の国をもて一句を賛(さん)す。

はまちどり 跡(あと)をのこすや ふしはかせ 竹田千前翁

 

  此掛物を、寛保三庚午年七回忌也追善の席にて、 播師の後室(こうしつ)子息(しそく)より我にあたへ給ふ事、有がたし。

此宝物(ほうもつ)、以上九品の二品は、塚(つか)に築(つき)て殊勝(しゆせう)を残(のこ)しける。此外に書(かき)て人にもしらせたき事、数(かづ)々あれども、何とやらん我自慢(じまん)ぱなしをするやうに見へければ、それをやつし候。

 

播師(はりまのせうじやう)深切(しんせつ)の事

 我年二十五歳の時、ある夜、狐(きつね)の子別(こわかれ)の段を語れと申されしゆへ、我うれしく語りければ、フウとばかりにて何ともかとも申されぬゆへ、我もふしぎにおもひ、何ゆへまた此子わかれを御語らせなされ候やと問(とい)しかば、さればとよ、貴(き)さま去年惣領娘をもふけられしに、そのうへ当春京都東山高台寺(かうだいじ)開帳へ愚妻(ぐさい)まいりし時に、貴様同道せらしが、伏見街道(かいどう)にて雨(あめ)にあひ、しばらく休み居らるゝ折から、歌(うた)うたふて物もらふ子比丘尼、雨にそぽぬれて行を見て、貴様申されしには、去(きよ)年娘をもふけしが、若(もし)みなし子とならば、あのごとくに迷(まよ)ふらんといひながら、涙(なみだ)をこぼし申されしよし、愚妻がはなしにてきゝたるゆへ、親子の情うつるべしとおもひ、子わかれの段を望(のぞ)みし所に、おもしろく聞へて気の毒と申されしより、人情第一の事をはじめて口伝を受(うけ)る。是よりいよ/\出情して、同門弟老分(らうぶん)平野屋仁兵衛・きやう屋庄右衛門・一物藤兵衛などの衆中にいにしへの事ども、ひたすらにこひて稽古し、其しらべを、

播師の前に語りて、弥口伝を乞(こ)ふ。その執心ふかきを感じ玉ひて、其所(そこ)彼所(ここ)はと自身(じしん)に其身ぶりをして教(をしへ)玉ふ。誠に有がたき事どもなり。其しな/\数もかぎりもなき事也。とても口にていひ語る事なれば、中(なか)/\筆(ふで)に尽(つき)る事にもあらねど、其中に筆に其理をあらはせば、其場の文句にておもひ合すときは、口伝を筆にいわせる事なきにしもあらす。因(よつ)て、其一(いち)をいふて万(まん)にわたり、しれるほどの心得を書しるし、此みちに志(こゝろざし)ふかき人のために伝(つた)ふる事、左(さ)のごとし。

 

音曲口伝(おんぎよくくでん)

 

  掛物(かけもの)ぞろへ

絵(ゑ)かきをほめて、十幅(ふく)にわかれるやう。

 

  屏風(べうぶ)八景(はつけい) [鎌田兵衛名所盃]

その所(ところ)/\へ行(ゆく)こゝろもちになる也。

 

  宮島(みやじま)八景(はつけい)

居(ゐ)ながらはるかに見やるこゝろ也。コハリとさへいへば、めつたにすごふ語るにあらず。

 

  相生(あいをい)参宮(さんぐう) [国性爺後日合戦]

神(かみ)/\を拝し奉るこゝろ、有(あり)がたく実躰(じつてい)に、さらりと語るべし。

 

  鐘入(かねいり)乃段 [用明天皇職人鑑]

鐘入のまへが鐘入にて、鐘入は鐘出と心得べし。冷泉(れいぜい)ぷしの所は、うれひの冷泉也。つねの冷泉にかたれば、人形いそ/\とうれしそふにおどるべし。文句に気を付べし。

 

  身(み)がはり音頭(おんど) [大塔宮曦鎧]

全体(ぜんたい)うれい也。うか/\と語るとおもしろく成べし。人に誉(ほめ)られやうとおもふべからず。此(この)音声(おんぜう)は、播磨(はりま)の国(くに)石(いし)の宝殿(ほうでん)の近辺(きんぺん)の在郷(ざいごう)の、米(こめ)踏(ふむ)うたの音(おん)にて付たるふし也。三味線にのりかねる調子(てうし)をもつて、うれいを持(もつ)こゝろ也。

 

  敵討未太鼓(かたきうちおやつのたいこ) [敵討御未刻太鼓]

髪結床(かみゆいどこ)の段〽骨桶(こつおけ)とり出し扇子にすへ、九太夫どのもこゝに御座る。此詞にうれひがなければ骨桶が只の道具に成なり。能く心得べし。

 

  檀浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)

あこや重忠(しげたゞ)へのこたヘ〽つとめの身の心をくんでの忝なきおつしやりやう。是(これ)、はなはだ患(うれい)なり。但(たゞ)し声色(こわいろ)ものまねにならぬやう、重忠(しげたゞ)あこやに見とれぬやう。重忠は智仁勇(ちじんゆう)の三徳(とく)を兼(かね)そなへたる武士なり。人品に心を付てかたるべし。

 

  三荘太夫五人娘(さんしようたゆふごにんむすめ)

山岡(やまおか)が出来ごゝろ、語(かたり)やうがわるひと、出来心が恋暮(れんぼ)になる也。

 

  蝉丸(せみまる)の道行

是(これ)はかたじけなくも天子(てんし)の皇子(わうじ)御盲(もふ)人を牛(うし)に乗(のせ)まいらせ、長袖の清貫(きよつら)・希世(まれよ)御供(とも)にて、御いたはしくしほれ玉ふ心持、その位(くらい)ゆたかにやさしくうれひをもよふす事也。

 

  曾我兄弟(そがけうだい)の道行 [曽我扇八景]

最期(さいご)を本(もと)としたる心持にて、勇気(ゆうき)をわすれぬこゝろ也。

 

  大塔(おほとう)の宮(みや)道行

熊野(くまの)へ落(おち)ゆき玉ふ笈(おゐ)の中に、鎧甲(よろいかぶと)入て持給ふ。敵(かたき)御あとをおふ也。余(あま)り位(くらい)を子細(しさい)らしく語べからず。さら/\とかたるべし。道(みち)くさなし。山の気色(けしき)をもちひて語る。

 

  同 無礼講(ぶれいかう)

公家(くげ)・武家(ぶけ)・地下(ぢげ)のわかれあり。此段(このだん)はよほど心を用(もち)ゆべし。惣躰(そうたい)の心持、別(べつ)に申きかせませふ。

 

  仏御前(ほとけごぜん)の道行 [仏御前扇軍]

かたじけなくも天子(てんし)竜(りう)の馬(むま)めされ、仲国一人召つれられ、小督(こがう)の局(つぼね)をしたひ給ふ御心に、位を付て、夜の気色(けしき)月の瀟(せう)/\たる心持まことに優々(ゆふ/\)として、もたれぬやうにかたるべし。蝉丸とはまたちがふなり。

 

  同 三段目

小松殿の御前へ渋谷土佐二郎を引出す。内大臣と、地下の武士に声(こゑ)かけ玉ふ御詞など考あるべし。

  △順四軒申候。今かたるノリ地は此三段目より語り出されたり。是(これ)までは地ノリにて厳(きびし)からず。

 

  国性爺(こくせんや) 三段目

楼門(らうもん)の出合いまだ父としらず、扨は、誠(まこと)の父上か、より患(うれい)なり。それまではおぽつかなき心なり。国性爺かんきの出合、国性爺は血気(けつき)の勇(ゆう)、かんきは寛仁大度(くわんじんたいど)の勇なり。其わかれ大事に語るべし。九仙山の語りやう、たとへば墨絵(すみゑ)の草(さう)の山水を見るやうな心もちに語るべし。音声(おんせい)しなたるく語れぱ、仙人(せんにん)も唐人(とうじん)も公家衆(くげしゆ)のやうになる也。せんだん女の道行、女ごゝろ也。童子(どうじ)は住吉明神なり。やすらかにしてつよからぬやう。千里がだけ半太夫ぶし、さながら唐(から)土の地になりたるやう、三重まへ、江戸ぷし、始終の心得あり。

 

  おはつ観音(くわおん)めぐり

大坂三十三番すら/\と寺々へ参り、ふしおがみ、寺より寺の道(みち)のほど見わたし、遠(とふ)く近(ちか)くの心得あり。しかしあまり念(ねん)入ると、一日にはまわりしまわれぬとこゝろへて語る。

  △順四軒申候。これらが大口伝也。

 

  同 心中道行

一足(ひとあし)づゝにきへて行、あまりあわれに語るべからず、興(へふ)さめてわろし。

 

  寿門松(ねびきのかどまつ) [山崎与次兵衛寿の門松]

浄閑(じやうかん)は能(よき)町人の心持なり。治部右衛門は武士かたぎの人品(じんぴん)也。将棋(せうぎ)のだん、気を付ぺし。お菊はむすめ、あづまは傾城(けいせい)なり。与次兵衛はそだちよき人がら也。舛おとしの段、異見(いけん)の詞にあはれあり。

 

  傾城酒呑童子(けいせいしゆてんどうじ)

新町(しんまち)の茨木(いばらき)屋好斎(こうさい)おごりに長(てう)じ、御とがめを蒙(かうぶ)りし事をつくりたり。好斎が心持ゆう/\楽(らく)/\と奢(おご)る心、つね人にして常の人にはあらず心得あり。傾城は傾城の心持あるべし。

 

  本朝三国志

あいのふすまの松に鶴、木の下兵吉郎いにしへ勤(つとめ)し館(やかた)と、なつかしき心持にてかたるべし。

  △順四軒申候。此所のふし、地合心もちにて自然と今目のまへに見るごとくおもはるゝゆへ、此ふし、世になりわたりけるが、むかしがたりとなり、師、

 播翁の事おもひ出し、涙(なみだ)をうかめ申候。

 

  隅田川(すみだがは) [双生隅田川]

梅若の位、また武国がうらみ、惣太が後悔、いかさま天狗にも成べきほどの勇気の心もち有べし。

 

  宵庚申(よいかうしん)里帰りの段 [心中宵庚申]

姉と妹のあいだの心持、父平右衛門がこゝろいき、半兵衛はもとが武士片気(かたぎ)。八百屋の母めつたにこわく語るべからず。世間に一図(いちづ)なる老母は幾人(いくたり)もあり。わきまへて語るべし。

 

  真鳥 二段目 [大内裏大友真鳥]

百性に成て居た助八が、にはかに大名の兼道(かねみち)が詞つきに変(かは)りし文句、気の毒ながら其心もちすべし。

  △順四軒申候。これらの事につき、常/\

 播翁の申されし事あり。此助八、兼道に成ての心もち、どふも語り口心よからぬほどに、文句の書かた有まじやと、作者に相談ありけれども、文(ぶん)の勢(いきほい)がぬけるとて直(なを)しがたきよし、しからばとて語られし所、心持にて諸人に耳立ぬゆへに、文句さつとうつものもなかりし。兎角心持といふ事が大切と申されし物がたりにて、自慢(じまん)いたされしにはあらず。

 播翁は自慢をいふやうな人品にあらず。只こゝろ持といふ事に付て申されし事也。

 

  伊勢平氏三段目 [伊勢平氏年々鑑]

位の事、これはおそれながら御暦々様方の御前と心得て語るべし。乳母八条とてもたゞのうばにてはなしとおもふべし。

 

  篠原合戦 [加賀国篠原合戦]

木曾の願書、うたひに近し。五段ともに心得あまたあり。数かぎりなし。

 

  京土産 上之巻 [京土産名所井筒]

おまち御前の詞たゞ一口に患(うれ)ひある事。

 

  三浦の大助 [三浦大助紅梅 ]

二ツ胴(どう)の段、しからば娘宿へ帰りは、もはや娘と死わかれのいとまごひ也。かならずふし立ぬ事也。その気持のうつりかわり感(かん)じすごし、却(かへつ)てふしになりて汗(あせ)をながす事也。心得べし。

 

  須磨(すま)の都(みやこ) [須磨都源平躑躅]

扇子屋の段、敦盛の位は下女の時也。詞つきとても其心得也。かねのだん、一しほふしは多(おほ)けれども、ふしを内にするやうに語りたし。

 

  鬼(き)一法眼(はうげん) [鬼一法眼三略巻]

鬼若の段、うぱを母と同じく思(おも)ひ、十三年の介抱(かいほう)になりし事、姉にはじめて逢(あい)たる心、いづれもおもひやるべし。鬼若とてあらくれなく語るにあらず。三段目随分上品なるもやう。法眼随分位あり。牛若・鬼三太にて語りちゞむる事。肝(かん)心のこゝろ得なり。

 

  丹波与作

ぱたごやの段・与作ばくちうち揃へふしに乗(のる)べからず。まける度/\に笑止(せうし)になるやう第一也。

 

  応神天皇(わうじんてんわう) [応神天応八白旗]

三段目、大仁(をほにん)此土(ど)にわたりし物語、浮沈(ふちん)〈うきしづみ〉長短(てうたん)〈ながみじか〉こゝろ得ねば延過(のびすぎ)るもの也。はやうた・おふゆ姉妹の詞みぢかふしてあわれ第一なり。

 

  蘆屋道満(あしやどふまん) [蘆屋道満大内鑑]

子わかれの段、めつたになき、語りにあらず。一雫(しづく)づゝなみだをぬぐひては名残をいふ心なり

 

  赤松(あかまつ)円心 [赤松円心緑陣幕]

祐朝(すけあさ)卿(けう)の心外(しんぐわい)、三段目、わづか四行(よくだり)ほどの御教書の読(よみ)かた、うや/\敷語る事、また佐渡が嶋にて、祐朝卿わかれのうれひ、船いのりのだん、船頭のうけこたへ、始は渚(なぎさ)だん/\沖(おき)へ遠(とふ)ざかるこゝろ、吹もどされて舟子の誤(あやまり)、わかれるやうの心得。

 

  非人敵討 [敵討 ]

雛まつりの間、たゞすら/\とたをやかに語るべし。次郎右衛門が帰り、助太郎の京もどり、真実(しんじつ)のあほう也。是(これ)に笑(わらい)をもとめぬやうにあほうにかたるべし。左兵衛が言訳(いひわけ)きくとひとしく、兄弟顔見合、くちおしき心底、それより家内忌中のやうになるの心、二人の奴子(やつこ)が心底、また娘の自害(じがい)、その品の変(かは)りやう、奴子が女房共つとめ奉公の段、髪とりあげる間のふし事、面白(おもしろ)からぬやうの心得、堤の段は、夜の気色(けしき)をおもに語る。私めは大切な望ある身分、こゝが要(かなめ)なり。御目立まするより、人品のかはりやう。全体かぷき仕立なれば、とかく浄瑠璃の本躰へもどるやう心得あるべし。音曲浄瑠璃といふ事をわするべからず。又施主しらず人骨朽(くち)より、暁ちかくふけにけりまでは、深夜(しんや)の物あはれなる気色第一なれぱ、執行者の念仏あら/\敷みぶりにならぬやうに語るべし。奥(おく)の文句に情あれば、いふにおよばず。

 

  同 道行

伊兵衛・左兵衛が心底にうれひあり。物もらふ間のなりふりと、人なき所にては二人がたがひに患(うれい)をもやうすのわかれ、心を付べし。

  △順四軒申候。〽ふれやふれ/\我身世にふる。此調子ふしづけにて、さとるべし。

 

  御所桜 [御所桜堀川夜討]

伊勢の三郎、土佐坊の出合、又母の異見(いけん)、侍従夫婦がたのみの内の歎(なげ)き、おわき?が心、しのぶがこゝろ根(ね)、弁慶(べんけい)がつよふして、やさしきうれゐ、四段目夜討(ようち)の所、昌俊がもふしひらきなど、数々(かず/\)かぞへ尽(つくし)がたし。

 

  小栗判官 [小栗判官車街道]

太郎があほう、非人敵討の助太郎があほうとはちがふ也。浅香よりは門番ねず兵衛に、うれいあるやうに語るこゝろへ第一なり。

 

  ひらかな盛衰記

先陣物語を別(べつ)の物のやうにおもふべからず。浄瑠璃一段の内なり、すら/\と語るべし。余(あま)りおもしろくせんとせば、詰(つめ)にいたり、やせてわろし。権四郎が詞に、大分うれいあり。腹(はら)立るばかりにはあらず。逆艫(さかろ)の段、舟(ふね)の表(おもて)に居る者(もの)と側(そば)に居る者とに、物いふわかれあり。舟(ふな)うた、ふし立ぬやう、舟歌の音(おん)、調子第一也。辻法印に、わらひをもふけんと語るべからず。実(じつ)躰にして心持文句に応(わう)ずべし。

  △順四軒申候、此四段目むけんの鐘のだん、三味線の相の手がなくては、梅が枝が心底かたりがたくて、気の毒なるものなり。かくいへばとて、

 大和少掾をそしるにてもなく候。これにつけても師、

 播翁此三段目は、身代(みがはり)古今の随(ずい)一なるべし。語るにかたりよかつたと申されしなり。作の趣向(しゆかう)がよさに、心底こゝろ持がよかつたといふ事のよし。さすれば三味線にもかまはず、実(まこと)の樋口の次郎にも、おふでにも権四郎にも成て、語られしものとおもふ。はや三むかし、おもへぱ/\有難(ありがた)きはなしと覚(おぼへ)候故、こゝにしるしぬ。

 

  将門冠合戦(まさかどかぶりがつせん)

二段目・三段目、いづれ正風躰なり。四段目、気をつけて語るべし。数多(あまた)ゆへ書つくされず。

  △順四軒申候。此四段目の事は、中々稽古(けいこ)にてもおよばぬ事なり。諸(しよ)万人耳をかたぷけ、感(かん)じいり聴(きゝ)入て、有(う)とも無(む)とも評議もなき事、これは師、

 播翁の身に付し曲としるべし。

 

  傾城請状(けいせいうけじやう) [百日曾我]

心持うれひ也とおもふべし。なぜにといふに、曾我兄弟の書置を、少将と虎とが何(なに)やらんと取あげしを、引取て空(そら)ごとにいふ事なり。

 

  新薄雪(しんうすゆき)物語

両親の心持、まがきが利口、姫の詞に字あまりあり。前 師のをしへあり。長くばつげ、短くぱきれとの事、むかし七夕祭(まつり)に、字あまりにふし相応せしを見るべしと也。正宗の段、団九郎とのせりふ、是を逆(さか)さまなる事とおもふて語るべからず。やはり団九郎を親にして正宗を子にして語るべし。湯かげんの所になりて、実躰になすべし。手に覚ずと心に覚よとの事、浄瑠璃とてもおなじ事、万事にわたる文句、その意味をとくと心得おもふべし。

 

  雁金文七 [男作五雁金]

兵法の段、文句にあればいふには及ばねども、師匠の娘につとめさすが口をしいとのふくみある事。

 

  爺打栗(てゝうちぐり) [丹州爺打栗]

山の段は、いろは縁起の二段目に似たるこゝろなり。

  △順四軒申候。此音節、地合は井上 播磨翁のおもむきなるぞ、能おぽへおけと、師

 播磨少掾申きかされし事、其声いまに耳に残り有がたく、老の寝覚(ねざめ)に幾度(いくたび)かおもひ出して語ります。

 

  厳島(いつくしま)八景

これは百合若(ゆりわか)、神もふで也。こゝろいさむと心得べし。

 

  宮嶋八景

これは秀虎(ひでとら)が、主人の行衛を尋(たづね)、主従(しうぢう)の対面(たいめん)の願望(ぐわんもう)なれば、心に欝気(うつき)あると心得べし。

 

  懐胎(くわいたい)十月

此文句は人間(にんげん)生滅(せうめつ)の事をあらはし、神(しん)・儒(じゆ)・仏(ぶつ)の三つのをしへ、能かんがへ語るべし。

  △順四軒申候。神・儒・仏の事、よく物しりたる人に聞(きゝ)て、損(そん)のいかぬ事也。そのわけを合点(がてん)さへゆけば、六ケ敷ことにてもなし。

 

  京土産道行

わづか二くだり程の中に、ヲクリ四ツあり。気を付てかたるぺし。

  △順四軒申候。ふしは文句の膚(はだへ)にありといふおしへ有。これらの事也。かんがへてしるぺし。

 

  関羽(くわんう)の道行[諸葛孔明鼎軍談]

まへにもいふごとく、墨絵の唐(とう)山水、草筆(そうひつ)に書たるやうに語るべし。

 

  冥加(めうが)の松梅(まつむめ)

これはおそれある文句也。かたじけなくも、 菅相丞(かんせうじやう)御誕生(たんぜう)より御左遷(させん)、それより御述懐(じゆつくわい)、鳴雷(なるいかづち)の神、 天子の守護(しゆご)とならせ玉ふ事、おろそかに語るべからず。御罰(ばち)やかふむりやせんとおそれおもひこみて謹(つゝしん)で語るべし。麁略(そりやく)にかたらぱ、冥加(めうが)の松梅の詮(せん)なかるべし。

 

  児源氏(ちごげんじ) [児源氏道中軍記]

春駒(はるこま)、めでたや/\の語り口に、気をつけべし。

  △順四軒申候。すべてがてんのゆかぬ文句あらぱ、作者にとくと尋(たづ)ねて語がよしと、

 播翁つね/\申されしが、いかにもおぽろげに覚へたる事にては、語りぐち人ぎゝわろき物也。作者に手よりなくば、物知り学文ある人にたづぬべし。かならず合点のいかぬ事を、其まゝに語るべからず。問(とう)は当座の恥(はぢ)、とはぬは末代(まつだい)までの恥といふは、如此の事なるべし。

 

  平家女護嶋(にやうごのしま)

俊寛(しゆんくわん)の妻(つま)を召とり、清盛(きよもり)のれんぽ、其使者(ししや)、はじめは越中の次郎兵衛、二度めは斎藤(さいとう)別当(べつとう)実盛(さねもり)、三度めは能登守(のとのかみ)教経(つねのり)なり。此位のそれ/\わかるやう、能/\心得べし。鬼界(きかい)が嶋(しま)の段、いづれも長袖の衆中なり。上使とても、其人品おもひやりて語るべし。

 

  冷泉節(れいぜいぶし)の事

これはむかし、浄瑠璃姫物語十二段の文句のうちに、〽扨もやさしのれいぜいや、といふ所へ付たる節(ふし)なり。名(めい)ふしゆへ、今の世まで伝(つたは)りもちゆる也。このわけをしらぬ人、冷泉節とて別(べつ)に音曲のあるやうに覚へたる人もあれぱ、序(ついで)ながらしるし置也。

 

  網戸節(あみどぶし)の事

これも、やはり十二段の文句の中に、〽柴(しば)のあみ戸(ど)を押(をし)ひらき、といふ所に付たるふし也。別(べつ)にあみと節といふ音曲あるにはあらず。

 

  コハリの事

此ふし、めつたむしやうに物すごく語る事にもあらずと心得よ。

 

  男女の事

おとこと女をあまりわけて語ると、物真似こわいろに成なり。音曲といふ事をわするべからず。

 

  情(ぜう)ふかくといふ事

高位高官・武家の御よそほひ、地下人・百性・町人、其中にも、それ/\の家業の風俗・人品の上中下あり。学文したる人、文盲(もんもう)なる人、善人・悪人、いふも数(かづ)限(かぎ)りはなし。其事、其人となりを心得て、心得ちがひのなきやうに語るべし。たとへば非人敵討の堤(つゝみ)の段、春藤次郎右衛門兄弟は、と語るに、武士と心得て語れば、非人小屋に金襖(きんふすま)を立ねばならぬなり。実(じつ)の非人にして語れば、春藤二郎右衛門はなくなる也。此の段の語りくちは、たゞ文句にて其一通(とふ)りの訳(わけ)を人にしらせるはなし也。親のかたきを討たいとおもふ人の事をいふはなしなれば、深切(しんせつ)にいふてきかす心にて語るべし。是が情をふかくといふに似(に)たものか。兎角(とかく)筆には尽(つく)しがたし。扨又 御殿(ごてん)・館(やかた)・屋舗(やしき)・藁葺(わらぶき)、昼(ひる)・夜(よる)・朝(あさ)・晩(夕がた)・暁(あけ)がた・深夜(しんや)、人の応対(わうたい)、寛(くわん)〈ゆるく〉・急(きう)〈いそぐ〉・喜(き)〈よろこび〉・怒(ど)〈いかる〉・哀(あい)〈かなしみ〉・楽(らく)〈たのしみ〉・気色(けしき)、あるひは詞になると、詞より地へうつるとの気持、心得肝要(かんよう)なり。

 

  音(おん)の事

浄瑠璃を音曲といふからは、音が第一也。声(こゑ)曲とも、節(ふし)曲ともいはず。音は一二三なり。天(一)〈てん〉・人(二)〈じん〉・地(三)〈ち〉、人ありて音あり。それゆへ、二の音が第一なり。

 

  調子(てうし)の事

浄瑠璃を語る座敷、又は場所の広狭(ひろせば)と、聴人(きゝて)の多(をほ)きと少(すくな)きとを考(かんがへ)て、調子(てうし)を取(とる)べし。声(こゑ)があればとて、狭(せば)き所にて戸障子(とせうじ)をぴり/\ならしたとて、何のやくに立ぬ事也。大きな声(こゑ)じやとほめらるゝばかりならぱ、相撲取(すまふとり)の丸山を見て、大きな男じやとほめたも同前にて、声(こゑ)の見世物(みせもの)にて、音曲といふ事がなくなるべし。能(よく)こゝろへ可被申候。

 

  誉(ほめ)られやうの事

浄瑠璃を家業にする人は猶(なを)の事、なぐさみに語る人にても、ひとふし語るとも、笑(わら)はれぬやうに語るべし。誉(ほめ)られるやうに語(かた)らふとすれば、声(こゑ)に慾(よく)がつきて浄瑠璃の文句わからず、彼(かの)情(ぜう)をわすれ、ふし、音、位、くだけて本意(ほんゐ)を背(そむく)なり。何ほど稽古(けいこ)上達(じやうたつ)して、扨々上手じや名人(めいじん)じやと誉(ほめ)そやそうとも、聴人(きゝて)をあなどらず、音を定(さだ)め、情をふかく語れば、聴(きゝ)人感(かん)にたへ、たとへば、小音・悪声〈わるいこゑ〉の人にても聴入、あゝおしい事じや、声(こゑ)がやりたいといはゞ、是(これ)も則(すなはち)ほめられたる詞なり。誉(ほめ)ると感心(かんしん)するとの違(ちがい)あり。とくとおもひくらべて見るべし。

 

  嗜(たしなみ)の事

女中方におもはれやうとおもひて語(かた)れぱ、浄瑠璃の実躰(じつてい)かの情(ぜう)をふかくといふ事がぬける也。

たとへば九仙山を語(かた)るに、〽のぽるひばりや、帰雁(かへるかり)。此文句のきれいやさしき詞を、此ふしにて、声のよひ人、しなたるく声をなやして語(かた)つて見るべし。仙人(せんにん)もゴサンケイも、姫君の道行のやうになる也。とくと思案して見るべし。

 

  跋(ばつ)

 

浄瑠璃(じやうるり)きらひな人、此書(このしよ)を見(み)て、必(かならず)笑(わら)ふ事なかれ。言(いふ)には及(およ)ばねども、浄瑠璃が無(ない)とて世界(せかい)の歎(なげき)にもならず、たかゞなんでもなし。しかし、かたられるなら語(かたつ)て見やれ、と云尓(しかいふ)。

 

明和八辛卯の仲秋 浪花順四軒謹白

 

安永二癸己[巳]年九月新版 

 

大阪書林 吉川惣兵衛

     村上清三郎

 

東都書林 丹波屋理兵衛

     鱗形屋孫兵衛

提供者:山縣 元 様(2003.10.19)