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【 釈放された鶴沢道八師 】

(2023.03.13)
提供者:ね太郎
 
釈放された鶴沢道八師
  一ケ月振りで帰宅
 浄瑠璃時報 158号 (五) 1936.5.1
 
 文楽の重鎮鶴沢道八師は邪教大本の流れを汲む兵庫県川辺郡中谷村字肝川神聖龍神会に魅せられて芸人持前の凝り性からひたむきな神信心が昂じて三月二十三日兵庫県特高課の検挙するところとなり神戸相生橋署へ、留置されてゐたが、このほど取調べも終り転向を誓つたので、去る二十二日朝一ケ月ぶりで釈放され、愛弟子道造氏に迎へられて神戸市下山手通六丁目の自宅に帰つた。
 道八師は転向更生第一歩の心境を静かに語る。
「今回はとんだことで世間様に申訳有りません、九ツの時から六十年他に何も能がないのでかりそめの芸道を磨きたいの一念からつひ深入りした神信心が迷信に引込まれてこんな始末になつたのです、恰度一ケ月前南北さんの新作で、私が節付した大森彦七を打ち終つてから、今度は市川猿之助さんか東京劇場でやる三番叟に出演する若手太夫及び、三味線の稽古をつけてゐる最中に囚はれの身となりました、でも一ヶ月の留置場生活は私には大変有難い修養となりました、夜も寝もやらず新曲の節付けに専念致しました、心の疲れも芸の道で癒されて、しみじみ有難いと思ひました……新作ですか、案は出来てゐますがまだ発表出来ません、更生の心機一転をながく記念するためお目出度いものに魂を打込んで工夫をこらしました。栄三、文五郎紋十郎の方々に操つてもらひます、世間様へのお詑びに後世にのこるものとしたいものです」
と迷信に深入した事を嘆き、芸のほかは一切無智ですから、皆様からよろしく御指導の程を御願ひ致しますと。申し、今後は大いに芸道の為、働きますと、力強く語つた。