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【 安藤鶴夫 演出者の一人から 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 
演出者の一人から
安藤鶴夫     嬢景清八嶋日記プログラム p 12 1959.4.27
 
 ″日向嶋″の景清は、不思議に歌舞伎代々の筋ツぽい役者がやりたがる役のようだ。
 むつかしい役だ。むつかしいという意味にはいろ〳〵あるが、西沢一鳳が″伝
寄作書″の拾遺下の巻の中でこんなことをいつていることも、むろん、そのむづかしこいとの中のひとつであろう。
 -この狂言ほど仕憎き役はなきよし 泣けば弱し 強ければ愁い利かず 両眼は大仏供養の場にてくり抜きたる眼なればにらむところも開くことならず……
 大劇場でいちばんはじめに″日向嶋″の景清をやつた寛政期の嵐小六(三代)のことを書いた一節である。
 今度、幸四郎がこの野心的な試演会を持つための、はじめての演出プラン会議ともいうべきものを開いた時、ぼくが坐るか坐らないうちに、高麗屋がサックの蓋をひよいとあけてぼくに示した。中にちいさなうすいガラスで、血のような赤い色をしたひよいとみるとなんだか貝がらのようなものが入っていた。
 コンタクト・レンズである。
 両眼をくりぬいた景清だからというので、眼を瞑ぶることにばかり気をつかつていたのでは、芝居も思うように出来ない。人形だと、あの赤眼を、くわツとむけるのだが、役者ではそれが出来ない。コンタクト・レンズを赤に染めて、それをつけて出る。そうすれば、景清の感情が高潮してきて、ぱツと眼があきたくなれば、あけることも出来る。
 感心した。はじめての演出プラン会議の時に、代々の景清をやった役者が、いちばんそのために悩んだであろう難題を、コンタクト・レンズという、そろ〳〵流行しかゝつてきた科学の発明品で、ずばり解決しているのである。
 それから台本のアレンジメントで、義太夫を担当する綱大夫・弥七と、役者である幸四郎の考えてきたことが、ぴたり、まるで打ち合わせをしたかのように寸分違わないことにも驚いた。それがいちばんむつかしい問題の、つまり、景清のセリフを、役者・景清(幸四郎)はどこからどこまでセリフをいつて、義太夫・景清(綱大夫)はどこからどこまでをコトバで語るかという、これが最も微妙な難関なのである。幸四郎も綱大夫も、自分の立場なんかを全く離れて、どうすればいちばん″日向嶋″を自分たちの考えている理想的な舞台に出来るだろうかという、その精神で全く一致していたからのことである。
 コンタクト・レンズとこの台本のアレンジメントの暗合で、ぼくはこの試演会の舞台は成功すると思った。
 御承知のように人形浄瑠璃の伝統をはじめて綱大夫・弥七が破って、セリフをいう役者とおなじ舞台に並んで、義太夫を担当するのである。いままで代々の″日向嶋″の景清をやつた歌舞伎役者たちは、本行の人形浄瑠璃の大夫・三味線に出て貰いはしたが、みんな景清の役者はひと言のセリフもいわずに、大夫が人形浄瑠璃の舞台とおなじように一段を語ったのである。つまり役者が人形のかわりになつたわけで、これを首振りとか、身振り芝居とかいつていた。
 文楽座など人形浄瑠璃の、所謂本行のひとたちは、それほど歌舞伎と自分たちの芸なり格なりは違うものだということを誇りにしてきた、その伝統を破って、実はたゞならぬ覚悟を持って、綱大夫・弥七が幸四郎の今度の仕事に参加したのだから、その意味からもこれはいゝ仕事にしなくてはならないのである。
 たゞならぬ覚悟というのは、万一、この″日向嶋″の綱大夫・弥七の仕事が、いままでのチョボ、つまり、歌舞伎に従属したいうところのチョボとおなじ成果で終るならば、これを敢てした二人に、大阪の大夫三味線・人形の三業から成る財団法人・人形浄瑠璃因協会から除名の断が下されるかも知れないのである。そうなると、綱大夫・弥七は文楽座からもおなじことがいゝ渡されるかも知れないという、そんなことまでが賭けられている。
 しかも、綱大夫・弥七は敢てこの幸四郎の仕事に参加した。それにはそれだけの強い自信があればこそのことであろう。
 現在の歌舞伎の義太夫狂言といわれるものゝ演出には沢山の不満がある。それを、私たちはこんな風にしてみたらばどうだろうかという、ひとつの理想を、この試演会の舞台に提出してみる。これはかねてこの種のものにはそうありたいと願っていたぼくの提案が実現したのだが、音楽-綱大夫、人形-桐竹紋十郎、役者-幸四郎、それからぼくという客席の素人の眼、それが一丸となつた演出集団で仕事を進める、これにも是非厳しい御批判を願いたい。
 きようはこれから″花菱屋″に出演するひとたちの、セリフだけをもう一度研究する集りに出掛ける。
 この幸四郎の仕事が、白紙になつて客席に坐ったぼくという一批評家にとつて、どうか今年のベスト・ワンに選べるような感動的な舞台であるように。いま、はそれだけがねがいである。(4・20)