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【 安藤鶴夫 素淨瑠璃の会 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 
安藤鶴夫 素淨瑠璃の会 芸能3(6) pp.46-47 1961.5.15
 
素浄瑠璃の会
         安藤鶴夫
  1
 ことしも"文楽素浄瑠璃の会"が4月17日から19日まで三日間、新橋演舞場の東をどりのはねたあと、夕方の6時から開演された。
 幕があくと、黒い色を基調にして高座が出来ていて、正面に大道具の杉戸が六枚しまつている。左右は平舞台でうしろは黒板、すべてしげ棧、その前に屏風、この屏風が演者によつて白、銀、それにボルドオとでもいうか赤葡萄酒色のような美しい色の三種に変る。黒一と色に杉戸の柾目を茶色で刷いたのと、この屏風が三色変わるというまことに渋い装置である。上に、例の雪月花の演舞場の櫓紋を紅白に描いた提灯が、東をどりの華やかな空気を残してそのまま、一文字に飾つてある。
 新橋の芸者たちの華やかな空気がただよつていて、その空気を受けて極めて厳粛な素浄瑠璃の会の幕があく。
 去年の第一回のときにも、なにかそんな空気がいかにも東京にいるといつた喜びになつたが、ことしもそれがまた嬉しかつた。
 それにみわたしたところ、まずは東京最高の客である。
 こんなにも″義太夫節"というものを尊敬し、こんなにも"義太夫節の芸"というものを大事にきいてくれる会というものをかつてわたしは知らない。
 偶々、東京の愚かな素人(しろと)義太夫が二三、待つてましただの、こればツかりなどという、素人義太夫の会とおなじ掛け声をかけて舞台と客席との調和を破つたことを除いては、かつてこれほど立派な義太夫節の会というものはないようだ。
 
   2
 三日間のプログラムもまことに企画性のある、筋の通った、おもしろい組み方である。初日①淡路町(津大夫・寛治)②封印切(綱大夫・弥七)③新口村(つばめ大夫.喜左衛門)二日目①揚屋(つばめ大夫・喜左衛門)②鍛治屋(津大夫・寛治)③十種香狐火ー(綱大夫・弥七、ツレ・団六・団二郎)三日目①組打(熊谷-津・寛治 敦盛-つばめ・喜左衛門)②宝引(綱大夫・弥七)③沢市内-壷坂寺-沢市-網・弥七、お里つばめ・喜左衛門)
 初日が近松の、″冥途の飛脚″と半二の″恋飛脚″とではあるが、とにもかくにも梅川・忠兵衛を文楽風にいうと立てた、また歌舞伎風にいうと通したやり方で、二日目はまた一段一段の、いうところのみどりといういき方で世話と時代物が巧みに配されており、三日目は掛合のおもしろさに、珍らしいチャリが加えられているというふうに、三夜ともに魅力のある配列である。
 わたしは初日を最も期待したのだが、関西旅行のためにこれをきくことが出来ずに、あとの二夜をきいたので、丁寧な総評を書くことが出来ないのは甚だ残念である。
 その二夜の中で意外な収穫は津大夫・寛治の″新薄雪物語″の鍛冶屋の段である。
 なにより芸格が大きく、こまかな細工のない素朴な語り口とこの語物がまことに適切だつたということもあるが、同時に寛治の三味線の大きさと古色とが一層力強い成果を生んだと思われる。綱大夫、つばめ大夫にしろ今日の文楽座系の浄瑠璃の語りが殆ど山城風の知的な語り口一と色の中に、因会で津大夫、三和会で若大夫の芸風が技巧派に対してダイナミックな義太夫節の特色を持つている。
 義太夫節の芸が今日甚だつまらなくなつたのは、山城風が一世を風聴したことで、理想的にはほかにダイナミックな風と、さらにもうひとつ、いわゆる佐和利といわれているようなところで、嬉しがらせる芸の三つが揃いたいのだが、いちばんはじめにこの嬉しさがのせる芸風が文楽から消えてなくなつてしまつた。
 但し津大夫はたとえば"組打"の熊谷だと"振り上げは"とか"車慝(しやのく)童子が悲しみも"などという、むろん、むずかしいには違いないけれども、義太夫節としてはまず〳〵あたりまえの節が拙い。なんとも無器用なのである。そして、そんな無器用さを以つて大きな大夫であることの当然だとして、いままではきく側も少し寛大だつたようだ。しかしもうそんなところもちやんときくものに快く語れないではいけない。寛治の稽古はもう津大夫に対してその芸域へ踏ンごむべきなのである。
 つばめ大夫はこんどはつまらなかつた。特に"碁太平記白石噺"の揚屋にはがつかりした。京都の旅から帰つて、きたてだからの連想かも知れないが、わたしは揚屋をきき終つてすぐ鯖ずしのことを考えた。この江戸出来の揚屋などという浄瑠璃は所詮はただ喜ばせるだけの語りもので、前進座流に揚屋に於ける芸術性などと取り組む体(てい)のものではない。つまりは鯖ずしの、もう少しでいかれそうになるその直前の、そのすれ〳〵のようなこなれ方がないとおもしろくない語り物である。そしてつばめ大夫の揚屋は出来たてのこなれの足りない鯖ずしであつた。
 津大夫の鍛冶屋もつばめ大夫の揚屋も、たぶん、これが口切り(初演)だと思うが。このライバルがともに口切りの語り物を出して予想に相反する結果になつたのは興味のあることである。
 綱大夫・弥七では"一谷嫩軍記"の宝引(ほうびき)の段が結局二夜を通して最高のききものであつた。いちばん綱大夫にふさわしい語り物なのだが、そういう綱大夫が凡そ対蹠的な十種香を語る芸域の広さに一驚する。但し十種香は三分の二以下は弥七の三味線に救われて、綱大夫らしからぬ不出来に終つた。
 掛合は二つともおもしろかつたが、特に"組打"で、敦盛の首が落ちたあと、喜左衛門がしずかに床へ三味線を置いた時、一種いいようのない無常感が漂つたのは、実は二夜を通じての最も大きな感動であつた。喜左衛門の三味線そのものが、敦盛の首と化したのである。