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【 代唱萬歳母書簡 (太棹版) 】

(2023.05.01)
提供者:ね太郎
  

太棹 第89号 pp. 11-13 昭和12年9月25日発行
 
 昭和16年1月文楽座プログラム掲載床本と異同あり。
 字句の異同箇所は赤で、用字の異同箇所は青で示した。句読点の異同は多く煩雑なため省略した。一部16年1月本文を【 】内に示した。

原作 水木 直箭
作曲 新義座 
軍國美談 代唱萬歳母書簡
(山内ヤス子刀自)
 
 海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、大君の爲には何か惜しから、棄てゝ甲斐有る命ぞと、遠き神代の昔より、承け傳へたる武夫の、武勇の血こそ尊けれ。爰に昭和十二年、排日侮日に血迷へる、暴逆支那軍膺懲の、軍はつゐに擴がりて、國際都市の上海に、斷乎起ちたる我海軍、陸戰隊は寡兵もて、よく大軍を支へしが、敵の飛行機襲來して、多くの民を殺傷す無道極まる支那空軍、いつかに撃滅せんものと、待ちにぞ待ちし時來る、八月十五日夜を籠めて、忽ち起る不時呼集、手は何處敵の首都、南京方面爆撃の、重大使命ぞ下りたる、○○海軍航空隊、第一陣に選ばれし、山内吉田梅林南野其外渡邊太田、意氣軒昂たる勇士達、場しと居並らんだり。「氣を付けツ。」號令臺に○○司令、一々見守り居たりしが、嚴粛に詞をかけ「落下傘はどうした。誰も用意をして居らぬ様だが。」と訝かしげに尋ぬれば、山ノ内中尉進み出で「敵地での不時着に、落下傘の必要はありません。萬一の場合には、機體諸共突入して、敵を懷滅せずには置かぬ覺悟で有ます。」「ウンよくつてくれた、その覺悟だ。大元帥陛下の御爲、全國民の爲、立派に命を棄てゝくれ。其强い覺悟の前には、如何なる困難も開かれる後には神も佑けます、本職は、諸士が必ずや使命を達成するものと信ずる、决死の意氣込の上に、更に細心の注意と大膽なる判斷とを望む。では勇ましく出發してくれ。」「ハイでは往つて參ります。「敬禮。」「直れツ。」各々部署に附け部下の技倆は信ずれど、戰史に曾つてなき、の荒天に幾千粁、支那海越えて行く部隊、あはれ幾機か歸還せん。空襲の目的を、してくれよ爲遂げよと、暫し見守る其の中ちンジンの音勇ましく、心ときめく折しもれ、滑走一機二機三機、續いて離陸五機六機「賴むぞ賴むぞ」と呼ぶ聲は、聞はせねど手を高く、擧げて見送る司令幕僚、姿も淡く朝闇に、消えて早くも海の上、物凄まじき颱風の、中心近く轟々と、逆巻く大波大嵐、海面すれ〳〵七十米、雲の間をくりつ縫ひつ、驀然にぞ趐り行く。
 
 長崎の山から出る月はよか、こんげん月はえつとなかばい蜀山人が詠じけん、此處は長崎の片ほとり、彦山の麓新中川町。立待月は中空に、見る人もなく澄み渡り、宵の暑さもさまる夜更け舗石の道登り來る、音も靜かに一人の紳士、山ノ内達雄とある表札見出で。「山ノ内様のお宅は此方でござますか。役所から參りました。」と訪なへば、内より、「マアお役所から、今時分何の御用でございませう。只今お開け致します。暫らくお待ち下さいませ、サア何卒お上り下さいませ。」「有難ふ。夜分にお騒がせ申しまして、誠に恐れ入ります。あなた様が山ノ内中尉殿の、お母様でございますか。御本籍地壱岐の國へ海軍省から參つた電報が、送されて參りました。實は」とばかり言ひさして、後は言ひ兼ね口籠る、様子見て取り「何、それでは忰が戰死したとの、お知らせでございますか。夜分の態々のお知らせ、忝う存じます」と騒がぬ母親。「誠にお氣の毒で、申上る詞も御座いません。御子息中尉殿には、去る十五日、南京空襲部隊に參加せられ、爆撃任務御遂行の上、御歸還の途中御行方知れず、立派な戰死を遂げられたと、認められるとの御事、お國の爲とは申しながら、母御様のの内、お察し申上げます。」とふを打消しイヽヱ、其お悔みに及びませう。あの子を軍人に出した上は命はお國に捧げたものお國の爲に力を盡し、立派な戰死を遂げたのなら、私は嬉しうございます。死んだあの子の父親も、草葉の蔭で嘸や、滿足に思て居りませう、達雄の父は長い間、小學校の校長を、勤めさせてきましたが、ほんにお國を思ふ心の深い人で御ざいました。私は决して歎きは致しません」とけなげにへば。「イヤ何と上げませう。見事なお心がけ、餘りの氣高いお心に男の私さへつ涙がこぼれます。れではでお暇申します。どうぞお心静かに。」と挨拶もいとねんごろに歸り行く。隣の部屋に聞く娘、弟も共に立出で、「おかあ様。達雄兄さんが」「智恵子、海軍省からの御通知、立派な兄さんをつて、お前達も肩身が廣いとふもの、兄さんに負けぬ、立派な人とならねばりません、ノウ敏夫。」「デモ行方不明とふのでせう。僕は兄さんは、未だ何處かに生きておいでなさる様に思ふ。是まで一度だつて間違ひの無かつた兄さん。あれだけ自信のつた兄ん、どこかの山の中にでも、生きて居なさるのではいか知ら。」「イヽヱあの雄々しい氣象の達雄です。見事に戰死した事でせう。」「デモあの元気な兄さんのお姿に、再びお逢ひ出來ぬかと思へば、智惠子は悲しうございます。」「イヱ〳〵泣てりませ。海軍航空隊の度々の爆撃、味方にも損害が有つたと聞いて達雄が若しやと氣がかりで有りましたが、お知らせを受けまして、私は不思議に落着く事が出來ました。あの子は死んでも、决してむだには死にません。魂はきつと生きて居ります。其證據に斯う私の心が、强くしつかりとなれたのも、あの子の魂の、生きて居る證です。いつ〳〵迄も魂は生きてお國を護るでせう。」「兄さんやつぱり死んだかな。新聞で見れば、あの日は猛烈な低氣壓で、南京地方が颱風の中心だつたのだ。空襲部隊の中、僅か八機しか損害が無かつたのは、全く奇蹟と書いてつた。兄さんと同じ、神戸高等商船學校出身の梅林中尉が、墜落しながら、ハンカチーフを振つて僚機に別れを告げたとか、南野中尉が、墜落しつゝ正確に爆彈を投下して機體【愛機】はガソリンタンクに突入したとか、いろ〳〵勇ましい様子が傳へられるのに、兄さんは、〳〵、僕は夫れが殘念だ。」「イヽヱれも考へ様です。私は達雄を信じます。大きな評判を取る取らぬ、夫れは問題ではりません。の蔭にはの下の力持ちをなさる方が、どれだけ居られる事でせう。あの度々の爆撃に、機關の故障が一度も無いとふのも、地上部隊の整備員の方々が、どれ程御苦勞なさる事でせう。を思へば達雄等、いさぎよい空襲部隊に、參加させていて、どれ仕合せか分りません。お國に盡す心は一つ。たゞ最後の際、天皇陛下の萬歳を唱へるきまゝに、墜ちていつた事でせう。其時の達雄の心、さぞ心殘りで有つたらうと、事だけが氣につて。」と思は落す露の玉「あゝもう夜も更ける、あなた方もおやすみなさい。私はから、海軍省の方々へ、お禮の手紙をしたゝめませう。」「ではお様、お先へ御免下さいませ。」「かあ様お先へ。」と夫々に、寝所こそは入りにけ。後に母親一人、仏間に向ひ【神の御前に】燈明かゝげ、父の位牌【御靈】に手を合せ。「達雄は常々の御教訓通りお國の爲、立派な働きをして、あなたのお側へ參りました。褒めてやつて下さいませ。」と暫し禱りを捧げし後、机に向ひ墨すりおろし、萬物寂として寝しづまる、深夜に心を澄ませつゝ、一書をこそはめけ
 
 日支戰端開けしより、晝夜暇なき海軍省、人事局の局長室、朝まだきより清水局長、山と積みたる書類をば、檢する折から入來る課長「多田君、何事か急な事件が起つたかな」「イヤ、只今參つた手紙を調べてをりますと、去る十五日南京渡洋爆撃に、行方不明、戰死と决定した、山ノ内中尉の母親からの書面、軍國の母の志、讀んで一同泣かされました。餘り感激しましたので、局長閣下にも御らんに入れようと、持參しました。」「ホウ山ノ内中尉の母御から。そこで讀んで聞せてくれ給へ。」「では讀んで見ませう。前の方は略します。『山ノ内達雄中尉儀、南京空襲に歿せる旨の御通知、壱岐郡石田村村長殿より、現住所宛御轉送を得、まさに拜承仕候、あの子が光輝ある、帝國海軍航空士官として、御奉公事を得、决死もつて護國の鬼と化しゆるぎなき祖國の御爲に、身命を捧げまつる事を得候事、尊く感謝に堪へず候、謹みてかの子既往の事、深く厚く御禮申上げ奉り候。あの子は幼少の時より、直く正しく清き心の持主にて、武勇を好める性質なれば、必ずや天に受くる大任ある者と信じ候て、父は賤しき己が子なりと思はず、御國の御子なりとして、育くみ養育致し來りたる子に有之候、昭和九年、祖國非常時に心を澄し候て、海軍旗のもとにはせ參り候時、すで此の最期を明かに决意仕り居りたるものに有之候。
天皇陛下萬歳。
大日本帝國萬歳。
大日本帝國海軍萬歳、戰死せる子達雄に代り母ヤス、謹みて唱へ奉る。』「君一寸待つてくれ給へ。子に代つて、天皇陛下の萬歳を唱へると云ふのか。其後は吾輩が讀まう「大日本帝國海軍萬歳、戰死せる子達雄に代り母ヤス謹みて唱へ奉る。あゝ老い行く母、月の明るきを眺めては泣かんとするか、花の香しきをめでてはまんとするや。あらず、をあげて空行く飛行機を見よ、あれよ、あの機。達雄永へに生きてるよ。私なほ男兒三人有之。育て見守りつゝ御國の御爲にはげましめんと致候。達雄最期といへども、帝國軍人としての面目はけがさぬ性格に有之候故、御心安く思し召し下さいませ。達雄母ヤス謹みて上。海軍省人事局御中」誠に立派な志だ。吾輩は心から感謝【感激】した。は我々ばかりが讀んだでは濟まぬ、く新聞紙上に發表して、感激を國民全般に分たう。」「ハイ一同もそう申して居ります。」「是非そうしよう、小學校の讀本にも出て居る、日清戰爭の時には水兵の母、日露戰役の時には一太郎の母があつた。こんな立派な母親は、山ノ内中尉の母御ばかりではるまい。恐らく軍人の母親は、皆同じ心に感じるであらら。子を育て子をるのが母の勤め、子を先立てゝ何んで悲しうなからうぞ、月花を見てむまじ、泣くまじとふ母の心、さすがに女の優しさよ、深い愁を堪へ忍ぶ、限りない悲しみだ。おつかさんは泣かずとも、此手紙を讀む國民が、代りに泣いてくれようぞ、お國の爲とふならば、その愛し子の戰死さへ惜まぬのみか三人の、殘る子迄も捧げんと、誓ふ心の尊さ。此心こそ日本の誇り。大日本帝國萬歳。」傳へ聞きたる人々は、戰の場につ者も、銃後のりにる者も、皆諸共に奮ひ起ち、一つ心に東洋の、平和の爲の大行軍、勝たでまじと誓ひなむ。【、勝たで止まじと誓ひなむ。】今津々浦々に歌はるゝ、進軍の歌勇ましく、我等もいざや歌ひなむ。
        以下進軍の歌