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【 全講心中天の網島  】

 

 

 祐田さんの精緻無比の浄瑠璃学の基礎は、やはり読みの深さにあったと考える。

 昭和十五年から三十三年まで、祐田さんと私はお互いに勉強盛りを天理の地で送った。それぞれの研究の段階をよく話合ったものであった。祐田さんは初めから、日本古典演芸としての丸本の読み方を考えていた。まだ外国の演劇学理論を応用した、近松の悲劇論などが流行っていた頃であるが、そんな態度は採らなかった。初めに戯曲としての梗概のとり方に苦心して、その試みをいくつも見せてくれた。野次気の多い私は、読んで面白いのは近松の作と、難波土産に書いてあるなどと、まぜかえしては、謹直な氏からたしなめられた。しかし私も何時の間にか、その方法を借りて、八文字屋時代物の梗概を試み、巧くいった場合を報告して、時代物の構成法の一つはこれかと話すと、大変よろこんでくれた。これは氏の方法の一つの検算となったのであろうか。次いで今の文楽に伝わる演出を加味して、読む方法の苦心が続いた。せっかちの私は一人遣いの近松の作品に、三人遣いの今の演出をあてはめるのは無理ではないか、淡路人形でさえ、文楽に比較して、大変大まかだなどと一知半解の半畳を入れた。伝統というものは、そう一口に言えるものではなかろうと、又たしなめられた。その間私の方は、自分で近松を講じて見ると、演芸的配慮なくしては、何か淋しくて済まされぬようになっていた。これを芝蘭之室と言うか、傍の者を感化せずにはおかぬ氏の熱心さがそこにあった。従来の浄瑠璃の注釈は、語彙や風俗の研究がたりないといったような反省や、絵尽しを演出研究に何とか利用できぬかといったような新しい見解も、話してくれた。恐らく教室では、それらが実行された講義を重ねていたことであろう。

 昭和三十三年私が九州に離れてからは、お互いに逢ってもいそがしくて、以前のような話はあまり出なかったし、氏が如何に丸本を読んでいるか知るすべもなかった。私が日本古典文学大系で、神霊矢口渡を注した時、少しでも演芸的要素を加味したく、祐田さんにお願いしたら、心よく加勢してくれた。そして同じ叢書で自ら註された文楽浄瑠璃集では、現行床本であるが、かねての主張と実践を生かした註を試みた。当時の編集担当者をして、現代印刷技術の限界にいどむと嘆息させた程念が入り、それだけ好評のものであったが、不自由な叢書の一冊で、十分なことが出来ないのが、残念であったろう。

 文楽浄瑠璃集に着手された頃から、この天の網島の講義が、解釈と鑑賞誌に連載され出した。私は久しぶりで祐田さんの近松丸本の注釈に接した。語釈・通釈それに、もっとも苦心の評が詳しく、寸分の隙がない。その上現在の文楽の演出に精通した吉永孝雄氏の、その方面からの解説まで附してある。かつて知る、氏の苦心の丸本読法を悉く尽したものであった。

 私はここに祐田読法の進歩と完成を見て何とも嬉しかった。浄瑠璃学界も、その生彩に眼を見張ったことであろうが、終末に至らずして、その筆の主は、学界も私ら友人をも捨てて、急逝という悲しい事となってしまった。

 しかし、それを借む友人後輩、横山氏や井口氏らの努力により、殊に生前死後も変らぬ吉永氏の御友情によって、この書が完成の形で、出刊のはこびとなった。近世演劇学界に多くのものを残してくれた祐田さんであるが、この書も最大の遺産の一つである。今後この作品を読む人は勿論、いやしくも浄瑠璃を学問的に注釈しようとする人は、この典範によらなければならぬ事は、疑うべくもない。

 もう八月末も手で数えられる。早くも一周忌のうき秋が来ようとしている。霊前にこの一書をささげることが出来よう。

 祐田さんの霊も、拈華微笑して、うけとられることであろう。

 昭和四十九年八月

                  中村幸彦

提供者:ね太郎さん(2003.09.16)