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 【 浄瑠璃大系図 】

(2010.05.01)
(2021.10.12補訂)
浄瑠璃大系図 PDFファイル
竹本筆太夫 近松春翠子 天保13年刊
 
書名について
演芸資料選書本、架蔵本ともに
版心は上巻口一が「浄系」である以外はすべて「浄景図」であり、
後序[天保13年季春]でも「浄瑠璃乃大景図」とされている
(序[天保13年仲秋]は「浄瑠璃大系図」とする)
架蔵本が
上 内題 浄瑠璃大図巻之上 巻尾 浄瑠璃図巻之上畢
中 内題 浄瑠璃大系図巻之中 巻尾 浄瑠璃図巻之中畢
下 内題 浄瑠璃大図巻之下
となっていることも合わせ、
当初、書名は「浄瑠璃大景図」とされていたと考えられる
『景図』用例
   「竹本義太夫様より代々景図」 86「竹本染太夫氏巻軸ノ写」近松研究所紀要(8・9)p252
   「蘭奢侍新田景図」 増補浄瑠璃大系図p193
   「花景図都鏡」 増補浄瑠璃大系図p307
 
諸本
架蔵本
影印・翻刻 演芸資料選書3 1989.3.20
※ 東大駒場本・奈良女子大本は色版が省略されている
 
版本の異同
A:架蔵本B:演芸資料選書本
内題等
上巻 七ウ
竹本義太夫の項
上巻 八オ
上巻 十二ウ
中巻 十六オ
中巻 二十二ウ

 

参考1
義太夫大鑑 付表 浄瑠璃各派系統図表
 
参考2
『序に、筆太夫が当時奉行所へ参考として提出した、古来太夫の家屋敷所有者(町人同格)を
認めた覚書がある。太夫等が当時の住所を知るには無二の資料と思ひ、附記して置く。

日本橋筋一丁目阪町東の行当り……義太夫こと竹本筑後掾
同処筑後と合壁……竹田出雲掾
長堀橋筋二丁目周防町南へ入……若太夫こと豊竹越前少掾
心斎橋筋周防町南へ入……紅屋長兵衛、内匠太夫こと竹本大和掾
道頓堀太左衛門橋筋浜より少北入……岸本屋善兵衛、此太夫こと豊竹筑前少掾
島の内周防町御堂筋西入……豊竹島太夫
島の内八幡筋心斎橋西入……二代目豊竹駒太夫
塩町通佐野屋橋筋東入……三代目竹本政太夫
島の内清水町筋三休橋西入……二代目豊竹此太夫
梶木町淀屋橋筋……二代目竹本染太夫
北堀江下通四丁目阿彌陀池南の筋南……三代目豊竹此太夫
西京猪熊仏光寺上る町……二代目竹本綱太夫
西京上長者町松屋町下る……野澤吉兵衛
立売堀北通一丁目槌橋筋西入……初代鶴澤寛治
島の内清水町畳屋町南入……三代目竹本内匠太夫
北新地二丁目……初代竹本彌太夫
島の内清水町三休橋筋西入北側……竹本播磨大掾
西京三条橋東松の木町大菱屋……三代目竹本綱太夫
島の内岩田町……三代目竹本筆太大
塩町通心斎橋筋西入南側……五代目竹本政太夫
島の内御堂筋鰻谷角……竹本住太夫
北新地三丁目……五代目豊竹此太夫
東成区天王寺村河堀口宮町……三代目竹本長門太夫
右為後日之書印置者也
天保十三年壬寅八月      竹本筆太夫』
   木谷蓬吟「天保の芸人弾圧と快漢竹本筆太夫」(『浄瑠璃研究書』所載)

 

提供者:ね太郎