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【 発刊の辞 】

(2023.01.19)
提供者:ね太郎
 太棹 1号 2ページ
発刊の辞
 
冨取芳河士
 本誌を発刊するの趣旨は、専ら吾古典的優等芸術たる義太夫の穿微的研究と其振興普及とにあります。
 毎日の新聞記事を御覧なさい。其処には厭く事なき階級闘争や、血腥き殺傷事件が何時でも満載されてあつて、吾々の純潔の生活は脅威され吾々の頭脳は終始撹き乱されないでは居ないのであります。斯くの如き社会状態に直面してる人では少しも生色がない、お終には吾々も何時かしら其渦中に捲き込まれるんではなからうかと、頗る危惧の念に堪えないのであります。
 実に考へれば考へる程辣然たる訳で、是非共一味の清涼剤を与へて、こういふ危険区域から脱出する様に心掛けねばならぬ。其清涼剤は何が一番いゝかと云へば、何れも一長一短があつて取捨各異にするが、私は声律階調一糸紊るゝ所なく、四百年来伝統的の美文美曲を以て誇る義太夫の稽古を以て、尤上の芸術努力に適してると断言するのであります。
 世に懐中都々逸なるものかあります、三絃に和して唯無声首を伸縮する模擬芸術もあります、義太夫界にも近所の手前や地位の相違等を苦にして、好きな芸術を懐中に密蔵する人が多いやうだか、実に無駄な苦労であります。
 抑も稽古所に出入すると、音楽学校に通学すると0、無意義に於て何の差異かありませう、何の軒輊かありませう、若し芸術至上主義を考へたなら、電車の中で「今頃は半七さん」と唸つたとて何んの疼しき所もありません。近来市中に喧号される顫声奇言のバー式謡歌が跋扈して、満都の士女争つて是を学び知らざるを恥とする様な有様は、実に慨嘆に堪えないことであります。我邦固有の義太夫の稽古を憚り、御本人さへ訳の分らない蛮歌を高唱して怖れぬ理由は、要するに吾国民の其根底に触れもせで、徒らに新奇に趨る悪癖でありませう、私は此悪癖を排斥し、真個の芸術に近づかうとする同好諸君の前に本誌を発刊して、此国難時代に清涼剤を与へんとするものであります。果して一喫其甘味を享受せらるゝかどうか。従つて本誌としては、外廓に於て偽美を装ふよりは内容の充実を旨と致します。即ち、始めから声を嗄らしてしまふよりは、縷々として尽きない刊出を貴重するものであります。