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【 安藤鶴夫 新しい芸・古い芸 】

(2023.01.19)
提供者:ね太郎
 太棹 82号 2ページ
新しい芸・古い芸
      安藤鶴夫
 義太夫の如き、古い伝統と風格を重んずる芸の中にさへ、私は新しい芸と古い芸のある事を痛感する。
 かういふと、冗談をいふな、義太夫は古い芸だから尊重すべきもので、新しい芸などのあらうわけがないと、忽ちお叱りを受ける事であらう。
 一応御尤である。
 が、私ははつきり義太夫にさへ、新しい芸、いひかへれば新しい義太夫のある事を強調したい。
 新しい義太夫といつても、決して近頃の文楽座のやうに、長唄だの、常盤津だの、清元だの、浪花節だのゝ中から、有り物を持つてきて、太い三味線でデツチ上げた所謂新作物の事をいふのではない。
 もう一ついひかへれば、新しい風格といつてもいゝ。つまり昔乍らの語物に、新しい表現を与へる事である。
 一にも二にも、少し義太夫道の解りかけた連中は、風格、風格とこれを尊重する。事実古典芸義太夫には、風格程尊いものもないのだ。つまり先人の表現を尊重する事なので、実際またこれが無暗に無くなつたなら、義太夫は浪花節同様となり、忽ちその優位は地に堕ちやう。
 たゞこの場合、私は風格といふものが単に芝居でいへば型同様に、先人の表現技巧とばかり解されてゐる事に、非常な不満を持つものである。芝居の型でさへ、私はたゞ形の上ばかりのものではないと思ってゐる。鼻高幸四郎の型だ、四代目小団次の型だといつても、普通これはたゞ形の上に現された所謂型だとは思へない。
 義太夫の場合に、風格といふ言葉が、--単に麓太夫の風は、こゝをかうニジツたギンの音でいかなくては等といふ、たゞその形の上だけの表現と解されてゐる事が実に不思議だと思ふ。
 私にいはしむれば、風格の最も尊い所以は、決して形の上に現れた、つまり節なら節といふものに現れた型ではなく、それを表現した先人の精神にあると思ふ。
 風格といふ言葉を、直ぐ型といふ風に解さずに、精神と解釈するのである。麓太夫の風、綱太夫の風といふ事は、決して麓太夫の型、綱太夫の型といふ事ではなく、麓太夫の精神、綱太夫の精神と迄、深く風格といふ意義を高揚して考へるべきだと思ふ。
 もう少し風格そのものに就て考へれば、麓太夫だ、綱太夫だと称するその風格なるものにも、どの程度迄信じていゝのか幾多の疑ひが生れてくる。
 初演の太夫の風格が伝へられてゐると称する語物もあれば、又、初演以後の太夫に依つてその風の変へられたと称する語物もある。
 確実なる音譜を持たぬ日本音曲では、どこ迄が実際その語物の風格であるかは早急には信じられぬ。そこに西洋音楽の音譜にのみ頼る芸術とは異ちた味いもあれば、深みもあるが、それは同時にまた極めて典範が曖昧ともなる。
 そこで風格なるものが、どこ迄信じていゝものか解らない事になると、結局は初演の太夫の風格といふものよりも、要はその語物の風格、即ちその浄瑠璃の原作が示す風格、つまり原作の精神を尊重する事が最も正しいといはねばなるまい。
 そして初演太夫の風格の尊いところは、又実にこの原作の精神に触れてゐるとこにあると思ふ。
 今日、突然「太十」といふ語物を与へて作曲せよといつたところで、如何なる名人といへども、決して現在伝へられてゐる「太十」の如き立派なものは出来まい。こゝに我々は先人の偉大さをしみ〴〵感ずると共に、改めてその風格の偉大さに敬意を表する。即ちそれは、先人の原作に対する解釈力の偉大さに敬意を表する事である。
 古典芸術の貴重なる点は、決してその表現力の為ではなく、その精神が永久不滅である点にある。
 義太夫といふ古典芸の尊重すべき点も亦同様で、その表現が尊重さるべきではなく、あの永久不滅の義太夫古典精神が尊重さるべきものである。
 そして、表現する力、表現する技巧といふ点は常に変化してゐる筈である。
 何故ならば我々の文化は常に進歩してゐる。或は少くとも常に変化してゐる。表現力も亦同様で、それはさま〴〵な時代に依り、或は人さま〴〵に依りそれは常に変化してゐる。表現する力、表現する技巧が固定する筈がないのである。
 この変化あるところに、芸の動きがある。古い芸といひ、新しい芸といふのは即ち古い表現、新しい表現をいふので、以上の理由で義太夫にも当然、新しい芸があるわけである。
 そしてそのどちらがいゝ等といふ事は、こゝでは問題ではないのだ。
 今日義太夫道での古い芸、即ち古風な表現を持つ代表的な太夫は津太夫である。そして新しい芸、即ち独自な表現を持つ代表的な太夫は古靱太夫である。
この場合、後者は一寸油断をすると、独自な表現を持つ為に道を踏み外す場合がある。古靱太夫の芸が常に我々には面白いのは、あの独自な表現にあるのだが、又時々は同じ理由の為にがつかりさせられる事がある。古靱太夫と吉右衛門とをよく芸風の相似から同一にいはれる場合があるが、私は寧ろ菊五郎の芸風に相似を感じる。菊五郎の院本物に於ける新解釈の演出が、実に先人以上の優れた場合があると同時に、又新解釈なるが為に全然失敗する場合が、応々にして見られる。
 義太夫が今日これ程迄に衰微した最大の理由は、この新しき解釈、独自な表現を持つ太夫のゐない事に掛つてゐる。
 明治期の二名人、摂津大掾と大隅太夫とが、同一の語物に於て、全然異つた芸風を示し、共にその原作の風格を少しも失はしめなかった理由は、共に義太夫によつて真の古典精神を保持してゐたが為であり、又斯界をあれ程の盛況に導いたのは、共に新しき解釈と独自な表現を持つてゐたが為である。
 たゞ茲で私の最も恐れるところは、新しい解釈だとか、独自な表現などといふ為の、勝手気侭な旦那芸の独り合点である。
 要は飽く迄その浄瑠璃の持つ風格を充分研究し、尊重し、その上での結果をいふもので、これは天才以外の出来得ざる事である。
 私は津太夫の古風な芸風を尊重すると同時に、古靱太夫の独自な芸風に、義太夫道の将来を期待するものである。