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【 安藤鶴夫 文楽座覚書 --六月明治座出開帳 】

(2023.01.19)
提供者:ね太郎
 太棹 87号 12ページ
文楽座覚書 --六月明治座出開帳
              安藤鶴夫
   第一回芸題(三日・四日)
  寺子屋
☆ 古靱太夫、源蔵戻りから戸浪との応酬の間の巧さ、抜ける程聴いた語物であり乍ら、今度も亦、私は源蔵夫婦の忠義に痩せる痛ましさ、そして身替りが成功するであらうかどうかといふ不安を、いはゞはじめてこの語物を聴いた時のやうな新しい不安を受けたのである。何時聴いても、古靱太夫のこの前半は不安な気分と、忠義の痛ましさ、宮仕への悲しさをしみじみと感じさせる。
☆ 勿論他の芸でもさうだが、聴き古し、見古した出し物に、常にかうして、はじめて接した時のやうな新鮮な感動を齎すのは、恐ろしい芸の力である。殊に義太夫節のやうに、常に同じ物を繰り返す古典芸にあつては、この新鮮な感動をこそ最も大切な一点といふべきであらう。
☆ 後半松王の咳のよさ。しかしその後の、「いやいた……」で急に直つて、一つ煽り「されず」が古靱太夫の欠点ではあるまいか。そしてもう一つ、「寺入りの子の母でござんす」が例のウラ声のやうな調子で、これが空々しく受け取れる。
☆ 「松はつれない」とはじめのつれないは極く微かに、どうせさうさといつたやうな松王の自嘲を表現し、次の「つれない」でたまらない松王のさびしさを出す。こゝが古靱太夫の卓抜した技巧で、その解釈の面白いところである。かうした技巧に、義太夫節の新しい解釈から齎される、将来への発展性があるのではあるまいか。
☆ そして矢張り古靱太夫は源蔵が圧巻の傑作である。普通の太夫がこゝと力を入れる件を、古靱太夫は決してその侭最高頂として扱はない。文五郎の千代が、それ待つてましたとばかりに、大踊りに踊らうといふ「いろは送り」など、全然ウケにいかず、渋くさみしく語るので、文五郎にはお気の毒だが、同時に低級な観賞者も亦、文五郎同様肩透しを喰はされる。だが、これが正しいのである。古靱太夫を正しく聴かうとするには、観賞者も亦修業がいるのだ。
☆ 今度は栄三が源蔵を遣つた。戸浪の「なんとよい子」の前で、何気なく下手の児太郎と上手の菅秀才とを見較べる。この何気なくといふ事は、決して客席へ見てくれをしない事である。飽く迄腹芸でうつかりすると見逃す位の仕事で、ぴたり源蔵の大切な仕事をしてゐるのだ。恰度これといゝ対照が「寺入り」の件での文五郎の千代で、この二人を見較べるのに扇を口へ当てゝ、しかも待ち合せで殊更らに千代の仕事を見せてゐる。一方は見逃す位にぼんやりと腹でいく芸であり、一方はどうだと客に見せにかゝる。立役と女役との違ひはあつても、この芸の態度はなんといふ相違であらうか。
 合邦住家
☆ 津太夫の「合邦」は後半がいゝ。恰度前半のいゝ古靱太夫と反対である。合邦が玉手を刺す件の迫力は凄い位のイキのつみ方である。
☆ たゞあわびの件になつて、合邦が「どうまアそれがむごたらしい」で泣いて気をかへ、「若役ぢや入平どのとやら」を突然に笑ひ乍らなにか嬉しい事でも頼むかのやうにいふのはをかしい。続いて入平の詞で「御主人同然の玉手さま、何処へ刃が当でられませう」も同様笑つていひ、津太夫自身も笑ひ顔をしていつてゐるが、これは変り目を取り違へた完全な腹構えの誤りである。
☆ 文五郎の玉手、如何に嫉妬の乱行にしても、あゝ迄乱暴に浅香姫を扱つていゝものだらうか。手負ひになつてからも動きすぎるのは相変らずだが、百万遍になつて「露と消えゆく進めの念仏」で玉手と俊徳丸とが向ひ合ひ、玉手が下から見上げる型も、文五郎だと悪く色気があつて嫌味になる。所詮は玉手を遣ふ人でなし。栄三か小兵吉で見たいものである。
☆ 栄三郎の入平がはじめ玉手の後を追つてきて、藪に入らずまた下手の小幕へ入るのは、玉手が二の勾欄へ上つてゐないので、舞台が狭くこれは仕様がないとしても、二度目に出てきて籔へ消え、「いつかあわびの片思ひ」の大切な件で出てきて表に伺ふので、ひよつとそつちへ気が散らされるのは、太夫の芸を消す不届きさである。今の若さに、しかも将来を嘱望されてゐる栄三郎として、これはまことに遣感であつた。
 帯屋
☆ 毎度といへば毎度だが。土佐太夫は来る度びに同じ語物に違つた苦心の見える人である。儀兵衛の「うけとらぬかへ」等一寸巻き舌のやうにいつて、こゝなど今度のまた変つたところであらう。
☆ かうした世話物になると、土佐太夫は、もう語つてゐるといふより、寧ろ話してゐるといふ芸境にある。半才の蝋燭の引き事など、しみ〴〵と巧い。
 
   第二回芸題(六日)
 明石舟別れ
☆ 段切りの所謂舟別れで、玉幸の阿曽次郎が正面切つて立身、扇を開いての見得が、恰でめでたし〳〵と見えたのは驚いた。あれではてんで別れの悲しい風情がない。要は人形遣の腹構えである。
 太十
☆ 文五郎の操が、大踊りをはじめようとする口説きで、古靱太夫が皮肉にもこれをさつぱりとよけて語るので、いろは送り同様お気の毒千万。しかし乍ら「一と筋に」で操が足音を入れるのはいゝが、床と少しも合はないのは困つたもの太夫殺しの足音である。
 弥作鎌腹
☆ 津太夫の傑作である。もう少し軽くといふ説もあるらしいが、この語物は鈍重素朴な津太夫のこの風格が最も適切と思はれる。「暮れ六つが鳴つてきた」だの「弥作今は絶体絶命」のイキの凄さ、腹の強さなど素晴しいものである。
☆ 栄三の弥作、腹切りの件で、綱造の殆ど無関心のやうなめりやすで、永い待ち合せの巧さ、鎌を持つてから突けないで行燈の燈火を吹き消し、仰向いて悶える苦しみも腹に応へた。
 
   第三回芸題(八日)
 神崎東下り
☆ これを称して浄曲劇といふ。
☆ 浄曲家--などといふと、これアいゝと早速「我々浄曲家は」等と用ひられさうだが、この床に現れた浄曲家連の詞の上げ下げ等、恰で歌舞伎のめりはりである。これでは義太夫節が歌舞伎じみてくるのも無理はあるまい。かういふものを嬉しがつて浄曲家諸先生がやつてゐるのだから、扨て汗をかいてしやツちよこばつての批評も馬鹿々々しくなる。
 楠昔噺
☆ 砧拍子では新左衛門の絃と、栄三の小仙、玉次郎の徳太夫に感激した。それにしても、栄三のかうした役を今後も見たいものである。
☆ 切では津太夫の太く低い調子での感傷、「ぢいは山へ柴刈に」「ばゝは川へ洗濯に」の憂ひなど胸を打つた。
 酒屋
☆半兵衛の女房が「なうおやぢどんさうぢやないか、さうぢやない」は、今迄土佐太夫が強く抛り出すやうにいつてゐたので、こゝで可成り笑ふ客があつたが、今度はおさへて軽くいつてゐる。こゝいらは、土佐太夫のよき用意であらう。
☆ この酒屋など聴いてゐると、土佐太夫の芸に対する欲のなさがはつきり解る。勿論芸の上での欲といふ意味はアテ込みにいく事で、さうした欲が無くなつてゐればこそ、こゝ迄枯淡に洗ひ抜けたのである。
☆ 文五郎のお園が、隣りの唄を一一気にしたこと、段切りで当然表の三勝半七に渡してしまふ筈の舞台を、おつうを抱いて親達に見せて歩くこと、ものゝ二三分を我慢が出来ず「隔ての関」でどんどん奥へ入つてしまふこと等いつに変らぬ勝手放題である。土佐太夫と反対に、この文五郎位、あの歳になつて、舞台に欲のある芸人も少い。
☆ 女の人形が頭といひ作りといひ大きくなつてきた事も近頃文楽座の悪傾向である。このお園など親達と並んでゐると一番でこ〳〵として憎体である。かうした事も、人形に魅力を失はさせる一つの重大な点であらう。
 安達
☆ 古靱太夫が明治座に崇られて、また調子をやつたが、流石に渋くさみしく格調の正しい一段であつた。
☆ 祭文などさうした声で苦労してしつとりと語つてゐるのに、ちよいと客席が静かになると、文五郎の袖萩の左遣ひが三味線の調子を直すので、客席がどツとくる。さうかと思ふとまた、栄三の貞任が「心残して」で、階段の降り際に下手の袖萩を見るといふ立派な芝居をしてゐるのに、下手に引込んで袖萩もお君もゐない。不料簡な芸人がゐると、他の正しい芸迄が害はれるのは、実際困つたものである。
 
   第四回芸題(十一日)
 扇屋熊谷
☆ これは如何に古靱太夫が品よく語つたにしても、結局作の悪い事が目立つて案外空虚な語物で有難くない。
☆ 紋十郎の敦盛も酷い出来だが、人形だと小荻実は敦盛といふ変化を、全然別の人形に変へてやらなければならないので、急に小荻がぐいと大きな敦盛の人形に変つたりして、全然面白くない。
 沼津
☆ 津太夫の「それ聞いて思ひ切りました」だの「その金銀に換えてのお願ひ」等のさみしさ、哀しさ。但し今度は「我が子の平三であつたかい」は今迄よりあつさりしてゐてつまらなかつた。
☆ 栄三の重兵衛「面目ないがわしや最前からこなはんに」で両方の袖口に手を入れて合せ、身体を揺すり乍らお米に寄つてゆくその和かみその軽妙さ。玉次郎の平作、文五郎のお米と共に秀逸。
☆ 松原の件で床の上の御簾内で、扇を使ひ乍ら客席を見てゐる人間があつた。言語道断の不料簡者である。
 淡路町
☆ 今度の大隅太夫の語り物中での佳作一体今度は絃の寛治郎がさつぱりとした芸風なので、可成り絃とズレるところがあつて、余り好成績とはいへなかつた。
☆ 忠兵衛の足を遣つた栄三郎の、飛脚屋のトトンがトンは賞讃に価する足拍子であつた。
 封印切
☆ 土佐太夫はその昔節語りであつたが、結局この段など聴くと詞語りである。忠兵衛が飛び込んでくると急に目の覚めたやうに面白くなる。が「夕霧文章」でダレさしてはこの段を語れたとはいへまい
 新口村
☆ 錣太夫のやうに、かう被つて陽気に語つては、絃の新左衛門は一体どう弾いたらいゝのか。「腹が立ちますわい腹が」も悪落ちがきた。それに「今ぢやないわアい」と引き字するので、間延びがして迫力がなくなる。この人の芸風は、結局一種の自慰である。
☆ 門造の孫右衛門が「行て下され」と金を渡す時、上手の方を向いて梅川の顔を見ずに右手で渡すのは面白かつた。亡き外為蔵の型ださうである。
 
   第五回芸題(十六日)
 桜の宮物狂ひ
☆ 文五郎の渚の方、物狂ひの間の動きは狂女と馬鹿を取り違へてはゐないか。 二月堂
☆ 古靱太夫もこゝではすつかり調子が直つて、例の通り圧倒的な傑作である。この語り物など、恐らく古靱太夫の風格として、永く後世に残るものとならう。☆ 人形のツメに気なしがゐたのは不愉快であつた。
 熊谷陣屋
☆ 津太夫があの声で、相模のよかつた事は感心した。結局声ではないのだ。☆ 栄三の熊谷が「心にかゝるは母上の御事」で、見えるか見えないやうに下手後にゐる相模をひよいと見る腹芸。
 湊町
☆ これでは結局亡き朝太夫を偲んだ。人物が同じになる欠点はあったにしても「遠山颪」など懐しいものである。
☆ 人形も悪かつたが、土佐太夫はこれが一番落ちた。それにかう立て続けに真世話物ばかりを並べては、人物も筋も類、型的になり、結局鼻についてくる。
☆ 玉幸の清十郎、玉徳の徳次郎など配役の錯誤である。何処の世界に清十郎ともあらう色男が、右手の袖口で顔の汗を拭く色消しがあらう。
 
   第六回芸題(十八日・二十日)
 仮名手本忠臣蔵(大序より八段目迄)
 大序
☆人形の大序の貧弱さ加減、歌舞伎の大序の厳粛さは薬にしたくもない。
 桃井邸
☆ 力弥が使ひに来たといふ知らせで、紋十郎の小浪は、両手を袖口に入れて手を叩いて喜ぶのが恰で馬鹿のやうである。それに本蔵が上手へ入るのにてんで見送りもしない。文五郎の戸無瀬は流石に辞儀をしてゐる。
☆ 「忠臣藏」の作劇の巧妙さは、この段で若狭之助が師直を殺さうと決心させる一点でも明瞭である。 大下馬先き☆そしてこゝでも亦、改めて作劇の巧妙さと、この段の重要さをしみ〴〵と感じる。即ち伴内がさして入るっもりない本蔵を殿中へ案内する事、これが判官を抱きとめる事となつて、九段目への伏線となり、又おかるが今宵に限つた事はないといふ顔世の歌を持つて、たゞ勘平に逢ひたさに出掛けてきて、これが刃傷の大切な楔になる事、そして同時に六段目への準備ともなる。かうして院本物のよさは、抜きなしに通してこそはじめて全篇の構成の巧さが点頭かれるのである。
 殿中刃傷
☆ 古靱太夫の師直の品のよさ、あれでこそ筆頭第一の位である。老獪な凄味もあり、「あゝ貞女貞女」なども面白く、栄三の師直が僅に二度中啓で畳を叩いた芸風とぴたりイキの合った素晴しい出来である。私は今度の文楽座全部を通しての最大傑作だと推賞する。
 扇ヶ谷
☆ 津太夫では軽る過ぎて面白くない。
 勘平切腹
☆ちと歌舞伎ぢみてはゐるが、土佐太夫の「お身やどうしたものだ」などよくなにより勘平婆アが出色である。
 祇園一力
☆ いつもこゝは案外によくないのが、お極りである。
 道行旅路の嫁入
☆ 九段目の悲劇を知らずに、この親子の道行は、数多い道行中でも素晴しい傑作である。