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【 田中煙亭 塵外居放談 】

(2023.01.19)
提供者:ね太郎
 太棹 129号 16ページ
塵外居放談
     煙亭記
 玄蕃か松王か
  =お歴々の研究を待つ=
 前号此の稿に於て、我等は、都新聞の文楽評を取上げ、寺子屋の、寺子呼出しで『詮議に及ばす連れうせう、と睨み付げられ』を古靱太夫が松王で語り、人形が最初玄蕃で動いてゐたのを、後に松王に改めた事に関して、津太夫のやうに玄蕃で語るべく、又た無論睨みつけるのも玄蕃であると、閑人らしい愚見を長々と放談した。それに対し、直ちに御意見を寄せられたのは、同記事の末段に失礼にも、一つ研究して頂きたい、と書いた岡田蝶花形先生からであつた。先生の御意見の終りにある栄三、玉幸の責任は、我等も同感で、無論其の事にも言及して置いたのである。岡田先生の御意見は、全文を次に掲載させて頂く事にする。
 それから、前号のその放談の中で、勢に乗じて、我等は、安藤君の芸評中、睨みつけられ、の数文字に圏点が打つてあるのを捉へて、これは明らかに寺子の方の地合であるのもアハヽである、などゝ揶揄的に放談したのは誠に、年甲斐もない軽卒で、あれは、その「睨みつけられ」の人形の動きが、此の問題の中心点である処から、安藤君が特につけたのだ、といふ事を知れば、放談の「行き過ぎ」であつた事を茲にお詫びする。
 次に、我等の畏敬する府下は八王子の住人斉藤拳三氏に対して、前号文楽評拝読の件を申上げた序でに、我等のこの寺子屋問題に関する御意見を徴した処、次の如き回答に接したから、恐らく、氏は例の健筆を呵して、此の問題の感想を太棹社に寄せられるだらう事を確信し、本誌に掲載される事を期待する次第である。尚ほ玄素御歴々の御研究をお示し願へれば、幸ひ甚だしとおもふ。
 
 八王子の斉藤氏から
(前略)あの件は、では先生へ御返事の形式で太棹へ書きませう。私は「詮議に及ばず」は松王の心持ちでいゝと存じます「にらみ付けられ」は百姓の地で、玄蕃が睨んでいゝと存じます。安藤君と先生とでは、意見の相違よりも、議題が少々くいちがつてるかと存じます「詮議」以下百姓の形容として小生は床と人形と多少ちがつて居ても結構だと存じます『打てば響け』で空なのより、軽事と存じます……云々
 この斉藤君の端書によつて見ると、斉藤君は半ば以上松王説のやうであつて、唯だ安藤君及び古靱太夫、栄三、玉幸と違つて、睨むのは玄蕃で無いといふ事になるらしいが、さうすると、我等と安藤君等との中間説のやうでもある。がしかし、我等は尚ほ執拗にも、詮議に及ばずから玄蕃説を固執するものである。アノ時、寺子改めは松王の主張で始まつた仕事だが、松王は一子小太郎を身代りに寄越しておいたので、我が子は来たか、といふ事で胸も一ぱいであり、ゾロ〳〵寺子共が出て来ると、其の中に若し、我が子がゐはせぬか、といふ心配も多分にあり、さてこそ、一人づゝ呼びん出せ、といふ事にして、小太郎は結局ヒヨロ〳〵出て来ないやうに念願してゐる、とまで考へて可いとおもふ。さうして、寺子の実験をして、玄蕃が抑へて見せる顔に、イヤ〳〵をして、他は、殆んどまなこを半眼に閉ぢ、正面を切つてゐるやうにしたい。玄蕃は何しろ、彼アいふ扮装なり面構えなり、松王がそでない、と言へば直ぐに、コン畜生ツ、といつた工面に寺子を突ツ放す、といふ演出であるべく、詮議に及ばず、と怒鳴り付ける、今も昔しも同じ心理の、お役人の唯だ威張り散らせば可いのである。
 斉藤君の『床と人形と多少ぢがつてゐても結構だ』といふのなら、尚ほの事、睨むのは、栄三、玉幸の如く改める必要はなく、玄蕃に睨ませておいて下さい、お願ひです。古靱さんも栄三も神様ではない、本文やら、舞台雰囲気やら、種々の角度から考へて、我等は、今日に於ても、玄蕃説を覆へす訳にはゆかぬ。安藤君は共芸評の最後に、文楽にも演出家の必要があるといふやうな事を書いてをられたが、若し我等に演出を頼むものがあれば、断じて松王に肩をイカラセ、眼をムカセないであらう(誰だい、ヘツ誰れが頼むものかなんていふのは……)
 
 「睨みつけられは」玄蕃の動作の顕れ
         岡田蝶花形
 前号塵外居放談で煙亭先生から、不肖を指名研究しろとあるが、私は古実家でも無く、国語学者でもなく、一研究生ゆゑよいテーマを与へて頂いたとして、故老を訪ふて歩くところだが、今のところ一寸閑が無いから、私一人だけの考を述ベてもし古靱太夫師や安藤君等から間違つてゐたら、教へて頂くとして本当の素人考を茲に述べさせて頂く。
 さて「睨みつけられ」」問題の要は松王が睨めたのか、玄蕃が睨めたのかで、ひいては其上の文句の「詮議に及ばぬ連れ失せう」が松王の言葉か玄蕃の言葉か、といふのである。詮議といふから松玉が詮議に来たのだからと単なる考へから松王のつもりで語つてゐる人も多い、私は先日の文楽引越の寺子屋を聴かなかつたから、古靱太夫がこゝを松王で語つたか否か、関する所では無いが、私は煙亭君と同感で、これこそ明かに玄蕃の言葉であると思ふ、その理由は、
 少し前に「これでは無いと、許しやる」といふ文句がある。それは明らかに玄蕃の言葉である、松王に許しやるの権能は無いので、許しやるは玄蕃の言葉に違ひない、それに対応する言葉が「詮議に及ばぬ連れ失せう」であるから、私は玄蕃の言葉と見る、そして直ちにその続きとして「と睨みつけられ」であるから、この睨みつけた人は玄蕃であるから、「睨みつけられ」といふ時人形では玄蕃が眼をむいて見せれば可い、その時松王はたゝいや〳〵菅秀才とは違ふといふ気味を表はせば可い、又事実としても松応の様な病人の弱々しいものに睨みつけられても百姓共は恐くないに違ひない、それ故古来及芝居でも皆玄蕃でやつてゐるやうだ、煙亭先生がこれこそ勿論玄蕃であるといふ方が正しく、安藤君の方が解釈違ひではあるまいか。
 それは夫れとして一安藤君に云はれたからと云つて、若し、古来の型を改めたとしたら、栄三、玉幸にも責任はあるまいか、安藤君果して根拠あるならば何で黙つて居る筈は無いから次号に於てお答へ願ひ度い、もし永久に黙つて居たら軍配は勿論煙草先生にあげさせて頂く。