平成十三年七・八月公演  

第一部

「金太郎の大ぐも退治」

 今回も解説が付くが、「鼠のそうし」のあらすじをだらだらとしゃべっても、子どもたちの記憶に留まることはない、というよりも無意味なことだ。その理由は後述する。
 詞章は古ぼけたまま、もちろん旧仮名遣いでもある。今回台本を整理したとあるのだが、要するに切り接ぎしただけで、口語で書き換えるという面倒だが最も肝心な作業は行われていない。もしかすると、詞章の深い理解を必要としない演目だから、逆に文語で残しておいて、文語が知らず知らずに耳から入ってくるようにした、という見方もできなくはないが、それにしては冒頭の一節など、わかりにくい上に下手の極み、全体的にも粗雑なもので、その可能性は皆無であろう。とはいえ、人形を見る分には派手だし、下座もよく頑張っていたから、これはこれで子供向けとして何とかなる代物ではあろう。その大蜘蛛だが、金太郎に眉間を切り付けられて変化の妖術が破れるところ、頭部がくるりと回転する仕掛けが、下手でしかも斜め横向きだったからはっきりと見えにくかった。やはり正面真ん中でよく見えるように立ち回るべきであろう。それと蜘蛛の糸で金太郎を搦め取る手法を、その後の頼光にも用いたのだが、早速客席の子どもたちから「さっきと同じや」と言う侮蔑の声が飛んでいた。お子さまは率直で正直である。さて、三輪大夫は相変わらず地の部分があやしげな語り口。南都は義太夫の発声ではないようだ。呂勢はさすが。こんな作品でさえ「はいくわい」ときちんと語るのは師匠譲りの清々しさか。相子はまだまだ。冒頭の「震ひわななき」など切り方が悪いので意味不明になると言う、犯してはならない注意事項に見事引っかかっていた。
 

「鼠のそうし」

 これは子ども向け作品ではない。「中世古文体による擬古典作品」という原作者の意図からしてももちろんだが、本作品は、母親が子どもに絵本を見せながら語って聞かせれば十分な内容をただただ引き伸ばしただけの、いわば似非パノラマ写真のようなものだからである。人形浄瑠璃の様々な要素を詰め込んだ盛り沢山な内容なのだが、そのくせ肝心の個々の場面での活写がなされていない。それを現代仮名遣いに直しただけで、ハイ読み易くお子さま向けになっておりますとでも言うつもりなのであろうか。制作担当者の真意を測りかねるが、要するにやっつけ仕事であろう。何と言っても実績のある古典作品以上に、夏休み子ども向けの第一部こそ、二、三年先を見通しての演目設定とそのための補綴作業が必要なのであるのだが。恐らくは多忙なのであろう。そしてその多忙によって産み出される妥協的産物の山が、毎年積み重ね続けられるのである。思い起こせばこの作品の作曲者竹澤弥七自死の直接的原因は、新作作曲の行き詰まりであったという。ああ何という無駄、そして何とも言い様のない憤りを禁じ得ない。今またその愚を繰り返そうとしているのか。花道濫用とともに、「殷鑑遠からず」の思いを強くした夏公演である。では、具体的に問題点を指摘してみよう。第一場は権の頭と浅香姫の恋愛経過がまだるっこしい。連れ舞を活かしたいのなら、姫の心をすばやく見て取った腰元千鳥がさっさと舞を勧めればよい。そして舞の所作の中で二人が心を通わせ親密になっていく様子を見せるようにするべきだ。第二場は実際に大根を刻んでみせるとか、煮立つ様子を仕掛けで見せるとか、三味線の演奏で写実的に描いて聞かせるとかすべきで、そのあとの戯れ場(子どもいや親にも意味不明)はカット。すぐに婚礼の場へとつなげるのがよかろう。鼠取りに掛かる場面では、子どもたちが「なかなかつかまらへんで」とじれったがっていた。やはり三度目の法則で仕掛けが落ちるように、詞章を刈り込んで人形に合うようにしなければ。第三場道行仕立てだが、さっぱり冴えない。引き道具を使用して、実際に京から奈良経由で高野山までを視覚的に見せなければ。そうすると親子で、「あれが宇治の平等院、十円玉見てみ」とか、「大仏さんと鹿やで」というように客席が湧くというものだ。第四場は比較的よく工夫されていて、猫の上人に子坊主なども捨て難いものがある。人間に生まれ変わるのを拒否する主題を明確にするために、授戒後直ちにその問答にすべきである。そして段切り、散華をもっと華麗にし、権の頭が聖人に変化するところを人形を変えて明確にすべきである。とまあこの程度でも、子ども向け作品としてちゃんと通用するようにはなるだろう。次回上演の際には是非とも実現してもらいたいものである。さて、三業の評価も一応記しておくと、嶋−津駒、一暢−玉也での権の頭−小六の組み合わせがなかなかよく、雰囲気も出ていた。あとは猫の上人玉松に風格があり、小坊主(和右)も生彩を放っていた。その他も手抜きなし。三味線は団七清友以下無難にこなしていたが、各場ごとの変化やここという所での際立ちや冴えに欠けていたと思われる。
 

第二部

日蓮聖人御法海』「勘作住家」

 この作品は、宗教物と聞いて一般的に感じられる思い込みとは無縁のものである。いわゆる超常現象とか超人的奇跡という要素が主眼ではない。こう書くと、「何を言う。題目の奇跡を無視するか。」という声が聞こえてきそうであるが、もう一度詞章をしっかりと読んでもらいたい。勘作の死骸を水に流すと鵜が啄みに来るが、これは動物の捕食行為だ。数多くの石を水に投げ入れれば、鵜が驚いて一度に去るのも当然のこと。南無妙法蓮華経を強く目を閉じて一心に祈れば、網膜に写った残像が水面に映って見えるのもあり得ること。(勘作の死骸と七字の題目を直立させたのは観客にはっきりと見知らせるための工夫である。)しかもこの「水流しの題目」は今日実際に行われているところの「流れ潅頂、経木流し」であると、きっちり書かれているではないか。とはいえ、誤解しないでいただきたい。私はここで日蓮上人のいわゆる奇跡を暴いて見せようなどということを考えているのではない。いや、むしろ逆である。人間の意志力の強さ、精神世界の重要性に思いを致すことができなくなった現代日本人へ警鐘を鳴らすためなのである。おそらく見終わった後で、こんな作品は現代では通用しない、だの、非現実的な話では感動できない、だの、といった類の決めつけや、想像力の欠如した閉じた主観剥き出しの誤解が、そこここからわきだしてくるであろうから。が、それらはすべて詞章を読めていないことに起因するのだ。日蓮は勘作を生き返らせたりはしない。「夫が罪障、老婆が後世も弔はん」と言い、その結果、お伝をして「経市堅固に出家を遂げ」「我も浮めてたもいの」と、「何事も定まりし浮世の中」を「生きてゐられぬ我が罪業」を背負って生きて行く心を述べさせたのである。つまり、これは極めて現実的な話なのであって、言い換えれば、現代日本人のちっぽけな自我(いや、そもそも自我というものは他者との相対関係において初めて成立するものであるから、「未だゾル状のエゴ」とでも言う方が適切だろう)にしてみれば、とてもその範疇では捉えきれないが故に、「超」現実的な話としか理解しようがないということなのである。それともう一つ、「非現実的」とか「非科学的」とかいう言葉で相手を一刀両断できる(逆に言うとぐうの音も出なくなってしまう)という呪縛からも解放されなければならないだろう。「非現実的」とは、目の前に見える表象に縛られた飽くなき欲望実現を目指す利己心では、とうてい受容することができないものだという一方的な拒否宣言であり、「非科学的」とは、科学で説明困難な事象はすべて認めないとする不遜な独断にすぎないのだから。むしろ、「非現実的」と断罪された方こそ、地球規模という共時的視点や過去や伝統の血脈上にあるという通時的視点から、現実を多角的に見ることが可能なのであり、「非科学的」であると嘲笑された側こそが、科学の領域と世界の多様性を誠実に認識していることに他ならないのである。
 さて、そうであるが故に日蓮聖人の描出には、現実存在である人間としての強さが必要となる。日蓮のかしらはまさしくその意志の強さ、精神力をよく伝えた作りとなっている。玉男の遣い方もまた、例えば良弁僧正とはまるで異なるし、もちろん、俗中にあって俗に染まらぬ聖性の必要なことは言うまでもない。しかしこの場の玉男=日蓮だけがどれほど高くても、この段切りまでの運び如何で自ずから感動の質は異なってくる。そこで端場から検討をすすめることとしたい。
 中を千歳燕二郎だが、この約半世紀ぶりの上演の端場を任せられるのは、確かにこの両者であろう。そして期待に違わぬ出来。千歳が詞章をよく読んでいるのは、例えば庄屋が「内儀」を高く大きく言ってハッと気付き、「お袋内にか」は低く小さく、それはとりもなおさず「と言ふ声もひそめけば」の詞章を完璧に表現したものである。(残念なのは人形がそのレベルに達していないことで、文司遣う庄屋のかしらは高らかに呼ばわる振りのままであった。)燕二郎とのイキもよく、「それと言はずに奥の間へ行くを」のところの付き離れ抜群。これぞ浄瑠璃の醍醐味でもある。続く「待兼ね折よし」のカワリも鮮やかで実に心地よい。もちろん情を語るという浄瑠璃の神髄にあっても、本間、老母、経市三者の語りで涙を催させた実力は並大抵のものではないし、「如何様以前が思はるる」と言う本間の詞一つで、この家の勘作も老母も、金のためには何でもするという拝金主義者とは全く異なる存在であることを示したのは、そう簡単に出来ることではない。マクラからここまで丁寧に十分に勤めてきたからこそであり、総合評価として認められるところである。まあこれで端場らしくよりサラサラと運べれば申し分はないのだが、それは望蜀というものであろう。
 切場は綱大夫清二郎。ここもこのコンビ以外には考えられまい。幸い素浄瑠璃で語ったところでもあり、大いに期待されたのだ。まずマクラ「勇みて行く水の」をきちんと一の音へ落として締め、ハルフシの後「身もかね事に」のカワリで、舞台上には老婆一人であるが、これがお伝の地であると聞かせ、下手揚げ幕に目を向けさせる手腕はさすが切語りであり相三味線の実力証明である。そして勘作は確かに亡魂であったのだ。しかし、経市を巡る話から老母とお伝との緊迫したやりとりになると、語りの弱さが耳につき、「嫁女赦して下され」の詞も、「赦してたも勘作」の音遣いも効かず、老母自害の後、直ちにお伝の詞ノリになるため、ここまでの仕込みが不十分だとこたえず、勘作の死骸と仏間の鉦の音との行き来からお伝狂乱の部分も、今一つ力に欠け、三味線ももたつく箇所があった。そして大落シ「涙は軒の川水に」以下も、もちろん綱も清二郎も一杯なのだが、カンが利かず裏へ廻って逃げる声では如何ともし難い。お伝が身投げへと走るメリヤスでは、このあとで音を上げるための準備をした状態で弾くために、音がしっかりとこたえてこない。そして日蓮聖人の登場となるのだが、残念ながらその詞にも重み厚みと鋭さが不足していた。決して床が手を抜いているわけではない。が、この「勘作住家」は初演が東風豊竹座の筑前少掾である。むろんその風が残っているかは、今回三度聞いた限りの私の耳ごときものでは不分明なのだが、清二郎弾くところのオクリが常とは異なり、祖父藤蔵が山城の「熊谷陣屋」(同じく初演が筑前少掾)を弾いたときのものとそっくりで(しかしそれが東風三段目のオクリであるとは断定できない。古靭当時の「陣屋」清六の三味線のオクリはいわゆるオーソドックスなものであったから)、段切りのお伝のクドキもウレイではなくギンへ行っていたと聞こえたので、やはりこの曲は櫓下受領格にして初めて勤まるものであり、敢闘努力だけでは、段切り日蓮の奇跡が体を震わせるほどの力を以て、まさしく超現実的に迫ってくることは不可能ということではなかろうか。その点では「陣屋」よりも難物であるとも言えよう。今回貴重な演目とて床本を繰り返し読み、玉男文雀両師の人形を目の当たりにしながら、これが古靭清六の床ならばどうであろうかと、綱清二郎を手がかりに、頭の中にその音を鳴らしてみたりしている自分に気付き、やはり今一つ物足りない、歯がゆい、残念な思いを抱かざるを得なかったというのが、真実のところである。人形は玉男が別格。文雀が本当によく遣い、足腰の不安などものともせぬ、お伝の心で遣う人形であった。勘作の玉女も動けない役をよく持って、俯き加減の頬から顎のラインに悲しみが湛えられていた(簑太郎は凝りすぎて細かく反応しすぎ)。本間の玉也も孔明かしらがよく映っていたのは立派である。庄屋の文司も前述の至らなさはあるものの、又平かしらの可笑しみの中の慈愛を表現できていたのでよし。老母の勘寿は正面から下手へ向き直ったり、上手一間へ入るところの首の動きや肩板の使い方が艶めかしすぎるきらいはあったが、端場からの話の要としての役をよく勤めていた。それを映ると表現するのは勘寿には可哀想だろう。簑二郎も堅実。経市も弟子僧も、玉男文雀と同じ舞台で出遣いをしたという経験を生涯大切にしてもらいたいものである。
 

「勧進帳」

 所詮は妹格の歌舞伎から写した(ここが式三番と決定的に異なる)景事である。したがって細評にも及ばないところであるが、今回は団平−道八と繋がる作曲補曲の姿を、床の大夫三味線陣が気迫十分に表現し、人形も精一杯に勤めた故、それに敬意を表すべく若干の所見を述べてみることにする。
 シン弁慶の清治、余人の及ぶところにあらず。予想と期待に違わぬどころか、それを超えた充実ぶりに驚嘆。「露けき袖やしをるらん」に情感があったことと、「ついには泣かぬ弁慶も一期の涙ぞ殊勝なる」に至るところが胸にこたえたとのみ記しておく。これでこそシンの大夫三味線。あとは推して知るべきもの。二枚目富樫は咲富助、キリリとした聡明さと内から滲み出る慈愛とを描出できたと言ってよいだろう。「偽りならぬ先達の誠を見る上は、鎌倉殿への恐れもなし」にその真価が聞き取れたから。シンとの息も「互に形改むれば」までのところで証明済。三枚目義経の呂勢宗助、「木にも草にも心を置く、微運の我が身、げにや思ふこと侭ならぬこそ浮世なれ」に悲哀あって、図らずも涙で目が潤んだ。これでこそ「無念と落す涙の雫」の詞章が真実となるわけで、天晴れ両人である。以下ツレ陣も各自の責を果たした。なお、睦よりはつばさの方を買う。人形陣も大健闘。一般論として二三述べると、山伏姿の弁慶は烏帽子大紋に身を包んだ富樫と並ぶと小さく見えるのは理の当然だが、それを大きく遣って見せることができるかどうか。一つ一つの所作の始めと収めの部分を大きく遣うと、動きすぎてこせこせとする弊を免れ、型も美しく極まるのだが。富樫は「新関を建てて、山伏を堅く選み申せ」との大役を承った選抜官僚である。冒頭の名乗りで軽々しくかしらを動かしてはならないし、冷徹な詮議の役目と弁慶の行為を衷心衷情で感じ取る気高い精神性とが見て取られなければならない。いわゆる、いい男、かっこよさが一本通っている必要があるのだが。義経はあくまでも後ろへ陰へと控え目でなくてはならないが、その中に隠しきれない優美さと気品とが滲み出ていなければならない。といったところである。さて、景事の追い出しであるのだから、文吾玉幸の幹部格ではもったいない。弁慶簑太郎、富樫玉女で見てみたかった。義経は紋寿でお目付格としてそのままでもいいし、清之助なら同格。床は今回程度の力量を以てしないと、「人形歌舞伎」に堕する危険が大いにあるから、そのままで。というのが個人的見解である。
 

第三部

『夏祭浪花鑑』

 幸せな狂言である。夏公演三部制が続く以上、頻繁に上演されるわけだから。ただしその代償として、通しでかけられることはなく、同じことは「朝顔日記」にも言える。このことは実はとんでもなく不幸なことであるのかもしれない。

「鳥居前」
 口を津国と弥三郎。二人の雲助はよく映る。三婦もまず聞こえた。が、磯之丞は色男の感じなく、お梶も無個性。この辺り、声柄はさておいて工夫を重ねなければ、掛合大夫に押し込められる危険性も高くなってきた。さすがに浄瑠璃が身に付いてる世代だけに頑張ってもらいたい。三味線は「自由な堺街道を、大坂の方ら」のカワリ等も耳だってまずまずだが、大夫同様柔軟性を会得して、津団七の末を絶やさぬ使命をも自覚してもらいたい。
  立端場の奥を松香大夫が喜左衛門の三味線で語る。さぞ嬉しかろう。流石に三味線のリードがあればこそで、どうやら喜左衛門の真価はこういうところで十二分に発揮されるようである。冒頭部など、三味線を聞いているだけで詞章が手に取るようによくわかる。オクリが終結し、程なくざわつきだし、野次馬の頓狂声に、警固の役人が登場、という具合に。カワリ、間、足取り、さすがは年功である。松香は人物の語り分けも紛れることはなく、佐賀右衛門なども面白いのだが、団七徳兵衛やお梶の人物像が語りの中から湧き立ってくるというところまではなかなか。ともかくも今回は無事語り果せたということに尽きる。段切りの詞章「松の住吉、緑かはらぬ袖袂」とは、本来なら故緑大夫が語るべきところ、この松香もそれと変わらぬ語り振りを見せるはずだ、との象徴表現であろうかとも思われたのである。掛合のシンから奥語りへ、松香を取り巻く環境は必然的にそうさせるが如く動いているのだ…。人形についてはまとめて後述。

「三婦内」
 口を文字久喜一朗。初日はイキも合わず、間や足取りもちぐはぐだったが、日々勤めるうちに改善できるのは実力の付いてきた証拠である。文字久はマクラの地ももう少しで転落するという危なっかしいものだが、何とか浄瑠璃の枠の中へ収まっていた。あとは「扇ぐ片手に、コレ琴浦さん」のように地から色(を経て詞)になるところが不安定であるのと、三婦が映らないのは仕方がないとして、琴浦が傾城には聞こえず娘になってしまっているのとを、特に注意すべき点として挙げておく。
 切場住大夫錦糸。無駄な力もなく、前半と後半(「はや暮近く」から)で変化もあり、最初から最後まで、浄瑠璃の世界に身を任せることが出来た幸福、世話物は住大夫に限る。錦糸の三味線も自然体かつ上手い。思う壷の浄瑠璃。評にも何にも及ばず、劇場へ足を運んで耳を傾ければよいことだが、敢えて詳述しておくと、「ドリヤ焼物を焼立て」はおつぎの地だが太く重く語るのは口伝のあるところ。「立つ女房、表へ二十六七な」のカワリ、おつぎの詞が抜群で、お辰の会話も絶妙。そのお辰は色めき立っての変化と、「フン」など得も言われぬ妙味。三婦に関しては、お辰に言い訳するところ、言いにくそうだが心の中は寸分の遠慮もなく、「マアさう思うてくだあれ」の一言の何と冷徹なこと。ピシャリと断ち切って突き放す語り口は至上のものである。(人形の玉幸も平然と上手を向いて結構。)だからあのお辰でさえ一言もないのである。そのあとのお辰の任侠心と女心の哀切な表現も上々で、これでこそ「聞いておつぎも涙夫も涙の横手を打ち」という詞章が真実のものとして聞くものの胸に迫り、私自身もまた目を潤ませることになるのである。後半は悪者二人の生彩溢れる描写が驚くべきもので、数珠を切ることにした三婦と女房の会話、「元の釣船」になって強さ、等々、盆が廻るまで十二分に浄瑠璃の世界を堪能した。実に面白かった。
  跡は咲甫清志郎。まず三味線が大きく前へ出る音で気っぷもよく今後が楽しみ。大夫は耳障りのよい声なのだが、それを肚から素直に出さず、口腔で二三度こねくりまわすので、浄瑠璃とは別物になってしまう。あと、「琴浦が」以下「引別れ足早にこそ歩み行く」までの語りが歌うように流れて変化に乏しく、地地色色詞ノリ等の語り分けをもっともっと稽古してもらいたいものである。とはいえ初日と後日とでは進歩のあとが見えたから、今後の公演毎に期待しよう。
 人形の総括だが、三婦の玉幸はよく映り、今は市井の好々爺である老侠客の姿を納得させる遣いぶり。女房おつぎはその世話女房として活写した紋寿の安定感、鰺の焼物もさぞ旨かろう。団七を譲って徳兵衛へまわった文吾はさすがに大きさもあり、若さの爽快感も感じられた。その女房お辰は簑助の持ち役、鋭さよりもみずみずしくもまたしっとりと、シンのある奥床しさ。「表へ二十六七な」とある通り、現在なら三十代半ばという魅力的な女房に仕上げていた。やはり簑助は違う。お梶の一暢は市松の手を引いての出など風格もあったが、団七徳兵衛の喧嘩を収めるところは安易で手順に見えたし、徳兵衛を叱りつけるところも押しが欲しかった。磯之丞の勘寿は「据膳食わぬは」と言う割には大人しい。「鳥居前」ではその通りでも、琴浦との絡みは物足りない。その琴浦の和生だが、傾城つまり商売女としてはこれまた大人しい。おつぎに言われて磯之丞の手を取って行くところ、もっと露骨であってよいと思う。悪者二人の勘緑と清三郎、よく息があっており、動きもあざとからずして面白く、賞賛に値しよう。

「長町裏」
 玉男の義平次が絶妙。これを見ておかねば一生損をするとでもいうべきか。団七へ突っかかる間、強弱、そして型。最期の下座ドロドロで立ち上がるところも、あの表情のぞっとする恐ろしさは強烈。肚はもちろんだが、かしらの角度が最適であるからでもあろう。人形遣いの極み。団七は簑太郎(玉女は未見)だが、動きが大きく極まり型も美しい。「毒喰はば皿」からの舅殺しはもう一つ恐ろしさがほしいところ。脇腹を抉って池沼まで押して行くところも、玉男の義平次が後へ下がるのに付いて行ったように見えることもあった。が、花道の団七走りなどこの人なればこそで、故父勘十郎以来の荒物遣い誕生と言ってもよいだろう。何はともあれ、玉男の義平次に舞台上で直接鍛えてもらったという経験こそが、何にも増して重要なことなのである。床は伊達大夫の義平次が他人では決して代えられない逸品。単に露骨な嫌味を振り回すのではなく、道具屋で五十両をも騙るだけの悪知恵が働く小賢しい側面も踏まえた、悪ノリせず十二分な語り口は至宝の一つに数えてもよいはずだ。三味線の寛治は大きく豊かな音と間と足取りで、ともすれば先へ先へとつんのめり、コセついてしまう場を、しっかりとまとめた功績は偉大である。かつて叶太郎の三味線で聞いたときもそうだが、ここはいくら腕が回り鋭い音が出せるとしても、中堅以下では勤まらない一段であることを改めて実感した。そして今回特筆すべきは英大夫で、予想を遥かに上回る出来。番付を見てうーむと唸ったこともどこへやら、よく語っていると感心すること頻りであった。これで一皮剥けて切場への飛躍となるかどうか、次公演以降に期待がかかるというものである。

 なお、四月公演評で触れておいた劇場案内係の声掛けであるが、これはどうやら本物である。ボランテイアによる解説も盛況で、こういう面での観客サービスはずいぶんと向上している。花道の多用も観客のニーズに答えるものだと言ってもよい。ただし需要に任せて供給し、その欲望を満たし続けた結果が、環境破壊と地球の危機を招いたという歴然とした事実がある以上、国立側も心してかからないと、人形浄瑠璃にとって取り返しのつかない事態となることは自明のはずだ。これが杞憂で終わればよいのだが…。