平成十四年四月公演(前半13日、後半27日所見)  

通し狂言 『菅原伝授手習鑑』

「加茂堤」
 「大序」を省略することがどのような悪影響を及ぼすか、それについては種々述べてきたところでもあり、ここでは敢えて書かないが、この「加茂堤」が掛合になってしまうということもその一つである。結果、印象は散漫になるし、統一感による面白味は奪われ、もはや筋の仕込みとしての利用価値しか残されてはいない。必然的に各太夫が頑張るから、それが裏目へ出てしまうという皮肉な結果である。梅王松王は喧嘩腰に聞こえるし、苅屋姫と斎世の宮は声色作りに終始し、桜丸と八重を一段の心棒として語り押さえることも難しい。従って誠実に取り組んでいる各々(貴南都新始文字栄相子つばさ)についての細評は措くことにする。なお、その中で、南都が音遣いの点で以前に比して数段よくなったことは書き留めておく(もちろんまだまだ声色に傾く修行中の身であるし、段切も満足には至ってはいないが)。三味線は弥三郎の嫌みや癖がないという美点はこの掛合では活かされない。清太郎の引き締めた変化のある三味線が面白く、初恋の風情の描出も鮮やかに聞き取れたと感じた。
 人形はそれぞれ性根がよく表されていた(とりわけ、だんご三兄弟にも通じる梅松桜の個性が見出された)。

「筆法伝授」
 奥の荘重な伝授場の口としてうまく作ってある。勤める方とすれば希世をつかまえればよいわけだが、御台所の述懐まで行き届かせることができれば、端場は卒業であろう。その点今回の津国は今しばらく端場での修業が必要である。もちろんダメだというわけではないし、端場で執拗に語り込むなども許されないわけで、サラサラと筋立てを用意して、かつ前述の諸点を練り込めるかどうかということである。三味線は龍聿が鋭く小気味のいい捌き方だったが撥が皮に当たりすぎるきらいもある。清丈はどちらかといえば音の揺らぎと響きに幅のある方だろう。両者対照的で今後の成長が楽しみである。
 初段の切場を嶋清介で勤めるのは、一谷「敦盛出陣」での上出来も思い起こされて大いに期待したのだが、嶋大夫休演で代役は呂勢であった。一言で表現すれば、大でき。まあ菅丞相に関しては位負けしていたのは明らかだったが、今回の「伝授場」、源蔵(夫婦)に焦点を当てて(結果的にかもしれないが)、見事観客の胸にまで語り届かせたところを大いに賞賛してよかろうと思う(公演前半ではその片鱗、後半で現出)。そしてそれはまず清介の三味線のリードがあってのことである。マクラ一枚での境遇描写なども清介の三味線の見事な表現能力に負うところが大である。三味線の足取り、間、強弱、それらが詞章を完璧に弾ききっている。仮にこの部分の語りを消しても、三味線の音を聞いていれば(それでは行かない人も人形と併せ見れば)この夫婦がどういう境遇状態であり、四年後の今日のお召しにいかなる心持ちでこの屋敷へ現れたかが手に取るように了解されるであろう。もちろん実際にはその上に呂勢が詞章をしっかり読み込んで語っているのである。マクラでこうしっかりと押さえられ、伝授場を挟んで段切、思いの丈を吐露する件にかかると、源蔵(夫婦)の衷心衷情ひしひと応え(源蔵が見送る所、段切の哀切等々)、目を潤ませるまでに至るとは想像を越える出来であり、大序なく四段目で終わる今回公演の建て方ならば、なお一層その意味合いは大きさを増すというものである。呂勢が見事にこの代役を成功させたのは、やはり音遣いがこのクラスのどの大夫よりも抜きん出ているから。もちろん持ち前の耳障りのよい声もあるが、一、二の音が必要とされるこの切場で、音の幅が出てきたことも大きい。鰓や顎から喉の辺りにも随分と肉が付いてきたのではないか(これは後で述べる千歳にも言える)。ともかくも一段丸々聞いてまずは不安感違和感がない(呂勢、千歳、津駒、あとは英以上のクラスだから当然)というのが第一なのである。それでも今後のために書いておくと、御台所の詞で源蔵から戸浪への変化今一つ、戸浪の返答では笑いに卑屈さが欲しい、伝授場での丞相の威厳(これはまだ如何とも仕様がないが)、丞相の源蔵への勘当申し渡し「鋭き御声」今一つ(もちろんここは叱り飛ばして品格を失うという言語道断の愚を犯すことはなかった)、希世は悪ノリしなかったのはよいが軽妙な端役の処理には工夫が必要、といったところだろうか。ともかくも今回、常ならば切語りの荘重な「伝授場」を聴いて堪能する代わりに、この初段切場「筆法伝授」の音曲的構成が洗い出されたことと、その結果でもあるが、源蔵(夫婦)の焦点化が見事に成されたことと、そして、三味線清介の実力を再認識したこととが大きな収穫であった。もちろん一番は、代役呂勢の成功による次(々)代切語りへの期待感が得られたことであるが。
 人形陣は、玉男師菅丞相の白装束と不動と。一暢の源蔵が実にすばらしく、これは床の語りとも相まって公演後半とりわけ胸に響いてきた。勘寿の戸浪、御台所(亀次…このクラスも今や番付を見ずに了解できる人々が存在してきている)もそれに比しての好演。希世は文司がやはり悪ノリせずにきちんと詞章を読み込んで遣うべき所で遣ったのが評価できるが、それでもキャラクター設定として笑いを取れるところは取ってもらいたい(最後縛られた机が邪魔で縦にして逃げ入るところなど今一つ動作の意味が不鮮明)。

「築地」
 文字久は前回に比して確実に腕を上げている。ここが跡場ということもよく心得ていて、マクレ気味になるのはそのためでもあろう。が、まだまだ変化に乏しく、冒頭の地から梅王の「待たれぬ…」へ、その逆の「御台様へこの様子を」から「館の騒動門外には」への移りが不分明であり、段切近く「胸は開けど開かぬ御門」も不十分である。それとガ行音が耳だって不愉快で、これは早く改善してもらいたい。あと、大声強音の割には浄瑠璃がパアーッと外へ出てこないのと、地の音遣いがどうも浄瑠璃の発声ではなく歌謡的であるのが気に掛かる。いずれも今の間に何とかせねば、後々文字久にとっての致命傷にもなりかねない。いやこれは彼の個性だとして聞く人もいるかもしれないが、一本調子気味の太夫が持つ味ではなく、明らかに現代の太夫が抱える問題点に属するものであるだろう。これほどまで書くのも、住大夫師の代役まで勤めて次々代を支える太夫の一人になるはずだとの思いがあるからである。三味線は喜一朗がやはり音の面からもすばらしく、団吾は間や足取りの変化など、ここまで弾けるようになったかと喜ばしく思われた。
 なお、人形では荒島主税を後半遣ったの(勘禄)が、安手の端敵らしい動作を活写していた。ただしここらは目立って遣えばよいというものではないゆえ、若手人形遣いはくれぐれも誤解のないようにしていただきたい。

「杖折檻」
 公演前半所見では調子が低いように思われた咲大夫富助だが、立端場の格をふまえた奏演である。このレベルの床になると、きっちり語っても当たり前に聞こえるから、何とも評しようがない。早く切場を毎公演勤めて、それを聴いた評を認めるようになりたいものである。人形は後述。

「東天紅」
 津駒清友がきちんと役目を果たす。ここら辺りで修行を積み重ねていけばあとは切場である。土師兵衛を老人らしく聞かすためにゆっくり語ったのは如何かと思われたが、それも公演後半には改善されていた。それでも今少し自然に語れればとは思うが、それは年輪が解決してくれるであろう。
 人形は何と言っても簑太郎の宿禰太郎が秀逸。一体にこの宿禰太郎という人物造形は簡単ではない。安手の端敵でよいように思われるが(かしらも陀羅助であるし)、切場の前半までちゃんと描き込まれて仕事が与えられているし、覚寿の口からも「憎いながらも不憫な死に様」と語られる男である。少なくとも丹波屋八右衛門以上ではある。赤襦袢に朱鞘の大小というのもポイントで、油屋九平次のように一向似合わぬ粋気取りというのではない。それに洒落気もあるし、「それは気遣ひし給ふべからず」の言い回しなど、むしろ気散じな男と感じられる。それが土師兵衛の言う出世話に乗せられて、気付いたらもう後戻りが出来ない所まで来ていた(太郎自身そう顧みることはなかったろうが)、というよりも、その場その場その時その時の対応をしていると、行き着くべき所へ行き着いたということなのである。公演前半の簑太郎はまさにその親の言うがままに、妻である立田前までも手に掛けることになったという遣い方であった。公演後半になると基本はそのままだが、実際手を下す段など、太郎の主体的行為でもあることをより明快に表現する手法を取っていた。どちらも十分頷けるわけで、ここらの読みの深さ多様さが簑太郎の面白味である。土師兵衛の玉也もかしらの性根がよく表現され、癖のあるワキ役やチャリがかった役は今や持ち役である。作十郎の引退もあり、ますますその重要度は増してこよう。両者ともに「親子が悦び」の動き等、ドタバタにならず大きくかつ鮮やかであった。立田前は公演後半の方(簑二郎)が気働きのする姉の趣をよく出していた。前半の方(玉英)も正格なのだが、この方の遣う個性はまた別のところで輝くはずであろう。

「丞相名残」
 木像でない本物の菅丞相が姿を現すまでの前半が難物である。丞相が暫時の睡眠の間に事件の一部始終を仕込んでおくという意味合いだけであろうはずもなく、とはいえ大事件が展開するという壮大さを見せるのでもない。では木像の奇跡に焦点を当てるべきなのか。いやその縁起次第はこの後の話である。するとやはり丞相の詞の如く「窺ひ見れば兵衛が工み、太郎が仕業、立田前ははかなき最期、伯母御の心底」を「かかる嘆きもあるまじ」と、観客の衷心衷情としても沁み渡らせるということであろう。一貴人の流罪が日常市井の人々の生活にもたらしたもの、それを人生というドラマだと呼ぶとするならば、政治の世界・時代の流れという大きな歯車が、河内土師村で生涯を送ろうとする人々の小さな歯車に噛み合ってどうしようもない力で回して行く、との謂いであろう。後から振り返れば菅丞相に関わる種々の縁起として収斂されることになろうが、それは実際にその時間空間を精一杯回っている小歯車の知るはずもないことである。庭上に残されたままの二つの死骸がそのことを象徴しているともいえよう。従ってその小歯車の回転がその時その場において自然な日常(結果としては非日常である)として眼前に展開していくことが、この一段前半の床と手摺の仕事であることになる。この切場一段は政太夫風ということであるが、さもありなん。派手に鮮やかに美しくは語られぬものなのである。清治は、山城清六の奏演を一つの手本にしているのであろうが、かかる難物をまずは手中に収め引き締まって進んだのは立派である。後半は二カ所の道明寺縁起が威厳と品格を持って表現されていた(玉男師の菅丞相ゆえでもある)し、覚寿の人間味ある情愛と丞相名残の思いが、全一音上がって(ここにある問題については「寺子屋」の後場で詳述)の三味線清治の妙音(とりわけ公演前半所見時)の上に語られていた。神格化される菅丞相と、父親として左遷される者としての人間道真とがともに描出され、段切の足取り間等々の捌き方も見事で、切語り立三味線格としての力量十分としてよいだろう。
 人形は玉男師の菅丞相が人間道真を前面に出した遣い方で、木像の縁起以降各所で見られたその視線、中空に漂いその先にあるものを見極めようとする視線に、まさしく名残の哀感を見たし、段切の覚寿ならびに苅屋姫(伏籠)とのやり取りには実に優しく温かい心が感じられ、玉男師名残の段でもあったように思われた。もちろん木像はまさしく自働人形の如くであったことは言うまでもない。文雀師の覚寿はいよいよ滋味あふれる優しさに満ちたもので、髻払うところの哀感もこれでこそ「判官輝国大きに感じ」となるものであり、段切も何とか丞相に一目会わせようとの心遣いはそれとして、丞相の御詠歌を伏籠へ差し入れる所作等、苅屋姫への心の働きがとりわけ情愛豊かになされていた(宿禰太郎の悪事を見破るところも丁寧な動きで納得がいくが、なれば「アヽ嬉しや」で驚く必要はないだろうとも考えられる。先に褄先の照合でハッとしているのだから)。苅屋姫の清之助はひたすら悲しみの中にあるがそれも当然で、「道行」「汐待」を出さずの二段目ゆえである。品のある遣いぶりは言わずもがな。早く豊松清十郎を襲名してもらいたいものである。輝国の紋寿もワキ固めとして相応であった。
  なお、最後に気になる点を一つ。幕が引かれるに際して、浄瑠璃が語り終わられて盆が回った後も人形が残っているのは如何なものか。柝頭と引幕の責任なのかもしれないが、今回あまりにも遅すぎた。柝頭は観客を現実世界に引き戻す役割があるので、それが床や手摺との間に齟齬があると、悪いタイミングで揺り起こされたが如く、実に寝起きの悪い状態に陥ってしまうのである。人形の極り型と床の奏演終了と、柝を刻む音とともに幕を引くこととが、ピタリとこなければならない。どうも近年その柝頭が床の奏演から手摺に沿ったタイミングとなり、かつ、それにも余って人形の所作がさらに続けられるようになってきているのだが、これはやはりもう一度原点に立ち返るべき必要があろうと思う。

「車曳」
 ここは歌舞伎ならずとも楽しめる一段である。人形は立役級が登場するわけだし、床も他段と重複してこの掛合を勤める(例の国立通しでは津越路南部相生文字、三味線勝太郎)ので、オマケ的な面白みもあるのだが、近年はどうもそうではなさそうである。掛合ゆえに人数をさばける一段として使われているのが明白なのである。今回も公演前半の出来などはひどいもので、眉を開くどころか眉に皺という有様であった。ところが、公演後半に聞いてみるとその諸難点がきちんと克服されていたから、これならばよかろうと思い直すこととなったのである。まず千歳の梅王が文字通り花の兄としての貫禄を示すに至ったことだが、最も改善されたのが桜丸の咲甫である。「事納まりしと言ひながら、納まらぬは我が身の上」の変化、「拳を握り歯を喰ひ締め、先非を悔いたるその有様」の無念、「讒言によつて御沈落」の表現、等々、いけませんと感じたものがことごとく立て直されていたので、その心がけ・姿勢と日々の稽古に対して賞賛を贈るものである。杉王の睦もより率直な語り口となって好感が持てたし、三輪の松王はやはり地に不安があるが詞はさすがに性根が通う。時平大臣は津国で、突っ張りはいいとしても恐ろしいまでの重みと圧力が今一つ、大笑いも溜めが効かないので一本調子なのだが、それでも公演後半には客席から自然に手が鳴ったので、努力の甲斐はあったというべきだろう。三味線は喜左衛門が指導方よろしく要所を引き締めているが、公演前半から完成された姿にしておいてもらいたいものである。
 人形は、玉女の梅王が長兄で理屈っぽいというかっちりとした人物造形をし、和生の桜丸も生ぬるこい色男が底にある。文吾の松王はここでは溌剌たる若さと力感とを見せたし、玉輝の時平も大きく遣えていたが、憎々しいまでの見下す威光は及ばなかったかもしれない。大序が割愛されているから時平の性根を掴みにくかったろうと同情はする。
 全体としてこの一段は余技的に楽しんで勤めてもらいたいものだ。そのためにはやはりそれなりの三業陣を配すべきだろうが、それだけの陣容が現状では、というところであろう。その意味ではこの一段、現状バロメータの役割をも兼ねていると言えよう。

「茶筅酒」
 相生大夫今はなく、小松大夫も無理とあれば、松香の役場であろう。三味線団七とのコンビは味わいが滲み出る可能性もある。今回そのよい面が聞かれたのは慶祝である。「春先は」のハルフシが不安定で如何と思わせたが、十作の出から調子付いて白太夫の詞にも動きがあり、八重との共笑いも、これが後に共泣きすることになるその対照としての意味も感じられた。三人の嫁に関してはより細密な描き方もあろうが、春先ののんびりした端場でもあるし、むしろ語り込まないのがよいのだろう。三本の愛樹に辞宜するところで、桜には哀感が込められていたし、ともかくここでは「機嫌よう表を」さして出でて行く白太夫である。団七も料理拵えのメリヤス心地よく、一段全体の雰囲気もよく描き出しており、オクリまですっと聞けたのが何より成功の証左であろう。
 人形は、十作の玉也が軽々と活写して見せたのが快かった。三人の女房も簑太郎春の落ち着き、簑助師千代の底にある翳の表現、紋寿八重の無心な新妻ぶりと、それぞれの味が出ていた。一暢の白太夫は映るというには未だしであるが、性根はとらえている。

「喧嘩」
 緑呂そして英津駒から今回は千歳の役場。それが切場の代役へ回って、ここは文字久が勤める。文字通り中堅陣への関門関所となったのだが、どうやら公演後半には何とか通過したとしてよいだろう。松王に比そうとして梅王が軽々しくなるところと、二人の女房が必死に止める地の部分の処理とを、乗り切ったと聞こえたから。もちろん至らないところもあるが、それは「築地」で詳細に述べたことでもあるし、ともかくこの一段は力一杯によく勤めたのである。三味線の宗助は申し分なしの一語に尽きる。人形も文吾松王と玉女梅王との対比も面白く、喧嘩場も力が入っていた。

「桜丸切腹」
 住大夫休演につき千歳が代役。住大夫錦糸でのこの一段、とりわけ前半は聞きものであるゆえに残念である。その千歳は公演前半は声を痛めていたこともあって冴えなかったが、公演後半は見違え聞き違えるが如きであった。それでもいわゆる訴訟の段はやはり千歳では映らない。しかし逆に白太夫を声色で処理しようなどとしなかったことが好結果をもたらした。「唾を呑み込んで奥へ行く」など、桜丸切腹の用意を整えに行く白太夫の姿が語り出されていた。今回千歳はまず音遣いの巧みさもあって八重の表現が群を抜いており、冒頭「つぶつぶ読むも口の内」の後(ここの錦糸の三味線チチンのカワリと哀感、抜群であった)「願ひは何やら聞こへねど」以下「小首傾け案じゐる」までで、まず聴く者の心をとらえたのは驚くばかりである。また、白太夫再登場時「出づるも老の足弱車、舎人桜が前に置き」の掛詞に気付かされてはっとしたのは今回初めてのことであった。白太夫が映らない分は桜丸と八重で客席を引き付け、いわゆるジワジワが来たのではと思わせる出来、柝頭で大当たりの声が飛んだのもあながち贔屓筋とは言えないだろう。とはいえまだまだ悪い癖も残されている。高音部が苦しくべちゃついて耳障りになるところ、高い音は稽古に稽古を積めば出るようになるものだから、今ならまだ何とか間に合うはず。力が入ると途端に浄瑠璃が汚くなるのも耳立つところだ。あと、科白を地色や地で処理するところの語り口がこれでいいのかどうかだが、これは難しいところで何とも言いかねる。しかしもはや次(々)代の切語り、修業を怠ることなく、一層の高みを目指してもらいたいものである。三味線の錦糸については一部前述もしたが、とにかく神経が行き届いたもので、千歳の音遣いとともに心理の襞に分け入るが如き趣があった。今回このコンビに新しい時代の浄瑠璃を聞いたような気さえしたのである。これが定着してもっとサラサラと運ぶようなことにでもなれば、一時代を築くことになるだろうと予言してもよいくらいだ。住大夫の相三味線としてこれまで弾いてきたことの成果力量が、今回実に鮮やかに聞こえてきたものである。「伝授場」の清介とともにあらためて感服感心した。
 人形陣は、紋寿八重の可憐第一、和生の桜丸は動かずに品位を出すが、思いをどこまでどうやって表に出すかは今後の宿題である。玉女梅王と簑太郎春の夫婦には次代ゴールデンコンビの姿を見たような思いがした。そして一暢の白太夫は映るとまでは言えないが、悲哀に真実味があって段切も存在感を見せた。全体として床と併せて上出来の『菅原』三段目切場であったとしてよいだろう。

「天拝山」
 映るといえばこの場の白太夫ほど伊達大夫にぴったりくるものはない。住職はもとより、端敵鷲塚平馬も活写。菅丞相面落ちしてからの怒りも確かに聞き届かせた。しかしながら難声はまた一段(公演後半はとりわけ)、二首の和歌による飛梅縁起などは如何ともし難く、冒頭の三下り唄からマクラ一枚でこの一段の設定をするという具合にもいかなかった。こういう場合は寛治師の三味線を辿ってゆくとよい。その表現から一段の構成と意味が聞こえてくるのだから。が何としても、ここを古靱太夫が勤めたという義太夫年表の記事の時代に戻って、文楽座の客席にこの身を預けたいものである。菅丞相の件がどれほどに語られていたのか、そして初演に勤めた政太夫の風を聞き取ることができたのか、確かめたいという欲求に駆られるのだ。
 人形は玉男師菅丞相怒りの恐ろしさ。面落ちの仕掛けではあるが、それに心を吹き込むものは人形遣いである。あの目は今思い出しても身震いがするほどであった。玉男師一世一代天帝への祈誓である。あと、鷲塚の詞「時平殿は王位の望み」で驚かず、「菅丞相の首取つて立ち帰れ」で驚くのは、先に梅王の間接話法『菅丞相を殺しに来た』があり、後に自ら「王位を望む朝敵」と語ることからも如何と思われるのだが、これは床で詞章を語るタイミングからして、どうにもそうは遣いにくいからであろう。なお、下座の鐘太鼓による雷電の表現は実に巧みであった。下手な効果音など無用の証明である。

「寺入り」
 呂勢の本役。「一筆啓上候べくの男が肩に堺重」の変化、戸浪と千代との性根をふまえた語り分け、「大きな形して後追ふのか」「後追ふ子にも引かさるる」の哀感、これらが出来ていればこの端場は立派な完成品である。三味線は清志郎(快速調よし)も清馗も問題ない。

「寺子屋」
 綱大夫清二郎。名作なり、幾度も覚えるほど聞いていることもあり、いわゆる芸談で語られている諸眼目はしっかり押さえられているので繰り返さない。今回とりわけ特徴的だった諸点のみ記しておく。「きつと見るより暫くは打ち守りゐたりしが」十二分の気合で、身代り決意の肚を探る源蔵を表現、寺子が連れ立って帰るところが実に面白くたっぷり聞かせる、そして首実検に緊迫感あり、客席で息を詰めたこと数回。反面、源蔵戸浪の「せまじきものは宮仕へ」に収斂される始終はやや物足りなく感じた。三味線の清二郎が公演前半やや拘りすぎの箇所もあったのだが、後半には鋭く大きく前に出る三味線で充実していた。
 後を英燕二郎が勤める。もう立派なもので、あとは切場前半をいつでも勤められるべくしておくことだろう。重からず粘らず、そして松王の述懐と泣き笑いがこちらの胸に応えてきたのだから、実力の程は確認された。いろは送りも結構。その中で三味線の燕二郎に関して一点だけ。「ハッと答へて家来共」から全一音上がり、しかも段切がいろは送りだから、駒を取り替えて妙音に備えるのは当然のことである。そこで、その準備をどこでするかと言えば、長い詞の部分、すなわち松王の泣き笑いの前ということになる。それはどの三味線弾きも変わりはない。しかしそこで駒を軽くすると、当然そこから全一音上がるまでの間が今度は逆に影響を受けることになる。つまり、この後場での眼目の一つ、松王が桜丸に喩えて一子小太郎の死を嘆くところが、弾き方によっては軽々しく聞こえてしまうということである。実際、公演前半ではポコポコと安手に聞こえ、しかも段切いろは送りも、サワリが付きすぎてジャラジャラした音になってしまったのは遺憾であった。後半は心したのであろう、愁嘆も気合を入れて弾き、いろは送りも実に妙音で堪能することが出来た。(なお、同じことが「丞相名残」にも当てはまり、「又改むる暇乞ひ」から全一音上がる準備を、菅丞相の詞「菅丞相が三度まで」以下ですることになるのだが、その結果、道明寺木像の縁起という最重要の部分が影響を受けることになるのである。清治はその点よく心得ているようだ。なお、ホームページの補完計画で用いた国立劇場公演において、「寺子屋」の弥七「道明寺」の喜左衛門ともに用意をしていたが、その弊を免れていたのは流石である。三味線弾きとしては当然の心得なのかも知れない。)
 人形は、簑助師の千代が際立って遣い方の違いを見せ、独壇場である。文吾の松王はその個性として実に人間的であり、すなわち小太郎を身代りにすることに堪え得ざる心情がそこここに顔を出している。机の数を改め「ナニ馬鹿な」との叱咤、「奥にはばつたり首討つ音」での反射的所作、早速首桶に手を掛けるが源蔵に抑えられるところ、「蓋引き開けた首は小太郎」と「紛ひなし相違なし」で蓋を閉めるところ、そして「首受け取り玄蕃は館へ」の後ろ姿を見送るところ。文吾の松王ならばこうだろうと思う。もちろん玄蕃や源蔵戸浪に悟られるような所作ではない。我が子を犠牲にする悲哀はその時その場に応じて思わず滲み出るものだということである。よく、芝居の底を割るという言い方がされるが、それには当たらない。むしろそういう意味の芝居作りなのである。一暢の源蔵は、初段での心情吐露と気合充実が効いているから、それがこの四段目の仕込みとなって結構な出来。もっとも、人形の型や動き自体としては甘いところも散見されたが。勘寿の戸浪はあくまでも夫源蔵に寄り添う形、千代との対面などでは片田舎は寺子屋師匠の妻としての世話ぶりがよく描かれていた。玄蕃は公演後半の方(玉志)に丸目の金時らしい豪快さが垣間見られた。御台所は初段から終始品良く遣う(「北嵯峨」があると面白いのだが)。菅秀才同断(五段目が付くと動けるもの)。なお、よだれくり他の手習子連中は、悪ノリ手前でとどまったとしておく。くれぐれも切場ヲクリからマクラ一枚で笑いを取るようなマネはしないことである。

  最後に一点だけ。人形浄瑠璃芝居はライヴだから、その日その時によって出来も印象も異なるのは当然であるが、それにしてもここのところ、どうも何か目に見えない薄い膜が劇場全体(床手摺客席)を覆っていて、感激や感動の発露を妨げているようで変だなと、不完全燃焼のまま劇場をあとにすることがあったのだが(同じことを東京国立でも経験したと言う声を聞いている)、今回も13日に出かけた際にそういう感じを持ったのである。単なる偶然あるいは勝手な錯覚ならばそれはそれで当方の未熟ゆえなのだろうが、何かこう白々とした雰囲気がもしそこここで他の人々にも感じられるようならば、非常に気になるところなのである。もちろん、27日はそれを補って余りある満足感を持って劇場をあとにすることができたのであるが…。