平成十四年一月公演(前半12日、後半19日所見)  

第一部

『寿柱立万歳』

 いつの間にか初春公演恒例となった寿物だが、そうである以上、観客をその気にさせてもらわなくては。ところが、公演前半は人形がまあまあであったものの、床がさっぱりで、「祝ひ疲れて両人はまたの御見を待乳山」どころか、こっちの方が疲れて、もう結構という状態であった。大夫の千歳は万歳を意識しすぎてくだけすぎ、才三の津国は逆に堅すぎて面白からず、とりかへばやの感があった。その上、三味線シンの団七が、張りも冴えもとくには感じられない(まあそれも役が役だから)普通の弾き方であったものだから、当方はまるっきり仏頂面で終始したのであった。とはいえ、公演後半はそれらもまずは解消されたからよしとすべきか。人形の大夫勘寿と才三一暢も、充実ぶりを見せたので、ようやく新春を言祝ぐ気分になれたのである。もっとも、それも小正月も過ぎた頃になってからだったが。それから、万歳には違いないが、柱を立てるのは神々の御社ということもあり、伝統的日本の正月が持つ、清新な厳粛さとでもいうものが表現として内包されていないと、それこそ手拭い撒きの前座程度にしか感じられなくなるというものだ。それにしても、千歳大夫のこのところの停滞ぶりはどうしたことだろう。何かこう勘違いをしているような語り口もあり、越路師匠の教訓如何にと思われるのである。

『国性爺合戦』

「平戸浜」
 実質的に『国性爺』の大序に値するものとなっている。浅葱幕に道行・景事風の所作もあり、貝尽くしの詞章に節付けも心地よく、漁夫の利を眼前見せるのも面白い。和藤内の人物像が描き出されれば、あとは女房小むつの前へ出る性格が見えればよい。その点で松香に喜左衛門、三輪(地の音遣いは除く)に宗助はそれぞれ合格だろう。喜左衛門の中堅若手指導は今回もまたしっかりしている。和藤内の人形簑太郎玉女ともに十分だが、簑太郎が「男の心かはらぬ証拠命にかけて頼み入る」で見せた視線の鋭さ真実味は特筆すべきもので、この人の細密な詞章解釈の一端が鮮やかに現れたものと言ってよいだろう。小むつの和生は今少し動いてもとは思うが、問題にするほどのことではない。その他、貴の老一官は年功がある。文字久が老婆の声には聞こえなかったことと、南都が声色に終始していたこととが難点であったが、前者は写実を、後者は音遣いを修得することで、いずれは解消されるはずである。慢心を戒め調子に乗らず確実に稽古に稽古を積み重ねてもらいたいものである。あと、喜一朗の三味線がぽこぽこと、サワリと駒の調整がどうかなと聞こえた日があったのだが、聞き誤りかもしれない。

「千里ヶ竹」
 感想文士の記事にも書かれている通り、ここはまあ人形の見せ場であろう。観客をリアルタイムの劇中に引っぱり込む(芸の力で演劇空間に引き込むというのとは全く別)という手法が当たり前になってしまった今日において、ぬいぐるみの虎(今回可愛らしさから猛々しさへ脱却成功)のサービス精神は、歓迎こそすれ非難されるはずもないものである。やる以上は徹底してやることで結果が出る。実際、手摺から前へ飛び出してきたときには、その圧倒的迫力に一瞬ドキリとしたほどである。そして人形ということでは、和藤内を遣う簑太郎玉女のすばらしさを真っ先に挙げるべきであろう。天照大神の札で虎を踏み従えるところ、三村幸一氏の写真で見て期待すれども、劇場の椅子に座っては未体験だったのだが、今回自然に拍手がわきおこった。とりわけ玉女にはより大きさと力感までもが感じられ、次代座頭格の展望が見えたようにも思われたのである。安大人の玉也もよく性根をふまえた遣い方で、作十郎の後を襲う地位にいる。床は御簾内の呂勢清太郎には軽々だが、呂勢は文字久よりも一段上であることを再確認した。もちろん、声質・耳ざわりという点からではない。音を遣うという決定的なところで優っているからである。さて、奥の伊達清友にはもってこいの一段。切っ先鋭く切り込むのでなく、御伽草子を語り弾くが如きはこの両人の最も好ましい一面である。

「楼門」
 これまで、織、嶋、呂、咲とこの浄瑠璃をごく当たり前に聞いてきて、大和風といわれるものもなんとなく分かりかけてきた(例えば、「琴責」の冒頭部分との相似性)のだったが、今回津駒のを聞いて、これほど違うものかと、厳しい言い方をすれば、これがあの「楼門」かと愕然としてしまったのである。結局それは「音遣い」がなされているかどうかに尽きよう。思えば、故(という接頭辞を冠せねばならない無念さをあらためて痛感した)呂−咲とその下の世代との間にある大きな断層を今回はっきりと見せつけられたような気がする(もちろんこれまでにも、同じ津駒の「大和屋」なんかでそう感じたことはあったのだが)。これこそ義太夫浄瑠璃が迎えた究極の危機と言えるかもしれない。これが断絶してしまえば、もはや床は人形の説明係(ならばもっとわかりやすい言葉でさっさとやれ、ということにまで必然的に至るだろう)以上の何ものでもなくなってしまう。その時にはもちろん私の劇場通いも断絶し、このHPの劇評もまた、かつて存在していた義太夫浄瑠璃の分析と感動を記録に残す場となるであろう。とはいえ別に津駒が悪いというわけではない。後半錦祥女のクドキになると、声質とも相まって、俄然こちらの琴線に響いてきたのであり、門外と楼門上とでの父娘再会の涙は確かに「鉄砲の火縄もしめるばかりなり」であった。そして今回の「楼門」で特筆すべきは寛治の三味線である。前述の感動も寛治の三味線によって導き出されたものであることは、錦祥女が老一官のほくろを確認した後、「便りを聞かん導べもなく東の果てと聞くからに」の三味線が、それはもうきらきらと輝き出でるが如き、音が五色の玉となって飛び散るが如き流麗華麗さで、この体験はSPレコード鑑賞会で豊澤仙糸の三味線(七色の玉)を聞いて以来である。もちろん両者とも彦六(近松)系の三味線、団平直系の三味線である。そして「小国なれども日本は男も女も義は捨てず」の全一音上がる前後からはますます冴え渡り、「心を付けてご覧ぜよさらばさらば」に至っては、もう心身ともに三味線に掬い取られて快感に宙を漂うような至高の喜びに包まれたのである。このような体験が劇場の椅子に座ってリアルタイムにできるなどとは思ってもみなかった。そしてこの先もうないであろう。とはいえ、三味線は太夫の女房役であるということもまた、この寛治の三味線で実に納得させられたのである。それは公演後半で津駒がさすがにへたって来ているなあと感じた日、ちゃんとセーブして語りを妨げるようなことのないように弾いていたのだから。最後に、これは近松の時代物であり、それに共通するある語り口がここにも聞き取ることができるのだ。以前「吃又」の劇評でも述べたことだが、卜書きに当たる部分を詞でズッと言ってしまうというものである。具体的には「一官小声になり」「一官両手を上げて」の箇所である。普通の浄瑠璃では、そこを色にするか、そこで三味線のチン一撥を入れて次を色にしその後から詞として語るであろう。当然津駒もズッと言おうとしているのであるが、そのことをどれだけ意識しているのか、いささか弱いように聞き取れた。こういうところまできちんと入っていた呂−咲クラスとの距離を縮めるには、それは文字通り義太夫浄瑠璃に命を捧げるほどでなければ叶わぬことであろう。以上、今回の津駒には敢闘賞を贈呈したいと思う。黒一色の肩衣でその覚悟の程を示しただけのことはあったのだ。人形だが、玉幸の老一官がよく映り、対面の場も情愛深く、文句のないレベルであった。他は後述。

「甘輝館」
 いつ聞いてもこの西風の引き締まった浄瑠璃は魂を清浄にしてくれる。住錦糸も何回目かになるが、立派なものである。詳述に及ぶまい。しかしこの浄瑠璃、少しでも弛んで普通の浄瑠璃になってしまうと、たちまち客席を睡魔の気配が覆うのは恐ろしいばかりである。さて、今回は人形に目を見張るものがあったので触れておきたい。まず文吾の甘輝、予想以上の出来で、これは座頭格の遣い方といってもよいほどであった。それが自然にとまでは行かない(可能なのは玉男師だけ)ものの、「五常軍甘輝と名に負ふその物体」の詞章からそのまま性根をよく捉え、丸本をよく読み、玉男師の研究もしたのであろう、細部にまで神経が行き届いた、それはもう感心頻りの立派な立役であった。しかも、文吾の特徴である日常的な面が意外なところで意外な働きを生み出すことにもなったのだ。それは冒頭下手から登場したところで、何かしらいそいそと勇んだ、心に高まる喜びがあるように見えたのだが、それもそのはず、「家の面目これに過ぎず」との加増昇進任命の褒賞を受けての帰りなのだから。見事と言うよりは実に自然な表現の為せる技であろう。次に文雀の老婆、「唐猫」の件がこれほど鮮明にしかも胸に応えたことはなかった。後ろ手に縛られ口で喰い付く一連の所作は、眼前情愛のこぼれんばかり。そして「屍は異国にさらすとも魂は日本に導き給へ」で眼差し遥かに漂わす真実心の崇高さを見た思いがしたのであった。簑助の錦祥女も、「いで紅粉といて流さん」に死を決した覚悟を感じさせ(公演前半の日はとくになし)、持ち役の充実ぶりを見せた。

「獅子ヶ城」
 清治である。余人はない。錦祥女と老母の情愛義心を中心に置き、甘輝和藤内の力強さ大きさはもとより、近松時代物三段目の終結部を勤め果たした。人形は和藤内の簑太郎、玉女に尽きるが、カンヌキといい石投げといい、両者ともにその極まり型が美しく見事なものであった。ここでも力感大きさは玉女にあるが、「まづ母は安穏嬉しや」の詞章を、忙しい動きの中で、きちんと確認して見せてから母の縛り縄をほどいた簑太郎の読み込みの深さ繊細さもまた特筆すべきものである。今回のダブルキャストは人形の次代を担う両雄がっぷり四つに組んだ中にも、それぞれの個性が現れた見応えのあるものであった。

第二部

『嬢景清八嶋日記』

「花菱屋」
 1/19の昼の部は補助席が出ていた。簑助はもちろん住大夫も出ない部で補助席が出るというのは、かつてないことである。これはとりもなおさず、この『盲目景清』がお目当てということであり、確かに今回の公演中随一の出来であったこともまた事実なのである。さて、この「花菱屋」は一時間近くの長さに加えて、段切りに全一音上がることもあって、なかなか語り応えがある。しかし、あくまでも「日向嶋」へのお膳立ての一段であるから、たっぷり語ったりなんかすると、お客がたちまち倦んでくるという厄介なものでもある。それならば、主人夫婦を好々爺と悪婆の好対照にして又平かしらの左治太夫で儲けようとすればどうなるか。なるほど面白い一段に客席もどよめくだろうが、「日向嶋」端場としての意味が全く見失われてしまう。主人夫婦の表現は「帯屋」はもとより「八百屋」のそれでもない。花菱屋長は看経に余念なきも白人屋の亭主であり、「鎌倉海道にまたあるまじき親仁なり」と呼ばれる男である。女房は「欲面が引張れどもさすがは女性、鬼神程にむごうもない」し、段切りで「なに言ふも皆長殿よかれおれよかれ」「五年の年を餞別」と羽織を渡す人性。左治太夫は肝煎りであり「陽気とこの男と一口の仰せはお情けない」と自ら語るが如く「詞も顔の色品も偽りならず見えにける」と詞章にある通りの人物である。こういった人々の中へ娘糸滝が身を売ろうと登場してくる。そしてその人々の善意と想像力によって、彼女は念願通り日向の国へ父景清との対面に出かけていくことが可能になるのである。ここには一人の悪人も登場しない。それぞれがそれぞれの性格立場に応じて、この娘一人を日向へと旅立たせてやるのである。そこには人間と人間、複雑な自己他者関係の絡み合いの中で成立している、まさに人間(じんかん)としての世間・社会が描かれているのであり、究極的にはその中にいる人間が善意と想像力(人が人として持っている心のありよう、いわば人の情け=人情)によって他者の立場を理解することに収斂する様子を、我々は眼前に見、床によって耳にするのである。段切りで全一音上がって華やかになるのは、その自己他者関係の理想的な姿(といっても糸滝の身売りは事実であり、決して非現実的なめでたしめでたしの物語ではない)が完結する昂揚感を、この浄瑠璃一段を耳にし目にする人々に与えるためでもあるのだ。そしてその旋律の上に「内も賑々行く人も心賑々西の海日向へとてこそ」と三重で語り続けられるとき、我々は娘糸滝と父景清との対面の成功と、この人々(まさにその全一音上がってからの遊女奉公人たちを含む)の善意と想像力(人の情け)が決して無に終わらないであろうとの予感とを、疑うことなく確かに胸に抱いて、切場「日向嶋」を迎えることになるのである。こう書いてきたのも、この一段を勤めた咲大夫富助の行き方が納得できたためである。最初、この両者にしては冒頭の女房といい左治太夫といい、もっと面白く色彩感強く描き出すことができるのにと、不審に感じてもいたのだが、一段を聞き終わり、そして切場綱大夫清二郎の奏演を耳にし、玉男の景清を目にして、ここに述べたような意味を感じ取るに至ったのである。テクスト解釈が先にあるのではなく、実際の人形浄瑠璃がその意味を教えてくれる。この至高の体験がもたらされただけでも、本公演随一とするに足りるといえよう。さて、ここでの人形陣もまたよく遣い、玉松の花菱屋長はとりわけ女房を押しのけてからの男ぶりが立派で、前述の詞章を際立たせたし、その女房の勘寿は欲面ぶりもさることながら、糸滝が語る乳母の最期を聞いている間の心理描写が上手く、「邪見につるゝ娑婆惜しみ、女房死に沙汰聞き辛く」の詞章を見事眼前に再現して見せたのは流石である。左治ならびに糸滝については切場で。床は言わずもがなであるが、咲の糸滝は声質とはいえ今一歩、「アイと答へて誰がいとしと撫子の花の萎れし如くにて」の出も、これだけで糸滝の姿がすっと立ち現れるというまでには至らなかった。富助も、アシライが不十分や、間や音が感心しないと聞いたところもあったので、両者とも完璧とすることはできなかった。しかしその指摘は細かなことであるのは前述の通りである。

「日向嶋」
 感動した。やはり言葉で言い尽くせぬということはあるものだ。とにかく今回は劇場に足を運ばなかった人は残念だった、いや、人生経験においてひとつ大きなものを獲得し損ねたとまで言ってよいかも知れない。床の綱大夫(清二郎)は近年稀に見る至上の出来。大きさ、強さ、深み、メッセージ性等々、紋下櫓下格の浄瑠璃と言ってよいだろう。さて劇評であるが、今回劇場でご覧になった皆さまの心の中には、その感動が深くしっかりと刻みつけられているであろうから、それをわざわざ言語を以て解体再構成してみても、それ以上のものが生まれ出ようとは思われない。そこで、私自身が実際二度劇場の椅子に座って感じたことを書き留めておくことにする。まず今回つくづく思ったことは、ライヴはその日一日一日が勝負だということ。12日は義を守る平家の武将悪七兵衛として、19日は最愛の娘糸滝を思う慈父として、それぞれに景清の中心が設定されていたように感じられた。まず前者に関して。重盛の位牌を前にしての述懐の部分が秀逸で、ぐいぐいこちらの胸に食い込んできた。「身を掻き抓り拳を握り落涙五臓を絞りしが」で歯を食いしばり無念の涙を流したのは、景清ばかりではなくこの私でもあったのだ。またその中でなお特筆すべきは、「なんとなく心臆し」の語り口である。重盛が逝去しようが、平家の勢力や武将個人の戦闘能力が減殺されるはずもないのだが、精神的支えを失ってまさに漠然とした不安に包まれてしまった人間心理というものを、実に見事に描出していた。次の「雑兵の手に落命し」という詞章を真ならしめるのは、この語り口をおいて他にはない。先へ行って「所に住みながら」の謡ガカリから「腹悪しくよしなき言ひ事たゞ赦しおはしませ」の部分。ここは当然のことだが、飯を食わしてくれる人に嫌われたら飢え死にしてしまうから卑屈になろうが頭を下げておく、などということではない。綱大夫の語りもそうは言っていない。自己他者関係という網の目の座標軸の一点に、かつては悪七兵衛として自己を定義していた景清が、今は日向嶋の流刑人盲目乞食として存在している。この嶋の人々との間に新たに張り巡らされた自己他者関係のネット上に規定されている現在の自分、その網の目を断ち切ることなど、人間の存在とはどういうものかを深く洞察している景清に出来るはずもない。そういう意味である。そしてこの語り口こそが、段切りでの景清の行動を意味付けることになるのだ。(ゆえに19日においてもここの表現はしっかりと押さえられていた。)「弓矢取る身の我といふもの」も力のある意地の語り口。そして「心に任する身ならばたつた一目睨んでくれたい」に至っては、ただもうはらはらと涙をこぼすばかり。自己とは他者によって規定されてはじめて自己として確立するのであるから。さて、次は後者である。娘糸滝の登場から興に乗り、「我と我が身の偽りも親子火宅の輪廻を切り顕如もなげに入りにける」がノリ間の華やかな節付け(「日向嶋」はこのストーリーでかつ東風の味付けである)の上に厳しく語られ、「父も引き寄せ撫でさすり」からが愛情慈悲一杯、「今叱りしは皆偽り」以下その心が遠く(客席も)にまで届き、「ヤレその子は売るまじ」の絶叫から、「積悪の余殃我が子に廻り報ひ来て」の是非なき悔恨、と、父娘の愛情は劇場に満ち満ちたのであった。ここで、三味線の清二郎についても触れておく。とりわけ公演後半において見事な撥さばきを見せたのだから。「世の盛衰ぞ」チーン「力なき」抜群、「縋り付けば」「飛びしさり」の変化鮮やか、と、むしろ綱大夫を引っ張る形で浄瑠璃を盛り上げていった功は偉大である。ただ、例えば(これは12日にも共通して言えることだが)マクラの謡ガカリの後「春や昔の春ならん」以下の部分で、この浄瑠璃一段が、先にも触れたように、東風の味であることを、明瞭に弾き聞かせることが可能なのだが、綱大夫の重厚な語りの前に押し込められた如きであったのは、やはり物足りなく感じた。(先代綱大夫弥七の録音で聞くと、実に鮮やかに耳立ってくる。)「故郷の空はいづくぞや、憂きこと茂る草の糸」「たまたまも慰む事のあらばこそ、牛飼樵賎の女の…」で、詞章の意味と語り口の沈潜な趣(もちろん東風だけに太夫も浮いて語る箇所がある)と比して、三味線節付けの華麗なこと。義太夫節浄瑠璃の音楽的構造、そこにおける太夫三味線の付き離れ、等々を聞き知る絶好の場所なのであるが…。
 ここまで書いてきて、あとは人形を補足するというのが常であるけれども、この「日向嶋」においては、景清の人形、いや、玉男師が遣うところの景清の人形がなければ完結することはあり得ないのである。それは、典型的には段切りの舟唄のところ、床においては全一音上がって華やかに終結を迎えるだけ(「敵と味方は追手追風向かふ風、千里一飛び一走り」の詞章はしっかり語り聞かせる必要あり)なのだが、船上では景清の人形に一連の所作がある。そこをどう遣うかということが、この浄瑠璃一段の主題とも関わる重大な見所なのである。過去の遣い方も含めて考えてみると、まず、重盛の位牌を取り出して拝礼した後それが海中に落下するのは、景清が位牌を握りしめる力がゆるんだためか、それとも自然に手の内からこぼれ落ちたものか、ということがある。次に、それに驚いた景清が船端へ駆け寄ったのを両脇から天野・土屋(玉輝とは贅沢な)が支えたのは、その位牌の後を追って海中へ吾が身をも投じようとするのを引き留めたのか、海中へ沈んでいく位牌を追い求めようと体勢が崩れたのを引き起こしたのか、ということがある。当然この両者は関連する動きであるが、これに加えて19日の玉男は、景清をして位牌をいとおしむかの如く頬に当て(て落涙)させても見せたのである。前者の解釈はこうなろうか。平家の侍大将悪七兵衛として自己の位置を確定した景清にとって、重盛の位牌は自己の座標を象徴する記号、すなわち自己の存在証明に他ならない。盲目の流刑人となった今も、その位置を固守している景清であるが、糸滝の父としての立場を、そしてその糸滝を父景清と対面させる(位置付けさせる)ために多くの人々の善意と想像力(ネットワーク)がそこに関わっていることを思い知らされることにより(ここに立端場「花菱屋」のもつ大きな意味合いが認知されよう)、景清という自己の存在が新たな座標軸に位置付けられたことを明確に認識する。しかもそれはかつて敵対した頼朝との関連付けにおいて成立するものである(先に挙げた「敵と味方」云々の詞章は、それを昇華するものとしての意味があるから、素浄瑠璃ではこの時点で両者の自己矛盾は解消されることになる)。景清は悪七兵衛としての自己を放棄せねばならない。そしてその象徴たる位牌をもはや握りしめておくことは出来ないと意識したとき、その力は弛み、位牌は海中へ落下するのである。自己の存在証明を失った景清が、一瞬呆然とした後、やはり自己の存在自体をも消滅させようとするのは当然の心情である(このとき新しい自己を位置付ける座標軸としての娘糸滝も左治太夫等もこの場には存在しないのだから)。そこには最後まで強く生きようとする人間景清の姿がある。12日の玉男、いや、かつての玉男はそう遣っていたように思われるのである。一方、後者の解釈はこうだ。父娘の情愛と、それを現出させてくれた人々の善意と想像力によって形成された網の目に気付かされた景清は、これまでの自己を位置付ける象徴として捉えてきた位牌に対して、申し訳ないとも情けないとも、無限の慈しみの気持ちを込めて捧げ持とうとする。その時、重盛の位牌はするりとその掌から海中へと落ちていくのである。…もういい、景清よ。おまえの忠義は十二分に果たされた。これ以上おまえをかつての位置(自己他者関係)つまり悪七兵衛として束縛する(座標軸の一点に留める)ことは私の本意でない。おまえは自らその網の目を解き放つに忍びない男だ。だから私の方からおまえを新たな世界へ移してやろう。景清よ、娘糸滝と幸せに暮らせ。これまでの間、本当に辛苦をかけたな…景清はその声を聞いたかもしれないのだ。12日も、そして何よりも19日の玉男はそう遣ったように見えた。人間としての弱さを見せる景清、玉男師が到達した究極の地点といってもよいのではなかろうか。最後に、玉幸が遣った左治太夫の誠実さ、紋寿の糸滝の可憐さと一途な気持ちは、今回の舞台にぴたりと一体化し、観る者の心に深い感動を残したことを、書き記しておかなければならないであろう。「一期一会」、この珠玉の言葉の真意を、劇場の椅子において体得したのが、この「日向嶋」(および立端場「花菱屋」)であった。

『寿連理の松』

「湊町」
 嶋清介より他はいない。予想通りの上出来であり、また予想をしていても「遠山颪雪嵐心播磨路立出でて」以下惚れ惚れしてしまう。お夏の繁太夫節クドキも同断。そして親佐治兵衛の「こちらが力にや一つもならぬ」がパッとこちらの胸に応えてくるとなれば、これはもう何言うことがあろうか。段切りも「恋といふ字を金紗で縫ひし」(金で丸く納めるのも一手段)「よしあしとなき難波津に」(これは善悪判断の外にあること)を鮮やかに聞かせて、これでこの一段は見事に収まるというものである。こう押さえておけば、えげつないとか、お梅の人格はどうでもいいのか、という現代人の感じ方も、一段の主眼とは別の所へ置いておくことが出来るわけである。(ところが、例の感想文士はそこには一言も触れずに、というか、その行き方など全く気付かずに、この段切りには何のいちゃもんも付けていない。普段なら何を差し置いても、封建道徳がどうのこうのと食って掛かるのだが…。どうやらこの御仁は、現代日本人の多くがそうであるように、目の前で人が死ぬということがイヤでたまらないようである。逆に、見えないところで何が起ころうと(空爆や飢餓で何人死のうと)関わりないのであって、見ている前でビルが崩壊したりしようものなら、たちまちに非人間的だと声を張り上げるのである。蛍光灯の生白い均等な光は、陰影を作り出すことはない。それでいいではないか。未来の世界には悲劇よりも喜劇の方が地位が高い。そういうところであろう。)さて、人形はどれも平均点以上であったから、とくに目に立ったもののみを書いておく。和生の清十郎、父親が「なるほどお二人とも匿ふております」と言うところで何の反応もないのは如何。ここはまだ親の魂胆がわからないところだから、驚き慌てて見せるのが当然であると思うが。太左衛門は簑太郎に一日の長がある。悪巧みが破れて帰るところ、清十郎と佐治兵衛とそれぞれに対する態度や目遣いの違いは実に鮮やかなものであった。

『伊達娘恋緋鹿子』

「火の見櫓」
 シンが英と燕二郎。もったいないと言えばもったいないが、何らの不安感も文句も思わせずに勤めるのは、中堅として確かな力量が備わっている証拠。簑太郎玉女等の人形陣とともに次代が楽しみ。さて、今回は抜擢された人形遣いが如何程のものかについて評するのが主眼である。公演前半の玉英は丁寧な人と見た。ケレン味もなく実直に遣うのは好感が持てる。ただ、それが段取りのようであったり、型の繋ぎ合わせであるように見えるのは困りもの。とりわけ人形のかしらを前後に振って髪をおどろと乱すところなど、あまりにも形式的で、髪を乱すためにかしらを振っているということがありありとわかってしまった(もちろんそのように遣っているわけだが、お七の人形が一心不乱に火の見櫓へ駆けつける結果、髪が乱れるというのが人間としての事実なのだから。そこのところのいわば虚実皮膜こそが人形浄瑠璃という芸術の肝心要であることを銘記していただきたい。)のは、申し訳ないが噴飯ものであった。後半は簑二郎、この人、以前からこれはと思わせるところがあったのだが、今回もまた目を見張らせるものがあった。まさに師匠簑助直伝(というよりも盗んだのだろうが)、華麗であり鮮烈であり(といってもまだ小粒だが)、足拍子もよく、見事中堅の仲間入りを果たしたと言ってよいだろう。気持ちよく追い出された。結構でした。