平成十六年四月公演(前半:初日、後半:楽前日―四段目未見―)  

通し狂言『義経千本桜』

第一部

「仙洞御所」
 序詞「忠なる哉忠。信成かな信」が忠信を利かせるとの鑑賞ガイドの指摘はもっともだが、そのあとの「勾践の本意を達す陶朱公。功成名遂て身退く」に平家を滅ぼした義経がなぞらえてあることに一言も触れないのは、次の「五湖の一葉の浪枕。西施の美女を伴ひし」をカットしたまま放置している状態を悟られまいための隠れ蓑としか思われない。その省略部分とは当然のことながら、静御前を同道して彷徨う義経の様子を表している。序切から二段目へかけて、そして四段目狐忠信の述懐にと、義経悲哀の抒情がせっかく描かれていた(呂勢宗助、咲燕二郎)というのに、時間にしてもわずか十秒にも足らぬものを、今回もまた除去し放置したままの上演が続けられたことは、実に残念なことである。(なお、同じくガイドに「外題の角書きに『吉野花矢倉』とあるように、この作品の一方の軸が佐藤忠信であることがうかがえます。」とも書いてあるのだが、何ともうまい目眩ましである。昨秋東京では不完全ながらも、横川覚範(実ハ能登守教経)登場の跡場を付けたから、「吉野花矢倉」の角書きは生きていたけれども、宙乗りで追い出してしまっては、花矢倉とは何のことかさっぱりわかるまい。よって本劇評でも、「通し狂言」とは記したけれども、角書きは憚ったのである。もちろん「大物船矢倉」だけでは角にはなるまいし。)
 つばさ・龍爾(三味線は楽前日)、元気で勢いもあってよい。ただし、楽前日はいささか調子に乗って、ヲロシで声を裏へ廻したのはいただけない。大序はあくまでも修行の場である。睦・清丈、義経の物語合格であろう。呂茂・龍聿、基礎力十分。微笑ましいのは二人とも師匠そっくりということ、いやそれでいいのだ。学ぶことは真似ぶことである。芳穂・寛太郎、いいだろう。相子・清馗、大序は調子が高く、三味線も糸張りがカンカンで撥への跳ね返りが強いのだが、それを感じさせないのは腕固めができている証拠。いずれも将来性を感じさせる大序であった。

「堀川御所」
 嶋大夫清介、楽前日はとりわけ詞に一層の磨きが掛かり、川越太郎の格ある重み有る、そして慈愛を底に秘めた、鬼一かしらの性根。義経もキリリとした中に、哀切あり、怒りも悟りも、そして大将の大きさと十分に描出。地やフシをうっとりと聴かせるだけでなく、義太夫浄瑠璃は最後はコトバに行き着くというところを示してくれた。思えば『一谷嫩軍記』の序切もよかったし、これで通し狂言に一本背骨が見事通ったということになる。この功はとりわけ賞賛に値しよう。
 アトを始清志郎。この序切の跡は三大狂言の「裏門」にせよ「築地」にせよ、実に面白くまた心地よい為所である。千歳も呂勢もそして文字久も、ここをきちんと通過して、次の華やかな売り出しステージが待っているのだ。さて、ここは弁慶が掴めれば一応の成果は得られるので、その点ではまずまずと言えた。ただ、段切が魅力に欠ける。十二支のもじりで詞章は進んでいき、節付けも心地よいようになされているのだが、とにかく弁慶の大きさで精一杯で、聞いている方もしんどい。やはり今回は努力敢闘賞というところだろう。ちなみに例の公演記録では、織勝太郎が序切を丸々やっているので、それと比較するのは余りにも酷というものだが、あれでこそ気持ちよく休憩に入れるというものである。
 人形は、川越太郎の文吾が抑制の利いた佳演。義経の和生はピリッと見えるようになった。静御前の勘十郎はしゃしゃり出ないのがすばらしい。義経・静のこの狂言での役回りをよく心得ているからであろう。卿の君は簑二郎がかしらの微妙な遣い方などうまい。そして、弁慶。文司は大柄に遣って映るようになったが、亀次は個々の型が小さくまとまるので大きさと幅に欠ける。また、両者とも土佐坊との絡み、とりわけ刀を柄先で受ける段取りが悪い(楽前日などわざわざそこへ刀を打ち込むようなもので噴飯物)。前述の記録では玉昇と小玉なのだが、鮮やかで見事なものである。快哉と叫びたくなる弁慶である。これもそのまま比較するのは惨たらしいが、何としても参考にして工夫を見せてもらいたいものである。とにかくスッキリとせずに休憩というのは精神衛生上よくないのだから。

「伏見稲荷」
 ここにも詞章省略による重大な欠陥がある。弁慶が許されたあと、静が「サアこれからはこの静が君のお供をする様に、取りなし頼む武蔵殿」と言うのだが、それでは静が弁慶のために取りなしをしたはずであるのに、現行テキストのどこにもなければ、当然人形もそれらしい振りもない。丸本詞章には「静も武蔵が心をさつしあれ程にいうてぢやのに。どうぞマア御了簡と。やはらかな詫言の。其尾に付て亀井駿河。御免々々と詫ければ。」ときちんと書いてある。わずかこれだけ、30秒程度の部分である。上演時間等の演出の都合上、詞章をカットするのはやむを得ないこととはいえ、そこには当然文脈として矛盾がないという制約が存在する。昨今の、音楽性を犠牲にしても詞章を丁寧かつ明晰に語り、字幕まで付けようかという状況はどんどん推し進める一方で、よくもまあ放置しておけるものである。とはいえ、イラクの戦場でもあの通りなのであるから、御都合主義は天下の公論というところか。
 呂勢宗助は問題ないし、静御前のクドキなど琴線に触れて結構だったが、滑るように進んでいくだけでは引っ掛かりがない。もちろん弁慶などを無理に声色でそれらしく聞かせるなどは愚の骨頂であり、さすがに両人はそんなことはしないのだが、詞の処理の仕方を習得し、あと一歩変化と厚みが出ればよいのだがなあというところである。が、これは経験が自然ともたらしてくれるものであろう。前述記録では伊達路団六が勤めているのだが、それはそれは実に面白いものなのである。人形の速見藤太、初日はコミカル系、楽前日はオタク系という感じか。どちらも鼻動きをもっと前面に出してよい。額抜けの忠信からケレン味十分なところになっているのだから。

「渡海屋・大物浦」
 口、とはいっても長さもあり、最後は全一音上がるのだから、為所のある、試金石とも言えるところ。三輪団吾にしてみれば、満を持してというところだろうが、まずはぐいぐいと進めてカスが残らないようにとの運びが結構。詞はもともと利くが、銀平のあの独特の抑揚は不可。それと連動してか、やはり地やフシがどうにも浄瑠璃に聞こえないことがある。それをうまく処理しようとしていることは聞いていてわかるのだが、例えばフシ落チ、「無念の拳を握りける」とか「その道々と知られける」など、いくら何でもひどい。音を遣って三味線と不即不離、それを何としても体得していただかないと…。もちろん今回の努力と工夫は大いに認めるところではあるのだが。前述記録での相子(故相生)など、あの難声でそれでも浄瑠璃に聞こえるのは何故であろうか。
 中、いくら「幽霊」と呼ばれ、短くとも為所はあるとはいうものの、切語りの太夫と富助がここだけというのは…。ひょっとして玉男師一世一代の白糸縅の予定であったのかもしれないが、どうにも押し込めの感は拭えない。切場を喰ってしまえばよいのだ、などと無責任なことを言える箇所でもない。DH制、指名打者の扱いか。一発大きいのを聞かせてくれ、と…。
 切、大序からここまで、そして注進が済む頃は、どう頑張っても疲労感から睡魔に襲われるわけで、しかも楽のメリヤスによる待ち合わせもあり、厳しい一段である。そこを我慢して聴いていると、三味線の清二郎が綱大夫師の調子をよく察していることもあり、義太夫浄瑠璃とはどういうものかを、この床はいつも語り届けてくれる。今回も知盛の詞ノリなど、綱師は完全とは言えなかったが、間とか運びとか、節付けの具合とか曲節の組み合わせとか、本当に勉強になるし面白い。情を語るのは、映画でもドラマでも可能である。義太夫浄瑠璃第一人者とはこの床のことなのである。
 人形、「幽霊」での玉女、あと一回り大きく遣うこと。そして、例えば、太鼓の音を数えて、八つとわかるのは九つ目が鳴らないからである、そこを八つ聞いてすぐに納得してはいけない。こういう点も含めて、丸本詞章をよく読み込むこと。もちろん師匠そのままという圧力に潰されては元も子もないから、そこは自分なりの造形でよいのであるが。玉男師と文雀師に関してはもはや一言もない。その名が末代に語り継がれる芸とはどのようなものであるか、一観客としてそれに遭遇することができたことに、ただただ姿勢を正して舞台を見つめるだけであった。それでも敢えて言うならば、知盛のかしらの俯く角度と方向の微妙かつ究極の一点、典侍局の得も言われぬ品格とふくらみ。
 

第二部

「椎の木」
 口は津国喜一朗。楽前日にはマクラから五人が勢揃いするまでの変化も聞き分けられた。
 奥が千歳清治で、楽前日には権太の描出までが完全なものとなり、彫鏤の巧み、一分の隙も無し。が、何か違和感がある。絶妙な科白劇、ではないはず…。三味線が奏しない詞の部分は、いわば楽曲中の休符部分、当然全体を貫くリズムは流れている(つまり、役者の詞の間に竹本が挟まる歌舞伎とは本質的に異なり、義太夫浄瑠璃という音曲の中の詞である。もちろんこのことは、竹本との優劣や正当性云々とは全く関係がない。それぞれがその表現法を持つわけである)し、地はもちろんそれぞれの人物の領分に属せられるが、地というあり方自体が、直接の人物描写からは一段抽象化された、音曲における一表現手法である。それに対して千歳の語りは、筆の跡がありありと見て取れる細密画なのである。加えて、盆が廻る直前、「テモマア冷たいほてぢや」では、父親の子への愛情がちっとも伝わって来ない。五月東京の伊達(団七)はこの一言の情味、得も言われぬ温かい心が感じられたのだが(もちろん伊達はこの一言を利かせてやろうなどと局部肥大化をたくらむ太夫などではない)。工夫すれば工夫するほど、聞く方は雁字搦めにされる感じ、千歳の最近のこの傾向は何とも気になるところである。

「小金吾討死」
 掛合にするから(まあ、太夫を捌くにはそうせざるを得ないのであるが)、いよいよもって声色大会になってしまった。もっとも新と貴とは自然に聞こえた。松香もおかしくはないが、どうしたのだろう、いくら手負いとはいえ力が…。
 なお、人形の小金吾であるが、断末魔に松の枝を敵かと斬って落とす所作は、使命感に燃える忠義一途の青年小金吾にはふさわしいが、それが詞章「朝の露と消えにける」をはみ出すのはいただけない。どうも近年、人形の所作が浄瑠璃詞章に足りなかったり余ったり、果ては齟齬を来したりすることが間々あるのは問題である。それともアフレコ側が何とかしろということだろうか。 

「すしや」
 現代の観客からすれば、文楽というものはあの義太夫浄瑠璃という音楽表現形式がネックになって理解が進まないし好きになれない(歌舞伎ファンからもそういう声がある)ので、極力科白劇にして、詞章は丁寧かつ明瞭に、ところどころ歌が入るのはミュージカル同様だから問題ない、というところらしい。ある若い観客が、太夫というのは何人もの声優を一人でこなすスペシャリストだと語っていたが、映像や舞台を嘘くさくなく現実のように見せるためには、それ相応のアフレコもまた必要である、ということだろうか。しかも、聞き分けなくとも見分けられればよいという、聴覚が弱体化して視覚のみが肥大(昨今の味覚障害や臭いへの拒否反応―これは嗅覚が敏感であることとは正反対―皮膚感覚の衰退)する現代においては、偉そうに音曲の司とか名乗っている義太夫浄瑠璃を簡略化して、それこそグローバル社会に相応しく、蛍光灯の均質な光線がすべてを平板に照らして明白に見せるごときに、ストーリーをわかりやすくかつ情感を込めて説明するものに進化させる必要がある、ということになろうか。またそれでこそ、白痴の芸などというおぞましく屈辱的な蔑称を、西洋先進文明から与えられることも、もはやありえないであろう。これはそのまま現代日本の清潔志向とも軌を一にするものである。しかもこれは我々の拠って立つ祖国日本にしか存在しない伝統芸能なのであるから、堂々と世界の中でその個性を主張できることにもなるわけである。それを、当時のモノラル録音やましてSPレコードなどを聞かせて、これが義太夫浄瑠璃ですなどと言おうものなら、それこそ、この意味不明な音の集合体はいったい何なのだということになってしまうわけだ。文楽の生き残り、すなわち現代と未来の観客に受け入れられるためには、どうすればよいかはもはや自明であろう。

 さて、住大夫師と錦糸は実にうまい。その描き出すお里に、弥助に、弥左衛門に、母親に、そして何よりも権太に、その人物が現実に舞台の上で芝居をしているように感じられ、観客は共感しまた大いにリラックスして、「語り給へば伏したる娘、堪へ兼ねしか声上げて『わつ』とばかりに泣き出だす」でお里が布団を揺らすところで、笑いが起こるほど(寡聞ながら初体験である)であった。その時その時に語り弾かれる細密な表現は、これぞ完璧な至芸というものであろう。しかもそれがいささかも窮屈さを感じさせず、緊張感も不要で、永遠の舞台空間が作り出されたのではないかと思われるほど、こちらの日常にぴたりぴたりと寄り添ってくれるものなのであった。古典芸能などというから、厳めしく古ぼけたもので、その崇高な世界へこちらから跳躍しなければならないものと思っていたが、これほどスムーズに向こうから解体してわかりやすく見せてくれるとは。現代の観客にとって、そして何よりも未来の文楽にとって、この床はまさしく救世主と呼んでもよいであろう。盆が廻っただけで場内に割れんばかりの拍手が起こるのも、十分納得のいくことであったのだ。
 人形はまた、簑助師の権太がまさにそっくりそのままである。河内屋与兵衛といい、自己の欲望が直接的かつ明瞭に表現される人形の性根がピッタリで余人がない。また、玉男師の維盛の品格にはもはや言葉がないので語らない。人間国宝三人夢の競演を目の当たりにすることが出来た幸せを、観客一人一人が噛みしめていたことであろう。
 後は今回伊達と清友が勤める。この俗に言う、手負いになって一時間、前場がたっぷりであるだけに、観客側にも疲労感が自然と出てくるのであるが、今回ここで涙を催すことが出来たのは、まずはこの床の血の通った自然体の浄瑠璃が為す業である。人形、紋寿のお里は村娘としての純朴さと、それ故の悲しみを、江戸期庶民の好ましい倫理観を底にした節度ある遣いぶりで描出。弥左衛門の玉也と女房の紋豊は実によく映っていて、かつての玉五郎や作十郎、そして文昇がいた頃にほとんど迫ろうとしている。若葉内侍の清之助はこれほどの風格を見たことがないほど、内裏上臈はかくやと思わせた。梶原の景時は大舅の怪異的不気味には届かなかったが、一クセある面白味は描けたのではなかろうか。このように脇が固められている中で、簑助師の権太であり、玉男師の維盛である。感動にむせぶのも至当であろう。ただ、「維盛卿は身に迫る」以降、段切にかけて、物語を収斂させる、より一段高みからの語りが床に現出されていれば、申し分なかったのであるが、それは山城清六ほどにならねば無理かもしれない。
 なお、今回の三段目、楽前日には頭の中が三業の成果にはあらぬことで一杯になっていたため、上記のような劇評になったことをお詫びする。また、その帰着として、四段目を見ずして帰宅せざるを得なかったことも、併せて寛恕を請うところである。

「道行初音旅」
 静を津駒、忠信は文字久、三枚目に咲甫、いくらこのところ好成績の中堅若手とはいえ、この陣容で千本道行は…と危惧したのもどうやら杞憂だったようだ。ただ、はんなりとつややかにとまでは行かなかったが、そこまで望むのは厳しいというものか。それでも道行として仕上がったのには、もちろん三味線のシンが寛治師であることが最大の理由であるのだが。二枚目弥三郎は手堅い。清志郎以下も手練れ。人形、忠信文吾の見台抜け、ケレンはこうでなくてはならない。鼓を慕う小狐の生気溢れる姿。静の勘十郎は白拍子の華麗さを、義経への慕情に包んでの描出が好ましい。近年、急速調の目まぐるしい道行が当たり前のようになってきているが、切場がたっぷりと長くなる傾向といい、義太夫浄瑠璃としては本来の姿ではない。今回、二部終了の時間を気にせず、思い切って道行の原点に返ることもできたであろう、寛治師の三味線ならば。もっともその場合、太夫連がその間尺にとても合わないことは大いに考えられることではあるが…。

「河連法眼館」
 中、英団七は正月公演であの「蔵前」を勤めた床である。今回の「八幡山崎」も相応の出来だろうと劇場の椅子に座っていたのだが、二上リ唄が弾き出されるや驚嘆してしまったのである。美しくそして一抹の哀愁を底に秘めて優雅に、四段目風を見事に描き出したことによって、聴く者は参ってしまった。もうこれでこの一段は成されたのである。前半の緊張感、全一音上がって後半の華麗さと不可思議、それほど強調されずともよくなる。すっかり安心して浄瑠璃世界に心身ともに預けられる、そこへ到達目前の床、との印象を抱いたのである。
 奥、この四段目の切場ではなく中であって政太夫場、狐詞等口伝も多い一段、手強く難しい浄瑠璃の一つである。源九郎狐の語る情愛に感動した、などと臆面もなく述べて済ませられるものではない。今回、咲燕二郎で十分納得のいくものであったが、それ以上何と言ってよいのか、正直なところよくわからないのである。この床はいずれ切語りとして今後何度も聞くことになろうから、その時に譲りたいと思う。人形は同前。

 鑑賞ガイドのY氏による解説、今回はいささか個人的見解に偏りすぎたようだ。これではガイドというよりも評論に近い。もちろんこの内容で観客が納得できるというのなら、大したものだが…。ちなみに、プログラム自体はカラー写真もふんだんで、二十周年特別記念号とはいえ、ますます内容充実して、予復習にも使えるし、何よりも大切に保存しておこうという気を起こさせる。劇場のスタンプ設置台に行列が出来るのも、これを押して記念として完全なものになるという意識があるためである。出来ることなら、三業の方々に協力をいただいて、サイン会(中堅どころで複数人)が行われたら、毎公演足を運んでみようということにならないだろうか。人形と一緒に記念撮影(場内は録音撮影禁止であるから、プロの撮影で後日引き渡し)というのもよいと思われる。それらは、正月公演は巻手拭いがあるので、四月公演の桜の季節限定でもいいかもしれない。夏は子どもへプレゼントがあるし、十一月公演は、その公演にちなんだ地域観光スポンサーと提携して、お土産を手渡すとか(あるいは以前そのような企画もあったように記憶しているので、結果が芳しくなかったのなら今さら仕方ないが)。いずれにせよ、単なる金儲け主義ではなく、観客が国立文楽劇場へ来てそれ相応の文化教養的な、殺伐とした日常とは異なる何物かを手に入れたと思うものに。周辺環境で集客に努めるというのも重要なことである。