平成十九年四月公演(7日、29日所見)  

第一部

 パンフレットには、殿様気分で「みどり」上演を楽しんでほしい、という趣旨の寄稿が掲載されていた。確かに、春爛漫のこの季節、それが叶えば言うことはない。しかし、殿様は不興ならば演者を追放なり果ては手討ちにもできようが、観客はただ耐えるばかりである。では今回はどうであったか。「緑なすはこべは萌えず、若草も籍くによしなし」というところか。とはいえ若草ならぬ椅子の背もたれで心地よくスヤスヤという方もいらしたが…。

『玉藻前曦袂』
「清水寺」
 この立端場のおかげで、時代物としての背景の大きさが感じ取られたことは好ましい。帝位簒奪という巨悪は、兄の宮なり剣は手中、道春は死に敵もなく、桂姫への難題はもはやオマケ同然の気安さ。その首謀者薄雲皇子だが、「妹背山」の入鹿と同じく、口あき文七でも帝並みなら卑俗な表現は難しい、ならば傲然たる傍若無人は描出の工夫もあるだろう。床の松香は冒頭ソナエからヲロシまで威あり格ありで立派だか、皇子は整いすぎ。人形の方はスタスタと出てくるなど軽率だが、引っ込みは「大鵬」の格もなかなかのものであった。家来犬淵は床(新)の描出に人形がよく応えて眼前。采女は颯爽、色模様がありそうで実は受け身一方、そこのところの淡泊さも咲甫と人形には合っていた。さて、桂姫である。音曲的トレースから始めよう。例えば「幾夜か」がウヲクリだとわかれば自ずと語り方も決まるだろう。こう不安定ではさすがに何とも。人形は色模様も積極的にできた。腰元は相子など詞に動きがあってよかった。

「道春館」
 端場、ここは美しかったという記憶がある。手繰ってみたら呂大夫清友であった。今回もその片鱗はある。三味線は寛治師で論はないが、津駒がやはり鷹揚とか妖艶とかに届かず、寝汗なり髱の乱れなりと詞章にあっても情感として伝わってこなかった。しかし実力は「女子の因果」の音遣いや「ぐわ」音などに明確であった。初花姫のまだ生硬な感じの方が映ったが、ここはやはり、桂姫でうっとりとさせてもらいたかった。
 切場、咲燕三で期待したし、それに違わぬ出来だった。とはいえ、東風かつ抒情的な曲節によって華麗に仕上げるところには至らない、それは太夫の個性でもあるが。マクラはなかなかすばらしく、寂滅の刻を沈重に描出。「光まばゆき白書院」は輝きよりは周囲の薄暗さが引き立てられた。桂姫に母そして姉妹の地、冷泉に説教と節付だけで泣かされるところだ。とりわけ桂姫の愁嘆がよく、双六争いも緊迫感がある。金藤次のモドリは見事で表具も利き、「父ぢやわやい」で劇場涙せざるはなし。段切の母と初花のノリ間は快感がもっとあってもいいところだ。新燕三はさすがに今回先代との差を感じざるを得なかったが、それでこそあの燕三の音を継ぐことの重要さがあるわけだ。さて、今回最も気になったのは金藤次の人物像である。床手摺ともに鬼一カシラの性根をよくとらえたが、本蔵ならピタリとして金藤次はどうだろう。「上見ぬ鷲塚せせら笑ひ」これはわざと命を捨てるための嫌みだろうか。上座に押直り、せがみ立てるのも芝居か。それならば今回の行き方で納得がいく。ただ卑俗さはあって当然なのではないか、少々理が勝って整いすぎていたように感じたのだが。本蔵の述懐はモドリとは言わない、最初から悪に歪んではいないからだ。では金藤次は。従来の解釈に問題提起をした形になったことは確かだろう。その玉女の人形は、わが娘桂姫と知って首を刎ねるまで、適所に心の動きを見せて納得させた。それが一連の自然な流れになれば故師の域である。玉女は今は無理に動かず溜めようとしているように見えるが、動くところは動いてもいいのではないか。もちろん二代の玉男は彼が継ぐべきなのだが、そこに自分の個性をプラスしてこその名跡継承なのだから。桂姫の和生は床と同断、ということは今回は相応と言うことか。初花姫の玉英は桂姫の金に対して銀だが、今回は銅で相手が銀か。それは三業揃っての結果であるが。采女の文司は想像よりしなやかになり、色気をさして必要としない本段ならまずよろしかろう。文雀師の萩の方は余人無しである。

『心中宵庚申』
 近松世話物連続上演も、今回で一応終結のようだ。それにしては、付録はもちろん記事としてとりわけ特集もなく、尻すぼみの感を持った。しかし、本作は近松最晩年の作でありなかなか手強いもので、上演して作品に語らせるということで成功したと言っていい。それほどに三業の成果はすばらしいものであった。

「上田村」
 先代そして当代と綱大夫の家の芸とも言ってよい一段、弥七の三味線も印象的だった。それを今回は住師と錦糸が勤める。滋味深い絶品に仕上がった。とりわけ初日は鮮烈(楽日前はこの年齢でこの一段をここまで語るということが驚異)で、この運びと間と地色の処理ですべてが決まるといっていい近松世話物が、見事自家薬籠中の物となっていた。平右衛門がいいのは当然として姉のおかるが絶佳、半兵衛お千代の造型も確かで、下女金蔵の端役までもちろん行き届いている。当方初日の床本には一字の書き込みもなく、冒頭三下り唄から引き込まれそのまま段切まで聴き入ったことを証明している。「と呼廻す門の口」のズッと行く近松物独特の表現も明らかで、紋下と相三味線の実力を堪能したのだった。この一段の人形はまず平右衛門の文吾。舅カシラは厳しく映るが、妹娘への最初の言葉が「大事ないつつと来いつつと寄れ」であり、段切「灰になつても帰るな」も叱咤拒絶などではない。子を思う親心は人間味あふれる遣い方に確かであった。加齢に病身はさすがに平右衛門の心を弱らせる、そこもまた如実であった。姉のおかるは清之助が非の打ち所のない出来。下女へ妹へ金蔵へそして父に半兵衛へと、この一段を潤滑油として回していくこの姉娘を、これもまた如実という形容がピタリと収まる遣い方であった。この後妹の心中父の病死とうち続いても、夫平六とともにこの家を見事切り盛りするであろう、その芯の強さが見て取れたのは、床に加えて人形の手柄である。金蔵はもっと卑俗でもよい勘弥だが、あくどからぬをよしとする。さて、楽日前に問題が再発した。冒頭のマクラで「妻は去年の秋霧と」床がしんみりと重大な仕込みをしているに、人形が糸車を高速で回して笑いを取るという、紋下人間国宝を蔑ろにする遣い方をしたのである。実は八年前にも同様の不祥事があり、強く叱責しておいたのだが、初日は無事進んでほっとしていたところ、目を閉じて聴いていたらその笑い声が起こったのだ。義太夫浄瑠璃を知らぬ若手、いや、文楽は見に行くもので人形遣いこそ三業で一番重要と思い込んでいる者に、晴雨表にて焼き印を押しておく。これは生涯消えぬし、大きく言えば上演史上の汚点として、永遠に残ることになるのだ。そう言えば、柝頭もまた床ではなく、まったく人形の動きによって打たれている。公演記録映画会での白黒フィルムは、実に義太夫浄瑠璃をよく知り抜いた柝頭がかつて打たれていた証拠ともなっているのだ。ますますこれで、文楽はオペラと比定されることが困難になっていくだろう。

「八百屋」
 活写。一言にして足るとはこのことだ。嶋大夫清介で、前段とはまた違った難しさのあるところがよく描出された。女房の婆は嫌らしい人格ではなく、一人で八百屋を切り盛りしてきた、それゆえの気性の激しさとする。伊右衛門は好々爺ではあるが慈悲深いというよりも寺狂いの念仏三昧。それを婆へのじゃれかかりで描く。この二人、決して「帯屋」の老夫婦と同じに見てはならないのだ。甥の太兵衛や西念坊ら端役も活きている。以上人形も同断である。お千代は無邪気な喜びようにかえって哀れを誘い、半兵衛は元武士という強さを底に描き出す。この一段の難しいところは、どこで半兵衛が死を決意するかということだ。「半兵衛一言の答へもせず涙に暮れてゐたりしが」とすれば、今ひとつ伝わって来なかったが、「女房の親と……三筋四筋の涙の糸…」ここはずいぶんと応えた。また、半兵衛がお千代を無理に引き出すところ、あの地の表現は無類で切迫感十分であった。

「道行」
 なるほど、青物尽しを省略したのは大きな問題だが、この道行は省略することができない。なぜならば、心中に至る原因理由を探るためには、前二段では不十分だからである。他の心中物では、道行はそれこそ心中場であって、現場を見せられなくても内実は理解できる。ところがこの作品ではまるでわからないといっていい。お千代は半兵衛の覚悟に従うのであって、もしあと五年耐えよと言われれば耐えたであろう。問題は半兵衛の方にある。彼は書置にこう書いた―十六年の養子生活で粉骨砕身、貸金をできるほどに身代を大きくしたが、「心を伸ばす事もなく、死なうとせしも以上五度」だ、と。それが六度目の今回ついに死に至ったのは、「そなたに縁組せめての憂さを晴らせしに、それさへ添はれぬやうにな」ったからだ―と。夫婦愛は日常生活の辛苦を文字通り心身ともに解消する手段だったのである。常に武士と町人との距離を感じていた婆が見たこともない、満ち足りた喜びの表情を、お千代といる時の半兵衛は見せていた。「十五年世話にした親の嫌ふ女房に随分と孝行尽し」とは皮肉ではなく事実、本心から出た言葉なのである。半兵衛の居ぬ間の姑去り、それだけでも耐えられぬのに、女房を連れ帰っただけで悪口雑言に自害の当て付け、もうこれは忍耐の限界を超えていた。一方のお千代はまた「このしどなさ」「取締めのない」と父平右衛門が言い、八百屋へ戻るに「手も軽々と」「ちよこちよこ走り」と、帰るやいなや半兵衛に抱きつく女性である。三度目でようやく得たように思われた夫婦生活の喜びを、姑の前で慎み隠すなど到底思いもつかなかったであろうし、商家の女房として夫の愛を全身全霊に受け、それこそ他を顧みず立ち働いたことであろう、姑の思惑とはまったく別のところで。そしてもう一点、半兵衛なりの武士の意地である。浜松の実家へ帰った理由、それは亡父十七回忌の墓参のためである。墓前で彼は何を思ったか。いつまで経っても商家に心底からは馴染めない自分、成果は少々上がっても不毛の日々。悶々として妻の実家に立ち寄ればあの通りである。戒名も毛氈も辞世も切腹も、一商人としてのみ死ぬことを潔しとしなかった証拠であろう。「遙々と浜松風に揉まれ来て涙に沈むざざんざの声」無念であったことは想像に難くない。
 三味線シンの団七が気持ちの入った立派な弾き方で、喜一朗以下もその範に倣い密度の高い奏演を聞かせた。太夫は英のお千代が十全で哀切かつ美しく、それはまた呂勢の半兵衛が端正さに無念がにじむ見事なもの、呂茂もよい。
 最後に、簑助師のお千代、勘十郎の半兵衛については、この評言がここまで書き進められたことが、何よりの評言である。本公演中『心中宵庚申』は至上であった。近松の恐ろしさをもまた痛感した四月だった。
 

第二部

「吉野山」『粂仙人吉野花王』
 罪のない演目で、春らしいと言えばそうだ。詞は面白いし(津国・南都)、人形も滑稽だ(簑二郎・勘緑)。粂仙人はユニークなキャラクターだが、破戒の前後でもっと変化してもいい(三輪・玉也)。それで結局花ます(英・勘十郎)に収斂するわけだが、人形浄瑠璃らしい古拙さが歌舞伎とは異なって味がある、とでも評すべきなのだろう。無論段切は太棹合奏で舞台装置も迫力あるのだが…。

『加賀見山旧錦絵』
「草履打」
 岩藤は局役で軽々には扱えぬ、だから玉女は格を第一に野卑にならぬように遣った。それは正しい、が初日はあまりにも整いすぎて、仇討に快哉を叫ぶのがためらわれたくらいであった。これでは矯め殺しのようなものである。しかしさすがに玉男師の一番弟子、楽日前は顎の角度や口の開き方で表情にも嫌らしさが出、横柄な態度もちょっとした手足の動きなどで体現されていた(なお、左遣いの休んでいる時の姿勢がよろしくないとの指摘があったことを付記しておく)。太夫はやはり品格と重量感を底にして、悪意を味付けする行き方。詞などもう少しリアリズムであってもと感じたが、前受けを狙わないことに骨頂がある。呂勢の尾上は艶やかで張りがあり高いところへも行き届き、美しさに哀切と悲哀が降りかかるという、露に濡れた紅桜の趣が秀逸であった。詞章には考えて節付がされている、そこを正確にトレースできることは当然のことなのだが、近年「情を語る」が錦の御旗同然に威圧しているから、本来の音曲性が二義的にとらえられているのはどうかと思う。もちろん紋下格の住師は、その両者がきちんと体現されているのであるが、ストーリーがわかるように押していけばいい、そう考えている太夫があるとすれば問題である。音の高低が人間の精神に及ぼす作用は、その情を喚起することに不可欠であり、不可分の関係であることは言うまでもなかろう。西洋のオペラ(楽劇)にも比定されることがある人形浄瑠璃であるが、前者から音楽性を抜き取るなど考えもされないだろう。しかし、後者の場合、新聞の演劇評などを見ても、そこにまったく触れていない(触れることができない?)ものは散見されるのである。無論美声を振り回すことを奨励しているのではない。が、かのチャーチルの名言をもじれば、若い時に浄瑠璃義太夫節の美しさに酔わない太夫は情感が不足しており、中年以降まで声を振り回している太夫は深さが足りない、ということにでもなろうか。善六の新はよく動いているし性根にもピタリであった。腰元も前に出る語りでよい。

「廊下」
 伊達さんの独壇場で、清友の三味線がよく合う。任せていて安心の床である。初日も流石だったが、楽日前はよほど脂が乗って客席の反応も抜群であった。前半のしゃべり、中程のいびり、後半は悪の両人の強さと弱さ、お初に声色を使うことなく、他との落差で表現できる。年功による自然体の浄瑠璃とはこのことだろう。人形も腰元の動きよく、弾正がまたそれなりに見えたのは玉志の成長といえる。

「長局」
 綱大夫清二郎。ここも越路師の浄瑠璃が頭に強く残っているところだ。口伝に言う「吐息つきテモ恐ろしい巧み事」ここが完全に極まっているから、客席もまたマクラから息を詰めてここで吐き出す。そうなるともう浄瑠璃世界に入り込んでいるわけで、次の尾上の出を待つことになる。その主人と召使いとの探り合い、空白の間の語りが抜群で、三味線も息を詰めているのが伝わってくる。こう仕込みがきっちりしていると、部屋へ通ってから、母の手紙に溜めておいた衷心衷情を吐露して解放されるまで、もうそのままであった。敢言すれば、「跡に尾上は胸迫り」以下の地で、お初の様々な所作よりも、目を閉じて聴き惚れるようにまでなったなら、極上のカタルシスであったのにとは思ったが。人形では紋寿がやはり悲哀十分な女性を近年実にうまく遣っており、尾上も「草履打」では遺恨が復讐として外に出て岩藤を害するのではなく、内にめり込んで我とわが心身を傷付ける行き方が何とも辛く、ここでもまた内へ内へ巻き込んで沈んでいく様子が、よく描出されていた。その分、お初が出て行ったあとの愁嘆がずいぶんと表面に出てきて、派手な動きとして感じられたが、これはまあ落差ということであろう。
 後は千歳清治の担当で、ずいぶんと期待したが、うーんと首をひねる結果であった。確かにお初の狂乱と必死の言動はずいぶん強く伝わってくるのだが、あまりにも荒れていて乱暴に聞こえる。それと、最後はその胸中の破れんばかりの思いを、岩藤への復讐として燃焼させるわけだから、その溜める部分、持ち堪える部分まで、あれほど噴出させてしまっては、深いところがスカスカである、とこれはまた三十代前半女性の評言でもある。まったく同感である。表面的に美しく流れる場面ではないことは百も承知であるが、一杯に語るということが、ああいう語りを指すのかどうかははなはだ疑問である。十年以前に故師の端場を勤めていた時は、早く五代目をとの思いだけであったが、今はむしろこのままでは…という思いの方が強い。節付をきっちり表現すれ、その高低に聴くものの心は反応するはずである。清治氏はどういう思いを抱いておられるのか、それは無論舞台上で伝わってくるのであろう。次公演を待ちたい。人形のお初、床とは齟齬が感じられたが、飛び回らないのは一つの見識であり、むしろ緊張に震えるという解釈である。ただやはり、復讐の念をエネルギーとして蓄える部分に、いささか物足りなさを感じた。

「奥庭」
 三味線の清志郎はもう中堅の域にある。順調そのもの。太夫は文字久で正攻法。しっかり声を出し、明確に大きく語る姿勢は、三段目を勤めるべき人である。もともと器用ではなく、この場もいささか平板であったが、前場に比して、どっしりと構え独り善がりに浄瑠璃を振り回さないところが、むしろ好ましく今後に期待もかかるというものである。とはいえ、岩藤の性悪ぶりを活写してお初の仇討ち成就に拍手喝采させる一段としては、面白みに書けたと評さねばなるまい。人形はカサヤのメリヤスに乗っての立ち回りが、楽日前には見事に極まり、声を掛けたくなるほどであったのは、大団円として望ましいものであった。
 五月東京は太功記の通しである。貧乏暇なしとて見に行けそうもないが、現状三業の総力がいかほどの結果をもたらすか、楽しみでもあり不安でもあるところだ。大阪十一月公演の演目は何か、今からすでに気になる四月公演鑑賞の後記である。