平成十九年一月公演(5日、20日所見)  

第一部

『花競四季寿』
 今回はただの景事ではなかった。いやむしろ、本公演中最上の演目だったと評してよいかもしれない。三業それぞれが素晴らしかったが、とりわけ三味線と人形に感じ入った。耳目に心地よい舞踊曲であるが、今回はそれぞれに込められた象徴的意味が深く感じられ、絶品の風格まで備えた出来となった。それはまた、良き道具方・照明方を得たからであり、下座の力に因ってでもあった。
「万才」
 まず才蔵の幸助に感心した。祐仙カシラで派手にやればもうかるというのではなく、ユーモラスな動きではあるがそれぞれの所作に記号的象徴的意味が付与されており、言ってみればネタ作りの天才的漫才師が舞台上でボケを担当するようなものか。もちろん正真のボケで卑俗に徹するのも悪くないが、この遣い方は解釈するという知的楽しみを十分理解してそれを与えてくれる。それが理屈に堕さず絶妙なバランスで表現されているところがすばらしいのである。一方太夫の紋豊はツッコミ役であり若男カシラ、端正な魅力には今一歩だが、誠実なそして当然万才師としての剽軽な面を見せてくれた。床はシンが津駒で新調(?)の見台にハルフシからの語り出しも力があった。三味線シンの寛治師がやはり特筆すべきで、この景事に大曲の風格を感じさせるに至ったことは、まさに重要無形文化財保持者ならでは叶わないところである。
「海女」
 まず照明方の手腕と書き割り青海波が印象的。床も緩急緩と面白く、とりわけ「汐馴れ衣」からの抒情味が抜群であったのは、まず三味線の功が第一である。千歳は悪いはずがないが、今回も声を痛めているのはこの景事の役のみなのにと不審でもある。人形は清之助が苫浦の卑俗よりも恋の思いを宿した女を前面にして優に遣った。蛸との絡みも公演後半は積極的でよかった。毎回言うが、早く亡師の名跡を継いでもらいたいものである。
「関寺小町」
 文雀師一世一代の至芸。絶世の美女小町の老残を、眼前ありありと見るが如しであった。美術はまた蕭条たる秋の野を印象的に示し、この一段の心象風景としたことは飛び上がるほどの才覚である。寛治師はもちろんそう弾くし、津駒はまだ足らぬながらもよく描出に努めた。また「よその見る目は」以下の「狂」の演じ方がすばらしく、物狂いとはこのことかと感じ入った。三業の成果である。
「鷺娘」
 これまで幾度となく見てきたが、鷺のごとく軽やかに舞う娘だと映っていた。今回初めて、これは人間ではなく精霊、しかも動物の精、鳥の精なのだと確信した。それはどこまでも透明で澄みきったモノトーンの人形美と、勘十郎の象徴的遣い振りによるものである。派手に動き回るのではなく、要所を押さえた的確な所作により、無駄が削ぎ落とされ凛とした純白の冬鷺が印象的に示されたのである。ならばこそ、引き抜き以降蛇の目に乗った段切がまぎれもない鷺の羽ばたきとなったのである。こう遣われると、葛の葉はもちろん源九郎狐も是非見てみたいと思うのは当然だろう。床もまた清新かつ華麗に勤め上げた。大当たりの景事、すばらしかった。
 
『御所桜堀川夜討』
「弁慶上使」
 端場を松香宗助。女ばかりの場をこの両人ではとも思ったが、それは杞憂。おわさは声柄でなく語り口が問題なのであった。まずマクラの賑わいが出来、女遊びの様が面白く、ここまでしっかり掴んであると、眼目のおわさの出からもスムーズに入っていけるのである。海馬の件のノリ間、公演後半には面白くよく動いた浄瑠璃となった。それから、弁慶が面白い人物として紹介されていることで、切場からの登場へ興味を引くことにる。
 切場を伊達清治で勤める。伊達さんは公演前半など何とも聞き辛く、詞は突っ張れても地合は如何ともし難かったが、そこを清治が掛け声も敢えてして導き、おわさのクドキに至るや見事太夫を全きものとした手腕は、次にハコに入るべき三味線弾きである。中日を過ぎれば声も出易く、弁慶の大きさが人物の底に面白みを敷いて描き出され、しかも剛胆不敵の超人性(孔明カシラとは別の意味で常の人ではない)が声柄もあって感じられ、聞く者の心に迫るものであった。また、この悪声で信夫の健気さに涙することができ、おわさの愁嘆が身にしみたのも、床の力量が、魂が宿った血肉あるものだからであろう。そして侍従夫婦の大人としての言動が、この悲劇をきっちりと人の世の理の中へ位置付けもしたのである。二つの首を持ち帰る弁慶は、いつでも死ぬ覚悟が出来ている。最期が立ち往生であったことも思い合わせられよう。しかし、この現代日本では、死ねば損でありとにかく生きていればよいのであって、弁慶はもちろん義経も卿の君も、自分たちは犠牲にならない立場とは勝手すぎる、後味の悪い不愉快な芝居だと受け取られるのである。もっとも、独立の死よりも隷従の生をよしとするのである以上当然ではあるが。それでも、信夫が自ら命を差し出そうとしたことを忘れてはなるまい。さて、こう書いてくると今回非の打ち所のないように思えるが、弁慶と再会したおわさに、17年前の苦くも甘い思い出が蘇り、年甲斐もなく恥じらうクドキの魅力は残念ながらあまり感じられなかった。娘を失った愁嘆が際だつ形となったのは、手摺と共の結果であろう。
 弁慶の玉女、大団七の個性を面白く遣い、むしろ大雑把が好ましかったとはいえ、口元の締まりのなさはどうだと思ったが、公演後半にはすっかり立役の趣となり、強さや重厚さを出せていたのには感心した。故師匠が遣うと知的で厳しく引き締まった弁慶となるのだが、玉女の場合、むしろ木偶芝居らしい温感を持ち味にしてもいいのではと思う。型の良さは一段と向上し、大きく遣えるようになって、あとは肚が出来上がるのを待つばかり。もちろん、父親としての慈愛が滲み出るには、更なる年輪が刻まれなければならないが、それは将来の楽しみとして取っておけばいいのだ。劇場へ通い続けることができるためにも。おわさの和生、床との関係もあるが愁嘆は出来たが色気はもの足りず、しかし前受けして儲けないというのも芸風であろうし、非難するには及ばないことである。侍従太郎はワキとしての存在感を玉輝がきっちりと示した。おわさを叱るところと切腹の述懐ではもっと前面に出てもいい。花の井は文司で女形とはずいぶんと珍しい(こういう役所は玉英がぴったりだろうと思う)が、師匠は女形から立役とこなす達人であって、今回の老女形もなかなかしっかりと遣って見せたのはさすがである。御乳母の貫禄は見えた。信夫は簑二郎で納得。動ける人だがここは信夫の健気さと誠を描出して節度あり。ただし、最期は詞章通り無念の別れが今少し強く表現されてもと感じはした。卿の君は飾り物でなく自然。
 なお、伊達さんは自然にきちんと「くわいたい」と語る。これもあるし当然切語りとしてあるべきで、ここでの扱いもその力量からしてのことである。念のため。

『壺坂観音霊験記』
「土佐町松原」
 端場らしく軽く高く。そしてお里が出来ていれば問題ない。咲甫と清馗は変化にも留意して成し遂げた。が、間と足取りをとりわけお里の涙一雫に凝縮できれば、手放しの礼賛となったであろう。咲甫のあの鋭い目つきが、語りの中で自然と出るようになれば本物だ。

「沢市内」
 住師錦糸の「壺坂」が名演になることは間違いない。冒頭の二上り唄からこれはと思わせ、「鳥の声」からは沢市の心理描写と重なる。これを「よい機嫌」と言うお里はどうかしているし、沢市がムッとするのもわかる。ただお里としては、どこまでも前向きに楽観的でないとやってられないのだろう。沢市の拗ねた愚痴は、盲目の語りをよく体現する。相手がどこにいるか確定できないから、その辺りの空間へ大きめの声を投げかけるしかない。つまり声に定位がないということになる。オーディオスピーカーの正負を逆に繋いだ状態と喩えることもできようか。とくかく、こういうリアルな描写は住師と錦糸を置いて他はなく、SP音源よりこの方耳にすることができる中でも随一と言ってよいだろう。眼目のお里のクドキは田舎座頭の妻として貞心あふれるもので、聞かせどころというよりも、懇々と訴えるものと感じられた。そしてこの方が、文雀師の人形とぴたりだったのである。しかしこのあと盆が回る。2月東京も「合邦」の後半。いつまでもお勤めいただくための、劇場側による最大限の配慮である。
「山」
 後半の富助。三重から張って段切は祝儀の万歳まで、力感あった。さて、沢市の唄は「死ぬる覚悟」が底にあったか、死の決意は随分と冷静、お里のクドキは手の一つや二つ鳴ってもいいと思うが(越路師引退直前興行では夥しかったが、あれはご祝儀だったのだろうか)、等々。
  文雀師と文吾は長年連れ添った熟味が感じられた。以心伝心。それゆえに、段切の万歳がもっとも映ったと思う。全編を通して見れば、悲劇というよりも予定調和の安心感があったというところか。「労り渡す細杖の細き心も細からぬ誓ひは深き壺坂の御寺を指して」この夫婦愛と信仰によって、観音の霊験は眼前であると感じさせた遣い方は、かつてないものであった。とはいえ床の方はそうとらえての語りではなかったのであるが。
 今でもこの「壺坂」でよく聞いているのは津大夫道八の録音。あの必死さ、もがき苦しみ、痛切な叫びは、決して沢市をマイナス思考だとか、根性なしだとか、イライラするとか呼ばせることはないものである。そのように観客をして言わしめたものは何か。今回前後半を通じて客席が冷淡だったのは何故か。非現実(非現在)的なストーリーのためであろうか。それならば「弁慶上使」は現代日本人にとって不条理きわまりない作品であるはずだが…。
 

第二部

『二人禿』
 正月気分だからと言って、各部の筆頭に(第一部は追い出しも万歳である)景事を持ってくることもないと思うが、今回は三業がよかったので納得することにしよう。が、第二部の追い出しがあの道行というのはどうかと思うので、ここと併せて浮いた時間を「新口村」にした方がまだましではないだろうか。もちろん、大近松作『冥途の飛脚』を金看板にしたいからには、その付け方はできないということかもしれないが、あの道行自体が詞章の切り継ぎといい節付といい、とても近松作と名乗れないものであるから、次回以降は考えていただきたい。加えて、「廓づくし」などという狂言建ての趣向はないので、制作担当者には是非とも「義太夫年表」大正篇(明治篇は今回大目に見よう)と「文楽興行記録」(昭和編)を読み通すことを自らへの課題としていただこう。
 床のシンが三輪清友という贅沢なもので、柔らかくかつ鮮やかで清新。ツレ二枚目以下もよく応じて、客の心をほぐしたのは上々である。人形もまた良く、玉英は立ち姿と動きに滑らかで艶のある遣い方は、年嵩の姉的な少女という趣さえ感じさせるほど魅力的であった。一方(和右)はいささかぎこちなく、動く禿人形のように見えた。そんなこと人形を遣っているのだから当たり前だ、とはならないところに、人形浄瑠璃の真価があることは言うまでもない。年下で場慣れず着慣れぬゆえの堅さの描出ということでもないはずだ。

『嫗山姥』
「廓噺」
 近松の時代物、しかもその二段目が丸々ほぼ(これについては後述)原型のまま伝えられている。八重桐のしゃべりと所作の賜物であるけれども、義太夫浄瑠璃節として魅力があることは、越路大夫喜左衛門の名演を一度でも耳にすれば(劇場側とりわけ企画制作担当者にとっては当然のことだろうけれど)わかることだ。この一段は「愛」の物語なのである。いやこれは廓での色恋沙汰の面白き人間模様だ、との受けとめ方なれば、時代物として失敗で、坂田金時も誕生せず悪の勝利で終わるだろう。
 マクラ(今回は端場扱いとして切り分けてある)はソナエから重々しく、「月日重なり〜憂きふしに」で放置された姫の悲しみをしみじみと高音に触りながら美しく描出する。「もし御短慮」から間も足取りも変化して、局の諫言へと続くのである。姫の詞は「何の心が」のカカリから音遣いを極められるかどうか、「どこを当途に一筆の」は三味線に上を弾かせて不安に沈む語りを響かせ、「おりや泣くまい」でゆるやかなノリ間となって、「はら/?と」で感極まって高く泣くのである。これでまずこの一段の通奏低音となる「愛」の第一の形が見事に描出されるのである。そうでなくば、「貰涙に暮れければ」は虚辞となろう。それからパッと変化して気晴らしのため煙草売を待つことになる。
 呂勢喜一朗はマクラの間や足取りを心得、局の存在感も描出、姫の哀切も伝わり、中堅として存分な出来であった。これからの10年が楽しみなコンビである。
 ヲクリは坂田時行の出のため。色男で女に好かれそれはまた女好きともなり(「上り詰め」の音遣い)、しかしそれは父の横死によって目覚めさせられる。「埋もれし名も父の仇晴さんと思ふ志」ここに強い意志と決心が描出されなければ、時行はただの軟弱者、廓に溺れた忠兵衛と何ら変わる所のない男となり、当然時代物の背骨もまた失われる。八重桐との別れは彼自身「相対づくの離別」と言うとおりで、「厭かぬ夫婦の仲をさへ三行半の生別れ」この低音に沈む悲哀でそれは十分感じ取れるはずである。もちろん、「今は身過ぎと引担げ」で気を変えて現実に立ち戻るのであり、乞われれば「下地好きの道」ゆえに三味線も弾くのだが、「弾くその主の成れの果て親のばち駒」これが時行描写の駄目を押す形になっている。八重桐の出からは普通に見たまま聞いたままでよさそうであるが、ここに第二のそして中心となる「愛」の形がしっかりと描出されていなければならない。でなければ、この一段は景事として耳目に楽しい作へと堕してしまうだろう。もちろん越路喜左衛門の奏演にはその危惧など微塵もないが。三味線を立ち聞き「作出せし替唱歌」と音遣いにカカっての述懐は、昔の恋を思い出す嫋やかな女心の現れであり、「飛び立つ胸も」の琴線に触れる高い音での表現は、恨み憎しみを口にする女の底を流れる真実に気付かせてもくれるのだ。「尻目に睨むも恋なれや」この滑らかなフシは「やアンナ」と産み字の三つユリで収められ、一段の眼目「しゃべり」の前にしっかりと、八重桐の「愛」(と時行の衷心)を観客の胸にとどめておくように成されている。浄瑠璃義太夫節の切場は、前半がとりわけ重要である。この言葉の意味を今更ながら深く噛み締めなければならないだろう。さて、後半については詳述する必要もないと思うが、例えば「心までが腐つたか」とは腹癒せの侮辱ではなく、「縋り付いて泣きければ」とあるように、命を賭けて惚れた男の零落を嘆き悲しむ「愛」ゆえの詞である。もちろん「娘をころりと墜したと首をころりと落とすとは雲泥万里」と恥辱を与える詞は皮肉十分であり、それ故に時行も腹を切るのだが、「これは狂気かと縋り付けば」で、夫の突然の最期を嘆き悲しむ心情は明らかなのである。段切は人形の見せ場、それでよいと思うが、実はここに重要な詞章の省略がある。歴とした五段構成の時代物であるとはいえ、上演を重ねるうちこの一段のみが残れば、後段への接続に関わる詞章はカットし改変されるのはやむを得ないことでもある。「何某を女とや。オヽ女ともいへ男なりけり胎内に。夫の魂やどり木の梅と桜の花心。妻と成り子と生まれ思ふ敵をうつせみの。体は流れの太夫職。一念は坂田の蔵人時行其のしるし是見よと」。この省略された詞章はまさに夫婦愛とその結晶としての坂田金時誕生を予祝していた。ここを省略しても、「愛」の物語は十分伝わると考えられたのであろうか。確かに越路喜左衛門の奏演において、また玉男の八重桐に清十郎の時行という人形において(公演記録として残っている)、それは確実にこちらの胸に届いていた。では今は、本公演ではどうであったか。観客の声はすべて八重桐の人形絶賛だけであったようなのだが…。
 嶋大夫を聞くことができる喜びを久しぶりに味わい、清介が相三味線であることの大きさもあらためて感じ取った。簑助師八重桐の魅力は、舞台を溢れ出んばかりであり、「しゃべり」も「ガブ」も堪能という言葉がこれほど当て嵌まる遣い方は絶無である。時行の和生は「最期の念ぞ凄まじき」に実力が明白であった。
 東京国立初期の公演記録を試聴すると、現在の公演がいかにスマートですべすべしたものであるかがよくわかる。しかし、あの白黒画面と雑音入りの世界は、その引っ掛かるもの、こすれる摩擦力とでもいうものが、人形浄瑠璃の生命力として必要なのではないかと思われてくるのである。省略された詞章は、今そのことを如実に物語っているようでならない。その点、鑑賞ガイドにある「山めぐり」や「神仙性の予兆」などの語句は、無意味な贅言でしかないように映るのである。

『冥途の飛脚』
 本公演もなかなかの出来であり、そこには近松の筆の力が何よりも大きいのであるが、それは人形浄瑠璃義太夫節のテキストとして書かれたゆえでもあり、節付の妙も当然堪能されるものである。素読ではとうていその魅力に迫れるものではないはずだ(「はず」と書いたのは、三業の実力が地に落ちるようなことにでもなれば、素読の方が何の妨げもない分マシだと言われかねないからである)。なお、テクストクリティークによる作品分析もすべきであるが、前回公演(平成十四年秋)の評において詳述したところなので、今回はそちらを参考にしていただきたい。

「淡路町」
 ここのところ前後に分けて勤めさせていたものが、今回は丸々一段の咲燕三である。このことからしても、床が切語りレベルであることは認知されよう。そしてもちろん内実もである。マクラのフシ落「居ながら金の自由さは一歩小判や白銀に翼のあるが如きなり」、これが忠兵衛の「色の訳知り里知りて暮るるを待たず飛ぶ足の」が効いているだけに、単に飛脚屋の商売繁盛の描写にとどまらない。それがまた「内を出ざまに延三折づつ入れて出て戻りには一枚も残らぬ」で観客をも失笑へと誘ったのは大手柄である。さらに、田舎大名も貨幣経済に翻弄され一端に蔵役人を置いている、その徒士若党を描写する「銀拵へも胡散なるなまり散らして帰りし」が実によく映った。忠兵衛の出「籠の鳥なる」からのハルフシもよく、飯焚まんは見事なもの、「親仁とも言はるる」八右衛門は押し出しの強さありしかも敵役ならず。そして忠兵衛の衷心が応えて、手形の件も面白かった。一段の足取りも公演前半はとりわけサラサラとして、全体を通して近松世話物の模範となるべき奏演であった。
 人形はまず勘十郎の忠兵衛がその出から地に足つかぬ様を活写し、八右衛門の酒臭に顔を背けるところにも柔弱な色男を感じさせる繊細な遣い方。羽織落しも「氏神のお誘ひ」などと平気でぬかす調子者の「行きもせい」と走り出す様は、自分では自分を分からぬ人間の愚かさまで見たように感じた。玉女の遣い方はその出から深く悩む趣であった。玉也は懐に飛び込んで頼られると意気に感じる八右衛門、近松世話物中でも特異な陀羅助カシラを熱い心とともに描出した。紋豊の母妙閑は長年商家の嫁として慎ましく暮らしてきたがゆえの騙され易さが自然と失笑を買うというところがよく映っていた。あと手代が可笑味に堕ちず「主思ひ」に遣った(勘緑)のが好ましく、下女(勘弥)もきちんと儲けていた。国侍(玉佳)は粗野でよし。

「封印切」
 綱大夫。忠兵衛出の前から一音下がるのは、先代師匠直伝であろう。かつてここで端場切場の太夫交代があったのか、上演史を探るのも興味深い。「くわ」「ぐわ」音もきちんと伝承されており、浄瑠璃義太夫節第一人者であることに揺るぎはない。丸々一段を楽日まで破綻無くこの年齢で勤めるのは驚異的であるが、さすがに厳しいものもある。そこは清二郎がよくわかっていて文字通り女房役として支える。さて、本公演は八右衛門が抜群、類無し。梅川の衷心衷情も二階での述懐に早くも胸を打たれ、なればこそ三世相もしみじみと響くのである。ここの三味線はまたすばらしかった。忠兵衛は絶叫せず、梅川のクドキもしみじみとしたものであった。
 紋寿の梅川、派手派手しからず、始終悲しみに沈む愁いの姿は、一段の詞章にも情趣にも適うもので、端女郎見世女郎としての格を踏み外さないものでもあった。ただそれ故にわずかに見せる明るさ(「何心なく勇む顔」の詞章などにあるように)はもう一段鮮やかに遣ってもと思われた。あと花車は女主人としての貫目と余裕が感じられ(亀次)、遊女二人は廓生活に泥んだ気さくなところを見せた(勘市・一輔)。

「道行相合かご」
 西亭による数々の作曲は当時の文楽を救い、近松復活の大いなる力となった。とはいえ、現在はその「速き仕事」の内実を再検討すべき時期であるだろう。そういう目で見ると、まずこの詞章の切り取り改変は拙いものだと言わざるを得ない。周知の通り、この後梅川忠兵衛は彼が生まれ里「新口村」へ逃げ隠れようとするのだが、ここでは心中場へ出向くかのように来世の契りと現世での肉親への別れを、お定まりの文辞によって並べ立てる改変が行われている。また、せっかく相合かごで道中の道行に地名を辿ってみせる原文をカットし、結果「零れ口」も河堀口との掛詞とは理解されず、誉田八幡宮も道中のものとは思われなくなってしまった。節付も興を惹かれるものではあるが、近松時代とは対極の近代風なところも多く(そこが作曲の才でもあろうけれど)、この詞章と節付をもって、近松作『冥途の飛脚』「淡路町」「封印切」の引き取り追い出し曲とすることは、はなはだ抵抗感がある。これを出すほどならば、「新口村」を本外題明らかにして付ける方が、むしろ好ましいのではと思われるほどだ。ひょっとすると劇場側は、11月「天網島」4月「宵庚申」とトリオで道行付きの建て方を整えたつもりかもしれないが、はなはだ疑問とせざるを得ないのである。
 三業はよくやった、というよりも称賛に値する。シンの太夫英は突っ張りも利いて前へ出、三味線団七は気合が入ったメリハリある弾き方、ワキ二枚目の文字久清志郎も道行の風情を心得て一杯に勤めた。ツレ三枚目以下も好演である。「門に立ちたは〜」の唄は節付の巧み・妙がとりわけ感じられるところだが、作曲者もこれならば満足だろうと思わせる際立った奏演であった。それだけに、近松作と切り離された追い出し景事としてならばよかったのに、とまったく残念に思われた。もちろん、近松作と切り離されては成立しないということは、百も承知の物謂いであるのだが…。