人形浄瑠璃文楽 平成二十年十一月公演 (1日、22日所見)

第一部

「靱猿」
 毎公演景事を出すのが常のようであるし、今回は襲名披露もあるから寿狂言であろう。近松近松という過剰な触れ込みがないのがよいが、時代物の大詰との解説は大仰であり無意味だ。せめて「元々は」と入れてあれば納得もするが。曲は苦労して付けてあり、清介がよく奏するとはいえ、作自体がその労に見合う程のものでもない。猿曳の英と文司に情味があったのと、大名と太郎冠者ともにこなれていたのとでまずまずだったが、猿の受け狙いが小賢しく嫌味で、おかげで主題まで丸潰しにしたのは三十棒である。

『恋娘昔八丈』
「城木屋」
 端場冒頭の鹿踊りも心得て勤めるが、丈八はつくづく年輪が語らせるものだと思った。下手上手ではいかないところ。お駒の出からは実感があった。清友指導の咲甫はよさそうだ。
 切場。庄兵衛の慈愛はもっとも。お駒のクドキなどを聞くと、ああやはり江戸の客はこらでワーワー言ったのだろうなと想像がついた。喜蔵の造形は小悪党だがさして嫌味は感じず、物足りないかとも思ったが、丈八を見ての狼狽にしろ今宵お駒に毒殺されるのでもあり、案外この程度の格かも知れぬ。横綱綱大夫師に三役格の場を宛ってあるところを、三味線の清二郎がうまく運ぶ。そろそろ藤蔵襲名をしてよい頃だろう。

「鈴ヶ森」
 こういう節付けがしてあるものは、それなりに聞かせて観客を喜ばせなければならない。しかも、その快感が琴線に触れて情愛と変ずれば至上である。清治師の指導で呂勢が挑むが、前者は全うされ、後者は半ばというところだろう。「音曲の司」たる義太夫節浄瑠璃の真髄をよく知る両者だからできたもの。戦前までの観客にワーワー言われた「鈴が森」はどんなものか、それを蘇らせたというだけでも賞讃に値する。とはいえ、現代の観客はどれほどそのことを感じ取ることが出来たろうか。半世紀の闇は深くそして濃い。
 人形を総括して、才三、庄兵衛と女房、それぞれ安定、喜蔵は先の解釈なら可、そしてお駒は可憐に出来た。その中で丈八の紋寿がやはりぬきんでていたが、突出という形になっているから何とも気の毒であった。

『五世豊松清十郎襲名披露 口上』
 先代没後早四半世紀が過ぎていたとは。襲名は当然ながらわれわれが待ち焦がれていたもの。その歳月は立派に五代目を成長させていた。それにしても、あれからわれわれにも平等に25年は経過していたということになるわけだ…。

『本朝廿四孝』
「十種香」
 五代目はよく先代の気品と行儀の良さを受け継いで交感がもてるが、あとは底にシンの
強さがあれば申し分ない。八重垣姫は初役といい、まずまずと見たが、館の姫として鷹揚な雰囲気が出ていたのが、今後の展望が感じられてよい襲名披露であった。ご馳走役の簑助師と文雀師についてはもはや評言を持たず。勘十郎の大きさは流石であるが、今回はその友情と次代への期待に胸を熱くした。床は嶋大夫がもはや余裕の域、こうなると宗助が腕には弾くなとなるのでさすがに辛かった。 

「奥庭狐火」
 ここの八重垣姫は錬度不足とちぐはぐさが見えた。やはり根本的に範疇ではないような気がする。床はいつ聞いても、寛治師の三味線なればこそ景事に崩れないのだと痛感する。津駒も例のこちらが辛くなる気張った語りが姿を消し、さすがに実力者の片鱗を見せてきたが、作としてはもっとはじけるべきだったろう。別件だが、神戸で聞いた「封印切」の八右衛門がまったく嫌味のない造形で驚いたが、忠兵衛の必死と梅川の溢れる思いは至らなかった。今後はここを一枚破ることが出来るかがカギとなろう。
 

第二部

『双蝶々曲輪日記』
「難波裏喧嘩」
 狂言の建て方は劇場側の問題であり、演者の責ではないのだが、今回のように意味もなく付けられていると、普通にこなしたのでは当然こちらにもその無意味がそのまま写る。
初日はその奸計に見事嵌ったが、楽日前には天晴れの熱演(無理に力の入った気張りではなく)に詞章が語り活かされ、これならばと思わせた。シンの南都がよく伸張したのと、津国がさすが体に義太夫節浄瑠璃が染み入っていて、この掛合一役とはあまりの仕打ちと今回も思ったのと、呂茂のうまさとその不幸とに感じ入った。 

「八幡里引窓」
 端場、破綻はないがそもそも「引窓」の明暗、そのウレイが解釈できていないようである。ただ、これについては彼の責任ではなく、彼がそうなった根本を糺さなければならない。公演記録映画会での十九錦糸をあらためて聴いて、隔世の感を新たにした。
 切場、住大夫師には評言を持つべからず。敢えて言えば、最晩年のカールベームやレナードバーンスタインの演奏に共通点が見出される。要するに一世一代これ限りのライヴなのであって、これを以て後代の範としてはならないもの。錦糸には例によって危うさ(その三味線弾きとしての技量ではなく)を感じる。ただこれも、彼の責ではなく、すでにその師の師に端を発するところのものである。それにしても、婆の泣きといい、段切りこれでもかの愁いといい、何にもまして月の出ない「引窓」は、やはり今回のは異形の物と謂わざるをえないだろう。観客は、この椅子に座っていたことを奇貨とするべきである。山城風が辿り着いた所はここだったのかと、その進化の果てを目の当たりにし耳にしたのであるから。しかし、現代の人形浄瑠璃文楽は結句お芝居なのであるなと、ここで涙する観客を見てそう思った。この芝居で惰眠を貪る者に当今劇場の椅子に座る資格無し、そう言われている気さえもした。いや、素浄瑠璃でも同じことであったろう。「情を語る」真骨頂もまた茲に極まれりであるのだから。
 人形陣、長五郎の玉也に貫録が出たこと、十次兵衛の勘十郎は今回は脇役となるべき仕掛けながら、そこをよく見抜いて遣っていたのが恐ろしいところ。綱大夫師が清二郎の三味線で語ることがあれば、もう一度その時に見てみたいものである。

『八陣守護城』
「浪花入江」
 突然ここから始められても困るだろう。そうでなくともこの浄瑠璃義太夫節のすべてを踏まえた麓太夫のものは、今日の観客のほとんどがついていけなくなっているというのに、これでまたかつて芝居小屋をワーッと湧かせた狂言が、この半世紀でどんどん忘れ去られていくという不幸を早める結果となってしまったわけだ。もちろん、ここは耳目ともに楽しませてくれるところ(現に相子などよろしい)であるのだが、今日この三業の布陣と観客でその再現を望むことは困難である。とはいえ、今回その全盛期絶頂期にどれほど客席を湧かせたであろうということを推測されるまでには出来ていたのではあるが。

「主計之介早打」
 ここは儲け役で、花形太夫の勤める場。となれば千歳だが、これが期待を裏切らず、面白さをよく伝え聞く者を堪能させた。老女形葉末の心労と困惑を軸に、与勘平、孔明、団七、源太と、今は姿を見せない座頭文七の正清を取り巻く面々と、相互のやり取りをよく活写。三味線の富助もまた東風の拡散をよく心得て弾くから、浄瑠璃がよく動いて実に気持ちが良かった。ノリ間を拗ねて乙に入る嫌味さなど皆無で結構だった。 

「正清本城」
 今回の建て方には些か難があるとはいえ、ここの出来次第で本公演の紋下格がどこに位置するのかが理解できる。そして、楽日前に聴いた時、ああこれは間違いなくここ、つまりは咲大夫にそれはあると実感した。大音強声は当然だが、変化も出来て甲乙揃い、クドキ(ここでは雛絹)の衷情と母子の情愛が伝わり、段切りまで息もつかせぬ展開を、混乱せずと面白く仕上げなければならない。この大曲を語れてこその第一人者なのだが、見事全身義太夫節に浴して、堪能することが出来た。そういえば紋下制が崩壊したのは、やはりあの時代の混乱に第一の原因があるわけであり(よく言われる個人的対立などは、今となっては表面的なものに過ぎなかったことが理解できる)、そこに身を置いた現行の三業最高位各位では困難であろうが、もはや文楽協会誕生後のかつ国立劇場開場後の世代たると言っていい咲大夫の場合は、この紋下制の復活(というよりも長かった一時停止の不自然な状況の解除)が当然企図されるべきである。その意味では、現行番付も年に一度は三味線の太夫付表記を改めて本来の格付け方式にすべきだろう。敗戦のゆがみ歪みは今以てかようにも尾を引いているのである。このまま放置すれば、この歪みが正道と認識されてしまうことは十分に感じられる。客席も、今回の第二部のどちらに感動の主軸が置かれたかによって、もはや生まれながらと言ってよい生体の歪みがそのまま固定されるか否かの別れ道となったのであるから…。と、これほどにまで感じさせられた床であったのだ。三味線燕三ももちろんその栄に浴すが、まだ太夫に合わせに行っているところが多い。女三人愁嘆の落トシがついて以降は、どんどんぐいぐいと引っ張ってもらえれば、他に言うことはなかったのである。
 人形陣は、正清の玉女が統括する座頭としての力量を将来に感じさせたことと、灘右衛門の文司が故師の跡を襲うべく急速に腕を上げ、大胆不敵の大きさ強さを相応に表現したのは、もう一枚中堅陣の札が揃った感じだ。義弘の和生はよく孔明カシラを破綻なく遣ったし、柵の紋豊は欠かせない存在として、鞠川の玉輝も存在感を見せるまでになっている。葉末と雛絹は抜擢だが、この人でなければならぬとハッと思わせるまでには至らなかったと見た。とはいえ、もう中堅に食い込まねばならない位置にあるのだが、今回はこの麓太夫の難曲が、現在にこれほどの出来を見せようとは思っても見なかったから、その感激によってすべての欠点を覆い隠されることになったのである。その作品世界をその十全たる形に於いて表現させることが、個々の技を取り立てて極大化すことなく、舞台全体の成功として収めさせること、これこそはまた、文字通り櫓下としての勤めでもあるのだ。今回、それを達成したというところに、咲大夫を紋下復活の魁とした評言の正しさが認められるものと確信する。

 今回は、この劇評そのものが「六日の菖蒲十日の菊」となってしまったため、楽日以降半月を経てなお心象に残るものを記述するのみとした。しかし、待ち望んだ豊松清十郎の襲名といい、麓太夫を語り果せて紋下復活への道が開かれたことといい、一時代を画する公演だったと言ってよいだろう。評言もまた晴雨表を含めてそのように記載したところである。そして、新年度四月は『千本桜』と発表された。これを通すに当たっては一言も二言もあるのだが、それはまた追って何らかの形と場所を以て示していきたい。とはいえ、劇場側は同床異夢かもしれないが…。