平成二十年七・八月公演(19日所見)  


 本公演はいわばサイドメニューばかりをとりそろえたというところ。暑い上に初めてのお客様にも足を運んで頂こうと、スイーツとお飲物をご用意しましたというわけだ。しかし問題なのは、第二部・第三部のメニューをメインディッシュと味わって疑わない客が大勢いるだろうということだ。時代とともに食生活は変化するとはいえ、ジャンクフードはランチではないし、ファストフードを夕食としている者を、真っ当とはとても言えないはずだ。もちろん、ケーキとコーヒーも主食ではない。高度成長期以来、食育がないがしろにされてきた(むしろないがしろにさせることで、特定国家と国民の心身をボロボロにしようとする企みに気付かなかった愚かさはおくとして)結果の現状を、そのまま認知することができないのは当然だろう。何を食べようが個人の好みの問題だ、この捨て台詞を自由と民主の象徴として、善意と想像力ある者を長く恫喝してきた、この異常さがようやく認識されようとしているのである。
 したがって、今回いずれも主食にあらざるものの格として作品を評する。よしとする評言があれば、それはもちろんその格としてよしとするということである。とここまで書いてきたが、もしや制作担当者はこれをメインと思っているのではという疑いが濃厚になってきた。その点については、以下段々に述べることになろう。
 

第一部

『西遊記〜悟空の冒険〜』
「閻魔王宮」
 開幕の雰囲気は、シアター文楽というようなもの。詞章もこれまた中途半端なもので、本来なら全面改定しなければならないところを、面倒だから放置してある。人形の方は、道具方と相談してパッパッと演出を新しくできる即応性があるから、今回も閻魔帳など大きくかつ明快となり、きっちりと前回の反省がそのまま活かされている。床本も、劇場内部でヤル気が出ないのなら(しなくても給料は変わらないしそこへ突っ込み非難するマスゴミもないから)、大河ドラマを見事現代視聴者のお気に召させた脚本家にでも依頼すればよいだろう。今回は舌を抜く場面がなくなり、現代風刺ならびに鬼の活躍が封じられてしまったのが残念だ。年齢の改竄だけを見せて、地獄の裁きそのものを見せなかったのは大いに禍根を残した。でも時間が…、その点に関しては最後大団円の場面で述べる。床はそれなりに良。

「桃薗より釜煮」
 何度言っても改まらないのが、「通力自在の孫悟空も油断大敵躓く木の根」のところ。まず、当たり前のように番人共を蹴散らかし、ここが鮮やかさに欠けることと、ヘヘンどうだと得意になって踊り上がるや木の根に足元掬われて、ここがまったく見られない。だから、ずるずると後ろへ下がって番人たちにそのまま縄を掛けられる。これでは、孫悟空のどこが強いのか、釜煮にされたいがためわざと捕まったのかと、あとになって納得されるということにもなりかねない。次に、詞章が中途半端のまま放置された箇所、そのために本来の浄瑠璃義太夫節がパロディとして用いられている、聞き巧者でなくともそれなりに親しんでいる者なら容易にわかる箇所がある。悟空が釜へ入れられる前、あれはもう女のクドキに他ならないのだから、大げさに愁嘆すべき所である。床も精出して臭く臭くやらなければならない。ただし、それがどれだけ客席にパロディとして通じるかは大いに疑問で、今回も中途半端な演出で、むしろカットしてしまってもいいだろう。「さめざめとこそ嘆きしが」を大袈裟にオトシておいて、「隙を窺い」にすぐつなげればよいのだ。あとは、釜煮に宙乗りと面白いからこのままでもよいが、一点、飛び散る油が最初から最後まで同じ様だから、釜の底が抜けての所がまったく効かない。次回への改善箇所である。あと、才覚延の骸骨はうまい工夫だが、前面で悟空が派手に立ち回っているから、やるのなら効果的に。ともかく中途半端が最もよくないのであるから。床は良。

「火焔山より芭蕉洞」
 秀逸。よく出来た一段で、何と言っても床の存在感がある。ここまでは、別に文楽でやらなくてもいいところを、無理矢理やっているという感がなきにしもあらずだが、この英と団七の奏演を聞いていると、浄瑠璃義太夫節としての面白みがしみじみと感じられる。もちろんそれは、入れ事という意味をも含む。子ども向けの新作だから面白いのではない、伝統的手法であるのだ。床ももちろんそれをふまえての語り。一方の手摺も言うことなし。芭蕉扇も大きく存在感あり。大阪名物くいだおれ人形を出したのも褒めておきたい。冒頭の避暑モドキはあまり感心しない、というのも、三蔵一行危機の場面が今回はまったくないからだ。お気楽極楽の天竺行ではさすがに拙い。テレビでも人形劇でもアニメでも、そこはきちんとふまえていたから、悪巫山戯にはならなかったのである。

「祇園精舎」
 前回を踏襲だが、前半の意味、解脱なり捨身なり即身成仏がまったく伝わらない。ならば、お供の個性を見せるつもりと過小評価してみても、冴えない場であることに変わりはない。もうすぐに祇園精舎到着でよいだろう。その浮いた分は、猪八戒なり沙悟浄なりの出番を増やしてやらなくては。終演後のファンサービスはいいだろう。悟空をはじめ人形ならではであるし。ただ、天竺があがりというのなら、散華を客席にまで降らせるなど、更なる工夫はあるべきだろう。ただ、今回は悟空に始まり悟空で終わったのだから、これでいいのだ、と言いたいのだろう。勘十郎の悟空以下、手摺はすべて賞讃に値した。
 

第二部

「景事 笠物狂」
 お夏清十郎というのと二世喜左衛門の節付けというので持ち上げられているが、それこそプログラムの筋書きを仕込んでおかないと何の興趣もない。鑑賞ガイドはおまけに戦後合同公演云々の能書きを垂れ、「文楽にとっても近松作品と真剣に向き合った記念すべき公演でした」などと、大嘘というよりも近世から近代に至る人形浄瑠璃上演史をまったく理解していない暴言を吐いている。こんな玄人モドキが出しゃばるようになってはもはや伝統は完全に断絶したと言ってよい。もちろん、ここで言う「文楽」というのが、国立文楽劇場開場後しかも越路大夫引退以降のことを言っているのならわからないでもないが(しかしながらそうではないことは次の『鑓の権三』の解説を読めばわかる)、それにしても「真剣に向き合う」とはどういうことか。説明責任があるはずだ。ところで、「義太夫年表」が各代ごとに編纂されているが、平成篇のころには、かつて公式として採用された新聞評など、評者を選ばなければとても掲載できるものではない。もっとも、芸能担当記者の目が(もちろん制作担当者もだが)いかに曇ってきたかを比較検討するには、格好の材料となるではあろうけれど。それにしても、今回のプログラム全体に漂う近松至上主義には、閉口を通り越して不快感を抱かざるを得ない。当然、近松がすぐれた戯曲作者であることはいうまでもない。問題は、近松作品の上演が、人形浄瑠璃文楽の正統であるかの如く誘導的に語られていることだ。これが意図的でないはずがない。なぜならば、それは上演史に対する無知の露呈を意味するからである。なお、二世喜左衛門についてもすべてを手放しに賞讃することは慎まなければならない。この「笠物狂」についても、過大な評価には首を傾けざるを得ない。そして現状を考える時、個人的には、その在世当時互いに一歩も譲らなかった先代寛治の三味線、こちらを愛おしく思い始めている。寛太郎君、君の責任は重大なのだよ。
 ということで、第二部近松万歳の時間合わせのために選ばれたものであるし、景事として楽しめといわれても、そういう節付けでも人形の動きでもなく、太夫のシン千歳は相変わらずで二枚目は南都だし、三味線の富助は浄瑠璃義太夫節のサービス精神とは何かをよく知っている人ではあるが、この持ち場ではどうにもならず。辛うじて清之助のお夏と組み合わせて、そこはかとなき哀感がしみじみと漂っていたとはいえ、それ以上のものではなかった。夏の景事というのなら、あの野菜達が踊る方が数倍よかったろう。あ、いや、これはさすがに近松のちの字もなかったか。

『鑓の権三重帷子』
 またしても『鑓の権三』である。上演頻度からしても『堀川波鼓』をかけるべきなのに、制作担当者はその良さを知らない、いや、その上演自体を知らないのではと疑われても仕方ないだろう。劇場側の人材が貧困なのはそっちの都合だが、そのとばっちりを受ける観客側はたまったものではない。もちろん、当作が視覚的にあるいは演出的に面白く前受けするものであることはよくわかるし、それが上演可否を決める重要な要素だということも理解できる。しかし、結局は「現在では頻繁に上演されている」という、役人的安心感によるものであろうことは、鑑賞ガイド中に「近松姦通物」として総合的にとらえる視点がないことからも明らかである(解説・すじがきとは別物であることを心しておかねばならない)。要するに、団塊と団塊ジュニアによる「いま・ここ」絶対主義なのである。ただし、それが現在においてとどまっている限りには問題ないのだが、未来を生け贄に捧げ、過去を汚そうとするに及んでは、黙ってはいられない。とはいえ、ようやくその歪んだ思想で洗脳し続けた本体が馬脚を現し始めているところだから、来年までの演目を見てから、最終的な結論を下したいと思う。もっとも、それが断罪にならなければよいのだが…。なお、近松原作をふまえての評言は前回の二番煎じになるから、以下のリンクから劇評を参照されたい。03aki.htm#鑓の権三

「浜の宮馬場」
 切語り伊達大夫の逝去にともなって英の代役である。残念この上ないとは言え、三味線清介がここのところ切場を離れた弾き方で飛ばしていることもあり、これが予想以上の出来、というよりも本役として何ら遜色のないものであった。敢えて言えば、英はかつての伊達の位置にまで高まったとしてもよいだろう。それほどに見事なものであった。まず、乳母がいい。そして伴之丞。忠太兵衛も結構。肝心の権三だが、これは文字通り正統的な義太夫節浄瑠璃における常套の白塗り源太ではない。お雪との関係も迫られての言い訳であるし、上昇志向もきちんと描いてある(西亭もさすがにそこを見失うまでの改悪はしていない)。そこを間違うと、この話全体が本人の「意志に反して」起こった悲劇と読み誤ることになるのだが、そこはまず人形を簑助師が持って安心の上、英が清介の三味線を得て、好い男ではあっても善人ではないことをきちんと描き出した。なお、人形陣はどれも正解で、前回お雪の玉英を乳母にし、そこに簑二郎をもってきた首割りも結構だった。

「浅香市之進留守宅」
 嶋大夫の語りに尽きる。とりわけおさゐの描写が抜群。全体として弛みなくよく詰んだ語り口は、さすが第一人者とまで上り詰めた感がある。三味線の宗助もよく練れていた。無論特筆べきは文雀師のおさゐであって、あとは各人精励努力の跡が見えた。ここまで来ると、西亭改作物はそれとして受容されるべきものと思われたのだが、これは三業の成果に尽きる。少なくとも、近松原作と西亭改作とを一つ物とした鑑賞ガイドの本意が通じたためではないことは明らかであった。

「数寄屋」
 おさゐが自らの帯を解いて投げ渡すのを、単なる筋合わせのためとし、近松の筆の至らなさとするのは、女の心身の深層にあるものをまったく理解していない者の戯言である。これについては、当の女性も気付かぬままの者もいるし、男に至ってはなおさらで、加えてそれを気付かせるほどの男など現実にそうはいない。ただし、その至高の幸せはともすれば究極の不幸と隣り合わせでもあるのだが…。さて、綱大夫と清二郎はもちろんわかっているから、これを「意志に反して弁解のできない状況に追い込まれたという設定で脚色しました」などという、表面的で薄っぺらな理解(というよりもむしろ無知の領域に属する)をされないように語っている。ここができるかが至難の業で、あとはどうということもない。段切りで「足四本」と姦通両人を四つ足に描いておいた近松原作の詞章も、きっちりと語り活かしたのは、さすがに近松語り「綱大夫」を先代から引き継いでいる。これでもなお、妻敵討まで両者が潔い関係であったとする解釈をする者が存在すれば、それは聖人君子というよりも不能者であろう。なお、人形の権三が波介を殺めるところは、詞章通りにぐいぐいと抉らなければ、その無念さの表現はやはり至らない。それにしても、近松晩年の皮肉や怜悧はぞっとするものがある。『心中宵庚申』にしてもそうだが、甘ちゃんの現代日本人にとっては、この突き放しはとても恐ろしかろう。

「岩木忠太兵衛屋敷」
 ここは節付けも近松原作当時を何とか辿ろうとしているし、床の咲と燕三がさらさらと語り進めて、実に好ましい仕上がりとなった。ただ、もう少し各人物の心情に突っ込んで、こちらへ涙を催させる所までもっていってもよかったとは思うが。さすがの近松も、伴之丞の死を眼前に示して、観客のやるせなさを辛うじて掬い上げているのであるから。

「伏見京橋妻敵討」
 ここでおさゐと権三がどういう心境であるとか、考えてみるのはまったく無駄なことである。なぜならば、それは近松原作を読み込むよりほかないのであるから。ならば何を聞いて何を見るか。それは冒頭の盆踊りである。橋の下の惨事は知ったことではない。それよりも、年に一度のハレの晩を踊り明かさぬ方が愚か者であるのだから。もっとも、妻敵討もハレの場には違いはないだろうが、そう収まるのは武士社会ではケなのであるし。ただし、観客はその両者を盆踊りの歌詞を比喩として繋げるようにしてあるが、清治師の三味線は呂勢・咲甫を従えて、二枚目の清志郎以下とともに、西亭の曲、その盆踊りをきっちりと弾き活かし語り活かしたのである。くれぐれも最後の妻敵討で、気張ろうなどとしないことだが、そこは三業ともよく心得て、前回を上回る出来となったのである。
 

第三部

『国言詢音頭』
「大川」
 津駒に割り当てられているが、最近の彼の処遇は、艶物語りからの脱却を図られているという感がある。ではどこへ向かわせているかと言えば、どうやら何でも語れるようにということらしい。幅を出すということだろうが、中途半端に終わっては元も子もないというのは、これまで何人もその無惨な結果を耳にしているだけに、杞憂ではないはずだ。確かに、今や津大夫の系譜は風前の灯火で、津国が結局あのままである以上は津駒へ向かわなければならないのだが、本性として果たしてどうだろう。なるほど、これまでも、津駒は寛治師の三味線を得てから、よく努力しよく勉強し、例えば初日に聞いてその不足を指摘すれば、次聞くと見事に克服されている、ということが日常になっていたから、その実力の向上は確かなものである。だが、そのたびに客席で思うのは(今回もだが)、快感に繋がらない、よくやっていると感心をするが、そのこと自体が浄瑠璃に身を委ねることができないということを意味している。これは演目のせいではない。仮にここを故相生なり、あるいは新の抜擢で不十分が当たり前だとしても、おそらくどちらも、スッと胸に納まるところや、ニヤニヤして聞いているところがあるに違いないのだ。言っておくが、ここまで決して津駒を非難しているのではない。彼の浄瑠璃をどう完成させるのか、それはやはり劇場側に大きな責任があると言うことなのである。津大夫系の芸の問題とも関わって、これからも目が離せないのだ。
 さて、そこで今回のこの一段、やはり初日は届かなかった。確かに、初右衛門の表現にまず心魂を砕いたから、玉女の人形もよく映ったのだが、「胸のほむらを納めた顔付」の裏表などになると、一生懸命だけでは足りないのである。伊平太の奴詞も心して語っているのはわかるが、やはり面白いというところまでいかなければ。加えて仲居と太鼓持ちも軽々とやってのけてこそ雰囲気が出るというものだ。もちろん、足取りや間などもきっちり仕込んではあるのだが、全体として窮屈で苦しい印象を拭いきれないのである。となると、この立端場はそれこそ伏線の筋として知っておけばよいことになり、先代燕三の節付けも冴えない結果となってしまった。とはいえ、これはすべて切語りへの道として越えなければならない試練である。今、咲は実質切語りで英も本公演でその格に至ったと感じたが、そのあとの津駒・千歳はいかにも苦しい。がしかし、産みの苦しみであることを願って劇場に足を運ぶまでである。むしろ呂勢に、声柄をそのまま磨いていけば、最短路が開けているようにも思われる。とにかく、聞く者に苦しい思いをさせるようでは、それは浄瑠璃義太夫節ではない。寛治師の三味線だけを聞くわけにはいかないのだから。
 あと、この後の休憩15分はまったく無用。それだけ早く切り上げれば、どこかの店で今日の舞台を肴にという余裕も出てくるというもの。しかしこれは劇場側の顔を立てた言い方で、その実客席では、え?もう休憩?とあっけにとられる人がほとんどであったのだ。せっかく、筋の仕込みから何か起こるぞと思わせた緊張感を、ここで切るのは上策ではなかろう。

「五人伐」
 端場を文字久が師匠一番弟子として勤め、清友がバックアップする。もちろん切場への仕込みの段だが、立端場「大川」と比較すると、この端場の方が断然面白いし聞かせ所も多い。語りの質から言っても、津駒とひっくりかえすべきだった。実は、この端場がいかに面白いかは、前回、図らずも呂大夫の遺作となってしまった語りを聞いて知ったことである。本物の語りというのは、事前に本を読んだり、過去の奏演を頭で鳴らしたりしていても、椅子に座ってひとたびマクラが始まるや、ハッとして息を呑み、ここはこういうことだったのかと、その奏演から解釈が導き出されるものであり、文字通り新発見に溢れていてしかも快感の波にも乗ることが出来るものを言うのである。呂大夫の死はそのまま次世代文楽の死をも意味するほどの衝撃をもたらし、それは今もって克服されていないのだが、公演記録に残された端場の数々を聞き返してみれば、端場だけをとりまとめ、コレクションとして毎日耳にしていたいと思うほどに、その遺産だけでそこらの切語りなど聞く気にもならないほどなのである。もっとも、名三役などというものがすっかり過去のものとなり、ただもう横綱への通過点となっている現状では、人間国宝切語りのものしか売り物にはならないであろうけれど。資金があれば、有志を募ってでも、「呂大夫端場全集」を編み出してみたい。これは世紀に残る遺産なのであるから、
 さて、肝心の文字久はもう中堅として安定し、仕込みと言うことではまったく問題ない。ただし、魅力的な端場とは聞かれなかった。この端場が魅力的であるとは…、これについては、前回の呂大夫評で短いがポイントを指摘しておいたので、こちらを参照されたい。
 切場は住大夫師に錦糸。これこそご両人の代表作にあげるべきである。古典伝承のかっちりした枠もない作品を、現代・写実・明確と三拍子揃えて、これほどのものに仕上げられるのは他に例がない。このように、外伝物や増補物を初め二流の作品を見事に語り聞かせるというというのが真骨頂なわけで、昭和篇なり平成篇の列伝評語にはまずこれが書かれるべきである。それにしても、初右衛門の二度の出からは空前絶後の床である。「我人につらければ人また我につらいぞよ」これは心底ぞっとさせる詞である。現代日本のストーカーをはじめとする犯罪者も最後に吐きそうなセリフだが、これは逆恨みでも異常でもなく、初右衛門にとって真っ当な論理なのである。少しの迷いもない、入れ込みもない初右衛門を造形したことが素晴らしい。屈辱を与えた相手側は、殺されて当たり前なのである。なお、最後の念仏は、現代でよく見られるように、我を恨むな我に祟るな、という意味ではなく(加害者が被害者の冥福を祈るというのはまったくこの意味においてであり、これを反省しているなどと受け取るなど実に笑止千万である)、「諸行無常」と現在(といっても客観的には自らが犯した殺人なのだが)を達観した物謂いなのである。ここを少しでも弛めると、初右衛門は精神鑑定送りとなってしまうわけで、当事者責任能力があるからこそ背筋までゾッとするのであり、恐怖感も増大するのである。本水もその効果を発揮するのは、まさしくここにおいてなのである。もう一つ、面白いのは仁三郎とおみすが難を逃れているというところで、これを観客にとって一筋の救いの光ととることはもちろんであるが、まともな出自の人間だけが助かったととると、やりきれなさが一層増すことになる。去る者は日々に疎し、当座の悲劇も年が経てば自然に忘れ去られ、若旦那はいずれ御寮人と何不自由なくその生活を全うするであろう。商都の賑わいは、過去の些事にいつまでもかかずらわせておくほど、生ぬるくはないのだから。なお、今回は田舎者に関する分析はしない。これについてはやはり前回評を参照されたい。
 人形は玉女がよくこの初右衛門を遣った。とりわけ「大川」での造形がぐぐっと深奥に焼き付けるもので素晴らしかった。殺し場は人形の動きとしては遜色ないが、これを現実と錯覚させるリアリズムには及ばなかった。とはいえ、これは玉女のニンではなく、玉男師の衣鉢は継いでも、自分らしさはきちんと持っておけばよいのだから。菊野の和生は、端場と切場前半での心遣いのところが格別好かったが、逆に初右衛門を逆上させる女としての本性は薄かった。これもこの人のニンであろう。仁三郎はこれなら生き残るだろうなという若旦那振りで、菊野とグルになって田舎武士を嘲弄するふうには見えなかったが、案外これが真の造形かもしれない。とはいえ、「始終不幸の身持なり」とある以上は、立端場からもっと巫山戯なければならないだろうとは感じる。あとは誰もよく健闘し、B級ホラーを手掛けた劇場側の意図をよく体現した。ということで、最後、「『伊勢音頭恋寝刃』と並ぶ代表的な夏狂言」というのも大嘘であるから、念のため。
 かくも絶賛の出来ではあったが、前半は、先代綱大夫・弥七で聞くことが出来たら、客席から飛び上がるような面白みとニヤニヤがあったであろうとは、望蜀も望蜀であろうな。