平成二十年一月公演(5日、20日所見)  

第一部

「七福神宝の入舩」
 「鴻池さんを殺したことだけで、私は日本の軍隊を、永久に許すことができない」これはぺりかん社復刊『道八芸談』のあとがきにある武智鉄二の言葉である。「若し彼が健在なら、現代の文楽人のすべて、及び歌舞伎役者の大部分は、その生存をすら許されなかったのではないだろうか」とも彼が言う俊才鴻池幸武、その父は言うまでもなく鴻池の当主善右衛門であるが、氏は大正期に義太夫節を、当時の若手有望株であった越登浅造を中心としてSPレコードに私財を投じて録音させていた。鴻池依嘱盤と称され、美声家でもあった越登に「先代萩御殿」「長局」「中将姫雪責」等を語らせているのだが、その中に「七福神宝の入舩」が存在していたのである。文楽劇場では確かバブル期の正月公演に「寿式三番叟」と隔年で出していたはずだが、作品の出来から言っても格から見ても、とても「三番叟」に比況しうるものではなく、当HPでも痛烈にその劇場側の安易な姿勢を批判したものである。しかし今回、初めてこの曲に「曲弾き芸尽しの見せ物」以上の価値を発見したように感じた。それはひとえに、清治師の三味線とシンを勤めた呂勢の語りにある。マクラに「雲居の空に舞鶴の蓬が島を目の当り」とあるのだが、本公演を聴いてまさに鶴が舞う姿が舞台上に見えたのである。そして寿老人による二上り唄「忍ぶ身や〜」の情感のすばらしいこと。とりわけ「沢の蛍火」の情愛といったら、これが恋歌であることをしみじみと感じさせもしたのである。これはもう、ここまでで十分に録音に値する義太夫節である。鴻池当主の依嘱もまた宜なるかな。そしてまた、このように感動を覚えたればこそ、この曲が昭和の新作などではなく、江戸末から奏演されてきたものであったと、あらためて認知されたのである(もっとも、その逆ならばいつでも誰でもやっていることなのだが。近松の傑作「曽根崎心中」を人間国宝陣総出演でお届けする…云々)。以下、布袋大黒弁天と続いていくが、床も手摺も相応に演じていた。とはいえ、翁格である寿老人以外もっと派手なパフォーマンスを見せてもよかったろうにとも思う。三味線ならばヴィルトゥオーソの如く。その中にあって耳に立ち目に付いたのは、琵琶の奏演と福禄寿の人形であった。琴には情緒を、胡弓には一層の努力を望む。

『祇園祭礼信仰記』
「金閣寺」
 寛治師と津駒。公演前半から津駒は十分に健闘していたが、後半に聴いたときは、マクラから寛治師の三味線に一層の力感と輝きが感じられ、とりわけ東吉を試す件など爽快感解放感が加わって、快哉を叫ぶほどであった。津駒は予想を大きく上回る出来で、それはまず大膳をはじめ東吉そして鬼藤太軍平を、各人の性根をふまえて堂々と大きく力強く語り進め、これまでのどちらかというと線の細いイメージをうち破る、立派な浄瑠璃であった。その分、雪姫でうっとりさせるという方の印象が薄くなってしまったが、それは「芸子法師が」以下の出で、ぐっと掴んでおくには至らなかったためだろう。ここでは美声を存分に発揮すべきであった。しかし今回は、津駒が切語りへと飛躍するための重要な場割りであったのだから、その責は確かに果たしたと言えるのだ。拵え上げた強大さという不自然から抜け出たときこそ、襲名と切の字が許されることになろう。

「爪先鼠」
 これまでは、たっぷりとした大音強声でそれらしく聞こえていて、なるほどなと納得もしていたのだが、今回、急遽呂勢が抜擢されて富助の絃で語るのをしっかりじっくりと聴き(これまではともすれば意識を失いそうになることも多かった)、ああ、「風」とはこういうことなのだなと実感したのであった。「風」とはその曲の個性であり、その曲をもっともその曲としてのあるべき姿に響かせるものである。例えば本公演中で言えば、『国性爺合戦』「楼門」の大和風と「甘輝館」における政太夫の語り口とを入れ替えてみればどのようなことになるか。単に曲調が変わるだけでなく、その構成を含めて作品そのものが体をなさなくなることに気づくはずだ。さあ、いくら呂勢でもこの代役は至難である。富助の指導がどれほど行き届いたものであってもである。しかし、そのヲクリを聞いて考えが変わった。駒太夫風をきちんと認識しそれを床の上で表現できれば、この四段目切の大場は自然とその体をなすものであると。色悪大膳も妖艶美雪姫も駒太夫風によって映し出されるものなのである。もし巨悪大膳と清楚雪姫というとらえ方であれば、それは解釈の問題なのではなく、「風」を理解していないということになる。逆に言えば、「風」なき奏演は聞く者にそうとらえさせてしまうということである。悠揚迫らぬ大間の運びに地上五尺を浮かび行くが如き、その体現に身魂を砕いた富助と呂勢は、確かに成功したといえるのだ。「風」の力まさに恐るべしである。また、この両人が「音曲の司」としての浄瑠璃義太夫節の表現を何よりも尊重しているということは、例えば、縛られた雪姫が一人残されるところに付せられた「表具」フシの哀切たる奏演によっても理解される。ここは舞台上の場面とともに曲調も一転したことに、多くの観客は気付いていたはずである(フシの名称などは知らなくとも)。続いて本ブシ、節付けの妙がこちらへもきっちり伝わってくる。もう一つの聞かせどころ、「見送る身さへ」以下は、さすがに切場の調子というものには至れず、二の音の響きが物足りない。三味線の上を行けばよいのだが、網戸そしてタタキというフシが確実に把握されているから、ここは後日の楽しみとしなければなるまいが、きっちりと音曲に情愛が乗って耳から入ってきたことは、この大曲の奏演として十分評価できるものである。公演後半に聴くと一層練り上げられていたことにまた、将来性を実感したことである。
 アトの千歳・喜一朗。書くだけ失礼だろう。後ではなくて跡なのだから。なお、段切の柝頭が5日はタイミングがずれて画竜点睛を欠いたのは三十棒である(20日は問題なかった)。
 人形陣。大膳の玉輝、性格であろうか、傲然と構える傍若無人さが不足。かつ雪姫には色目を使うところも。とはいえ、大きさは文七カシラもまた遣えるというところに至っている。これからどんどん遣って体で覚えていけばと思われる。雪姫の和生、品格は十分だし美しい。ただし心底の強さ、また「雨を帯びたる海棠桃李」と大膳をして言わせる妖艶さは、もう一つ食い足りなかったように感じた。鬼藤太は陀羅助で勘禄がピタリ面白い。軍平は鬼若で文司、もう少し軽々と動いてもよい。直信、慶寿院もこの布陣に見劣りしない。そして東吉の勘十郎である。久吉と顕現するまでは少々格が重すぎるかとも見えたのだが、「石公が沓を捧げし張良もかくやとばかり勇ましし」と詞章にあるからは、知将の大きさを堂々と示して可と解釈してよいのだろう。久吉となってからは無類であった。

「新口村」『傾城恋飛脚』
 口、御簾内で睦清馗だが、よく通り人物も分明。合格である。
 切場、嶋大夫と住師が前後半を分けて語る、前代未聞。しかも、簑助師の梅川、豪華競演である。孫右衛門は代役の勘十郎。立派なものであった。忠兵衛の清之助がその中にあって引けをとらないのが見事。早く清十郎を襲名させたいもの。三味線も宗助は格がその人の芸を大きくするという見本、錦糸はこういうものを弾かせたら絶妙である。かにかくに、全体として情感あふれた滋味深いよくこなれた玄人好みに仕上がった一段。今回音曲的解析をしようとはまったく思わなかった。時間があれば、越路喜左衛門を聴いて論じてみたいとは考えているのだが…。本来ならば、孫右衛門は文吾師が遣うはずであった。それならば今回の陣容は理解できる。しかし、薬効叶わず文吾師は泉下の人となられた。追悼。
 
 

第二部

『国性爺合戦』
「平戸浜」
 松之輔の作曲。マクラは近松物の特徴をよく残し、「備中鍬に」から貝尽しを景事風に運んだのは才気あふれて面白い。三味線のシン清介以下もきちんと描出。床も松香に力感あり、三輪は嫉妬の表現など際立ち、津国と睦は難ない中、始の安定した語りがとりわけ印象的で、次は是非一人で端場を語ってほしいと思った。

「虎狩り」
 ここも松之輔の作曲。冒頭道行仕立てなのはもっともだが、前段とかぶるのが残念。しかし、全体としてこれまた面白く節付けしてある。太夫陣は余裕だし、三味線陣もシンの団七が英と組むようになってから、いい感じて熟成した奏演を聞かせており結構。勘十郎の和藤内はもっと動くべきだろう。こういうところは玉昇の早世がいかにも惜しまれる。虎は獰猛というよりも巨大なぬいぐるみのような愛らしさであったが、迫力もあったしサービス精神旺盛で楽しませてもらった。さあこれで、次の長丁場への準備はできたということでもある。

「楼門」
 大和風の偉大さは、そのノリ間の絶妙さにある。一度その間と足取りをつかむと段切りまでまず何とかなるものだが、この風ではそうするとはなはだ単調になり、まるでつまらなくなる。しかも近松物本来の特徴として、純粋な詞部分が少ないこともあり、地はもちろん地色で語るところなど、ズルズルとすべっていけば、たちまちに睡魔の虜になるというわけだ。逆にノリ間が巧みに奏演されれば、飛び上がるほど面白く魅力的な一段となり、何度も繰り返し聴こうという珠玉の一品となるのである。先代綱大夫と弥七のものがその典型であり、最近では寛治師の三味線(太夫は津駒)がたまらなかった。今回、咲大夫はもちろん出来ているのだが、三味線の燕三がその間にはまりこんでしまい、太夫に合わせに行くように弾いたものだから、スルスルと流れていくだけの表面的な仕上がりになってしまった。早速寸評で苦言を呈しておいたのだが、流石は燕三である、もう一度聞きに行った時には、見事に不即不離も緩急自在も己のものとしていたのであった。父娘の情、義母の誠、若者の血気、人形は楼門の上と下でほとんど動きという動きもできないのだが、それ故にこそ、「風」を語る床の力量によってこの一段の成否は勢い決してしまうのである。マクラは「琴責」と相似形の大和風の典型。そして厳しき要害としての楼門の姿、「一官小声になり」近松物の特徴的語り、「門外」の「ぐわ」音等々見事なもので、以下「火縄も湿るばかりなり」に至って、真実の涙は客席にもあふれたのであった。そして「小国なれども日本は」で全一音上がってから段切りまで、聴く者の心をふるわせて、頂点の切場「甘輝館」へと三重で返したのである。

「甘輝館」
 マクラから渋い。情感は浮かずにくっくっと煮込む、そして聴く者の胸にぐっと応えなければならない。腰元で一旦ホッとするが、たちまち甘輝の帰館となる。三者三様の喜びはたちまち緊張の一事に収斂し、甘輝の詞から唐猫の件そして老母の口説きまで、一分の隙もなく心を捉えて離さない。次に緩むのはもう盆が回るヲクリ前である。綱大夫は、この初演以来連綿と伝えられてきた西風の中の西風の曲を、熟知して語り進める。この年齢にしてこの一段を語り果たしたことに、われわれは驚嘆すべきなのである。もちろんそこには、三味線清二郎という無類の女房役の存在がある。「風」をして語らしむこの一段、安易な情の抜き出しは、忽ちに破綻を招く。この床ならではかなわぬこと、そこに重要無形文化財保持者としての意味もまた存在するのである。

「獅子が城」
 錦祥女と老母の情愛慈愛が伝わり、身命を賭す高潔さに聞く者も心を純化され、清浄な涙を浮かべるに至った、これが公演前半の印象である。英は代役とは思えない出来で、三味線清友との相性もよかった。しかし、和藤内の剛胆なり甘輝の偉大さには一歩及ばず、二の音の強さと深みの難しさを逆に実感したのだが、公演後半に再び聞いたときは、大きさ強さが伝わり、祖父若大夫は怒濤の一端も聞き取れるほどであった。「獅子が城」大道具方の力感ある見事な仕事が、床によって立派に裏打ちされたということである。満足のうちに劇場を後にしたのは言うまでもない。
 では、人形陣を総括する。文雀師の錦祥女は抑制された動きの中に美しさと情感が滲み出て、若々しさも体現できていたのは驚異としか言いようがない。甘輝は玉女でこれはまた立派なもの。大きさといい内面の充実といい、故玉男師の域に迫ろうというもの。しかもキビキビとした若さも感じられたから、あとは年功につれてが然るべき所に行くであろうことは間違いない。対する和藤内の勘十郎だが、これも大きさなり力感なり見事であったが、その性根として血気にはやりすぐに動き出すというところが、落ち着きすぎていたように思う。文七ではなく丸目の大団七であるのだから、剽軽という成分比率ももう少し高くていいように感じた。収まりすぎ立派すぎではなかろうか。受け継いでいる亡父の芸風の面白味を、前面に出せる役であったのにとも感じた。老母は紋豊である。安定した遣いぶりで余人なしではあるが、甘輝と対峙し和藤内に教訓して諫死する強さと厳しさには、いささか欠けるように感じたのが公演前半の寸評である。しかるに公演後半には、床の奏演との相乗効果もあり、現代日本の観客をして恥じ入らせるに十分な、高潔かつ意志強く情味も深い造形にまで引き上げたのである。老一官の玉也には娘への情愛に加え武士の気骨が見え、「楼門」の立役として見栄えがした。総じて、床の出来によって人形陣は良くも悪くも影響を受けることが、今回の『国性爺合戦』において再認識した。人形浄瑠璃においては、やはり太夫の責任が最も重要なのである。