人形浄瑠璃文楽 平成廿四年十一月公演 (初日・楽前々日所見)

通し狂言『仮名手本忠臣蔵』

第一部

「兜改め」
 三大狂言の大序も、『菅原』ではカットされ『千本桜』が切り貼りの現状では、いかに重要かを認識するのはこの『忠臣蔵』を置いてより他はない。かつて稲荷座(旧彦六系)で、弥太夫の直義、組太夫の判官、大隅の顔世、伊勢太夫(のちの土佐太夫)の若狭之助に、三味線は団平でこの「大序」を勤めた故事が残っているというのも、決して等閑に付してはならないのである。危機的な状況にあればこそ、伝統は一層の輝きを増すのだ。今回、どの若手もよく健闘して、この大序の格に相応しい奏演を心掛けていたことは好ましい限りである。喉に張り付く高い調子の大序、声をしっかり前へ出し、三味線もしっかりと撥を下ろし、満員御礼の客席に凛とした開幕を告げた。そういえば、シャギリと柝も荘重かつ気合いが入っており、人形浄瑠璃文楽を取り巻く社会的状況と併せて考えると、歴史に残る公演の開幕に相応しいと言ってよいものであった。そんな中で個別に敢えて次への課題を呈すると、錦吾の左手、小住の地。あと「明ける間」はつい最近まで「明くる間」と語っていたと思うのだが。ただし、この下二段および上二段活用の連体形は二段動詞の一段化という、まさに中近世の歴史的事象であるから、一概に一段化した語りを誤りとは断言できない。しかし、少なくとも録音が残る明治末大正期以降において、二段のまま残っていると確認されているものが一段化していることは、師匠から弟子への口承伝統芸能である浄瑠璃義太夫節にとっては、その伝承なり稽古なりが外部世界から突き崩された形となるわけで、従来から頻繁に取り上げてきた「くわ」「ぐわ」音の伝承とともに、やはり意識化していかなければならない。いや、むしろ無意識の内に「明くる」「くわ」「ぐわ」と師匠が語れば弟子はそのまま口移しに自らのものとするという、口承の原点に立ち帰れと言う方が的確かも知れない。いずれにせよ、頭でっかちの学者知識人による理屈ではないのである。なお、靖と希に一日の長があり、咲寿の直義と寛太郎のノリ間が印象に残ったことを追記しておく。ちなみに、初日は開演をいつも通りの11時と思いこんでいて、見事に間に合わなかった。かつてはそれこそ早朝からやっていたのであって、今回の遅刻は文字通り不作法と決めつけられる失態であった。

「恋歌」
 最後ユニゾンから大三重まで、初日は巾が保てず腰砕けの感があったが、楽前に聴いたら直っていた。津国、南都、始は掛合専門要員への押し込めではない。清丈はここを弾くようになったのだなと感じさせてもらった。
 ここまでで気になったのが、師直の人形である。まず、カシラの造形が甘いというか緩いというかヌルイ。とても大舅には見えない。加えて人形の拵えが小さく、動作がむしろ溌溂としていて、サプリメントと山登りで若さ自慢の現代日本の老人のようだ。それは一番に歩き方に出てくる。老耄怠惰、足腰が弱って慢性的な痛みもあるから、脚も上がらず膝のクッションも効かずドタドタとなるはず(志村けんの老人でも一目瞭然)。いくら、権威権力を振りかざす勢いがあるとはいえ、そういう精神的なものと肉体的なものとは判じ分けなければならない(確か最初に観たのが亀松で、作十郎のも長かったが、今回のような違和感というか齟齬はまったく感じなかった)。なので、顔世に夫判官を持ち出してのパワハラもただの口説きにしか見えなかった。碁の黒石は白石よりも一回り大きく作ってあるという。寒色系の色は引っ込んで見える後退色であるからだ。それほどに、黒を活かすのは単純なことではない。師直の黒は黒幕であり腹黒であり、闇であり恐怖であり、そして抑制や抑圧、権力の象徴でもある。今回、師直がいかに難しいかを実感するとともに、亀松や作十郎、あるいは文吾らの技芸力量にあらためて感心もしたのである。それは時代性というやむを得ぬものだろうか、遣い手は次代を担う玉也なのだし。

「松切」
 小松、松香、あと相生や英など、これまで聴いてきて違和感を持たなかったものが、齟齬を感じた。大序の師直(人形)に続いて、今度は若狭助(太夫)である。人形の幸助の方は、その出からもう明快である。文字通り若さゆえの真っ向正論、短気は判官以上、師直を叩き切るのは「詮方なくも期を延ばす」とあることから明白。しかも、正義の味方で悲劇のヒーローという自画像を作り上げており、日頃苦い良薬を呈する家老本蔵にも、有無を言わせず一方的に押し切るつもりだから、アドレナリン大放出状態で登場するのである。今回、文字久の語りを聞いているとそうは思えず(錦糸の三味線は「にじり寄り」でそれがわかる)、本蔵に誓言をためらわれ「ならぬというのか」で、ようやくその域に達している。なるほど、「二言と返さぬ誓言聞こう」とは相手に自己の意志を伝えて要求しているのであり、さあ返答を聞かせてもらおうかと尋ねている意味になるように思われるが、そうではない。そもそも、人間はなぜ相手に尋ねるのか。それはわからないからに決まっているではないかと言われるだろうが、実は疑問は相手というよりまず自己に関わるものであり、しかも種類が二つあるのである。例えば、『竹取物語』で帝が姫に求婚し無理矢理連れて帰ろうとするところ、姫は「率ておはしましがたくや侍らむ」と言い、帝は「などかさはあらむ」と言う。帝はそんなばかなことがあるはずがないと疑問の体で突っぱねるが、姫は連れて行くのは無理という答を自ら持っているものの、それを断定せずに帝へ疑問の形で確認している。すなわち、あらかじめ自らの答は持っているのだが念のため尋ねるという形を取るものである。この場合の若狭助も、誓言せよと命令するところを誓言聞かうと言っているだけで、それを馬鹿正直に聞くつもりだと述べているなどとは、少なくとも本蔵ほどの家老は微塵も思ってはいないはずだ。そういえば、若狭助が本蔵の言葉に反応して「わりやこの若狭助をさみするか」とまたいきり立ったのに対し、「こはお詞とも覚えず」を驚き慌てて語ったのも納得がいかない。四段目で斧九太夫が郷右衛門から「殿の流罪切腹を願はるるか」と詰め寄られ、「イヤ願ひは致さぬ」と驚き慌てて返すのはそれでよい。なぜなら、ベラベラとしゃべるうちつい本音を漏らしてしまったところを突っ込まれたからである。ところが、本蔵は若狭助をまるで子ども扱い(というか、大序から見てきてまるで子ども)しており、「御了簡なされた」も「よしよしえらいえらい」に他ならないのである。だから、当然落ち着き払って(というよりも依然変わらずに)「こはお詞とも覚えず」と語ればよいのである。さて、これらを解釈の違いで済ませられるのならよいのだが、これまで三十年以上にわたって劇場に足を運び、録音されたものにあっては明治末からそのほとんどを耳にしてきた結果の齟齬と違和感である。それは、浄瑠璃義太夫節の流れという耳から入るか、芝居のテキストという目から入るかの違いであると思われてならない。文字久は次の『忠臣蔵』では平右衛門を語るはずだ。また、今回の拍手の多さは、人気というよりも師匠の弔い合戦的な同情(という表現がマイナスに響くなら、温かい支援)によるものである。三味線は錦糸が弾いてくれるのだし、何としても次々代の三段目切語りとして大成してもらいたいのである。床本も正規の字体になっていたのは当然だが喜ばしいのだし。
 その三味線の錦糸だが、こうやって実に久しぶりに立端場を弾いているのを聞くと、格の違いというものがよくわかる。聞き所は本蔵と戸無瀬の詞ノリのところで、詞がなくとも三味線だけで誰がどういうことを言っているかわかるというとんでもない技芸なのであった。
 それにしても、戸無瀬と小浪の出は唐突で、例のぶらぶらぶらには失笑させられる。「力弥上使」から出せば、この軽口ぶりも納得がいくのだが、時間がないから仕方ないというのだろう。しかし、今回10:30から開演したことで客足が遠のいたとは思えず、橋下の反面効果は措くとしても、『忠臣蔵』ならそれこそ朝8時から通しても客は入るはずだ(ただし、技芸員や劇場関係者からの苦情については関知しない)。昨今の総中流崩壊に伴う階層社会化は、消費活動において覿面に現れていて、正真正銘の本物に対しては金はもちろん時間も手間も惜しまないという指向性が明快となっている。人形浄瑠璃文楽においても、三百年の伝統に根ざした世界無形遺産が名実ともに実現されているのであれば、客は必ず来るのだ。だが、その前にここのところの間延びした語り方、丁寧でわかりやすければよいという悪癖が定着し、どんどんトータルの時間が伸びている事態を早急に改めなければならない。そうすれば、今回唯一不満のあった一部二部入れ替え時の余裕の無さも改善され、文字通りの通し狂言たるものの醍醐味を味わえるであろう。『忠臣蔵』という独参湯には、ぶっ通しで見ても退屈からくる疲労感を感じずに済むという効能を書き加えても良いくらいだ、さて、母娘の話に戻るが、八段目道行で「そのままにふりすてられし物思ひ」とマクラにある、まさにその長い時間放置されていたという事実に、観客も改めて気付くのだ。あの二段目冒頭で「お使者は力弥。娘小浪といひなづけの婿殿」と本蔵が語り、「大儀ながら御口上も受け取り。御馳走も申してたも」と戸無瀬が気を利かせ、「お前の口からわたしが口へ。直きにおつしやつて下さりませ」とまで小浪が衷情を吐露したからこそ、松切から早馬への急転直下以来、茶屋場でのおかる勘平の一件始末までで忘れ果てていた初心な二人のその恋を、観客は道行冒頭で哀感を持って思い返すことができるのである。また、浄瑠璃五段構成から言えば二段目は四段目につながるという文学理論を、劇場の椅子に座って実体験できるものでもあるのだ。前例主義や事勿かれ主義の弊害は、それでもやむを得ぬ最善策と認知されているのであろうか。次回の通しまで今回の盛況が続いているのであれば、だから何もしなくてもよいのではなく、まさにそれゆえにこそ、正真正銘の本物を提示すべきなのである(先の大戦でまんまと戦勝した国家が、「日本の映画・演劇界共通の根本問題」として「封建的な忠誠と復讐の教義に立脚している歌舞伎タイプの劇は、今日の世界では受け入れることが出来ない。叛逆、殺人、欺瞞といったことが大衆の前で公然と正当化され、法律にかわって私的復讐が許容されている限り、日本人は今後とも現在の国際社会を支配している行為の根本を理解することが出来ない。」と述べた事実を、現在のわれわれはもちろん噴飯物として退けることはできるが、この「封建的」という語を例えば「独善的」に、「歌舞伎タイプの劇」という語を「聖林映画」に変えれば(「日本人」を何に変えればよいかは言うまでもない)、これがそのまま現代世界の真実を述べていることに気付くはずだ。正真正銘の本物を持たない輩が、それを持つ者に対してどのような言動を取るか、われわれは心しなければならない)。

「進物」
 師直が駕籠から出ていたのでホッとしたが、肝心の人形が前述の通りで、それならば駕籠のままでも構わないではないかと逆捩じを食わされそうで冷や汗ものだった。睦はその師直がそれなりに出来ていて、伴内でもそれなりの儲けがあり、本蔵もそれなりで、作り事ではなく自然に聞かせるのは隠居芸でしか無理だから、それなりでよいのである。三味線の清馗も同断。

「文使い」
 「風が持て来る柳蔭」までは、前段から日の出前の薄暗い中で男ばかりが芝居をしている、文字通り色気のないところ。そこへシャランと三味線の手が入っておかるの出となる。しかも、男どもは最初に人名を確定してから描写に入っているのだが、おかるに関してだけはその姿形をまず語って観客の脳裏に美女を描かせ、提灯の紋でそれが腰元であると最後に表して、前段の師直の詞と符合させるという実に心憎い演出なのである(人形の勘弥はそこまでに至らず、「わたしはお前に逢いたい望み、なんのこの歌の一首や二首、お届けなさるる程の間のないことはあるまいと、つい走りに走つて来た、アアしんどや」この狂言作者面目躍如の言葉が活かしきれない)。三輪は鮮やかにとはいかないが心して語る。おかるの詞など山城少掾かと思うところもあり、地合の問題も長年の功で聞けるようになっている。また、三味線清志郎の実力を再確認する場ともなった。なお、初日の人形をどうこう言うのはかわいそうではあるが、判官の出は腰折れに足取りも軽薄というひどいもので、供の勘平以下であった。ちなみに、奴が伴内をおかるの言葉そのままに責めるのは面白いところで、これまでも客席から相応の反応があったのだが、今回ほとんど無反応であったのは満員御礼の客層とも関係あると思われる。初心者にはやはりガイダンスは必要なので、プログラムにもそういう企画を新春公演から入れるのがよいと思われる。道行の時に中央座席付近で、番付にツレとあるのを、どの太夫までがツでどの太夫からレという問答も聞こえてきたから。

「刃傷」
 寛治師が弾くので彦六系である。マクラから勅使饗応のハレの日を音曲性豊かに描写し、若狭助の出からパッと変わるのが面白くすばらしい。津駒はこの男ばかりの一段をどう語るのかと聞いていたら、まず師直の手の平返しから憎らしさが格を失わず描出され、若狭助の一徹短慮、判官の冷静から憤怒への変化と、よく稽古し工夫して名実ともに序切語りの位置であった。もっとも、初日は「殿中だ」が不足で刃傷に及んでからが軽く流れすぎたのと、楽前々日は大笑いがさすがに息苦しくなってはいた。感心したのは人形の判官(代役和生)が「あちらの喧嘩の門違ひ」と合点ゆかず「むつとせし」ところ、顔色がパッと変わったのには驚いた。刃傷の後に本蔵の顔を見るというのは、詞章に「放せ本蔵」とあるからはいつ認識しても構わないので、振り向くや目が合った本蔵がハッとして柝頭という約束事はどうでもよい。むしろ、九段目で本蔵は「相手死せずば切腹にも及ぶまじと抱き止めた」と語っているからは、目があったら強くカシラを振っていけませぬなりませぬ判官様とさらに強く抱き留める感じの方が詞章に叶っている。このあたりは、あくまでも役者芝居の歌舞伎と詞章を語る浄瑠璃義太夫節との決定的違いでもあるから、歌舞伎演出の過剰摂取はかえって害になろう。ちなみに、師直はさすがにここまで来るとそれなりに遣えていたし、若狭は思案顔も決まって結構だった。

「裏門」
 序切跡については別に研究論文が3本あるが、それほどに特徴的かつ面白い。太夫三味線人形それぞれに聞かせ所見せ所が存在する。とりわけ、三大狂言のそれはよくできており、三大狂言に限った共通要素もある。咲甫は初日勘平の狼狽えた詞に不足を感じたが、楽前々日には切迫感あり。喜一朗は気合いが感じられようやく来たかと次公演以降が楽しみになる。人形は、伴内の勘寿が自然にして性根を描出するベテランの味を見せた(初日のノリ間と足拍子はいただけなかったが)。おかるはこの程度の遣い方だと偏痴気先生も論無しで困るだろうが、前受けのこれ見よがしがないのは好ましく、自然と言うにはまだ早すぎるが悪くはない。そして勘平の清十郎、まずイイ男であり立ち回りもその色男のものとして極まっていた。これは勘平として一つの造型を見たと言ってよいだろう。ただそうなると、自害までしようとする切迫感をどう表現するかが問題になるが、それは次代を背負う者の課題として修行を積み重ねてゆけばよいことだろう。

「花籠」
 下三重が閊えるから上から降りたり、「生ける人こそ花紅葉」を「生きる人こそ」と語る(聞き間違いとは思われない)のは、どうでもいいことではなく重要な問題である。前者は「風」に関わるし後者は解釈ができていないということになる。初日にこんなことはなかったので緩んだのか、世間で言われている通り、無意識的な手抜きや気力の欠如を感じる時があるということだろうか。せっかく九太夫が出来て顔世の悲痛に郷右衛門と力弥の心外がひしひしと迫ってきただけに、瑕瑾とはこのことかと残念至極な英であった。清友はよく和していた。人形は顔世(代役勘弥)が開幕からの心痛が美しさも相俟って感心した。

「判官切腹」
 通さん場というのは、劇場側が演出効果のために設けたものだが、今回、客席全体が水を打ったような静寂の中に張り詰めたものがあり、この最中に入ってくる客は、全員から白眼視されたに違いない。つまり、客席が要請した通さん場であったと言えるだろう。判官の無念は全員の胸に迫り、そこここですすり泣きが聞こえてきた。泣かない者は、家中と同様に熱い涙を湛えて食いしばっていた。人形(代役和生)も完璧で、咲大夫燕三の判官切腹として特筆されるものであった。腹に刀を突き立てた後はイキがまるで変わるなど、ここでまた観る者は落涙に及ぶという超絶ぶりであった。もちろん、この段はそれとともに、いや見方によってはそれ以上に、ようやく登場する立役由良助に焦点が当たるから、この点についても出来てはいたのだが、初日は緩く楽前々日はそれを改めたためかずいぶん芝居がかっていた。人形の玉女にも同じことが言えるが、ダメだと批判しているわけではない。石堂の玉志は好演。最後ツメ人形がぞろぞろ別れを惜しむのはカットしても差し支えないと思うのだが、次場へ続けて歌舞伎からの移入だから致し方ない。

「城明渡し」
 人形だけで演ずるのは至難の業である。思案から決意への変化を見せなければならない。つまり、A、→、B、とすべて見せなければならない。そのきっかけを鶏鳴と大道具の遠見が作る。提灯から家紋を切り抜くのはAに属するのだが、周りに人がいないかと見回していたのはBと悟られないためとしか考えられない。段切で九寸五分を取り出して型極まるところはそれだけで明快だからよいとしても。

「出合」
 千崎は突っ張れば何とかなるが勘平は難しい。いつもそれを言い続けて今回もまた同じ。
相子は勘平を千崎とは差を付けようとしてはいたが、それが逆に言葉を平板化させていた。それでも、二度目聞いた時には「花を咲かせて侍の一分立てて」など、勘平の苦衷が出てきて文字通り「不憫」と感じられたから、よしとすべきであろう。三味線の団吾はだんない。

「二ツ玉」
 松香団七ならではと思う。定九郎の人形が実によく遣っていて、無慈悲はもちろんのこと二ツ玉で横死するところも的確で神経が行き届いていた。玉佳という名は今後明記することにしたい。

「身売」
 清治師の三味線にあらためて喜びを感じる。在所に戻ったおかるの描写、一文字屋の狂言回し、婆の不安、そして勘平の痛切は二ツ玉と身売の別れでの哀感に続くスヱテで極致に達する。それを端場として粘らず拘らずしかもハッとさせられること度々で、実に心地よかった。ニヤニヤしながら聞くというのはこういうことだ。もちろん、これは情に感じ入ることと矛盾しない。もちろん、カワリや足取りが絶妙なればこそであるが。呂勢は今回、茶屋場のおかるに山科の後半も代役したから大車輪の働きである。それがきっちりと仕上がっていたのは、初日を聞いて驚き入った。楽前々日にはさすがに声が苦しかったが、それでも浄瑠璃義太夫節の結構をつかんでいるから聞けるのである。文楽の戦後を終わらせることが出来る太夫の一人でもある。

「勘平腹切」
 三世清六と古靱の録音、八世綱と弥七の録画、これに尽きる。初日は勘平の血判後から落入までの言葉など、その系譜にある源大夫と藤蔵によって再現されたことを、大したものだと感じ入った。
 人形、与市兵衛女房は動き過ぎではないか。とりわけ楽前々日にそう感じた。底意も何もなく感情をぶつけるということなのかもしないが、鼻につくようでは問題だろう。基本は婆であるのだし。郷右衛門と弥五郎は相応であり、勘平に腹を切らせる技量はある。一文字屋亭主も的確。おかるは強い印象は残さないが、勘平を頼むあたりの情愛は確かに感じられた。その勘平は初段に比して三段目切となるとやはり強さというか存在感がまだ足りないが、これは床との相乗効果でもある。師匠への道は遠いとしても日はまだまだ暮れるはずもなく、次その次と期待をもって見ていきたい。
 

第二部

「茶屋場」
 初演当時から掛合だが、その趣向といい効果といい脱帽である。それを感じられたということは、三業が相応の成果を上げたということだ。皮肉な物言いだが、やはり偉大な作品はそれだけで存在価値があるのであり、他の表現に移しても説得力がある。そしてもちろん、人形浄瑠璃のために書かれたものであるからは、それが最も作品を輝かせる表現であるはずである。その「はず」を現実化して見せたという意味である。ただ、今が平成でなく昭和であったならこういう書き方はしなかった。世代交代は成功の途上にあるという意味でもあるからだ。さて、冒頭から目に止まった順に書き進めると、まず亭主の人形が目にとまる。やるからには思い切って、中途半端ならやらない方がましということはある。だからといって、亭主は太鼓持ちではない。さて今から曲芸をご覧に入れましょうという気組みが見え透いてはダメだろう。この人形遣い(紋秀)は退座した勘緑の後継者という位置付けになるだろうか。本読み百回、それと、自分の立ち位置から見える世界が人形浄瑠璃文楽なのではなく、人形浄瑠璃文楽という世界のごく一部分が自分に過ぎない、この二点をこの人形遣いに示しておく。もっとも、後者は観客からすればその客席から見えるごく当たり前の世界に過ぎないのであるが。由良助は平右衛門との絡みがうまいが、願書を扇に置かれるとすぐ起きるのはいくら狸寝入りとはいえ段取りが良すぎる。顔世からの文を九太夫が盗み読みしていたのに気付いて縁の下を覗くには理由がある。文の端が切れていたのを確認したのかどうか。細かいことはどうでもいいとすることも当然できる。しかし、師玉男の二代を襲う覚悟を決めていると思われる以上は、こうやって書かねばならない。平右衛門とおかるの芝居になってからは情味溢れ言うことなし、そして由良助の心情吐露と、「茶屋場」はやはり後半が焦点であるとわかる。ということは、人形浄瑠璃の主眼も情愛にあるということがあらためて理解される。平右衛門が獅子身中の虫九太夫を鴨川へ放り込むべく高く掲げて柝というのは何とも痛快である。ここまで通して来て、観客は大きな物語の一つの終わりを実感する。昇華作用の完了であり、芝居の醍醐味でもある。そして、次幕の道行で忘れ去られていたもう一つの物語を、観客は思い出すことになるのだ。さて、床についてだが、三味線の宗助は由良助の酔態など咲大夫の導きによるものだがよく弾いていたし、燕三は師名継承者として立派な六代目であることは、情愛が劇場内に充ち満ちたことからもわかる。咲大夫、由良助の本心隠した酔態もさすがの表現であったが、最後九太夫への言葉が一般論ではなく、一人ひとりの義士あるいはその家族(具体的にはこの場にいるおかるや平右衛門そして前場で死を遂げた勘平ら)を彷彿とさせたものであったのが特筆すべきで、おかるの簑助師や平右衛門の勘十郎がそこで動きを見せたのがまた至極もっともで胸を打った。次は九段目を一人で語り山城少掾以来断絶した紋下を復活させ、文楽の戦後を終わらせていただきたい。また、亡父が確実に継承し理解していた「風」について、半世紀の点線を実線に現すことも責務であろう。おかるの呂勢は文字通りの本役。里慣れてとはいえ在所娘から腰元となっての身売りだから、通常の遊女的妖艶さは必要ないこともプラスに働く。いつも言うことだが、この太夫が語ると節付けの素晴らしさが実感できるのは、故師を彷彿とさせてもくれる。おかるの場合はとりわけあれほどの手が付けてあるわけだから、それを堪能させないで筋だ情だなどというのは本末転倒、というよりもそれは浄瑠璃義太夫節ではない。もっとも、楽前々日は声が苦しかったが、それは九段目の後半まで語っているのだから、むしろあの程度の痛め方で済んでいるということの方を高く評価しなければならない。本役だけでも楽が近づくとボロボロという太夫もあるのだから。とはいえ、それは全力投球という一面の結果でもあるので、一面的に批難しているわけでもない。これだけの太夫であるから襲名が待ち望まれるが、南部というのも捨て難い。平右衛門の英は由良助への懇願に力不足を感じたが、おかるとの兄妹愛は十分に伝わった。次回は若大夫を襲名して由良助といったところだろう。伴内の九太夫との掛合も久しぶりであったが、文楽補助金や維新の会ネタも風刺として辛味が効いていたとはいえ、錆刀で身は真っ赤(三輪・松香)が秀逸で才知あり。やはり心の底から笑えるもののほうがよい。息がぴったり合っていたのも芸の積み重ねがあればこそと感じた。

「道行」
 宗助の替え手も鮮やかだし、二枚目が清志?で安心だし、津駒は序切とここでさすがに楽前々日は声が苦しいが道行の格と小浪の性根はとらえているし、咲甫の戸無瀬は「裏門」ほど映らないが道行のワキとして十分。だが、何よりも今回は人形の母娘、和生と一輔が深い共感をもたらした。初日より楽前々日に強く感じたのは、遣い方がこなれたということもあろうが、九段目まで舞台を共にする中で、義理の母娘という難しい情愛を育んでいったということであろう。二上り唄の踊りなど、道行の所作としてもすばらしかった。子守唄のところは、三味線も初日は情味不足と感じたが、人形の方もざっくばらんな戸無瀬の実の娘かと思う程度にとどまっていた。逆によかったのが、小石拾いで力弥への思いを表現するところ。これで「梅と桜の花相撲」がカットされていなければ、観客の心には決定的な印象となって刻み付けられたであろうのに。とはいえ、四段目切場前半への連携は確かに手応えのあるものとなった。

「雪転し」
 床には若手から中堅への先頭を走る者が座る。しかし、中身はというと年功者の余事で勤めた方がよく映るのに決まっている。幇間仲居を帰すまでの由良助が難物だからだ。本心を隠しての酔態、これを再び持ち出すのは伴内ならずとも古いと言われよう。非日常的酔態の中に日常的本心が現れるのが難しいのである。いや、日常的本心だからそのまま自然に語ればよいということではあるのだが、太夫は由良助ではないし酒も飲んではいない。何を馬鹿なことをと言われるだろうが、虚実皮肉論は人形に限ったことではないのだ。まず、「アア降つたる雪かな」である。詞章だけで言えば、奥の悋気(「お寒かろうと悋気せぬ」だから解釈が間違っていると言われようがそうではない。「詞の塩茶」とあるから辛いのは「一口飲んであとうちあけ」た茶ばかりでなく、飲んで初めて「お寒かろう」の言葉もだったのだと後から気付く悋気なのである。そう、「悋気せぬ」とはあくまで言葉の表面には出さぬ堅いお石ということである)を冗談めかして「雪」と絡めるために持ち出されたということになるが、もちろんそんな浅いものではない。塩茶を含んで酔いを醒まされ、目を覚まされたところへ飛び込んできたのが、見事な庭の雪景色であった(この、ある感覚を刺激されて他の感覚が覚醒するというのは、観劇中どうにも眠い時に手の甲を抓る行為を思い出せばよい。芥川の『羅生門』にも、楼上を見る下人の描写に嗅覚刺激から視覚覚醒という手法がある)。だから、この言葉は正真正銘由良助が思わず感覚を刺激されて発したものなのである。そうでなければ、「淡路島山」の歌を持ち出したことが嘘になる。お石への悪巫山戯も他者を欺くためと即断はできない。そして、「オオ応は夢現」も、非日常と日常の交錯する夢現は文字通りのものであったろう。仇討実行という非日常が日常となってしまっている由良助にとって、酒の酔いは日常を非日常にする、つまりは仇討成功に心身を消耗する日常を非日常にするものでもあるのだ。そして、酔った振りはもとより非日常化であるが、その偽りの言動はまた彼にとっての日常となっている。九段目が逆勝手になっているのは、実に象徴的(実際の論ではなく)である。そう言えば、この端場を難しくしているもう一つの要素として襖の漢詩がある。今回は李白「送儲【川邑】之武昌」が書かれている(詳細はjouhou1.htm参照。なお、第四句の「憶」を「億」と誤っていると思われるが、音通ということもあり参照した出典が何か知りたいところである)が、段切での別れの哀切を襖絵の背景画のように、雪の朝に見せているのである。雪転しの遊びが武士の覚悟に転ずるのが、この襖が開かれる時だというのも印象的である。大序から通しでの非日常をここまで来た観客の疲労感をも、この何と言うこともない日常的な端場が掬い上げている。つまり、「アア」「オオ」いずれもが、由良助の心の底からの人間らしい声として響かねばならないのである。芳穂は前者が届かなかったものの、後者は出来た。三味線の喜一朗も心があった。加えて、両者の奏演でここが四段目だと感じられたことを諒としたい。

「山科」
 切場の前半に登場するのは女性ばかり。しかし、高音で琴線に響かせる節付けになっていないところに「風」がある。これでギンの音が開いていなければ、ひたすら陰気なものとなってしまう。そして、二の音が重要なのは義太夫節の特徴でもある。曲としては小浪のクドキからようやく動き始める(ここまでの動きは、お石と戸無瀬の会話によって醸成されたものである)。マクラの困難さは種々の芸談にもある通り。戸無瀬の言動が剽軽な二段目とは打って変わって大仰になっているところ、お石の「心置きなき挨拶」に見せかけた心置く白々しい冷徹な応対。その中にある小浪の「帽子まばゆき風情なり」など白無垢そのままの描出。眠くも辛気くさくもならないのは、嶋大夫と富助がこの大曲相応の力量を備えている証左である。そして、小浪のクドキ(実はその詞章はほとんど父本蔵の言葉で占められていることに注目したい。ここがしっかり語られて観客の胸に刺さると、後半本蔵の述懐に涙せぬ者はいないはずだ)から「でかしやつた」で一頂点を迎え手の鳴るのはもっとも。人形も、母娘は道行の評価の通り、お石の簑二郎もよく映って六段目の婆が嘘のようである。ここで一点問題なのは、戸無瀬が柄杓を取り落とすところである。鶴の巣籠を聞いて母娘の情愛というものがあらためて心に染み入り、堪えがたくなって思わず手が疎かになり力が緩むのであるが、これは難しい。『妹背山』の「鱶七上使」で、床下から突き出される鑓をものともせずに枕にするところも、どうしても次に鑓が突き出されるとの意識が現れてしまう。そうすると、ここも柄杓を落とすために落とすということになってしまうのだ。初日は、その所作をせず普通に片付けた(小道具類はいちいち出しておくと面倒だから使い終わったらさっさとしまうのは問題ない)のは一見識と思っていたのだが、楽前々日には鶴の巣籠が気になってその場へ落下放置するという所作に見えたのはどういうことなのだろう(宅配便が来たからお玉を流し台に置いたまま玄関に出て行く主婦のように)。
 後半の千歳は聞きたかったが、呂勢の代役と知って気分は悪くない。無論、太夫本人が大変なのは楽前々日の声でわかる。とはいえ、初日は万全の体勢で見事に段切まで持っていったのが実に素晴らしかった。女連中の出来は想像していたがそれ以上で、あと中心となる本蔵が真に迫り由良助も無難であつた。太夫は語らず浄瑠璃をして語らしむ、これが逆説的ではなく真実として響くのが二世古靱太夫であり(山城少掾ではない)、八世綱大夫であり、または公演記録映画会に残る昭和40年代の語りなのである。今回、清介の三味線が語らしめたという側面もあり、段切まで滓の残らないものとなった。ただ、初日は段切が忙しなく感じられるという点はあったが、一芝居してやろうという山っ気がなかったから、どれほど節付の意味を浮かび上がらせてくれ、そこから情愛を感じさせてくれたかの方を評価すべきである。加えて、そこには今回人形陣がよく遣ったということも条件として忘れてはならない。本蔵の勘十郎が主役となって家族愛そして武士道精神を描き出し、由良助の玉女は主人の短慮を思う衷心衷情にその頂点を見たし、戸無瀬和生とお石簑二郎の互いにその子どもと夫に連なる情愛が斉唱され重唱され、小浪の一輔も父母そして力弥への気持ちがそれぞれに溢れていた。力弥(文昇)も前髪立ちの行儀正しい好青年という印象を与えたが、一点腑に落ちない遣い方をした。初日には見逃したのか楽前々日に気付いたのだが、本蔵がわざと力弥の手に掛かりそれを由良助に見破れた後、「徒党の人数は」で思わず声を張り上げて伸び上がるところで、力弥は気色ばんで刀に手を掛け半身に身構えたのである(本蔵が収まるのを確認して自身も収まる)。これではまさしく、「力弥めが大だはけだはい」と言われてしまうだろう。なぜなら、「御計略の念願届き、婿力弥が手にかかつて、さぞ本望でござらうの」と父が明言しているのだから、深手をわざと負った本蔵が刃向かってくるわけがない。このあたり、やはり若手から中堅へは本読み百回が必要とされるところなのであろう。

「引揚」
 由良助の述懐に収斂される痛切な哀感を胸に残して、九段目が幕となったから、仇討ち成就で気分爽快とはいかない。それは、由良助自身「寂々の二字とのみ」と語っているところからも関係づけられるし、それこそが、『忠臣蔵』の主題でもあるからだ。個人という小歯車は共同体あるいは政治という大歯車に否応なしに噛み合わされてしまう。昼行灯とあだ名された者が義士として死後今に至るまで(この先どうなるかはもうよいとして)名を残したのは、実に幸せ者であったと手放しで賛美できるのかどうか。ということは逆に、無念の死や不慮の死あるいは自死を遂げた者共を、自己責任や不明といった低俗な言葉で貶める行為は、愚の骨頂に他ならぬということでもある(その愚が政に関わるような国は衰退して当然と言わなければならない)。そうなると、先の大戦後『忠臣蔵』が上演中止とされた理由とはまた別に、今後上演中止となる可能性がないとは言えないのだ。権力と金に取り憑かれ、ゼロサム社会の中で他者を蹴落として勝ち組となった者にとって、『忠臣蔵』ほど不愉快な狂言はないのであるから。何せ、高麗人参はそれこそ大金がないと手に入らないが、この独参湯は相応の木戸銭で庶民が口にすることができるのだ。そういえば、この大詰冒頭の詞章に言う黄石公と張良の話は確か橋の下でのできごとであった。両者の間では秘宝の兵法書がやりとりされ後の漢帝国建国の資ともなったのだが、今の日本にその場を当てはめれば、亡国の因以外の何ものでもないであろう。実にこの独参湯とは、かくも脳内を爽快にしてくれるものなのであった。