平成廿五年七・八月公演(初日所見)  

第一部

金太郎の大ぐも退治」
 最初から色々と説明しているのだが、子どもたちは聞いてはいない。筋に直接関係のないことばかりなのである。アトラクションで乗車前に注意を受ける場合は、これから体験できる内容がわかっているだけに、楽しみを倍加させる働きもあるからわくわくしながら聞くのである。夏休み公演の場合はとりあえずやればいいのだ。目と耳とに初めての文楽を直接ぶつければよい。未来性などというのはバーチャル世界でいくらでも体験しているのだから、むしろ何の説明もなくレトロな怪異性が展開されれば、とりあえず引き込まれることは間違いない。床だってそうだ。ぞろぞろと肩衣袴姿のオッサンが出てきた時点で注視する。三味線の奏演と生声の語りが聞こえてくればそちらを確認もする。同伴の親でもわかりにくいこの詞章で、そのまま語り通したというのも、文楽の表現(内容ではなく形式。こう書くとそれだけで批判する輩がいるが、本質は深厚で現象は浅薄というのは何もわかっていない証拠。こういう連中には五感を一つずつ奪うという体験をさせればよい。そのたびに本質が近付くとさぞや感動することであろう。このネタもキッズステーションを見ている子どもたちならすぐにわかるはず)で惹きつけようと考えたからに違いない。さすれば、「物すごく」「すさまじき」という感覚が伝われば成功であるが、太夫三味線とも一杯に勤めた。続く赤鬼青鬼は怖ろしさの中のコミカル性をノリ間にて表現することになる。詞が強く前に出るのは良かったが、地が不安定なのとノリ間が不十分で、修行修行の亘であった。鬼童丸は昭和時代の典型的な悪役で、少なくとも仮面の忍者赤影(現代の子どもにすればこれもテレビお笑い芸人によるパロディーで知っているかどうかだが)世代なら直ちに相手が何者かわかる仕掛けである。いや、それを詞章とコトバの巧みさで聞かせるのがプロだという声も聞こえてくるが、そもそも、現代日本における世代間格差は、現代世界の各国間格差よりも大きいから、その姿を見てピンとこないとそれを越えて理解しようとする姿勢は生まれてこない(子ども中心というのなら忍たま乱太郎のドクタケ忍者隊を参考に造形してもよかったと思うが、そうするとズッコケ要素が加わるから巨悪になりきれないか)。ここではとりあえず悪役だ納得させればよいのだが(その点では津国も玉佳も及第)、段切のこれも往年の時代劇ではお馴染みの両雄対決のところへ来ると、子どもたちにはそのパターンが形成されておらず、詞章は元よりわかるはずもないから相当にダレた。しかしながら、それは直前の善悪対決、外題大蜘蛛退治のスペクタクルが、子供騙しに終わってしまったとの影響が大きい。つまり、昂奮の後の沈静の場面であればむしろ効果的であったからである。大蜘蛛の造形はよく出来ていたのだが、動きが緩慢で的確でなく(これは大人形を扱う以上やむを得ないとは言うものの、足や毒針による攻撃は皆無で、そうすると逆効果で無駄に大きい木偶の坊に見えてしまう。その証拠に、子蜘蛛の方は実に巧みでその攻撃もダメージの高いものであった)、唯一の糸吐き攻撃もヘナヘナ(高く遠く大きく素早く飛ばず)で、こうなると映画でのCG処理には遠く及ばないなあと、人形芝居の限界を見せてしまうことにまでなってしまう。となれば、むしろ大蜘蛛は動かず、つまり社が破壊されると中央に巨大な蜘蛛の巣を背景として出現し、その左右から打ち掛かる頼光と金太郎に対し、足攻撃や糸攻撃そして大きな胴体が後ろを向いての針攻撃、あるいは蜘蛛の巣へ捉えようとするなど、むしろ正面固定することによってそれらが効果的に表現されたのではないか。つまり、大人形の動かしにくさを逆手にとって、背景の蜘蛛の巣による固定という納得のいく方法が試みられる余地はあると思われるのである。こういうものは、その日がもう一つであれば翌日に大胆な変更を行っていいのであり(「大蛇退治」(日本振袖始)では初日の寸評で記した不十分さが、一週間後には見事是正されていたという前例もある)、演出家は日々舞台をチェックして改良に心がけるものであろう。しかし、最後はなかなかの見もので、宙乗りはやはり人形の華であり、ここの糸もまた効果的であった(至近距離だから上手く絡んだ)。終わりよければすべてよし、最後に好印象を残したのは全体としても成功と言えようか。

「解説」
 芳穂は誠実だし工夫もしているが、如何せんリサーチ不足である(たとえば、技芸員の子ども二、三人に聞いてみるだけでもよかったろう)。牛若丸と弁慶ならば少しは知っているだろうと、人物像を想像させる言葉も加えているのだが、やはりそのものズバリが思い浮かばないと折角の語り分けも意味をなさない。京都在住の中高生でさえ、例えば「義経記五條大橋之図」(月岡芳年)を見せても何のことかわからないのである。昨年の大河ドラマも役に立ってはいない。童謡「牛若丸」も知らない。辛うじて思い出せるのは、名探偵コナンの映画で出てきた一場面というヒントで反応した者のみである。昭和は遠くなりにけりだが、かつて春日一幸が演説中に「山科閑居」を持ち出したのも、あながちその春日節なるが故だけにはとどまるまい。衒学趣味などではなく、当然聞く者をニヤリとさせるための仕掛けであったのだ。それがもう平成ではまったく通用しない。昭和時代にはドリフがコントで忠臣蔵を取り上げもしたが。現在パロディーが通るのはそれこそ昭和のジャパニメーションだけであろう。
以下は引用である。
 ―《小説だもの、鱶七が弁慶の長上下で貧乏徳利をブラ下げて入鹿御殿に管を巻かうと、芝居や小説に一々歴史を持出すのは余程な大白癡で、『八犬伝』の鉄砲も亦問題にならない。》
 この『八犬伝談余』は昭和三年、こちらが生まれた年の執筆である。「鱶七」云々は近松半二の『妹背山婦女庭訓』の金殿の場をさしているが、もちろん(内田)魯庵は読者が先刻承知のこととしてその例を引いている。教養ではない、常識である。今日「鱶七」といわれて即座に理解できる読者は、歌舞伎文楽の愛好者に限られよう。
 ぼく自身は幼い頃からこの演劇の世界に親しんだわけではなかった。少年時、祖母が「おかるは二階でのべ鏡」とか「夕顔棚のこなたより現れ出でたる武智光秀」とか妙なせりふを口にするのを耳にして、すこぶる怪訝に思ったことをおぼえている。祖母は格別の芝居愛好家だったとは思われない。ただ、田舎の村祭の掛小屋などで常々見慣れ聞き覚えたものが、記憶の底に沈殿していて、折々にふっと浮び出るにすぎなかったろう。教養でない常識とは、つまりそうしたものである。
 こちらにとっては常識ではなく、もっぱら教養である。芝居を見はじめたのはようやく三十歳近くになってからで、近松や黙阿弥や南北を「読み」はじめたのと一緒のことだった。田舎芝居しか見なかった祖母ほどにも、見、また読んだものが身にしみついているはずはないのである。「鱶七」と聞いてむろん、無知故の戸惑いを感じたりすることはない。だが、魯庵がしたほどに気安く無造作に、この種の連想を書きとめることができないのは、魯庵が信頼し得た共通の理解の圏が、今日ではほとんど成り立たないだろうと、悲観的に推測するからである。江戸期の庶民文化に対する身体的な共感を持たぬ時、かりに共感を持ったとしてもそれがきわめて私的な性質のものであって、一般的な理解の圏に迎えられる可能性がきわめて乏しい時、馬琴について語ることに何ほどの意義があるだろうか。魯庵の自由闊達な文章の妙味は、末代の批評家にとっては一つの絶望にほかならない。 ―「里見八犬伝」川村二郎(昭和59年)〈一部略〉
 それにしても、新・講談社の絵本をずらり並べて販売もするという考えが何故浮かばなかったのか。もちろん、何人が買って帰るか採算も見込めまいが、とりあえず少数仕入れて公演期間中ロビーに展示し、入退場時と休憩時間中を合わせて見れば、相応の反響があることは間違いないだろう。親が子に本を手にとって示し勧める。伝承というもののごく小さいが最も重要な姿がそこにはある。これを、一企業を利する行為だなどと言うのなら、それこそ、官僚・国家公務員こそが日本国をボロボロにする獅子身中の虫だと、世間から非難されている実態そのままということにもなる。お伽噺までもが教養と化してしまいかねない現在、人形浄瑠璃文楽の未来志向とはこういう大所高所に立って大局を見ることに他なるまい。この第一部にこそ敵対関係にある子沢山の某人物を招待し、絵本セットを手渡すくらいのウイットがあれば、文楽の将来は極めて明るいと言えるかもしれない。タイアップというのは、シンパの文化人に批判記事を安全地帯(文字通り幅広車道中の至極細く狭い領域)で書いてもらうことなどでは決してない。文楽を現代から孤立させているのは、文楽を含む狭い世界でしか物事を考えられない人間たちではないだろうか。とはいえ、技芸員には太夫・三味線・人形という長く険しい一筋道を、脇目も振らず進んでいただかなくては困るが。もっとも、「稽古は花鳥風月に在り」という筑後掾の言は肝に銘じていただく必要はあるが。なお、人形の方はすっかり板についており取り立てて言うことはない。
 今は既に平成も二十五年である。出銭亂土の黒鼠病蔓延はとりわけこの国土において甚だしい。It's a small world after all と脳天気に連呼し喜んで歌う。そう、結局のところ一つの絶大的超大国がすべてを支配すればいいという意味である。絶対的正義は連戦連勝(敢えて悪を捏造して勝つわけだから連戦連勝に違いはない)、引き分けなどというものはないのだ。福をもたらす白鼠とは正反対の、黒鼠の尾に付く愚者の群れ。しかし、この国には日本文化がある。ドラえもんの映画を見終わった子どもたちは、次の歌詞を耳にしていたのである。
 ―世界はひとつじゃないんじゃないかねえ
  時計はバラバラ昼夜さかさまだよ
  世界はグーチョキパーでだから楽しくなる
  みんなちがうからあいこでしょ

  パン屋魚屋本屋となりの花屋
  いろいろあるから商売ハンジョの顔
  町はグーチョキパーで通りはにぎやかに
  みんなちがうからあいこでしょ

  金魚はひらひら池の中
  どじょうは上下池の中
  まねしておよぐ奴いない
  だからぼくだけぼくのまね―(「世界はグー・チョキ・パー」作詞:武田鉄矢)
 世界無形遺産人形浄瑠璃文楽の背負う役割もまた重大なのである。内なる危機は外なる危機の反映であると再確認せねばなるまい。

「瓜子姫とあまんじゃく」
 もはや古典的名作の域である。都市の住民も故郷の里山で遊んだ記憶が残っている間は、これは新作として身近に感じられたが、民話自体が「学ぶ」ものになってしまっている以上、本作も子どもたちには別世界の話(異世界の話ではない。異境の場合その境界線は目に見えず肌で感じるものであり、幼少時からどこそこから向こうへは行ってはいけませんと言われてきた領域である。別世界というのは、いわばマシンに乗り込んで出掛ける場所である。草むらのトンネルを抜けるとトトロの森が広がっている、これは異世界であり異境)であって、ドラえもんに頼んで連れて行ってもらう(現実は100%親が連れてきた)世界である。校庭の裏山から繋がってはいないのだ。ゆえに、新作だから親しみやすいとの定義は当てはまらず、瓜子姫という等身大のキャラクターから入ってもらうしかない。そして、田舎のじいちゃんばあちゃんのところで遊んだ経験はあるだろうから、夏休みをキーワードにして舞台世界とシンクロしてもらうことになる。あとは物真似・鸚鵡返しの面白さ(もっとも、これは瓜子姫がさらわれるところでは恐怖に変わるのであるが)、小動物の鳴き真似、等々。となれば、今やこれらの民話調的新作は、別世界をどれだけ楽しませてくれるかということに価値が置かれるわけであり、その別世界はこれまた現代日本において別世界となってしまった人形浄瑠璃文楽によって演じられるわけであるから、内容以上に、形式的な表現がどれだけ子どもたちに正の印象を残すことが出来たかが重要なのである(夢の国のアトラクションは、それがどういう形態によってもらされるか―いかに五感を刺激するか―によって人気度が異なる)。つまり、越路大夫喜左衞門、先代の清十郎勘十郎らによる初演当時とはその意味合いが異なるから、今回の三業による成果も、基準を別にしなければならない。嶋大夫の代役を呂勢が勤めたが、実に正鵠を射たものであった。浄瑠璃義太夫節が語られているということを、耳にはっきりと刻み付けたのである。節付が基本のパターンによってなされていること(これを踏襲という負の側面でとらえてはならない。映画が3Dでも決して実際にスクリーンを飛び出すことはないのと同様である)、地と詞を画然とするいわば歌舞伎のチョボ風ではなく、カカリや地色などを巧みに用いることで、語り手という第三者視点を処理しようとした意図も、呂勢の語りで明確になった。等身大の瓜子姫も可愛らしく描けた。一方で、あまんじゃくは爺婆とのやり取りは面白かったが、瓜子姫との恐怖感は今一歩、山父も水木しげる的妖怪(異形がむしろユーモラスで親しみを感じる)としては描かれていたが、「ウムわれたち人間は」前後の絶望的恐怖と忽ちの転換など、さすがに代役初回では至らなかった。とはいえ、越路―嶋―呂勢という伝承が確かなものであり、節付すなわち原作の浄瑠璃義太夫節化という原点が聴き取れたのは、一にも二にも呂勢の才能と技量によるところである。そこには無論師匠による薫陶と三味線富助によるリードがあったことは言うまでもない。ともかくも、こうやって新たに劇評を書いているということが、今回の代役に意味があったという証拠なのである。代役の出来のみを評して終わらなかったのだから。人形については、あまんじゃくの動きの良さと、瓜子姫の可憐さをとりわけ評価する。 

第二部

『妹背山婦女庭訓』
「井戸替」
 春(新春も含む)以外の季節で『妹背山』の経験はない。今回は四段目の通しということで初秋(新暦なら八月中旬)の設定だが、夏公演としてふさわしいと言えるだろう。ただし、その季節感を舞台で表現できたならばの話ではあるが。マクラから子太郎の出までは、夏の一仕事の後というものを汗と酒によって描出することが季節感に繋がる。千歳団七は世話的な雰囲気は十分だが、流れる汗とむんむんとした熱気を冷や酒で鎮めるも、酔いが回って乱痴気騒ぎになるという、臨場感は伝わって来なかった。土左衛門の詞の三段変化、井戸替え直後と烏帽子折批判と容赦収拾と、それが最後の深酔いだけ特徴的であったというのは工夫が足りず(詞章内容ということでは十分でも)、相生なり伊達路なりがピッタリだったという印象は今回も更新されていない。とはいえ、家主の表現には聞くべきものがあり、ようやく年齢相応の語りに至ったかと、かつての神童がただの人で終わってよいはずもないことを再確認した。「堀川」から「十種香」のパロディーは文楽検定中級コースというところだろう。ここでの子太郎(阿呆とは本来こういう遣い方が正しい。小賢しく小狡いイメージなど論外。その意味から清五郎を顕彰しておく)と家主との絡みは面白く、人形の息がうまく合っていた。人形ついでに、求馬の出が慇懃な言葉を並べる性根の割にはくだけた足取りで、登場時からハッとさせられた玉男師の素晴らしさがあらためて思い起こされた。

「杉酒屋」
 前場、お三輪が在所近郷では評判の美人で、寺子屋にも通っているという設定が重要である。端的に言えば田舎では一番の女。それが都会的な(名家の子息にして容貌知性兼備は田舎に絶無)の求馬に惚れるというのは当たり前だが、悲劇の始まりでもある。そこへ、盆が回ってすぐ橘姫という求馬と似合いの女(清十郎はこういう女を遣うと比類が無い)の登場となるから、その後のお三輪の出の可憐さが余計に引き立つのである。しかも、それが一騒動終わった後の暑さが残る初秋(現代日本では晩夏)の夕暮れ時という設定であるから、謎めいてぼんやりした感覚もうまく表現されるわけである。この立端場奥の肝心要マクラ一枚、英と清介が見事に描写した。子太郎のユーモア(ここの足取り変化もよい)に続いていよいよお三輪の出。さすがは神経の行き届いた勘十郎である。前述の設定が、その出姿だけでストンと腑に落ちる。最初の恨みのクドキは三味線の妙音に助けられて語りもよく人形共々、自ら在所育ちと語る屈折した心情(この屈折が「月の笑顔をぴんと拗ね」る橘姫には微塵も無いことに注意)も踏まえていた。二度目の安心したクドキ(ここに至る求馬のクドキの巧みさも肝要、床も人形もなかなかよい)は、今ひとつ美しさが不足し、「肌に付け合ふ理なき縁」と「おぼこ娘」に言わせる艶にも欠けていたのは残念だった。しかし、この「杉酒屋」は中堅が切場語りに至る手前で語るよりも、切場語りの余力の勤めに旨味がある(綱弥七、相生重造、越路清治を一聴すればわかる)。この床には、切場を存分に勤めた(襲名も同時か)後、あらためて聞かせてもらいたい。なお、終盤の恋争いとドタバタ劇はなかなか面白く、このあたりは確かな実力が備わっている証拠でもあった。

「道行恋苧環」
 近年では、嶋咲/呂小松のものが耳に残っている。今回の呂咲甫芳穂はその弟子、すなわち世代交代が実現しているかどうかを確認する意味もある。結果、抜擢の芳穂は未成だが、まずは満足のいくものであった。橘姫にはゆとり(間接性)がなければならない。それは身分出自によるものでもある(「定かならざる賤の女」ではない)し、求馬とは互いに探り合う仲でもある。芳穂はよく健闘しているとはいえ、敢闘賞を獲得してはこの橘姫とは性根が食い違うのである(お三輪ならば許されるが)。伸びやかさに欠けて苦しく単調になる箇所が聴き取れると(とりわけ二度目のクドキ)、それだけで残念な結果に終わる。「つれなの君や」で姫の心情が伝わらないという。それを三味線が補うのも清丈には重荷で、確かに二度目のクドキはよく導いたといえるが、最初でああ硬く弾かれると印象が確定してしまうというものだ。とはいえ、両者とも抜擢には応えたとはいえるので、この評言は安易な表面的高評価(慢心自尊も含む)を戒めるためのものである。将来性に期待すればこそなのであるから。呂勢と咲甫については、バトンタッチがなったとしてよい。無理も不自然もない。もちろん、三味線の清治師と清志郎あってのことというのは言うまでもないが。足取りはマクラから快速だが、「道もせ気もせ」とある詞章を踏まえてと納得する(ただし、全般的に昨今の道行は鮮やかだがはんなりとした情緒に欠けることは問題)。それが、三下り唄(ここの人形はそれぞれの性根による所作の対比が結構)が終わり白々と夜が明け行くとともに、終曲に向けての足取りとして、三者三様に急かれる心模様を映し出し、苧環の回転とも合致した抜群のものとなったのは、聴いていて心躍るものがあった。その苧環、以前は回転がなかなか難しそうであったが、今回とりわけスムーズで、相応の工夫をしたものと思われる。道具方を評価したい。

「鱶七上使」
 四段目だけの通しであるから、巨悪入鹿の存在を知らしめておく重要な場である。御簾内の始清馗はマクラから玄蕃弥藤次の詞まで威勢あってよい。が、仕丁二人の掛合は重くなり面白みがない。内容的にはどうでもよいが、どうでもよいからこそこの長々とした掛合漫才は面白くなければ無意味なのである。
 津駒に寛治師も二度目となる。前回は臨時的配役と捉えたが、こうなると本腰を入れて評さなければならない。すなわち、伊達そして津の後継者としてである。もとより声柄が異なるから、単純比較は出来ないが、三味線が寛治師であるからには、すべては太夫の差に還元されることにもなるのである。入鹿は偽帝という位置付けであるから、いわゆる帝調のコトバで語りつつ巨悪を表現するという難しさがあるが、逆にそれが、津駒には声柄の欠を補う方向に作用して不可は無し。主役の鱶七は無理な声作りをせず、緩急をうまく使いぶっきらぼうな言い捨ても工夫して、前回よりも進歩を聞かせてくれた。後半一音上がってからは、三味線の妙音抜群の足取りを得、前回ともども面白く聞けた。この箇所の義太夫節としての魅力を知ったのは、寛治師の指導による津駒によってであると言い切ってもよいくらいなのである。と書くと高評価になるのだが、津駒がこれから駒の字が取れる方向で行くとなると(緑亡き後は必然とはいえ)、この「鱶七上使」はもっと横紙破りでなければならない。入鹿は文字通り、鱶七は文盲理屈という意味で。それが理性の範疇に収まっているようでは、例えば「吃又」の狂気(文楽補完計画参照)には到底至れない(単なる人情話に堕している現状を破れない)であろう。ただし、これはもちろん劇場側の思惑によるところも大なのであるが(かつての春子の不幸は二度と繰り返してはならない)。人形陣は、入鹿の玉輝がこのところ大胆な大きさに安定感があり、故作十郎の後継たる位置に届いたかの感がある。鱶七は大胆不敵とするには理が勝ちすぎていて、故師玉昇の残した芸を記録テープの助けも借りながら再現伝承に努めてもらいたい。

「姫戻り」
 南部や嶋で聞いて、初演はここから春太夫場であったろうとの節付が納得させられたもの。しかも、半分は五段目大詰の仕込みだと、「入鹿誅伐」が出ないのを悔しがりもしたもの。最近は文字通り切場の前座、端場そのものである。睦は二度目、前回は半期で今回は全期。求馬がよく、橘姫も恋模様は描き出せた。ここ最近のを聞いていると、浄瑠璃義太夫節がまだまだしっくり馴染んでいない感じがする。弟弟子がつかみかけているだけに、この一門は番頭格の呂勢を筆頭としてなかなか楽しみである。やはり指導のよろしきを得ているのだろう。

「金殿」
 内実はイジメである。したがって気分の解放が難しい。そこで、マクラから豆腐の御用までと金輪五郎の勇壮な詞ノリで発散するとどうなるか。切場であっても45分以下で片が付くから、聞き終わってへとへとになることもなく、結果として形式も内実もない空虚感を味わうことになる。すなわち、この一段は四段目切場中でも再難度を誇ると言ってよい。要するに、お三輪の心情にシンクロするしかないのである。そのためには、まず前半で観客の心を引き付けるとが必要だが、その詞章はちゃんと用意してある。「腹いせぢや」までは道行からの続き、「愛想をつかされたら」で屈折し、「このままに見捨てて」で再転換して「どうせうぞ」と更に「心も空」となり、金殿へ上がるとその非日常的な様相にうわの空状態が継続する。その心の隙間に官女たちが突然侵入することになる。正気に返って言い訳をするが、ここで先刻の思いが悔し涙とともに甦り、恨めしい復仇心を丁寧な言葉で包み込むのである。ここまで、咲大夫と燕三そして勘十郎という黄金トリオがしっかり掴んで描出するから、引き込まれた観客には既に感動が約束されていることになるのだ。大したものである。官女のいびりは黒衣のツメの方が断然よい。顔のない不特定多数からのイジメゆえに(イジメとはまさにそうであることによって立ち向かうことが困難なのであり、イジメられる側を責めるのはこのこと一つを取っても誤りであることがわかる)、黒幕を橘姫とそして求馬へと恨みは弥増すのだ。もちろん、お三輪に観客の全神経が集中するということもある(ツメ人形とは実によく考えられているもので、何でもかんでも世界に冠たる三人遣いの顔出しだと押し通すと、足元を掬われることになる)。後半は恥辱を受けた悲しみから憎悪へ、そして嫉妬の狂女は人間ならざるガブのカシラに見えてくるはずだ。そして、血まみれの忌まわしい姿は怖ろしい声音とともに、いま・ここへ情念の魂魄として永遠にとどまるのである。ここでの勘十郎は簑助師には及ばないが食いしばる型にゾッとさせられた。金輪五郎の詞ノリは大きく痛快で、三味線はまた爽快さに加え、爪黒の鹿の血汐以下の怪異性、色音を感じての妖美さなど抜群であった。そして、段切前の苧環塚縁起に収斂する究極の哀切と、今回四段目を通して建てたお三輪の物語は、見事に完結したのであり、劇場の企画制作者側の意図もまた、達成されたのである。これでこそ、真の切場語りと言い得るのであり、果報(くわほう)といい「風」を語り伝承を血肉化してのこの芸は、十代目襲名と同時に紋下復活をするより他はなかろう。勘十郎とともに、斯界の第一人者そろい踏みの一段であった。なお、豆腐の御用の勘寿は貴重な存在、金輪五郎玉也が見顕す極まり型はもう一歩であったことを追記しておく。

第三部

『夏祭浪花鑑』
「住吉鳥居前」
  いくら大阪の夏を代表する狂言とはいえ、毎年のように建てられてはいい加減辟易もする。こう書いて念のため確認してみると、三年ぶりであった。つまり、感動が薄れてきている、いや、評するに足る感動が今回得られなかったということか。この「鳥居前」は、前回詳細に検討し、改作本の粗雑な誤りを指摘したところだが、今回もまた踏襲されている。これを誤りととらえられないのは、そのまま文楽人失格(三業はもちろん制作担当等も)を意味するから、そんなことはないはずである。ならばなぜ改めないのか。それは例の「曽根崎心中」台本事件とも絡んでいるからである(とはいえ、著作権まで持ち出して擁護しなければならないというのも情けない限りであるが)。是々非々で臨めない妥協の産物、いや、現実的選択と言い直しておこうか。しかし、「ハイルーー、マーアー」と語ってよくまあ全身にアレルギーが出ないものだ(「牢へハイラヌ者」も同断だが、こちらは役者の台詞として語っているから大丈夫なのかもしれない)。感覚が拒否すると思うのだが。それと、もう一つ。野生動物はその個体数が一定数を割って減少するとき絶滅の危機に瀕するという。人形浄瑠璃文楽もその上演狂言が限られるようになったとき、剥製としてその姿を留めるしかない事態に陥るだろう。制作担当者にはその点も十分心してもらいたい。再度書こう、人形浄瑠璃文楽の未来志向とはこういう大所高所に立って大局を見ることに他なるまい、と。
  端場の靖はまず浄瑠璃義太夫節の声柄であり、身体全体に血肉化されてもいるもと感じられる。不自然さがない。三婦の描出も声色にならずモノにしている。有望株。ただ、マクラから出へのカワリが不十分であったが、これは次回への楽しみとして取っておいてよい。清丈にも難はない。
  奥、三年前と同じ文字久。三婦はこなれたが、徳兵衛が爽やかにならない。それでも奥として及第なのは、三味線清友に大いなる功あり。

「釣船三婦内」
  端場。ここは琴浦と磯之丞の痴話喧嘩をいかに魅力的に語れるかである(若手に三婦や女房のを期待しても声真似に堕するのみ)。その意味で芳穂はなかなか工夫して面白く聞けた。ただし、マクラの不安定さはいただけず、地に関しては靖の方が上である。三味線は清志郎で鶏を割く牛刀の感にまで至っている。
  切場。米寿住大夫師。観客がわれんばかりの拍手で迎え、そして送る。どうか卒寿も文楽太夫としてお迎えいただきたい。三味線の錦糸は西風の渋い世話物についてはとりわけ良い女房役である(その逆が、六月文楽鑑賞教室で呂勢と組んだ「尼ヶ崎」の前半。「其音声と云つたら、古今無比と伝へられ、「表の三本」で上がツカへず、「裏の三分」で下がツカへず、「ギン」の音と云つたらドノ譜からでも「ニジツタ」高い所から出して上品此上なく声量、腹力共に剛強にして一人も敵する者なかりしとの事。無論其頃の事とて簾内で語つて居たが床側に茶棚を据え、銀瓶の白湯わかしを掛け、玉露の茶を入れて、切れ羊羹を菓子器に盛り、語る片手に茶を入れて呑み、光秀の出の前までは胡座をかいて語り、夫からヤット正坐となつて語り、夫で人情と云ふ物が溢るゝ斗りであつたとの事」(「浄瑠璃素人講釈」)とある麓太夫場である。収斂させて絞め殺しては失敗に終わった)。
  跡、希は平板のようだが癖が無く状況変化も描けていたから不思議な太夫だ。一つの個性としてしばらくは要観察。三味線は寛太郎で、門前の小僧は進歩もする。
人形陣。簑助師のお辰に尽きるが、三婦の紋寿も熟練の技を見せ軽妙で上手い。なお、端敵二人(勘市・玉佳)は駕籠の件からよく息が合って面白く見られた。

「長町裏」
  前回に続いて団七を千歳。未だに、頑張って団七を語っています感は残っているものの(「エヽ此方は」「ア痛」等の思わず口にする詞が不自然なのがその典型)、映るようになっているのもまた事実。とりわけ今回は、段切「悪い人でも舅は親、南無阿弥陀仏」のところ、祭そして殺人という非日常的狂気から日常に戻るという解釈がピタリで、久しぶりに神童千歳の姿を見た気がした。義平次の松香はもはや持ち役となった。
  人形陣。団七の玉女はあくまでも床の出来による(もちろん、太夫と人形の関係とは本来そうあるべきであり、玉男師もそう語っていた)。極まり型の良さはいつもながら惚れ惚れするから、今回の不満はやはり、自然体での団七の映り具合であった。

 なお、夏休み公演終了に引き続き、大阪では「夏祭初音鑑」と題してボーカロイドのコンサートが行われたが(東京では下旬に開催)、そこには「人形浄瑠璃の芝居小屋をモチーフに組み立てています」「大阪が世界に誇る日本の伝統芸能=文楽を彷彿とさせる、光の陰影の演出でもお楽しみいただけます」とある。現代日本のサブカルチャーを代表する初音ミクにリスペクトされる、やはり人形浄瑠璃文楽は大したものだ。次は是非とも、文楽側から共同企画を提案してもらいたい。