平成廿五年一月公演(7日・14日所見)  

第一部

「寿式三番叟」
 昨年の文楽受難劇におけるキリストの復活、その祝祭ということに尽きる。「待ってました住大夫」との掛け声も、今回は特別な意味を帯びる。定式幕の上手からその姿が現れると「お帰りなさい」そして場内割れんばかりの拍手。例年初春の寿を祝う式三番であるが、開場記念にも襲名披露にも出される狂言。今回はまた新たな象徴性を帯びたわけである。ということで、客席はもうそれだけで満足。とはいえ劇評である以上、今回は三業の成果についてのみ取り上げる。
 最も驚いたのが三味線陣。これはと思って床を見ると、錦糸のシン以下燕三、清志郎、龍爾に加え寛太郎他の陣容。実力者がこれほど並んでいて一糸乱れぬユニゾンがこれほど美しく、かつシンの存在がわかり、厚みのある奏演は、一つの記憶として媒体に記録しておくべきレベルのものだった。
 太夫陣、千歳の文字久に油断も心配もないが、若男で梅花の挿頭が語りから聞こえて来ないので素浄瑠璃は無理。三番叟の咲甫と睦は景事ということで納得。
 人形陣、翁の和生は面の柔和な笑いに秘められた超越性に至っていないものの、翁の面をかけて謡を舞っているということに関しては問題ない。三番叟は黒が幸助で白が一輔と、若手から抜擢ならまずこの二人だろう。その分期待もしたのだが、どうもガサガサした印象を受けた。元気に踊っている、それでいいのなら構わないが、神事であり床の出来と比べるといかにも軽い。加えて、白黒の差が判然としない。個別で言うと、黒は左右に仰け反って下がる時の形が不安定、白は左右とも手の捌きが検非違使首とは思われない。つまり、寿、式、三番叟とは見えず、三番叟自身が舞っている無象徴的なものであったと評しなければならないだろう。なるほど、以前見た勘十郎と玉女によるものがいかに素晴らしいものであったかを、あらためて自然と比較されることによって認識した。劇評には経験値が必要である所以でもある。最後になったが、千歳の勘弥は足遣いが文字通り足を引っ張った。右足が主遣いを憚って窮屈、手摺へ出した足がバランス悪い。とはいえ、これを見たお陰で足遣いの主遣いとの関係における困難さもよく理解できた。他山の石である。

『義経千本桜』
「すしや」
 三段目の切場がなぜ最も重要な段であるとされるのか。五段構成の真ん中という最高点だからというのでは同語反復に近い。それが、小宇宙と大宇宙との衝突、小歯車と大歯車の軋轢だからである。客席に座っている人々の世界がそのまま浄瑠璃という物語世界に巻き込まれるからである。わかりやすく言えば、舞台や人物が庶民の生活空間内であるにもかかわらず、そこで一国を揺るがす大事件が展開するからである。いや、むしろ庶民の生活空間こそ、必ず大事件の巻き添えになると言った方がよいかもしれない。例えば、この『千本桜』における切場の場合、実質的に二段目は宮中、四段目は法眼館でともに庶民は登場しない。昨秋の『忠臣蔵』なら、二段目は大名屋敷で四段目は元家老館、『菅原』も河内郡領館と元菅原家人宿である。そして、三段目切場といえば『千本桜』は元船頭で今鮓屋、『忠臣蔵』と『菅原』は百姓家なのである。弥左衛門は金の分捕りが平重盛により助命され幸いと見えたが、それにより平家没落に巻き込まれ、四郎九?は三つ子が舎人勤めとなったが、それにより時平の悪事の犠牲となり、与市兵衛は娘の勤め奉公を喜ぶ間もなく強殺を招き、女房は婿の自決と娘の身売りという憂き目を見る。いずれも、自らあるいは子どもが大名家や堂上家と関わりになったことにより、最初の幸福は急転直下不幸へと変じたのであった。庶民が庶民の中で生活するには、もちろん相応の苦労もあるし不幸もある。しかし、それらは庶民という範疇の中で知られたものである。名もなく貧しいが分相応の人生と思われたものが、病でも自然災害でもない、人為によって命が消える瞬間に立ち会うという結果となったのである。もちろんこれは江戸期に限ったことではない。戦争や国家破綻あるいはリストラという、懸命に生きてきた個人がどうすることできない事態は、近現代でももちろん突然襲ってくる。天道是か非か、『史記』の時代からそう嘆かざるを得ない真実がここにある(権太は悪党、お軽は密通、桜丸は取持というそれぞれの遠因があり、物語という織物は一本一本の縦糸と横糸との絡み合いによってのみ紡ぎ出されることは措くとして)。二段目の高貴、四段目の優美、それぞれを万全に描き出すことが困難を極めることは言うまでもない。観客にすれば、武士なり貴族なり自らとは全く別世界での出来事を見聞きするのであるから、それが他人事かつ客観的な事象としてとらえられてしまえば、もうそこに芝居はない。非日常を非日常とするということは、自らが日常に留まったままということに他ならず、自己没入も自己一体化も存在しないことになってしまうのである。それでも、三段目切場が最重要であるのは、等身大の日常世界をそのまま等身にはしない、つまり芝居という虚実皮膜の世界、非日常を日常世界から創り出すという、最も難しい一段だからである。三大狂言はいずれも、端場と切場に見られる日常と非日常の乖離は、分裂ではなく連続の結果である。「すしや」は、前場「小金吾討死」が立端場であるから、弥助が惟盛に直る前を端場として考えることになるが、冒頭三下り唄の鄙びた世話掛かった雰囲気は明らかで、その後のお里の新枕に続いて、内侍六代の登場以降は時代物の大場へと移行する。「勘平切腹」も、田舎家でのお軽と母の世間話は身売を挟んで、二人の武士の登場によって緊張感が張り詰め、「佐太村」の七十賀は梅王松王の登場から政事と化す。しかし、連続とはいえ変化(カハリ)が明白でなければならない。そういう意味で、まさしく小歯車が否応なしに大歯車に噛み合わされ、小宇宙が大宇宙に呑み込まれてしまう事態を、観客は如実に感ずるのである。
 今回、切場前半の源大夫藤蔵は、すしやの若男が平家公達へと変わっての風格がすばらしく、時代浄瑠璃としての襟を正さしめた。
 それを受けて、文弥の弾き出しからは寛治師で、その模様から若葉内侍の出とわかる。また、そのクドキは後に来るお里のクドキとは足取りや間の違いからも、それぞれの差別が聞こえてくるというのが恐ろしいところである。権太再登場からの急速調や梶原の出入りの重厚さまで、作為的に気張ると却って聞き苦しくなるものだが、自然に映って芝居を進行させる。かつて故枝雀が落語「時うどん」で、イキと間が大切だと寒夜の客の口を借りて語っていたが、さすがに浄瑠璃にも精通していた彼らしい解釈であった。その語りは、ここでは太夫つまり今回は津駒が受け持つわけであるが、どうも毎回聞き苦しいという感を否めない。とはいえ、これは津駒が美声家のカテゴリーを抜けて、切語りとなるべく修業に努めている証拠でもあって、千歳も呂勢もまた文字久も、多かれ少なかれいわゆる声を潰すという段階を経ているということである。
 そうではあるのだが、耳障りとまで言うのはさすがに行き過ぎだとしても、これまで聞いてきた太夫、あるいは録音でしか知らない大正から昭和前期の太夫にしても、産みの苦しみをいつまでも聞かされることはなかったというのは確かである。個性としての悪声はあったけれども。オペラ(安易な西洋音楽との比較は慎まなければならないが)で考えてみれば、現代の浄瑠璃はストーリーテラーの範疇に閉じこめてしまわざるを得ないのだ。もちろん、浄瑠璃は歌うものではなく語り物であることなどは百も承知しているし、いわゆる情を語ることが第一というのも至極当然である。だが、その情にしても聞く者の琴線に触れなければ紡ぎ出されないのであって、その琴線に触れるとは、文字通り音楽性によるものなのである。高音の節付は、それが琴線を響かせ易いからクドキ等に多用されている。高音を美しく出せる歌手が何と言っても一番人気であることは、民謡やオペラを始めとしてあらゆる音楽に共通している。もちろん、低音の魅力というものがあり、一の音、二の音が開いていなければ、義太夫節としては完成しないけれども、まず高音の節付で琴線に響くようにしてあるところが不十分であるのは、問題なのである。古靱太夫から先代綱大夫そして越路大夫と聞いてきて、美声家の範疇でないけれども高音で聞き苦しいということはない。発展途上のつばめ(津葉芽)時代もそうである。現在の中堅陣が、次代の看板太夫たるべく厳しい修行に苦しんでおり、いずれは大輪の花となりまた結実をもすることを信じないのではないが、過去の名人上手たちの語りが残る耳を以てすると、不安を捨てきれないし、不満も抱かざるを得ないのである。
 二十年以前に大阪国立で催された「SPレコード鑑賞会」で、つばめ仙糸が取り上げられた時、小ホールの観客は変幻自在な三味線の妙音と見事に節付をトレースする語り(この記述を義太夫節に悖るとする者がいれば、それは「組打」や「裏門」がいかに魅力的であるかということを知らない音痴であると言わざるを得ない)にうっとりとしたが、その奏演を不快な顔で聞いていた天女バッチ制服組がいたことを今でも覚えている。この催しは、観客にも発言を求めたところが画期的なのだが、摂津大掾そっくりと言われた南部太夫が取り上げられた時、表面的だとか言う人があるがこれだけの浄瑠璃が語れる太夫が今いますか、と確信を鋭く付いた意見が出てきて、ああ、さすがに義太夫節の聖地大坂だと感心した。明治大正期に人形浄瑠璃が隆盛を誇った理由を放置して、現代文楽の復権はあり得ない。音曲の司であり日本の古典音楽はもちろん民族性と強く関わる。東京五輪音頭を過去の遺物という頭では、ドラえもん音頭やポケモン音頭がごく当たり前にアニメのエンディング曲として作られていることを理解できないだろう。最近では、ゆるキャラ音頭というのもあった。イエロー・サブマリン音頭にケチを付けるビートルズファンがいたとしたら、それは真のビートルズファンではないのである。
 さて、後場の文字久になると先の齟齬は自然と顔を出すようになり、母の悲痛な叫びが男声になるのは芸談でも戒められていることである。彼の場合はそれに加えて、「魂奪はれ」の発音、「権太」のアクセントが不自然に作られたものであるし、公演後半「縫い目の内ぞ床しき」を「内の床しき」と語ったことで、これまで抱きながらも解消されるかと思っていた不信感が、やはり露わになってしまったのである。こう言うと、たかが一字の語り間違いをあげつらうとは、正確無比なロボットに語らせるのをよしとするのか、浄瑠璃義太夫節とは何かを理解していない者の、愚にも付かぬ言いがかりであるととらえられよう。現に、他の太夫は一字どころか絶句したり一句が曖昧になったりしていたではないか。また、切場後半を車輪に語っていてこうなることは、かつての名だたる太夫にも存在するエピソードではないか、と責められもしよう。しかし、それらをすべて心得ているにもかかわらず、今回この一字を問題にするのは当然理由がある。それは、この「ぞ」一字こそ、切場後半の主題だからである。
 具体的に言えば、権太に自らの死を無意味なものと自覚させ、惟盛に頼朝の真意を知らしめて源平対立無限憎悪の連鎖を断ち切り、『千本桜』三段目切を終結させるものなのである。敢えて言えば、「☆★○●◎◇ぞ床しき」と語ってしまっても、その方が百倍も千倍もマシということである。浄瑠璃作者は、小悪党権太と大悪党梶原との取引の結果、息子の命と嫁そして孫まで奪われることになった母親の嘆きに、弥左衛門もともに忠臣小金吾までを加えて惟盛の無念を燃え上がらせ、刺客列伝中の逸話を以て陣羽織に集中させた。この凝り固まった怨念が解かれるのは、縫い目を切り解いて袈裟衣を見出した瞬間である。そのきっかけこそ「ぞ」の一字であり、狂言自体を昇華させカタルシスをもたらす働きをする一字なのである。小町の歌を持ち出した作者の技量はさすがに一流であり、江戸のオチを付けるところに平安古典世界を以てするという、日本文化千年の伝統があればこそ可能になる手法であった。文楽三百年の伝統と言うが、とんでもない、実は記紀歌謡以来それに千年を加えた継承がなされているものなのである。いくら自国販売のタバコにカエサルの言を刻み、チャリオットに重装歩兵の映画を作ってみても、所詮は借り物こじつけの高々二百数十年の底が見え透いた文化とはまるで異なる。その、千年の「ぞ」を何の引っ掛かりもなく語り変えるとは、何をか言わんやという話になるではないかということだ。しかしもちろん、これは将来ある太夫であるがゆえの苦言なのである。中堅で次の三段目語りは、こう問われて真っ先に指さされる太夫なのである(もっとも、「風」物については土台無理なのは致し方ないとして)。今回も、その必死の語りからとりわけ権太の胸を抉るような血を吐くが如き思いは伝わってきたし、目頭を熱くして涙を貯めるまでにもなった。それだけに、南洋の外材ではなく国産材のように、中心のフシが詰まったびくともしない浄瑠璃義太夫節を語ってもらいたいところである。三味線の宗助はここと「逆櫓」と、もう立派な次代の切語り相三味線である。昨年からとりわけ進捗が聞き取れ、今回の文字久が語り果せた手柄の第一としてもよいだろう。錦糸燕三に次ぐ地位を確立したのはまぎれもない事実である。
 人形陣、この狂言については手摺が床を上回り、芝居全体を引っ張っていった。第一にやはり勘十郎の権太である。懐中の腕のままで手拭いを肩に掛けたり、お里に手を挙げたりするのは不自由な限りだが、妹と仮婿を脅す小悪党という記号になっている。だから、母親に甘えるところでは普通に袖から出す。騙るところは錠前を開ける工夫に至るまで比類なく、母親が自分には甘い(嫁や孫に会いたい)と知った計算ずくではあるが、男児から女親に対しての人間味ある行動に、憎めない微笑ましさをも感じさせた。これがモドリの時に効いてくる。その後半は、一文笛の響きが身体的苦痛とともに精神的苦悩を感じさせ、観客に涙を催させた。典型的なモドリのパターンでかつ長ったらしいところを、悲劇の力で引き締めたのは大したものである。素浄瑠璃であったらダレていたであろう(今回の場合は引き攣った大音強声が続くので眠くはならないが非常に疲れる)。いわば、前半の喜劇と後半の悲劇とで、まるで首を変えたかのように見えたところが恐ろしい力量なのである。それに関連して言えば、ネムリ目の効果と上を向く遣い方がある。もちろん人間がその仕草をするからなのだが、それを人形がすると象徴的意味合いを帯びる。脇腹を抉られて苦しむところは、人間なら痛覚そのままだろうが、この権太には、自身のいがみの結果たる天命として受け止め、かつ敵方に送った妻子を思い、父母妹との永遠の別れまでを含めた痛みであったろうと感じられたのである。それが一文笛を吹くところから始まったのは印象的であった。文字通り血を吐く苦しみ、それが無駄死ではなく大宇宙に呑み込まれた小宇宙、大歯車に噛み合わされた小歯車であったことにより、時代物狂言として昇華され、段切の詞章と柝頭により収まる。そうなるために、惟盛の役割が重要であることは既に述べた。人形の玉女は、故師玉男の遣い方を思わせるまでになり、三位中将としての風格や上品さは確かに伝わってきた。惜しむらくは、段切の恨みと悟りにもう一段の大きさが出ていれば、二代目襲名が遠くに見えたものをと思われた。お里の紋寿は惟盛と知らぬ弥助を相手にする時がとりわけよい。弥左衛門は玉輝で、ようやく年寄りカシラが映るようになってきたか。床本を解釈し器用に遣うタイプではないが、その分このように不器用でも自然な遣い方が嵌るようになると、いわゆる燻銀の脇役として欠かせない存在となろう。とはいえ、左右を捕り手に押さえられ、権太の言葉に驚愕してそれを強く打ち払って下手を凝視するところなど、公演前半で片側だけ雑に鬱陶しいとはねたのは、逆に公務執行妨害で引っ立てられるのではと苦笑もした。作十郎の後継的地位にいるかどうか、あと数公演を見てみたいと思う。景時の亀次にもそれは言えることで、今回ようやくに大舅が一癖ありと見えたのは、彼もあの亀松の弟子であったのだと、今後もワキ固めが楽しみになってきた。女房は的確に遣っているが味が出るとかではない、それは簑二郎では仕方のないところで、ここらが人形陣も手薄だということになる。かつて見た玉五郎が今も思い出される。内侍の文昇はわきまえあると言えば言えるのだが、印象が薄いのはやはり年季の差だろう。

「戻り橋」『増補大江山』
 公演中眠気を催して手の甲を抓ること第二部は皆無、第一部はこの「戻り橋」だったが、渡辺綱もウトウトしたのだからむしろシンクロしていたというべきか。しかし、追い出しの景事にしては長い。しかも、長い「すしや」―俗に言う、手負いになって約半時―の後である。疲れをほぐしてもらえるという演目ではない(芝居が跳ねてから隣の中年夫婦が、正月にこんなモン出さいでもと語っていたのは、おどろおどろしいという意味であろう。この感想はむしろ本狂言が成功した証左である)。「紅葉狩」と同工異曲に思われるだろうが、若菜と綱の連れ立つところを眼目と見るか余分と見るかで、どちらに軍配を上げるかが分かれよう。それほど、この中間部は厄介なのである(実際、白川ならぬ堀川夜船で下りかけたのは恥ずかしいことではあるが、字幕も粗相があったからアイコということにしていただこう)。それもそのはず、これは浄瑠璃一段から切り出したもので、その意味で「渡し場」「五条橋」に同じということになる。とはいえ、前二者が『日高川』『鬼一法眼』における跡場としての体裁を取ることができるのに対して、これは単独でつまりは景事としてしか存在し得ないということである。その割には、時間も長い上に観客も追い出し景事としてしか見ないから、結果としてしんどい目に遭わなければならなくなるわけである。第一、今回は「三番叟」を最初に見せられているということもあり、どちらにしても中途半端ということになってしまったわけである。しかしながら、三業はなかなかの仕上がりを見せていた。三味線は鮮やかで巾もある清介をシンに喜一朗、太夫は今や第一の美声家となった呂勢とコトバがとりわけ冴える三輪以下、マクラから二上りの八雲入り、闘いのスペクタクルは段切の大道具方渾身の舞台効果まで鮮やかで、追い出し景事と定義できるものであったのは、清十郎も文司も十分の遣い方ゆえでもある。ただ、今回の建て方ではしんどい(客が)。もっと細かく、それぞれの劇評を書かなければならないはずだし、それぞれに魅力もあり、面白く感じていたのだが、入替前も後もともに床本に書き込みが無いところを見ると、ニュートラルだったとしか言いようがないのである。何とも勿体なく申し訳もない結果となった。
 
 

第二部

「団子売」
 公演前半だと、「三番叟」「戻り橋」と来て最後には「奥庭狐火」があるから、スルーしても別にいいかという感じになる。入替が半時間程度しかなかったら、確実にそうしていたであろう。しかし、椅子に座ってあらためて教訓を思い出した。予想通りは多くとも、やはり実際に見聞きしての驚きと出会える、それが劇場通いの醍醐味であると。今回は三味線に清友を得たことでそれを実感した。快速調に弾くだけでは団子はできない。間と足取りでこね上げる、そこが絶妙であった。二枚目の団吾以下もよく付いている。太夫は咲甫が狂言の本質をわきまえた語り、相子は杵造で納得。小住は楽しみにしていい、芳穂、靖は素浄瑠璃の会でも書いた通り。人形は清五郎が丁寧で柔らかく、清十郎の弟弟子であることを良い意味で思い出した(ちなみに、十三七つが月兎の振りであることに気付かせてくれたのは幸助である)。お臼の簑一郎は今後簑二郎や簑紫?などと比してどう個性を際立たせて出していくか。それだけのところまでは来ているということでもある。

『ひらかな盛衰記』
「松右衛門内」
 端場というのはこういう風に仕上がる(仕上げるではない)ものというお手本。中堅が勤めると、近所の婆嬶はただ喧しく、権四郎は作ってしまい、松右衛門は大仰になる。ここが自然になってこそ、お筆登場からガラリと切場に変わるのである。松香団七の浄瑠璃は磯臭い漁師町の船頭宅にまず相応しく、筋立てがわかるように作ってあり、それがヲクリでの亡き婿を弔い孫の無事を祈るしんみりとした情味となって盆が廻り、切場への期待をふくらませるという、端場の仕事をきっちりやり遂げた。
 切場。この狂言は近松後から三大狂言の間に位置する。竹本豊竹が西東の「風」を受け継いでおり、この西風はまた、地と詞との中間の微妙な語りを三味線が一撥二撥で弾いてゆくという、地色を残しているところに最大の特徴がある。これを語るのは難物で、近松晩年の名作「上田村」を聴いてもわかるが、逆に名人たとえば先代綱大夫弥七などになると、その妙演に引き込まれて浄瑠璃世界の人となることができるのである。そんな西風三段目切場を、咲大夫(というより、今回聴いていて十代目と呼んで間違いないとの印象を持った)と燕三(咲大夫の相三味線により強さと大きさが加わった)が勤め、久しぶりに堪能した。津大夫寛治とはまた別趣だが、それ以来の感動であり、古靱系「風」の伝承者なればこそだと感心した。とにかく面白い、気持ちがいい、義太夫節として素浄瑠璃で聴いていられるものであった。もちろん、その上に「情」が乗っていることは言うまでもなく、近頃流行りかけている砂上の「情」閣とは無縁の語りであった。マクラの重さと足取りはお筆の描写そのもののようでいて、大宇宙大歯車に巻き込まれているお筆を描いており、「福島に来て」からの変化で娘カシラお筆の登場となるのである。そのお筆の心情吐露は胸に迫るが、そこに至るまでの権四郎のセリフ(言葉と書かないのは詞では語られないからである)を中心とするやり取りで、この一段に引き込まれた。およしの嘆きに続いてお筆が文字通り調子に乗り、眼目の権四郎の怒りと愁嘆となって切場前半のヤマ場となる。そして樋口の勇壮な詞ノリで時代物の頂点を構築し、それによって観客とともに権四郎もまた「武士道」とは何たるかを心底から納得するのである。跡場へのヲクリは孫槌松への哀悼を以て、それでも小宇宙や小歯車は無でも無意味でもないことを示し、温かい情感とともに盆が廻る。緩みも弛みもなく引き締まりかつ大音強声でも大仰にならず、分厚くともギラギラしない清潔感がある。その西風三段目の面白さを十二分に語れるのは、咲大夫でありそしてその相三味線として完成を見た燕三の三味線なのであった。後日十代目全集に収められるべき浄瑠璃義太夫節が現出していると言ってよかろう。

「逆櫓」
 英だが、木登りメリヤスまでは、東京国立小劇場で聞いた印象が更新されることはなかった。というより、勢いなり強さで驚かされた前回とはまた一段の高みに至ったのは、メリヤスより後、大抵はダレて間延びし余計な部分とカットされるところの語りであった。義仲が粟津で落命した以上、若君は敦盛や安徳帝のごとく仁義ある者によって庇護されなければならない。それを武士道とは何たるかを理屈ではなく心で知った権四郎が、畠山重忠に直訴して果たす。しかしそれはまた、若君ではなく槌松として生きることを意味し、木曽の四天王たる樋口は当然その存在を滅されることになる。その、最後の主君と忠臣との別れ、無心なるがゆえに万感の思いが込められた「樋口さらば」の一言に、樋口はもちろん観客の胸は貫かれるのである。段切の舟唄は、樋口を極楽へと送る(忠臣として主君を最期まで守り通すという武士道を貫かせる)。ここまで作者の意図は徹底しているのだが、それを満足に現実化してみせることは、「『畠山の重忠』や『権四郎の船唄』などを、五行本の通りに入れて語れば、惰劣て仕方がない故に、庵主は大掾の頼みで五分間斗りで仕舞へるやうに此繋を書足して置いたことがある」(『素人講釈』)とあるように、天下の大立者からしても並大抵のことではないのである。要するに、英もまた十一代目の資格ありということであった。宗助についても、メリヤスまでは超絶技巧にしてもまだまだ上があるが、やはり段切まで英を語らしめた功を以て評価されるべきものである。
 人形陣の総括。樋口の玉女、咲大夫と燕三という床であったからという評価になるが、これは従属という意味ではなく、故師の言った太夫がまずしっかりしないとということであり、相乗効果という意味である。現今にあって立役と言えば玉女、勘十郎と双璧をなすとは後少しで呼ばれることになろう。登場しただけで存在感がある、これはそうするものではなくそうなるものであるから。お筆の和生もまた、文雀師の二代目で間違いない。笹引から見てみたかったのは、多くの観客の一致するところに違いない。立女方も誕生したか。権四郎の玉也が心情滲み出てこれまたよく、番付なら中軸に座れそうなところ。およしは勘弥で、これまでの優等生から人間味ある遣い手へ脱皮ができたと見ていい。ここに、勘十郎と文司を加えて今まで次代次世代と呼んできた人形陣が、太夫三味線とともに当代になったとしてよいのではなかろうか。この世代を見聞きすべく劇場に通う、掛け値なしにそう言えると思う。重忠の玉志はこのグループの直下に位置付けられ、船頭三人衆は、次狂言の謙信郎等二人ととともに次次代から中心に入ってくる人形遣いと見て間違いない出来であった。

『本朝廿四孝』
「十種香」
 西風三段目切場を堪能させておいて、半二の四段目切金襖物を持ってくるというのは、よほど三業を信頼していないとできないことである。観客はもう堪能しきっているので、食事休憩を挟んで眠りに誘う可能性は十二分にある。嶋大夫は切語り昇進前にやはり富助とここを勤め、その実力を確かなものと知らしめたし、富助も故師勝太郎の弟子らしい腕前にふくらみが加わった。もちろん、この床でヲクリから四段目の風がピタリと決まったことは言うまでもない。濡衣と八重垣姫で足取りや間が違うこと、これまた当たり前と言えば当たり前だが、芸談で言われていることをそのまま実地で経験できることは、観客にとってこれに勝る勉強法はない。あの見台に肩衣でピタリと座ってヲクリが始まれば、もうそこは謙信館なのであった。
 簑助師の八重垣姫が可愛らしい、形容語は色々付けられようがこの一言に尽きる。勝頼の勘十郎、襖が開いて登場するやアッと思ったのは玉男師以来である。これほどの立ち姿であればこそ、絵像に生き写しと姫が惚れもするのである。これで、武田家嫡男のシンが一本サッと(若男カシラに表向きは簑作であるから武張ることはできない)見えればそのまま殿堂入りである。濡衣の簑二郎は次次代かと思っていたが次代、つまりは当代の中に食い込んでいるのが大したものだ。簑助師日本藝術院会員選出記念が自然に祝われる形となっているのは、斯界の発展までも含んでいて目出度いことこの上もない。謙信の勘寿は、それを見届ける目付役としてこれもまた相応しく、紋寿とともに人間国宝の次位としてハコに入ってよかろうと思われる。

「奥庭狐火」
 明治期、狐というと初代玉造だったようで逸話も残されているが、今や紛いもなくそれは勘十郎であろう。狐の生態をよくわかっていると言いたくなる上に、今回はその霊力で館の御簾を上げ兜に入るところが、なるほど妖狐という語が存在するわけだと感心し、姫に憑依しての動きが尋常でなく、もはや人形を遣っているとは思われないと見えるや、ケレン味鮮やかで舌を巻かざるを得ないなど、こちらが狐につままれたようでもあった。段切の柝頭に絶妙の大当たりが飛んで(贔屓の引き倒しとも知らず、マヌケなオオアタリが捏造されていた時とはまるで異なる)、観客として芝居を堪能できた喜びは、そのまま柝頭から閉幕まで続く拍手となって表現されたのである。左・足ともによく鍛えられていて、三人遣いの妙にあらためて感じ入った。
 今回、長く記憶に留まるであろう、そして長く記録に留めるべきとまで思ったのは、清治師の三味線(ツレの清志郎そして琴の清公がまたよかった)に呂勢の浄瑠璃があったからでもある。太宰治は、「大井川の棒杭にしがみついて、天道さまを、うらんでゐたんぢや、意味ないよ」「清姫。安珍を追ひかけて、日高川を泳いだ。泳ぎまくつた。あいつは、すごい」(『富嶽百景』)と、自身の負から正への転換を含ませながら書いている。この八重垣姫は、登場してすぐのクドキも可憐でよかったが、「涙に命絶ゆればとて夫の為にはよもなるまじ」以下、現代風に言えば行動する女性の強さがとりわけすばらしく、かつて某床では物足りず某床では乱暴だったところがこれほど完璧に奏演され、このいわば景事として独立もさせられようという一段が、素浄瑠璃で聴いてもその語りと三味線によって、姫の衷心衷情とともに人形の動きが彷彿となるに違いないとの確信を持ったのである。現在残されている音源として、越路喜左衛門によるものは切場丸のままであるから、これは第一のものとなるに違いない。こういう舞台に立ち会えたことは、先月発行の『歌舞伎』48号の記述そのままに、新時代の誕生をこの目で見届けこの耳で聞き届けるという、生涯に二度三度とはない、まさに生きていてよかったという瞬間であったのだ。「時よ止まれ、お前は美しい」と叫んで絶命してもよいのだが、これから先がますます楽しみになった貪欲な文楽ファンにとっては、悪魔との契約など破棄してしまうに限るのである。