人形浄瑠璃文楽 平成廿六年一月公演(5日・18日所見) 

第一部

「二人禿」
 正月らしくと言うことに加え、観客動員のため夜の部の充実かつ昼夜入替無しで、三時間半で打ち出し。典型的な見取建てだが、昨秋『伊賀越』と四月『菅原』(しかし公式HPのリンクに「見どころ」はないだろう、歌舞伎ではあるまいし。しかも内容を読めば「あらすじ」で十分。ただしプログラムも「聴き所」に一切触れなくなって十年以上経過しているから、公式においても、文楽は歌舞伎の人形版として久しいものが、ついに目に見える形でここに至ったというわけだ。もはや大阪のものと言っていては立ちゆかず、かといって日本のと冠されるとこの仕打ち。ま、憂き世ではあるぞいの)に挟まれての初春公演であるから、見取建てに相応しい床なり手摺であれば構わない。それは何とか実現できたようだ。
まず、二人禿は同輩ではなく姉妹格というのがわかる人形。前半の人形遣いはしっとりと落ち着きのある動きと、やんちゃでやや荒い動きとの対比がそれを表し、後半の人形遣いは手慣れた動きと初々しくややぎこちない動きで描出していた。こういうところも、人形遣いの個性(各々の師匠による)が見えて面白い。太夫陣は中堅入りした咲甫をシンに若手陣が精一杯勤めて清清しい。三味線も同じく清志郎と二枚目以下は若手、二上りが今ひとつ散漫に響いたが公演後半には改善。替え手も賑やかで正月公演幕開きの一段として好ましかった。
書き割りの大門といい見返り柳といい、また「憂きの廓」との詞章、禿なればこその華やかさも、今では愛らしい少女二人の戯れに現れた日本情緒として上演され続けられるのは、喜びとするべきかそれとも…。

『源平布引滝』
「九郎助住家」
  「義賢最期」はともかく、「竹生島遊覧」「矢橋」も出ないから、口(顔芸量いずれも中は不適切)が田舎家冒頭の描写で、綿繰唄から始まるという面白み(三段目切場冒頭の常套ではあるが)に欠けたのは、睦喜一朗に同情する。しかし、この二上り唄がいただけないのは(公演前半はとりわけ)、西洋音階に慣れ(狎れ)てしまった若手太夫の宿命であろうか。音盤や公演記録で聞き比べるまでもなく、三十数年聞いてきた耳が違和感を明らかに覚える。かつて、小学生に自由作曲をさせると自然に日本音階すなわち演歌調になったものが、今はどうやってもJ-POPになってしまうのだから。ひょっとして「二人禿」の人形も、いずれはダンスの動きになるのかもしれない。馬鹿馬鹿しいと一笑に付すわけにもいかないのではないかと感じられる。和太鼓ブームが結局は地方の伝承を断絶させて西洋化されたスポーツリズムの蔓延を招いたことを思うと、ただ単に文楽が半世紀前に比べて客席は埋まっていると喜ぶのは、それこそ虚栄の市と思われるのである。さて、ハルフシからは足取りと変化(「…夫は九郎助/娘は小まん/われは小よしの霜かづき雪と霰をくり分ける/立綿繰のくる/\と/まはる三里の船よりも…」)が面白くまた難しい(今回「夫は九郎助/娘は小まん」のみ)。若手の口でもあり仕方ない(正攻法で小綺麗にまとめず一杯に語るのは大いに評価する)とは言え、見取であるからは節付けの良さを堪能させて貰わなければ。詞になってからは、仁惣太が想像以上の出来で、若手では一歩リードの役が付いているのも贔屓ではないと思わせた。婆も悪くないがどうしても年寄りだと足取りが遅くなるのは中堅にまだ遠い証拠でもある。
  段書きすると「瀬尾詮議」、切を喰うこともできる語り場である。千歳に団七が付いて葵御前の出から任されるのも用意周到である。ここまでお膳立てをして貰った千歳だが、前年末の東京公演を聞いてついにこのときが来たかと感激したため(善六はいただけなかったが)、今回期待をして客席にいた。二の音にまだ太さと強さが足りない(「陰陽師占うて剣に打たす」なども)が、ウレイが良くフシ落ちまでで早くも耳が引き寄せられた。続く腕と白絹ではその不思議さ不気味さが最後哀感に包まれるのが三味線とともに描出され、「ほつと溜息吐くばかり」で収まる情感は見事なものであった。そして瀬尾、昨年までの無理押しや乱雑はなく、大きく強く応えたのは、千歳ばかりでなく斯界のために万歳と叫びたくなった。長い高原のトンネルを抜けることにより、太夫の世代交代にも明るい光が見えたからである。なお、懐胎(くわいたい)が依然として発音されないのは、教えられたまま(その時の聞き漏らしあるいは直されなかった)を尊重しているからだろうが、そうなると一層昭和四十年代の公演記録こそ斯道の『古今集』とされねばなるまい。もちろんここには、子規による革新などあるはずもないが。
  切場。西風三段目であるし、ここを勤める床が櫓下紋下格である。後半分割してあるのは今回の見取建てでは捌ききれないからである。現に、一段通して十分だと咲大夫燕三の奏演を聞いて感じた。ここは八世綱大夫と弥七による名演が残されていて、何度も繰り返し聞いてそのたびに面白く感動するのであるが、咲大夫はその亡父の教えを継承しつつ、現在の観客に対応した工夫=わかりやすい芝居としての語りを行っていると思われた。それでも、実盛物語は躍動感あって面白く、生と死の交錯する不思議かつ霊的な話は聞く者の胸に応え、そこにはまた、三味線のうまさがプラスされて効果的であった(公演前半は、西風にしては三味線が鳴りすぎると感じたがそれも意気込みからであろう)。あっという間に盆が回ってしまったとの印象である。四月は「丞相名残」であろうか。楽しみである。
  後半を呂勢が清治師の指導で担当する。未来の摂津大掾であるからには場違いでもあるが、四段目に特化させないのは将来太夫陣の中心たることを宿命づけられているということでもあろう。公演前半は、さすがに無理があるなと聞こえたが、公演後半には、強音大声にこだわらず一杯に語りモノにしていたのは流石であった。このコンビは、義太夫節をして語らせるという、詞章と節付けにとりわけ敏感な床であり、明治大正期の名人上手=SPレコード時代から聞き続けていても、自然にすっと耳に入ってくるという、今では希有な床である。もちろん、最終的には「情」を語るというところへ行くのだが、それは絶対に義太夫節の流れの上(中)にあるべきものなのである。面白く聞こえる力量がなければ「情」などは映るはずもないのである。間・変化・足取りの面白さは清治師の三味線あればこそだが、それについていくというのは力量の為せる業である。瀬尾の述懐が応え(以前に比して大きく強く語れるようになっている)、段切りの旋律がそれらしく(これに関しては、それこそSPからLPそして今の他太夫と聞き比べると、現行がいかに段切りを語り活かしていない浄瑠璃が多いかがよくわかる)、実盛の覚悟が『平家物語』篠原合戦の悲哀凄絶を想起させ(この、神の視点=登場人物の未来を見通す、あるいは現在の縁起として舞台を収束させる)、切場後半の構成をきっちり意識した好演であった。四月『菅原』では「寺子屋」後半となるであろうか。「車曳」も併せてなら至福となろう。
  人形について。実盛の玉女は現行の立役として内外ともに相応しくなりつつあるが、どうしても故師の円熟時代を想起してしまうのか、もっと若やかに華やかに遣ってよいと思われる。例えば、公演記録で越路喜左衛門が床の白黒映像など、玉男師は決して落ち着き払ってなどいなかった。それと、実盛物語の最後に下手側に引目をしたのは疑問。九郎助夫婦に太郎吉もこの腕が小まんのものであることはその前にわかったのだから、意識して隠すことなど何もないのである。それに詞章も「不憫やと涙交りの物語」なのだから、引目で緊張するのはむしろ丸本に反する遣い方であろう。瀬尾の玉志は強烈な存在感はないが思いは伝わって、誠実な遣い方が次世代要員として成長しつつある。これからも良い役を付けてやるべきだ。九郎助の文司は下手からの出がどう見ても百姓のそれではなく、まして武氏カシラとは思えない。絶好の脇役をもったいない。婆の文昇、葵の簑二郎は格からしても相応。仁惣太の勘市は「踊り出で」にハッとさせられ、太郎吉(玉翔)は腕白と母への思慕とそれぞれに神経が行き届いていた。小まんの勘寿はこういう端役に見えて要となる人形にはなくてはならない人だ。最後に、段切りの足拍子がピタリと来なかったのと、柝頭が床に合わず人形に合うという、随分前に注意を喚起しておいたものがまたしても乱れ続きであった。芝居の非日常を打ち切って日常に戻る際の不具合が、舞台そのものの仕上げを台無しにしていることになる。猛省を促したい。

「新口村」(『傾城恋飛脚』)
  見取建ての最たるもの。梅川忠兵衛が二組いるのか、八右衛門が追っ手にとは、そもそも最初から何の場面かわからない等々。いやいや、所詮は改作であるから、ここに「封印切」なんかを付けたら矛盾が拡大するのみ。要するに、この一段は、義太夫節と人形とそして降雪の風情を味わうよりほかないのである。そして、そう味わえるように、改作してあるのだから、文字通り楽しんでもらえばそれでよいのだ。床も手摺もそういう分担役割にしてある。
  口、公演前半は希で丁寧だが平板なのはいつもの通り。これで固まるなら語り場はどこが相応しい太夫となるのか。三味線は寛太郎。公演後半は靖で浄瑠璃が動く。巡礼唄も八右衛門の声なのだとよくわかる。三味線龍爾との相性も良い。
  前を代役津駒と藤蔵。津駒は悪くない(「ハア雪が降るさうな」などは実に良かった)が、三時間半でこのチケット代に見合うかと言われれば、三味線が藤蔵だからと答えよう。マクラ、梅川の述懐、「涙の霰」からのフシ落ち、そして道場参りへ。この一段、客は美声家と華麗な三味線の床を楽しみとし、素人衆はわれ先にとモノにして人気曲となった理由が実によくわかる。魅力的なそれこそ淫する節付けがしてあり、それをリードして弾いて聞かせるのが三味線であり、今回の床であった。
  後は嶋大夫と富助で、やはり梅川の魅力は続く(「その紙とこの紙と〜」「大坂を立退いても〜」)が、孫右衛門で聞かせなければならないところが難しい。しかし、ベテランの床は難なく奏演しながらしかも胸に応えるという、芸格の違いを聞かせた。素人衆にとっても、この孫右衛門で後半うならせることができればたまらないので、やはり「新口村」が人気曲であった理由は明白なのである。もちろん、文楽として劇場に通う客としても楽しみな人気狂言であることは、人形がここに加わるからなおさらなのである。
  人形陣。簑助師の梅川がいかにすごい(すばらしいと表現しては足りない)か、周りが次世代になってあらためて孤高に光り輝いている。それは、上に書いた聞かせどころすべてがたまらない魅力にあふれているのは言うまでもなく、詞の部分、例えば孫右衛門を忠兵衛と比較するところも、愛する男とその父親(本当ならば舅として仕えたい)への深く温かい情愛に満ちた仕草は、見る者をハッとさせつつジンと染み渡る至芸であった。孫右衛門の和生は、カシラの慈愛をよく描出し、意見や目無い千鳥等、ともすると動きたくて仕方のないところも、終始性根が腹にあって感心した。最後の見せ場は、公演前半は傘をすぼめるタイミングを待っているのが見えてあざとかったが(これがいかに難しいかは、「鱶七上使」畳下槍突き出しへの対処や「山科閑居」尺八に柄杓の落下などを見ればわかる)、公演後半は、傘をすぼめ思わず後退して極まるという、「丞相名残」同様にやるせない思いの残るところへ雪道での滑りを加えた、実に効果的で見事な終わり方を見せた。襲名しての書き出し格も同時に現出したと言ってよい。忠兵衛の清十郎は優男(梅川を思うというプラスの意味も大きい)を描出したが、次代は自らが梅川遣いたる者として、簑助師の梅川に学ぶところも大きかったであろう。他に簑一郎はちょっとした役をきちんと逃さぬ遣い方が定着した。
 ちなみに、「今ぢやない」で笑いが起こるのは人形のせいではなく、太夫が悪いのでもなく、観客がその程度であるということだ。次に述べる「堀川」は確かに大当たりだったが、それは猿廻しだからなのであって、やはりその程度の観客なのである。よく、客が芸を育てると言うが、現状は逆で、芸が客を育てていかなければ、客が芸を未熟にする危険も大いにあるのだ。とはいえ、昭和三十年代〜四十年代にかけての、昭和後期は芸の黄金時代だったが客席はガラガラがらがらという状況を再現してよいわけではなく、客席は埋まってもらわなければならないのである。しかしながら、ここは芸の水準を保つという観点から、金銭面に関しては心ある支援者(国や地方公共団体は当然ながら)により手を打たれなくてはならないというのが、本当のところだと考えるのである。

第二部

「面売り」
手摺が楽しいか床が面白いか、相乗効果というのは措くとして、客の現状は人形第一であるから、そうなるとこの面売りにも世代間断絶が壁として立ちはだかることになる。天狗こそアニメやコミックでも使われるが、福助は?おかめは?そして火男は?面それ自体がユーモラスなのは今も昔も変わらないが、いずれも現代日本人にはなじみがなくなってしまった(福助足袋は今やFUKUSUKE)。加えて、面相で笑うというのは、人権第一の現代にあっては控えなければならないことである。あんなに猿廻しで反応する客席が、ここでは実に薄い。しかし、これは三業にとって免責事項である。人間の顔を典型化したものはもはや受け入れられないが、キャラクターやヒーロー(ヒロイン)ものはメタモルフォゼだから積極的に好まれる。コスプレを見てもそれは理解されよう。つまり、もはや時代に取り残されてしまった狂言演目なのである。そのことは単に面だけにはとどまらない、「ズンベラズンベラ」で腹を抱えて笑われなければ、詞章として如何ともしようがない(前述の「今ぢやない」では笑いが起きるのにである)。本調子、二上り、三下り、節付けを楽しめる客はそれ以上に少ない。劇場側が新春公演昼夜ともに毎年景事を出す必要があるなら、存在価値は辛うじてあるということにもなろうか。いや、新作景事に取り組んでみるべきか。それよりは、戦前あるいは明治大正期から上演が絶えているものの復活を、劇場側は第一に考えるべきだろう。
三味線の清友は実に味があり、曲調の変化もまろやかに、全体としてひとつに調和させてもいる。「清友さん」のあの聞き慣れた掛け声そのままに耳へスッと入ってなじむのは、この人の徳であるとともに貴重な三味線である。二枚目以下も派手にならずよく付いている。太夫陣は滑稽さは手中にある松香と三輪。人形の勘弥はそれぞれの面を特徴的にとらえながらも、すべて本体は娘であることを見失っていない。一輔は血が為せるか自然体でピタリ。
いろいろな思いが浮かんだ「面売り」だったが、火男の面をあらためて見て気が付いた。この表情は、月亭(山崎)方正が毎年大晦日に見せるあの定番表情そのままではないか。火男からリスペクトしたものであったかと再認識し、ならばこの「面売り」も大笑を呼び込むはず。いや、芸人は笑われてナンボなのだから、あの面を付ければ芸人だと観客に思わせることが、どうやら必要な気がするのである。

『近頃河原の達引』
「四条河原」
  これを付けるのなら、「琴責」を判決文完全版にする方が優先事項だ。例の時間制限ならば、景事を昼夜で逆転させればよい。見取建てなのにこの地味などうでもいい一段、「竹生島遊覧」の方を付ける方が観客にとって百倍千倍有意義だろう(では通し狂言でちゃんと地味でも諸段を付けるかというと、四月『菅原』では「汐待」「北嵯峨」「天変」は例によって省かれている)。もちろん、この一段が付けられているのは、文化勲章を貰うべき太夫の語り場には前座が必要だからであるが、こういう筋の通し方をするのならば、同等に筋を通すべきことはいくらもある。補助金削減の責はそっくり三業に帰せられるべきものではなさそうだ。
  上記の事情であるからは、ここを文字久が勤めるのは当然である。彼も年期が入ってきて、この劇評を書くために床本詞章を見ているのだが、彼の義太夫節が頭の中に流れてくるようになった。物まねできるかもしれないほど、耳慣れてきたというわけである。前回と比して評すると、官左衛門が安侍の悪党風情ではなく、屋敷の勘定役であることをその語りから明確に知らしめたことは、登場人物の性根をよくとらえたと言える(人形の幸助もよく映った)。全体としてストーリーテラーの役割は十分果たしており、平明であって耳障りもなく、切場の師匠へ繋ぐ立端場の弟子として誹られることはないはずだ。ただ、例によって平明が平板さに堕すると、久八が廻しと冠される斡旋上手なり手回しの良さが反映されず(人形の玉佳はよく遣っていた)、「語るを聞いて/仲買勘蔵横手を打つて」が「語るを聞いて仲買勘蔵/横手を打つて」となったり、「ヤヽヽヽ」が絶体絶命の驚きには聞こえなかったりする。段切りがツマラナイのもいつも通り(三味線宗助は節付けをよく活かした好演)。誠実実直表裏なく自己顕示もない立派な太夫であることは認めるものの、早稲田が発見したフィルムに映った古靱太夫が、三味線清六と比較して、いかにもの押し出しとやり手感に目立ちたい精神も際立ち(後の山城少掾は功成り名遂げた別人の姿である)、観客から当代第一人者と贔屓される(現在の人間国宝=無条件最大拍手とはまるで異なる)ための必要条件を備えていたことからも、やはり、面白くうっとりしてたまらない思いを聞く者に経験させてもらわなくては困る。上手に語ろうとするな下手に語れ、それを金科玉条とするにはすでに年期が入りすぎているのである。「刃傷」や「泥場」のパロディーとして気楽に享受できる、昭和四十年代までは確実にそうであったこの一段、ここをそのように語り活かすのは、文字通り年期の入った太夫であるはずなのだが。なお、上手の唄はあまりにも酷く、カラオケでまねをしてみたという感じ。こぶしが回らない(音が使えないなどというレベルではない)、裏声を平気で晒す。これが公演後半になっても改善されないのは、根底にやはり西洋音階が根付いてしまっているからだろう。師匠に棒を喰らわされたならば、理不尽と思うだろうか。耳から入ったままを口に出したらこうなるというのなら、義太夫節浄瑠璃太夫のお先は真っ暗というほかはあるまい。

「堀川猿廻し」
  切場前半、入れ事を省き詞章を正して丸本通り、会(くわい)の音と言い、後々の手本となる語り。三味線は、とりわけ冒頭鳥辺山が貧なる稽古屋の師匠と弟子の掛合として出来、しかも弟子の上達を確認しながら替え手や装飾音を増やすという、これまで聞いたことのない奏演で、これまた後世にその音を残すもの。観客はもちろん幕内もしっかりと耳に止めておくべき、住大夫師と錦糸による床であった(ツレの龍爾もよく付いていった)。
  後半、英と清介。英はもう切語りとして破綻のない実力者である。以前目立った日毎のムラもなくなり、襲名も目前である。今回も、お俊のクドキ(待ってましたとはいかない。というよりも局部重視語りはニンに非ず)、与次郎をよく捉まえ全体として練り上げていた。清介は、その器用さが裏目に出て良いように使われている感があるものの、このところ中堅の切場勤めを補佐する活躍で、これらが切語りとなればいずれかの相三味線に収まるはずである。今回、とりわけ猿廻しが抜群で、段切りも結構。柝頭とともに大きな拍手がわき起こったのは、人形の猿のためとばかりも言えまい。文雀師遣うところのお俊には情味があふれていたし、与次郎の玉女にあっては、人の良い母妹思いの不器用ながら「正直一遍」の性根がよく伝わった。母の勘寿は昼の部の小まん同様、現陣容には欠かせない存在感があり、伝兵衛の和生は立端場から一貫して、町人でありまたしなやかなかつ歪曲しない内面を持つ色男を遣った好演であった。
  それにしても、猿廻しがかつてこれほど受けたかと思われるほどの大当たり、とりわけ公演前半の猿はかつてのどれよりも見事で、日光猿軍団(今や死語となったが)もかくやと思わせる遣い方であった。工夫といい観察力といい最高点であったが、それを以て合格点となるかどうかは、「よい女房ぢやに」の愁いが観客の心に響いてホロリとさせたかどうかで決まる。その点からすると、どうも今回の客席総立ち的パフォーマンスは、人形の猿という可愛い小動物が、実物そっくりに芸をしてみせたからで、要するにテーマパークのアトラクションあるいは実写アニメとして成功したという意味である。料理の隠し味であるべき砂糖が、清涼飲料水のごとき口当たりの良さで大量摂取されている事態とでも喩えれば良いであろうか。もちろん、ゴールは糖尿病そして合併症による瀕死の重体なのだ。別に清涼飲料水や砂糖を否定しているわけではない。料理すなわち人形浄瑠璃「堀川」における隠し味とでも言うべき「鳥辺山」(だから錦糸もプログラムのインタビューで難しいと語っている)と「猿廻し」が、主客転倒して大受けつまり大量摂取される事態は、人形浄瑠璃本来の姿を失わせることにつながるということである。かの漱石も『猫』の中で苦沙弥先生をして、「堀川は三味線もので賑やかなばかりで実がないからよそう」と言わせているのは、「堀川」が往々にしてそうとられることを如実に示している。実がないものは徒花という。そう言えば、今回人形遣いが出てくるたびの拍手も、昨秋よりも余計に耳障りであった。オペラでも歌手が初登場したときの拍手はあまりせず、拍手するのは各配役のウルトラCの見せ場であるアリアの後。あと、大がかりな舞台転換で華やかになったりしたときである。要するに、歌(や言葉)が拍手で掻き消されるのは避けられているわけで、それは当たり前と言うのも憚られるほど至極必然のことである。つまり、義太夫節は音楽と思われていないわけで、歌舞伎のチョボと同じ扱いということになる。人形の退出時は大抵フシ落ちで、クドキはクリアゲフシ、大落シも産み字で十分拍手に対応できるようになっているから、すばらしい遣い方へあるいは労をねぎらうにはそこで手を叩けば十分なのである。かつて、若手人形遣いが大事な義太夫節マクラのところで前受けの遣い方をしたことに対し、翌檜にて三十棒を与えたが、これからは客を百叩きしなければならない!?まさか。お客様は神様である。補助金削除を防ぐべく大入り満員にしてくださる神様を打つなど、その瞬間にWEB追放ならびに劇場出入り禁止令が発せられるであろう。なるほど、観客動員の前にはすべての者は平伏し無言であらねばならないのである。塩辛い金の仕打ちの前には、無類の甘さこそ優しさなのであった。

「阿古屋琴責」(『壇浦兜軍記』)
  判決理由がないということは、「七福神」と大差ない曲弾き披露ということになるのだが、夜の部の観客動員のためには、世界無形文化遺産という旗は掲げても、内実は軽チャーとして楽しんでもらえればよいというわけである(富士山も自然遺産ではなく文化遺産であるにも関わらず、信仰の山という観点や御師の富士講をたずねることは脇へ置き、弾丸となって御来光を望む―これは信仰ではなく、パワースポットよろしく自分とその周辺への幸福来臨という現世利益願望―ツアーが組まれる)。と、皮肉(本質)を言うのは脇へ置き、寛治師と勘十郎を堪能出来れば、見取建ての追い出し狂言として成功であるし、観客も満足なのである。その阿古屋の出は「形は派手に」「筒に生けたる牡丹花」との詞章そのまま、堂々として大きく華もあったが、「気は萎れ」「水上げかぬる風情」は、それとして伏し目にはしていたが、愁いの通奏低音が全体的雰囲気として漂うまでには至らず、公演記録の紋十郎とはそこが決定的に異なっていた(この憂愁についてであるが、もちろん拷問を受けるからではない。知らぬ景清の行方を情けと義理に詮議されること、それ以上に景清の行方がわからぬこと自体が、阿古屋自身の心痛なのである)。三曲に合わせての動きなどは驚嘆するばかりだっが、この一段の感動はそこではない。琴の「映せど袖に宿らず」、その後の「須磨や明石の浦舟に」、三味線の「我が夫の」など、「琴責」は胸に応えて涙するものなのである。前述紋十郎での春子松之輔、その上に新左衛門と錣太夫のSPがまさにそうであった。これに関しては、重忠の玉也も感に堪えて聞くというほどの姿勢でもなかったし、津駒も公演前半は今ひとつであった。次に、ここはもう一つ大和風の魅力が聴ける一段で、なればこそ「楼門」での記憶に残る名演を奏でた寛治師と津駒コンビがここに配されているのだ。重忠のマクラ(千歳は風への意識はあるが、息が続かないため、浄瑠璃の流れに身を任せるには至らなかったのと、公演後半はさすがに声が傷み気味であった)にそれは顕著であり、阿古屋の応答とともに、ノリ間が最大の特徴である。床は公演後半とりわけよくなり(ここの人形も良かった)、三曲も手はもちろんのこと心で弾けるようになった(寛太郎は琴がとりわけよかったし胡弓は名技、清志郎もツレを任されるだけの実力あり)。岩永の咲甫は「きよろトゥく」をはじめよく研究して自分のモノにし、榛沢の芳穂も伸びやかであった(ただし、水奴の若手は西洋音階から早く抜け出さなければなるまい)。総括すると、正月公演見取建てを成功裏に締めることができた奏演であった。あと、人形陣の岩永は玉輝で、憎めない敵役を不器用なチャリで表現(公演記録の玉昇は器用なチャリの典型)、榛沢の清五郎はさすがに清十郎と同門、詞章「物ひそやかに義理づくめ」とある性根を描出した。水奴の四人衆は若手売り出し連中。この中から誰が一歩抜きんでるかよりも、互いに切磋琢磨して次々代を支えられるよう成長を期待したい。それぞれ異なる師匠の遣い方を継承しているのも面白いし大切なところだ。
  以上、特別な意味を持った初春公演=補助金問題を見据えた見取建ては、成功裏に終わったとしてよいだろう。結果的に削減となったのは、「いま・ここ」の日本の現状(黒鼠病の無自覚な蔓延拡大は、著作権問題も創造性ではなく拝金主義の権化となっている)を示しているのだから、技芸員の責任などではない。カットされた分は、有志が寄付金を募ればどうとでもなるはずだ。なぜならば、人形浄瑠璃文楽は世界無形遺産なのであり、グローバル化賛否両陣ともに、このまま放置することはないからである。
  折しも、グローバル化本体の代官が伝統漁業文化について無知な妄言を吐いたということもあり、以前当HP「音曲の司」掲示板上においてやりとりされた、「クジラのヒゲ」問答について再掲しておく。この問題が近い将来再び歪曲され悪用される恐れを抱くからである。

「クジラのヒゲ」問答

はじめまして。 投稿者:青月@学生  投稿日: 1月 7日(日)17時59分06秒

浄瑠璃は全くの初心者です。

私は今絶滅しかけている動物について学んでいるのですが
(近々クラス発表する予定です。)
鯨のヒゲが浄瑠璃の人形を操るために
内部で使われているというのは本当ですか??
今でも使用されているのでしょうか??
また どうして糸ではダメだったんでしょう??

不躾にも初対面の方に質問するのをお許し下さい。

 

グローバリズムの虚偽 投稿者:勘定場  投稿日: 1月 7日(日)23時22分59秒

>青月@学生 さん
 こういう質問こそお上がどう回答するか興味があるところです。
 是非大阪日本橋の国立文楽劇場へ問い合わされることをおすすめします。
 また、現在劇場内一階ロビーでは「文楽入門」なる展示が行われており、
 文楽人形のかしらがどういうものかも一目瞭然だと思いますので、
 百聞は一見に如かずということもあり、お出かけなさるのがよろしいでしょう。 
 初心者ということでしたら文楽人形がどういうものかもご承知ないかもしれませんし。

 とはいえわざわざこの場へ書き込み下さったのですから、
 私の手元にある資料でとりあえずお答えしておきます。
 「仕掛け…彫りができ上がると、耳の前で前後二つに割り、中をくり抜き、仕掛けをほどこす。
 仕掛けのバネは、昔からセミクジラの俗にヒゲとよばれる部分が使われている。
 これまでも別のクジラのヒゲや金属も含めてだいようできるものがないか検討されてきたが、
 遣ってみてのバネの具合や耐久性においてこれに勝る物はない。
 近年の捕鯨禁止の影響で心配もされたが、幸い各地から良質のヒゲが集まり、
 当面の用には足りる状況になった。」(『文楽ハンドブック』「人形・首(かしら)の出来るまで」)

 要するにわざわざ鯨を殺してまで入手してるのではないのです。
 むしろ一般的に不要とされていた部分に目を付けた先人の知恵に驚嘆するべきでしょう。
 (そもそも今日のこの鯨をめぐる状況がどこから発生したかと言うと、
 鯨から油を採るだけのために悪魔の如く乱獲の限りを尽くした連中が存在したからです。
 奴等は他にも例えば先住民族を皆殺しに等しい状態にしておいて、
 今になってその民族の少女を主人公にした作品を都合のいいようにでっち上げ、
 すました顔で勝手に贖罪を企んだりしているのです。
 この手合いがまた自然保護や人権侵害等の憲兵をもって自認しているというのですから…
 こういう手合いをわが国では昔から「ならず者」と称しておりますが。)

 なお、コミックではありますが、『美味しんぼ』13巻「激闘鯨合戦」も参照下さい。
 まさに「鯨のヒゲが浄瑠璃の人形を操るために内部で使われている」ということが、
 直接話題にのぼっていましたから。

 以上簡単ではありますが御容赦願います。
 青月@学生さんが公正で客観的な発表をなされることを切望いたします。

 

Thank you 投稿者:青月@学生  投稿日: 1月 8日(月)16時58分50秒

ご返答、本当にどうもありがとうございました。m(__)m
大変勉強になりました。
プレゼンテーションで是非使わさせて頂きます。

実はプレゼンテーションは明後日ですし
海外に住んでおりますので
国立文楽劇場まで赴くことは出来ずに本当に残念です。
しかし文楽人形は機会があれば是非一度観ておきたいと思っております。

鯨をヒゲを取る為だけに殺戮しているのではないと聞いて
ちょっと安心いたしました。
「日本は世界に東京のグルメなレストランに出すために
名目上は科学的なリサーチとしておきながら
600〜700頭のクジラを獲っている」
などという内容の新聞記事を見つけて失望していたところです。
もちろん日本捕鯨協会のHPでは否定してありましたが
それはこちらの新聞には載っていませんし
当事者ではない私にはどちらが正しいのか判断出来ません。。。

本当はガソリンや石炭という資源が
クジラの油よりも採りやすく燃費がよいため捕鯨をやめた国が
「クジラが頭のいい動物でそれを殺すのはとてもできないから捕鯨を止めた」
なんて卑劣極まりないですね。
更にBlueWhaleという本当に今日絶滅してもおかしくない鯨を
(もう世界中で900頭弱しか居ません。)
捕鯨することを先住民の人達には
自分達のしでかした事の尻拭いのために許可しているなんてっ。

もちろんこんな言い方をすれば
カナダですし非難を浴びないわけにはいきませんので
もう少し大人に回りくどい言い方でそれとなくほのめかす程度に留めるつもりです。

いささか口が過ぎました。
ご気分を害された方、非礼をお詫びいたしますと供に
これがあくまで青月個人としての意見である事をご理解願います。

 

鯨の「ヒゲ」 投稿者:天の山  投稿日: 1月 8日(月)21時13分57秒

青月さんの鯨の「ヒゲ」の件ですが、文楽のかしらだけでなく、時計のゼンマイや歌舞伎に出てくる差し金など、日本ではバネ代わりに鯨の「ヒゲ」が使われていたということはよくききますが、一体鯨の「ヒゲ」というのは何処のことなのか、実は知りません。
自分も手元の本を繰ってみたのですが、宮尾しげをの「図説文楽人形」には鯨の歯を薄く削ったものが使われている云々と説明されています。これが「ひげ」なのかしら?
もしご存知の方がおられましたらご教示ください。

 

くじらひげ 投稿者:ね太郎  投稿日: 1月 8日(月)22時38分02秒

くじらひげについては
http://www.geisya.or.jp/~sonics/sonics/kujira/zukan/hige.htm
ヒゲクジラ亜目の一覧については
http://svrsh1.kahaku.go.jp/list_html/html/family1.htm
が参考になります。
くじらひげは英語ではbaleenだそうです。
Backstage at Bunraku に大江巳之助さんがくじらひげを持っている写真が載っています。
"Whale baleen is the secret of the smooth nodding movements of puppet heads.
Minosuke Oe examines large pieces before cutting off a small strip
to use as a spring."
と説明がついています。

 

多謝感謝 投稿者:勘定場  投稿日: 1月 9日(火)13時28分15秒

>青月@学生 さん
 貴方のように善意と想像力を持ち合わせた賢明な若者の存在に敬意を表します。
 新世紀に対して凡そ明るいイメージなど抱くことの出来ない私でありますが、
 貴方が当HPを訪問して下さり書き込みまでしていただいたことによって、
 一筋の光明を見たような気がしています。
 貴方の未来が輝かしいものであらんことを!

>天の山 様
 鯨のヒゲについての御説大変参考になりました。
 ありがとうございます。

>ね太郎 様
 博覧強記、汗牛充棟のね太郎様、心強い限りであります。
 これで青月@学生さんのプレゼンテーションも、鬼に鉄棒、釈迦に経、でありましょう。
 まさしく、国性爺に甘輝の有るが如し、でございます。

氷解しました。 投稿者:天の山  投稿日: 1月 9日(火)07時01分18秒

ね太郎様、早速のご回答ありがとうございました。おかげさまで疑問が氷解しました。リンク先で「ヒゲ」と称する所以、また引用された英文で宮尾しげをの言っていることがようやく理解できました。重ねて御礼申し上げます。

 

baleen 投稿者:ね太郎  投稿日: 1月 9日(火)17時54分55秒

くじらひげに関連の画像
ooe.jpg baleen.jpg baleen2.jpg
を御覧いただくとより理解しやすいのですが。
アドレスを直接お示しするわけにもいかないので、御推量ください。

 

鯨のひげ 投稿者:さるんど  投稿日: 1月12日(金)03時45分59秒

過去に金属でかしらの仕掛けを作ったことがあるそうです。
捕獲できない以上、代替品を考えねばなりませんから。
しかし、「かしらに魂がつたわらんのですわ」とある人形遣いの方は
言っておられました。金属は指の微細な動きをどうしても
伝えないのだそうです。芸のモジュールということかもしれません。
もちろん、私は人形を遣ったことがありませんから、
詳細はよく解りませんが。
それと現在、文楽が所有している鯨のひげは北海道か
どこかの網元がはるか昔に鯨を捕獲した
記念に所持していたひげを貰い受けて使用している筈です。
しかし、それも五十年分のストック程度といううろ覚えの
記憶もあります。こういうところから、滅びるかもしれません。

 

自然は本性 投稿者:勘定場  投稿日: 1月12日(金)11時52分14秒

>ね太郎 様
 ご配慮感謝いたします。

>さるんど 様
 人形遣いの生の発言、実に重みのあるものと存じます。
 貴重な証言をその耳でお聞きになっての書き込み、
 二重にも三重にもその価値は計りしれません。

 鯨のヒゲとは自然と人間が共存していた証拠であるともいえましょう。
 人形浄瑠璃では舞台の書き割りにも四季折々の風景が描かれていますが、
 これが現代劇になると…
 そういえば近代小説においても、情景描写や心象風景として、
 日本の自然は確かに私たちの身近に共存していたのでした。
 ところが最近流行の小説はどうでしょう、
 ちっぽけな自我とその周辺が無機的に表現されているだけ。
 閉鎖された上シールドまで貼られた窓からは、
 外の風景など見えるはずもありますまい。
 (いや、見る必要などないのかもしれませんが…)
 そういう意味でも純日本文学は滅亡したということになりましょうか。

 

regarding to whale's baleen... 投稿者:青月@学生  投稿日: 1月12日(金)12時55分08秒

勘定場 様、天の山 様、さるんど様、ね太郎様
私のプレゼンテーションの為に
こんなに沢山資料を集めて下さって
本当に本当にありがとうございました。=)

私は日本人でありながらこのプレゼンテーションをするまで
捕鯨がまだ行われていることすら存じませんでした。
自分の国の事を知らないのは本当に恥ずかしい事だと思います。
とても反省しております。
此れを機に次回一時帰国した暁には
日本について学んできたいと思っております。
文楽も もう少し大人になってからになるとは思いますが
是非一度観てみたいです。

報告が遅れてしまいましたが
プレゼンテーションは無事終りまして
これから論文を書き上げて提出すれば終りです。
お世話になりました&お騒がせいたしました。m(__)m

 

彼岸と此岸 投稿者:勘定場  投稿日: 1月12日(金)22時20分23秒

>青月@学生 さん
 プレゼンテーションは無事終わられたご様子、何よりでした。
 一連の誠意ある言動にあらためて感じ入りました。

 ちなみにこちらの話題と言えば、成人式に出席した若者の無礼極まりない言動云々という体たらく。
 しかもそれに対する大新聞のコメントと来たら、知った顔のお抱え評論家によるステレオタイプ。
 教育・若者といったキーワードで必ずリンクされるこの人物もまた陳腐この上なく、
 逆にあなたが言われた「日本人でありながら」というフレーズの何と純粋で輝いていることか。
 21世紀も未来も確かに存在するところには存在しているのでありますね。

《 さろんdeサロン 》−清談倶楽部−より(2001年)