人形浄瑠璃文楽 平成二十八年七・八月公演(7/28、8/3所見)  

第一部

「五条橋」
  淡路人形芝居でも、学生生徒向けの公演に取り上げられるように、面白い一段である。ただ、その面白いというのは、かつてならあの牛若丸と弁慶のお話というだけで面白がられる=童謡で歌い絵本で見たあの橋の上の対決が目の前で行われ、しかも五人五挺の床は迫力があるところだが、残念ながら客席の反応は芳しくなかった。共時性ばかりが強調され、通時軸が断裂状態にあるこの国の現状は措くとして、結局のところ、太夫三味線人形のそれぞれが面白さに欠けていたからである。
  太夫、睦は相変わらず不安定で正しくトレースできていないのは、三枚目の太夫と交替しても変わらないと称されるレベルだが、大音と低音とが身に備わっているのでシテとして収まっているに過ぎない。もちろん、過ぎないといってもそれ自体もう過ぎたことなのだが、このままの状態では、石田三成と同様の末路となるだろう。すなわち、過ぎたるものは二つあったけれども…である。今回の牛若丸、まるで御曹司の感がない。いや、その前にマクラが、詞章からして台風一過は中秋の名月という設定なのだが、面白くもないし心も浮き立たない。御扮装の描写(ここはユニゾンだが)もダメなのは御曹司になっていないから当然である。ただし、カシラを少年役に改めたことから、未熟でやんちゃで収まりが付いていないという印象を与えるという点に関しては、狙い通りともいえる。加えて、前述の備わったもののおかげで「修羅の魂魄」はそれなりに強かったが、ウタイカカリとはとても聞こえない。ではワキの弁慶である始はどうかと言うと、牛若丸カシラ変更の対比から大男すなわち木偶の坊というイメージを追求したという点で、適材適所と言えるだろう。
  三味線は喜一朗以下、悪くないしこの節付がいかに魅力的か、すなわち曲の良さ面白さが伝わってきた。敢えて言うとすれば、太夫と人形がこうなってしまっている以上、もっと派手に弾いて弾き倒すくらいでちょうど良かったのではなかろうか。今回の三業では、喜一朗が全体をリードするよりほか仕方がない。
  人形は、上記の変更からして、簑紫カと玉勢がそのままを見せていて(演じていたとはとても思えない)、要するに学生生徒相手の鑑賞教室以下の、お子様幼児向け番組としての格にふさわしいもので、だからこそ、傘で薙刀を捌くところの、剣術を知っている者から見ると噴飯物の遣い方が逆に功を奏するわけである。劇場側もなかなかやるなと言いたいところだが、このカシラ変更は決定的にダメであり、人形浄瑠璃を知らない(ブンラク・ぶんらく・文楽は分かっても)人間の仕業と断定されるものである。カシラ割というのは浄瑠璃義太夫節が理解できる、すなわち本読みができて耳が良い人間の仕事であり、今回なら「さても源牛若丸」以下の詞章と節付を見聞きすれば、カシラは若男以外動きようがないことを知っているはずである。だから、人形浄瑠璃がわかっている人間、詞章と節付が身についてる者からすれば、今回の「五条橋」は無個性かつ中途半端なものとして映るのである。要するに、失敗の二字で片付くものなのであった。
  それを変更したというのは、お子様幼児向けには詞章も節付もどうでもいいということを宣言したようなもので、これはこれで一理あり、第三部も要するに伝統的な詞章と節付ではダメだと判断した結果の新作キワモノなのである。したがって、カシラだけ変更するのではなく、詞章と節付を全面的に新しくし、「ウシワカ・ベンケイ バトルフィールド」とか何とか名付けて、金門橋の上を舞台にでもすればよい。ついでに、そこへゴジラが現れ、それを主従関係となった二人がやっつけるという趣向なら、お子様幼児向けとしてより一層の娯楽となろう。もっとも、そこまでしたら牛若丸と弁慶である必要はないではないかというところであるが、そこはこのような主人公の若者、貴種流離譚のヒーローが無二の家臣と知り合い、後にはヒロインとラヴロマンスという仕組みが、世界的=人類の記憶に深く根付いたものであることを、この国日本の古典芸能上演で示してやることは、夏休みの宿題テーマとしても一役買うことになろう。
  以上、結論として、「五条橋」ならば、山城少掾と綱太夫(三味線は当然ながら弥七と藤蔵)の奏演に、ロビーで目を閉じながら聴き入るのが一番ということであり、子ども幼児向けとするならば、新作として上演しなければならなかったのである。

「解説 ぶんらくってなあに」
  もう解説でもなんでもなく(もっとも自分はイケメンだったということについての解説はあったが。ちなみに当方は玉翔がナニワのくだけたおっさんであることを知って好感を抱いた)、人形遣いの体験なのだから、「つかってみよう!文楽人形」とかにすべきである。ちなみに、この方式を否定しているわけでなく、羊頭狗肉を改めよと言いたいだけである。

「新編西遊記GO WEST!」
  題名からしておかしい。「西遊」とは「GO WEST」のことだから「いにしえの昔の僧侶三蔵法師、西に向かってGO WEST、馬から落ちて落馬して…」という詞章なのかしらんと床本をガン見した(今回関わった人のセンスに合わせれば、岡八朗状態になった)のである。ではどうすればよいか、ひっくり返せばよいだけである。「GO WEST!―新編西遊記―」と。いくら新編であろうと、西遊記と書いてはお子様幼児にはわからないのであるから、まず「GO WEST!」として惹き付け、保護者向けにこれが「新編西遊記」と注を付けておけばよいのである。過去に似たような番組があったが、「飛べ!孫悟空」で挿入歌が「ゴー・ウエスト」というのは実に見事なセンスである。もちろん、当時と現在とでは時代が全く変わっており、例えばドリフは忠臣蔵パロディーをやってそれを大人はもちろん子供も笑って楽しめた―「おそ松さん」で実は忠臣蔵パロディーの計画があったものの日の目を見なかった(アニメ二期があれば実現するかもしれないが)―ということが、時代差を明確に物語ってはいるものの、「孫悟空」とあれば、現在の子どもでも「ドラゴンボール」で周知なのだから。毎回夏公演第一部のたびに言っていることだが、劇場制作側はこういうところこそ、まず目配りをすべきなのである。電通や博報堂の手など借りたくないのなら、担当者がリサーチをしっかりとやってセンスを磨いてもらわないと困る。
  しかし実際に見聞きしてみると、上記に比しては面白いもので、作曲の清介が浄瑠璃義太夫節をよく知っていることが第一で、次に猪八戒を前に押し出してそれを玉佳に遣わせて靖に語らせ龍爾に弾かせたこと、および太夫三味線人形に精鋭を揃えたこと。第三にというより印象的には最上位に来るのが美術方の装置であった。内容としては、原点「西遊記」を参照したこともありまっとうなものであるが(ただし、土地神に存在意義が感じられず蛇足)、肝心要の「玉うさぎの涙」とは何のことかサッパリ。脚本によると、嫦娥によるシゴキが原因らしいが、それらはすべて指導者として正しい導き方であり、第一が、資格のない玉兎に姿を変えてまで参加させてやったものを、これで恨みを買われるなら、全国中高の吹奏楽部などは怨念の嵐が吹き荒れよう。しかも、「歯を喰いしばりお稽古続けた甲斐あって節会の踊りは上々吉大喝采を頂いて晴れがましいやら嬉しいやら」という結果であったにもかかわらず、「痛さ悔しさ忘られず」とは、執念深い、おぞましい、学習効果のない、我が儘勝手な、少なくともまともな人間の思考では理解できない造形となっているのである。こんな造形が通用する世界では、「劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜」が絶賛上映中の大ヒットとなるはずもなく、過去数多の作品において、主人公の流す「玉涙」に読者や観客までもが涙した、いわゆる成長物語、苦悩から歓喜への感動は存在すらしないであろう。ひょっとしてこの従来の王道を歩むのが嫌で、新たな方向性を模索したのかもしれないが、もしそうであるならば、その道は結果的に天邪鬼な脇道で溝板を踏み外して終わりという無残なものであった。これが、稽古の途中に逃げ出し、気楽そうな王女に化けてこの仕儀に至り、最後は稽古に戻って節会当日の大成功で大団円とでもすれば、追い出しが歌と踊りで華やかとなり、嫦娥と猪八戒の恋愛譚での締めくくりも、ロマン的な響きを湛えたに違いない。「玉うさぎの涙」が純情可憐なものと思い込んでいたのが誤りであった。ステレオタイプを自省すること頻りである。まさか、むしろ第二部の累と相通ずるものがあったとは、劇場制作側の深謀遠慮には脱帽するしかない。

第二部

『薫樹累物語』
「豆腐屋」
  初回観劇時と二度目とは印象が大分異なる(もちろん、二度目の方が上)ので、二度目を中心として評する。
  掛合に捌いてあるが、マクラが揃わない。つまり、掛合にできる節付(詞章)ではないということだ。二度ともそうであったから、これは失敗に終わったかと思いの外、二度目はむしろ成功とすべき仕上がりであった。それは一にも二にも清友の三味線にある。変化すなわち間、足取りがうまく(鋭いとは違う)、それぞれの人物像や心情を三味線だけでも浮き上がらせる。松香と組むために切場を弾く機会には恵まれないが(序切はたまにある)、逆に立端場ともなるとこの人の良さが前面に出る。「三婦は御灯〜累は跡の〜道を息せき絹川が〜」など、まず素晴らしいと聴き入る。太夫陣も、累の三輪(地には問題あるが)、三婦の津国(堅く突っ張りすぎるが)とよく語って心情がにじみ出ていたが、とりわけ絹川の松香が充実しており、男泣きに終わるところなど観客もまた三婦同様に心打たれたのである。加えて、講中の咲寿(亡霊も併せて)と亘がのびのびと大きくなかなかのもので、先を行く二人(希、小住)に追いつきそうである。最後はマクラと異なりよく揃っていたが、これは道行として節付してあるからであり、それを太夫陣と三味線陣(ツレは団吾ら)が心得ていたからでもある。この一段、高尾の亡霊が累に取り憑くところが物凄く、夏の怪談物として捉えても十分存在価値のある一段となった。人形は三婦の玉志が堅実で誠実な兄を好演したが、初回に冒頭の「言はれて吐胸の〜」に無反応(反応遅れ)だったのはいただけなかった。

「埴生村」
  中、詞章を素読した方が実はよくわかるのだが、前段「豆腐屋」の舞台は都である。そして「埴生村」は下総、いわば東路の道の果てとも言える。まさか絹川もこの鄙の地へ戻って来ようとは夢にも思わず、まして高尾の怨念が乗り移った妹累と因縁尽くで夫婦連れとは、青天の霹靂以外の何物でもなかったであろう。その「埴生村」をマクラ一枚で表現しなければならない。冒頭の唄、文句は恋であるから累の心情が移されていなければならない。切場の詞章「今この日陰の身となったも皆こな様の心から」と通ずる。ゆえに、華やかに浮かれることは認められず、それは三下りの在郷唄であることからも当然で、唄がナオると「下総」「埴生」「荒れし」と詞章が続くから、きちんと侘び住まいを描かなければならない。近年切場も射程内に入った咲甫であるが、語り活かしたとまでは評せず、マクラの困難さをまざまざと感じた。三味線の団七はさすがに心得ていたが。とはいえ、続く頭韻「荒くれし相撲取の絹川」はきちんと語り聞かせたから、太夫の実力は本物である。そして、眼目の嫉妬心、これは「豆腐屋」で自害しようとまでした累の紛れもない純であるがゆえの恋の淵=底無しの漆黒闇を、この端場でしっかり描出するところであるが、「くわつと燃ゆる火」の表現は二度目に聞いた時は改善されていたものの、「今更言ふではなけれども」のカカリが今一歩で、「細き女子の心では」はベタなために、クドキ全体の切迫した累の心情表現が緩くなったのは残念であった。そこから与右衛門の詞へ地の文を通して移る変化ももう一つであった。その次、金五郎が登場し与右衛門と差しで話すところになると、鮮やかな捌きを見せ、流石は咲太夫の弟子であるところを聞かせた。それでも「アノ累と言ふ女房のある上」が金五郎のどのような心情から出たものかは不確かで、一層の本読みと工夫が必要である。もちろん、これら指摘した箇所が完全になれば、実質もう切語りなのであるが。
  奥、千歳を富助が弾くというのも、近来では定型となった。今回、聴く方としては、あの越路師匠の衣鉢を継いだ「埴生村」を是が非でも期待することになる。越路喜左衛門の名演は数多いが、中でも、元の作品のレベル以上に奏演し(切場だからやり過ぎには該当しない)、作品を大きく輝かせたものとして、「埴生村」と「林住家」(九月東京にて千歳宗助)が挙げられよう(ちなみに、作品相応に語り活かしたのが―これだけでも十分いや十二分である―近年の住や綱である)。この期待はしかし最初から不安も伴っていた。すなわち、千歳をここまでの(切場常連)太夫にした三味線の富助とはいえ、定評ある鋭さ強さも世話仕込みのこの一段に果たしてどう響くのかという点、そして千歳の浴びせ倒しと顔芸ではこの一段どうしようもないということである。果たして、初回聞いた際にはこの予想がそのままとなり、さすがに無茶苦茶ではなかったが、荒削りで細やかな心の襞に分け入ることのない浄瑠璃では、到底こちら(少なくとも相応の「埴生村」を聞いたことがあり、ましてや越路喜左衛門の絶品が今すぐにでも脳内再生できる観客)が満足することはなかった。初回は第一部第三部と通してだが、次回は第二部だけの予定で、酷暑の真っ只中でもあるし、二度目はパスしようかとも考えたのである。しかし、汚名挽回(まあネット上の落書きをまともな評価として参考にするはずもなかろうが)の工夫や稽古が公演中になされるかもしれず、結果として初回の「土橋」が面白かったこともあり、二度の足を運ぶことになった。
  そして、この二度目に驚いた。まず三味線の富助が、これはもう完全無欠と言ってよいもので、音からしてまず縦軸にも横軸にも豊かで、叩いて皮に至ることもなく、従来感じていた三味線とは別物であった。もちろん、彼の美質は損なわれることなく、例えばビンビン響くのではなく硬質な造形美を保ってとでも言おうか。加えて、千歳を指導すべく掛け声も(というほど目立つものではないが)的確で、隅々にまで神経が行き届いていた。今回のこの奏演は富助の一つの頂点であろう。こういう奏演こそ公演記録として残すべきである。さて、千歳の語りである。マクラ一枚「物思へとや」「思案に胸の暮」とあるのは金五郎との話で難題が持ち上がったゆえの与右衛門のことであるが、節付は美しく油断すると収まりのないことになる。初回は最後に揺らぎがあった。続く与右衛門の詞は思案の末であるから同じく沈潜しているが、「何にもせよちよつとマアお目に掛かつて」と咄嗟に動きもするわけで、力士絹川であったことの重みを加えて落ち着き払ったり状況を解説したりと聞こえるようではいけないのだが、初回はその弊に陥っていた。そして、決心を固め出ていく足に纏い付く前垂の紐、切場(奥)のマクラからここまで、与右衛門の脳内は心中ともども主人頼兼と直接繋がる歌潟姫とそれを握っている金五郎のみで満たされている。端場における累とのやりとりは吹っ飛んで、というより累の存在自体が与右衛門から消去されてしまっているからこそ、累の象徴である纏い付く前垂の紐によって、夫婦という絆(というよりそれは束縛に違いないのだが)が直ちに与右衛門を引き留めて書き置きを残そうとさすという、その言動の機微が初回は表現されていなかった。中盤に至り累が夫のために身売りすると告白するところ、「ナンノマアその顔で」とは事実だが言うに言われないわけで、何を愚かなことを言っているのだと馬鹿にする女郎屋とはまるで違うが、これも後者に傾いていた。そしてお楽しみのクドキ、節付はあまりにも魅力的でいわゆる義太ファンは魂を抜かれてしまう。ここをうっとりと聞かせるか悪声なら情で押し通してもよい、いずれでも聴客は満足をするのだが、初回聞いたときは中途半端であった。最後は累を死に導くことになる鎌についての伏線、「死神の」「今宵置く」のゾッとする不気味さを表現すべき(三味線の手はそう付いている)ところが、無神経であった。これでは、初回聞いてもう二度と足を運ぶ気にならなかったのも道理であろう。それが、二度目にはきちんと語られていたのである。これには感嘆するしかない、というよりもマクラと与右衛門の独白からすでに身を入れて聴き始めていたのである。これでこそ、現状にあって最も格上の太夫が勤めるべき段を語り続けている意味がある。
  しかしそれでも越路師匠の後ろ姿は遙か彼方にあり、具体的に列挙すると、「つひ目に付くも惚れた仲」における夫への一途な累の純愛、そんな累に嘘をつく与右衛門の詞における足取りと間、そして裁縫をする間の抒情あふれる地合:ここは累が夫との永き別れを悲しみつつ夫のため最後の用意をしておくところであるが、観客は(与右衛門も)累の身売りが現実化しないことを知っているから、累の自己陶酔的妄想として白々しく受け取られてしまいがちである。それを累の全身全霊をかけた純愛の結果と観客の心に響かせることができるか(節付はそうなるように魅力的なものである)、等々である。「埴生村」という他の切場に比して地味な一段を、見事に語り活かし弾き活かし、魅力的な一段にまで引き上げた越路喜左衛門の偉大さに、あらためて恐れ入ったのである。詳細は、「文楽補完計画」《其ノ七 四世越路大夫と二世喜左衛門による芸術−「埴生村」のこと−》を参照されたい。

「土橋」
  中、靖の指導を錦糸が継続。靖がこれに応え続けられれば、切語りはもちろん次次代の紋下格までもが視野に入ってこよう。マクラを聞くと二の音が大分響くようになってきた、しかしここは累の地であるというところまでに至る余裕はない。続く詞は叮嚀に置きにいっている感じ(まさに修行中の身)で情愛にまで至らず、「正体涙に」はもちろん掛詞で「正体なく」「なみだに」、その「正体無く」を「しょうたいなく」と語ったのはいけない。「正体」は古い時代「しょうだい」と濁って読まれており(日葡辞書も傍証)、浄瑠璃義太夫節でも、例えば有名な太十後半の操のクドキ「母は涙に正体無く」も「しょうだいなく」と濁る。「しょうたいなく」と澄むのは確実に視覚で読んでいるのであり、こんなことが罷り通れば口伝もへったくれもあったものではない。情を語ることもドラマを語ることも、良い耳をもって音曲の司たる浄瑠璃義太夫節を語れなければ無意味、いや有害でさえあろう。誰の前で稽古をあげてもらったかは知らないが、靖自身に浄瑠璃義太夫節のシャワーを浴びることが決定的に不足しているのではないかと、一抹の不安を抱いた。続いて金五郎、これはお手の物だろうと楽しみにするがむしろ動かずただの説明に聞こえる寸前のところ。「欲に光らす小提灯」「おのが工みの得手勝手」とせっかく性根が書いてあるのに再現できていなかった。あとは与右衛門が歌潟姫に自身の正体(この場合は「しょうたい」と濁らない)をごまかす詞の変化に乏しい。ということで、全体的に今回も靖は基礎固めの最中そのものであった。しかしながら、前途は有望そのものである。
  奥、「土橋」は番付上で言えば「埴生村」に比してワンランク以上落ちる語り場であるが、演者の格や力量に差はなく、初回はむしろこちらの方が上であった。したがって、番付上では喰ったことになるのだが、格や力量という意味では役を入れ替えるべきであったということになろう。呂勢に清治師の三味線である。マクラ、可憐で初心な歌潟姫の描写に続き、純情という意味では同じであった(と過去にせざるをえない)がゆえに瞋恚の猛火は並大抵ではない累の登場と、ここからすでに聴く者の期待をふくらませ、続く詞の「お前かえ」に噴火前のマグマを感じさせ、「定めて」など火山性微動さえ思わせる。したがって、「燃え立つ瞋恚を顕はして」の詞章が真実そのものとなる。次の「歌潟姫多くの人にかしづかれ」以下の節付は期待したほどではなく、もちろん主眼がそこにはないことはわかるが、義太ファンとしては呂勢だからさぞやと期待を膨らませているし、切場でもないのだから、もっと美しさを振り回してよいと思う。与右衛門再登場して累の詞、これも絶品で、前半の純情一途であったところ、そして「ガ」で怨念へと変わってと鮮やかであった。高尾の執心を改めて説明するところも下座のドロドロを効果的に響かせる力量。このように満点をつけてもよいが、この高得点帯にあって律速段階たるものとして指摘せざるを得ないのが、与右衛門の詞ににじみ出る累への情愛であった。ここが効くからこそ「情けない因果ぢやな」がまさしく人知や理性や常識を超えた因果になり、「本心ならぬ女房を殺す俺が心の内」という詞も言い訳や理屈でなく愛情の発露として観客の胸に突き刺さるのである。そうすると、段切の「天の悲しみ」の節付を呂勢が語るという素晴らしさに加えて、天地有情の結果としての秋雨に劇場全体が包まれ、女房殺しと祟りというこの物語の時空を超えた結果の真実=縁起譚として時空間を貫く形に集約され、「涙累の物語今に残るも哀れなり」の詞章が活性化して大団円として昇華されるのである。もっとも、こうなればそれは紋下格の切語りが跡場を勤めた結果に他ならないことになるのだが、実際に清治師の三味線はそのレベルにあるのだ。
  人形陣の総括に移る。絹川=与右衛門の玉男は立役の不動の大きさ貫目は十分、これで心情の動きが露骨にならなざるを得ないところ(対金五郎、対歌潟姫、対累)が鮮やかになれば言うことなし。累の和生、純情は見事に描出、一途な発露とその暗黒面での怨念嫉妬はもう少し派手でもよいが、芸質の違いだろうしその分累の悲劇への同情は観客に強まる。なお、両人によるカサヤのメリヤスによる立ち回りは十分楽しめた。兄の三婦は玉志、実直そのもので検非違使カシラの特性の一つを十分に見せ性根を明らかにできた。金五郎の文司は、小悪党であるが主役も張れるという小団七カシラをふまえて遣い床とのバランスもとれていた。女郎屋を簑二郎で、最近こういうキャラクターを使うことが多くなり持ち役とまでに至りそうだが、今回も、初対面で累の顔にきちんと反応するなど神経が通っているが、後の手鏡を見せて累が愁嘆するところ、弱ったな余計なことするのではなかったと頭をかくのは、直後に蹴倒す怒りと整合性がなく、徐々に忌ま忌ましさが増してこないといけない。歌潟姫の文昇以下は特に書くここもないが、ここで目を見張るように美しく遣えると次回公演への期待も高まろう。

『伊勢音頭恋寝刃』
「古市油店」
  おそらく、こちらの方が前狂言の累物語よりも受けるはずであった(上演回数も倍の差)が、累物語を作品の持つ容量以上に三業が魅力的に大きくして結果(二回目に聞いたとき)、逆転現象が起こってしまった。今後は累物語の高評価が上演回数にも好影響を及ぼすに違いない。
  さて、この狂言は複数の意味において作品の容量が大きいから、三業にとっては困難を伴う。まず、名人団平の改章に基づくものを弾き活かし語り活かすことができるのか。そして万野という八汐カシラの個性を見事に描出できるのか、この二大問題が立ちはだかる。そこで前者は、彦六系の正統的伝承者である寛治師を配して万全の態勢をとり、その実マクラから即お紺のクドキという難所も、例えば「一夜流れの仇夢も別れは惜しき明けの鐘」など堪らないとしか評しようのない絶品が響いたのである。この一段に必須の足取りと間の変化も巧妙の二字に尽きる。こうなると、成功したも同然であるのだが、太夫が津駒というところで固まってしまう。津駒は誠実であるし頭でっかちにもならずよく努力もするし、今は難声を浄瑠璃義太夫節の骨格をつかむことにより自然に聞かせ、第一に寛治師の三味線を貶めることなく語れてもいる。しかしながら、その難声は常に特定の人物―女性であるが高音ではなく中音で個性を出さねばならない―を語るときに破綻をきたす。前公演では豆腐の御用であり、今回は万野である(これらのキャラクター実は逆に得意とする太夫も存在し、近年では先代綱太夫そして住太夫がそうである。したがって、「古市油店」はこの両人の奏演を聞くのがよく、とりわけ先代綱太夫には先代寛治の三味線という、まさに団平改章を120%語り活かし弾き活かした名演奏が残されている)。津駒は元美声家に行くかと思われる高音の張り付きがあったから、女性はむしろ得意とするところであるのだが、この万野は高音すなわち通常の女性に声を遣っては個性が死んでしまう。ならばと中音で押すと津駒の場合は男性に聞こえてしまうわけで(今回もその弊に陥っている箇所があった)、難物この上ないのである。これが、豆腐の御用なら儲け役のチョイ出しだから躓いても忘れられるが、万野はそうはいかない。前述二人の太夫など、最後の「喜助どん、ああしんど」の落差だけでも客席を沸かせ感心させるのであるから。今回の津駒は残念ながらその危惧がそのまま現実のものになってしまった。加えて、動く浄瑠璃義太夫節が語れる先代綱太夫にとって得意となる一段は、津駒にとって真逆になる。例えば、料理人喜助は有能な若党として主筋である貢の遊郭通いを諫める気でいる。そこへ貢がお紺に逢わせよと来た返答の「ヘイ畏まりました」と、向こうで話をと言ったにもかかわらず自分にかと呑気な主人への「ヘイ」と、そこに込められた心情が届くか届かないかの差は大きい。あと、お鹿への「エイ何を」、お紺の「あた鈍な違いました」「気が違いました」「性根が腐りました」の違い、貢必死の「チエヽ見違うた」以下の悔し涙、駄目押しに岩次の狼狽詞まで、どんなに甘く見ても今回は不十分と評さねばならず、要するにまるで面白くなかったのである。

「奥庭十人斬り」
  「道八芸談」の武智鉄二による解説には、この団平改章の奏演に関して伝説が掲載されているが、それほどに団平の三味線が偉大で、再現しようとしても後代の三味線になるほど困難を極めるというものであった。今回は咲太夫と燕三が勤めるが、まず理想的である。とはいえ、休演の後かつ酷暑でもあり、伝説云々は横に置いて、夏公演での殺しの場が面白く(残虐好みではなく)、凄絶な色男に切れ味抜群の名刀の組み合わせも響いてきたし、ここもやはり足取りと間の変化で聞かせるものであることがわかったし、流石は紋下格でありかつ彦六系もよく知る床であった。
  人形陣をまとめると、まず簑助師のお紺である。人形が邪魔なときは目をつぶって床に耳を傾ければ良いのだが、太夫が不十分なときは耳をふさぐわけにもいかず語りの聴覚情報を抹消(右の耳から左の耳へ受け流す)することになる。毎回簑助師のところで言及していることだが、今回も人形のカシラの上下左右の角度や胴体の向き、そして小道具の遣い方で、お紺の心情が透けて見えてくるのである。これこそがまさに文楽人形の精髄であり、世界に冠たる人形芝居となるのである。貢は勘十郎で、「十人斬り」になってからの方が数段上、源太カシラの魅力が存分に感じられた。上に述べた、凄絶な色男に切れ味抜群の名刀の組み合わせ、これがピタリと決まっていた。「油屋」の方は存在感が薄く、しかしそれはお紺と万野が前面に出るから致し方ないとも言える。その万野は玉也で、八汐カシラも今や持ち役になった。今回は太夫でずいぶん損をしたと思う。心から同情申し上げる。喜助の勘寿はいつもながら脇固めの見事さ、若党の勢いがあってもよいとは思うが。岩次の玉輝と北六の亀次はいいコンビ、かつ岩次の下衆さ狡賢さ嫌らしさも伝わった。お鹿の清五郎はニンでない(悪いと言っているのではない)。

第三部

「金壺親父恋達引」
  勤め帰りの年代層に見てもらうコンセプトで、モリエール原作で井上ひさし翻案を掘り出してきた劇場側をまず誉めよう。そのためか鑑賞ガイドがほぼ完璧なのでここで蛇足をするつもりはない。ただし、「掛詞」の誤認についてはサロンにて指摘した通りで、そのために詞章の傍点にも誤りがある。敢えて言うとすれば、せっかくだから「三一致の法則」にも触れておいてほしかった。
  第一部とは異なり(と言うより比較すること自体が話にならないのだが)この第三部について内容や演出面で注文を付けることはない。ちなみに鑑賞ガイドに掲載されている「現代人にとって、義太夫節の地合・詞・色など独特な曲節構造に古語がからみ、単純な内容でも多くの人たちにとってなかなか難解のようである。そこで義太夫節が根元的には大衆芸能であることを再認識するための試みのひとつ」との記事、これは、「義太夫節の地合・詞・色など独特な曲節構造に古語がからみ、複雑な内容でも多くの人たちに受容された大衆芸能である」ことを理解できない「現代人にとって、再認識」させる作品ということである。
  文語訳聖書が現在でも相当数の需要がある事実、古語の美しさと深み。「風の谷のナウシカ」において「その者蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし」が古い伝承だから古語を用いているのではなく、それが正しき予言(そんなものが存在すること自体が人知を越えたものである)であったからこそ古語で語られなければならないのである。子どもたちにもわかりやすいように現代語で示していたら、耄碌婆さんの戯言としてしか聞こえなかったであろう。その意味からも、この作品は際物として客寄せ・入門用の価値を見いだせるがゆえの上演なのであり、もし本公演第二部が消滅するような事態が起これば、残った第一部と第三部に人形浄瑠璃の看板を掲げさせるわけにはいかない(まあ、文楽・ぶんらく・ブンラクという看板なら別に構わないが)。そして、原作は古典主義に属するものであることを忘れてはならないのである。
  三業の成果はおおむね良く、とりわけ金壺親父の英と勘十郎は他に抜きん出ていた。三味線の宗助もシンとして十分な働きを聞かせた。ただし、文字久と藤蔵がこのツレと二枚目一役だけというのはあり得ない(とはいえ、十一月大阪で「志渡寺」を勤めるための配慮というのなら仕方あるまい)。また、後半詞章「勝気なお高」とある性根に初めて気付いたのは、当方の耳のせいなら恥ずかしい限りだが、睦の語りに責があると信ずる。とはいうものの、夏の宵この打ち出しで気分良く帰宅の途につけたから、井上ひさしはさすがに言語感覚が鋭いし、西亭のこういうものへの節付が巧みなことには今回も舌を巻いたのである。