人形浄瑠璃文楽 平成廿八年一月公演(4日・16日所見) 

第一部

『新版歌祭文』
「座摩社」
  掛合にしないというのは、太夫が信頼されているということだが、昭和後半の充実期における伊達路や小松また相生あるいは松香なら、文句なくそうだろう。しかし現状の睦となると、これは抜擢ということになる。いや、正確には現状の太夫陣を切場から当てはめていくと、年功序列から睦がここに収まるという意味である。もう一つ、掛合にしなければならない場が多すぎて、ここまでは手が回らなかったということでもある。もちろん、この場を掛合にすべきだと言っているのではない。今の陣容そして本公演の建て方からして、この立端場を面白く聴かせるには、掛合の方がまだましだということである(ただし、もう一段の大抜擢をしていれば、この判断は覆せざるを得なかったかも知れないが)。そして客席に座り、その語りに耳を傾けてみて、この予想は残念ながら当たっていた。敢闘賞を贈呈してもよいかと思われる出来であったことは別として。
  マクラ「鈴の音さへ賑はへり」ゆえに難波の繁盛が自然に響いて来なければならない。が、地合をトレースするので一杯という感じ。続いて山家屋佐四郎と丁稚久松に下人小助までが登場。この、これからまだまだ出てくる人物の語り分けがこの一段の肝だが、成功はしていない。山家屋は陀羅助カシラからも判るように、金の力がすべてという大俗物、信心など無縁な男が殊勝にもお百度参りというのが絶妙なのだが、ただの小心者にしか聞こえない。小助はまた銭のため(金のためとは書かない)なら騙りでも何でも、自分の欲望に忠実なるを正直者と心得る小悪党で卑近さは一目瞭然、しかも小鼻が利く分タチが悪い。番頭である善六や丈八とはもう一段の下衆さが必要。早速に仮病を使うが、そのわざとらしさからして伝わってこない。久松は二枚目の若男で元は筋目正しい武士の若殿、その真っ直ぐで表裏のない白紙の如き、まだペラペラしたものでもあるが。この若いというのは伝わるがそれ以上のものではない。こんな感じで半時間以上聞かされるのだから、いくら「野崎村」へのネタ振りだとしても、各人物が活写されなければ耐えられるものではない。しかしそれでも、二回劇場の椅子に座り続けたのは、まず三味線の宗助がずいぶんと上手くなり(例えば、お染と久松の件、お染の出に久松の戻り、そして「手を引く主従三世相〜忍び入るこそわりなけれ」と納まるところ、いずれも素晴らしく聞く耳が思わず反応した。あと法印の詞ノリの足取りも結構)、それを聞いていればこの立端場の魅力が理解できるし、太夫をリードするひたむきさのため。そして太夫も一生懸命で、斯界の将来のためにも若手をここで見切るわけにはいかないということと、まだ今後に発展の望みはあると感じられたからである。人物で言うなら、岡村金右衛門の性根をうまく捉えていたこと(勘六は「油屋」でモドリの主役となる複雑なキャラとは聞こえてこなかった)。あと、二度目に聞いた時、足取りや間そして口捌きが、これはと思われるほどよくなっていたから、稽古そして三味線指導の賜物であろう。とはいえ、音遣いができないことには義太夫節には聞こえてこないわけで、この修得が今後の大きな分かれ目になるはずだ。お尻に火が付いているのは、本人も重々承知であろうし。

「野崎村」
  端場は「あいたし小助」である、という小書きを示せるかどうか。それはもちろん床の出来に掛かっているが、靖を錦糸が弾いて実に納得のいく仕上がりとなった。納得のいくとは、まず構成が明確に捉えられていること。場面変化や人物の出入りが鮮やかにかつなめらかで、例えば「ひとへぎ入れる生姜より辛い面つき久三の小助」「と辰巳上がり身の誤りに久松が差し俯いて詞さへないにはもしやと思ひながら」など。とりわけ素晴らしかったのは、終わり近くの「と藪から棒を突つかけた親の詞に吐胸の久松知らぬ娘は嬉しいやら」で、続けてお光と久松の描写に心情が浮き彫りになるところ、そして病む婆の存在を咳で示して祝儀の段取りへと繋いで盆が廻るところは、絶品と称してよいものであった。各人物の詞も、声色にならず自然に映っており、靖のこれまでの語りからするとむしろ抑制した感じでもあった。とはいえ、「オヽよう戻つて下さんした。最前から久松様をな」で、久松への心配と現状におろおろするばかりのところに父が戻り嬉しさと半分涙声で縋り付くという、お光の衷心衷情を浮かび上がらせるまでには至らなかったし、「と言はれてどうやら底気味悪く」で久三はもちろんそれを押さえ込んだ久作まで浮かび上がらせられる強さと深さまでは届かなかった。しかし、何と言っても昔風に言えばまだ大序を抜けたばかりの太夫である。そして、現状からして若手畑から作成栽培で引っこ抜かなければならなかったという太夫ではない(そういう若手もいないことはないが)。つまり、もう一歩で立端場語りにまで至ろうかという力をつけているということだ。昨秋「鰻谷」での端場と言い、将来の紋下格になるであろうとの想像を逞しくできる太夫なのである。さて、問題はもちろんこれからである。四半世紀前から振り返っても、若手や中堅が壁で停滞あるいは志半ばとなった例は数多い。後者は無念の一言に尽きるが、前者については、今回錦糸が弾いたことの重要性とありがたさを、またその感謝は有り難さでなく今後も継続せんことを(相三味線は無理だとしても)、書き留めておきたい。
  切場の前。清治師の三味線はもはや完全体であり、しかも惚れ惚れもするし躍動もするし、たまらんたまらんたまらんですわいの領域。系譜としても清六から団平へと繋がるものであろう。戦前その団平物語として映画「浪花女」が制作されたものの、今フィルムは行方不明である。もし作り直すのであれば、団平は清治を置いてより外はあるまい。ちなみに大隅は(今公演の出来を聴いて)文字久が相応しいと思う。そして、越路まで出すのであればそれは呂勢に他ならない。その呂勢であるが、清治師に導かれ、「楼門」「浜松小屋」は理想的な仕上がりを聴かせる一方、「袖萩祭文」「鰻谷」では敢闘してもまだ至らないという苦労が聴き取れた(それ以前に録音した受賞作「柳」も、清治師の三味線が頂点に達しているのに対して聴き劣りがする感は否めなかった)。いよいよ正念場に差し掛かったのである。それはまた、呂勢に期待されるところが大であるという証左なのであり、「風」に留意し再現できる太夫だからである。この「野崎村」は組太夫風だが、『素人講釈』を読んでも厄介な困難なものであるとしか解せない。悪声のため下が支えて三上を離した所に落ちるのが絶妙なサワリになる、それが凝りに凝った果ての到達地、というものである。マクラの「後に娘は」はむしろ大きく野太いのがその「風」ともされるが、『道八芸談』を見ると別の点からも考察される。切場一段丸ごかしに捉えると、在所娘お光の誠心と衷情(もちろんそこに久作と婆が大きく絡む)ということになるであろう。段切もそれゆえ派手に仕舞うのである。これで悪声ならではの工夫が結実する。にしても、すべては音を遣えるが故であるが。となると、呂勢のマクラはお光の焦点化から見て物足りない。「切つても切れぬ」からのお染の出は三味線の極致だが、語りはもう一歩。「ホンニマア」からは「大所の御寮人様」として上から出る詞も効くまでには至らず。しかし、この後久作が実によく映りしっくりと来たのは、急所の老人が自然に語れるようになったということも含め、語りに安定性が増し、観客も浄瑠璃世界に身を任すことが出来、灸の場面もただ面白いだけでなく情が乗った。続くお染のクドキの良さは予想されたが、結果はそれ以上で、美しさはもちろんのこと、一途な恋の純情が艶やかに感じられ、客席から手が来たのも当然であった。「女房ぢやもの」など、これほどのものはやはり南部を襲名させ、その上までも見通したい。なお、前半で盆が廻るから、「悪縁深き契りかや」を応えさせるところまでに至れなかったことと、久作を完全にモノにしたかどうかを占う異見を聞けなかったのが、何とも残念であった。
  後半、に廻ったと表現するのが適切だろうと思われる、咲大夫と燕三。久作はもちろん聞かせる(効かせる)し、お光の哀しみも伝わるのだが、婆が出ないのでそれ以上深まりようがない。となると、「くわんのん」の正統的伝承と言い、紋下格の納め方というものを体感するということになる。三味線は段切の見事さに(ツレ弾きも)、改めてその実力と天分を確認したが、それでもやはり弾き足りない(聞き足りない)のは、婆省略版としての宿命である。残念至極である。昨秋の「鰻谷」も後場であったし、四月「妹背山」通しでどこを語るのかに期待したい(追記、「杉酒屋」であった。これは実太夫の長登太夫に至る道ということか。最終判断はあと数公演待ってからにしたい)。
  人形陣。まずお染の清十郎。昨秋の宮城野も素晴らしかったが、今回も「大所の御寮人様」という身分がきっちり性根として表現されていた。それは立端場そして切場での出にも鮮やかで、恋の悩みを内に込めるのではなく、ともかく久松に会いたいという能動的積極性、文字通りうわの空であくがれ出でたる姿が見事であった。美しい上にこの迫り方をされれば、道知らずと久松を責めることもできまいと思わせた。その久松は勘弥で、立端場のお染に唯一押して拗ねるところは物足りなかったが、元は筋目ある武士の子息という純誠さを、切場段切の涙で見せたところなど出色であった。全体として若男カシラの性根は描出できていたと思う。一方、お光の和生は後半の省略がやはり響いて如何ともし難いが、端場から在所娘としての捌き方、恋心も素朴かつ控え目で父母への仕え方に見える真情ともども、それ故に尼になった決断の悲しさが印象に残った。久作の玉也は、端場から好々爺そしてお光や久松や婆はもちろん主家にまで心が行き届く、分厚い人生経験とそれに伴う深い人間味を持った造型が見られ、眼目である切場の異見でも、厳しく手強くなるところもさることながら、それ以上に親身に言い聞かせる情愛の方が濃く感じられたのは、納得のいくものであった。お勝の紋寿はこの一段に収拾を付けるまとめ役としての大きさが、大店を取り仕切る内儀に相応しかった。あと、小助の簑二郎は的確な動きを見せるが、番頭のチャリではなく下人の嫌らしさを感じさせるべく、粗暴なものが欲しかった。段切の船頭は紋秀らしくチョカでよく動くタイプとして前受けもしていたが、ボケタイプでの遣い方も他の若手で見てみたいもの。立端場では、佐四郎の簑紫郎は太夫の語りが語りだけにどうにもならなかった様子。法印の簑一郎は、マギー審司ネタの披露を工夫すべきで、井戸端から前へ出て観客からよくわかるところでやって見せ、近づき過ぎて悟られたらまずいという感じでまた引き下がれば問題ないはず。あんな後方のしかも井戸の大道具が目障りになる所でやるくらいなら、いっそ何もしない方が潔いというものである。その他の遣い方はやはり太夫の語りに準じざるを得ない。弥忠太の玉勢も同斷。勘六の勘市は他の悪党とはいささか違うなと感じさせただけでも評価されようし、金右衛門の文哉は紀州の源蔵と田舎者丸出しのところに個性が感じられた。今回の立端場については、太夫が人形を動かすもので、その語りに左右(掣肘も)されるということを、再認識した。

『関取千両幟』
「猪名川内より相撲場」
  床での引退披露口上。呂勢が淀みなく明瞭に述べる。謝意を寛治師の名前を出して示したことと、寛太郎が曲弾きを勤めるというところに、ここまでに至った経緯を推し量ることができよう。兄弟弟子、直弟子、古参太夫と、次から次へずらりと並ぶ様子が、嶋大夫師の功なり名遂げた到達点がどのようなものであったかを如実に示す。人間国宝は後進育成の義務があるから、その点立派に果たしている証左でもある。とはいえ、住大夫師に続くこの引退の結果、太夫における一時代の終焉が決定し、取り返しが付かなくなったことも事実である。それは、寛治師の弾き出しから始まるマクラの語りを聴いているだけでも、まさに古き良き黄金時代の最後の余韻が、劇場空間に広がり満たしそして消えて行くのを、面白うてやがて哀しきと感じざるを得なかった。この一段が人気曲であるのは、その節付からも明らかであり、しかもそれを床が十全にこちらの耳へ届かせるからたまらない。弾き出しからマクラ、胡弓が入っての髪梳き、そしておとわのクドキと、戦前までの耳が肥えた観客ならワーワーと歓声を上げていたものであろう。もちろん、猪名川の英と鉄ヶ嶽の津国との掛合も面白いが、詞章が省略されているのが何としても惜しかった。猪名川の苦衷とそれを察し案ずるおとわの情愛も濃やかで、「たつたこと言言ひたいこと」と夫の名を呼ぶところに、段切へと繋がる太い実線まで描かれていた。曲弾きは寛太郎が家の芸としてしっかりした伝承を聞かせて見せ、今回の狂言が持つもう一つの重要な意味を提示した。撥よりも(パフォーマンス的に撥以外で弾いて見せるのがよかろう)、三弦楽器の特性とそれゆえの難しさを聞かせて見せたところ、左手の利きの方により感心した(右手のハジキ・スクイなども)。再び盆が回っては三味線の宗助がこの床で聞き劣りさせない力量で、前狂言立端場での実力を再確認することとなった。
  舞台に目をやると、相撲場がやはり印象的で面白く、行司の格好に四本柱などは民俗文化史的価値もある。三重が二度ある一段での大道具方の働きも見事であった。人形陣は、簑助師のおとわが関取の妻というその筋独特の気働きの良さを見せ、もちろん夫への情愛も濃やかさがあった。ここにもまた、失われた時を求めてという感を抱かざるを得なかった。猪名川の玉男は悩み耐える姿も相応だが、それ以上に鉄ヶ嶽を投げ飛ばし、そのまま打ち出し後外へ出ての晴れやかさが印象に残った。相手の鉄ヶ嶽は文司で、金時カシラをふまえて嫌みな悪役に落とさぬのは結構、もう一段のデカさ大まかさが出ればと思われた。
  全体として、床といい手摺といい、曲弾きから大道具まで、面白く楽しく豊かな引退披露狂言となり、気持ちよく客席で見聞きすることができた。その意味で、語り種となるものであったと記しておきたい。

「釣女」
  正月公演であり、景事としてもこれだけだから、当然の建て方であるということになろうけれど、前場が耳目にも楽しく華やかな掛合であり、曲弾きに加え相撲場まで出しているから、ここで今更のように賑やかに打ち出さなくてもよかろうと思う。加えて、現状の日本にあっては、学校教育を巡る状況から、同作を歌舞伎舞踊で見た中学生は、顔の美醜で差別してはいけないと指摘する者も多かった。これを、古典芸能と現実を混同した幼稚な考えと切って捨てることはできないはずだ。なぜなら、この年齢層が成人そして中年にさしかかった時、その考えは当然の常識となるからである。ところが、その鑑賞教室が秀逸であったのは、醜女が引っ込みに当たって放置された釣り竿で逃げた太郎冠者を釣り戻して見せ、定まる夫を逆さまに見事手に入れるという演出に振り替えていたというところで、客席からも拍手喝采であった。ちなみに、狂言では、醜女をこれでもかとなぶるようなことはしないし、大本は主人に醜女が当たるから、その落差を以て権力を皮肉るという構図にもなっている。文楽は、まさにそのなぶることの面白さ(当時それは差別でも何でもなく、「いろはかるた」における他例を持ち出すまでもなく、庶民は各自何らかの欠陥を抱えており、それを互いに隠さずむしろ剥き出しにして笑い飛ばすことによって、日々明るく前向きに生活していた)を狙いの大きな一つとしているだけに、現状では年々受け入れられ難くなっているのである。昨秋の「玉藻前」でも二つある訴訟での笑いが、後の方は無であったことを考えても、笑い飛ばせる対象が変化していることは確実である。本公演で、隣のオヤジが大笑いしていたのは何ら批難されることではないのだが、娘の方は冷ややかに見ていたこともまた事実なのである。加えて、文楽はカブキ者ではないからそうそう改変もままならず、ましてや節付等に関して著作権云々など煩わしいことにもなるのであろう。まさに難題ここに極まれりである。とはいえ、お福というのは愛らしいキャラクターであり、現在でも国民的子供アニメで、ジャイ子や花沢さんが問題なく受容されていることからしても、例えば勘十郎あたりが知恵を絞れば、逆に現代若年層での人気作ヒット作として生まれ変わらせることも可能なのではなかろうか。
  ということで、現状のままの上演では食指も動かず、まして評する気など起こらない。それでも書くとすれば、床にあっては太郎冠者の津駒と醜女の咲甫が嫌みな悪洒落に陥らず、狂言を元とする古典作品としての枠をわきまえており、大名の芳穂と美女の希はそれぞれの性根と格に相応であった。三味線は、団七がシンで余裕の構えでありつつ、清丈に龍爾以下のツレとともに二上りの華やかさも耳に残った。手摺の方は、主役の一輔と玉佳が納得のいく笑いを提供していたことと、大名の文昇が端正で大きく格が備わって目を引いた。美女の紋臣は相応だろう。

第二部

『国性爺合戦』
  いくら浄瑠璃義太夫節が好きだと言っても、昼夜それぞれ四時間半一度たりとも退屈せず一切睡魔に襲われないというのは、なかなかない。派手な景事であるとか名人上手が勤めていれば大丈夫ということでもない。むしろ、下手を聞かされると拒否反応が起こり、ふつふつと怒りの感情にまで襲われるから、動悸も亢進してむしろ寝るに寝られない状態になる。では、何がツボとなるのか。それは、天才近松門左衛門作の構成と詞章に節付、そしてそれを語り活かし弾き活かすその一段相応の床である。その意味から、『国性爺合戦』は、復活通し狂言に際しての改悪はあったにせよ、現行でも面白く飽きることのない傑作であり、今回はほとんどの場が太夫の実力以上に宛がわれていたこともあり、ベクトルが斜め上を向いた指向性と力感は好感を持てるものであった。
 
「大明御殿」
  大序である。ソナエから序詞そしてヲロシへと一連の型であるが、それゆえにこそ大序の成否をまず握っているところ。亘はよく心得て大きく強く、続けて時代背景と動乱を招くことになる事象に使者の奏上まで明快に勤めた。小住は黒白二人の文官武官を明瞭に縦横に幅を持って語り分ける。大三重までのトリを咲寿が勤めるのは単なる年功に非ず、実力伸長の結果と納得させた。三味線は清公に一日の長がある。それにしても、左眼を刳り抜く趣向はまさに奇抜で、しかもそれが国家簒奪の符牒だというのだから恐れ入る。

「同奥殿」
  序切。松香と清友で成功は保証されている。まず、マクラの節付が良い。そこを三味線が円く弾き進める。花軍は傾国につながるおふざけとは言えその趣向に引き込まれる。そこに呉三桂が登場し徹底的に諌言する、その例えば花軍の件の詞ノリが面白く、後半悪巧みを種明かしして見せ「泣いつ怒りつ理をつくし詞をつくして奏しける」と、聞いていても力が入る。勅額の予兆から下座の囃子は観客の耳目を惹き付け、真の忠臣と悲劇の皇女が浮き彫りとなる。ここから三重までの足取りと捌き方もたまらなく、改悪でも破綻しないのが近松の詞章であり節付けであるとも自然に思われた。保証書に偽りなし。

「芦辺」
  序切跡。時代物浄瑠璃五段構成において、ここは共通する意味を持たされている。簡潔に記すと以下のようになる。
  時代物浄瑠璃五段構成を通し狂言として上演した際に、大序から始まる初段の位置、すなわち恋模様と絡めて悲劇の発端を完結させつつ、二段目以降における悲劇の頂点への展開を見せるという意味を、「序切跡」の存在が浮かび上がらせるという役割が見出される。また、「序切跡」における場面転換は、儀式的・様式的な場である大序ならびに序切には登場しなかった主人公側忠臣の活躍の場を約束し、それは必然的に館の門外や中庭として設定される意味を有していた。そのことは逆に、主人公側の中心人物が敵方によって没落させられることにより、禁庭・寺社・御殿などからの立ち退きが現実化されることにもなっていたのである。
  この場はもちろん改悪されている(詞章には柳哥君が致命傷を負う根拠がまったくない。もちろん舞台上ではツメ人形が柳哥君の油断を見澄まし後ろから斬り付けるのであるが、例えば「小金吾討死」の「後に続いて数百人遁さぬやらぬと追駆けたり」のような描写もない。こう書くと「前後に敵満ち満ちたり」とあるではないかと反論されるかも知れないが、その後無傷で安大人を一方的に懲らしめる詞章に続くから、これは敵をものともせずということに他ならない。かつ、直前の詞章を見ると「我も乗らんとせし所に『ノウノウ姫宮様〜』とよろぼひ寄つて」とある。文脈に従って人物を挿入すると、「(柳哥君が)我も乗らんとせし所に(少なくとも柳哥君以外の誰かが)『ノウノウ姫宮様〜』とよろぼひ寄つて」以外になりようがない。それを後者の言動も柳哥君であるとするためには、必ず「『ヤアヤア見つけた、逃すまいぞ討ち取れ』と敵一度に斬りかかる」などの詞章が、柳哥君のセリフの直前にあらねばならないことは、真っ当な日本語を読み書きする者なら誰でもわかることである。それを、舞台で人形が為てみせるから詞章は必要ない、というのなら、それこそ劇文学浄瑠璃を否定することに他ならない。しかも近松の文章に手を掛けてである)。しかし、元は近松の文章であるから、前述「序切跡」の意味がそのまま当てはまる。となれば、ここは実に面白い場となるはずだ。花形の勤める場でもあるだろう。したがって、始と団吾が担当するのは理に適っている。押さえ所としては、まず、「和漢女の手本」柳哥君の存在感、そしてかませ犬である安大人を巧みに描写する、ということになろう。実際に聞いた感想としては、大音強声の突っ張りを三味線がうまくリードし、面白みを含んだ躍動感のあるものに仕上げたと評価出来るのではなかろうか。

「平戸浜より唐土船」
  ここも面白い。マクラは主人公和藤内の紹介で力感あり、続いて景事・道行風の貝尽くしは耳目に心地よく、故事漁夫之利の鴫蛤は興味をそそられ、そこへ「とらやあやあ」が追い打ちを掛けてぐっと惹きつけ、最後は明朝再興を期して唐土へ押し渡る和藤内をしっかりと描くのだが、女房小むつの嫉妬という変化を入れつつ別れの悲哀も届くように仕立てられている。西亭の作曲は、やはり貝尽くしから唐音あたりまでが真骨頂で、華やかに進む。床はと言うと、最初聞いた時には全体的に伸し餅のように変化がなく、中だるみをした感があり、睡魔に襲われそうにもなったが、二回目はメリハリの利いた、上述の各箇所がそれぞれ語り弾き活かされて、終始座席で面白く聞くことができた。公演途中で進歩が見られるのは、若手中堅陣が勤める場という点では好ましく、この上昇曲線が各公演の度に積み重なっていけば、全体として芸の向上に繋がる(もちろん、各回毎にリセットされては意味がない)。おそらく、三味線のシンたる清志郎がこの一段を自分のものとすることが可能になったのは、公演開始から一週日は経過した後であったのであろう。二、三枚目が清馗に寛太郎という若手の腕利きであったことも、好結果に繋がっていよう。太夫陣では、和藤内の芳穂が国性爺紹介の地に力感あり、詞ノリで勇むところも面白く、小むつの希は最後惜別の悲哀がとりわけよく、老夫婦文字栄と南都はさすがは年の功で聞かせ、皇女の咲寿は唐音を仕留め述懐にも心があった。

「千里が竹虎狩り」
  面白くないわけがない。御簾内の口を付けたのは、奥の顔が良くなるものの、若手の役場だから、下手をすると折角人気の一段を台無しにしてしまう(奥が立て直しから始めなければならない)。しかも、実質的に鄭芝龍の台詞のみという、若手にとってどうにも食えぬところである。小住はそれを食えるようにしたとはとても言えないが、違和感なく口に入ったし、再度聞いた時にはやや映るかと向上していたのが好ましい。錦吾については真っ当に修行中というところ。
  奧を三輪に喜一朗(ツレ龍爾)が勤める。詞がさすがに上手い(地合の音遣いについて今更どうこうは言わない)。これだけでも各人物が性根とともに立ち上がってくる。おまけとして、虎の捌き方も堂に入っていた。三味線は才能にプラスして気合いも入り、力感あって面白く、やはり時代物三段目切場へ進むべき(当然・可能)人だと認識を新たにした。ツレも良かった。耳目ともに楽しめた一段で、こういうところを大切にしなければ。

「楼門」
  横綱相撲こそ至高の一番であるなのは分かっているが、多彩な技がある個性的な三役格の相撲が実に面白いこともまた真実である。このことは、切場と立端場の関係にそのまま当てはまる。播磨少掾二代目義太夫の「甘輝館」は、おいそれと気軽に聞けるものではないが、大和掾の「楼門」こそ、浄瑠璃義太夫節を聞く大いなる楽しみをもたらしてくれる一段である。ただし一つ条件があり、団平の系譜である彦六(近松)系の三味線で弾かれ語られることである。劇場(芝居小屋)で視聴する分には文楽系でも構わないが、耳だけで味わい聴き込むとなると、大和風のノリ間(地ノリ・詞ノリ)に足取と間の面白さ(もちろん困難さでもあるが)を全面的に押し出した、団平のものでなくては叶わない。もちろん、それを床が完全に再現出来なければ画餅に終わるわけだが、幸いなことに、文楽劇場においても寛治師の三味線(津駒大夫)で弾かれたものを直接耳にしたし、八世綱大夫と弥七による完璧な録音も残されているから(仙糸の三味線も源太夫で部分的ながらSPで聞くことができる)、団平の(彦六系と書くべきだが敢えてこう記す)「楼門」の素晴らしさは、伝聞ではなく実際に体験出来るのである。「風」は冒頭部分において明瞭に聞き取れるというのは、この「楼門」でも同じで、とりわけ「阿古屋」のマクラと聞き比べれば(この場合も団平直弟子新左衛門によるSPレコードがCD復刻版となって聞くことができるし、寛治師による奏演もやはり文楽劇場で耳にすることが出来た)、まさしく瓜二つの節付けで、「大和風」とはこういうものかと、聞き取ることは容易である。直近では、昨年二月東京にて清治師が弾いたものが絶品であった(太夫は呂勢、十全とは言えないものの殊勲敢闘技能三賞独占レベルだったから問題ない)。とはいえ、三味線が弾き倒して太夫が引き摺られるようになっては曲自体が浄瑠璃義太夫節として死んでしまうから、綱弥七のように、あれだけ弾いていながらやはり太夫が亭主で三味線が女房役に聞こえるという完全体は、滅多にあるものではないが、寛治師と津駒、清治師と呂勢のように、太夫がよく付いて行き浄瑠璃義太夫節の骨格が破綻していないというところまで至っていれば、太夫が及第点として聞くに堪えるものとなる。とはいえ、現代にあっては、詞が少なく地色の多い近松物を彦六系で奏演すると、その連綿たる音曲性が、聞く耳が十分に育っていない(多くは聞く耳を持っていない)観客を心地よい睡眠へと誘うことにもなってしまうから、よほどの覚悟が必要とされる。かといって、無理にドラマ性を詰め込もうとしても、鴻池幸武(文楽批評家として唯一三味線を聞き分けられた人)が言うように、「風物」と称する特殊な曲は、音楽的旋律を以て曲を進行さす事を主として居り、従って拵らえ設けたりして露骨な劇的表現がある程度制限される、のである。それならば、まだ文楽系で行く方が「文楽公演」としては無難である。
  さて、今回は清介の三味線で咲甫が勤める。このコンビは言うまでもなく「にほんごであそぼ」での斬新な取り組みが高く評価されており、すなわち息の合った床と言うことができる。三味線の系譜は道八から団平、また清六からも大隅すなわち団平へと連なるし、太夫は咲―綱―古靱すなわち清六―大隅―団平であるから、期待に違わず彦六系での奏演となった。ただし、太夫の実力を鑑み、錦祥女を勘十郎が遣うということもあろうか、「大和風」の鮮やかな押し出しよりも、ドラマ性で観客を惹きつける形を取り、印象として控えめな曲作りとなっていた。二度目聞いた時はマクラからしてあっさりと語り進むようになっていた。それでも、「一官小声になり」など、近松作の特徴である、色ドメを使わず詞に続ける節付も正しく認識し、フシ落の手数、段切で全音上がってからの魅力など、穴も隙も無い実力者の奏演を耳にすることが出来た(太夫の音遣いは上滑りで不十分な箇所も多いが、朱塗りの見台は見せかけではなかった)。総括すると、録音したCDの発売ではなく、録画したDVDなら購入してみたいと思わせるというところであろうか。おそらく、これを寛治師や清治師の如くに進めていれば、客席は置いてきぼりを喰らったであろうから、結果としてこれでよかったのである。

「甘輝館」
  小音で出座もままならなかった政太夫が起死回生の一段。錦祥女の件など若太夫なら、なぜこんな地味に低くうねうねと語るのか、自分ならヒロインに相応しい華やかさを与えるものをと苦笑したかも知れない。しかしもちろん、それはこちら側の局部的で勝手な想像であって、若太夫も、マクラからの近松の詞章を見て、唸らざるを得なかったであろう。「遥かなる」という横の距離感は、地の底から呻き上がるような縦の距離感として感じられ、「夢も通はぬ唐土に、通へば通ふ親子の縁、恩愛の綱結び合ひ、結ぶあまりのしばり縄」と続く近松の詞章には脱帽するしかなく、それと政太夫の語りがピタリ合うのだから、このコンビが如何に最強であったかがよくわかる。浄瑠璃義太夫節、とりわけ西風は二の音が開いていなければどうにもならず、全き音遣いもさることながら、顎の遣い方も急所となるのである。冒頭部だけでも、これだけのことを書かざるを得ない作である。
  さて、富助の導きによる千歳の語りは昨年二月の東京に続いてのもので、良く心して勤めた。とりわけ印象に残ったのは、これも引き続いて婆の表現で、甘輝を非難する詞の足取り、間、変化を良く語ってしかも情が乗り、その結果として唐猫の件がよく効き、クドキで最高潮に達し、「今ここで死なせては、日本の継母が三千里隔てたる、唐土の継子を憎んで見殺しに殺せしと、わが身の恥ばかりかはあまねく口々に日本人は邪慳なりと、国の名を引き出すはわが日の本の恥ぞかし、唐を照らす日影も日本を照らす日影も、光に二つはなけれども、日の本とは日の始め仁義五常情あり、慈悲もつぱらの神国に生を受けたこの母が、娘殺すを見物し、そも生きてゐられうか、願はくはこの縄が日本の神々の注連縄と顕はれ、我を今絞め殺しかばねは異国にさらすとも、魂は日本に導き給へ」に溢れた衷心衷情に、客席に居る者として涙を保ちながら姿勢を正して聴き入るより外はなかった。ほんとうの日本魂がここにある。
  ちなみに、昨今の浅薄かつどす黒い意図に穢れ、民の屍を累々と晒して一身は金と誉に塗れんとする輩の吐き出す腐臭により、知性も感性も奪い取られ五感を喪失させられた上で、永遠に0として犬死にに終わる、大安売りの愛国心とやらなどとは全く別物である。
  これらが伝わっただけでも成功であるが、それでもしかし、まだどっしりと安定した低音部には至らず、カカリ等で伸びやかに響く高音部とも行かない。横綱相撲が必要とされるこの場は、三役格の三賞独占ではどうにもならないのである。とはいえ、不足点の指摘は貶すためではない、次代が黄金期たらんことを願うためである。

「紅流しより獅子が城」
  文字久と藤蔵。ここのところ、太夫は切場の後半を任されることが多いが、これは本人の特性から考えて最も好ましい役場である。音遣いもようやく取得したかと思われるように、その語る浄瑠璃義太夫節(とりわけ地合)に対する違和感も減少して来たし、情も乗るようになってきた。マクラなどは師に似てきたかと思わせるところもある。堂々たる体躯から発せられる真っ向勝負正直な語りは、年齢からしても前途洋々たるものがあるはずなのだが。残念なことに、いつも薄皮一枚が張り付いているようで、歯がゆく辛気くさく満たされない。もちろん、面白いなどという感情は一度たりとも抱いたことはない。おそらく、どこか気後れして遠慮し縮んでしまっているところがあるのだろう。破裂、豪胆、鷹揚、そして狂気、そういった一言すれば思い切った大きさが欠けているのだ。いったい何を怖れているのだろう。浄瑠璃義太夫節の深遠さに恐れおののいているというのなら、噴飯物だ。そんなことは、功成り名遂げて後に気付くものだ。中堅・若手に深遠など解るものか。また、解ろうとしてはならない。下手な評論家ではないのだから。そして、太夫は今回もまた前車の轍を踏んでいた、初回聞いた時は。
  ところが、二度目聞いた時に初めて、文字通り初めて「出来た!」と思った。薄皮はついにめくれ上がったのだ。そして、面白いという肝心要の感情が遂に沸き上がってきた。浄瑠璃義太夫節の魅力のために思わずニヤニヤしてしまうということが、文字久の語りを聴いている時に起こるとは。もうあり得ないことだと諦めてもいたものを。成功した理由は、錦祥女と婆の情がまず描かれていたことを前提として、和藤内が見事に爆発したことと、ノリ間と足取りがこの後半東風に相応しいものになったこと、にあろう。もう一つ、甘輝の笑いの「ハハ」は良しとして「ヘヘ」の間抜けさがきちんと直っていたことも大きい。こうなると、本より腕が強く幅のある華やかな音の三味線、藤蔵の力が一層遺憾なく発揮され、成功裏に追い出しとなったのである。さあさあと次が楽しみになるのは当然で、付け物の切場で「弁慶上使」などどうであろうかなど、妄想を逞しくして愉快にもなる。方向としては、故津大夫の得意とした語り物にどんどん挑戦させるべきと思う。次代の切場において、四段目は呂勢、三段目切場のうち「風」がやかましいものは千歳、でよいのだから。三頭政治が行われるようになれば、それこそあの三巨頭時代にも類することができる日も来よう。次代の太夫陣に三方から光が当たり、死角がなくなる時がようやく訪れようとしているのかもしれない。
  第二部の人形陣について総括する。
甘輝の玉男は、カシラが文七ではなく検非違使であると心得ている。勇将ではなく知将。動かずに性根が滲み出るようになるまであと一歩。錦祥女の勘十カ、切場よりも「楼門」での感情吐露の方が印象的。秘めたる心はあまり得意ではなさそうだ。和藤内、前半の玉志は何も考えず大きく強く遣ったのが正解。後半の幸助はいささか理が勝っているように感じた。ゆえに、「楼門」以前は幸助、以後は玉志の方を買う。婆は勘寿で、切場の中心的人物となった。とりわけ、「日本」という語に相応しく、観客の襟を正させるものがあった。老一官の玉輝はよく映り、鬼一カシラの厳しさよりも慈愛が表に出たのが、「楼門」成功の一翼を担った。以下は順に遡って特徴的であった点のみ記す。安大人の紋吉は芦辺でのやられ方が良い。小むつの一輔は別れの悲哀を見せた。皇女の文昇は明国没落の悲劇を背負っていた。後は黒衣だが、柳哥君は後半になって「和漢女の手本」と詞章にある働きぶりに見えた。李蹈天は面従腹背だが、左眼を刳り抜いての偽忠義は見事で皇帝ならずとも騙される。皇帝は大序では検非違使カシラの格も立派で十分だが、序切の花軍と逆鱗は堅すぎて亡国の帝とは思われなかった。呉三桂は文七カシラであるし初段の立役なのだが、前半は控え目に過ぎたものの後半は諌言も冴えて強さも出た。梅勒王は与勘平カシラの曲者ぶりが描出できていた。
  以上、簡潔に過ぎるかもしれないが、やはり近松の作はその文学性芸術性の高さから、詞章を語り活かし弾き活かせるかに掛かっており、どうしても床の成否に神経が集中する。しかも、次代を占う中堅太夫陣が勤めるとあっては、一層の注意力を傾ける必要があった。つまり、人形陣に詳細な批評が書けるようになったとき、太夫には安心して身を任せられるようになったということになる。その時が一刻も早く来ることを願うばかりである。