【一寸聞所】「油店」(『染模様妹背門松』)−南座京都公演第一部− ○端場(番頭善六と女中りんとのチャリは受けるはずだから省略)  ・お染の詞「『この染込みの松に蔦、取付いていつまでもなんの離れう、離りゃせぬ、        疑ひ深い縫込みを、ほどいてほしい』と目遣ひも」で恋心を響かせられるか。  ・そして「知らぬが仏女子ども」の変化の妙。  ・久松の詞「『お染様。質店から見てゐれば、善六殿となにやらぢゃらくら。         アアお楽しみでござりますな』」と色男が拗ねてみせる、性根の描写は如何。  ・そしてお染のクドキ、   「おぼこなやうでもいま時の娘ははやい仕覚なり」と結んだ詞章を活かすことができたか。  ◎切場(番頭善六と質屋源右衛門とのチャリ、必ずやどっと来るであろうから省略)  ・山家屋清兵衛の男気、格好を付け過ぎキザになってはならぬところが難しい。   「すかさず清兵衛立ちかかり、腕もぎ放して衣かづき、まっさかさまに投付れば、    『ヤコリャどうする』と駈寄る善六、眉間を丁ど煙管の火皿、    煙草すぱすぱ、騒がぬ山家屋」が文字通り、バタつかず、颯爽と、勿体ぶらず描けるかどうか。   「…ガそりゃここではせぬ、するところで、ヘヘンして見せるて」、    この「ヘヘン」が嫌みにならず、軽々しからず、得意にもならず、大人のヘヘンに聞こえれば。   「はたと表を締めくくり」はもちろん男清兵衛一幕の締めくくりでもある大事のところ。    ・善六などもむしろ「おれが頭へコレちよいのせぢや」でワーワーと来れば大したもの。   何せここが「ちょいのせ善六」と命名される肝心な場所なのだから。   「『…ハア面妖な面妖な』とうろうろ眼」などもそうだが、三業の技と息がぴったり来れば、    実にたまらないところだ。(公演記録映画会での綱大夫・弥七・勘十郎がそうだった)  ・そういう意味では、   「『…ヤ合ふては損恥あっちこち』しんどが利兵衛小道具屋、後をも見ずして立帰る」など、   端役の退場だが、床が巧みに奏すれば手が鳴るかも知れないところとなる。  ・…と書いてきたが、この一段で最も重要なのは、母おかつ=お家さんである。   倅多三郎の体たらく、娘お染の婚礼も内情は承知の上、そして番頭はあの通り。   「オオ聟殿」の出から「そんならばはつたりと玉子酒」の捌き、風格と品格と大きさもあり。   そして善六への対し方と源右衛門への対応。   「イヤソリヤ証拠にはなりますまい」以下、「そんなで行くのぢやござんせぬ」と、   「旦那殿の留守のうちは、質店油店を預かる私」の堂々たる強さ、もちろん女としての。   それが、「オオめつさうな、コリヤまた派手なアイヤ派手な娘が」云々の驚きと機転。   そして、やっさもっさが終わった後、倅多三郎への一言、   「『…世間の手前もあり、勘当じゃ、出て行きおれ』と睨むまぶたに不憫の涙」   これが極まれば、もはや切語りの床に座頭の舞台である。  ・それを最後はもちろんチャリで追い出す。   大笑いに笑って劇場を後にし、ふとその表面の笑いが去っても、   その奥に厚みのある深い感動が存在していることに気付くことができれば、   この「油店」一段、床と手摺とそして観客による最高の舞台が現出していたのである。