人形浄瑠璃文楽 令和二年一月公演(初日所見) 

第一部

「七福神宝の入舩」
  初春公演ではあるが襲名披露興行でもあるから、ローテーションというよりもそのために取り出したものとして評価しよう。とりわけ人形陣が明るく華やかに目出度く遣ってその意を強くした。七福神それぞれの性根を踏まえた遣い方が中堅若手それぞれの個性と相俟っており、配役の妙とも言える。ただそうなると、出遣いであることが逆にわざとらしさを強調することになり、黒衣に徹すべきであった。第一、初夢に見る福の神が人間に操られていたのでは縁起も何もあったものではない。人形を遣う人間の顔が邪魔である、これは当然のことであって、それは文楽を知らない素人の発言だなどとと蔑む、そのことの方が賤しい。至芸である場合(必然的に座頭格が登場する切場になる)に限って出遣いにするという、本来の形に戻すべきである。床も同断、端場はことごとく御簾内にすべきだ。三業のスター化は行き着くところ文楽が歌舞伎の風下に立つ以外の何物でもなく(すでにそうなっているという古典芸能全般愛好者の認識は措くとして)、人間が操る人形は生身の人間に勝ることはできないのである。
  しかし、黒衣にしたとて操っていることに変わりはないではないか、今度はそう言われることになる。だが、こう言う人は着ぐるみから人間の顔が覗いていたり、アニメ画面の左下に担当声優の顔が出ていたりしていても何の違和感も抱かないことになる。そんな馬鹿げたことはあるまい。「中の人などいない!」これはメタ構造を理解した上での発言であって、戦隊物アトラクションを楽しむ際に中の人云々など端から念頭にはない。つまり、黒衣であるのはメタ構造を排除するためであり、人形そのものが人間の象徴、すなわち浄瑠璃世界は人間世界を純化したものであると示しているのである。そればかりではない。黒衣によってこそ人形浄瑠璃は歌舞伎を凌駕する(両者が同一の土俵上にあるとするなら)ことが可能になるのである。人間世界が限定的であることなど今さら声を大にして言うことでもない。自然あるいは宇宙もしくは来世、明確な外的存在を持ち出したくないならば、運命や宿命もしくは因縁でもよいし、現代人にとって科学的であることを好むならばそれは遺伝子となろう。あるいは、人間世界そのもので言うならば、個人(あるいは小集団)という小歯車が大歯車に噛み合わされ巻き込まれてしまう例(これは新年早々から実体験することになるかもしれないが)。すなわち、人間は何者(これは神を人格的にとらえた場合)・何物かによって操られている存在なのである。それは文字通り人形に他ならない。しかも操る存在は意識されない。要するに、人形浄瑠璃こそが人間そのものを描いているのである。太夫の語り、とりわけマクラと段切にある鳥瞰的視点もまたそれを明確化する(歌舞伎がこの部分を省略するに至ったのは当然である。逆に言うと浄瑠璃義太夫節がそこを疎かにするのは自殺行為に他ならない。その意味からも、五段構成ならば大序と大団円を省いた形での上演は本質を見落としているのであるが、やむを得ない場合は節章付き浄瑠璃本で脳内補完しておくべきである)。
  さて、この狂言が曲廻しと言われる以上、人形抜きで楽しむことができるはずである。寿老人(玉志)の琴(清公)、大黒天(勘市)の胡弓と福禄寿(紋秀)の曲弾き(友之助)、恵比寿(簑紫カ)の竿音(清馗)、弁財天(紋臣)の琵琶はシンの清友、大事の二枚目は清志カが押さえ、良い出来であった。布袋(清五郎)の腹鼓(清丈)に関しては叩いているということで三味線の皮が腹の皮ということになるのだが、聞いていて今ひとつ腹鼓には聞こえなかった。ただ、この人の芸風は叩くところにはないと思われる。太夫陣については特筆することもない狂言であるが、三輪は精一杯で芳穂は浄瑠璃義太夫節シャワーがまだまだ浴び足りないと記しておく。最後に一点、毘沙門(亀次)の扱いについてである。「嗜む芸はあるまじと望まれぬも尤もなり。イデヤ一曲耳に触れ船のねむりを覚まさん」とある詞章、仲間外れにされ立腹し無理に三味線を弾くということで、その音色が聞いていられないと他の神々が耳を塞いだり止めにかかるという遣い方、客席からも笑いが起こっていた。しかしながら、続く詞章に「芸の調べや七つの替はり音、替へて秘曲を弾き分くる、実に福神の音曲の数を並べて積み上げし、浪乗船の音の良き」とあり、プログラムの解説にも「三味線の腕を披露する」とある通り。ここはまさしく毘沙門の言葉通りに、他の福神はその音色に耳目を覚まされる=驚嘆するのでなければならない。すなわち、若手中堅の人形陣はまたしても本読みがなっていなかったということになる(そこに誰一人気づかなかった―あるいは気づいていても注意指摘できなかった―点も問題ではある)。もちろん、段切ゆえに毘沙門の船歌をじっくり聞かせるわけではないから、笑いで落とす方がわかりやすいのは確かなのだが、何でも笑わせれば(ウケれば)よいというのは、twitterがバカッターと呼ばれる所以でもあるから、今回の七福神を枕の下に敷こうとは思わないのである。なお、恵比寿と寿老人の趣向は正月であり襲名披露もあるから良とする。

『傾城反魂香』
「土佐将監閑居」
  改作とはいえ近松原作をよく留めていることもあって難物である。いわゆる典型的な節付が完成する以前の曲の様相を呈しているのだ。
  口、ソナエが済んで「こゝに獣君の〜」と語り出されるや、思わず床を見やってしまった。その語り口が何とも不自然なものだったからである。これも、前述の難物ゆえと思うが、ここまでのものは前代未聞であるから、襲名披露の端場として緊張していたのかもしれない。「近郷の土民声々に」からは普通に進み、気がつけば盆が回っていた。短い端場であるから、鑑賞ガイドの言う「画力による奇跡を認める本作の価値観」が伝わればよいと考えると、希・団吾は及第点と言うことになろう。とはいえ、将監の威厳や修理之介の俊英、そして何よりもツメ百姓の面白さが(客席から笑いは起きていたが、字幕の詞章本文内容からではなくその語り口で)浮かび上がってもよいと思うのだが。
  続いて床での襲名披露口上を呂太夫が勤める。同期ということで、親近感のある微笑ましいものであった。これはこれでよく、客席にも和やかな雰囲気が醸し出され、観客全員が襲名を心から祝えるものとなった。それにつけても、かつて某三味線弾きの襲名披露初日の中央座席二列ほどがずらり空席だったことが思い出される。善悪両方の意味で。
  奥、ヲクリが済んでハルフシ、ではなく詞(主役の登場を示す)から始まるという難物。「こゝに土佐の末弟」で団平が撥を下ろしてくれぬ大隅の苦しみがよくわかる。こういう話を神話としてしか受け取れないのは、浄瑠璃義太夫節がわかっていないことを暴露しているようなものである。今回この場を勤める津駒改め錣と宗助にツレ寛太郎は、故寛治師(伊達太夫襲名披露狂言で当代最高の吃又を聞かせた)縁の人物として余人を以て替え難い。それは、寛治師没後の三味線が宗助で、津駒とこれまた難物の大和風「葛の葉子別れ」をよく勤めたことによっても示されている。この両者に共通しているのは、大和風とその弟子筋の河内風が残る難曲であるということであり、ともに人情話へ堕しては話にならない(お話にはなっても)のである。床はそれをよく心得ており、「殊勝なる」までの足取りと間によって明確に示されていた。このマクラの詞章を読み典型的な旋律での節付を想像してみるとよくわかる。そして、「膝とも談合」からの詞。又平の文字通り必死の思いが悲哀とともに伝わり、一段の核を形成することに成功した。とはいえ、課題は多い。出立の舞に喜びと華やかさが不足(これは段切にも言える)、将監の存在感が軽い(この人物の一言に人間一人の命が掛かっているのだ)。楽日までは半月以上もある。肝心要の風は心得ていたのだから後は練り上げに期待する。手本はもちろん津寛治の名演である(端場は伊達路団六)。
  人形陣。又平を勘十郎が遣い、初日不足であった床を補完する。おとくは清十郎で夫を立てる貞女を好演。ただ、冒頭の「婦」唱「夫」随に見えてよいまでの働きには、床ともども今ひとつ至らなかった。夫婦愛の造形も同断。将監の玉也と奥方の文昇は床相応に見えたが致し方なかろう。修理之介の玉勢は若男カシラが映っていた。雅楽之介の一輔は源太カシラの注進なのだがニンではなかった。

『廓文章』
「吉田屋」
  口、初春公演である。時季を得ている。餅つきといい大神楽といい、かつて新年を迎える師走の町がどのようであったか、文化史的にまず価値がある。西鶴の例の草子も思い合わされる。とりもなおさず、人形陣はここぞとばかりの大騒ぎで、観客には大受けするしで楽しい人形劇であった。これが現代日本ならTwitterに投稿するかいっそのことYouTubeに動画を挙げて笑いをとり、いいねの嵐という段取り。とはいえ、この餅は「恵方棚、神の棚、鏡餅」に供えられるのだから、この悪ノリは即刻クビになるレベルのはず。まあしかし、こんなことを書いているからSNSもしないガラケー使いなのだと冷笑されるのだろう。一方で、いとこい漫才を楽しんでいた時代にはこんな遣い方など考えられなかったのも事実である。現代日本の金満飽食が極楽浄土か末法濁世か、ひょっとすると目前にそれと知れる事態が訪れるかも知れない。床は睦と勝平。太夫はこの端場としては特段言うこともない。三味線も同断だが、鶯の鳴き声がちゃんと聞こえる技量の持ち主であることは記しておく。
  切、掛合。咲太夫の伊左衛門、「鼻に扇の横柄なり」で人物正体が決まってしまうから大したものである。人間国宝の芸はこういうところに明らかである。以下、弟子たちが勢揃いして朱塗りの見台が四つ並ぶのも目出度い。これだけで人間国宝の重責「伝承者の育成」を十分果たしていると言える。筆頭弟子はもちろん織で、夕霧を勤める。病み上がりだが傾城太夫の品格を失わずしかし恋故に胸塞がる女、この複雑な性根を語り聞かせたのは流石である。ただ、夕霧文章の件は、人形の所作の背景にある心情の地合的描写(髪結いなどの場面でよく用いられる)のように感じられ、これが夕霧自身による長いクドキであるという側面が弱かったように感じられた。裏を返せば、この間の夕霧と伊左衛門の人形に引きつけられていたということと、節付の妙を辿る美しい浄瑠璃に魅了されていたということでもあり、決してマイナスではないのだが、この上に夕霧へ涙するところまで観客を持って行ければということである。それもしかし時間の問題で、十代目を襲名する頃にはそこへ到達しているのであろう。藤が喜左衛門を語るので掛合が引き締まった。いわゆる狂言廻しという役で、もし彼が人面獣心で金に汚い揚屋の主人なら、金に詰まった伊左衛門など実家から勘当される前に厄介者払いされていたに違いない。大黒屋惣六とはタイプは違うものの、ともに人格者である。この善意の塊(もちろん揚屋という商売を円滑にするためという面も結果的には生じるが)が藤にピッタリであった。おきさは南都だが、何度も言うように男を語らせる方がよい。「合邦」の端場、あの語りが常態化してくれればと思う。咲寿はとにかくこの床に並んだことを良としたい。三味線の燕三は大したもので、掛合となって一層難しくなったこの一段をよく弾いた。記録して聞き返すに足る奏演であった。
  人形陣。脇役ながら第一は喜左衛門の勘寿で、「羽織をふわと打ちかくれば」以下の伊左衛門との所作が抜群で、喜左衛門の人格性根そのまま。もちろんそれは伊左衛門の玉男の芸があったればこそでもある。その玉男、どうしても先代と比較してしまうが、優男色男の具合が今ひとつというか、先代の場合はその出と詞章から“傾城狂いで身を持ち崩したダメ男”などとはこれっぽっちも思う隙間もない立ち姿であったので、それと比べて物足りないということである。拗ね回るところも、しょうもない男ではなくて男の仕方のないところであるがゆえにまた惹かれてしまうと感じられたのが先代だったのである。名人の二代目は酷なものであるが、当代の芸も一流であることに違いはない。和生師の夕霧はあくまで伊左衛門に寄り添う形で、かつ切々たる心情も伝わり、こうでなくてはならないというお手本のようなもの。ただやはり夕霧文章の件は織の語り同様の印象を持たざるを得なかった。簑助師のおきさについては場が引き締まるとのみ述べておく。面白い人形劇を提供してくれた若手にはまとめて、よい時代に人形遣いになったと言えるかは十年後を待つべしとの言葉を贈る。何はともあれ、正月しかも襲名披露の第一部追い出し付け物として目出度く成功裏に終わったと評してよい出来であった。

第二部

『加賀見山旧錦絵』
  昨年の三分割忠臣蔵に続いて女忠臣蔵を見せるのだと説明しているが、かつてはこういう建て方は忌避されていた。べったりなやり方が親切そのものになった時代に、不即不離を絶対条件とする浄瑠璃義太夫節がどう聞こえているのか。やはり人形劇に「情」を伝える丁寧な語りなのだろう。

「草履打」
  発端、掛合にしてある(というより近年は掛合の場として定着してしまった)から、わかりやすく筋書きが頭に入ればよいというものであるが、小説でも戯曲でもなく「音曲の司」である浄瑠璃義太夫節であるから、耳によって状況や心情を把握しなければならない。そのとき、三味線の役割がいかに重要か。とりわけここを清治師が弾いているということによって、それが際立つ。理屈ではなく、一段を聞いていると、三味線が心象風景と情景描写を細部にわたるまで弾いていることがよくわかる。となると、人形はむしろ邪魔になってくるのであるが、それどころか相乗効果で人物の心の襞が鮮やかに描き出されたのである。和生師の遣う尾上、何をおいてもまずその目遣いが超絶的であった。それは単にまぶたが下りるカシラの仕掛けのことではない。カシラの傾け方横への振り方という微妙かつ絶妙な具合によってもたらされるものである。この場の尾上は岩藤のいじめに耐えているのであるが、その間中俯いてまぶたを閉じるだけでは、心情は伝わってこない。まあ、辛いな苦しいなそして悲しいな程度である。ところが、和生師の尾上のカシラとりわけ目遣い(といっても目自体は動かないカシラである)に自然と引きつけられると、岩藤の詞それぞれに対する尾上の心理の様々な動きが見て取れたのである。これを至芸と言わずして何となろうか。じっと動かない人形を持つのが一番難しいと言われるが、それは人形の重みをどこにも逸らせず堪え続けなければならないというレベルの話ではなく、その動かない人形、人間の役者でも困難だがましてや文字通り木偶の坊になりかねないところに、(話は進行しているのだからそれに応じた)心中の思いがにじみ出なければならないということである。ちなみに、人形の表情がカシラとして動かないのはポーカーフェイスではない。ポーカーフェイスとはその時その場で刻々と動いているのが当たり前の心を顔面から推察されないよう敢えて動かない表情を作っているのである。したがって、人形を遣う場合にもそのポーカーフェイスは必要であるが、それは決して楽屋で吊り下げられている状態や、あるいは未熟な人形遣いが胴串を握っただけのカシラを指すものではない。ちなみに、このポーカーフェイスは切場での尾上(対お初)に見て取ることができる。加えて、加害者側の岩藤の人形、玉男の力量も感心するものであった。岩藤は尾上を単に憎らしいからいじめているのではない(無論、その才色兼備や実家の裕福さへの嫉妬心も加わっているだろうが)。これは次段「廊下」の詞章から明らかなように、尾上を挑発させようという意図から出たものである。よって、岩藤もそのことを悟られてはならず、局役という権威を笠に着たところからのものと表面上は見えなければならない。もちろん、そこには性根=八汐カシラの憎々しさそのものが出てこよう。岩藤も単純ではない。煮ても焼いても食えないというのは岩藤も別の意味で該当するのである。なお、善六(文哉)については、それが当意即妙の応答であるのか、あらかじめ岩藤に言い含められてのものなのかについて、明瞭な答えをその遣い方から得ることはできなかったが、そこまで考える必要もない位置づけなのであろう。
  太夫についてが最後になってしまったか、この陣容からは致し方ないであろう。呂勢も休演であるし。その穴を埋めるのは靖だがよく語った。本役が「奥庭」で岩藤の造形を作り上げるのに苦労した成果が出ており、とりわけ、憎々しいが局役で長刀の心得もあり、一家中を一呑みにする企みの片棒を担ぐほどの大物感が描出できていたのが高評価される。尾上は芳穂で声柄からしても顔順からしてもピタリである。ただ、岩藤との対照および中老尾上を意識しすぎたか、美しく気高いものではあったが作られた余所余所しさがないわけでもなかった。ここらは年功勝負というところであろう。将来は四段目語りとして大成してもらわなければならない逸材である。さらにさらに浄瑠璃義太夫節のシャワーを浴び続けて血肉化し、只管修行の日々を送ってもらいたい。善六を小住、良し。これまた若手太夫筆頭の成長期待株である。亘と碩もよい。ちゃんと浄瑠璃義太夫節に聞こえている。これが若手にとってどれほどの褒詞であるかはわかるだろう。次も楽しみ。

「廊下」
  地味な場であるが、本作が時代物のお家騒動という大きな背景を持つことが明らかとなる。それが弾正の登場であり、岩藤のそこへの絡みである。これを、藤が団七の三味線で大きく語って万全。これで、尾上の自死も単に恥辱故ではなく巨悪を暴くための自決となるのだ。そして、切場と跡の浄瑠璃を完結させた。もちろん、腰元の軽口から岩藤によるお初へのいじめも十分。先発でも抑えでもないが、このツナギなくては試合にならないというところである。とはいえ、やはり切場を語ってもらいたいというのが偽らざる本音である。弾正の玉輝はこういう役が自然に映るようになり、かつての作十郎の地位にいる。

「長局」
  本公演の建て方と配役から見て、この切場を勤める太夫が紋下格となる。とはいえ、本公演に切の字が一つもないのは已矣哉と慨嘆せざるを得ない。なぜこのような事態となったのか。力量が足りないのだから仕方がないと言えばそれまでなのだが、「伝承者の育成」という職責が果たされていなかったのではないかというところにも当然行き着くのである。令和となった今、あらためて平成という時代を総括してみる必要があるだろう。それはさておき、ここを語るのは千歳で三味線はもちろん富助である。「長局」とりわけその前半が難曲なのは、浄瑠璃義太夫節に共通することはもちろんだが、鑑賞ガイドにある通りである。加えて、個人的な経験として、途中脳内空白(睡魔の前の感覚凍結)にならず聞けたことがほとんどない。とはいえ、本公演で語るのは文字通りの切語り、紋下であるべき太夫であるから、語りに不足があるのが理由ではない。また逆に、この「長局」を騒々しく語るなどは即刻耳を塞ぐ結果となりあり得ない。そんな中、千歳の語りは前回九段目を聞いた印象からして、太夫がどこまでこのしんどさに堪えられるかにあった。マクラがよいのは流石であるとは九段目でも書いた。すると「直す草履も昨日の遺恨」が例の怒鳴って印象付けようとするギリギリのところで語り、ああまたしてもかと思った。以下、いつもの声の強弱(カセットテープに録音した音がテープの経年劣化で強弱が正弦波のようにうねうねするもの)が閾値に至ろうとするのだが、今回、それらがすべてこの太夫の個性であり、「長局」という浄瑠璃義太夫節にとって本質的ではないと思うに至った。それは、今回「長局」という浄瑠璃義太夫節が胸の奥にまでしみわたったからである。じわがくる、またヲクリまできてうーんと声にもうめきにもならない息を吐いてしまうという、ほとほと感じ入ったという状態に至ったのである。尾上とお初の探り合いの場面、ここはこれまでどの床であっても面白く(浄瑠璃ネタで笑いが来るなどということでは毛頭ない)聞ける。問題は、尾上とお初がそれぞれ一人になるところである。まず、書き置きの件が厄介である。詞章と節付に抒情味はあるが、それに乗って語るだけでは尾上が書き置きをする所作のBGMになってしまう。また、感傷に流れては尾上の性根が弱々しいものとなる。かつ、詞章はその尾上を客観的に描写しているから、ただ語り進めたのでは上滑りに留まる。それを、和生師が遣う尾上の絶妙な所作と、チン一撥が胸裡にまで響きわたる富助の三味線とともに、尾上の心情はかくやあらんと思わせる納得の語りで、観客をぐっと引きつけて離さなかったのである。続くお初の独白は詞となっているから直接心情を語り聞かせることができるのでまだ何とかなりそうであるが、まず主尾上に心酔していることが底になければならない。これはしかし、この場で表現しても時既に遅しで、冒頭の詞でしっかりと描出されている必要があるが、それは勘十郎の遣う人形とともに確実に胸へと入っている。そしてお初の透明な衷心衷情、この透明というのは、主尾上が心配で気持ちが濁るとか行かなければならないが行きたくないと迷って磨りガラスのようになるのではなく(もちろん透明と言っても、主の忠犬であることによる金銭や出世あるいは後継などを狙う汚泥が底に沈殿したところの上澄みなどではない)、底に至るまで透明度の高い澄んだ湖面に波風が立って心に何も映らないすなわち理性的判断ができないという意味の、透明感が徹底していなければならないのである。それゆえに、「一心無我の」神頼みが観客にも突き刺さるのである。千歳の語るお初はその名の通り初々しく(濁世に穢れず)、その純情純真さはむしろ子供っぽいとまで聞こえるものだが、それがまた勘十郎の所作とその衣装の色柄ともマッチして自然と首肯されるものとなっていた。続く尾上の独白ははじめて泣いてもよいところで、かつ詞であるから観客の耳目にも入りやすい。隠す必要がなくなった一人の女人間尾上の心情が直接的に伝わるのである。とはいえ、性根を崩すほどの悲嘆は許されない。ここは、聞く者見る者の目にも涙を潤ませ(これはすでにお初の必死の祈りからすでにそうであったが)、最後のオトシは手が来てもよいのであった(初日に手が鳴らなかったのは、何度目かの名人芸を味わうというものではなかったのと、千歳の語りがやはりドラマチックな―行き過ぎるとオーバーアクションな―ところに焦点が置かれているものであるのと、浄瑠璃義太夫節を楽しむ文楽ファンが少なくなったことによるものであろう。要するに、拍手する余裕などなかったということである)。そして、最後に中老尾上としての立場に戻り、死を覚悟して正義のために身を捧げる「最後の晴れの仕度」、この詞章通りに見事な語りで、これでこそ中老尾上の性根は完結されたのであった。本公演が襲名披露興行であることのアナロジーとして、これは師匠越路の後継を確定せしめた狂言と記しておきたい。暖冬とはいえ年改まってさすがに寒さも身にしみ、今回は正月公演初日ゆえに振舞酒に杉の香をも楽しめるとはいえ、呂勢の休演もあってわざわざ下阪するに足るものを得られるのか、それを思うと家を出るのもためらわれたのであるが、やはり劇場に出向いて客席に座らなければこの感動は得られないのだとあらためて思い知らされた。三業三位一体の至芸はここにある。
  後、ここを織が藤蔵の三味線で勤めるのだから、期待感は前場以上であった。その前場がかくのごとく素晴らしいものとなり、後場のハードルも上がったのだが、勘十郎の人形が前場の抑制がとれて動くお初になったこともあり、この床の独壇場となった。乱暴にゴリ押しするのではなく解放感と躍動感に溢れた語り、しかしそれは「音曲の司」としての側面であって、そこにはその行動に向かわせるお初の真情が底に描かれており、だからこそ、「為成したり遅かつた」で観客は涙とともに感動の拍手を贈ることになったのである。もちろんこれは、前場や「草履打」「廊下」から描かれてきた浄瑠璃世界が確かなものであったからでもある。続くお初の詞には主観と客観、感情と理性の起伏があり、流す涙にも後悔、愁訴、無念とがそれぞれに溢れ出ており、お初の衷心衷情そのものであった。「夜もはや初夜を告げてゆく」から全一音上がるのだが、これが床はもちろん人形にも一段のギアチェンジとなり、客席を巻き込んでカタルシスへと向かう。お初の人形が武者震いをするのも実情そのもので、もはや観客は床の奏演による舞台に釘付け状態となり、人形浄瑠璃の醍醐味を存分に体感することができたのである。あとは大団円の跡が待っている。

「奥庭」
  跡は文字通り後始末であるが、それはストーリーの結末をつける(予定調和的な意味でも)ということであり、逆に言えば人形浄瑠璃として耳目を楽しませるように作られているということでもある。印象的かつ魅力的なカサヤのメリヤスを背景にした立ち回り(玉男と勘十郎の所作もよいし極まり型も見事)と、ダメ押しに巨悪の片鱗を見せる岩藤への仇討ち成就の満足感(お初が形見遺恨の草履で岩藤を打擲するところで手が鳴ることもしばしば)が用意されているのだ。最後の柝頭とともに照明が明るく華やかに舞台を輝かせると、客席全体が拍手の嵐で、これぞ大当たりの声が飛ぶにふさわしい幕切れとなったのである。庄司の玉佳もその役どころをよく心得ていた。勤める床は靖が錦糸に三味線を弾いてもらうのだが、難なく語り果せる。特筆するとすれば三味線で、三重に続くマクラでお初の所作を弾き分け、忍びと岩藤のやりとりではメリヤス風の絶妙さ。客としては靖の成長が待ち遠しく、早くこのコンビで切場が聞きたいと思うばかりである。

『明烏六花曙』
「山名屋」
  この建て方でこの追い出し付け物、スペシャルディナーコースならではのデザートを用意いたしましたということ以外の何物でもないはず。なるほど、南部・松之輔の録音を聞くとさもありなんと納得できるし、それこそ先代錣太夫なら、色模様よし、嗜虐美よし、チャリよしと三拍子揃い、新左衛門の妙音と相俟って、お客を大満足のうちに帰宅させたに違いない(ちなみに、劇場の展示室では錣・新左衛門のSPレコードから一部を聞かせるという好企画が実施されている、是非とも耳を傾けていただきたい。ただし、その選定された部分がチャリや入れ事の名手ということでか詞に偏しているのは今ひとつ。何よりもたっぷりとクドキで聞かせたからレコードも売れたわけで、ここは当「音曲の司」がその改良版として聴き所を選び直してお耳に入れたいと思う。しばしの猶予を乞う)。幕末の作、浄瑠璃義太夫節のいいとこ取りで節付してあるから(名作のパロディーに道具替わり三重まである)、先代錣のように何でも語れる芸巧者にはもってこいの狂言である。現に「山名屋」もレコードで売り出しているのだ。義太夫節ファンにとってはたまらない(逆にストーリー重視の人にとっては駄作となるだろう)。ここを呂・清介が勤める。確かにこの建て方なら余人はない。待ってましたと声も方々から掛かるし。それで聞いた結果はどうであったかというと、「山名屋」がどういう浄瑠璃かということはわかったし、各人物の性根も理解できた(印象的とか際立つというものではない)。しかし、これでは「山名屋」は今後長く上演されることがなくなるだろう。もちろん、こんなものを出すくらいならもっと上演すべき作品はいくらもあるというのが真っ当な意見であるし、呂・清介に勤めてもらいたい一段は他にあるのも事実なのであるが、錣太夫の六代目襲名披露公演でもあり、ここはそれこそ行儀が悪かろうと寸法をはみ出そうと、大いに観客を堪能させてもらわないと困るのである(筋書きも節付もそうするように出来ている)。要するに、この床はニンではなかったということになるが、これは現代日本の一般的観客にとって当作がニンではないということを意味してもいるのだろう。となれば、「山名屋」は永遠に封印するしかあるまい。これも時代の流れという奴である。幸い、錣・新左衛門のレコードは国立国会図書館の歴史的音源の一つとして収められているから、聞こうと思えば聞くことができる。それに耳を傾けながら、「文楽を聞きに(見にではなく)行く」と浄瑠璃義太夫節を聴く耳を持った人々が大勢いた時代を偲ぼうではないか。そのために、舞台をしっかり見て人形の動きを目に焼き付け、脳内で再生できるようにし、床のスタンダードな奏演を聞いて、一段の構成進行を記憶しておくべく、劇場の椅子に座る必要はあるのである。
  人形陣。南部・松之輔の録音を聞いて、髪結おたつは大事であるし良い役どころだと感じたのが、清十郎が遣ってその正しさを証明してもらう形となった。浦里は勘弥、今回の床ならピタリだが、何といっても遊女でありしかも「湯上がり姿そのままに」とわざわざ詞章が用意されている以上は、一目見て観客も時次郎同様に惹き付けられる色気があふれ出てほしい。床で損をしたのかもしれないが。時次郎は玉助、当作ではお家騒動絡み(これも浄瑠璃王道のパターン)であるからキリリとしたところがちゃんと出来ている。彦六の簑二郎と遣り手の簑一郎は、この語りだと人形が浮いてしまう印象になってしまったことに同情する。両者とも根は善人になってしまうから。とりわけ、この二人は浦里を含む三人で片恋慕の片憎悪という構図になっているから、おかやが浦里に対する際には女特有のどろどろとしたところが現れなければならない。亭主の文司、こちらはさすがにそれでも根っからの悪党なのだが、「さしもの勘兵衛呆れ果て苦りきって」のところの性根が不明である。これも損の類か。人形遣いの皆さんにはご苦労様でしたと労いの言葉を呈する。次は、パロディー元の演目でその実力を遺憾なく発揮されたい。