人形浄瑠璃文楽 令和三年一月公演(5日所見) 

 「新型コロナウィルス感染症対策、国立文楽劇場がこれ以上はないというほど徹底していることは昨秋公演で述べた。今回は、それに加えてそれ用の動画が制作されモニターで流されていた。織清介勘十郎のにほんごであそぼトリオ。国民の意識は緩みまくってしまったから、今は強制力を伴った北風方式か、何とか自分から再び強く意識化するよう働きかける太陽方式か―その場合は相当の熱量を持ったものでなければどうしようもないところへ来ている―、どちらかしかない。今回の試みは後者だが、ロビーの観客の多くが興味深くかつ面白そうに視聴していたから、発案企画そして制作者は賞賛されて然るべきである。ただ、劇場側と観客がいかに徹底した対策をとっても、市中感染が拡大すれば当然それに巻き込まれてしまうから、今回もまた真っ当で正直な文楽は割を食ってしまうのであろうか。とはいえ、今度ばかりはそうなれば国全体が終わるわけで、それこそ文楽滅べば国が滅ぶという言葉が真実であったと証明されることになろう。もちろん誰も望まない非常事態である。それにしても、昨年の同時期以来危惧していたことが次々と現実化するというのは、予知予言などではなく、客観的に予測してたどり着く当然の内容であったからだ。年末年始で感染者数が減ると思っていたなどとは、愚者でも蚤の頭でも言うはずのないことなのである。
 劇場側は、正月公演につきものの初日鏡開きと手拭い撒きを中止。大きな楽しみの一つであり、酒を頂戴した枡の持ち帰りも数を重ねているのだが、これはやむを得ないところである。と、入場するや手拭いの当選番号が掲示してあって引き替えをやっている。もちろん、撒き手拭いと同じで手にできるチャンスは稀れなのだが、手元の座席番号と照合するのが富籤気分になるから面白いものだ。当たらなくともこれだけで正月気分が醸成されるというもの。企画した担当者はよくわかっている。ちなみに、この手拭いのデザインがなかなかよいものだということは三年前にも書いたが、幸運にも当たった人は額に入れるなりして飾ってみてほしい。和室はもちろん洋間や廊下にもぴったりなのである。販売される年もあるようだから、購入してでも十二支すべてを集めたいとも思う。

第一部

『菅原伝授手習鑑』
「車曳」
 お楽しみの一段、立端場でも別格で床も掛合。これまでもずいぶん堪能させてもらった、とここまで書いて念のため公演記録を遡ってみると、前回は平成二十六年でその前は十八年ではないか。ではなぜそこまで身近に感じていたのか。それは、あの白黒映像―山城、綱、つばめ、津、十九に藤蔵そして文五郎、玉助、栄三、玉市、玉男―を何度も視聴していたからだった。クラシックファンが毎日オーディオセットを前に傾聴している、これはごく一般的なもの言いである。では、文楽ファンの場合はどうか。公演毎に複数回出かけるというところだろう。DVDやCDも多く市販されている現在、クラシックファンのような状態は違和感がないはずだが、戦前の義太夫節ファン(という言葉自体ナンセンスだが)ならいさ知らず現在そのようなファンなど存在しないというのが正直なところだろう。クラシックで言うと昨年はベートーヴェン生誕250年であった(新型コロナウィルス感染拡大のためイベントの多くが今年へ延期になっているが)。交響曲の9番と7番とでは聴く頻度が圧倒的に後者が高い。前者はいわば構えて(時空間的にも精神的にも)聴くが後者は気軽に聴ける。単に演奏時間の長短がその理由でないのは、2番を聴く頻度が7番に比して圧倒的に低いことからもわかる。そこにはまた、特定のオーケストラや指揮者で愛聴するという条件が付加されるから、どの演奏でもよいというわけではないのだ。さて、「車曳」である。魅力的で面白いのは言うまでも無いが、同じ録画映像を何度も視聴するというのは、演者が素晴らしいからに他ならない。今回の「車曳」もそれとの比較にならざるを得ない。「車曳」というだけでその床と手摺が耳に目に浮かび上がってくるからだ。比較はまず配役が発表された時から始まった。三味線の清友は切場も弾けるベテラン、太夫陣は松王の藤が声量声柄がピタリで、時平の津国もそれに準じる。杉王ならば碩も何ら心配はなかろう。もちろん、あの布陣と比較すると至らないのは言うまでもないが、それこそ初めからわかっていることで、今回問題になるのは楽しませてもらえるかどうかという点になる。結局、梅王の睦と桜丸の芳穂ということになるが、このところの出来からして前者の方が気に掛かる。さあ、劇場に入り着席して開幕、ソナエから始まるがここは梅王の持ち場。どっしりと力強くなかなかよく語る。心配は払拭されたようだ。最終的に、松王との比較でやや重すぎた感があって理知的な方向へ持って行きたかったのと、地で声が震えるのはいつも通り。とはいえ、音を外したり不自然な運びもなく、こうなると三段目切場語りとしての大成に期待がかかるというもの。桜丸は声柄としてよく映り若男のカシラを理解していた。あとは切腹に繋がる心情吐露が十分であればというところ。ちなみに、二人は兄弟弟子であるが、梅王桜丸兄弟の心の通い合いを描くまでには至らなかった。松王は「何と我が君のご威勢見たか」「よい兄弟を持つて両人共に幸せ者」などの自慢嫌み皮肉が物足りず真っ直ぐに過ぎた。時平と杉王は取り立てて瑕瑾なし。低音部の厚みに関しては後者がまだ若手駆け出しであるから今後を待つ。三味線はこの一段ならもっと派手に弾いてもとは思うがニンではなかろう。
 人形陣は、梅王の玉佳は型の極まり方などやや軽かったか。桜丸の簑紫郎は若男の柔和さをよく表現したものの悲憤沈潜が十分ではなく切腹の伏線には至らなかった。松王の玉志は辛抱立役よりも荒物遣いの方がよいのでこの場の松王はピタリ、ただし型の極まり方はまだ緩(ぬる)い。時平の玉輝はこの役が自然に遣えるまでの人になったが、権威権力という非物理的な内部の力で押し潰すには至らなかった(大きさは十分だがこれは物理的な外部に属するもの)。ただし、これは床との相関関係もある。杉王の玉翔は無難。いずれも、あの映像を観て自分との差がどこにあるか再確認していただきたいものである。

「茶筅酒」
  三味線の団七、津太夫寛治から薫陶を受けた実力が、味わいのあるものとなって観客の耳に届く。節付の妙がよく伝わり足取りや間の巧みさもよくわかる。メリヤスとその前後の弾き方でハッとさせられるなど空前絶後であった。そして何よりも、三味線が太夫をリードするとはどういうことかが如実に聞き取れた。流石である。その指導の下で語る三輪は、コトバのうまさは折紙付きで今回も十作などこの語り以外にはないと思わせるほどであった。白太夫もよいが厳しすぎる強すぎるような箇所もあって、これで「訴訟」になったらどう語るのだろうと思わざるを得なかった。桜丸の切腹を匂わせるところもやや曖昧に聞こえたが、もちろんあからさまであってはならないという心構えは確実である。三人の女房は語り分けなどもちろん出来ているが、地の語りが以前のままで応えないから印象的とまでには至らず。全体として、松香の退いた後をベテランとしてよく継承したと言える。

「喧嘩」
  小住と寛太郎。花形が勤める場に抜擢(相応しいとまではいかない)というところ。それもこれまでの実力からして納得ができる。が、今回は当方の耳が悪いのか、三味線の音がポコポコと軽く聞こえ(駒やサワリの問題か)、語りは冒頭の春と千代のコトバが平板で、眼目の兄弟喧嘩も手に汗握るようでもなく、スルスルと終わってしまった。こうなるとダブルキャストの亘と友之助の方も気になるのだが、自身の再来は困難なので観劇された方の評を俟つことにしたい。

「訴訟」
  ヲクリそしてマクラでがらりと雰囲気が変わって、ここから切場であるとわかる。自然と身を正さざるを得ない。三味線は錦糸なのであった。靖は依然として低音部が苦しいが、白太夫も梅王も松王も映ってそのまま芝居の中へ引き込まれる。「代官所の格で捌く」まさに観客も白洲の裁きに同席している気分となるから、身が引き締まるのも納得がいく。ということは、浄瑠璃の詞章と節付を十全に再現しているということだ。となれば、これは切場の前半を本役で勤めている床ということになる。そして八重のクドキ。節付からしても八重にスポットが当たるように作られているのは、次の悲劇を踏まえてのことである。ゆえに、このクドキが観客の胸に応えると切腹場もまたより響いてくるわけで、この点からも、この切場前半はこのまま後半段切まで語り通しても構わないレベルに到達していたことになる。もちろん、梅王と松王の願いと白太夫の対応が筋の中心ではあるが、これは四段目の伏線でありかつ三人の兄弟が決定的にバラバラになることを示すことにより、桜丸の切腹の伏線ともなっているのである。すなわち、この場は桜丸切腹の文字通り前場であり、極言すれば、「三人の兄弟諍い」から始まる八重のクドキがすべてであると言ってもよいのである。そこを確実につかまえている床であり、これぞ完璧という表現を用いても大げさではあるまい。もちろん、白太夫に梅王松王のコトバも聴く者を捉えて離さなかったからである。千代の地・フシも秀逸であった。

「桜丸切腹」
  プログラムの解説、分かっていないのに分かったようなことや下手なことなどを書かずに芸談の引用を以て代えたのは好ましい。その言にもあるようになるほど情一辺倒の一段である。その情はしかしながら人形浄瑠璃として表現される情だから、その構造において描出されなければならない。つまり、白太夫の述懐と続いて八重とのやりとりで涙を催させるというのなら歌舞伎でもいや朗読劇でもいいのだから、浄瑠璃義太夫節と人形の動きとしてどうかというと、至って地味な面白みのないと思われるところである。こう書くと、情の場に面白みがないとか地味とかいうのは間違っていると言われようが、その物言いこそが人形浄瑠璃をわかっていない発言なのである。バイブル『音曲口伝書』に載る播磨少掾が順四軒の「葛の葉」を「面白く聞こえて気の毒」と称した話も、情が面白さに負けてしまったということであって、面白いのがいけないということでは決してない。浄瑠璃が面白いのは娯楽(狂言綺語とするなら快楽)であるから当たり前のことである。さて、構造において描出されるとはどういうことかというと、もちろんそれは詞章そして節付から見えてくるものである。
  ここでは、地の文に桜丸とは書かれず、一カ所「舎人桜」と書かれている他はすべて「夫」と記されていることである(段切に「桜丸が魂魄は」とあるが、これは死者を固有名詞で特定した表現であるから当然のこと)。つまり、この一段は常に八重の視線で描かれている=八重が主体・シテであるということを意味している。一カ所「舎人桜」とあるのは父白太夫が腹切刀を乗せた三方を差し出す相手が、わが子桜丸ではなく親王の舎人である桜丸ということであり、舎人桜であるからこそここで腹を切らなければならないのである。なお、詞で桜丸と二カ所にあるのは親子間の話し言葉であるからそうなっている(倅と親との表現も同断)。舎人桜が死ななければならない理由は自身が淡々とそして切々と語るのであるが、八重にすれば最愛の夫が死ぬ以外のなにものでもないわけである。八重のクドキがいかに観客の胸に届きその底を響かせるか、これがすべてといってもよい。白太夫はもちろんそれらのことは承知であり覚悟の上であるが、その最期にはやはり親子の情愛が絡まらざるを得ない。そして、それぞれに印象的で哀切ゆえに美しいカカリの節付がある。最後には眼前に展開する小宇宙を大宇宙に包み込み時空間に位置づける段切(これについては、平成廿四年一月公演評を参照されたい。http://www.ongyoku.com/gekihyou/12shou.htm#菅原)のノリ間。ということは、白太夫が前に出て桜丸が続き八重が一番弱くなると、この浄瑠璃の真髄を掴み損ねているということになり、その逆こそが真に菅原三段目の切場を語り果せたということになるのである。三味線の富助と千歳、ここのところの持ち場からして実質的な紋下格切語りとその相三味線は、その意味で十全であり文句のないすばらしい出来であった。平成はもちろん昭和の後期であっても、ここを十分に堪能したあるいはここのために劇場に通ったという記憶がない(引退披露などの特別な意味ではなく)。ところが、今回菅原三段目切場がいかに素敵な一段であるかを耳目を通して胸の底で実感したのであった。それにしても、これだけ語って(三味線の力が偉大であることはもちろんであるが)切の字も付かず幼名のままというのは如何なものか。呂を一足早く千歳と呂勢を続いて切語りにすべきである。
  人形陣について。まず簑助師の桜丸である。「車曳」までに見せていたいかにも末っ子的(三つ子とはいえ)なものが、死を前にして「につこと笑ひ」と登場する至難さ。しかも「舎人桜」としての品格も必要である。そうでなければその死は無意味なものになってしまう。もちろんカシラは若男である。これらをひとつにしてその出からハッと納得させる至芸。八重は清十郎で、菅原三段目の実は主役であるという構造とそれを現出した床の奏演に相応しいものであった。見方によってはもっと心情が動作に溢れ出てもとの声もあろうが、「八重が配膳御所めけり」とあって至当な遣い方である。千代の簑二郎と春の清五郎はここだけでどうこう判断する出来ではなく(これは褒詞である)、通し狂言での「寺子屋」や「築地」での働きをみたいところである。白太夫は玉男、このカシラはユーモラスな面と頑固一徹な面と両方の表情を見せているから、老人のカシラの中でもなかなか厄介な代物である。それがよく映り自然に遣えるまでに至っている。年の功の域にも入ってきた証拠であろうか。十作は簑一郎だが、この人も何でも遣えるようになってきた。今回は床が上手かったから得をした感はあるが。

第二部

碁太平記白石噺』
「浅草雷門」
  口、奥が紋下格なので端場が設けてあるが、丸ごかしで聞かせてもらいたかったというのが正直なところである。とはいうものの、登場人物は奥と同じだから、実力測定の意味はある。その点から見ると、観九郎の小悪党ぶりがそのコトバに表されていた点はなかなかのもの。しかし、その他については奥と力量の差が甚だしく、続けて聞くと各人物の統一性を欠く結果となった。これは端場と切場の関係から常に起こりうることであるが、今回はとくにそう感じたのである。とはいえ、南都はあの合邦の端場を語れた太夫である。団吾は掛合を捌くなど確かな腕を持つ三味線である。となると、この一段は軽く見えて実は難物だということを表すことになり、紋下格が勤めるのも首肯できるわけである。そういえば、八世綱大夫にも名録音が残されているのであった。さて、今回はもう一つ毀誉褒貶を記さなければならない。それは、入れ事についてである。冒頭の手品はチャリ場ととらえてもよいから、今回新型コロナウィルス感染拡大について入れ事があったのは、それが真っ当な内容であったから(チャリ場に真っ当という表現はちぐはぐなものではない。チャリ場だからこそ悪ノリや巫山戯過ぎは避けなければならないのであり、真面目にチャリ場を勤めなければならないとは芸談にもよく取り上げられている。とはいえ、クソ真面目ではどうしようもないが)、その工夫は本来なら評価してよい。ところが、疫病退散の手品と言いながら、その実は前回同様人形を遣う勘市の持ちネタに他ならず、羊頭狗肉になってしまっていた。ここは素人考えでも、アマビエを出すとかマスクを出して自ら付けるとか、何とでもできそうなところである。床と手摺の打ち合わせが出来ていなかったのか、折角とった客席の笑いも尻切れトンボに終わってしまった。これなら御簾内でよかったのではと総括せざるを得ない。
  奥、惣六とおのぶはそのまま切場の造型へ繋がるもので、これだけでも紋下格の力量は明瞭である。とはいうものの、ここはどじょうと観九郎の掛合が眼目である。などと言う必要は無いほど、このチャリは手の内にある。考えてみると、難しいのは観九郎の造型である。口で悪党と造型されたが、おのぶの感謝に戸惑ったり、酔態の機嫌良さ、そしてどじょうに騙されるのは子と親への親愛の情が原因だから、これほど人間的な=人の良い男はない。つまり、単純に悪党に仕立てては済まないのである。この考察は詞章を読み込んだからではない。いつものようにその語りを聞いたからである。床の奏演によって紡ぎ出されたものである。それほどに、観九郎の造型がすぐれていたということになる(それゆえ、違和感を感じなかった手摺すなわち玉勢も賞賛に値しよう)。亭主は端役の最たるものだが亀次が遣うとベテランの味が出て存在感があったのが面白い。床については、もうこれ以上言を費やす必要は無いだろうという咲太夫と燕三であった。

「新吉原揚屋」
  呂・清介。今回といい「山名屋」といい、いわゆる美声家の役場を割り振られている。あるいは、「正清本城」など麓太夫という「古今無双と云はれた程の恐ろしい声の人」の風を受け持っている。清介はなるほど美麗で豊潤な三味線を奏でるが、呂はむしろ小音緻密という感じの太夫なのである。もちろん、芸談でも散々書かれているように、こういう場こそ情を描出するのが最重要なのであるが、そのことはもちろんこの浄瑠璃義太夫節の節付を完全に再現してからの話である。この再現というのは、指定された音へきちんと届かせるというごく初歩的なことのみを指すのではない(初歩的と書いたがこのことさえも出来ない太夫は少なくない)。届かせるということは、その音に節付されている効果(高音部の場合はクドキの絶頂部など印象的かつ魅力的に響くようになっている)を十二分に発揮できることを指す。この段ではその典型として宮城野のクドキ「続くは末の松山を袖に波越す涙なり」が上げられるが、「松山」の音に前述の意味で十全に届かせるのは簡単ではない。しかし、呂は清介のサポートもあってきっちりと届かせていたし、直前のおのぶの詞が素晴らしかったこともあり、情味も加わっていたのである。その宮城野は江戸で名高い花魁の風格が出ており、何と言っても惣六の詞が絶品で、こんこんと理を説きながら情愛が底にあって、聞く者の胸にストンと落ちるものであった。家では松大夫清六の奏演を愛聴しているのだが、時間が無い時などは惣六の詞の部分をカットし飛ばして聞くことも多い。それほどに冒頭の弾き出しから宮城野とおのぶの二人そして段切が絶品ということなのであるが、惣六については物足りないという証拠でもある。今回、その惣六の詞で参ってしまったのである。「異見上手な親方」とある詞章そのままで、自己の体験からすると空前絶後と称してもよい。ただ、足取りや間はもう少し畳んで詰めればよかったと思うが、これは現今の(昭和末期からとりわけ平成期に顕著であった)ストーリーと情を重視するあまり音楽性が二の次になるという本末転倒(前述の通りに情はその上に醸成されるものである)の常態化によるものでもあろうし、この床単独の責に帰すわけにもいかないものである。とはいえ、国立劇場開場当時からの公演記録を視聴すると(SPレコード音源のを聴くとより顕著となるが)、本来どうあらねばならないかはたちどころにわかるのであるから、早期の復旧(原点回帰)が望まれるところである。以上、どのような切場も勤められることを意味する呂清介は正真正銘の第一人者である。とはいえ、松や土佐あるいは南部に聴いたような陶酔や官能にまでは至らず、これはニンではないから致し方ないのであるが、やはりこういう一段には美声家の登場を首を長くして待つというのが本音である。三味線については、現陣容でこの一段を任せられるのは清介しかいないということで表現されるものであった。
  人形は、床との関係からまず惣六の玉也をあげたい。「頼もしげある亭主なり」の詞章を十二分に体現した。何かよい名を襲ってもらいたいものである。和生師の宮城野は花魁の貫禄があってしかも哀愁が伴い、妹思いがよく伝わる。惣六との探り合いには気合いも十分で、重要無形文化財保持者の名に恥じないものであった。おのぶは簑紫郎が文昇の代役を勤めるが、よく性根をわきまえていて本役としてよい出来であった。なお、今回悪ノリはしなかったが、宮城野の述懐時に新造がおのぶにちょっかいを出すのは目障りでしかない。こういうところが、故黛敏郎氏の言った「義太夫というものはもともとこの太夫と三味線の語りだけでできていたのに、その理解を妨…、あの、助けるために、この人形があとからついたということをよくうかがいますけれども、やはりその一番の中心になるのは、人形ではなく太夫さんだと思うんです。」のまさに「妨…」そのものなのであるのだから。

「道行初音旅」『義経千本桜』
  鶴沢清治文化功労者顕彰記念公演で、勤める場が道行というのをどう捉えるべきか。三味線のみの器楽曲をというわけにはいかないのは当然として、三味線は女房役であるから亭主である太夫の役場に従うということもある。清治師は事実上、呂勢を鍛え上げる相三味線としての立場であるから、呂勢がまだ病み上がりであることを考えると、道行でも王者の千本道行が選定されたのは首肯できるところである。清治師の道行は予想通り清冽なものでかつすべての三味線がよく揃っている(これには二枚目清志郎の働きも大きい)。三味線はもちろん太夫も選りすぐりのベストメンバーで、これならばまさしく顕彰記念に相応しい。その太夫だが、三味線がこう鋭いにも関わらず伸びやかであるのに驚いた。これでこそ、清治師がシンたる道行の理想型が現出したといえるのである。鋭角に切り込まれるとえてしてごつごつして無機質な語りになりがちなのであるが、両者は不即不離の関係であることをあらためて思い知らせてくれるものでもあった。静の呂勢は「波風荒く〜吉野にまします由」がきちんと届いているし、届いても細くキンキンとなる太夫が多い中で、豊かに大きく語れていたことが観客を極上の境地へと誘った。これは、録音音源として後世にまで伝えてよいもの、愛聴盤とすることができるものであった。そこには、忠信の織がまた素晴らしいということがある。プログラム解説の評言はこの忠信を捉えてのことであろう(もし道行全体を指してのことなら道行が何たるかをまるでわかっていないということになるから)。この人はなるほど流麗な地も語れるのだが、やはり本領は三段目切場を勤めて次次代の紋下格となるところにある。今回はこの両方がうまく合体したもので、こちらもまた忠信の見本となる語りであった。三味線の清志郎もピタリである。ツレ陣も三枚目の靖・清馗は単独で語り弾くところがあって力量は明白だが、それ以下も気合いがこもってすばらしい仕上がりであった。
  人形陣はそれに比するとやや落ちる。静の一輔は紅白幕が切って落とされた瞬間の立ち姿からして白拍子には見えない。以後も武家の娘という遣い方であった。もっとも、静は千本桜全体を通してのヒロインであるから、その分だけの重みがあるというのもわからないわけではないが、とりわけ清治師がシンの道行ではもう一つという感が強かった。一方の忠信は玉助で、その名の通りこれは家の芸でもあるところだが、未だ修行中なのは致し方あるまい。それでも、狐から忠信に変じて床下からせり上がる一連の動きは、心中のドキドキ(段取り通りにうまく行くだろうかという不安要素)が観客にも伝わってきて、個人的にはこちらまで見ていてハラハラせざるを得なかった。それもあって、扇のキャッチがうまく出来たときには普通以上に拍手をしてしまったが、これはご愛敬。別にこの二人が悪いというのではないが、顕彰記念ならば玉男と勘十郎が遣ってもよかったのではと思われたのである。ということで、DVD化されても買うには至らないがCD化されるなら買い求めるというのが今回の総評である。

第三部

『妹背山婦女庭訓』
「道行恋苧環」
  第二部から続けて劇場にいると、三大道行の比較ができて面白い。これはしかし劇場側が意図したものではないだろう。夜の部(今回は第三部)の客足を伸ばすべく、勘十郎に加えて道行を付ける配慮をしたということであろう。ましてやこのご時世である。実際に客席を見渡してみて、よく入っているとは言えないが惨憺たる有様を免れたのは、企画成功としてよいのではないか。さて、千本道行と比べると、背景からして暗く地味なのは物語の設定がそうなっているからやむを得ない。節付も二上りで始まるようにしてあるが、やはり華麗に仕上げるのは床と手摺次第である。こちらの三味線は藤蔵がシンで、重層的という印象である。綺麗に揃うよりもゆらぎをという感じだが、これはこの道行の趣にうまく合致している。太夫の方は、最初に語られるのが橘姫でお三輪でないところに注目すべきである。まず、上品かつ流麗に始められるというわけだ。かつ、分担する詞章の長さ及び節付からしても、橘姫がこの道行のシンだとして差し支えない(人形はやはりお三輪だが)。すなわち、美声家の出番ということになるが、芳穂が配してあるのはまさにそれを踏まえたものである。将来は四段目切場を勤めることが約束されているはずの太夫。三味線の勝平に比べるとまだ線が細い印象で(「はず」と書く所以)、まだ一層の声修行が必要である。男役の求馬は希、三味線は寛太郎。道行だからというのはわかるが、柔和かつ優美になぞったという感じで物足りなさが残る。お三輪は織で、道行二つというのも大変である。勢いと力があったのはこの場のお三輪にピッタリであったが、求馬にクドく官能美を感じさせる節付の箇所はもう一つであった。しかし、そこを含め藤蔵の三味線がうまくリードし、段切の足取りもよく出ていたし全体をうまくまとめ上げた。なお、三味線で気になったところがあった。冒頭二上りから本調子に直るところ、ツレが調子を探る絃がやけに耳障りに聞こえたのは、劇場の音響効果あるいは座席位置の具合だったのであろうか。もっとも加齢による耳鳴りのせいというのも捨てきれないが。

「鱶七上使」
  もはや持ち役といってよい藤の語りと三味線は清志郎である。ここは切場よりも長いし、中身も段名の通り鱶七が上使として入鹿と対峙するだけならよいのだが、その前後がまた長く、しかも節付がただものではないのである。マクラは入鹿の威光を語ればよいとして、「花に暮らし月に明かし」からの栄華の描写が締め括りに大三重の節付にしてあることからして、巨悪にも卑近にも落とせないし威勢を張れば済むものでもない。格が必要となるし荘重性(入鹿だから下手をすると噴飯物になりかねない)も要求されるだろう。そして、音が上がってからの官女たち、ただのチャリ場にすると節付が死んでしまう(宮中扱いである。この感覚が無いと切場でのお三輪への一件がただの陰湿ないじめに堕してしまう)。そこで、津大夫が団七の三味線で語ったライブ録音を聞いてみると、なるほどこれは難物(津だから聞けるという意味での難物)だとよくわかった。今回は、まず鱶七の処理が底に金輪五郎の性根があるという強さと大きさに加え漁師の卑俗さ(津は足取りといいもっと砕けている)。ゆえに、入鹿を責める詞が最上の出来となった。その入鹿は違和感なくこれでよいとしか言いようがない。もちろん、下手に語られると多言を費やすことになるから普通に語れば済むものではない。官女の件は面白く聞けてダレることがなく、これには三味線の功も大なるものがある。残るは前述の栄華だが、ここはやはり津の語りを聞くとまだ先があると感じた。とはいえ、「鱶七上使」という名の一段は見事勤め果せていて、次こそは切場一段、例えば「弁慶上使」などを聞かせてもらいたい。

「姫戻り」
  この段が出るたびに書いている気がするが、故呂大夫が団六(故寛治)の三味線で語っている録音が秀逸で、浄瑠璃義太夫節の四段目そして端場(とはいえ、本来はここから切場である)の魅力が堪能できるものとなっている。そして、浄瑠璃義太夫節の急所そのもの、すなわち、足取り、間、変化の妙とクドキの恍惚感がここで味わうことが出来るのである。ところが、近年は太夫陣の払底により、この一段は若手(花形には至らない)が勤める配役にならざるを得ず、不完全燃焼(よくて部分的ひどいと全部)のままで切場を迎えなければならないという事態が続いていた。今回は希と清丈で、ああやっぱりそうかと思いながら客席に座っていた(ただ、希はすばらしい出来の時が稀にあるのと清丈は三段目よりは四段目向きであるから、わずかな期待はあった)。と、ヲクリの三味線からなかなかよく、「入りにける」の華麗な節回しを三味線そして太夫が十分にできたから、これはと思って聞いていると、以下、盆が回るまでこの床で堪能させてもらった。前記のポイントが見事にクリアされていたのである。斜め前方のご婦人が、その三味線と語りに知らず知らず体が同期していたのと、橘姫のクドキでは床を見ながらうんうん首肯していたから、これは大成功と言えるのではないだろうか。もちろん、豊潤(芳醇)とかいうレベルに至るには先があるけれども、よく語りよく弾いたと満点を付けられる出来であった。将来への楽しみも出て来たことは言うまでもない。

「金殿」
  今回の公演の格から言うと、この切場を勤めるのは一方の旗手ということになる。いや、すでに切場(付け物を含む)ばかりを勤めるまでになった錣と宗助である。襲名は最適の時期に行われ、現在の文楽座を支える柱として屹立しているわけだ。錣が難声であるにもかかわらすこの地位に至ったのは、才能や努力という側面は措くとして、その語る浄瑠璃義太夫節がツボを押さえているからである。決して、文楽は情であって声ではないなどというステレオタイプでとらえてはならない。宗助も団治の頃に団六(故寛治)の厳しい指導を受けているから義太夫節の三味線が血肉化している。また、このコンビは「風」という難解至極なもの(にしてしまったのは武智鉄二の罪であるが)をよく理解しており、例えば「葛の葉子別れ」など大和風を心得ていたゆえに破綻無く聞けたのであった。そこには、足取り、間、変化という浄瑠璃義太夫節の急所をわきまえているということも大きい。さて、今回の役場は、前場の呂団六に続く津寛治の奏演があるから比較されることは覚悟の上だろう。三味線はそれに加えて前回団七が弾いた場ということもある。ヲクリが始まってみると前回との比較などまったく頭に上らなかった。眼前の手摺と床に引き込まれたということになる。そんなことは当然だと思われるかもしれないが、名人上手を数々見聞きして覚えるまでになっている人間にすれば、眼前に違和感があればたちまちにその理想郷が姿を現してくるのであり、だからこそ、毎公演の劇場通いはまず尻込みから始まるのである。わざわざ時間と金を消費して出掛けたものの、脳内再生で終わってしまうのではないかと。それゆえにまた、眼前で満足できたときの喜びはこの上もないものになるのであり、その快楽経験こそが次回公演もと継続させる動力そのものになるのである。などと、今回の奏演と直接は関係ないことを書き連ねたのも、どこがどうと指摘するのではなく、全体として妹背山の四段目切場「金殿」として聞こえて十分であったとしか書きようがないからである。取り上げるとするならばお三輪の描出で、官女に見咎められて答えるところの虚実や悲憤の表裏性、そして真実を告げられ絶命に至るところの哀愁も届き(ここはとりわけ三味線が秀逸)結構であった。
  それに比して、人形とりわけ勘十郎の遣うお三輪については書き連ねる。これは、それぞれの所作が目を見張るほど素晴らしかったからで、それもあって床がしっくり来て不自然さを感じなかったということも大いにあったのだろうと思う。今回記すのは、官女に銚子から酒を注ぐ真似事を強要されるところ、その銚子への反応である。具体的には、官女から銚子を持たされた時の遣い方である。その瞬間に持たされた腕をぐっと下げてそれにより体のバランスも崩れるというものだ。まず、舞台上の小道具としての銚子は軽いが、それを実物そのものの重さに見えるように遣う、このことからして並みの人形遣いにはできないことである。次に、この所作がお三輪の状態を如実に示していることである。その重みで腕が下がり体のバランスを崩すのは、単なる物理的現象・身体反応ではない。なぜならば官女が持っても腕は下がらず体のバランスは崩れないからだ。え?それはツメ人形を遣う若手はそこまでできないからだろう?いや、そうではない。官女はこの銚子がどの程度の重量がわかっているからである。どういうことか。たとえばサラリーマンが昼食を行きつけの店ではなく初見だが評判の定食屋に入って、名物の大盛天丼を注文したとする。運ばれてきたものをさあ食べるぞと右手で慎重に持ち上げようとすると、あれあれ右手がえらい高さまであがってしまった。その店の大盛天丼はまず丼がプラスチック製でありごはんもふわふわと持ってあったから、見た目は相当の重量だと力んで身構えた右腕が予想に反したために軽々と掲げる形になってしまったのである。もちろん体もバランスを崩して左へ傾く。その逆ならば、金の比重を知らない人がたばこ一箱大のインゴットを掌に乗せられた時で、まさかこれで1sもあるとは思わないから、まさしくお三輪の銚子と同じ現象を招く。あるいは、重軽石というのがあるのも、実物の重量が不明でその推測値が実物と異なることを利用したものである。つまり、お三輪は銚子の重量がわかっていないということである。それには二つの意味がある。一つは、お三輪の「山家育ちの藪鶯」という側面が際立つということ。宮中で使用される金属製の(それこそ黄金が使用されているかも知れない)立派な銚子に加えて酒がたっぷり入っている。杉酒屋の娘でも庶民の女ではこのような豪勢なものは知るよしもないのである。もう一つは、お三輪の心情が伝わるということ。それでも持たされることに意識が集中していたら手に一定の重みが掛かることも当然意識する。ところが、ここのお三輪を奥御殿にいるはずの求馬に気が行っているという遣い方をしているのだから(詞章にその表現はない。したがって、官女たちに不慣れな酌を強いられ当惑しミスを連発する=「うかうかする」という遣い方がオーソドックスなものとなる。勘十郎のように遣うのはまさに人形遣いの工夫の賜物である)、重い物を持たされると意識していない掌に銚子を突然(お三輪としては)に乗せられたらどうなるか。それほどに頭の中は胸中は求馬(と橘姫の婚礼)のことで一杯だということが眼前あきらかとなるのである。次に、これは感心したのではなく疑問なのだが、「どうせうぞと心も空」で脱力的に両手をぶらぶらとして肩を落としている所作(簑助師の工夫によるもので秀逸な遣い方)である。「心も空」と詞章にある以上は、うわの空の状態すなわち心ここににあらず奥御殿の求馬に飛んでいるということになる。前述の所作は気落ちしているわけだから詞章とは合致しないことになる。もちろん、どうしてよいかわからないしどうしようもないということなら、この所作はぴったり来る。しかし、「心も空」ならば、どうしようどうしようと焦燥感に駆られて階段を登るということになるはずだ。もっとも、すべて詞章通りに遣うというものではなく、それぞれの人形の心情を的確に描出するものが人形遣いであるから、勘十郎の所作もお三輪の心情としてまさにそうあろうと思われるものなのである。とはいえ、詞章を読み込み名人上手の奏演を聞き込んだ上で客席に着いた場合は、その時に思い描かれていた人形に比して眼前のものに違和感を抱くことにもなるのである。ただし、前述の所作はこの公演で初めて遣われたものではないから、それまで違和感を抱かなかったというのは、三位一体の芸術である人形浄瑠璃文楽を劇場で堪能しているときは、お三輪ならお三輪の造型ないし心情描写が一貫した自然で納得のいくものであれば、詞章との一対一対応を確認などしていないということであろう。もちろん、凡庸な人形遣いの場合は先に記した黛敏郎の発言が現実のものになるのであるが。
  長々と書いたので、他の人形は寸描に留める(というか、その程度にしか書きようがない)。漁師鱶七・金輪五郎の玉志は荒物遣いの隠れた本領が発揮されていたが、金輪五郎の極まり型などに理屈を超えた莫大さが欲しい(これは床にもいえることで、まさに津寛治がよい手本となる)。入鹿の文司にも天下を一飲みにした強大さまで望みたい。橘姫の紋臣は品格ある武家の姫と一人の男の前ではただ恋する女という落差が平板で、求馬の勘弥にはその底に天下(父)のためには二人の女の恋心をも利用するという怜悧さがあれば。ただし、これは通し狂言か少なくとも「杉酒屋」(井戸替含む)から出ていないと酷な言い方かもしれず、その時を待つことにしたい。豆腐の御用の勘寿は巫山戯過ぎないところがよかった。なお、官女がツメ人形であったのは当然とはいえ好ましいものであった。