人形浄瑠璃文楽 令和五年一月公演(二日目所見) 

第一部

『良弁杉由来』
「志賀の里」
  三下りで始まって鄙びた茶畑を描写し、初夏近郊野山の爽快さに移るが、時鳥の一声から百人一首の名歌にかこつけて、亡夫との都暮らしの述懐に頼りなき未亡人の悲哀となり、それゆえに忘れ形見の一子が焦点化される。この見事な詞章と団平の節付をマクラに持つ一段、希と清友で楽しみと思いきや休演であった。正月三が日明けの仕事始めにはガッカリというより他はない。代役は三味線が弟子で二枚目の友之助がそのままシンを勤めるという、これはまあ納得、一方太夫は睦ということで嫌な予感がしたが、客席についていざ開幕すると、予感どころか信じられない事態となった。耳がおかしくなったのではと思ったのである。頭の中が困惑混乱してしまったのだ。どんな語りでもこれまでは三味線を聞いていれば義太夫節浄瑠璃として脳内再現可能であったのだが、今回はどうにもならなかった。それゆえに聴覚が異常を来したのではと感じたのである。もはや劇場では如何ともし難く、帰宅して直ちに一段の録音音源を取り出してみると、その語りはまともに響いてくる。詞章と節付がなるほどと首肯された。つまり、受信側には何の問題もなかったわけである。となれば、送信側に欠陥があったということになる。こちらが無茶苦茶になったのではなく、あちらが無茶苦茶であったのだ。そういえば、三味線も渚の方絶叫のところで語りに引き摺られて乱れてしまったようであった。
  ここのところ、ネット上には批評批判と誹謗中傷・悪口雑言の区別が付かない輩が増殖し、評論行為自体が危機的状況に追い込まれている。もちろん、かの小林秀雄も批評とは褒めることだと言ってはいるが、それはことさらに個人的見解=異見を披露することが批評であると誤解する人々を戒めたものであって、今日の「おかしな」状況に認証を与えるものでは全くない。とはいえ、ダメ出しをして切り捨てることは不毛でしかないから、次への成長を願い愛情を伴って育成を図るのが芸術批評にとっては肝要である。
  しかしながら、物事には限界というものがある。今回掛合の床に並んだ太夫、両端がほとんど同じ出来なのだから、その太夫がシンを勤めているという、それを以て評するしかないだろう。ここで、代役なのだからそこを踏まえる必要があり、その分の配慮は必要という見方もあろうが、代役というのは代わりに役が勤められることが当然なのである。与えられた役をこなせないのなら代役を受けるべきではない。役を十全にこなすというところまではさすがに求めないが、その詞章と節付を正しく辿るというのは最低ラインである。よく、そんな語りなら本を素読みにする方がマシだと言われるが、その場合は最低ラインはクリアされているのであって、語りを聞いてわけがわからなくなるというのは、素読み以前の問題なのである。漱石枕流のこじつけではなく、帰宅早々に耳内を洗い清めなければならなかったというのは、神武この方無い図なのである。
  かつて素浄瑠璃の会で「合邦」を聴いていて、途中でおかしいなと感じるやいなや、後ろから「何を語っとんねん!」と怒声が浴びせられて驚いたことがある。これは当代一の太夫からの叱責であって、観客がいるのも憚らぬ厳しいものなのであった。一方、今回のような場合、客席から「引っ込め」だの「出直して来い」だのと叫んだとすると、これは一観客の「私見」(「好み」とまで下げてもよいが)を以て他の観客の鑑賞を妨げるものとして許されない行為ということになるのだろうか。つまり、黙って客席を立ち上がりロビーに消えることで評言に替えるしかないということである。あらかじめ演目の録音音源を用意しておいて、ノイズキャンセリング機能付きヘッドフォンを徐に頭から被るというのも、あまりにセンセーショナルであろうから。要するに、限界を超えた場合はその場で堪えるしかなく、その我慢した分を後ほど評言として表すというわけである。
  以上を踏まえ、代役の語りについては、よくもまあここまで詞章と節付を殺して台無しに出来るものだな、という評言にしておく。三味線については、三下りなど師匠の滋味に至らないのは致し方ないとして、せめて、節付がいかに素晴らしいかを語りを無にしても感じられるところまでは弾いてほしかった。なお、咲寿は無問題だが完全に割を食った形で、薫については音遣いが不出来で不安感があったことを追記しておく。八雲琴の燕二郎はそこまで耳が至らなかった状況ということで勘弁いただきたい。

「桜の宮物狂い」
  麗らかな水の流れに春爛漫の桜名所、錦糸以下の三味線に芳穂以下が朗々と語るので、道行仕立ての一段がよく映える。場の転換は「乱れてし」より渚の方の出となるところだが、ここが出来ないと道行気分をずるずると引き摺るだけとなる。「かひもあらしのいたづらに」で哀感が描出され、「空心さへ現なき」で物狂いを、「夢にもそれと」以下に我が子を掠われた時のまま停止した心情が表現され、見事に責任を果たした。これで里の子と掛合が底に悲しみを秘めた美しい旋律となる。気付いて後の「心定めて」そして良弁の噂を聞いてはやる心と、段切まで詞章と節付を十分に奏演した床は確かなものである。勝平病休の穴も感じさせなかった。

「東大寺」
  詞が多いからまあ睦でもと思ったがそうはいかなかった。冒頭東大寺の大きさは大音強声に助けられて何とかなったが、本来は間と足取りで詞章を体現しなければならない。ゆえに「老いの身の」からの変化も出来ない。伴僧のおかしみは描出されたが、それもきちんと考えられている節付や間と足取りによるものではなく、「丸い頭を」以下の人形にアテレコをした結果ようやくもたらされたものであった。伴僧にとってより重要な滋味、「筆に情けをふくみ墨」の詞章によって典型的に示されているものは伝わって来なかった。これはもう掛合一役というレベルである。ちなみに、今回の布陣なら三輪か津国で脳内再生をしておくのが良いだろう。三味線は団七が弾いているのだが、如何ともし難かったようだ。

「二月堂」
  現陣容では千歳富助の持ち役となった。今回は良弁に一滴の涙も流すことはなかったが、渚の方をよく捉えていて、この方が王道を行くものであった。とはいえ、良弁もその述懐には心情がよく込められており、父母という過去への思いは過去との不通によって如何ともならずあこがれとなるという、その意味での空虚さ儚さが感じられる奏演となっていた。さて、この一段が長く感じられるとするとそれは渚の方の長台詞ゆえであり、それは単に詞章の分量が多いということではなく、長台詞にしてしまう演者の奏演が問題なのである。今回、この渚の方が長台詞に感じられなかったことこそ、床の手柄と第一に賞賛してよいものなのである。我が子を鷲に掠われた述懐、ひたすら詫びる心の動き、「また迷ひぬる親心」と詞章にあるそのままの流れ、その詞章と心理と節付が一体化して観客の心に染み入った。ゆえに、今回は「かかる印の」からの変化とともに「喰ひしばりてぞ泣き給ふ」での渚の方に涙した。後の詞章にある「長の年月あこがれし」そのままの涙であった。これで一段は成功である。欲を言えば、石山寺の縁起と段切が大場に仕上がればというところだが、これは経験値とも関係してくるだろうから、後日を俟つこととしたい。総括として、現陣容でこの一段をここまで語れるのはこの床しかないということである。

 人形について。和生師の渚の方は(太夫で割を食った分は措くとして)老いて後に我が子との再会を志すところが秀逸で、文雀師の域に今一歩のところまで達している。良弁の玉男は前回その語りによって青年層としての一面が強調されていたのとは異なり、慈悲心ある高僧としての自然な振る舞いが感じられた。その他、乳母小枝(紋秀)の落ち着きと吹玉屋(勘市)の工夫を取り上げておくことにする。


第二部

義経千本桜』
「椎の木」
  口、咲寿と団吾で問題なし。奥は咲太夫師休演で織が代役(三味線は無論燕三)。人物の語り分けと権太の造形が鮮やかで、立端場を安心して任せられる。ただし、小団七カシラで「小ゆすり衒り」とある人物像にしては大きく強く行きすぎたように思われた。時代物三段目ならではの世話場的設定でもあるし、軽妙かつ押さえるところは押さえた権太ができれば、綱―咲という芸系の完璧な後継者となるであろう。

「小金吾討死」
  掛合。三輪、津国、南都とそれぞれ己が役を十分に勤め流石である。第一部の代役掛合とは雲泥の差というより比較するのも失礼であろう。その中で聖は素直かつ真っ当に語って好感が持て、薫よりは一歩も二歩も先んじていると感じられた。今後に期待がかかる。

「すしや」
  前、清治師が休演で代役清志カ。急遽大場を任されたため朱を確認しながら弾いていた。とはいえこれといってあげつらう箇所もなく、弾ききった力量は大したものである。ただし、この弾き方だと太夫を引っ張るという形は無理で、ピタリと合ってはいたが駆け引きの面白さはなかった。やむを得ないだろう。呂勢は三味線代役をハンディとは感じさせない語りで、よく稽古が出来ていることを思わせる。今回はとりわけお里の恋模様がよく語られており、加えて維盛が正体を現しての風格も弥左衛門とともに的確な描出(間や足取りなど)がなされていた。あと一つ権太と母の絡みについては、味が出るまでには今一歩物足りなりなさがあった。
  切、呂と清介。ここのところ座頭格を千歳富助とともに割り当てられている。実際、今回も「すしや」がいかに大曲であるかを身に沁みて感じさせてもらった。内侍の出から段切まででも実に長大である。この長丁場に次々と展開してゆく各場面を適切に語り弾いて、破綻なく段切まで勤め果せた実力は確かなものである。「すしや」の魅力を十全に味合わさせてもくれた。ただし、全体的におとなしい印象は拭えず、ニヤニヤしながら聴くというところには至らなかった。祖父若大夫を持ち出す気はないが、より緊迫感、急速調、大場感、変幻自在性等々が加われば、いわゆる時代物三段目のドラマチックな展開が約束されただろう。
  さて、客席の反応で一点気になったことがある。後半弥左衛門が「こんな奴を生けて置くは世界の人の大きな難儀じゃわい」で複数の場所から笑いが起こっていたのである。無論これは半世紀近く劇場に通っての初体験でもあるし、一瞬耳を疑ったが事実であった。ゆゆしき事態と言ってよい。親の自分の息子に対する発言が権太だけに際立つということではあるが、ここは当然胸一杯で涙さえ滲み出てくるはずであるから、一片の笑いも起こる余地はない。にもかかわらず起きた事態は、観客が進行している浄瑠璃義太夫節の世界(人形の舞台)の外側に存在していることを意味する。こういった現象はこれまでも(前公演の「熊谷陣屋」なら「そなた一人の子かいのう」など)見受けられることはあったが、お決まりの場所でのお決まりの反応に留まっていた。ところが、近年(最近)はこんな箇所までもと思われる場面で遭遇することが増えてきた。観客の反応でいうと、人形の出入りでやたらと拍手をする、しかもその拍手の質が、床口上でのものも含めて形式的なものに変化してきているのである。これもやはり、観客が物語世界の外側に位置していることを示す。コロナ禍におけるイベントの特徴(声に変わる拍手)という側面では到底片付けられないことである。こうなった以上、すべてを御簾内と黒衣でやるしかないのではなかろうか。出語り出遣いでも三業の存在は無であるということが崩れてしまっているからだ。ゆえに、詞章もドラマから遊離して意味を有する文字テキストとして存在してしまっているのである(とはいえ、これを字幕や床本の責に帰すことは的外れであろう)。シャギリに続く柝の音とともに開幕するや、観客はもはや芝居世界の住人なのであり、現実世界に戻されるのは段切の柝頭によってなのである(もちろん、三業の力量によっては現実世界への穴が開いてしまうこともあるが。今回第一部の二場のように)。それがもはや通じなくなったのであるから、観客の目の前から「現実の人間」たる三業(狂言綺語を演じてくれる芸人ではない)を御簾内黒衣で消すしか方法はない。実際、国立開場時に比べて御簾内黒衣が激減しているのは明らかであり、これも上記の事態を作り出した一因であるかもしれないのだ。劇場側は直ちに御簾内黒衣が意味する原点に立ち返らないと、文楽の破綻は手の施しようのないところまで行き着くことになるだろう。

 人形陣。権太は「椎の木」で小金吾を避ける床几の扱いに問題がある。楯にして顔を背けるだけでは実に過ぎる。つまり「小ゆすり衒り」にならないのである。ここは詞章にすれば「おお怖やの」と大げさに震えても見せる虚構場であり、正直に隠れて震えていては権太の性根が小さくつまらないものとなってしまう。無論、実は小心者(正直者)という解釈も成り立ちうるが、その実は妻の小仙と子の善太とのやりとりで表現されるから、梶原を相手に丁々発止の駆け引きをする力量を考えれば、前髪の小金吾などはたとえ真剣に手を掛けても本気では逃げ回るまい。維盛の玉男はお里の一輔との恋模様が最もよく、弥左衛門の文司との対話も品格があった。その弥左衛門は各場面での心情が演じ分けられておりこれで正宗カシラの武士的強さが加わればと思われた(ここは語りも同断)。女房の勘寿と梶原の玉輝はこれぞ脇を固める安定の燻し銀そのもの。内侍の清五郎と小金吾の玉勢も手堅い。その小金吾は立ち回りに関して、源太で手負いでツメ人形(最後は梨割り)相手にしては丁寧すぎる感はあった。

第三部

『傾城恋飛脚』
「新口村」
  口、御簾内で亘と錦吾、問題なくとりわけ三味線に進捗が聞き取れた。
  前、藤と清志カ。マクラを聞いてこの改作が人気曲名曲だということをしみじみ感じる。素敵な節付である。そして「京の六条数珠屋町」に至って人口に膾炙したのも頷ける。この美麗な前半を見事に体現したのが、美声家でもない藤とむしろ鋭角的な清志カであったというのは、実力の程をうかがわせるものである。
  切、錣に宗助。後半の焦点は孫右衛門である。長台詞を飽きさせることなく、その思いを絞り出すように綴ったことにより、観客の胸へ確実に届いた。梅川の「奈良の旅籠屋三輪の茶屋」も出来て、段切も切実であった。

 人形は、孫右衛門の玉也は持ち役となったが、最後に傘を用いない遣い方が好ましい。傘を用いると形が決まるものの真実味に欠ける。「長き親子の別れ」に雪降りを気にして歩き出すようではいけない。ここはやはり思わず外へ出て見送らねばならないのだ。梅川の清十郎は美しくかつ細やかな心ばえがあり、忠兵衛の簑二郎もワキとしてよく梅川と調和していた。

『壇浦兜軍記』
「阿古屋琴責」
  インタビューで呂勢は「お客様に気持ち良くなっていただかないといけません」と語っていたが、その言葉通りとなった。人形も見ず目を閉じて聞いていると、阿古屋の心情が美しい節付とともに伝わってきた。もう一つの「可愛らしさと意気地」に関しては、間と足取りの素晴らしさに包まれる形で体現されていたように感じた。ともかく、全身全霊が義太夫節浄瑠璃で覆われる感があり、十二分に堪能することができた。終わりよければすべてよしで、大満足のうちに帰路につくことができたのである。これには三味線藤蔵も大きく関わっており、その大きく華麗で粘りのある響きが一段を完成させたからである。ツレの寛太郎と三曲の清公もよく弾いた。少しでも隙間が出来ていたら、耳に集中することは叶わず目で人形を追いかけざるを得なかったであろう。重忠の織はマクラの大和風から最後の判決文まで、堂々たる正調に終始して立派に勤め果せた。ただし、判決文冒頭の「その子細言うて聞かさん」が厳しい強さの余りに叫んで押し潰す感じになったのが玉に瑕であった。孔明カシラ不動静謐の精神性で貫いてもらいたかった。岩永の靖は与勘平のチャリ要素は控えて重忠と「同席に相並ぶ」「虎の威を借る狐」の面を強調した語りであった。榛沢の小住は真っ直ぐで好感が持てた。以上、判決文付きの完全体として後世に伝えてよい仕上がりであった。古靱・新左衛門以下で録音されたSPを覚えるほど聞き込んだ耳がそう感じたのである。本公演中第一の出來であった。

 人形陣は、上述のように神経がひたすら聴覚に注がれていたので、細かな点についての言及はできないが、勘十郎師の阿古屋は観客も大満足の絶品というに尽きよう。その出に関しては、「胸は解けぬ思いの色」「気は萎れ」「水上げかぬる風情」をどう体現するかが問題で、今回もまたそれは見せずに秘めた姿として遣っていた。重忠の玉志と岩永の玉佳そして榛沢の玉翔は各々のカシラの性根をよくふまえた十分に納得のいくものであった。もう一度劇場に通うことがあれば今度は視覚を働かせてみたい。

 最後に。昔から文楽の危機というものがその時代その時代で叫ばれ続けてきたが、現在もそれは変わらない。ただし、今は技芸員の力量不安というよりも(もちろん冒頭の例など、太夫の人数不足によって低レベルでも語り場を与えなければならないという危機的事態の典型ではあるのだが、有望株の若手が育っているということもあり、まだ一個人の問題で済む範囲でもある)、仕打方そのものがおかしくなっている(ということに気付いてもいない)という点にある。世話物における複数切場設定、次回2月国立における「楼門」の分割、そのくせ演目に関しては前例主義的固定化という膠着癒着など、義太夫節浄瑠璃の骨格自体が崩落の危機に瀕しているのである。国立という親方日の丸の官僚主義が行き着いた極北と言ってもよいが、開場後半世紀以上を経過した今になってこの言葉を使うのもどうかという気がする。要は劇場側が無知の無知という四形態中最悪の状態に陥ってしまったということである。対話を重ね適切な助言を与える第三者もいないのだから(そういう立場の人間が設定されているのなら怠慢以外のなにものでもないが)、無形遺産の箱庭化と博物館化はもうそこまで来ている。SNS上では適切かつ真っ当な意見も発せられていると聞くが、一向に取り上げられないのはやはりお上の職員という体質が拒否反応を示すからであろう。公演のたびにクラウドファンディングに協力をと呼びかけられているが、その本体がお上ではその先は見えているというものである。この縮小再生産的閉鎖空間を打ち破り、開かれた文楽にしなければならないのだが、如何にすればよいか。観客一人一人が真っ当な声を上げ続けること、それしかないように思われる。

 

【従是千秋氏評論】

第二部「義経千本桜」

 初春公演とあって餅花が飾られ、睨み鯛もあって華やかな雰囲気でした。客の入りもよく、盛況でした。

☆椎の木の段
口  咲寿太夫
「三芳野は‥‥」と情景が伸びやかに語られ、安心して劇中に入って行けました。この人は場面を自分が形成するのだという気概が出来た様で、細部には満足出来ない所がありますが、全体的に好感が持てます。但しもう少し追われる身の哀れさと緊迫感が欲しいものです。

  奥  咲太夫休演の為織太夫
代役ながらきっちり勤め上げ、流石の力量でした。小金吾に緊迫感と一途な忠義が感じられ、小仙は情緒あり、善太は素直と語り分けも鮮やか。
しかし権太は堂々とし過ぎていて、「いがみ」が感じられない。「いがみ」の価値と魅力を考えると、此処はもう少し押して、引いて、捩ってという、権太の直截的な反応を活写して欲しいものです。「かねて工みのいがみの男、」権太の行動はそれ自体、奇妙な魅力があるので、やはりそれを開放せねばなりません。後半の「もどり」を意識しての予定調和に陥るならば、権太の魅力は曇ってしまうのです。
それでは権太の魅力とは?それについては後で考察する事にします。

☆小金吾討死の段
小金吾‥三輪太夫 弥左衛門‥津國太夫 内侍‥南都太夫 六代、五人組‥聖太夫
「夕陽西へ入る折から、‥」と三輪は力強く語り、期待しましたが、「手傷は負へども気は鉄石の」筈が萎んでしまい、討死に至るまで淡々と進むので、悲痛感はあまり無く、それに応じて内侍もあっさりしており、緊迫感が薄くて残念でした。
此処は人形の見せ場なのでしょうか。人形の小金吾は奮闘しており、立ち回りも面白い。しかし小金吾はどの時点で静止画像にしても、形姿が美しく極まる様にして欲しい。玉勢には自分が小金吾を遣う事に集中するだけでなく、観客にどう見られているかを感知する視点が必要でしょう。
概ね掛合の所為か、統一感が無く、各々自分の役をこなしたというレベルのものでした。
実に勿体無いことです。五世呂太夫の「小金吾討死」を聴いた身としては。

 ‥以前録画で五世の「小金吾」を見、聴いて、
衝撃を受けた。「死なぬと申せしは偽り。三千世界の運借つても、何のこの傷で生きられませう。」と語る五世の詞によって、「実存」の暗闇に引き摺り込まれたからである。内侍の「必ず待つてゐるぞや」は気休めでしかなく、小金吾は自分一人の厳然たる「死」に直面して、否応無く、その時「生きた」のだった。
「実存」とは「現実に存在すること」。当たり前の事のようだが、現在の我々に「現実」は既に無くなっており、全て「仮想現実」なのである。それ故我々は「実存」出来ず、酔生夢死する他ない。五世呂太夫の小金吾には酔夢を破るだけの鋭い切っ先があって、それが「現実」を顕わにしたのである。「死」と言う現実を。
小金吾の「死」をこれだけの深淵に於いて捉えた呂太夫の精神力に驚嘆したのだった。
「小金吾討死」の段にはこれだけの可能性がある。今後はその可能性を追究してもらいたいものである。

☆すしやの段
前  呂勢太夫
「春は来ねども‥娘が漬けた鮓‥」呂勢の語りの美しい旋律に乗って、一輔のお里が鮓を売る。その可愛らしさに思わずクラッときて、ついこちらも鮓を買いに走りたくなり、ツメ人形が嬉々として買っているのが羨ましくなるほどでした。剰え、この辺りのお里の詞は蕩ける様な間の取り方で、「空き桶取りに行かれましたが、 もう戻らるるで ござんしよ」などと、寄る辺なく彷徨うのかと思わせながら、きっちり受け止めてホッとさせるので、その揺らぎだけでもう聴き手は陶酔です。しかも場面によっては高揚させておいて、次に雪崩れ落ちる様に言葉の玉を転がす事も出来る。浄瑠璃の旋律とリズムを完全掌握して、限界迄転がすという高度な事をしているので、聴いていて浄瑠璃の旋律の美しさを心から堪能出来ました。維盛も素晴らしかった。この人の「間」は絶妙です。
但し荒っぽいのはニンではなく、権太の造型には向きませんでした。

  切  呂太夫
難しい構成の大曲を破綻無く纏め上げ、数多の人物を各々的確に語り分けて、明確な印象を残すという力量は大したものでした。殊に若葉の内侍は「都で御別れ申してより‥‥可愛や金吾は深手の別れ、‥‥」の長い詞も口跡美しく、流れあって哀切で、劇中に引き込まれます。又お里の恋の有様が一輔の一瞬の隙も無い人形の振る舞いと相俟って活写され、身分違いの恋の哀れさ以上に、娘らしい純な恋の美しさが輝き出るのでした。後振りの哀しみがかえって美として煌めく様に。
様々な事件を次々と乗り越える呂太夫は弥左衛門が「朱鞘の脇差‥駆け出す向かうへ『ハイハイハイ』」と梶原を登場させる時も、瞬時に場を切り替えるなど、観客聴衆を混乱させる事無く、スムーズに悲劇へと導きます。しかも権太の「もどり」あり、「内ぞ床しき」での頼朝の真意有りで、これを空中分解させる事無く段切りにまでもっていくのは、いかに大変か。感心しきりです。
現在この人以上の語りは考えられません。

  ‥‥しかし綱太夫と若太夫はもっと凄かった、と言えば無いものねだりになるのだろうか?
全くその通り。無いものをねだろう。
根本的に権太の捉え方が違うのである。「権太」は「もど」る為にいるのではないのだ。

 「浄曲窟」で綱太夫の「椎の木」、若太夫の「鮓屋」を聴くと、権太には奇妙な魅力がある事が判る。
「よい子はあんな事やってはいけません!」と言われてよい子はやらないが、本当はやりたい事ばかりを権太はやっているのだ。
石で椎の実を落とす「鍛錬」は人間相手にして泣かせたのだろう、無力なよい子の憧れである。小金吾相手の強請もなんと上手い言いがかり。知能犯。こうして働かずして食いたいものだ。小金吾のコンプレックスに違い無い大前髪をネタにして「前髪を一筋づつ抜くぞよ。」と言う高度ないたぶり。上手いものだ。弱いと見ればつけ上がり、強いと見れば上手く逃げて、「衒りの習ひ金見ると、‥手ばしかく、」金はちゃんと自分のものに。
よい子も観客もこんな事をしてみたい!と実は思っている事を、綱太夫はよく知って、楽しく生き生きと権太を語るのだ。よい子も観客も開放されてしまう。「権太」の醍醐味は此処にある。故に「もどり」を予期して、実は権太は「よい子」だったと設定するのは、料簡が狭いのである。
権太は脈絡も定見も無い野生の男で、唯その場その場の動物的カンで行動している。それを「いがみ」と言うのは、統制された人間の言い草で、そう言う人間は「野生」を隠蔽しているうちに、活力衰えついに見様見真似で生きているだけになるのである。?外はその欺瞞を「かのやうに」と名付けた。
権太は「テモマア冷たいほでぢや」と子の手を温めてやるが、それは子の冷たい手を我が手でじかに温めてやるという、動物的な真意から出た行為であって、手袋買って済ませる様な、見せかけの愛情とは違うのだ。
若太夫の「鮓屋」に於いても、母親を騙して金を巻き上げようとするが、既に「根問ひは親の騙され小口」と母親は騙されたがっており、権太はその母に甘え切っている。故に例え騙し騙されようとも、親子の情愛は違う次元で確固として存在しているのだとはっきり感じられて、意外にも感動してしまうのである。ひとえに若太夫の力である。

 権太の行為は多くが世知辛い世を世知辛く生きている小心者の我々の現実を足蹴にする行為で、よい子は真似をしてはいけないが、よい子の胸に燻り、大人の心にも燻り続けている火種なのである。それに火を点けずしてなんとしよう。
綱太夫と若太夫はそれに火を点けた。
浄瑠璃はこんな事も出来る。

 「もどり」に押し込むのは大変であるが、予定調和に陥らず、空中分解も辞せずと決意した誰かに、「権太を張っ」て欲しいものだ。

         以上