平成七年四月公演 

『加賀見山旧錦絵』

「草履打」
  まず、善六の登場は岩藤のヤラセであることが伝わらなければならない。それはいずれ岩藤の詞によって明確になるのだが、その前に善六の詞の段階で町人と金ということが耳に残るように語られていなければならない。紅白幕が切って落とされた直後の善六の登場は、どうしても唐突に感じられてしまうからである。岩藤の受け答えもこの段階から尾上への当て付けを意識したものになっていなければならない。が、その点掛け合いでやるとどうしても自分の役割で一杯になってしまう。南都の善六も若手らしく大きく前へ語っているのは好感が持てるものの、そこまでなのは致し方ないという所だろうか。不自然な部分強調は逆によろしくないゆえに。相生の岩藤は意地悪さも局の格も押さえていてそれなりに語ってのけたのはさすがである。が少々食い足りないのが詞のカワリ。表面穏やかに言うところと、本性底意地が露出するところと、思わず本音が見えるところとの変化。あとは強さ、今一歩突っ張りが利いていればと聴いた。しかし今回は咲の休演で『勧進帳』の富樫が回ってきたからやむを得ないか。この二役が十二分に語られたなら、相生も立端場語りから切語りへと進めるだろう。千歳の尾上は心配りは行き届いている。例えばbこの一品 に込められた無念と怨念と怒りとか、bあすはわが身も消えて行く における運命を予感させる哀感ある語り方とかである。ところが、多々聴き苦しく汚く聞こえる所があって相殺されてしまっている。きれいに語れではなく、発声の基本・語りの大本のことである。越路師匠の教訓のとおり。これを克服しないと、逸材かと言われた千歳もただの人ということになる。これまではわざとそう語ってこぎれいにまとめることを潔しとしない姿勢かとも思って聴いてきたのだが、どうやらそうではないようだ。頭打ちスランプの第一段階という所だろうか。果たしてここを乗り越えられるかどうか。見事乗り越えたなら、つばめにして更なる飛翔をさせてやることができようもの。文字栄と始の腰元は論ずるに及ばず、修行である。 人形、玉男の尾上は草履打されてからがよい。尾上の利発さは内へ内へと向かうタイプのものであることがよくわかる。文雀の岩藤は局格をわきまえた遣い方。一回くらい口を開けて八汐という人形の嫌らしさを見せてもよかったほどだ。三味線の団七は相生と同断。

「廊下」
 ここのところ立端場できっちりと筋立てを語り聴かせる役場が多い小松と喜左衛門。今回も前半の女中の立ち話と真ん中のお初と岩藤の駆け引きそして後半の弾正岩藤の悪巧みとを聴衆の胸にしっかりと入れおおせ、切場長局へと連絡させているのは、さすがに職人芸である。いい仕事をしている。人形も、文雀の岩藤玉女の弾正とも性根をつかんでいる。女中二人も与えられた責務を果たす。簑助はここで動か(け)ないお初を見せておいて、長局から奥庭のお初がただ闇雲に飛び回るだけの存在ではないことを知らせる。

「長局」
 浄瑠璃に限って芸談を見てみると、しんどいとか大変とか脂汗とか言われているのであるが、前回といい今回といい見ている方にとっては実に快適な人形芝居であった。人形の玉男簑助のコンビが浄瑠璃を引っ張っていたからだ。ストーリー性があって場面展開が軽快でとくれば、浄瑠璃が苦痛でたまらないのに劇評を書いている記者氏にとっても好都合というわけだ。劇画タッチと言ってもよい。これが平成の人形浄瑠璃、現代に活きる文楽だと誰かさんのしたり顔が目に見えるようだ。耳の衰えた「聞き分けのない」現代日本人にピッタリという次第である。では織大夫・清治はどうかといえば、b跡見送りて襖の蔭 から十分に気を配り、b吐息つき「テモ怖しい工みごと も口伝に外れてはいないし、b一筋に恩義に迫る主思ひ、待つ間もとけし長廊下 の所も、足取り間拍子とカワリを心得ている。しかしそれでもbしづしづ御殿を下がる尾上 の所で早くも人形に主導権を握られてしまって、段切りまでそのまま行ってしまうのだ。そのことは尾上一人になっての述懐、母からの文を読み、これまで隠していた心の内を吐露するところ、尾上の人形も観客も詰めていた息を吐き出せるところの浄瑠璃が何とも応えてこないことから明らかにされる。つまり、二人の駆け引きや息を呑む場面の緊張感充実感は人形によってもたらされていたことが判明したわけだ。b操り芝居の浄瑠璃が私は面白うござります とお初は言うが、今回ならば差詰め「浄瑠璃の操り芝居が面白かった」と語ったことであろう。
  尾上は心の動きを悟られまいとして隠そうとする顔を合わせまいとする、お初はそれを何とか探ろうとして詞に綾をもたせる、という肝心要眼目のところ、b上辺を包む上草履、直す草履も昨日の遺恨 の浄瑠璃をはじめ、b遺恨に遺恨重なるうへは、御尤もにもあろかいの の間合いとカワリ、お初のbオホヽヽヽ に感じられた共感愛情哀切義憤の涙、等々決して疎かには語られていない。がそれ以上に玉男の尾上と簑助のお初の人形がすべてを表現し尽くしているのだ。廊下から長局へお初があわてて尾上のあとを追うという振りも、観客の笑いを誘発したとはいえ、b知らぬお初が物案じ との詞章をふまえたものである。尾上が書き置きするところ、お初の薬を煎じる場面での種種の仕草もうるさいとみれば確かにうるさい。とはいえここを尾上の方へ引きつけるのは浄瑠璃の任務だろう。織大夫清治の実力の聴かせどころではないのか。詞章はまさしく尾上の心を掛詞縁語を駆使しての見事な綾織りに仕立て上げているのだから。もっとも、直接的な目からの情報ばかりに支配されている現代の観客を前にしては至難の業かもしれない。が、それを仕果せないと「長局」という浄瑠璃一段は語られたことにはなるまい。そして尾上がお初を文遣いに事寄せて遠ざけようとするところの駆け引きに至っては、織・清治以上に玉男の尾上の遣い振りにおいて、とりわけその濃く深い陰影を見せた尾上の伏し目がちの俯いた表情において、心の覚悟が、もはや引き返せない凄絶なまでの自害の覚悟が、こちらの胸にもぐさりと刺さったのである。
 この尾上が内へ内へと巻き込むのに対してお初は外へ外へと繰り出してくる。御殿勤めとしての年齢経験の差ともいえるが、それ以上にこれは両者の性格造形上の差だろう。かしこい利発なという形容語は尾上お初ともに用いられてはいるものの、尾上にとっては、町人という、江戸も武士の世もこの時期に至っては決定的に貨幣経済の中へ巻き込まれていったというなかでの町人という出自によって、謙譲も卑下もかえってその実力を際だたせる自信の嫌みな裏返しとして捉えられ、そこをつけ込まれてしまったわけである。義憤からとはいえお初が何の苦もなくb女子にこそ生れたれ、私も武士の娘 と外に向かって言い放った詞こそ、尾上にとっては内へ内へと巻き込まざるをえなかったものの正体なのであった。動き回り飛び回る簑助のお初は、その苦もない外へのエネルギーの発散を解放し、尾上の内へのベクトルさえも逆向き相乗的にそこへ併せてしまおうとする。あるいは女鏡とはその二つの合わせ鏡の謂いかもしれない。
  とはいえ、簑助のお初には明らかに無意味な動きがある。破れ団扇は不吉の予兆であるが、それを投げ捨てる扱いはどうか。予兆が現実のものとなって悔しさのあまりというのなら理解できるが、b一心無我の手を合せ 神仏に祈願する場面でのお初の行動としては、明らかに尾上自害の筋を割る以外の何物でもなかろう。また、薬煎じの七輪を持って出るときにプイと極って観客の笑いを図らずも誘ったのは罪深い行為である。ともに猛省を促したい。さらには、全一音上がってb夜も早初夜を告げてゆく 以降、b音冴えて、いとど淋しき の描写の中、b胸なで下ろし、思ひつめたるその眼色、気も張り弓 と、お初の内側にパワーが蓄積されていくべきところの緊張感充実感が欠如していて、ここもまた動きっぱなし飛び回りっぱなしは何ともいただけない。だから吊り棚の藤を懐剣で真っ二つにしたことの象徴的意味も伝わらず、試し切りか単なる激情のなせる業か位にしか受け取れない。浄瑠璃もまた然りで叫びっぱなしというのでは、ここまでが長局の切場である意味がない。これならいっそ、尾上が仏間に入るところで演者交代して、跡は落合としてそのまま奥庭まで人形べったり見せ物第一でやった方がまだしもであった。もっとも観客はすでにもうそのようなものとして受け止めていたかもしれないが。

「奥庭」
  後始末を付けるという段においては問題なかったろう。土をすり付けた草履で岩藤の顔を打擲するところまで、胸のすく思い心地よいものである。ただまあ現在のワイドショー「いじめ」報道同様、今回はその過程と結果ばかりが目立って肝心の人間の心の悩み、葛藤、胸中の苦衷が語り物浄瑠璃としてもう一段こちらに応えてこなかったのはやはり感心できない。「長局」という浄瑠璃はなるほど難物やっかいなものなのであった。
 

『勧進帳』

 こんなものを出す意味はもはや一つしかない。「あの『勧進帳』を見た。」ということだけである。古典芸能とくに歌舞伎と文楽はほとんど同じもの、いや歌舞伎の人形版が文楽だとほとんどの観客が思っているだろうから(NHKのステラという雑誌に山川静夫の歌舞伎入門特集として、BS放送の文楽・歌舞伎に見る忠臣蔵を、「これを見逃す手はない。今回は何と文楽付き」と若い女の物書きをしてしたり顔に言わせている)、とにかくあの有名なあの勧進帳を見たということなのである。いくら歌舞伎役者が下手になり、弁慶富樫の問答やら義経の風格やらの質が落ちたとしても、長唄の出といい延年の舞といい勝ち目はない。歌舞伎の真似する人形浄瑠璃はその下風に立つより他はあるまい。団平の節付けとか素朴な味わいとか解説は付け放題だが、花道を六法で引っ込むようにせざるをえなかったことこそ、歌舞伎亜流以外の何者でもないことを表している。「本物の歌舞伎じゃないけどとにかく文楽であの『勧進帳』を見た。」それだけのことである。歌舞伎と文楽の比較、そんな言い訳は通用しない。丸本物こそその土俵になるべき場所だからだ。 「人形でようここまでやらはりまんな。」「人形で見ても結構おもしろいもんでんな。」これは客席での観客の一会話であるが、これを人形浄瑠璃への賛辞と思うのであればもう言うべき言葉はない。
 しかも今回は『千本桜』の半通し(というよりも中途半端通し)とダブってしまい、弁慶も義経も何が何やらどれがどれやら。まさか文七かしらと団七かしらの弁慶を比較考察検討しその性根描かれ方の相違を弁えよなどという意図があるはずはなし、『千本桜』の後日談が『勧進帳』の関所越えだという似たものを併せ技で一本とするのが古典芸能の興行方法なのかと誤った認識を持たせるのが関の山である。厳しくいえば女忠臣蔵の『加賀見山』にしてからが、昨年暮れの『忠臣蔵』へ観音開きでべったり重なり、後戻りするものではないか。「桐の葉は木に朽ちんより秋来なば先駆け散らん」「人も知る茗渓の水よし涸れよ濁さんよりは」とは某大学の宣揚歌の歌詞であるが、心有る人びとが今の人形浄瑠璃を捨てて顧みなくなっているのは、その深い愛情故であろう。(とはいえ、その捨てた人間が歌舞伎には甘ちゃんというのは不可解というより不愉快ではあるが。)厳しく鍛えられ引き締まった体とはほど遠いブヨブヨした脂肪の厚み。庶民の芸能とか現代の文楽とか当事者に都合の良いようにこじつけるのはやめてもらいたいものだ。
 

『千本桜』

  二段目と四段目が筋の上からは繋がるというのは周知のことである。だからといってその二つをくっつけたものだけを見せて半通しとするというのとは話が全く別である。温故知新、まずは過去を振り返ってみよう。
 義太夫年表で文楽座の公演を見てみると、大正期は最初の1回を除いてすべて大序から道行までとなっており、「河連法眼館」は掛けられていない。明治中期末期に勤めた染太夫の引退後は、誰も勤めていないということになる。その明治はといえば八代染(梶)−七代綱(津)−九代染(谷)と、語るべき大夫の系列が確乎たるべき類のものでもあるかのようだ。昭和に入ってからはいつ誰が再び語り出し手すりに掛けたかは昭和篇が未完成で手元に資料がないから不明なのだが、昭和六年に古靭太夫が語った(端場駒太夫)というのも、それはとりもなおさず直弟子の八代綱(織)に語り継がせるための下準備だったとも考えられるのである。ともかく二段目には必ず大序と三段目が付いているし、四段目は、道行は別格として、特別な語り物とされていた感がある。つまり、「大物浦」も「河連館」も、それを取り出してみどり建て狂言とするには、処理の難しい所があったのであり、それはとりもなおさず、語り物として結構やっかいな物、難しい物であるということなのだ。この二段を筋が通るからといってひっつけてみて、果たして如何であったろうか。もっとも現代の観客にとっては、碇知盛あり、景事の道行あり、狐の早変わり宙乗りありと、見る目に楽しい内容であったろうけれど、肝心の浄瑠璃としては実に辛気くさい面倒な物であったはずだ。人形は浄瑠璃の後ろに控えているものだと言うつもりはないが、人形の興味から入った現在の観客達が、人形とストーリー展開だけでどこまで人形浄瑠璃文楽の世界へ継続的にまた更に深化して没入してくれるかといえば、はなはだ心許ないものである。何でもかんでもみどり建てあるいは半通しにするのはいただけない。過去の上演の歴史を振り返れば、そこに何らかの意味が見えてこよう。文楽座に力も業もあり伝承の系譜もしっかりしているときに試みるのはよいだろう。しかし、今いたづらに事を新たにするのは、土台も建造物も粉々にして、空中楼閣を築いて得々とすることに他ならないのではないか。まあ、これでよいとする人が多いのであれば、たった一人の妄言以外の何物でもないわけで、とにかく個人的には中途半端通し狂言不完全燃焼だと感じられたのだ。もっともそれは、個々の段を語ったあるいは遣った三業の人々の出来のせいかもしれないが。

「伏見稲荷」
  二段目四段目の両方へつながる部分、今回の半通しの結び目として、ストーリー展開上置かなくてはならない段という訳か。しかし、前段「堀川御所」がないとなんとも腑抜けである。床本はb吹く風に  からにしてあるが、語りは三重のb追て行 からであるのがそも第一である。これは床本の末尾に記載の「演者により、上演の際、詞章に多少の異同がある」こととは全く別の問題である。つまりこの段は頼朝の軍に追われた義経主従の館落ちの三重から始めなければどうしようもない段だということを表しているのだ。そして下座の鳴り物とともにb鬨の声、物すさまじき景色 となり、眼目のb昨日は北闕の守護、今日は都を落人 が活写されるのである。(解説に「段切りが聴かせどころ」とあるのは、半通しにしたために生じた前半のちぐはぐさを覆い隠すための片手落ちの妄言である。自己正当化のための局部肥大発言はどうかと思う。)あと、なぜ静を同道できないのか(単に戦場に女は云々だけではない。序切で明白な卿の君の死を考慮してのものだということがわからない。)とか、弁慶がなぜあれほどの怒りを受けなければならないのか(単なる理由ではない。bつひに泣かぬ弁慶が 拳をにぎりしめて涙を流すほどの大事であることがわからない。)とか、少なくとも前半は何のことだか意味不分明である。まあ、ストーリー性を重視したのであえて前半は犠牲にしたのだと開き直るのならそれはそれで一つの見解ではあるが。
 というわけで、語らされる方は迷惑至極、可愛そうなナレーター役ということになる。英はその前半をストーリーテラーの如く語る。とはいえ後半の段切りはなるほど哀切であった。がどうもここのところの英は、語りの内面の深化が内に篭もり閉じ込もる形になってしまい、こちら側へ開かれていない、こちらの胸へ応えてこないのは残念である。若大夫に連なる名前だけに、ぜひこの壁(あるいは皮膜)をぶち破ってもらいたい。緑はその前半を面白く語って、義経の怒りも弁慶の涙も確かに応えたし、メリハリも動きもあって、この一段を語り活かしたのは上出来である。今回の形態においては、この段をジョイントとしての役割に押し込めようとしても、浄瑠璃の方でちゃんと自己主張してその存在意義を知らしめたというのが実に痛快であった。三味線の宗助はこの人物入り乱れ柔剛それぞれの一段をカワリに気を配り、明快に弾き分けようとした努力が好ましい。

「渡海屋・口」
 多くの端場・口とは異なり、分量といい登場人物といい語りがいのあるところだ。
文字久・喜一朗は誠実で手堅く取りこぼしがない。が、若さや覇気等の勢いが不足し、味わいは未だしとはいえ迸る鮮烈さの片鱗位は欲しかった。いわば文字・勝平の跡取りだけに、はみ出すくらいのパワーとエナジーを求めたい。次に呂勢・団吾の方。波形文様の肩衣は師匠のはなむけか。張り切ってやってやろうという気でリキが入っている。が、浄瑠璃はトゲトゲして各部が分裂気味で丁寧さに欠け、弁慶や銀平の詞は平板であった。両者を比較するならば、前者に一日の長があったか。とはいえ後者の素質音質には期待がかかる。今後の修行次第で面白くもつまらなくもなる、というと当たり前だが、その当たり前のことを確実に着実にできるかが実際問題最大のカギなのである。

「中・幽霊」
  伊達・清友コンビにここをやらせるのはどうかと思われたが、終わってみるとなるほどという感じだった。つまり、伸び盛りの若手中堅どころ次代の切語り候補の大夫が大音強声と勢いで見栄え(聴き栄え?)よくやっつけてしまうところと思うだろうが、実はそればかりではないのだよという心である。この小段の眼目は白糸縅にある。従ってb知盛こそ生き残つて、義経を討たんなりと、沙汰あつては末々君を御養育もならず、重ねて頼朝に仇も報はれず が肝心の所。かつ、白装束はそのままb提灯松明一度に消えなば、知盛が討ち死と心得、君にも御覚悟させまし。御骸見苦しなきやうに  の未来を予告させるものとなる。故にここの愁いも重要。玉男はもちろんそう了解して遣う。知盛の「意志」の伝達。これらを押さえればあとのいわゆるオイシイ部分にことさら狙いを付けるに及ぶまい。安徳帝に典侍局そして知盛、風格こそ必要なれ、何ぞ前受けすべからんや。伊達・清友はいぶし銀、「数十年の功にて語り終えた」わけだ。玉男一世一代の知盛は、さすがに人形が重そうだ。痛々しいのではなく、悲愴感が漂っていたのは、次代の立役遣い未だ全からずとの現状認識からか………。

 「切・大物浦」
   マクラから装束改めまで非凡、さすがである。二人の注進からb涙にくれ給ふ までは今一歩躍動感緊迫感が不足しメリハリと面白さに欠けたか。典侍局の愁嘆と幼帝の悲哀ここは絶品で、この部分に中心がしっかりと据えられた浄瑠璃。超難物やっかいでしんどいところを弛れさせなかったのは、人間国宝たる所以である。義経の出から知盛最期までの後半は、さすがに滋味深さだけでは物足りないと感じざるをえないか。もっともこの前半の出来に加えて後半が轟然たるものであれば、これはもう受領級、半世紀に一人の大夫三味線なわけである。故津大夫の「大物浦」は住・燕三の対極にあるわけで、これはまた逆に典侍局と幼帝との部分がその両端のインテルメッツォ程度に聴こえてしまうので、何とも手ごわい浄瑠璃である。というわけで、やはりこれと後述の「河連館」を繋げたのはどう聴いても難しいなあとしか思えないのである。玉男の知盛は自らの人生の意味を自覚して死んでゆく。b知盛莞爾と打ち笑みて の詞章通り、心に笑みを持った最期つまりは真に悟った知盛を表現できるのはこの人しかいない。文雀の典侍局は品格あり。弁慶は文吾も玉幸も大団七大毬栗頭の人形が遣えていない。豪快さとほのかなユーモアと。公演記録映画会で観た玉昇の弁慶、あれはよかった。玉松の義経は何はともあれ『義経千本桜』ですからチョコチョコと顔を出しますよといった程度のもの。存在感希薄で、本当に知盛は幼帝の供奉を頼んだのだろうか。二人の注進、簑太郎は十分、文司はふむふむ。亀井・駿河の両人も成程の出来(「河連館」も)。

「道行」
  「勧進帳」に比べて肝心のこちらは五人五挺。ところが華麗にきらびやかに出来たのはシンの三味線団六の大手柄である。自由自在の装飾音も二枚目以下の三味線とよく調和していた。呂の静、英の忠信もよく語って「道行」たらしめた。しかし言語に絶するのは簑助の静御前。この静御前はまさしく白拍子の静であって、こう遣われてはたまらない。舌を巻くのみ。忠信はというと、文昇のは狐忠信ではなく本物の佐藤忠信が舞っているという感じ、誠実実直ではどうなるものでもない。紋寿のは確かに狐忠信である、が尻尾が見えていて、キリッと締まったイイ男源太かしらの人間に変化しきれていなかったか。あと、大夫三味線人形全体を通してはんなりとしたふくらみとのびやかさが出れば超一級品だった。桜に例えれば、今回吉野山の千本桜は一重のソメイヨシノが満開、これが八重桜になれば豪華絢爛優美妖艶の道行となったものであろう。しかしまあビールをはじめスッキリ系がうける現代なれば、これで上々とすべきか。
 一つ気になったのは簑助が用意した静御前の笠。市女笠風で透明感ある淡い色彩のものは、白拍子静を意識したものだろうが、これが逆にはまりすぎて静全体の立姿を弱めぼかしてしまった。全山桜のバックにあの衣装、扇に鼓、そのうえさらにあの笠では静はあまりにも一本調子になってしまう。あれでは狐忠信ではなくて静の方が春霞の中へ同化して消えてしまうだろう。それを防ぐアクセントが従来の黒塗りの妻折笠なのである。それはまた黒に金源氏車紋の忠信の衣装にも反映してくる。簑助の新案工夫にはいつも面白いと感心するが、この笠はどうもいただけなかったと感じたのは個人的な見当違いであろうか。

「八幡山崎」
  全一音上がる前と後とで分ければ、後の方がよかった。前はまず男四人の掛け合いが今一つしっくりこない。四段目の雰囲気のもとでの男四人、楽ではないのはよくわかるが、例えば忠臣無比誠実実直な佐藤忠信の描出今一歩。あと、亀井と駿河を音に高低を付けて語り分けようとしたようだが、b亀井が向うを支へたり  以降いっしょくたになってしまった。つまり静が登場するとそっちへ力点を置くあまり、他の人物造形が疎かになってしまったわけで、ここの端場も厄介な代物である。その静の出からの後半は四段目の雰囲気を漂わせるべく、得意の高音を活かして繊細な出来。がまだ生硬で、聴いているこちら側の聴覚神経もピリピリとしてほっこりゆったりするには至らない。山里の春、どこか肌寒く体を硬くする瞬間がある、という様子を表現したといわれたらそうかもとは思うが、今の津駒では精一杯の結果だろう。錦弥はよく支えたというよりよく導いたというべきか。それにつけても、絶品だったという駒太夫の「八幡山崎」は想像するに余りあるものであったろう。

「河連館・切」
  嶋・富助ともによく気を配り健闘している。が、敢闘賞ではどうしようもないのがこの一段。マクラから静の詮議まではまずまずとして、狐忠信が身の上を打ち明けるところからが問題である。狐詞や三味線の足取りもよく研究してあるものの不十分、狐が人間語をしゃべるという面妖さ不自然さの描出に至らず。緩急の足取り、間、変化にもまだ乏しい。b畜生よ野良狐と人間ではおつしやれども からの部分今一歩。b五臓を絞る血の涙 b胸を焦する炎ぞや は真実心の吐露がこちらの胸に応えず。そのあとも出自と理由を述べた事実確認にとどまり、b人間よりは睦まじく とはいかない。ここのところ、まさに「人間よりは睦まじく」聴こえてこなければこの一段は決して成功しないのである。畜生故に狐故に純化され結晶化された情愛。その精製は実に難しい。そして妻子狐への言及に、静は目を潤ませ、義経を呼ぶことになる。(ここで簑助の静が体を震わせて泣いているのは如何なものか。涙をこらえている仕草とするには目に立ちすぎる。静がたまりかねて泣き出すのは次の義経の述懐をうけてからである。詞章もそうなっている。いや詞章云々は理に落ちる。ともかくこの遣い方は浅はかなのだ。)義経のb生類の恩愛の節義身にせまる からの部分がどう語られどれだけ応えてくるか、ここで「河連館」の真贋が決定的に判明する。純化し結晶化された情愛が人間一人一人の心、つまりは義経の静のそして観客の心の中で溶解し、各人の持つ個々の具体的な情愛と結びつき、人間の情愛を更に大きく深いものとするからである。「河連館」は綱・弥七の録音が残っており、源九郎狐の述懐の部分はもちろん胸に迫ってくるのであるが、この義経の述懐に至って涙の溢れるのを禁じ得ない。何度聴いてもである。聴き狎れてたまたま狐の述懐では目が乾いていることがある、そんないい加減な聞き方の時でもこの義経の述懐にはひとたまりもなかった。まさしく『義経千本桜』であり、義経は狂言回しなどという軽々しいものでは決してないことがその度に実感されるのである。これは歌舞伎の四ノ切では絶対あり得ない。b身につまさるる御涙に、静はわつと泣き出せば  とはまさにそうなのである。芝居の文句ではない。人間の真実を描写した浄瑠璃作者の手腕そして節付けの妙味、人形浄瑠璃至福の瞬間である。妖術自在の狐が包みかねて思わず姿を現してしまうほどの涙とはいかなるものであるか、ここまで幾重にも積み重ねられた「河連館」の情愛の凝縮点、収斂された一点が義経の述懐なのである。(先程浅はかだと断言した理由もおわかりいただけたろう。簑助の勇み足、目に余るところも多く、浄瑠璃の妨げとなる場合もある。)
  鼓を下された源九郎狐の歓喜の極みは、その情愛の極みから生まれでるものである。しかし今回はいささか唐突で乱暴な喜び方と受け取ったがどうだろうか。段切りのツレ三味線にノリ間そして極めつけの宙乗りも、感極まって溢れ出た涙を打ち払うものとしてであればこそなのであって………。
  簑助の静、玉松の義経は既述。狐忠信も道行と同断、ということはここでは紋寿が勝っていたということになろうか。

 『千本桜』の二段目と四段目の半通し、これが成功する時とは、まさしく人形浄瑠璃空前の全盛期であるのだろう。そしてその時に居合わせたなら、源九郎狐ととも天に昇っていくことは間違いないだろう。いやはや企画制作担当氏もとんでもないことをしてくれたものである。おっと、それほどの盛況ぶりなら二ヶ月に一度位の割で通し狂言に準じた興行形態が可能であるだろうから、半通しなどということはあり得ないわけだ。「浄瑠璃三百年、明治大正期に比ぶるも、夢幻の如くなる哉、平成の御代に栄ゆる文楽劇場」 これはまた失礼を致しました。