平成八年十一月公演  

『菅原伝授手習鑑』

「加茂堤」 
 ここは大序がないといけない。時間の都合というのならば、朝日座時代に大序も安井汐待もやっていたではないか(この時は天拝山も上演)。国立になってからは勤務時間とか何やらあるのかしら。早速「すまじきものは宮仕へ」とでも嘆息せねばなるまい。大序で時平の大悪と菅丞相の見事な取り捌きを見せておいて重々しく大三重で収める。そして軽く高い三重でb豊かなれ と返しておいてハルフシのb引捨つるを語り、大序とは一転しての舎人三兄弟の世話話となるべきものだ。それが大序がないためにソナエで始めて仰々しくb引捨つる  とやることになってしまった。それに影響されたか津国と南都が大音強声一点張りでキンキンにやってしまい、桜丸が梅王松王を追い散らすまで何がなんだか、中途半端に肩ひじ張ったつまらない面白味のないスタートとなってしまった。兄弟の親しい会話も吹っ飛んだのは若い二人の責任だけではあるまい。今や『忠臣蔵』以外ではこの『菅原』のみに意味を持つ大序、その十年に一度の通し狂言である。それなのに制作担当者は『芦屋道満』で大序を付けて『菅原伝授』で大序を省く。これぞまさしく「いすかの嘴の食い違い」で、勘平ならずとも腹を切らねばなるまいて。その上さらに詞章のカットが重なってはその罪万死に値しよう。例えば「神詣での御車で罰が当たろとシヤ侭よの睦言聞いて」「菅丞相様の筆法伝授に取篭つてござるを幸ひ、お袋様へ神参りと願はせ」「取分け今日は御悩平癒の神いさめ、其の場所へ来て不浄が有ると、親王でも東宮でもきつと捕へて罪に行ふ」など、菅丞相七日の物忌みに加うるに今上帝の御病気、それをもわきまえず恋に走るとその取り持ち、敵方につけ込まれても致し方のない若気の至りを如実に示すという、こうした箇所などは省略する方がどうかしている。無論前回前々回を踏襲しただけだと言うのだろうがそれが安易なのだ。ましてや通し狂言である。丸本も読み直さずに時間の割り振りだけで手摺にかけるのなら小学生にでもできる。(まさか丸本が読めないと言うのではあるまい。そこまでの意欲も興味もないのだろう。官僚の前例踏襲主義の悪弊はここも例外ではなかったわけだ。官僚批判の大合唱の最中に文楽劇場だけが無事では済むまい。)しかも正月公演はまたしても「熊谷陣屋」切り売りで、「組打」も「流しの枝」も「宝引」もない。浄瑠璃は歌舞伎のミニチュア版ではないぞ。浄瑠璃は歌舞伎の姉ではないか。それが大事の東風と駒太夫風と正当チャリ場(「笑い薬」は浄瑠璃のチャリ場ではなくただの人形ドタバタ場)の名曲を断絶させようとしている。山城直系でありかつ文楽系三味線喜左衛門に仕込まれた越路大夫と、文七以上に孔明若男首の今世紀最高の遣い手玉男とが健在な内に本公演できちんと伝承しておくべきである。まあいい、断絶の時こそその責をこの時に遡って日本芸能史上に明記してやろう。汚名を長く永遠にだ。厚生省は対岸の火事ではないということを文楽劇場の官僚どもにも思い知らせてやらねば。さて、三輪は任せるに足る。場面進行それぞれの桜丸の心持ちが伝わってきた。貴は相変わらずだが「口説き落として」からの長地の語りにこれはと思える箇所が存在した日があったのは喜ばしいことである。が、音遣いなどとても越路の弟子とは思われない。咲甫・新ともに別はない。文字栄も公演毎に聞けるようになっては来ている。三味線は弥三郎も八介も難なくだが、八介の方に強弱緩急の変化が面白く聞こえた。人形は黒衣でもあるし別の段に改めるが、この段のシテ桜丸ではなく八重の方が印象に残った。

「筆法伝授」
 口は呂勢も文字久も面白くない。とはいえ浄瑠璃にはなっているから及第点か。希世の苦し紛れの弁解、あのノリが語れない弾ききれない。と、人形だけが浮いてしまう。観客はシラケる。まだまだ安心して端場を委ねるには至らない。
 切の綱大夫と清二郎。親子とはいえこの相三味線は抜群である。隙間がないし窮屈でもない。まずマクラ「主親の不興を受る種となり夫婦が二世の契りより」からの部分に大夫の一の音二の音の響き、三味線のねばりと手強さが聞き取れる。御台所の優しさ暖かさに戸浪の自嘲源蔵の恐縮。「折から」に浮いた音を遣い、そして玉男=菅丞相の気韻の前には源蔵はもとより観客までもが神妙の至り。希世の詞はもう少し何とかなりそうだが、玉に瑕というほどのものではない。希世の悪口源蔵の書写に「取上げ給ひ」の三味線のニジッタ音で丞相の詞、とカワリ足取りよく心得ている。「主でなし家来でなし」の厳しさは観客の胸にも応える。菅丞相は動かずに突き刺してくる遣いぶり。「身にしみわたる忝涙」「束帯気高き菅丞相」のカワリ。落ちる冠を受け止める手はずが少々乱れてもびくともしない玉男は菅丞相を遣いきっている証拠。参内後は舞台上も客席も堰を切ったように思いを吐き出す。その戸浪のクドキから希世の懲罰、御台所と夫婦の別れまで、心情をふまえながら力まずねばらずもたつかず、浄瑠璃の流れに任せたのは至極上々吉であった。人形は玉男の菅丞相は別格、「丞相名残」で詳述することになろう。文雀の源蔵は前回に比して格段の進捗。検非違使首の典型である源蔵をよく映していた。芸格がにじみでてきたものか。さすがは人間国宝である。戸浪は現在浪人の世話女房、そこを文昇は見逃さず、また後半のクドキなど悲哀憂愁の表情がよく出ていた。御台所は儲からぬ損な役回りだが品格備えて慈愛深く遣ったのは勘寿の手柄である。希世は反対に儲け役。しかし菅丞相の伝授場をわきまえなければ一段全体をぶち壊しかねない危ないもの。それを玉也は遣うところは存分に遣いながらも決して悪ノリや勇み足をせず上々の遣い方であった。この「筆法伝授」、二三四段の各切場は瑕瑾なきにしもあらずだったから、東京に引き続き大阪でも第一等の出来であった。

「築地」
  いわゆる跡というやつであるが、これがくせ者である。「裏門」もそうだが、結構面白いし切場の重みを解きほぐす役割も重要だ。しかもここがこけると切場自体の感動も薄まってしまうし、次段の端場までずるずると悪影響を及ぼす。この点から見て、文字久は落第、呂勢は合格と今度は差が出た。とにかく文字久は人物の語り分けが不出来(ということはカワリがなってない)の上に足取りも間も平板で、段切りも改まらなかった。浄瑠璃には聞こえたがこれでは全くダメである。見台を梅鉢紋にしたのも効果無く残念無念。三味線の団吾もそれに引きずられて何の印象も残らなかった。一方の呂勢は梅王の青息吐息から始めて「館の騒動、門外には鉄棒打振り警固の役人、輿にも召させ奉らず、菅丞相の前後を囲み、先に進むは時平が方人三善清貫」まできちんと語り分けての状況説明。また後半では「殿どころかい若い者油断している所でない」という分別盛りの源蔵の詞を見逃さず、梅王が築地の上から若君を手渡してから「胸は開けど開かぬ御門」まで、よく床本を読み込んだ上での語り口。意味と節付けと足取りとちゃんと押さえてある。そしてもちろん段切りで改まって初段を見事に幕とした。三味線の喜一朗もカワリと間と足取りと呂勢の浄瑠璃に劣らぬ出来で、これなら切場の跡始末としてよいだろう。師匠との稽古の賜物か、素質の良さか。人形も上々。休憩時間に観客の方は心置きなく弁当を食べられたという訳だ。跡の出来不出来が食欲と味にまで及ぶ、これは事実なのである。

「杖折檻」
 咲大夫の休演は何とも残念、相生の代役は宿祢太郎と土師兵衛は大丈夫だろうが女三人はどうもと不安であったのだが、公演前半からまずまずで後半に至ってこれは代役以上に本役としても上出来の部類に属するほどではないかと聴いたのである。さすがは相生、これぞ年輪のなせる技か。声柄からして「東天紅」は割り振られてもこの「杖折檻」は一生語る機会もないであろうのに、浄瑠璃世界に属する人とは怖ろしい芸力の持ち主であるなあと改めて身震いしたのであった。まず立田の前が抜群にいい。同じ覚寿の娘で苅屋姫の姉とはいえ、宿祢太郎を婿として地侍と平たい日常会話を交わす立場。その世話具合と世間慣れの塩梅が絶妙の詞遣いで語り出される。相生得意の写実主義はこの立田の前に新境地を開いた。覚寿は年齢出自相応の格があってまずは無難。もっとも例の「アヽ結構な親持つた持つた持つたと目に持つた涙の限り声限り」の所などは故南部大夫に燕三の浄瑠璃が今も脳裏から離れないが、公演後半には情愛の幅が出て思わず聴き入るほどにまで仕上げたのには驚いた。清介の三味線も東風の曲と相性が良く相生の欠を補っていた。それにしても大阪の人間は咲大夫のまともな浄瑠璃をここのところ聴いていないのではないか。休演はさておき、狂言の演目選定に大夫三味線を活かす視点は貫かれているのであろうか。この次の正月公演にはまたしても東風の視点をはずして「陣屋」を聴かねばならないのである。再び語る住大夫も内心はなはだ迷惑なのではあるまいかと同情せざるをえない。

「東天紅」
 一言で言えばクソ真面目。立田の前の誠心誠意とその悲劇が眼目で、宿祢太郎は性善説に重点が置かれ、土師兵衛の悪は強欲じじい程度。これは英大夫にとっては精一杯であろうし、確かに十分聴くにも堪えうるものだが。それでも何か物足りない。ここは浄瑠璃の語りとして「杖折檻」と「丞相名残」との間にあって存分に動くべきであるし動かねばならないところである。いろんな意味で面白い小段であるはずだ。それを語り活かしてこそ続く切場の一時間強が聴いていられるのである。三段目の「喧嘩」も同じ役割を持つ。従って今回、近代小市民的テレビドラマ、サスペンス劇場風に留まってしまったのは残念である。英にとっての最大課題がまたしても提示された形だ。これを乗り越えてこそ浄瑠璃世界を語る大夫すなわち三段目切場語りとして一人前になれるわけだ。「東天紅」を存分に弾き活かせなかった三味線の燕二郎に罪はないのである。

「丞相名残」
  清治に玉男一世一代の菅丞相の段を語らせた理由がわかった。これは深謀遠慮であったのだ。前回批判めかした私の浅薄な発言、実に愚鈍であった。これも死罪であろう。が、劇評家の気楽さは、無視されるかゴミ箱から焼却場へと送られるかで実害はないというところ。それも面倒なら本人に突き返していただければ今後一切勝手な送付は致しますまい。さて、何がわかったのかといえば、天神記すなわち道明寺縁起と菅公伝説の完成成就完結が今回の「丞相名残」で行われたということである。そのためには嶋大夫は未だ論外、住大夫は不適格、織大夫にはここに至る重要な伏線「筆法伝授」を担当願わねばならないという訳だ。前半を犠牲にしても後半に重点を置く以上、太夫より他の選択の余地はなかったのだ。つまり、今回の感動の頂点が段切りの菅丞相に人間的涙を見たというものであったとする輩(例えばA新聞のU氏)などは、人形浄瑠璃はもうやめにしてテレビドラマかアメリカ映画でも観て批評している方がよいのである。それにしても前半の太夫には困ったもの。平板に尽きる。人物の語り分けの変化に乏しく、詞−カカリ−地とか地−色−詞とか聴き分けもつかず、ともかくどこもかもずるずるべったり。一例にとどめるが「丞相は先程お立ち誰を迎ひに、心得ぬことながらこの方へ通しませい、苅屋姫は奥へ行きや、こいつはマちつと苦痛をさす」のところなど浄瑠璃の詞の素晴らしさに観客を唸らせるはずなのだが…。それでも公演前半は清治の引き締めの効果が利いていたが、公演後半にはいつもの脂が浮き出してしまい…。(にもかかわらずこのコンビの浄瑠璃を清治の三味線が慌ただしいなどと著名な上方芸能雑誌上で得々と述べていた御仁があった。関西の文楽批評のレベルはこの程度のものなのであろうか。やはり国立文楽劇場は範となるべき人形浄瑠璃のCD・LD化を進めて、観客の質(目と耳)の向上に努めるべきであろう。批評家も同断である。)ところが兵衛の首が打ち落とされてから様相は一変する。いやここまで来て前半の平板さがプラスに転じるというコペルニクス的転回が起こるのだ。それは菅丞相によって「暫時の睡眠前後を知らず」と語られる瞬間である。一連の出来事は夢の間のことであったのだ。すなわち不鮮明で非写実的な語りこそが観客の眼前で展開された事実を木像の奇跡の中に包み込まれる真実へと転換することを可能にする。故に立田の前の死骸は無惨に放置されているのではなく、天神記を真実のものとするための必然的な配置なのである。(それにも気付かぬU氏の評はもはや感想文でしかない。)ここからは太夫の大きく豊かで厚みのある音が有効だ。しかしそれを活かしたのは清治の緩急自在締まりのある三味線の功であることを銘記すべきである。「讒者のために罪せられ、身は荒磯の、島守と朽ち果つる後の世まで」に貴種流離譚を、「仰せはほかに荒木の天神、河内の土師村道明寺に残る威徳ぞありがたき」に鎮魂祭祀を見事に描いてみせた清治は、人間菅丞相をこの二十世紀末の日本においても神へと昇華させ得た玉男のまさにその神業にふさわしいものであった。段切りの菅丞相の涙はいうまでもないが、今回はそれよりも「立ち出で給ふ御詠歌より」から「ここに残れる物語」に至る部分のまさにその「物語」、事実が真実として夾雑物を排除して純粋結晶したもの、過去から現在を経て未来に至るナマの時空間から取り出され完結された、そのきらきら輝く美しくも冷たい結晶体の現出にこそ目を見張るべきである。歌舞伎ではせいぜいが菅原道真一代記の再現にとどまるであろう。人形浄瑠璃にしてはじめて成し得た、しかも玉男という一世紀に一人の人形遣いのさらに一世一代興行おいてのみ可能であった、この舞台に立ち会えたことの感激と喜びに涙は留まることを知らなかったのである。無論苅屋姫との別れの情感などいうまでもない、今回は百年に一度の体験であるのだ。全国の天満宮から集まられた神職の御方々も、目の前に展開した天神様の物語に感慨もひとしおであったろう。「天拝山」とあわせてこれで天神の社の御霊は今後一世紀百年の間は安らかにあらせられることであろう。浄瑠璃の言霊は人形の形代とともに確かに千年の時空を超越した。今回は「丞相名残」の段ではなく、正真正銘の「道明寺」の段であったのである。
 二段目の人形の総括。まず菅丞相については言葉もないが、次の百年に再びまみえるために言うならば、木像の菅丞相の遣い方を見るべきであり、「某これへ来らずば」の嘆きは首の傾け方と肩の動きとネムリ目のみで描出されること、まずはこれらから。そのあとの縁起や物語の箇所はちょっとやそっとの人間業ではどうすることもできない。並の座頭級では親子この世の別れの表現で精一杯だろう。(まあたいていの観客や記者や批評家はそれで十分満足するから問題はない。)よって割愛する。覚寿の文雀、持ち役であるが見せ場の浄瑠璃が前述の通りの次第であるから是非もない。とりわけ今回は菅丞相が神になられた舞台であるから、そのワキというよりもそのツレの中心人物としての役割を確実に果たし立派であった。大夫が大夫ならば「持つた持つたと目に持つた涙の限り声限り」や「孫は得見いで憂目を見る」あたりのところで十二分に感動の涙を流させる遣いぶりであったのだ。しかし源蔵が上々の出来だから以て冥すべきか。輝国の簑助も持ち役、というよりも玉男の菅丞相に配するには他では間に合わぬから。簑助にとっても生涯の記念すべきツレであったろう。土師兵衛の玉松も大夫のために損をしたが、さすがに遣うところはきっと遣う。客席から「ほんまに悪い奴やなあ、あのジジイ」との声が聞かれたのは玉松の徳である。宿祢太郎は簑太郎の動きのある大仰なものも面白いが、玉女の正統派立役遣いの登竜門としての宿祢太郎を推したい。「憎いながらも不憫な死様」に性根が表れているように、父親土師兵衛にそそのかされ軽率にも大罪を犯しそのまた軽率から悪事がばれるという、表大胆裏小心、小悪党振りの凡俗人の本性をきっちり遣ってみせていた。立田の前の和生は、相生に語り活かされ英によっても丁寧に描出されたおかげもあってか、抑制された中にも世話心のよく行き届いた生活婦人立田の前を表現し得て好ましかった。ここのところ平均点以上で師匠文雀の下での地道な努力が報われようとしている。苅屋姫の清之助は故清十郎を継ぐべき者としての芸を着実に自分のものにしている。今回も「加茂堤」での可憐さから二段目を通じて涙の女としての遣い振りをよく心得ていて、赤姫としては目立っていないではないかと思わせたところがむしろ好ましいのである。そこには自ら犯した罪の大きさを身にしみて感じ取りその胸を痛めながらも、斎世の宮への恋心と義理の父への情愛との横溢をとどめかねている姿がきちんと描出されていた。正月公演とかで文司とダブルキャストにされる程度の力量とは思えないのであるが、それともオラが目の悪いのか………。贋迎いは公演後半の方の眼鏡のかけ方に一工夫があり、隠しておいてパッと見せたから客席の笑いも大きかった。

「車曳」 
  語っても遣っても栄えのある場面であるが、全体として小振りの印象を受けた。これは浄瑠璃と三味線の責に帰せられよう。とりあえず人形の方が上出来である。第一は梅王丸で全段を通じてこれといった主役の見せ場はないのだが、玉幸が前回に比して各段の進歩。三人兄弟一番上の分別者でもあり理屈者でもある梅王の性根をつかみ、それをよく肚で遣って見せた。形も良く極まり、このままの線で年功を積めば遅蒔きながら立役の肚にも届こうかという所まで至ったと見えた。これは全段を通して言えることだ。ここのところ以前のように段取りに拘っていかにも人形を遣ってますよといった見苦しさも消え、確実な手応えが感じられた。こういうときは玉助でも襲名させて内と外からの相乗効果を期待するのもいいのではないか。まことに喜ばしい限りで、本公演随一の収穫であったといってもいいくらいだ。今後も更なる精進を望みたい。松王と桜丸はあとの切場で触れたいが、両者とも極まり形に少々難があったのと、これはいつも文吾の遣う人形が肌脱ぎになったときに感じるのだが、胴のあたりが薄っぺらい。拵え方に工夫が欲しい。しかし両者とも三段目四段目切場での出来は上々であるから、ここは全段通して隙のなかった玉幸の梅王の出来を改めて誉めておくことにする。ただ一点だけ苦言を呈すれば、段切りの三兄弟が互いに詰め寄るところで、桜丸と梅王が松王に叩かれるべくさあどうぞと首を差し出しにいくのはいただけない。当然松王が両者の出鼻を挫くわけだから、こういうところがいかにも人形の段取りですよと見え見えで、これでは人間のドラマではなく人形劇である。さて時平であるが、これは文句なく簑太郎である。玉女のも悪くはないし実際大きいのだがあれでは口開き文七としては物足りない。簑太郎は荒モノやチャリ首が遣えるというか、それらの首の活かし方いわば演出法に長けている。この時平の場合、車を踏み破って出てくるときにすぐには首をみせずためるだけためておいてバッと口開き文七の不敵な大悪の面構えを見せる。また、二人の兄弟を睨み付けるところの動きやねじり方が抜群にうまく、あれで睨み付けられれば「五体すくんで働かず」との詞章にいささかの誇張もないと納得されるのである。ともかくも人形の遣い方のツボを心得ているというか、舞台での見栄えが自分で遣っていながら見えているというか、父勘十郎の血は確かに受け継がれており、これもまた怖ろしい限りである。今回は特に大序がカットされての通し狂言だけに、肝心の時平の憎々しい大悪ぶりはここだけしか見られないわけで、その意味でも簑太郎の時平はこの通し狂言『菅原』における一大ポイントであった。これでこそ「天拝山」で菅公が天神となって天翔るのも道理なのである。天下を一呑みする時平こそ簑太郎の遣う人形であったのだ。一方三味線はというと大音手強い喜左衛門が悪いはずもないのであるが、力一杯破れんばかりの気迫に乏しい。これでまず一段が縮んでしまった。かつ、掛け合いの大夫連がこれまたいずれも敢闘賞モノでそれぞれの役割の性根をつかんだ的確な語り口で、ぐぐっと聴き込めそうにも感じたのだが、今一歩薄皮一枚が破れずにカタルシスに至らない。これでまた一段が縮んだ。こじんまりとまとまった「車曳」では面白くない。雄渾にして華麗、きびきびして迫力ある一段の成功には残念ながらあと少しのところで届かなかった。そうそう松香の時平に一言だけ。天子同然だから詞に位が必要なのはわかるが、あれではいけない。金巾子の冠を着しても自然とはみ出す大きさと不敵な憎々しさがまるでなかった。これも芸談口伝を鵜のみにしたがゆえの過ちである。

「茶筅酒」
 「在々の鋤鍬までも楽々と、遊びがちなるいちもの作り」「畑の世話より気楽なり」とあるマクラの詞章に違わず、前半は七十の賀茶筅酒の由緒話、後半は舅と嫁三人の仲睦まじい会話と軽々と語り弾く。その中にも情愛の滋味有ってやはりこの段はベテランの経験修業がものをいうのは小松・団七。ここまでの大時代とはぐわらりと変わっての世話場、焦らず弛まず持ち場の仕事をやってのけた。それでいて細かいところも見逃さないのはさすがである。「外聞」=「ぐわいぶん」はさておくも、庭の三本木に辞宜作法するところ「ここでここでここで」に桜丸への愁いの心持ちあり、八重が持参した三方かわらけに「ハテ気がついて忝ない」と沈むところなど、すでに桜丸自害の覚悟を聞き「一寸のばしに命をかばひ」の親心を伏線として押さえてあった。ただ公演後半狎れきったのか、少々語り崩れが見られたのはいただけないが。人形も公演後半の方の十作に良さが見え、舅に嫁三人は切場で総括するも、立ち居振る舞いそれぞれの個性が見えて文句ない出来であった。

「喧嘩」
  「東天紅」が英・燕二郎で「喧嘩」が緑・宗助とはまさしくライバル対決。軍配は公演前半は一方的に英組にあがったが、公演後半驚くなかれ緑組が欠陥を逐一クリアして大逆転勝ちを収めた。とすればやはり前向きに進歩の跡がありあり見えた緑組を誉め称えなければなるまい。男と女そして男同士女同士の語り分け、足取りに間は緩急とノル加減、「茶筅酒」と「桜丸切腹」との間の浄瑠璃異世界を堪能させるに、公演後半は及第点をだしてよかろう。面白かったし楽しめた。それにしても公演前半を聴いた限りではカスもカス、棒食らわさねばならないほどであったが。人形も梅王松王ともに「左右方力も同い年血気盛りの根くらべ」の通り遣えていたし、ここでも前回に比して格段の進歩の跡が見えて喜ばしい限りである。玉幸文吾は玉男後即の立役遣いの位置(これが地位と呼べればなあ…)にあるわけだから。

「桜丸切腹」
 第一は「訴訟」第二に白太夫の詞から八重と二人のこらえ泣きの部分、三四がなくて桜丸の述懐に八重のクドキ。逆にいただけなかったのが段切り。なるほど個人の風が大切に受け継がれるのもよくわかる。越路大夫と住大夫とからしてあれほどに異なるわけだから。この三段目切は世話がかって陰翳ある地味な語り場である。よって住さんには打ってつけなのだが、この大作にして名作の『菅原』三段目の切場には浄瑠璃音楽としての愉悦もまた存在する。一段終えてのカタルシスである。とすれば、桜丸の述懐と八重のクドキの部分が栄えてこないのと「佐太の社の旧跡」の物語として完成出来きれなかった段切りのものさびしさはやはり気がかりである。錦弥の三味線は住大夫と組んで以来以前の華麗さが影を潜めた。切場の三味線は並大抵でないという証拠ではあるのだが、どうも住大夫の浄瑠璃に一方的に引きずられてしまっている感がなきにしもあらずで、これも気がかりである。しかし今回の「桜丸切腹」が一級品であることは厳然たる事実である。
 人形について。作十郎の白太夫はいかにも在所の好々爺然としており、笑いあり涙ありの人間の情感をそのまま表現していた。面目躍如であろう。一暢の桜丸は登場から切腹の覚悟が出来ている上に淡彩の色気も感じとれた。成功だろう。紋寿の八重は可憐にして一途、「茶筅酒」のにこにこ睦まじさから「訴訟」での急展開のおろおろ姿に「桜丸切腹」のカタストロフまで、よく遣った。三段目中秀逸の出来だろう。松王と千代は四段目で触れる。梅王は前述の通り、文昇の春は一番損な役回りだが、堅実な良妻ぶり嫁ぶりはさすがであった。ともかくこの三段目「佐太村」は通底地味で、下手をすればずるずると欠伸睡魔を引き連れて幕がひかれれば大きく伸びをしてさあ弁当だなどとなりかねないのだが、客席をそこから免れさせたのは、現在の人形浄瑠璃の実力も捨てたものではないという証拠であろうか。

「天拝山」
  伊達大夫清友は三下がり歌から牛の講釈佐太の梅木話に鷲塚平馬の告白と、その味わいは十分に噛みしめられる。御菓子はおくわしと語り喧嘩もけんくわと語る。が、菅公の天神昇天の四段目という格や飛梅伝説を語る地合の風などが保たれないのは遺憾である。かつて大正期にこの段を語った古靭太夫の浄瑠璃はこの風も格も備わったさぞ立派なものであったのだろう。わざわざ録音に残されるものではなし、今となっては失われた時を求めることも叶わぬか。誠に残念至極である。しかし何にせよ今回は玉男の菅丞相である。面落ちして「骸は虚名蒙るとも死したる後は憚りなし」と言い切り平馬が首を打つところの気合い、私自身まさに「恐るゝばかりなり」であった。そして段切り「怪し怖ろし」はそのまま天神記の完成を意味し、荒ぶる神としての一面をも玉男は見事に遣いきったのである。公演終盤はまさしく芸力で遣っていた感がある。体力の衰えはさすがに隠せないが気力と精神力の発光雷電、これは玉男のことでもありそのまま菅丞相のことでもあったのだ。最初玉男の遣う菅丞相が上手から牛に乗って登場するや、ほとんどすべての観客が居住まいを正して舞台に向かったのである。この光景が意味するものは何か。戦後民主主義絶対のイデオロギーの視点からしか人形浄瑠璃を見られない哀れなU氏などは気付きもしていないだろう。げに今世紀最後にして最高の『菅原』はこうして幕を閉じたのである。(本堂が折れて岩崖になる大道具の工夫、客席からも驚きの歓声があがって上々。こういう趣向も大切にしたい。)

「寺入り」
 千歳大夫の端場はすばらしい。細部にまで行き届きしかも端場の軽味を忘れず。今回は以前に比してさらさらと、ことさら細部を強調せず、これ以上の「寺入り」は望めないのではなかろうかと思わせた。三味線もよく応じていた。

「寺子屋」
 絶対に許されないのが簑一郎とかいう無名だが背格好が大きいからやたらと目障りな人形遣いのよだれくり。笑わせる場はいくらもあるのにこれでもかこれでもかと執拗に執拗にまるでストーカーのごとくねちねちと笑いを強要する。しかもこの大切の四段目切場のマクラ一枚の語り出しの真っ最中に騒ぎ立てた。即刻首落ちにすべきである。即刻出演禁止処分を取るべきである。人形浄瑠璃の何たるかをまるで理解していないしおそらく理解しようともしない木偶坊とはよだれくりではなくそれを遣っているオマエのことだよ、オマエ。それにしてもなめられたものだなあ嶋大夫団六も。まあ摂津広助は置くとしても、古靭清六の床ででもこんなことをしてみろ、もう一生舞台へあがらせてはもらえまい。いわゆる廃業ですな、むろん自主的に。ところが簑一郎を処罰しようものなら、「現在の文楽は人形でもってるんや。文句あんのか。」とケツ捲られて、例えば簑助と簑太郎が抗議の出演拒否。国立側は大慌て、結局スター不在ではどうにもならず、観客動員至上主義の劇場首脳陣からは何のお咎めもなし、かえって「堀川」の与次郎をはじめとするチャリ遣いを大いに奨励するという声明まで発表する始末。哀れ再び忠臣蔵事件ならぬ「寺子屋事件」によって人形の絶対的優位が確認されることになるのであった。ああ情けなや。絶望した浄瑠璃耳利きの多くは家に閉じこもってSP復刻CDを聴きながら涙を流し、人形目利きの人々は小劇場の公演記録映画会の白黒映像を見ながら感慨に耽るのであった。ナムアミダブツブツブツブツ………
  嶋大夫は西風四段目の地合を語り聴かせてくれるであろうと思いの外、むしろ詞で勝負する気と見える。とはいえ、そんなに器用でもなく口捌きが良いでもなく人物語り分けの変化や足取り間の具合が巧みというでもなくチャリの面白味はむしろ苦手だ、とずいぶん苦しんでいたが、そこは切語りである。今や三味線紋下格である団六の三味線を得て何とか乗り切ったか。人形芝居の語り役としてはこれでも可とされるであろう。ともかく人気の「寺子屋」である。玉男一世一代の菅丞相であるのに夜の部の方が入りがいい。まさにそのドル箱「寺子屋」によって現在の観客レベルに満足を与えなければならないという使命は果たしたと言って良かろう。ならば切語りとしてまた三味線箱入り格としての職責は全うしたことになる。
 後半呂大夫富助に交代しても気分の中断はなかったなどと知ったかぶりを言う例のU氏はもはやどうしようもない。息を詰めて言う云々の芸談は名人の域に到達しようかというものにのみ当てはまるものである。至らない大夫三味線などが「それここが芸談口伝の大事の場所だぞ」と息だけ詰めても何になるものか。ここでの交代は別の意味で重要な欠点を持つのである。そしてその欠を呂大夫富助はまんまと示してしまった。すなわち、またここから一杯に浄瑠璃を語り語らせてしまったことである。初段からはさておき、三段目からでもすでに四時間。しかも首実験の緊張で観客の脳内は加熱し、焦げ臭い匂いが鼻孔に充満しそうなほど。ようやく松王丸が駕篭に揺られて帰ったので、源蔵戸浪もろとも舞台上も観客席も「ものをも得いはず青息吐息、五色の息を一時にほつと、吹き出すばかりなり。」なのである。だからこれ以後いろは送りまで、どのような曲であってどう節付けなされているか、地合の具合はどうでどのような手が付いているのか、よくよく察するべきである。一言で断ずるなら、情感を美しい浄瑠璃に乗せていけばよいのである。それをここに至ってなお仰々しいドラマに展開するとは。浄瑠璃後半は三味線に主導権を渡して音楽性豊かに語ること。この大原則の典型的な語り場ではないか、「寺子屋」の後半は。もっともいろは送りは大変結構でしたから悪口もここまで。
  簑助の千代は文五郎紋十郎に続く今世紀の傑作とみなしてもいいであろう。理屈はともかく観客席はすすり泣きにハンカチの花が咲いていたのだから。文吾の松王はまたまた長足の進歩。これはもう持ち役といってもいいレベルでは。文雀の源蔵に文昇の戸浪は初段と同断で結構。ワキがしっかりしてこその好例である。改めてここでも文雀が検非違使首を遣いきったことを言祝ぎたい。玄蕃の玉輝は毎回確実堅実で、日が当たるまでもう少しの辛抱だ。