平成八年正月公演 

『七福神』

 干支の筆頭子年でもあり、昨年の大騒乱を新ためるということもあっての狂言だと理解する。そうでなければ、この大夫・三味線陣の大盤振舞(というより無駄遣い)は何としても腑に落ちないからである。しかし、こうメンバーを集めてみると、それなりには聞こえてきたし、七福神から撒き手拭を戴くというのも縁起がいいしで、今年こそ良い年でありたいものである。もちろん九代目綱大夫襲名披露の祝福をも兼ねていることはいうまでもない。それにしてもかつてこの狂言と『三番叟』とを一年交代で初春公演の手摺にかけていたことがあったが、今思い返しても実にバカバカしいことであった。こうした実にくだらないお粗末な発想がバブルとともに弾け飛んだことを何よりも幸いとするものである。
 

『襲名披露口上』

 何ともさびしい。清二郎相三味線のお披露目が唯一の救いだった。
 

『太十』

「夕顔棚」
 伊達大夫には「新口村」を語ってもらいたかった。せめて「竹の間」であろう。ということは狂言の建て方に問題があるということだ。まあ今回は切場の新綱大夫に花を持たせるため。ところで四月公演にて太夫が切語りに昇進するらしいとのうわさを耳にしたのだが、当然伊達大夫も同時昇進であろう。いや、ここのところの出来ではむしろ伊達の方が上。もっとも、年功序列というのなら話は別だが、切場昇進とは実力次第のはずだろう。
 ということで、夕顔棚では評の仕様もない。文昇の皐は「老女の一徹」に欠ける。世話の婆はずいぶん良いのだが、光秀と思わず顔を見合わすところも緊張感に欠け、ここで身代わりの死を引き受ける心のうなずきが表現されず。語り三味線ともこの人形に引きずられたというものでもないが、どうも武士の妻、光秀の母という実感に至らず。歌舞伎で言う三婆ではないが、なるほど武士の家の婆を遣いきるのは至難の業である。よくわかった。すると玉五郎とか文雀とかはさすがに手だれ、侮れないということも再確認した。簑助の十次郎はこれなら初菊も惚れるはずだし、母の操も自慢の息子であるなあと納得させる若男ぶりはさすが。が、初陣に討死の覚悟を極めてきたという悲壮感は未だし。さあ戦いで手柄を立てるぞという感じで、颯爽とはしていたものの今一歩である。「尼が崎」のマクラ「思案投げ首」も変になまめかしい首の傾き方で、「残る蕾の花一つ」は出来たが、「水上げかねし風情」は不十分という感じであった。文雀一暢玉幸はそれなりで傷なし。

「尼が崎」
 第一は玉男の光秀。第二には光秀を中心に十次郎皐操初菊そして久吉という人形陣の遣いぶり。第三に相三味線清二郎のまっすぐな弾き方。そして新綱大夫の語り。 玉男の光秀は今更何を言うつもりだと思われるのは百も承知なのだが、一つだけ。「光秀が一心変ぜぬ勇気の顔色」のところ。何と玉男の光秀が極まった時、観ていた私が思わずのけぞってしまったのである。私は毎公演定点観測のため5列25番付近なので、人形の正面にいたのではない。それなのにである。まさに至芸。よく名人の芸談でそんなことほんまにあるんかいなと思えるようなものがあるが、これなどもその伝であろう。あれこそ正真正銘「取りつく島もなかりけり。」である。いやあ驚いた。大したものだ。すばらしい。玉男バンザイである。(もちろん語りと三味線もよく、三業一体なればこその出来事である。綱・清二郎もお見事。)
 第二は手負いの十次郎が戻っての愁嘆場。「つぶさに語れと呼ばはれば」の極まりどころ。あの一瞬は何としても写真に撮りたい。ビデオなら再生を一時停止して静止画像化したい。人形極まり型の特級品。人形舞台の極上物。語り三味線との間合いもバッチリ。例の大落しも同断(こっちは語りが音に届いていない至らなさはあるが、綱もさすがに力でねじ伏せた)。光秀で泣かせるとはまさにこのことだ。
光秀を除く四人の人形だけでも「妹背の別れ愛着の道に引かるるいぢらしさ」のところなどうまいしよかった。各々の人形がひとつになって結構でした。
 第三は素質の良さ素直さ真っ向勝負気っぷのいい三味線。嫌みや匠気が全くなく、好悪でいえば錦弥よりも清二郎を取りたい(錦弥については「御殿」で詳述する)。もっとも切場の音や間にはまだまだだが、これらは努力と経験が形作るもの。今どうこういうべきものではない。綱大夫なら近松物だが、清二郎にとってはそればかりでは辛かろう。そう考えれば「太十」は、綱大夫よりも相三味線清二郎のお披露目として適切な狂言だったということになる。安易に断罪した私は恥じ入るより他にない。親心なのだろう。光秀と十次郎とは床の二人でもあったのだった。
 さて肝心要の新綱大夫だが、時代物といっても東風でしかも四段目はオクリからして明白。となると結構辛いものがありそうと思っていたらその通りであった。前半部光秀の出までがいただけない。声柄でないし音に難が多い。浄瑠璃の快感に至らないのでは困る。情を語るのは当たり前の話で、浄瑠璃の華麗な音楽性が堪能できるのが東風の曲なわけで(ギンの音とかあるが、当方も理解し切れていないのでこういう表現で御勘弁頂きたい)。あの古靭絶頂期の「太十」は当然として(清六の三味線を聴くと段切りの「駒のいななき」のところ、ほんとに馬がシャンシャンと登場し、ヒヒーンと鳴き声しているのがわかる。とんでもない力量である。)、山城受領した後衰えを隠せない時代の録音「熊谷陣屋」を聴いての驚きは、その音楽性を逸らさずに伝えていること(藤蔵の三味線も華麗雄渾でピッタリ)。だから綱大夫も襲名披露狂言として東の曲を語るからには何とかしてもらいたかったのだ。後半部光秀の出からはグイグイ持っていき浴びせ倒す迫力もあり段切りのテンポスピードまでまずはよろしいのではなかったでしょうか。ただ、皐が映らないのであのクドキが応えてこなかったのと、久吉の出からの爽やかさ浄瑠璃の晴れやかさが今一つであったことなどが残念だ(これは人形の玉幸にも責任がある)が、幕が引かれる前の柝頭で手をたたきたくなったというのは事実で、人形陣に加えて子息清二郎の手柄もあり、全体として成功裏に終わったといって良いだろう。ただ、おばちゃんたちは「ふう、やっとおわった。長かったなあ。」と溜息ついてたけど…。
 

『明烏』

「山名屋」
 こういうものはどこがどうという小難しいことはなく、とにかく楽しませてもらえればよいわけで、追い出し付け物でもあり、デザートのようなものだろう。さて、嶋大夫・富助は「川連館」「酒屋」と、敢闘努力は認めるが、物が物だけに十分には至らなかったのだが、今回はそれなりによかったのでは。つまり、作品の格と大夫三味線の格とのバランスがとれていたわけである。おたつの語りが紋寿の遣いと相まって好ましく、道具替り三重の後の「浦里がふさがる胸の氷より今を限りの憂き思ひ足もしどろにふるわれて」が、艶やかさの上に哀感が感じられたし、「音も鋭き縁先の障子開くれば主の勘兵衛火鉢に差し込む鉄灸の」ところも、冷え冷えとした中の凄絶さがうかがいとれた。玉也の人形も憎々しく出来た。それにしても世話物のカワリというのは難しいものだと思う。『素人講釈』にはうっとりと聴き惚れた旨の逸話が載っているが、世話物の名人の芸とはどのようなものであろうか。いつか巡り会えるときが来るのだろうか…。それはそれとしても、彦六がひどい。なってない。つまらないし聴くにたえない。面白くなく下手である。おかやはそれに比べるとまだましだが、それでも味が出ていない。両者とも人形だけがドタバタとしていた。客席はそれでもうけてくれるからありがたいというものだ。その人形だが、浦里はなるほど憂き思いはわかる。わかるけれども、花魁が湯上がり姿そのままだというのに、色艶に乏しいのは如何ともし難い。師匠ゆずりの和生、今回はまさにそれが玉に瑕。文雀も苦笑いしていたことだろう。狂言の格からしてもっと卑俗にあからさまに遣ってよかったのだ。その点おかやの勘寿は段切りにかけて徹底していたが、「欠伸まじりにおかやは立ち寄り」とあるのに、その前の仕草が二人を気に懸けるように遣っていたのはよろしくない。なるほどおかやとしたら折檻から浦里のクドキの間は手持ちぶさただから何か動きたいところだが、やたら寒がったりする無意味な動きとしかも納得できない遣い方というのは戒めるべきだ。文吾の彦六は語りのノリの悪さもあるが、映えないし冴えない。ニンではないのだ。富助は世話物の三味線としてはふくらみとやわらかさとが課題だろう。
 というわけで、こういう外題はそれこそ十五年二十年に一度でよい。国立開場以来通し狂言の上演が一度もないという『一谷嫩軍記』のほうが重大問題だ。
 

『面売り』

 天狗の面はわかるだろう。が、二十代はもちろん三十代でも前半なら、福助やひょっとこおかめはどうだろう。文化伝承をせず、刹那的に大量生産大量消費を繰り返すだけの不毛な現代日本文化。かりに面の種類はいいあてたとしても、この「面売り」を楽しめるだけの幅があるだろうか。人形の滑稽な動きだけなら観ていて楽しいことは楽しかろう。浄瑠璃として、総合的な人形浄瑠璃として楽しめない現状。チャリ場の命運もまた然り。故に「笑い薬」でなく「宝引」こそチャリ場の真価を問うべきはずのものなのである。白紙に殴り書きをして痛快爽快自由奔放と狂乱するフロンティア精神とやらに見事に騙されて五十年。目が覚めるどころか麻薬の毒は脳神経を冒すところまでに至っているのだ。
 

『先代萩』

「竹の間」
 ここをわかりにくい良くないとした新聞評があったが、それは掛け合いにしたためである。大夫三味線人形ともいい線であった。マクラはさすがに小松が一日の長。英の心遣いは認めるが「制す」「光り失ふ」「蟄居」「所労」「所存は深き奥御殿」「堅く改め」そして「むさと風だに通さざりけり」と結ぶこの文言の表現は小松ほどの大夫でないと描出は不可能であろう。この空気が切場の「御殿」から「政岡忠義」の前半まで舞台を包んでいたのだから恐ろしい。(立)端場の重要さここにありだ。腰元の咲甫はわざわざ浄瑠璃声というものを作ろうとしているが、これこそ初心者の陥るワナの第一である。千松の新大夫は下手。ダメ。この一言に尽きる。何がいけないのかは切語りに昇進なさる大夫殿にお聞きになればよろしい。鶴喜代の呂勢はいい。はまっている。栴檀は双葉より芳しの主君ぶりと幼い子供の純粋無垢とが絶妙に塩梅表現されていて、政岡同様こちらも思わず涙ぐんでしまった。と誉めても呂勢としては複雑な心境だろう。その政岡の小松は結構。これなら鶴喜代君が心をお許しになるのももっともと思わせるお乳の人の表現であった。一方八汐は底意地の悪さが出ており英もよく語った。が、ここで一考。この八汐は岩藤と同じ首で性根もそっくりなのだが、一つ大きな違いがある。それは、岩藤が局格で武士の出であるのに対して、八汐はもともと素性の卑しい者であるということだ。その素性の卑しさがそのまま言動に現れた実に唾棄すべきいやらしさがあるのだが、そこのところまで表現できていれば、今回の英の八汐は満点をあげてもよかったのだが。沖の井は津駒である。この沖の井はいわば正義の審判者とでも言うべき役割であって、もともと政岡の味方ではない。鋭い観察力と正確な判断力でもってこの異様な御殿の様子の真実を探り当てるのだ。決してこのお家騒動に深入りはしない。しかし、善悪を裁く立場を割り当てられている。冷静で中立、しかし心中の情愛はあふれんばかり。こういう第三者的人物がきちんとつかまえられるかが人形浄瑠璃の大切な決め手の一つである。「熊谷陣屋」の義経、「太十」の久吉、皆然りである。ともすれば政岡べったりでいかにも善い者ですよと見せびらかしたくなるのだが、津駒の張った硬めの声柄にも合い、それらをわきまえた語り口となって満足の出来。小巻の貴は評するに及ばず。が、日程後半の方が良くなっていたのは、それなりの年功を積んだのが無駄ではない証拠。人形については後ほど併せて記したい。清友の三味線は目立たないが、この掛け合いを見事に成功裏に導いた功は偉大である。
 「竹の間」は大切な立端場である。これがあるとないとでは切場の「御殿」「政岡忠義」の意味内容がまるで変わってくる。それを珍しいなどと評する記者はいつまでたっても人形浄瑠璃というものの演劇性を永遠に理解できないことであろう。

「御殿」
  至福の時間を過ごさせていただいた。感激である。とりわけ玉男の政岡が絶品。詳述してもすべてがすばらしいとしかいいようがない。筆を捨てるしかないとはこのことである。それでも評というからには一つなりとも触れねばなるまいから書く。千松を励まして雀の唄を歌わせるべく自ら歌い出す「七つ八つから金山へ金山へ、一年待てども、まだ見えぬまだ見えぬ」のところは、千松殺害の後の愁嘆のクドキの重要な伏線にもなっているのだが、それとは別に大切な仕所でもある。政岡はこう歌ううちに自分の世界に入り込んでいるのである。ここ数カ月数週数日の心労はそれはもう言語に絶するものがある。しかもわが子千松には鶴喜代君の手前もあってむごいほどの辛抱をさせ続けているのである。あれやこれやの思いが頭の中をぐるぐると駆けめぐっている。唄は自然に口をついて出る、飯炊きはもう煮上がるのを待つより他にはない。この御殿の中三人だけ居るにおいてはとりあえず安心だ。というように、時空的ホールがぽっかりと穴を開ける静寂の瞬間が現出するのである。それを鶴喜代の「乳母まだ飯はできぬかや」の言葉で、はっと我に返る。この一連の遣い方である。それはまた住大夫の語りともピタリ一致しているのだ。その住大夫もマクラからオクリまで、まさしく御殿の格を底にもちながら、情愛慈愛にあふれた語り口。「腹がすいてもひもじうない何ともないと渋面作り」のところで早くも聴く者の心と眼は涙一杯になってしまうほどの素晴らしい浄瑠璃であった。それでもなお評せねばならぬとすれば、あえて望蜀を語るしかあるまい。受領級紋下ならば、御殿の格を通奏低音であるとすると、天上には甘美な調べが漂っていることであろう。摂津大掾の「御殿」はきっとそうに違いない。そして、ゆったりとした流れの中のところどころにある足取りと間の変化が絶妙で、「聞く悲しさを堪へかね」から堰を切って迸る政岡の胸中一杯の思いが、官能の極致となってカタルシスへと導いてくれる。「千万石を手の内に〜心の奥の信夫山忍び涙の」ところの作者入魂の詞章が見事に感動となって客席一杯を覆い包むのである。そして、「常々母が云ひし事必ず忘れまいぞや」がこのあとの悲劇を予測させるとともに、母が息子に言いかける最後の言葉であるということをきちんと聴く者の胸に応えさせておくのだろう。玉男の政岡はこれらもすべて兼ね備えていた。つまり受領に十二分に値する芸格なのである。さて、この完璧な宝玉に一点瑕がある。錦弥の三味線である。「三味線は心に弾きて手に弾くな弾けよ弾くなよ心素直に」と、昔の人がズバリ言い当てているではないか。舞台とも語りとも遊離分離している音。耳障りがよい技巧が確かを通り越して、耳障りで気障な三味線。間をうまく取るのでなく間を持たせもってまわった弾き方。故錦糸師匠の蝙蝠傘の打擲はここにあったにちがいない。模様弾き具合弾きは故意に生まれるものではない。自然と音にのっかってくるもの。仙糸の三味線がこれである。きらきらと輝いて千変万化変幻自在の三味線であるが、まったく人為人工の痕がない。術者は術に溺れ、巧者は自らの仕掛けに足を掬われる。大成すれば恐ろしい三味線弾きとなるであろう素質があるだけに錦弥には十分心してもらいたい。確か東京十二月評でも同様の指摘があったはずだ。切場の三味線とはよく弾くというレベルの問題ではないのだ。

「政岡忠義」
 政岡のクドキのところ、公演前半は玉男をはじめ呂も清介もセーブ気味で、ここはむしろもっと派手にいってもいいのではないかと感じたのだが、公演後半はちゃんとやりこんで結構でした。「さすが女の愚に返り人目なければ伏し転び…前後不覚に嘆きし」と詞章にもあるのだから。そうやってこそ、「悪の報ひは忽ちに心地よくこそ見えにけり」で、政岡と沖の井に支えられて短刀を手にした千松とともに観客もまた鬱憤を晴らして、思わず拍手喝采することが出来るわけである。文雀の八汐は「素性賎しい銀兵衛が女房づれ」と政岡が罵倒するに値する遣いぶりで局岩藤との違いが見えた。紋寿の沖の井は前述した立場をよくわきまえていた。「先代萩」成功の隠れた殊勲ここにありである。文昇の栄御前は「始終政岡がそぶりに気を付け」の通りに遣って、その後の独り合点が十分納得できた。ともかくも今回の「先代萩」は、これで四千円は安い堪能した、と言える久しぶりの快挙であった。

「床下」
  これは珍しくも大阪朝日のU氏の劇評がぴったり。こういうのを見せられると、ああやっぱり歌舞伎やねえ、人形浄瑠璃は地味やし面白ないわ。ということになる。
 

『新口村』

  「先代萩」の追出し付け物に「新口村」とは贅沢な話である。メインディッシュが素晴らしく、質量ともに満足したあとのこのデザート。これをいただいて、ほんとに人形浄瑠璃て結構やねえ、また来さしてもらお、となるのかどうか。さすがにメインディッシュの快楽を無にするようなことはなかったが、腹ごなしにつきあったという程度であった。いくら簑助の梅川でも三味線が清治でも、肝心の浄瑠璃が全体として捉え所がないのでは評し様がない。ええっと、NHK教育で一度観たことがあるぞ。確か越路−喜左衛門に勘十郎の孫右衛門、梅川忠兵衛は誰だったが忘れたが、あのビデオどなたか貸していただけないでしょうか。別にわざわざ劇場まで足を運ぶ必要もないわけだから。そうそう、こんな愚にもつかぬ評をしているヒマはない。四月公演に向けて山城−清六の「葛の葉」、SP復刻のCDを脳味噌が溶解するほど聴かなければならないのだ…。