平成十年正月公演  

『弁慶上使』

  これぞみどり建て狂言の華であるべきものだったのだろう。と、過去形にさせていただく。今回、酷さ理不尽さと空虚さのみが残ったからだ。

 まず端場の松香が今一歩である。これでは、茶を飲むほどしんどいとも思われないし、「おわさ」と言う名前にもピンと来ない。不十分である。それゆえ切場の弁慶の出のマクラも冴えない。端場の仕事をきちんとはたしてもらいたい。八介は及第だが。それにしても、この場は錦秋のはず。いつから満開の桜となったのか。しかし大正期の舞台写真からしてすでにそうなのだから、やはり通し狂言として成立しなくなった証拠が、この桜の背景であるということなのだろう。

  切は清治だが、「志渡寺」の勢いで浴びせ倒してもこの場は何ともならない。それどころか、前述のような有り様である。ニッポンジンムゴイネ。サムライコワイネ。封建制の残滓を弾劾すべきである。等々、外人からいわゆる知識人まで言いがかりをつけられてしまう程度の出来だった。まず卿の君への挨拶が、ほとんど脅迫である。いざとなれば命を投げ出す覚悟をせよと言わんばかり。そして侍従夫婦の苦悩が不十分だから、そこの一連が、信夫の覚悟を聞いてやれうれしやと思うそばからおわさの差し出、見下げ果てた女と短気の癇癪腹を立てるつまらん奴等、としか見えない、聞こえない。おわさのクドキもその前後との変化に乏しくずるずると語られて全く冴えない。そして真実の父とも明かさず一えぐりに刺し殺し、これで役目は果たせた、義経公も御安泰とは身勝手もいいところ。ほらこれが悪の象徴封建道徳、滅私奉公忠君愛国の実例は目前。おわさの嘆きもその不愉快さに巻き込まれ、気がつけば弁慶一人カッコつけての物語。白けた客席に大落しだけが空しく響く。太夫の大音叫声と清治の見事な撥捌き。ハイこれで終わりです。「素人講釈」にもあるように、明治期には俗受けするように語り崩され弾き崩され、当時の「俗」に受けたということは、現代の「俗」に受けないのは当たり前。表面をただ流れていくだけの対象に身を任せたゆえの結果である。時空を貫く不易を見失った文楽もまた同じ運命であるのだ。人形は文吾は玉男流の理知的弁慶、玉幸は古風な荒物弁慶でどちらもまずは良し。ただ床が床だけに十分遣いきれず残念。おわさはもっと「わさわさ」すべきな文昇ではあるが、清之助の信夫と合わせて母子の情愛は描出していた。侍従夫婦はワキとしてはあれでよかろう。が、全くのワキにしかすぎなかった一暢と勘寿。卿の君は論ずるに未だ及ばず。
 

『妹背門松』

 まさしくお染模様の簑助一色に住大夫ワールド。堪能したが疲労感が残った。せめて伊達・団六の「油屋」があればなあ。山家屋清兵衛の爽やかさと相まって一陣の風が吹き抜けてさぞ心地よかったであろうのに。

「生玉」
  貴もよくなっているし、津国も浄瑠璃大夫である。呂勢ははまり声であるし。そしてそれよりも、このカケ合いをリードした宗助の三味線が見事なものであった。簑助はこれぞまさしく得意中の得意。遣い倒しても誰からも文句の来ないキャラクターである、このお染という女は。(観客にはぜひ「油屋」を見てもらいたい。お染が親の押しつけだという清兵衛がいかにすばらしい男であるかを認識してもらいたい。そうすればこのお染という女について思いを新たにすることができるであろう。我侭勝手なお嬢様。私のためにすべてが迷惑してもそれは当たり前。何せ私は向日葵なのだから。そうそう、このお染が上に兄貴のいる妹だということもお忘れなく。跡取りの姉ならばこのような女にはならなかったはずである。今回も「油屋」をカットしたのはどうやら簑助=お染帝国に影をさす障害物を除去したかったというのが劇場側の本音だろう。何せ簑助の人形は「千両箱」<おっとこれは間違い。この国は五十年以前からアメリカの政治的経済的軍事的、そして今や加えて文化的植民地なのでしたから「ドル箱」が正解です。CIAに知れたら抹殺される所でした。危ない危ない。>に見えるそうですからね。)久松は玉女も非はないが、和生が随分すばらしかった。久松の性根若男首の性根をよくとらえ、文雀の左としてよく仕えた人だけあって、細部まで行き届いていた。さて、全く別の話だが、切場につなげるためとはいえ、二人の大夫をぶん回しに載せるのはいかがなものか。それはすなわち津国をツレのように扱うことでもあるが。顔付はもちろん浄瑠璃語りとしても津国は呂勢より上の上。声質だけでこうなっただけのこと。この点だけからもやはりこの場はカケ合いにすべきでないな。それとまたしても「夢」の札。観客をバカにするにもほどがある。いやいや、国立劇場は「文楽」とは人形を見に来るものであって、もはや浄瑠璃の文句などわからなくてもいいと明快に宣言しているのだ。「人形」の解説のために、最も大切な浄瑠璃を聞くべき耳の片方を封鎖させる器具を積極的に使用させ、「胡蝶の夢とさめ果てて」との詞章など放ったらかしで、視覚に訴えるバカでかい札を吊るすのだから。

「質店」
  簑助−住大夫・錦弥、このトリオは今の「文楽」にとって欠くべからざる存在である。見やすく聞きやすくわかりやすく、まるで茶の間でホームドラマを見ているようで、それが古典芸能人形浄瑠璃であることを忘れさせてくれる。何せ現代日本人は味覚障害の人の数多く、人工調味料や甘味料を使わない自然な味を認識できないのだから。それゆえ京都のしば漬けといえば名の挙がる東山の某店の物が調味料着色料漬けであるのは有名な話だし、お茶の老舗某店の物はしっかりグルタミン酸をまぶしてあって、濃厚な旨味の茶であるととりわけ接待席の官僚には評判が良いというのも、その筋にはよく知られたことである。こと「文楽」に関していえば、現代の強烈な視覚的聴覚的刺激に感覚を麻痺させられた人々にもしっかり喜んでいただけるようにと、この三者が簑助色住大夫風(いや、風などという爽やかなものではないな。むしろ臭と呼ぶべきであろう。)のたっぷりじっくり、もったいを付けてこれでもかこれでもかと長々と演じてくれているわけである。自然な動きの中に、そして浄瑠璃の流れの中に浮き沈みしている淡々とした情感を感じ取り汲み取ることを求めるなど、観客の足を劇場から遠ざけることにしかならないことをよく理解している国立劇場側も、この三者を全面的にバックアップしているのである。そうでなければ、「文楽」は輝ける未来に生き残れないのであるから。ともかくも当代の極上品。批評云々できるものではない。ともかく劇場に通うべしく。私のようにとても時代の進歩についていけないような脱落者にとっては、「野崎村」と同様に駒太夫才治が録音を残しておいてくれたらなあと思うばかりである。玉男の久作もお付き合い。この浄瑠璃にこのお染なら久作はこうでなくては違和感が際立つだけであろう。ここでも和生の久松が良く、紋寿のおかつにも見所があった。

「蔵前」
  咲大夫がすばらしい。清友も良い。佳品に仕上がった。前半の蔵場はそれとして、白骨のお文からが秀逸である。作十郎も一人娘への老父の情を見せて上々。これを善六のチャリと二人の駆け落ちとで始末を付ける改作など、いかにもこの浄瑠璃を聞き分けも見分けもできない人のすることだ。が、これも当時の「俗」受けのため。責められまい。ともかく、こう見事に白骨のお文を語られると、お染久松は死に至るのが自然であろう。本来の戯曲の正しさ素晴らしさを舞台上の浄瑠璃で指し示した咲大夫清友そして作十郎の功は称揚して余りあるものである。
 

景事『釣女』

  不及論。故に不見。伊達津駒千歳小松団六団七…ああもったいない。はいはいわかってますよ。正月公演ですからね。「七福神」よりはまし。仕方がない。
 

『良弁杉由来』

 今回全体を通してもっとも完成度が高かった。戯曲の不出来を吹き飛ばしたのは演者の工夫、三業の成果。団平の遺産を後世に伝えようとした古靭栄三らの舞台を見事に継承し眼前に体現してみせた。

「志賀の里」
 今回もまた千歳と宗助コンビに脱帽である。この話、渚の方の光丸への愛情の深さがすべてを収斂する。それをこの二人はものの見事に聞かせる。それはもちろん節付けした団平の力量を証明していることになるのだが。それは、三下り歌がなおり情景描写の後、ひときわ格調高く丁寧に思いをこめて奏演された「鳴きつる方のゆかしさよ。」以下の部分である。この「ゆかしさ」とは、とりもなおさず最愛の夫とその愛の結晶である一人子の光丸との素晴らしい日々が営まれていた京の都に対するものである。あの失われた黄金の時、と振り返って見てもそこに残るのは時鳥の声が吸い込まれていった空間のみであるのだった。このように観客の耳をとらえ心を掴んだということこそ、この一段の成功の基であったのだ。「都の雲井いつしかに」「夫には去年にみまかりてなにを頼りに渚の方」「忘れがたみの若みどり」以下、もはや言うまでもあるまい。毎回言うようだが、今回もテキストを読み込んで線を引いたり二重丸をしたりして劇場に足を運んでいるのではない。客席に座り、膝の上に床本を開いておいて耳を床に目を舞台に向けているだけである。そして、語り出されてここまで来たとき、ハッとして床本に目を落としたのである。そうか、ここはそういう意味であったのだと。千歳宗助の浄瑠璃がそれを聞いた耳から聴覚神経を通って大脳皮質を刺激してはじめて、床本に線を引き丸印を付したのである。段切りの「狂い」の一語も挙げておいて良いだろう。宗助の三味線、大きく太く前へ前へと音が出るようになってきた。それと今回は南都も良くなっていた。公演初めの方もそれなりだったが、楽日前日はまた一層の進歩の跡がうかがえた。浄瑠璃がようやく体に馴染んできたことがよくわかる。これからも日々刻々名人の浄瑠璃を聞き続け給へ。作ろうとするな。最初は「まねぶ」からスタートである。始も咲甫も前年よりも良くなっている。古靭清六などをシャワーのように浴びなさい。

「桜宮物狂い」
  道行仕立てである。呂・清介のシンが良く、三輪・八介のワキがしっかりしている。(ツレもまずまずだが、文字久の「姿すうわり」の「すがた」の「が」は鼻濁音にしなくては。濁音のままで耳障りであった。)清介は弾き出しから渚の方の出まで、替え手も華麗に花売娘と吹玉屋の耳目を喜ばすべき所、お見事であった。そして渚の方の出になると、呂大夫も「いたづらに」「空心」「うつつなき」と続く詞章と節付けにきちんと意を用い、「藁草履ぶらくく」まで、よく心して語っていた。とくに楽日前日の方がより進歩の跡がうかがえた。清介の三味線も「あらしの」の後のチン一撥をはじめ音に心が有って団平の遺志を継ぐ。文雀も「ふっと気のつく渚の方」からの悔改心の描出と船上のうわさ話に再び心を動かすところまで、至難の人形を遣って見せた。栄三−文五郎はいさ知らず、玉男−文雀の『良弁杉』もまた後世の手本となろう。ただ浄瑠璃に関して欲を言えば、途中の物狂いのところ、浄瑠璃の流れに見え隠れする渚の方の悲哀が、自然と描出されればもう至上のものであったのだが。SPでしか知らないが、仙糸の三味線なら、そこまで弾いたのであったろう。具合弾き、模様を弾くことの難しさ。左手の大切さ。満開の桜の中、心地よい華麗な旋律に身を任せるとき、不思議にも目に潤む涙の玉こそ、三味線弾きの左手の為せる技なのである…というのは眼前のことではない。往時を想像してみたまでである。しかしこの想像上の追体験も夢でない日が来るであろう。そう願ってやまない。そしてそれを可能にする才能もまたここにあるはずだから。

「東大寺」
  伴僧と渚の方とのやりとりが素晴らしかったのは予想通り。相生喜左衛門の功。しかもマクラからの大寺院東大寺の風格描写が的確で、「よそながら伺い見れど厳かに寄りつくことも浅ましき」など見事であった。これでこそ次の「わが身のさまに気遅れし、思案も出づる涙さへ、胸にせまりてゐたりける」が真実になるのである。ここでも団平の曲節の見事なこと。そしてそれを再現する確かな技。熟練の域。玉松もさすがによく遣った。ここの文雀も意有ってよし。

「二月堂」
 ここは切語り五人(伊達も加えて当然)のうち、綱大夫より他語れる人はいない。風格、気品。誰が語っても俗っぽさが漂うに違いない。さて眼目の「そんならあなたが」「そもじが」以降、客席はそこここからすすり泣きの声が漏れ、手巾で目頭を押さえる者もまた数多かった。『良弁杉』一段の成功である。玉男の僧正と文雀の渚の方の抱き合う舞台の崇高かつ人間的なこと。普遍的な親子の情愛が感動的に描かれていたからである。そういえば、テレビ等の媒体でも昨今感動の対面番組を良く見かけるが、バブルで狂乱した人々が取り戻した真実の人間らしい心が何であったかを如実に物語っていると言えよう。段切りでの輿に乗った渚の方を見守る観客の笑顔には、人間本来の優しい瞳が輝いていた。それはまた、良弁僧正も同じであったのだ。玉男の人形の何と恐ろしいことよ。この無表情の眉も目も動かぬこのカシラを遣っていて。「日頃の憂きは木の元に」とは詞章も曲節も人形も寸分違わぬ三位一体、いや、客席も含めて四者一体の舞台であった。大道具の背景も二月堂の結構をよく描き、ツメ人形たちもまた感動の場面の先触れ露払いを曲芸で示す。これもまた一興である。ただ、それでも何事かを言うとすれば、それは綱清二郎の浄瑠璃についてである。マクラはまだ経験不足ゆえやむなしとして、まずは良弁の述懐である。ここは団平の節付けを活かしきれなかった。感動に至らず。そして、対面の後の良弁の悔恨、ここもまたなにものか不足していた。ここで見る者の涙を乾かすようではいけない。まず「乞食非人となり給ひ」の後の引き字の表現が苦しい。そして「現在母は物貰ひ」のところ。渚の方の人形が恥じ入るのはもっともではあるが、この語りでは良弁の悔恨の強さは表現されず、母の姿を咎めているように聞こえた。それ故に、「大僧正両手を土につけ給へば」の詞章が、ただもう聖代一の高僧が土下座しているという事の重大さの指摘にとどまってしまった。玉男の遣う頭を下げた良弁僧正の目に浮かび頬を伝う涙を描出するに至らなかったのははなはだ遺憾であろう。あと石山寺の縁起を述べるところの爽やかさ高潔さにやや欠けていたことであろうか。しかしそれらも感動の涙とともに流れ去る程度のものである。今公演極上々吉の判は変わるまい。
 

『廿四孝』

 これでまた、三段目が遠ざかってしまった。しかもまたキツネ。さらには四段目風の足取り節付けの「二月堂」の後とは。やはり制作担当者は人形浄瑠璃を知らないなと言わざるを得まい。少なくとも数年を見据えた企画がなされていない。まあ、とりあえず簑助と住大夫とで客を呼ぶように考えると、今回のようになるというわけだ。いや、四月公演もすでにもうその意図が丸分かりの狂言建てであるが。

「十種香」
 というわけで、せめて前が別狂言でも三段目であったなら、ああ足取りも風も変わったなあと感じさせ、日頃耳にも留めない浄瑠璃への関心を多少なりとも引き付けることが出来たものを。人形ばかりで床とは疎遠になっている現代の観客に自然と浄瑠璃音楽の眼目の一部に触れさせる絶好のチャンスをみすみす(わざと?)逃したということなのである。まあまあこれも正月公演ゆえ、仕方ないく。さて、肝心の中身はというと、嶋富助は前回よりも自然体にこの典型的な四段目に取り組んだようだ。まず濡衣がいい。次が八重垣姫。勝頼は未だし。例えば「はかなき女の心から歎くは理さりながら定めなき世と諦めよ」など、心を察して声曇り慰めて勇めている感じではなく、強くたしなめて諌めている感じであった。三味線はよく行き届いていたが例えば「いつそ殺してくと」の後の手など弾き流していて、両者ともここらあたりまで行き届けば大夫三味線列伝中の人物となるのであるが、まだまだその可能性を秘めた発展途上人だと受け取っておこう。人形は簑助の八重垣姫は恥じてパッと隠すという演出を遣い過ぎ。紋十郎も遣っていたが、ここという時に効果的に見せていた。勘十郎の遣った萩の祐仙との比較の際にも述べた通り。しかしこれも前述の感覚麻痺の現代観客のためを思ってなのだろう。頭が下がる。秀逸は紋寿の濡衣。ここのところ大切なワキ役をただのワキではなく、ワキ役がいかに重要かをわからせる存在感のある遣いぶりが続いている。無論シテの邪魔をしたり食ったりなど微塵もない。文楽大賞人形之部はこの人に違いない。ただのワキに終わってしまったかの感があるのは一暢の勝頼。出の「さしうつむき思案にふさがる」など棒立ちで、とても考えに耽っているとも見えなかった。それでも楽日前日では改善されてはいたが。こう見ると、玉男の勝頼がいかに絶品であるかがよくわかる。動かない人形の難しいこと、かくの如しである。謙信は文吾が一日の長。「驚く二人をはつたと睨めつけ」の鋭さ、あっぱれの大将、ただの老体ではない。娘の歎きに目もやらず濡衣を引っ立てるところも同断。よく神経が行き届いた遣いぶりである。立役肚が大分据わってきたか。時代の担い手、期待する。玉幸も悪くない。それなりの役場だからそれなりの遣い方でいいだろうし。玉輝はもったいない。が、玉也がチャリをほぼ会得したのに対し、どこで勝負するか…。

「狐火」
  英・燕二郎とツレ清二郎の床が立派。これまで所詮は人形のみだと感じていたのが、今回これはと感じさせられた。やはり浄瑠璃である。喜一朗の琴もまずまず。英がここのところ前へ出る浄瑠璃となることが多く、一皮むけて何より何より。一頃敢えて腐したのもこの日のため。これなら紋下格切場のアトでも十分勤まろう。人形は客席の拍手の嵐、歓声の渦、推して知るべし。(なお、私の後ろの女性、毎公演複数回来られて座席も私と毎回ほぼ同じ位置。その女性がこれもお馴染みさんの中年女性と交わしていた会話を記しておこう。「もう、狐火なんか見てられませんよね。いつも嶋さんの十種香でさよならですわ。」云々。どうやら、とてもお忙しい方らしい。手帳もスケジュールで一杯なのでしょう。実はかくいう私も1/2の確率でパスさせていただきました。床の浄瑠璃は是非とも耳にしたいのですが、あの人形にもう一度付き合わなければいけないと思うと…。失礼致しました。)