こりや聞所お石様

 

―生写朝顔話―


    『生写朝顔話』深雪と駒沢の恋に絞った半通し、「浜松小屋」がカットされて久しい(1984・S59以来20年間)。
    この一段がいかに素晴らしいものであるか。
    内容・構成・詞章に関して言えば、『傑作浄瑠璃集』において「宿屋」と「浜松小屋」にのみ、梗概とともに評がわざわざ添え書きしてあることが一例。
    浄瑠璃曲節に関して言えば、上演年表を遡ればその20年前に勤めた呂・清治、また、越路・清治、文字・錦糸、そして綱・弥七へと辿られる床が物語る。
    (ただし、綱・弥七―1966・S41朝日座―に関しては、『綱大夫四季』巻末の年譜には出勤の記事が見えないが。)
    そして天保の初演は長門太夫なのである。(無論「宿屋」は重太夫)

    「浜松小屋」での乳母浅香(と深雪との心の交流)を知らずしては、駒沢との恋もただのすれ違いと思い込みの所産に過ぎないものとなるであろう。
    大阪国立夏公演第二部を鑑賞される方々の資となるべく、ここに「聞所―朝顔話」を途中経過の恥も顧みず掲載するものである。
    (なお、「浜松小屋」については、相生・重造の奏演を参考としている。)
 
 
 
宇治川蛍狩りの段

武士の、八十宇治川と名に流れ、底の濁りも夏川や、水の緑も涼しげに、風吹き渡る宇治橋の、往来も繁き五月頃、蛍狩にと来る人の、足休めやら気はうじの、花香はこゝか一森や、貴賎老若差別なく、たぎる茶釜の湯気に立つ、名さへ出花の通円が、店は人絶えなかりけり。

透間洩れ来る三味の音。

通ふ心をいは橋の、渡してほしき思ひなり。

しんきらしげに浅香をば、見やれば呑込むとほり者。
 

 
 
・マクラ、賑やかだが、もたれずこざっぱりと。観客の心を開くように。
 
 
 
・足取りが変化して唄へ、阿曽次郎の心を捉える(はずの)深雪の三味線。
 
・ここだけで二人の心に恋の灯を揺らめかせることが出来れば。
 
・姫と乳母、理想的な関係であることが、これだけで描写されるはず。
 
(参考:呂・団六)

 
明石浦船別れの段

わだつみの浪の面照る月影も、明石の浦の泊り船。風待つ種のつれづれを慰めかねて阿曽次郎、舳先に立出で月かげに、四方を見はらす気晴しの、煙草の煙り吹き靡く船路の旅ぞ物淋し
 

 
 
・このマクラで優美かつ魅力的な一段が彷彿となろう。とはいえ、特別な節付がされているのではない。もし、足取りと間を変えれば、通常の立端場のマクラに聞こえるはず。それがうっとりとたゆたうが如くになるのは、床の実力である。
 
(参考:南部・重造)

 
薬売りの段

賑はしき、東海道のおりのぼり、公家武家出家諸商人、つんぼ盲目いざりまで、這うて行くやら状箱を、かたげて走るお飛脚も、京と東を右左、中に遠州浜松の城下に近き小松原、二躰坊の不動尊御縁日とて
遠近の参り下向を当てにして、うさんらしき小幟に『笑ひ薬』と書きしるし人待つ蔭にすっぽ々々煙りくゆらす折からに、
島田の宿の戎屋とて情も厚き徳右衛門。十里あまりの道さへも、いとはぬ老いの達者もの。不動参りの急ぎ足。
「しばらくこゝに」
と立休らひ、
「ヤレ々々しんどや々々。けふは二十八日ゆゑ、二躰坊の不動尊へ参詣せうと思うて明六つから出かけたれど、アヽ若い時のやうにはいかぬ。もうかれこれと日足も七つ下り、シタガ、見晴しのよいこの松原。ドレ々々休みがてら一服せう。ヤ幸ひそこにお人さうな。煙草の火を御無心」
と、いへば
立花
「なにがさて、イヤモお安いこと々々。サマア々々これへ」
に徳右衛門。きせる取出し吸ひつけ煙草。
折から向かふへどや々々、あたり近所の百姓ども、これも不動へ参詣の、戻りと見えて銘々に口々諷ふはやり歌。
√行こか参らんしょか二躰坊のアノ不動。参りゃ身のためササお身のため。
「オイ々々々々祭の山車ぢゃあるまいし、不動参りにさう浮れてはつまらんぢゃないか」
「オヽほんにさうぢゃナハヽヽヽ」
と高話。
笑ひ薬の商人が、『ヤここらが一番銭もうけ』と、立てまへの声高々と、
「サテ々々々々いづれも様。お買求めになってお試しなはい。エヽそも々々この薬は、医道の元神と崇め奉る、富貴神王よりわが先祖へ、伝へたまふところの、福寿円満笑悦散。コリャコレ俗にいふ笑ひ薬。福寿心のままにして、笑悦びと申す御薬。さるによって、福寿円満笑悦散と名付けたり。ガまづ、この薬の効能を申せば、モいかなる可愛子が死んでも、親が殺され主人が切腹、いかが密男丁稚が取逃げ、下女が麁相で茶碗を割り、すりに紙入れ取られても、腹は立たずにをかしくなるのが薬の効能。まった、この薬を白湯に入れ、たった一口呑むとひとしく、臍の下より口先へ、笑ひの玉がコロ々々ところげ出す。それからまた、をかしくなると止めどがない。笑ひも多きその中に、唐土にては虎渓の三笑。わが朝にては時平大臣の高笑ひ、笑ひの数は八百八笑と申す。ガかの猿田彦嫁威しの鬼の面。仁王韋駄天三宝荒神閻魔大王眉間尺、加藤清正平の清盛石川五右衛門。世話に申す雷の庄九郎、阿波の十郎兵衛女房お弓、あるひは巡礼古手買、虎狼にいたるまで、笑はすことは秘薬の効能。笑ふ門には福来る々々いづれもお土産お慰み。価は一服十六文。サア々々お買ひなはいお求めなはい。お買ひ求めになってお試しなはい」
と口から出次第しゃべりける。
銘々立寄り
「ハヽヤコリャ奇妙。テモ珍しい笑ひ薬」
「イヤモこのやう後生を願ふも、一寸先は闇の世。お互ひに長生きすれば、モどんなめに逢はうも知れぬ。ガその時はこの薬を呑んで、暫しの憂さをはらしませう」
「オヽソレ々々、ヤコレみなの衆。なんと買いますか」
「オヽ買ひませう々々。ここへも一服」
「こちらへも」
二服三服買ひ求め、
「渋くたやうな庄屋に呑まそ」
とわいや々々、呑まぬ先から薬の効能笑ひ催し
「エヽヽ、アハヽ」
「オホヽアハヽヽヽヽヽヽ、ハヽヽヽヽ」
立帰る。
徳右衛門打笑ひ、
「ヤ火を借ったお礼に、われらも四五服買ひませう」
と、薬を求め懐中し、
「ドリャ日のたけぬうち参詣仕りませう。薬屋殿おさらば」
と、挨拶そこ々々徳右衛門。二躰坊へと別れ行く。
見送る立花銭取集め、
「ハヤレ々々、なに商売でもすめではゆかぬ。これほどの銭取らうとて、よっぽど口を叩いた」
と、つぶやくところへ
のっさ々々、名うての悪名輪抜吉兵衛。懐手して歩み来る。
「ヨウこれは々々吉兵衛公。いづ方への御来臨なるや」
「エヽまた仔細らしこといふわい。かう出かけたは別のことでもない。いつぞや摩耶の婆に戻した十七八の玄妻め。取逃して行方が知れぬ。もしやどこぞにうろついてをりはせまいかと、尋ねがてらまたよい鳥もかゝらうかと、それでこのやうに出歩くのぢゃ。ガもし種のよさそうな玄妻を見付けたら、早速おれに知らしてくれよ。コウ々々ただ働きはさせぬわい。首尾よういったらコリャ、二一天作二進が一ン十。二つ山ぢゃ々々」
「オヽヽヽヽソリャ呑込んだ承知の助」
「そんなら立花頼むぞドリャ、行かうか」
と輪抜は、肩から爪を磨き立つる、熊鷹眼光らして、うそ々々として歩み行く。
後に桂庵心中笑み、
「アなるほど今輪殿のいはるゝとほり、こんな薬を売らうより、その娘をマヽヽヽヽ尋ね出し、二一天作二進が一ン十、二つ山吹見た上で、小判をぽっぽへ着服の」
かねて覚えし街道を尋ね歩くぞ
 うたてける
 

 
 
・一にも二にも口捌き、そして、男ばかりの語り分けも。チャリはくどからず。
 
(参考:咲・清治)

 
浜松小屋の段 (科白のうち、詞で語られた部分を“ ”で示してある。)

 にや思ふこと、まゝならぬこそ浮世とは、誰がいにしへのかこち言。今はわが身の上に降る、涙の雨の晴れ間なく、哀れや深雪は数々の、憂さ重りて目かいさへ、きつぶしたる盲目の、と頼むものとては、わづかに細き竹の杖、あるにかひなき玉の緒の、切れも果てざる三味の糸、露命をつなぐよすがにと、背に結ひかけしほ々々と、心の闇路たどりくる。
とに大勢里童てん手に竹きれ振り廻し、
「“アレ々々朝顔の乞食目くら、たゝけ々々”」
「打てよ々々」
と取廻す。
「“アヽ、コレ々々目の見えぬ者をそのやうにせぬものぢゃわいな。どれも々々よいお子様や。今度よいものがあったら上げうぞえ”」
「“エヽいやじゃわい。乞食に誰が物貰ふもんでナア、次郎坊”」
「“オヽさうぢゃ々々。あたぎたない乞食の物貰ふものかい。そんなことぬかしたら、コリャかうぢゃ”」
と惣々が、竹で打つやら石打つやら、育ても下司の腕白ども、寄ってかゝってさいなまれ、
「“アヽコレ々々、もう再びいやしませぬ”。こらへて下され謝った」
と、にひれ伏し詫びければ、
「“オヽ泣いて謝ることなら堪忍してやろ。サア皆来い々々。いつもの土手で芝居ごと、五郎よ、次郎よ”」
と呼連れて、ぐさしながら走り行く。
後に深雪は『わっ』と泣き、
「エヽ浅ましや情なや、“誰あらう岸戸の家老秋月弓之助が娘ともいはれし身が”、いかに落ちぶれたればとて、筋目もない里の子に、『乞食よ非人』と打叩かれ、謝りましたはなにごと」
と、を抱きしめてどうと伏し、かこち涙ぞいぢらしき。
ら尊と導きたまへ観音寺、遠き国よりはるばると、乳人浅香は浅からぬ、欺きも身にぞ笈摺の、深雪の行方尋ねんと、思ひ立ったる巡礼も、辛苦憂き身のやつれ笠、露のやどりも取りかねて、杖をカに歩みより、
「“コレ々々女中、卒爾ながらチトお尋ね申したい”」
とおとなふ声に
泣き顔隠し、
「“オヽコレハマア々々どなた様かは存じませぬが、私は目界の見えぬ者、ガマアなにごとのお尋ねぞ”」
と、いふ物ごしのつまはづれ、
『どうやら尋ぬるその人に、似た』と思へど形かたち、『これは非人ことに盲目心の迷ひ』と思ひ返し、
「“ホヽヽヽ、オヽわしとしたことが麁相な。目界の見えぬ人に問ふことは異なものなれど、もしこの街道を年の頃は十六七、媚かたち人にすぐれ屋敷育ちの大振柚。供をも連れずたゞ一人、通られし様子をば、もし聞きはなされぬか”」
といふは、
『正しくわが身の上』と、胸騒ぎしが『待てしばし、世の中に、似た声の人似たことの、なきにあらず』と気を取り直し、
「“オヽそれはマア笑止なことや。往来もしげきこの街道、女中の一人旅は幾人といふ限りなし。さやうにお尋ねなされては、なか々々知れうやうもなし。ガマア国はいづく、名はなんと申しますえ”」
「“サレバイノ、国は芸州福岡、お名は深雪様”」
といふは『いよ々々乳母浅香ヤレ、なつかしや』といひたさも『落ちぶれ果てし今の身を、われと名乗るも面伏せ殊にそれぞといふならば、連れていなれて父母に、どの顔下げてまみゆべき。罪深きことながら、偽りすかして帰へさん』と、なほしも声をくろまして、
「“オヽなる程、たしかそんな噂も聞きたれど、その女中は国を出てよりさまざまの憂き目に逢ひ、やうやく遁れこの辺までは来られしが、どうしたことか四五日前に、川へ身を投げて、死なしゃんしたとやら”」
「“ヤア々々々々、なにその女中は身を投げてハア”」
『はっ』とばかりに身を打伏し、前後正体泣きゐたる。
深雪もともに悲しさの、涙かくして傍に寄り、
「“コレ申し女中様。悲しいはお道理ながら、老少不定の世の習ひ、定りごととあきらめて、はやう国へお帰りなされ。後弔うてお上げなさるが仏のため。海山かけし長の旅、随分怪我のないやうに”」
と、ひつゝ立ってかけ小屋へ、探り々々て入相の、鐘に哀れを添へにける。
後に浅香はうっとりと、涙ながらの独り言、
「“エヽコレ申し、聞えませぬぞえ深雪様。家出なされしその時も、一言あかして下さったら、仕様模様もあらうもの。おいとしや奥様は、お前のことを苦に病んで、あけても暮れても泣いてぱっかり。果ては重き病ふの床、ぬるいまはの際までも、『どうぞ尋ねて連帰り、せめて位牌に無事な顔を、逢はしてくれ』との御遺言。“それゆゑ忌みの明くをも待たず”、国々廻る巡礼も、お前に逢はうばかりじゃに、ぜ死んで下さんした。わしゃお位牌へ言訳を、なんとせうぞ”」
と身をもだヘ、恨みる人は目の前に、ありとも知らぬくどき泣き。
聞くに深雪は身も世もあられず、小屋のうちにて歯をかみしめ泣き声せじと喰ひしばる、こらへこらへし苦しさは、も砕くるばかりにて、泣くよりもなほつらかりし。
乱るゝ心おししづめ、浅香は涙の顔をあげ、
「“アヽわれながら愚痴のいたり、いつまでいうても返らぬこと。この上は菩提のため、打残りたる札所を廻り、はやう国へ帰りませう。さうぢゃ”々々」
と立上り、小屋の戸口へさし寄って、
「“イヤ申し女中様。いかいお世話でござりました。モウおさらば”」
とゆう月に、別れを告げて行過ぎしが、にか心にうなづきて、木蔭に忍ぴ窺ふとも、
知らぬ盲ひの悲しさに、思はず小屋を転び出で、見えぬながらに伸び上がり、
「“コレイノコレ浅香。今いふたは皆偽り。尋ぬる深雪はわしぢゃわいの。声聞いたその時は、飛び立つやうにあったれどもな、浅ましい々々この形で”、ドウマア、顔が逢はされう。はいひながらわしが身を、よく々々大事と思へばこそ、海山越えて憂き苦労、廻り逢ひは逢ひながら、胴慾にもよそ々々しう、いうていなした心のうち、“どのやうにあらふぞいの。たゞなにごともこれまでの、約東事と諦めて、コレ忍してたも々々や”。とりわけて悲しいは、どれ程不孝なこのわしを、やっぱり子ぢゃと思召し、身のいたづらを苦に病んで、お果てなされた母様の、死目に逢はぬのみならず、命日さへ露知らず、はかないことが、エヽマあろかいなう。思へば々々浅ましや。親々の罰ばかりでもこのやうに目がつぶれいでなんとせう。赦してたべ」
と手を合はせ、こらへこらへし溜め涙『わっ』と叫びて身を投伏し、前後正体泣沈む。
聞く浅香も忍びかね『わっ』と一声泣出せば、
『さてはそこに』と深雪が驚き、こけつ転びつ逃げ行くを、
すがりとどめて、
「“コレマア々々待って下さんせマア々々待って下さんせいなう。姿形は変はっても、一目にも見違へねども、名乗りかけてもなか々々に、あかさぬ気質と知ったゆゑ、よそごとにいひなして、木蔭に隠れて始終の様子、立聞きしたも尽きせぬ縁。さりながらこの年月骨身を砕き、やう々々尋ね逢うたもの。心強う去なさうとは、そりゃ胴慾ぢゃ々々。エヽ聞えませぬわいな”」
「“ヲヽその恨みは理りながら、今も今とていふとほり、身の徒らでこのやうに、落ちぶれ果てし形かたち。どうマアそれと名乗られう”。わしが心の悲しさを、思ひやって必ず、ってたもるな謝った」
と、すがり歎けば、
「“オゝなんのマア叱りませうぞいナ。たとへどのやうにおなりなされても、廻り逢うたがわしゃ嬉しい。とはいふもののこれはまた、あんまりな落ちぶれやう。日頃の辛苦が思ひやられて、わしゃ々々この胸が裂けるやうにござります々々わいなう。シタガコレ、お気遣ひなされますな。かう廻り逢うたからは阿曽次郎様のありかを尋ね、きっとお逢はせ申しませう。が、なにをいうてもこゝは街道”」
宿あるかたへ急がんと泣入る深雪をいたはりて、立ちあがる折こそあれ、
道ほか々々輪抜吉兵衛、『よいことがな』と蚤取眼、二人がそぶり『物ぐさし』と、傍へ立寄り提灯の、火かげに深雪が顔打眺め、
「“ヨウ、わりゃいつぞや摩耶の婆に、百両で値を極めた娘。いつの間に乱れてかくれにはなりをったぞい。しかし医者にかけたら治らぬこともあるまい。なに分元手いらずの勝負物”。ドレ拾うてやろ」
と手を取るを、
浅香は引退け気色をかへ、
「“ヤア女と思ひ、慮外しやると赦しはせじ”」
と杖押取り、仕込みし刀抜きかくる、
その手を押へて、
「“ムヽハヽヽヽヽヽこりゃやい輪抜吉兵衛というてな、日本国を股にかける人買商売。鰹かきひねくり廻しても、びくともする男ぢゃないわい。ぼろの下った乱れせうより売られて絹のヘヘンベゞ着い”」
とてふける詞
聞きかねて
「“ア推参なかどはかし、見事売るなら売って見や”」
と、抜きはなして切り結ぶ。
深雪はあせれど盲目の、なんと詮方並木原、
二人は打合ふ月明り、ゝをせんとぞ、
みあふ。
いかゞはしけんわな抜が、石に躓き真逆様、
転ぶを得たりと起しも立てず、肩背も分らぬ滅多切、
さしもの悪者七転八倒、のた打ち廻つて死したるは、心地よくこそ見えにけり。
浅香はしっかとゞめの刀。
「“サア々々嬉しや深雪様。悪者はしとめました深雪様々々々のう”」
と、いふうちよりも心のたるみ、そのままそこに倒れ伏す。
雪は怖はごは探り寄り、
「“ヤア々々々々、そなたも手疵負やったか、コレ浅香いなう々々”」
と、声を限りに呼び生ければ、
息吹きかへし目を開き、
「“オヽ深雪様。お身に怪我はなかりしか”」
「“イヤ々々わしはなんともせぬが、そなたの手疵が気遣ひな”。気をたしかに持ってたも」
と取りつさ歎けば、
「“ヽコレ声が高ふござります。わたしはほんのかすり手、気遣ふことはござりませぬ。さりながらもしものことがあった時は、私が産みの親、古部三郎兵衛といふ人、この島田の宿にいやしゃんすとのこと。この守り刀を証拠に秋月弓之助が娘と名乗り、また阿曽次郎様の在処を尋ね必ずお逢ひ遊ばせや。たとへ私のゐぬとても一度は奥様のお位牌へようお詑をぱなされませや。サア、誰も見ぬうちサア申し”」
と、を納め深雪が背に、負はすも涙ふる三味の、いつか昔にかへらう尾、いとゞもつるゝ心をば、てんじかへても手疵の痛み、盲目ならぬわが身さへ、杖を力に立上り、女心もはりつめし、弓張月の夜半の鐘、くす忠義の一筋道、伴ひてこそ
 急ぎ行く。
 

 
 
下り唄で始まる特徴的な一段。素朴で世俗的な雰囲気を醸し出す。
・「きつぶしたる」が文弥の節で深雪の登場。(「すしや」若葉内侍の出に同じ。哀感の中にも女性の華やかさが漂う。)
・「と頼むものとては」もの哀しいタタキの節(「合邦」玉手の百万遍等に同じ)である。
童の出でガラリと変化する。
 
 
 
 
 
 
 

・「にひれ伏し詫びければ」悲しみに沈むスヱテの旋律。
 

・「ぐさしながら走り行く」足取りと間が絶妙で、姿が目に浮かぶよう。

・「を抱きしめてどうと伏し、かこち涙ぞいぢらしき」典型的な嘆きのフシ落チ。「どうと伏し」上音にクルので琴線に響く(後の浅香も同様)。
・「ら尊と導きたまへ観音寺」哀切なる巡礼唄。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「川へ身を投げて、死なしゃんしたとやら」泣き声を堪える。ここで、名乗り出て助けてもらえばいいではないか、と考えるのは、通時性も共時性も見失った、醜悪なイマ・ココ絶対主義者。
 
 
 

・「ひつゝ立ってかけ小屋へ、探り々々て」後ろ髪を引かれながら、手探りで小屋へ入る深雪を、太夫三味線が足取り・間で活写。
 

・「ぬるいまはの際までも」音を遣って観客の心に響かせる。

・「ぜ死んで下さんした」四ツ間でその前後に上モリ(音高∪形に辿る)・下モリ(音高∩形に辿る)あって、クドキの典型的旋律。そして「ありとも知らぬくどき泣き」はクリ上ゲフシで泣く。

れを聞く深雪の苦衷は「骨も砕くるばかりにて、泣くよりもなほつらかりし」が文弥落シで女形愁嘆最大の旋律。
 
 
 

・「ン なにか ツン 心にうなづきて、木蔭に忍ぴ ツン 窺ふとも」三味線のアシライが、浅香の胸に一物あることを表現する。
 

・「はいひながらわしが身を」以下、ノリ間でクドキ。

・「忍してたも々々や」で泣いて四ツ間となり、クドキの旋律が進んで行く。
・「命日さへ露知らず〜エヽマあろかいなう」で深雪の愁嘆は最高潮に達し、この直後に三味線の激しい合の手が入る。(「弁慶上使」おわさが娘信夫を殺されて半狂乱の愁嘆、「影を力にとぼとぼと〔合〕歩む姿を目の先に」にもこの手が弾かれる。)終わりは前述のフシ落チ。
・「聞く浅香も」から早足で。もちろん「こけつ転びつ」は外した間で。
 
 
 

・「ってたもるな謝った」「オゝなんのマア叱りませうぞいナ」姫と乳母との親密な微笑ましい関係が眼前。

・この浅香を、封建的主従関係に縛られているがための憂き苦労、と考える輩、少なくともそんな奴のために、一肌脱いでやろうと思ってくれる人など存在しないであろう。

癖ある悪党輪抜吉兵衛の登場。雰囲気がガラリと変わる。(「長居は無益と弥陀六が」と語り出される前とほぼ同じ手が弾かれる。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

香の詞はノリ。
 
 

・「ゝをせんとぞ」で立ち廻りのメリヤス。
・「みあふ」三重。
 

・「ゞめの刀」で最後の力を振り絞る浅香、「カ・タ・ナ」と強く押す。
 

雪は盲目だから、浅香が仕留めたと聞いて怖々探り寄るので、浅香が倒れ伏したからその様子を恐る恐る見に来たのではない。
 
 
 
 

香の最期の詞、自分はもう助からぬと分かっているゆえに、苦しい息の下、主人の深雪を思う衷心衷情からの悲哀がこもり、聴く者の胸を打つ。
 

・「を納め深雪が背に」からの段切は、三味線の縁語を用い、掛詞も含めて、ここで最期を迎える乳母浅香の性根を見事に描いた、美しく哀感に満ちた聞き所である。三味線は派手に手数も多く、各所に合の手もはめ込まれて、抒情的旋律が心に沁み渡ってゆく。
・「くす忠義の一筋道」で足取りが速くなり、「伴ひ」で合、ウレイ三重となって、しみじみと幕になるのである。

(参考:相生・重造)

 
笑ひ薬の段

松兵衛山の松茸とその片思ひの鮑とを焚出しにしてくれるなら

後に祐仙一人笑み、…「かうして置いて駒沢が、戻り次第に…

 

 
 
・口、「松兵衛山」との呼称があるからは、サラリと軽く笑わせたい。
 
・奥、出端でお客を乗せてしまうこと。「かうして置いて駒沢が」の詞にも注目。
 眼目の笑いは、案外くどくて途中白けてしまうことも多い。腕の見せ所だ。

 
宿屋の段

いづくにも、しばしは旅と綴りけん昔の人の筆のあと
 

立帰る次郎左衛門、…

…なんとまあ、不仕合せな者もあるものでござります」
 
 
 
 

『露のひぬ間の朝顔を、照らす日かげのつれなきに、哀れ一むら雨のはらはらと降れかし』
 

短い契りの本意ない別れ、…
 

…と、杖探り取り立ちながら、虫が知らすかなんとやら、耳に残りし情の詞

「エヽあの宮城阿曽次郎事駒沢次郎左衛門とその扇に」
 

 
 
・マクラ、「しばしは旅と綴りけんンンーー」「昔のオオーー人の筆のあと」、このあたりの運び、『素人講釈』に重太夫風とある、百年余の伝承。
 
・駒沢は爽やかに、そして凛として、底に情のある描出や如何。
 
・この徳右衛門で、初代古靱太夫は観客にワーワー言わせた。マクラからの物寂しさの上に、サラリと慈悲ある徳右衛門の衷心衷情の詞ならではこそ。
 
(と、越路・喜左衛門を聴いて書いていくと、どこまでも果てしなく続いて行く。それで、以下はツボのツボのみ記す。)
 
・この琴唄を聴いて涙を催さぬ者は人外である。あの岩代でさえ心動かされたのである。(ただし、それが床の責任である場合もないではないが…)
 
・深雪のクドキ、ノリ間はきちんとノルこと。観客に浄瑠璃の心地よさを与えなければならない。もちろん人形振りにおいても。
 
・三味線はアシライのツン数箇所で、不審気掛かりな心を描出。
 
・段切は深雪悲しみの狂乱が胸に突き刺さること。下座囃子の雨音が一層それを急き立てるはず。(ここで緩んでしまってはすべてが台無しである。)

 
大井川の段
 

エヽ聞こえませぬ々々、聞こえませぬわいなあ

ひれふる山の悲しみも

まづ々々一通り聞いてたべ。…
 

・冒頭、馬子唄箱根八里を聞かせ、駒沢等の大井川蓮台渡しを見せることもあるが一興。今や、人形浄瑠璃の舞台は、貴重な歴史民俗資料でもあるのだから。
 
・汚らしい叫びに陥らないように。ミが出てはいけない。
 
・月並みと言えば月並みだが、やはり琴線に響かせてくれないと。
 
・戎屋徳右衛門実ハ古部三郎兵衛の述懐、単なる事情説明で終わらぬように。 とはいえ、「浜松小屋」乳母浅香の件を省略されると、何もかも半減する。

 
帰り咲吾妻の路草

いた桜になぜ駒つなぐ、駒がいさめば花がちる々々、その駒沢を恋ひしたふ、桜にあらで朝顔が、姿も昔にかへり咲、髪も島田とたつか弓、引きも契らぬ海道に、誰も人目も大井川、跡に見附や浜松の、憂き艱難に引きかへて、昔語とあらひかへ、白すかかけて二川や、かいしよらしげにちよこ々々々々と、ゆみし姿も吉田御油、赤坂宿を打過ぎて、藤川縄手に休らひけり。
「オヽほんにわしとしたことが、夫に逢ふが嬉しさに、供も構はずうか々々と、先へ歩むと思ひしが、此関助は何してぞ。オヽイ々々」
と打招けば、
跡におくれて関助が、双紙の鎗をふりかたげ、
リヤサ、コリヤサ、ヨイヤサ、とつかけべい、先退けろ。お鍋がかい餅ねれたら持てこい合点ぢや。ゆうべも三百張込んだ、してこいな、どつこい振れ々々ふりこんだ。恋し殿御はあれでもないか、是でもないか。ナイ々々々々。似ぬこそ道理違うた々々、違はぬものは貞女と忠義、追付け廻りをか崎や、やがて鳴海」
と関助が、縁起祝ひし言の葉に、
深雪嬉しく、
「オヽ関助か遅かりし、そなたを跡にふり捨てて、歩むも女のまんがちと、嘸や心にをかしかろ。面目ない」
と詫言に、
「何が扨々、拙者めもあなた様の御供申し、駒沢様と御祝言あるやうに、此跡の宿の氏神は、縁結びと聞きし故、心願こめておきました」
「ヲヽそれは嬉しいさりながら、そなたもかねて知る通り、夫に添はれぬ因果の縁、死ぬる所を助かりて、二度東の我夫に、逢へばどうしてかうしてと、心はちゞめつれ合ひ、しめてからんだ松の蔦、其みどり子を産み落し、ねん々々ころゝんや、ねんねが守はどこへいた。どことは知れた其人に、逢うて恨をなんとまあ、どう云うてよかろやら、なんとしやう野の憂き思ひ」
「ヲヽお道理々々。あなた様より関助が、三々くどうはござれども、追付け婚儀の結び、其時髭めは睛奉公、り込々々御祝儀の、なかに見事は花の鑓、駒の手綱をひかへづな、揃へやり持花の鑓、並松の音もゆたかに、ザヽンザ々々、シヤン々々、しやんと納めた。ハヽヽヽ」
勇み笑うて行く先は、伊勢路と伊賀の国境、栄え栄ふる坂の下、ひつしとおもひ石部川、花香もこもる梅の木を、たどりて急ぐの辺に、咲乱れたる朝顔に、むれ飛ぶ蝶のおもしろく、うかれ々々て主従が、浪花路さして
 

 
 
上り唄で華やかに。
 
・「ゆみし」でフシオクリ。節付は三大道行でいえば「恋苧環」に近似。
 
 
 

 
助の奴詞は面白い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こは、「八段目」の詞章・節付が思い浮かぶ。
 
 
 
・「り込々々」から再び華やかな二上り。
 
 
・「の辺に」で長い合。深雪が蝶と戯れる人形の見せ所。
 
 
・さて、道行文に織り込まれた東海道の宿駅、幾つお分かりであろうか、これも楽しみ方の一つである。