こりや聞所お石様

 

―楠昔噺―


(科白のうち、詞で語られた部分を “ ” で示した。)
(フシ落ち―下降旋律で詞章ならびに曲節が一段落するところ―を 】 で示した。)
碪拍子の段

むかしむかし、その昔父は山へ柴刈に祖母は川ヘ洗濯にと子供すかしをこゝに、
ひ合はせし河内の国、松原村に年を経て、身の達者なが徳太夫、十越し老いの坂柴刈に往く道連れと、
母も六十のみづはくむ。
濯盥いたゞいて、鶴の比翼の共白髪、そひ合ひたる一連れは、勝にも又しをらしゝ。
祖母は川辺に盥をおろし
ア親父殿、これから山へは二、三町、怪我せぬやうにそろそろと往てござれ。その間にわしも洗濯しまひ連れ立って去にましょ必ず必ず重荷を持つまいぞや
あの云やる事わいの。重荷を持てと云やっても、膝節(ひざぶし)ががくついて持たれぬ。若い者共が刈っておいてよい程に荷をしてくれる。これと云ふも、聟の智慧を所の者が借る追従、おれ程仕合はせな者はおぢゃらぬ、畢竟山は腹ごなしの遊び仕事、苦になる程何の持とうぞ。つい一走り往て取って来う、そなたも川で怪我せぬやうに、洗濯しまひ待ってゐや
オヽおれが事苦にせずとも、七曲りですべらぬやうに
ソリャ気遣ひおしゃんな
と、云ひつゝ別れ生駒山、平岡山のつゞらをり、を力に、老いの足。
に檀特の峯を分け、難行ありし身の上、思へば念仏かみまぜてどり、
往くこそわりなけれ。
かげ見ゆる迄祖母は見送り
いとしや去年迄あのやうな足元ではなかったに、一年々々弱りが見えると思ふも同じ老いの身の、舞事して戻りを待と」
と、流れにおりて洗ひ物、揉み洗ひより踏み洗ひと、川辺の石を台にしてかいげ柄杓のかけ水も、ざっと打てばとんとん、とん、サッサとんとん、サアとんとんサアとんとん、碪拍子や三ツ拍子さはやかに
かけ流す。
柴刈る友の一むれに通りかゝって
こりゃ徳太の婆様精が出ます、手利(きき)ではない足利
と笑ふて往くを
コレコレ皆の衆、明神坂はすべりはせぬか、ぢさまは後へ見えるかの
と問ヘば口々
見える見える追っつけこゝへ、もうそこへ
と、山路の友のしをらしく、ゆびさし教へ往き過ぎる。
木の、松の枯枝に肩を借り、背を借って、る坂道、とぼとぼと帰り来るを
祖母は見るより
ヽイ待ってゐる待ってゐる思ひのほか早かった
と云ふを力に歩み寄り
そなたはまだ洗濯しまはずか
イヤまだまだ
そんなら幸ひ一休み
と、どっさりおろす柴よりも、打つ音がひゞきける。
ほっと息つぎ
エヽ年は寄るまいもの、二、三年前迄は二十貫匁程づつ背負ひ、人にもうらやまれたおれが、段々と十貫匁も背負ひにくい、方々に刈って置いてくれたのを、漸々と焼付(たきつ)け程持って戻った。祖母いかうかげんが違ふた違ふた
ハテそりゃその筈の事いの、橙の数から見てはまだ達者な、デエ休んでの内洗濯しまひ、連れ立って去にましょ」
と裾引き上げて踏みかゝれば。
アこれお祖母、めったにまくり上げやんな、どこぞの仙人が見たらば、昔を思ひ出して通を失ふぞや
ホヽそりゃ五十年も前の事いの、今は渋紙にけんぼ小紋置いたやうな太股、気狂ひの仙人が目を廻して落ちやうはしらず、どこ見せても気遣ひな事ござらぬ
イヤさうも云はれぬてや、猟師が悪い所を見たらば、猪かと思ふてねらおも知れぬ
云はしゃるやら機嫌ぢゃの、ほんにその機嫌な時に云ふ事がある。コレぢさま、こなたが勘当した竹五郎方から、わしが所へ内証で切々の詫言状、腹も借さず顔も合はさぬこの親を、母様参ると書いておこす志、今は気も直り大きな出世
コレ、祖母又云やるかいの、聟の正作にさへ養はれぬおれが、出世したと聞いて勘当赦しては、養ふて貰ひたさと云はれるが無念な、竹五郎めを勘当したはそなたと添はぬ先の事、十一や二で山へやれば、兎狸を殺して殺生ひろぐ、田がへしにやれば牛を馬にして乗り討ちの稽古、云ふた事は云ふたやうにせねば置かぬ片意地者、それから思へば今の娘おとわが孝行、血をわけたそなたを差し置き、あかの他人のおれを、真実の親と思ふて大切にしてくれる。取り分け聟の志、五つや六つの孫迄が、祖父様祖父様と廻す嬉しさ、おりゃほかに可愛い者おぢゃらぬ
ソレそのやうに、わしが連れ子のおとわが事を云ふて下さる程、こなたの子を勘当さして見てはゐられぬ。殊に聟の正作は、牛博労に往くと云ふて、この春から内を出て今に戻らぬ。娘一人では力ないどうあっても勘当の詫言、機嫌直してやって下され
テサテくどい人ぢゃ、そのやうに竹五郎めが事ばっかりを苦にしておゐやるゆゑ、肝心の聟の身の上が耳に入らぬ、あの正作はの
アヽいやこれこなたが聟や娘の事を、苦にしてぢゃによって、大事の息子の出世が耳へ入らぬ、あの竹五郎はの
まだ云やるわいの、おりゃ倅めが身の上は聞きとうない
さう云はしゃらわしも又、聟の事を聞かいでも大事ござらぬ
そんなら互ひに
云は猿
聞か猿
いっそそれもまし、庚申待ちにゆるりと話そ
「猿が守りする洗ひ物、どりゃゆすいでしまおか」
と川へ降りしも谷川の、水の面へ流れくる。
花の一枝取り上げて
れはマア見事な花、マ一つこい、祖父におまそ、ホオヽ来たぞ来たぞ、マ一つこい孫にやろ
と、拾ひ取り上げ
「コレコレ親父殿、見事な花が流れて来た。コリャマア何と云ふ花ぞ
どれどれ、ホこれは花橘と云ふて、大きな実のなるめでたい物、土産にしたいおれにたも
オほしか進じょ、大かた孫への土産であろ
イヤ孫へはよい物山で取って来た。けふは何にも土産がないと思ふたれば、鷹が追ふたかして、雀が一羽袖口から飛び込んだ、懐へ入った物は狩人も取らぬと云ふに、おれは坊主めにやらうと思ひ、翅(はがい)くゝって持って戻った、コレコレ見や
と出して見せれば
「これはこれは、よい物取ってござったの、何とわしにその雀下されぬか
ハテ望みならば橘と替へ事しょ
「そりゃ嬉しい」
と取りかはし
イヤ祖母、なんぼけんけん云やっても、血筋は忝い物ぢゃの。おれがやる雀を、そなたがやらうで、取りゃったの取りゃったの
イヤイヤこの雀を孫にやるのぢゃござらぬ
そんなら誰にやるぞ
ハテ竹に雀と云へば、竹五郎が羽を伸す吉左右持って去んで摺っておいた、糊食はして養ひます
エヽそんなら、舌切って去なそであったもの
こなたは又その橘を孫へ土産であらうがの
イヤおれも孫へぢゃおぢゃらぬ
そんなら誰に
ハテ聟の正作は橘氏と聞いた、五月の祝ひ月に橘が手に入ると云ふは、聟や娘に花実の咲く瑞相持って去んで女夫の者に悦ばする
エヽそれならおれも引きむしって捨てうもの
ソレそれが悪い
こなたも悪い
と、互ひに実の子を捨てゝ、なさぬ仲をば思ひ合ふ、曇らぬ心日の本の神も哀れみ給ふべし。
さのみはいかゞと折れ端も早く
アモウよござるわ、れが方から負けて出て、連れ立って去にましょ」
と盥かた付けゐる
へ、麦刈り男の二人連れ、道往く話に
「何と六兵衛いつぞやの天王寺合戦見たか、楠と云ふわろはきついわろであったなあ
と、云ひつゝ通るを
祖父は呼び留め
ハテこなた衆は面白い話して往くが、そのまあ天王寺合戦と云ふは、どんな事であったぞ。この辺りからわづか二里余りの所なれども、切っつはっつの剣の中、たしかに誰が見た者もござらぬ。直に見た話が聞きたい」
と、問へば
自慢一人の男
おいらはの、団子売りに往てよう見ました。六波羅から隅田高橋とやら云ふわろが、五千余りの兵(つわもの)を連れて、の渡るやうに押し寄せられた所に、かの楠殿は、三百余騎の勢を隠して置いて、やっとうとうが始まると、あしこからはぬっと出し、こゝからはにょっと出しす程に切る程に、こりゃたまらぬと六波羅勢、足を切られ、腕切られ、逃げた所が渡辺の橋、かぼそい橋を押す程にける程に、桁をれてめきめきめき、五千余騎がづでんどう、鎧武者が水にあふて瓜茄子の流れるやうに、んぶりこどんぶりこどんぶりこどんぶりこ、赤恥かいて隅田高橋、逃げて行方は、なかりける。ぢさまさらば」
と走り往く。
話の中より祖父はぞくぞく
なんとおばゝ聞いてか、楠殿が六波羅勢に勝ったといの、アヽきついわろぢゃ、未代迄の大手柄、これほど嬉しい事はない」
と悦び勇めば。
コレぢさま、楠が負けうが勝とうが、こっちのにかせにならぬ事、それをそれ程嬉しいは、こなた楠と云ふわろに深い縁でもあるか
イヤまあさして縁があるでもないが、そなた楠を知らずか
インヤ、おりゃ知らぬ
そんならおれも知らぬ
その又知らぬ人の勝ったをめった無性に、ハテ面妖な悦びやう」
と、ふしぎ立てられうぢ付くへ。
刺り下げ奴の肌に鎧、軍(いくさ)の供と
見るよりやがて祖母は引き留め
申しお奴さん、いつぞやあった天王寺の軍、楠とやらが勝ったと申すが、ほんの事や」
と問ヘば突きのけ
馬鹿つくす、その勝ったのはだまして勝ったその後又宇都宮の公綱様に負けた
ヤアヤア、あの宇都宮公綱殿が楠に勝ったか
オヽサオヽサ、その宇都殿は身が旦那強い人強い人隅田高橋が逃げた後へ、わづか身共々に、五百騎の勢で駆け向はれた所に、かの楠の古狸、一戦にも及ばず、牛蒡程な尾をふって逃げた逃げた
ハテノウ、それは手柄な事や、さうしてその後はどうぢゃの
ハテ根問ひするわろだ、主人公綱は、楠を討ちもらしたを無念に思ひ、五百騎の勢を天王寺に留め置き、軍評議の最中
シテシテその後は
ハテくどいわろだ、その後はもうない。皆だ皆だ、溜ったら又話に来べい、身共は用事あって国へ帰る、必ず逃ぐると思ふな」
と、いらざる念で落武者と看板打って通りける。
ヤレ嬉しや嬉しや、宇都宮殿が勝ったといの、ぢさま聞いてか、楠も叶はぬ叶はぬ、日本一のお手柄
とほたほた云ヘば
祖父はむっとし
ヤイコリャ祖母、よっぽどに悦んだがよい、ありさまは宇都宮と縁があるか、近付きか
イヤまあ、縁もなし近付きでもござらぬ
近付きでもない者が何でそれ程に嬉しいぞ、あた面妖なわろではある
こなたも最前楠が勝ったと聞いて悦んだでないか
オヽおれが悦んだのにはちっと訳がある
おれも嬉しがるには訳がある
その訳聞かう
マアこなたのから聞かう
イヤ云はぬ
おれも云はぬ
われが云はぬからは宇都宮が勝ったのはうそぢゃ
イヤ楠が負けたのが定ぢゃ
うそぢゃ
定ぢゃ
イヤこいつが口が過ぎるがな。コリャさっきにやった雀返せ
おれもやった橘戻しゃ
ソレ戻す
オヽ返す
と、互ひにやったを取り戻す、十の三つ子と譬に変はらず愚かさよ。
橘取って
「コレ親父、聟の氏ぢゃと祝やったその橘を、コレこの通り
とかなぐり捨つれば
われが竹に雀と祝ふた雀を、舌切雀殿にしてくれる
と、嘴折って追ひ放し
あた鈍くさい去んでくれう
おれも去ぬる
勝手にせい
勝手にする
と負けず劣らず、腹立ち紛れ日の暮れ紛れ、
祖父は盥をいたゞけば
祖母は柴を背(せな)に負ひ、むしゃくしゃ腹の取りちがへ、が家へこそは

 

 
 
・「父は〜洗濯に」昔話の語り口。
・「こゝに」大きく張って語り、
 「ひ合はせし」がハルフシで気分が改まる。
 昔話の時空間が眼前の舞台に物語的現実として展開するという宣言である。
・「十越し老いの坂柴刈に往く道連れと」道行でよく耳にする節(ケイの手)、それが足取りと間の変化でここにピタリと収まる面白さ。
・「母も六十のみづはくむ」本ブシでしっとりと聞かせ、浄瑠璃の音曲世界へ引き込む。
・「濯盥いたゞいて」からタタキ(「合邦」の念仏のところなどの節)で滋味深く哀感あり。
・「そひ合ひたる一連れは」から足取りが速まり、
 「勝にも又しをらしゝ」を三ツユリで収める。
 立端場でもあり深刻にならぬようドラマを展開させる語り口・節付けである。
ア親父殿」から老夫婦の会話が自然に聞こえるかどうか、半世紀近い夫婦の年輪の描出が聞き所。
・「を」網戸ヲクリ、低音で慎重かつ丁寧に。
・「に檀特の峯を分け」から文弥で美しく琴線に響く、もちろん底には哀感が漂う。
・「どり」林清ヲクリで、山路を苦労して登り遠ざかっていく祖父の姿を情感とともに描き出す。
 ここまでで、この一段の風格が決まる。必ずや聴く者の心を掴んでしまうことであろう。
・「舞事して戻りを待と」から足取り速まり、軽快な「碪拍子」へと進んでいく。
・「さはやかに」の後、下座も入っての三味線の合となる。リズミカル、面白い。
・「こりゃ」この会話は距離感を持って。川辺に降りている祖母と道上の男との間。
 

・「木の」からサハリ、他流の節を取り入れた情味溢れる旋律。
・「る」三味線が一足一足確かめながら降りる祖父の足取りを活写。
・「ヽイ」以下祖母のさりげない中にも愛情一杯の言葉、慈愛あり。
 祖父は力付けられるが、息は上がっている。
 
 

・「打つ音が」を三味線の音も太夫の声も写実的に表現する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「云はしゃるやら」で老夫婦の笑い、このあたり微笑ましい一つの理想的な姿がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「テサテ」から言葉争いだが、後に「互ひに実の子を捨てゝ、なさぬ仲をば思ひ合ふ、曇らぬ心日の本の神も哀れみ給ふべし」とあることを心すべき。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「れはまあ」から再び気の置けない老夫婦の会話に戻るが、再び…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「れが方から」夫唱婦随、実は祖母が祖父をうまく操縦している。男尊女卑などでは毛頭無い。
・「へ」頓狂声で二人の男の登場を告げる。
 
 
 
 
 
 

・「自慢一人の男」剽軽な描写。

・「の渡るやうに」音を遣ってありありと表現する。
・「す程に切る程に」からノリ間で面白おかしい床。人形も儲かるところ。
・「んぶりこ」野太く強く印象的な語り。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「へ」再び頓狂声で落武者の登場となるが、こちらはフシで。
 
 
 

・「馬鹿つくす」以下の詞に訛がある。自然に語って面白味が出せれば上々。
 
 
 
 

・「軍評議の最中」音を遣う。堂々と武士らしく言おうとするが…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「十の三つ子と」子供の喧嘩であるが、それゆえにまた本気の腹立ちである。
 が、観客にしてみればそれがまた微笑ましくもあるというところ。
 
 
 
 
 
 
 
 

・「が家へこそは」三重で舞台転換。 

(参考:織・勝太郎)
徳太夫住家の段

(端場)
立ち帰る
のあやめに、蓬草端午の節句門口に、立てる幟(のぼり)は鶴亀の齢をわが子へ槍長刀、
母は粽の粉をひけば、
より廻る稚子の千太は傍に真菰ぐさ、むしるわるさも時につれ、よし芦の葉の片助け、手助け、すると心では、ほめるも親の欲目かや。
売は箔の長刀箔の槍、一荷にしゃんと打ちかたげ
槍や長刀、菖蒲刀」
と売り歩き、幟を当てゝ荷をおろし
ア来たり来たり、買ふたり買ふたり、お子様の祝儀物に羽をのす大鳥毛、赤熊(しゃぐま)に白髪の混ったはわけてめでたいお婆の毛槍、大身の槍の長いのが祝ふて親父の持道具、素槍管槍押し込んで代物わづか十文字、安売り召せや召せ召せ」
と、口早にこそ売りにける。
所の子供千太郎ともに立ち寄りあれこれと、見廻す顔を
ろじろ見て
アこな子供衆は欲しさうな顔、エヽ、盗んで来たのなら只やりたいなあ、何を云ふてもたゞやっては、この方口が長刀反(そり)、槍頤になるゆゑに、只と云ふてはマアならぬ、とりわけこゝなお子、可愛らしい利口さうな目もと、折れたがあるがやらうか」
と口紅云ヘば
千太郎
イヤイヤおりゃ人に只貰ふ事いや、欲しけりゃ買ふ
と一本さゝれ
テモさてもきような息子殿、親御が見たいよい育ち
とほめそやすのを
母親は、聞く嬉しさに臼の手止め
コレ槍長刀買いませう、休んでござれ」
と思はずも、子にほだされて見ず知らぬ、にも愛想こぼれける。
れは忝い、幸ひ雨もほろ付く濡らしてならぬこの代物、ちっとの間雨やどり
と内へ入れば
オヽ易い事易い事、庭は狭うて置かれまいついそこな牛部屋へ、その間に雨も晴れませう。茶でも参れ」
と小やさしき言葉に
甘え
「何とお家様、とてもの事に五、六本売れ余りを上げませうかえ
イヤノウ見やしゃる通り、表に飾ってあれども祝ふて一本買おかと云ふ事、サア煙草でも参れいの
イヤ私はまだすき腹、茶が入ったらつい茶漬、それ迄お煙草申し請け煙管を借って火を貰ひ、一服致そ」
といやが上、云ふも厚皮牛部屋へ、荷をかたげてぞりにけり。
オヽあの人はおとましや、おばの内へ来たやうに

ふ間も隔つ一間より
「娘々」
と徳太夫腰も二重の破れ障子、し明けてそろそろ立ち出で
何とおとわ、連れ合ひの正作から便りがあったか変はらずか
と問はれて
何にも知らぬふり
さればいな主(ぬし)はこの春から大和通ひ、牛博労に往かれますれば、マそっと定めて逗留でござりませう
オヽその牛博労も今は鎧の馬博労、楠正成と名の変はった事も知ってゐる
エヽそりゃマアお前はどうして
イヤ隠しゃんな、天知る地知ると云ふ、これ程にない事さへ人の噂、まして大切に思ふ聟の身の上、根掘り葉掘り聞かずに置かうか、元あのわろは橘氏、親御の代には八尾の別当といふ者と、国郡を争ふ程の家筋、正作が幼い時果て召されてそれより乳母育ち、こちへ貰ふてそなたと夫婦にしたも、おれもまんざら山賊(やまがつ)の筋でもない。先祖の事は聟も聞いてゐられう、軍に立とうが合戦せうが何で未練に止めうぞ、殊にわごりょは祖母の連れ子、義理あるおれに隠すのは、が悪い、聞こえぬ」
と恨みかけられ
おとわは気の毒、赤らめてゐたりしが。
の事お聞き遊ばしたら幾世のお案じ、お年寄りの、苦になる事必ず云ふな、話すも折あらんと夫の口止め、隔てゝ云はぬと思し召すもお道理、春野飼の手を枕にし、転寝の枕元、雲の上人のお越しあって、南へ繁りし木の下(もと)に休らうてゐる男、天子のお頼みなり、とありがたい勅諚、今では楠多門兵衛正成と申しまする
ホオ成程、常の孝行な心からは、苦にさすまいと思ふて隠せと云ふたも尤も、それで何もかもおれが思ふた通り聞いた通り胸が晴れた。さりながら心得ぬ事あれば、祖母へはこの話必ず無用、シテ天王寺の軍に、宇都宮と云ふ者に楠が負けたと云ふ噂、何とそれは誠か」
と問はれて
うじうじ
「アイまあその時はひかれました」
さてこそ、エヽ口惜しや、二十若くば役に立たずとおれも
ソレそのやうに苦に遊ばすによって
何云やるぞいの、いとしいわごれに添ふ聟の身の上、苦にせいでよいものか、まだ聞く事も云ふ事もあれども、こゝは端近孫連れて一間へおぢゃも祝ふて巻かうし、軍に菖蒲は祝ひ草、敵の芦の葉をむしり数珠繋ぎにしてやろ」
と、えんぎを胸に米の粉を引きまつべ、引きまつべ、親子の者を伴ふて、間へ

(切場)
こそは入りにけり。
や夕陽にく頃
へ美々しき女乗物家来あまた歩行(かち)の者、走りが門口より
「誰そ頼まう、徳太夫殿お宅はこゝか
と尋ねに
折よく祖母は立ち出で
なるほどこゝこゝ、どなた様や
と、云ふ声聞いて
乗物より、出づる女中の華やかさ、五つばかりな娘連れ、家来を後(のち)にと追ひ戻し、
々入るを
祖母は不思議と打ち眺め
この住み侘びたあばら家へ結構なお姿で、どれからお出で」
ともてなせば
ヤそのやうにうやうやしう御意遊ばす者でなし、定めてお前が徳太夫様の奥様でござりませう
ハヽヽヽ御勿体ない、つい嬶と仰って下さりませ
と、揉み手をすれば
こなたも手をつき
私事は照葉と申しまして、徳太夫様のお子竹五郎が女房でござりまする
と、聞いて
手をうち
れはこれは、サアサアこちへマアこちへ、何から云はうぞ話さうぞ、文来る度に懇ろな入筆(いりふで)、逢ふたは初めて、心は互ひに嫁姑、竹五郎殿も変はらず無事でござるかの」
なる程息災で常住お前のお文を見ては、真実の母様でもこれ程にはあるまいと、押し戴いておられます。この度天王寺の合戦、敵を一戦に退け、士卒も帰さず主も逗留、勝軍とは申しながら心もとなく、これなる娘みどりを引き連れひそかの見舞、ついでなれども立ち寄って勘当のお詫言、孫娘の顔も見せたら、父御様のお心も和らがうし、又一つには、この度天王寺での高名、宇都宮公綱と武名を顕はし、楠を追ひ散らせしと申し上げなば、もや勘当お許しないことはあるまいと、勇みに勇んで参りし」
と、語れば
母はあたりを見廻し
これ嫁女、親父殿に逢ふたりとも宇都宮と云ふ名を云ふまいぞ、まして楠に勝ったと云ふたら、並大抵の事ぢゃあるまい。その訳ひそかに話して聞かさう。みどりを連れてマア奥ヘ
と心ありげな指図には
やと云はれず気も済まねど
「しからばさやうに致さん」
と、娘を連れて奥の間へ、
や入相の鐘の音も、に響きて老いの身の、案とりどりる所へ。
祖父は一間を立ち出で
ノウお祖母、きのふ川端で諍(いさか)ふてから、おぬしも物云はず、俺も云はぬが、いかう気詰り、ちっと話す事もあり、何ともう仲を直らうかい
オヽおりゃ疾うからさう思ふております。したがこなた何ぞ聞きゃせぬかや
イヤ何にも聞かぬが、わごりょはさっきに何ぞ聞いたか
イヤおれも何にも聞かぬ
サさう云やるで話しにくい、いっそ二人が胸の中一度に話さうぢゃあるまいか
オヽこりゃよからう、まあその話の発句はどうぢゃの
サアその発句と云ふは、アノ昔々さる所に祖父と祖母とあったといの
ホコリャ珍しい話ぢゃわいの、大方その祖父の息子に、勘当したのがあったであろ
オヽあった、その倅が出世して、宇都宮の公綱と云ふたげな
ムウそれこなた知ってゐるか、そんなら俺も話そ、その又祖母の娘の聟に、補正成と云ふのがあったといの
ヤアそれをそなたも知ってゐるか
知ってゐる知ってゐる
サアそこが話のんじんかんもうその勘当した倅と、大切に思ふ娘の聟と、剣を振り合ひ切っつはっつ命を果たさんとするげな、その親の身になっての心、悲しいとも情ないともを刃で裂かるゝ思ひ、聟を思ふ父親も、息子をかばう母親も、思ひは一つ断未魔、もに悲しからうの」
と語れば
祖母も泣き出し
「ノウその事思ふて幾せの案じ、理と義理とに隔たれば、夫婦親子も敵味方、別れ別れにならうかと、そればっかりが悲しうござる。いはゞ互ひに意趣遺恨あって軍するでもなし、丸うするのが親の慈悲、思案して見て下され」
と縋り嘆けば
オヽれを思はぬではない。とや角思ひ廻した上、たった一つの了簡、云ふて見やう聞いてお見やれ。見れば最前、宇都宮が娘みどりとやらを連れて来た。そのみどりと、聟の正成が子の千太郎とを、夫婦の縁を組み置かば、子にほだされる親心、おのれと和睦の筋にもならうか、これよりほかの思案はない」
と、云ふに
涙の目を押し拭ひ
面白い面白い、いやと云はれぬ和睦のさしやう、オヽ嬉しやそれで落ち着いた
スリャこの思案がよからうか
よいともよいとも上分別、善は急げぢゃ今こゝで祝ふてちゃっと盃事」
「オヽよからう、おりゃ千太を連れて来う、そなたはみどりを
オヽ合点
と、も直りても勇み祖父は勝手へ往く、後に。
祖母は一間の方へ往き
「みどりみどり」
と呼び出せば
「アイ」
と答へて出て来るを
かなたに連れて小声になり
おれが云ふ事よう聞きゃ、女の子と云ふ者は小さい時から許婚、殿御持たねば人があなづる母がよい殿御持たそゞ」
と云ひ含むる
その内に父は千太に着初めの上下吉野折敷に松と竹、徳利の口のきさき紙も、花形の心にて、そいそ連れ出で座に直し。
何とめでたいでないか、孫と孫とが一世一度の祝言、祝ふて立てた松と竹、鶴亀は幟にある。尉と姥はそなたとおれ、道具が揃ふた、祝ふて謡を
オヽ小声でたった一口
『オット』心得、扇を開き
つになる子がいたいけな事云ふた、殿が欲しと謡ふた、ヽヽこれで祝儀は納まった、サア盃を取り上げさせ」
さゝんとする後より
照葉は見付けて走り出で土器取って打ち割れば
おとわも駆け出でわが子を取って引き退くる、
お爺(じ)姥(うば)ハッと気の毒の、撫でおろすばかりなり。
照葉はもとより張り強く
コレ申しお二人様、始終の様子は聞きましたがよう思ふて御覧じませ。夫公綱は六波羅方、楠殿は天皇方、敵と敵との子供等を、祝言さしてはお上へ立たず、申しにくいがこの照葉も長崎四郎左衛門が娘、逃げ足早い楠の子と、縁組んだと云はれては子孫までの家の名折れ。それともに親甲斐でなさる事ならとてもの事、楠殿に降参させ、和睦あった上の事
と、聞くより
とわは
「コレ照葉とやら、降参とは何の事、引くも駆けるも軍のならひ、天王寺の合戦に連れ合ひ正成引いたるは、五千余騎の軍勢を追ひ散らしたその後へ、小勢で向ふ宇都宮あっぱれの武士(もののふ)、一面目与へてやるが武士の情と、わざとその場を引かれました。逃足早いとはエ舌長な
とやり込むれば
イヤ良い手な事おっしゃんな。情で軍に負ける法あるか。聞かう
オヽ云お
と、夫思ひの両人がひじ張りかくれば
祖父は手をあげ
「ヤレその争ひ聞くに及ばぬ、スリャどうあっても孫どもに、祝言さす事ならぬぢゃまで
「アイ、の儀は御免」
と二人とも、言葉揃へば
「もうよいもうよい、ウ祖母、はや日も暮れた、看経(かんきん)しませう。仏壇へ御明(みあかし)上げておくりゃれ
オヽ無明を払ふ大灯明、胸の曇りを晴らさう、ござれ
と手を引き合ふてお爺姥は、間へ
こそは、入りにけり。
後うちながめ、嫁娘
わけておとわは気にかゝり
コレ千太郎、そなたは祖父様のお傍に付き添ひ何ぞ変はった事あらば声を上げておれを呼びゃ、早う早う
と追ひやれば。
照葉も娘引き寄せて
そなたは祖母様のお傍へ往て、随分御機嫌とりゃ、祝言の事御意あらうとも必ず合点せまいぞ、ありゃ内証から手をまはし、頼んだお方があっての事
と、あてこすって娘を奥ヘ
やる間も待たず
「コレ照葉様その頼み手は誰が事
オヽ外ならずお前の事、お連れ合ひの楠殿、負けに負けてお身の上気遣ひさに、子供同士縁組ませ、それを囮にこの軍、引いて貰おといふ工み、ならぬ事ならぬ事、天王寺に控へた軍勢は、心一致に身を固め、楠討たぬそのうちは、たとへ唐天竺が一つになって攻めても動かぬ、逃げるやうな侍と鉄武士はそれ程に違ひやんす」
とほのめかす。
くにおとわはなほ無念、『は云へ引いたは逃げたなり、なまなか夫が武の情、今身の仇となったか』と、思へばくやしさ口惜しさ、歯の根を砕きをふるひ悔み、涙の折からに。
間の内の小庭より、ほっと燃え立つ火焔はいかにの巻く如く合図の烽火(のろし)、ひらりひらひら上がるとそのまゝ、秋篠山生駒山火の手を合はす遠篝(とおかがり)、数千本の旗を翻し、をどっとぞ上げにける。
見るにびっくり中にも照葉
「これぞ敵の隠し勢、味方のやうす気遣ひ」
と駆け出すを
おとわは飛び付き引っ捕へ
天竺が攻めかけても、びくともせぬとおっしゃった、お口に似合はぬ何で気遣ひ、楠が妻とわが留めた、お邪魔いたす」
と弱腰をしっかと取れば
「ホヽヽヽヽ、オしをらしや何あそばす、野山に育って田がへしの、牛綱引くとは当が違を、宇都宮が女房照葉、ならば留めてごらんぜ」
と、踏み出す足はの枝
の腰に雪折れはござんすまいと引いて往く
「どっこいどっこいお笑止や、殿御と合はしたおなかをば、瓢箪形に締め切るか、御運がよくば唐織の二重廻りを引き切るか、二つに一つは定め物」
と、引き戻せば
ぢたぢたぢ、竜田の紅葉顔に散り、裾にちらつくばかりなり。
ゝる所へ公綱が物見の者馬を飛ばして駆け来たり
アヤアこの家に宇都宮の御奥方やおはする。天王寺に控へし五百騎の軍勢、今見えし遠篝に恐れ皆散り散りに逃げ失せたり、主君の安否心もとなし、急いでお帰りお帰り」
と、云ひ捨てゝ又引返す。
「南無三宝」
と駆け出すを
なほも押へてせり合ふうち、
一間に切り合ふ剣の音はっと立ったる血煙に
二人ははっと胸騒ぎ争ひ捨てゝ走り寄り、障子ぐゎらりと引き明くれば
に染みたる祖父祖母の今を限りのそのありさま
「コハ何事を云ひあがり、かくなり給ふぞ、あさましや」
と、り、嘆けば
母親は。
「恥づかしや嫁女娘、かうなるまいと思ふから孫と孫との取り結び、和陸の罠をかけ損ひ、死ぬるわいの」
と一言が
照葉が身にはなほこたヘ
「さほどに思し召すならば連れ合ひにも云ひ聞かせ、しやうもやうもあるべきに、お心早き御最期」
と悔み涙に
祖父は起き立ち
「イヤ嘆き遅い遅い、ちが夫宇都宮は、取り分けて我強き生まれつき、この度の天王寺合戦、わが武勇で勝ったと思ふは愚かな事、天性敏き聟の正成、宇都宮は勘当の倅、竹五郎と云ふ事よく知って、一支へ支へず引き退き、高名さしてくれたはこの親へ、悦ばさんとの孝行と、思ひ当たれば忝や。おとわよう礼云ふてたも。さうとも知らいで倅めは、五百騎の軍勢を天王寺にとゞめ、楠を討たんとはかる。せめて返礼に追ひ退ぞけんと思ふから、炭焼山籠の衆を頼み、予(かね)ては聟の力にもと拵へ置いたる遠篝、報せを見せたら苅り置いた柴薪に火をかけ、鬨の声を上げてたべと、云ひ合はせたはこゝぞと思ひ、幸ひ祖母が洗濯の、布にしかける相図の烽火、四方八方合はす篝火、蒸し立てられて六波羅勢、皆散々に逃げ失せたは、わが知恵のやうなれども、日頃話に聞き置けば、やつぱり聟の、恵なるぞや。
末世末代楠が計略(はかりごと)と云はれん嬉しさ、これ程の事にさへ聞き怖ぢする宇都宮、正成を討たんとは思ひもよらず、叶はぬ事と思へども、勘当したれば意見もならず、後先思はぬ猪武者、向ふ度に恥辱を取り、犬死しおるを見るやうで、不憫におぢゃる」
としゃくり上げ、嘆けば
母ももろともに
隔てた私が義理あれば、烽火を上げて公綱に恥辱を与へる事ならぬと、せり合ふ剣の手が廻り、死ぬる覚悟と云ひながら、悲しい事をしました」
と、縋り嘆けば
「何のいの、おりゃそなたの刃物で故意(わざ)と
わしもこなたの剣を無理に、これも前世の約束か」
と泣き悄(しお)るれば、
おとわもせき上げ
「武士と云ふ者は、親子兄弟引き分かれ軍をするも世のならひ、なぜ諦めて下さんせぬ。お前方のある内は公綱様へわが夫が、何の敵対致されましょ、お嘆きは見せまいに」
と悔めば
苦しき、手を合はせ。
「こなた迄が忝い、ありやうはその志を受けまい為、二人の者は死にまする。孝行深い楠殿、宇都宮が向ふと聞かば、勝ち誇った軍でも引き退くは定の事、さすれば天の君への不忠、その不忠はこの祖父祖母が、照大神様へ敵するも同然、これ迄は婿殿にいかいお邪魔になりましたと、断わり云ふて下され」
と云ふも涙
聞くも涙
「せめて末期に千太郎にも、お逢ひなされて下され」
と呼び立つを
祖母は引き止め
イヤモウには逢ひますまい、馴染みのないみどりでさへ、孫と名が付きゃ心が残る、まして千太郎は手塩にかけ育て上げた奔走子(ほんそご)、顔見る程迷ひの種やっぱり寝さして置いて下され、但し祖父様は逢ふ心か
の祖母の云やる事わいの、たゞさへ目の先にちらついて、おりゃ云ひ出すも胸が裂けるやうな、おとわ随分大事にかけて育てゝたもれ、ヤヽこの秋から寺へもやって、いろは書いたら清書を仏壇へ供へてたも、それが手向けの香花、死ぬる覚悟のその中でも朝ぶさも焼いておき、菖蒲刀も買ふて置いた、目が覚めたらやってたも、おいら二人を尋ねるなら、父は山へ柴苅りに、祖母は川ヘ洗濯にと云ふて賺(すか)してたもいの」
と、『わっ』と泣き出す心根を
思ひやりつゝ、嫁娘っぱと伏して、泣きゐたる。
はや臨終も近付けば
照葉は涙の手をつかへ
の我慢高慢も、先祖の苗字引き起こさんとの心のはげみ、今お果て遊ばして誰に勘当赦して貰はん、親御のお慈悲お情に、お赦しあって給はれ」
と涙に沈むを。
つくづく見て。
傍にあり合ふ石臼を
「こゝヘ」
とおとわに引き寄せさせ、わが血をもって石の面、了雲信士と書き記し、一つの石には妙三信女ときつけ
コレこれを見よ、すべてこの世にある人の戒名は皆逆修、祖母も、おれもながらへてゐると思ひ、何時でも心を改め、天皇方へ味方せば、この時この石塔に墨を入れよ、それが勘当赦した印、それ迄は二親はまづこの如く切り合ふて羅の巷に迷ふてゐると、伝へてたも嫁女」
と、云ふがこの世の暇乞ひ
互ひに祖父祖母手を取り合ひ、思ひ合ふたる印には、命も息も一時に絶えてはかなくなりにけり。
二人は死骸に取り付いて、前後に、くれし折からに。
部屋より荷をかたげ、そろそろ出づる以前の商人
さてもくたびれて、ぐったりと一寝入りやってのけた。目覚しに何やらお笑止な事を聞きまして、アヽ思はずも貰ひ泣きを致しました。ながうお悔みなされませ」
と悔みを云ふて出る所に
一間の内より高声に
都宮公綱待て
と、呼ばはる声は耳に胴突き
びっくりして立ち止まり
何ぢゃ、何の事ぢゃ、誰が事ぢゃ」
と往かんとす
ヤア卑怯なり公綱、楠多門兵衛正成対面せん
と云ふ声を
聞くより商人荷を投げ捨て上張り取れば、肌には着鎧頭巾の下には鎖鉢巻、荷籠に仕込みし弓矢携へり出で
アいしくも留めたりでかしたり、わが眼前に親の最期、よそに見るも汝をば見出さん為にこたへし不孝、たゞ物臭きはこの内と思ふに違はぬわが眼力、名乗って出でしはあっぱれ健気、見参の引出物胴腹射抜いて得させん」
と、弓弦をしめし待ちかけたり
「ホヽウ潔し面白し」
と、間の障子をさっと開けば床几にかゝって楠正成、黒革縅の胴丸に鍬形打ったる兜を着し、勢ひ込んだるその形相、威あって猛きに
びくともせず三人張りに十三束引きかため指詰め、引き詰め射るこそあれ、
鎧も兜もばらばらと落ちて姿は真菰草、藁人形とぞなりにけり。
「南無三宝、たばかられし」
とあせる
こなたに
ヤアヤア公綱、眼が見えぬかうろたへ者、楠正成これに在り、定めて矢種は尽きつらん笑止笑止」
と嘲り出づるを
見るや否や
「ヤア愚か愚か、その方便(てだて)もあらうかと嗜み置いたる尖矢(とがりや)二筋、受けて見よ」
と云ふまゝに、切って放せば
あやまたず鎧兜が一時に、落ちて同じく草の葉の蓬つくねた人形に
二度びっくりの無念の勢ひ、
とわはをかしく
「コレお二人様、けふの祝儀の幟に添へ、いくつこしらへあらうも知れず、よい錺(かざり)の兜や」
と嘲弄せられ
夫婦はぢだんだ死物狂ひと駆け往く向ふに
すっくと立ったる楠正成、
公綱すかさず取り延べてはつしと打つ、
ひつぱづしはつたと蹴落とし、くはつと睨めたる眼の光、
元より猛き宇都宮只一掴みと駆け寄りしが、
天性備はる正成が勇気に
思はず進み兼ね、五臓六腑を揉み上げて、睨み返し睨め戻し、
龍に羽有る勢ひなせば、
虎に角ある勇気を顕はし、互いにほつとつく息は鯨の汐吹くごとくなり。
二人の妻はあぶあぶと手に汗握る計りにて詮方もなく見へたる所に、
正成賢美の声を励まし、
我天皇に頼れ奉り、命を戦場に抛つ事、心有て舅に語らず、今宵窃かに伝へんと裏道より帰りし所、思はずも両親の御最期、急ぎ御別れと思へども、汝此の家に忍ぶ事を知ってわざと控えし其の心は、互いに励敷戦ひ見せば、御臨終の妨げと思ひ計って延引せり。諒闇は天子に限らず庶人に及ぶ、眼前二親最期の場所、此の場で直に勝負も成るまじ。時節もあらん」
と言はせも立てず、
ヤア生ぬるこい一時を待たふか。女房照葉を入り込ませ、我は下賤に身を省(やつ)すも、汝が首を見よふばかり。そこを引くな」
と言ふこそあ仕込みの槍を取るより早く無二無三に突きかゝるを
持ったる采配(さい)にてはっしと刎ね
又突きかゝるを
身をかはし、程よく掴みし金剛力、
こなたは我慢の高慢力、持ったる腕とも引き抜かんと、もみ合ふ所にしやな、
したる父の亡骸がむっくと起きて槍の柄を、中よりはっしと切り折って、仏倒しにどっさりと転けしは
「いかに、こはいかに」
と、四人一同に顔見合はせ思議の、ひも魄の、この世を去らぬ子ゆゑのと、ひ続けて人々は『わっ』とばかりに泣き沈む。
人の妻は涙と共に、夫々に取り縋り
「四十九日がその間は魂その家を離れずと、聞きしに違はぬ今のありさま、お痛はしきは父御のお心思ひ量ってせめてまあ、五十日の忌(いみ)明くまで、勝負を待って下さんせ」
と、嘆くも道理ことわりと。
石に猛き公綱もとより仁義の楠も、睨み合ふたる目は涙。
互ひに待つとも待たぬとも云はで別るゝ猛将勇将、
は子供を呼び出して、死骸に逢はすもかたはの芦の便り少なき、真菰草、
蒲勝負は時の運、粽は軍の血祭りと、思へば悲しき槍長刀立てし幟は大旗小旗、冥途へ靡く白旗もの世の名残りと、正成が、父の死骸をかき抱けば
公綱も母親の死骸をかゝへこれまでの、義理の情の一礼に
両将並んで骸を、し戴きし志、
二人の妻は回向の経文、ふる声がの声互ひに戦場々々と葉を
残し別れ往く
 
 

 

 
 
 
 
・「のあやめに」以下のマクラ、初夏端午の節句、軽快に語り進める。

・「より廻る稚子の千太は傍に真菰ぐさ」長地でしっとりと母子の情愛を表現。
・「売は」から足取り・間が変化して、商人(実は宇都宮公綱)の登場。
 「ア来たり」の商い言葉も、慇懃ではなく一癖ある大団七の性根を失わない。
・「に羽をのす」からノリ間。
 
 

・「所の子供」無邪気に集まってくる様子、
 「ろじろ見て」楠の子息かと詮索する気味悪さが底にある。
・「アこな子供衆は」以下は砕けた語り口。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「にも愛想こぼれける」気立ての良いおとわを表現する柔和で魅力的なフシ。
・「れは忝い」下座で雨音を聞かせる。
 
 
 
 
 
 

・「りにけり」探り見る気味合い。
 

・「ふ間も」からハルフシで改まり、祖父徳太夫の出を暗示。

・「し明けてそろそろ立ち出で」地から色へのカワリ、浄瑠璃の基本だが、
 端場を勤める中堅太夫の実力がよくわかるところの一つでもある。
 
 
 
 
 
 
 
 

・「が悪い、聞こえぬ」押して責め恨む気味、
 「赤らめてゐたりしが」おとわの地でたゆたう気持ちのフシ落ち、魅力的。
・「の事お聞き遊ばしたら」以下、詞でなく地にすることにより、
 祖父を気遣いながら事情を説明するおとわの表現となり、
 「春」からは詞となって明快に事実を打ち明ける。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「も祝ふて」以下の地は、直前の詞と併せて矍鑠とした祖父を描出、
 「間へ」まで明るくヲクリ、切場の愁嘆を予告することはしない。

(参考:呂・団六)
 
 
・「や夕陽に」荘重なハルフシ、「く頃」は早く高く強く、「へ美々しき」から再び荘重に。
・「走りが門口より」早く軽くなる。
 
 
 
 

・「々入るを」ここもハルフシで改まる、照葉(外見目に立つを第一とするの称)の性根をふまえた出。
 

・「ヤそのやうに」言葉の割りにその物言いは上からかぶせかける権威主義
 
 
 
 
 

・「れはこれは」以下、祖母は無心な喜び。それが詞でなく地で伝えられる妙。
 
 
 

・「もや勘当お許しないことはあるまい」地色で音を遣い、来訪の主眼を示す。
・「母はあたりを見廻し」不安の気味あり。
 
 

・「やと云はれず」から足取りがノッて、この場面終了へ。
 

・「や入相の」鹿ヲドリとあるが(?)。
・「に響きて老いの身の」強く早く凄みがある。覚悟が底にあるか。下座で鐘の音。
・「案とりどり」考える足取り、間。
・「る所へ」再び変化してくだけ、祖父の登場を示す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「んじんかんもう」音を遣う。
・「を刃で裂かるゝ思ひ」カカリ、胸中の悲哀を描出。
・「もに悲しからうの」高く行き、琴線に響かせる。
 

・「理と義理とに」平穏な日常世界の小歯車に、政治社会の大歯車が容赦なく絡まる。
 

・「れを思はぬではない」泣キ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「もシャン直りシャン」、緩やかに祖母の描写、
 も勇み」一転早く強く祖父を表現。
 
 
 
 

・「母が」から間拍子よく、
 父は」から一層面白く。

・「きさき紙」「形」「そいそ」写実的語り分け弾き分けの妙味。
 
 
 
 

・「つに〜謡ふた」から舞。
・「ヽヽ」祖母と祖父の心からの笑い。
 
 

・「撫でおろすばかりなり」三ツユリで収める。
 
 
 
 
 

・「とわ」常葉の称でもあり、照葉とは対照的な性根。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「の儀は御免」祖父に対しての言い方、穏当に。

・「ウ祖母」祖父のそして祖母の言葉、心底に覚悟の気味あり。
 

・「間へ」ヲクリ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「鉄武士」直前に三味線がチチンと皮へ叩いて、強く張って語る。

・「くにおとわは」直前の三味線チチンはウレイ。
・「は云へ」からクドキの旋律。「をふるひ」高く。
・「間の内の」ハルフシで新たな展開を予感。
・「の巻く」直前に三味線の合が入り、コハリで不気味さを出し、徐々に足取りを早める。
・「山生駒山」音を遣い張って語る。
・「をどっとぞ」激しく強く高く、下座は陣鐘を聞かせる。
 

・「天竺が」から詞ノリ。この二人の女房の駆け引き、躍動感あって面白い。
 
 
 

・「の枝」三味線の合入って「の腰」。三味線の聞かせ所も連続する。
 
 

・「ぢたぢたぢ」写実的描写。
・「ゝる所へ」一層慌ただしく注進の登場。
・「アヤア」詞ノリ、焦っている。
 
 
 
 
 
 

・「に染みたる」急速調は収束し、悲哀と驚きと。

・「り、嘆けば 母親は。」スヱテで一の音へ落ち、愁嘆となる。
 
 
 
 
 
 

・「ちが夫」から心中の真実を、苦しき息の下、詞で聞かせる。
 
 
 
 
 
 

・「恵なるぞや」カンで高く感情の高潮を聞かせてフシ落チ。
 
 
 

・「母も」老夫婦の衷心衷情。滋味深く心に染み入る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「天の君への不忠」「照大神様へ敵するも同然」強く語る。大義(社会性)に生きるのが人間存在。
 
 
 
 

・「には逢ひますまい」泣キ、しんみりと沈む。孫への情愛に聞く者も涙しよう。

・「の祖母の云やる事わいの」「胸が裂けるやうな」泣キ、しんみりと沈む。
 

・「父は山へ柴苅りに、祖母は川ヘ洗濯に」、立端場冒頭の詞章と悲しみの照合。

・「っぱと伏して、泣きゐたる」スヱテで愁嘆。
 

・「の我慢高慢も」から照葉の地は足取りを早める。
 
 
 
 

・「きつけ」「」で強く決める。
 
 

・「羅の巷に」高く語り印象付ける。
 
 

・「部屋より荷をかたげ」ガラリと変わって一癖ある公綱の出。
 
 
 

・「都宮公綱待て」楠正成は高らかに颯爽と。
 
 
 
 
 

・「り出で」激しい合の手が入り、
 「アいしくも」から詞ノリ。
 
 
 
 

・「間の障子を」から知将正成と猪武者公綱の掛合が面白い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「とわはをかしく」から女のやわらかい旋律が入り変化を持たせる。
 
 
 

・「取り延べて〜言ふこそあ」現行は詞章を省略。正成の発言は頭に入れておく必要あり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「しやな」下座でドロドロを聞かせ、
 「したる父の」コハリで不気味な雰囲気を出す。

・「思議の」一の音に落チ、「ひも」高く張って、
 魄の〜子ゆゑの」は低く丁寧に。
・「ひ続けて」から段切前の愁嘆、
 「『わっ』とばかりに泣き沈む」落シで収める。
・「人の妻は」からクドキの旋律、段切でノッていく。
 

・「石に猛き公綱も」「とより仁義の楠も」両雄の性根を明確に描出。

・「は子供を」女、「蒲勝負」男の区別は必須。

・「の世の」止まってしんみりと。

・「骸を」ヘタって、「し戴きし志」哀感を込めて丁寧に。
・「ふる声が」低く読経の気味合い、
 「の声」高く強く張り、下座で陣鐘。
・「葉を」柝頭、これがピタリと決まらなければいけない。
 観客はこの音で物語世界から離れ(物語世界の完結)、日常世界の現実へと目覚めるわけである。

(参考:津・弥七)

・なお、注釈の疑問箇所関しては、ある方のご教示を受けて確定した。