五代 吉田文吾


・文吾は玉男流の理知的弁慶、まずは良し。(『弁慶上使』平成十年正月公演)

・丈八の文吾は現在この人にしか割り振れない状況をよく心得て懸命に遣いそれなりの成果を見せていたのが好ましかった。(「城木屋」平成十年四月公演)

・悲劇に巻き込まれる誠実な若侍の表現はできていて、見る者の同情を引くには十分であった。やはり今回の六段目は案外の成功であって、気分良く第一部の追い出し太鼓とともに劇場を後にすることが出来たのである。(「勘平腹切」 平成十年十一月公演)

・文吾紋寿とのコンビは実によく白尉黒尉各々の性根を捉えて対比していた。(『寿式三番叟』平成十一年正月公演)

・人形鱶七の文吾も前回比また長足の進歩で、極まり型も大きく美しくなり、大胆不敵な面構えも見えた。(『妹背山婦女庭訓』平成十一年四月公演)

・文吾の和田兵衛が切れもあり大きさもあって大団七を遣えたといってよいだろう。(『近江源氏先陣館』平成十一年十一月公演)

・人形は文吾の熊谷がもうもう父の情一杯で十二分の人間味。敦盛が名乗り互いに見合わせはっと背くところ、「倅小次郎直家と申す者」以下の衷心衷情、首を打った後の所作、等々である。これはまた遣う文吾の飾り気のない実直さがあらわれているところでもある。(「組打」 平成十二年正月公演)

・人形は文吾の慶政が一日の長。座頭の感じを出しながらも卑屈にならず、かつて与八郎たる意気をも失っていなかった。「沓掛村」は納戸で八蔵と母の話を聞き、官金を灰に埋めるあたり、「坂の下」は生命力のすべてを絞り出した告白のところ、ともによく遣っていた。(『恋女房染分手綱』平成十二年四月公演)

・又助の文吾は夫婦親子の情愛が第一。(『加賀見山旧錦絵』平成十三年四月公演)

・まず慈悲蔵の文吾がすばらしい。よく映っている。持ち役と言ってもよいほどだ。(『本朝廿四孝』平成十三年十一月公演)

・まず文吾の甘輝、予想以上の出来で、これは座頭格の遣い方といってもよいほどであった。「五常軍甘輝と名に負ふその物体」の詞章からそのまま性根をよく捉え、丸本をよく読み、玉男師の研究もしたのであろう、細部にまで神経が行き届いた、それはもう感心頻りの立派な立役であった。しかも、文吾の特徴である日常的な面が意外なところで意外な働きを生み出すことにもなったのだ。それは冒頭下手から登場したところで、何かしらいそいそと勇んだ、心に高まる喜びがあるように見えたのだが、それもそのはず、「家の面目これに過ぎず」との加増昇進任命の褒賞を受けての帰りなのだから。見事と言うよりは実に自然な表現の為せる技であろう。(『国性爺合戦』平成十四年一月公演)

・文吾の松王はその個性として実に人間的であり、すなわち小太郎を身代りにすることに堪え得ざる心情がそこここに顔を出している。机の数を改め「ナニ馬鹿な」との叱咤、「奥にはばつたり首討つ音」での反射的所作、早速首桶に手を掛けるが源蔵に抑えられるところ、「蓋引き開けた首は小太郎」と「紛ひなし相違なし」で蓋を閉めるところ、そして「首受け取り玄蕃は館へ」の後ろ姿を見送るところ。文吾の松王ならばこうだろうと思う。もちろん玄蕃や源蔵戸浪に悟られるような所作ではない。我が子を犠牲にする悲哀はその時その場に応じて思わず滲み出るものだということである。よく、芝居の底を割るという言い方がされるが、それには当たらない。むしろそういう意味の芝居作りなのである。 (「寺子屋」 『菅原伝授手習鑑』平成十四年四月公演)

・そして文吾の与右衛門が真っ直ぐな衷心衷情、苦悩思案の様態をきっちりと表現。(『薫樹累物語』平成十四年七・八月公演)

・人形も文吾の弁慶が父性愛を前面に押し出して情愛豊かな遣い方を見せ、信夫の亡骸を抱きかかえるところなど、客席の涙と共感を誘い、大きな拍手がわき起こった。(「弁慶上使」平成十四年十一月公演)

・文吾の継母はこれまた何という憎々しさ、思わずこちらまでゾクッとした恐ろしい遣いぶり。(「中将姫雪責」平成十五年一月公演)

・今回とりわけ目を引いたのが文吾の権八で、儲け役ということではなく、端場と段切それぞれに十分な動きを見せ、観客を堪能させた。座頭格として認められよう。(「大文字屋」平成十五年四月公演)

・そして次代座頭格文吾の瀬尾、「詮議」での遣い方はすばらしいもの。大舅のかしらではあるが師直や時政とは異なる、金藤次や新洞左衛門も持つどことなくユーモラスな感じをうまく出していた。(『源平布引滝』平成十五年七・八公演)
・この太兵衛は文吾がその出からすぐ存在感が感じられるようにまでなったことに驚いた。人々の愁嘆、観客すべての人々の心にしみじみとそして鋭く伝わった。(『女殺油地獄』 平成十五年七・八公演)

・川越太郎の文吾が抑制の利いた佳演。また、狐忠信では文吾の見台抜け、ケレンはこうでなくてはならない。鼓を慕う小狐の生気溢れる姿。(『義経千本桜』平成十六年四月公演)

・文吾の熊谷、人間的感情に満ちた遣い方で、本公演中第三部を輝かせた殊勲。熊谷の出、なぜ若木の桜をじっと見つめるのか、胸にストンと落ちた。相模との応対、「聞いて直実吃驚し」相模と目を合わすと夫婦の愛情がありあり、文吾の真骨頂。物語、型が美しく極まるようになった。そして小次郎を回想しての悲嘆、だから相模を意識せざるを得ない。よくわかる。首実検、ずいぶんと相模を意識するのはそうだろう。「十六年も一昔、ア夢であつたなあ」、我が子小次郎への父の愛、胸中の想いを観客すべてが共感共有した。人の情溢れるところ、文吾の右に出る者はいない。「柊」無論鎌倉武士、「初雪」清澄無垢なる胸中の涙の結晶、「日影に融ける」親子衷心衷情の熱い愛の象徴である。(「熊谷陣屋」平成十六年七・八月公演)

・本蔵の文吾は床の災いが降り掛からぬところで腕の良さを見せ、松切りの鮮やかさ、乗馬は見事人形は、本蔵の文吾がこれも持ち役と言ってよい完成度を見せた。(『仮名手本忠臣蔵』平成十六年十一月公演)

・文吾が遣う平作には、嫌らしさも卑屈さもない、貧しいが純朴な武氏カシラの好ましいこと。「蔭に巣を張り待ちかける」との詞章は東海道の往来繁盛ゆえの猥雑さ(今風に言えば、アジアンストリート)の表現であって、必ずしも平作に掛ける必要はない。愚かではなく日常生活の智恵を持つ正直者。年の功とはまさにこれを言う。それがとりわけ千本松原で光彩を放ち、心の探り合いから絶命まで、中でも親子が名乗り合って抱き合うところ、文吾の人情溢れる遣い方そのままに、あの一瞬で涙がボロボロとこぼれ落ちたのである。(『伊賀越道中双六』「沼津」平成十七年一月公演)

・人形、文吾の新洞左衛門、鬼一カシラの情愛はこの人に尽きる。(『苅萱桑門筑紫[車+榮]』「守宮酒」平成十七年一月公演)

・人形は又平の文吾が細心かつ正確、石面を清めるところや舞の所作など隙がない。(「土佐将監閑居」平成十七年四月公演)

・合邦の文吾は立端場から通して見てなるほどと納得がいく、一本きっちりとした性根が貫かれており、床や他の人形とも個々の所作が的確に応じて、この人のよく考え抜かれた合邦像として評価できる。(『摂州合邦辻』平成十七年七・八月公演)

・人形、弁慶の文吾は型もよく杖の捌きも抜群で、詞章をよく体現している。延年の舞も自在。(「勧進帳」 平成十八年四月公演)

・三婦の文吾はかつての侠客をまざまざと感じさせる遣い方がよい。「わいら蝗のやうに思ふわい」の言葉通り、「鳥居前」と「三婦内」での捌き方は、これまた「美しいので気味悪く」の詞章そのまま、鮮やかで素敵であった。(『夏祭浪花鑑』 平成十八年七・八月公演)

・文吾の孫右衛門は粉屋が侍の真似をしてついぞ行かぬ揚屋へ弟のために赴く、その情愛が痛いほど伝わったから見栄を極めるところも大仰でいいのだし、「紙屋内」の端場と「大和屋」での弟を思い叔母を助け甥を背負うその人間味あふれる姿は、孫右衛門造型の一典型と言ってよかろう。床と絶妙に性根が合致していたことも秀逸であった。(『心中天網島』平成十八年十一月公演)

・文雀師と文吾は長年連れ添った熟味が感じられた。以心伝心。それゆえに、段切の万歳がもっとも映ったと思う。全編を通して見れば、悲劇というよりも予定調和の安心感があったというところか。「労り渡す細杖の細き心も細からぬ誓ひは深き壺坂の御寺を指して」この夫婦愛と信仰によって、観音の霊験は眼前であると感じさせた遣い方は、かつてないものであった。(『壺坂観音霊験記』平成十九年一月公演)

・この一段の人形はまず平右衛門の文吾。舅カシラは厳しく映るが、妹娘への最初の言葉が「大事ないつつと来いつつと寄れ」であり、段切「灰になつても帰るな」も叱咤拒絶などではない。子を思う親心は人間味あふれる遣い方に確かであった。加齢に病身はさすがに平右衛門の心を弱らせる、そこもまた如実であった。(『心中宵庚申』平成十九年四月公演)

・文吾は中年の剽軽者という遣い方でツボを心得ている。(『釣女』平成十九年七・八月公演)
 

以上は劇評から抜粋したものです。


その一報を知ったとき、
茫然自失そして「あああ」と落胆するよりほかありませんでした。
これから座頭として人形浄瑠璃文楽座を牽引すべき人でありましたのに。
「平成の立役」という称号はまさに彼のために用意されていたものでした。

誠実なリアリズム、そして、手応えのある所作は、
「人形」遣いとして一つの典型的なスタイルが確立されておりました。
まさに熱い血が流れている「人間」が、
舞台上に豊かな感情を抱いて存在しているのでした。

また、
私どもの未熟な劇評に対しても、
耳を傾ける所は偉ぶることなく取り入れられ、
寸評後再び劇場の椅子に座れば、
サロンでの指摘はことごとく人形の血肉と化しているのでありました。
舞台上と客席とで目と目があったときの、
「どうだ」という呼び掛けには身震いがしたものです。

挽歌を詠むことすら叶いません。
あまりにも突然に舞台上から姿を消されたのですから。

―重要無形文化財保持者人形浄瑠璃文楽座人形紋下座頭立役
 吉田文吾師ここに眠る。―

合掌。