五世 竹本伊達大夫


・切は伊達団六。若狭之助の本意を明かした詞秀逸。ここで涙を催させるとは大抵の技ではない。SPの古靭太夫とこの伊達と、さすがは切語りである。団六も段切りの曲の叙情味と哀感の見事なこと。「浄瑠璃ってやっぱりいいものですね!!」

(「本蔵下屋敷」『増補忠臣蔵』平成十年四月公演)


・伊達富助のコンビならべたべたとした芝居臭さもなく(待ち合わせも多いのにそうされたら歌舞伎の出店以外の何物でもなくなる)、あっさりとした中に滋味深いものになるだろうと想像したとおりの出来であった。顔世は段切りの処理の仕方同様、粘らずさらさらと運ぶうちに悲哀を描出する。「御台所は正体なく嘆き給ふを」のところも富助の哀切ある音色足取りとも相まって聴くものの胸に応えた。たまりかねて由良助に走り寄り互いに胸中の思いを確認するところも実感があった。その一音上がってからの段切りはそれはもうあっさりと足を早めて三重まで、段切りの格を弁えての床は、昨今の粘ついた処理が多い中で一服の清涼剤であった。

(「判官切腹」『仮名手本忠臣蔵』平成十年十一月公演)


・奥の伊達大夫団六であるが、公演後半にかけて脂が乗ってきて、局たちのノリ間も面白く聴けた。まず鱶七がよく映り、豪快粗野でも人間味ある血の通った人物像を活写。入鹿もこの段のように本音が出て思わず人間的な一面を垣間見せる場面は伊達団六の本領発揮である。しかしこの一段は地味だがとても面白い。鱶七と入鹿の対峙というのが実にうまく描かれているからだろう。そしてそれをきちんと演じてみせる三業。これだから劇場通いはやめられない。伊達大夫団六は庵格として貴重な存在である。

(「鱶七上使」『妹背山婦女庭訓』 平成十一年四月公演)


・伊達大夫の持ち役。喜左衛門とのコンビなら経験則からだけでも勤められるというものだ。さすがに「武骨の荒くれ男」和田兵衛が映るのは伊達大夫である。もっとも以前と比較してがむしゃらな馬力は弱ってはいるものの、その分老母微妙の表現に滋味が加わっている。特筆すべきはたった一ヶ所しかない小四郎の詞でホロリとさせたことであって、これも早瀬との対比により際立つ微妙の描写が心有る語りで処理されていたからである。

(「和田兵衛上使」『近江源氏先陣館』平成十一年十一月公演)


・後半は伊達に団六休演代役燕二郎。弥陀六が良いのは予想通り、義経首実検の詞「よくも討ったりな」に得も言われぬ情愛を微妙に含ませた(その情が露出してしまうと当然贋首と公定されることになり水の泡となる)伊達の語り口は予想だにせぬ絶好の仕方。相模のクドキが燕二郎の妙手もあって予想以上の出来。その直後藤の方への相模の詞が観客の心に徹し涙を催させるとは予想も何もないただただ感動あるばかり。「伊達大夫の語る人物にはいずれも血が通っている」とは高木浩志氏の至言であるが、それが図らずも今回もまた証明された形となった。

(「熊谷陣屋」『一谷嫩軍記』平成十二年正月公演)


・伊達大夫喜左衛門。伊達大夫には最適の場であることは言うまでもない。八平次が写り慶政に味わいがあり八蔵の誠心を描出しと、これらは期待通りであった。伊達の良いところは、毎回必ずこちらの予想以上にハッとさせられる点があるということなのだが、今回は慶政がそれであった。苦痛の表現が迫真で、客席全体が八平次の残酷な仕方に耐え兼ねていたというだけでも上出来だが、この一段いやこの作品全体の柱でもある慶政の告白が、衷心衷情溢れ出るすばらしいものであったのだ。伊達の惣領である与八郎こと慶政は、病身・眼病であろうとなかろうと、己のことのみ考えるのならば、そのまま地位に留まって一生無難に過ごすことも可能であったはずである。しかし伊達の家名を考えると、あるいは父や弟の心配りを思うとき、彼は出奔を決意したのである。つまり、自分という存在は自分が存在するから成立しているのではなく、他者の存在があってはじめて自己が存在するということである。現実存在(現在)としての自分の幸福追求を最優先するとき、過去とは現在の絞り滓でしかないし、未来とは現在に供せられるべき生け贄としての意味しか持ち得なくなる。現代の欲望快楽全面肯定全開主義こそがその最たるものである。その結果、世代間の断絶は決定的なものとなり、地球環境問題は先送りされ続けて深刻な事態に陥るのである。なるほど坂の下での慶政の横死はあまりにも無惨であり救いようがない悲劇であるように見える。現に戦後日本にあってはそう思われたからほとんど上演されなかったのである。が、「家を思ひ弟を思ふ慶政が志は埋もれまじ」の詞通り、慶政は他者規定によってのみ得られる自己規定を実現し、見事に自己の存在証明をしてみせたのである。この慶政の死を嫌悪して受け入れられない心の持ち主、それは出エジプトを拒絶する日常性の奴隷であり、かつまた、それこそが老人を粗大ゴミ扱いにし、地球を食い物にしてボロボロに破壊する張本人なのである。本当の自分とか自分探しとか、内に向かって螺旋階段を下りて行っても、果ては虚無の地下牢という行き止まりがあるだけだ。自己は他者関係の中にこそある。他者にとっての他者。21世紀は20世紀人が陥った自己という蟻地獄から這いあがる新時代でなければならないのだ。以上すべては、伊達大夫の語る慶政に熱い血が流れていたればこその考察である。人形浄瑠璃が前時代的であるとか封建的であるとか、そういった評(というよりも感じ方)を見聞きすると、ここ何十年間でよほど強力に(いや巧みにと言った方が適切か)偏見の刷り込みが行われ続けていたのだなあと思わざるを得ないのである。しかしそれも今回のように大夫(三味線・人形)がきっちり勤めてくれれば、逆に大いに蒙を啓かれることにもなるのだから、やはり三業の責任は重大と言わなければならないだろう。

(「坂の下」『恋女房染分手綱』平成十二年四月公演)


・奥は伊達団六。以前にも増して淡泊に、浄瑠璃の流れの上に身を置いて、恣意的作為的な床とは無縁に、しかもそこに情感を浮かび上がらせる。住大夫錦糸と正反対の行き方は実に貴重な存在である。仏師に例えれば、木の内側に存在する仏を掘り出すのと、素材から仏を作り出すのとの違いと言えばよいだろうか。世間の耳目を峙たせるのは無論後者であるが、私は断然前者を採る。この伊達大夫を切語りにもせず放置しておくのは何故か。まあいいだろう。病膏肓に入った者には匙を投げるしかないのであるから。その床のどこがどうだというのは書くまでもない。もっと長五郎を、もっとお関のクドキを、云々は知れてあるが、木を見て森を見ざる過ちに陥らないことを良とすべきだ。それよりも詞章が活きてハッとさせられたことを書き付けておく。後味が悪いと決めつけられた(「鑑賞ガイド」)拵へ事を「仏様の方便と同じ事」と語る同行衆の詞。おそらくは、前時代の古くさい年寄りの世迷い言、と見向きもされないだろうし、これぞ浄瑠璃の前近代的封建制を如実に示しているものだ、とガイド氏を始めとする現代日本のお歴々はおっしゃるであろう。実はその考えこそ、20世紀後半の歴史と共に葬らなければ、とても新世紀を迎えることなど不可能な曲解異物なのである。自己というものは他者が存在してはじめて成立するものであることは、無人島にただ一人存在する人間を想定していただければよいだろう。いや、その孤独な人間も思考を巡らすし、漂流記を執筆もする、と言われるかも知れないが、そこには、他者の欠如としての他者、ゼロとしての他者が存在しているのである。無人島の例えで不十分なら、全面的核戦争の後ただ一人生き残った人間というものを考えていただこう。それはもう人間存在ではない。人間とは人間(じんかん)である。他者によって規定されるものこそが自己である。自分探しなどと他者との関係を断絶した結果生まれ出たのが、現代日本の若者であるから、このままでは日本は滅亡するというのは明らかであろう(もっとも人間をやめれば話は別だが…)。「方便」とはまさしく他者関係の謂いである。この浄瑠璃における長吉という存在を、様々な関係性の中に置いてみるとき、「嘘も方便」という「相対的」真理が見えてくるだろう。言うまでもないことだが、四聖人(ソクラテス、ブッダ、孔子、イエス)はいずれもこの「方便」を以て、人類という存在に偉大な足跡を残したのである。日本版近代的自我が戦後いかに歪められて今日の隆盛(滅びる前の輝き)を見るに至ったか、漱石がこの有様を見たらたちどころに強烈な胃痛に見舞われること間違いない。また、お関の「同じ仲間の踏馬に頼むは姉の利発なり」「長五郎を突き出だし、サア、行てござんせ、と戸をぴつしやり」の詞章が、後味悪い姉の謀という妄説にとどめを刺してくれるだろう。

(「米屋」『双蝶々曲輪日記』平成十二年十一月公演)


・床は伊達大夫の義平次が他人では決して代えられない逸品。単に露骨な嫌味を振り回すのではなく、道具屋で五十両をも騙るだけの悪知恵が働く小賢しい側面も踏まえた、悪ノリせず十二分な語り口は至宝の一つに数えてもよいはずだ。

(「長町裏」『夏祭浪花鑑』平成十三年七・八月公演)


・伊達富助がていねいに、しかももたれることなく、それぞれの人物に血を通わせての造形は、このコンビの理想的な姿である。段切、徳兵衛の無念さを共有し、「拳を握り男泣き」の涙が胸に応えたのは、大成功である。久しぶりに切語り格の伊達を聴くことができたのは、至上の喜びとしても過言ではなかった。

(「生玉社前」『曽根崎心中』平成十四年七・八月公演)


・奥を伊達寛治だが、初日に聴いてほとほと感心してしまった(ただし23日には疲労感があった)。これは立派な切場の浄瑠璃である。このコンビ屈指の出来といってよい。とりわけ侍従夫婦が再登場してからが情愛滋味にあふれ、劇場全体が大きく包み込まれたのであった。あの難声で、「左ばかりが振袖の」以下のおわさのクドキが聴く者の胸に響くのは、語りに血が通っているからであり、寛治の豊かで幅のある三味線に負うところもまた大なのである。信夫が刺された後の狂乱も真実心に迫った。弁慶では「殺したはお主の、」で詰まるところには情感一杯血を吐くが如きものあり、それは後の「なにひとたまりもこたへうか。」も同じであった。これで大落シ「三十余年の溜涙」は実も実、観客の目にも涙が湛えられたのであった。手摺の人形を現実の人間以上に純粋に「人間」として息を吹き込み、血を通わせ、心を持った存在として動かすこと、この太夫三味線の床としての原点を、文字通り目の当たりにし、耳にしたのである。
 なお、端場の文字久は懐胎を「かいたい」と語ったが、伊達大夫は「くわいたい」ときちんと語る。これは両人の実力差というよりも、師匠からの口伝(などというレベルの事柄ではないのだが、今日ではもうその領域に入るようになってしまっている現実がある)や昭和50年代までを支えた大夫たちの浄瑠璃をきっちり聴き込んできたかということである。現実に「くわい」音が滅んだから語られなくなったのではない。日本社会での「くわい」音の消滅以後も浄瑠璃ではしっかりと伝承されてきたのである。伊達大夫はそういう意味でもまさに切語りにふさわしい大夫と言えるだろう。逆に言えば、その「くわい」音を語れずして切語りを勤めるような大夫が、この先出てくるようなことだけはやめていただきたい。もちろん、伝統も口伝も風も捨てて自然消滅させるというのなら別に構わないが。

(「弁慶上使」『御所桜堀川夜討』平成十四年十一月公演)


・次、伊達燕二郎。予想はしていたがそれを上回る伊達の面白さ。ぐいぐい引き込まれ堪能堪能。瀬尾はピタリで九郎助と小よしとの絡みがこれまた申し分なく、実盛にも品格が出るという、実にすばらしいものだ。

(「九郎助住家」『源平布引滝』平成十五年七・八公演)


・納めの一段。後始末のようにも見えるが、作全体をまとめ上げる重要な巻である。正月とはいえ、山深い雪残る風情、田舎の百姓家と、伊達と清友の浄瑠璃はその雰囲気を十全に表現する。万歳も自ずから京の町中とは異なって聞こえてくるというものである。おさんの驚き、茂兵衛の不安、しかし覚悟を極めての潔さ強さは、そのまま心底の濁り無さでもある。捕り手の武士はまさに循吏列伝中たる人物、封建道徳への誤解は、現代日本の役人輩と比較すれば文字通り氷解しよう。それゆえに両人の健気さが一層際立つ上に、梅龍の無念が胸に突き刺さることにもなるのだ。これが伊達と清友の、誠実かつ血の通った義太夫浄瑠璃によって描き出されたのである。

(「奥丹波隠れ家」『大経師昔暦』平成十五年十一月公演)


・伊達大夫が寛治師の三味線を得るとき、その浄瑠璃はもっとも魅力的なものになる。今回も、とりわけ後半には脂が乗って、ともすれば評判の悪い近松改作物を、面白く堪能させてくれたのである。しかも、悪ノリでも前受けでもなく、正攻法の義太夫浄瑠璃としてである。これが可能なのはやはり両人だからである。例えば、語りなら「はいと勝手の釜の前、濃(恋)茶と知らぬ半兵衛が、なんの気もなく差出す」には、色気婆もちゃんと描出されており、明快に浮かび上がっているのである。立派な狂言になったことは、次代を担う人形陣に託されたこの一段、伊達と寛治師の床はその後見であったとも言えよう。

(「新靱」『八百屋献立』平成十六年一月公演)


・後は今回伊達と清友が勤める。この俗に言う、手負いになって一時間、前場がたっぷりであるだけに、観客側にも疲労感が自然と出てくるのであるが、今回ここで涙を催すことが出来たのは、まずはこの床の血の通った自然体の浄瑠璃が為す業である。

(「すしや」『義経千本桜』平成十六年四月公演)


・立派な序切である。伊達大夫・清友の良い面が滲み出た佳品であった。芝居に間延びせず、お話に堕せず、浄瑠璃を聴き進むにつれて引き込まれていくという、久しぶりに幸福な時間に巡り会うことが出来た。

(「刃傷」『仮名手本忠臣蔵』平成十六年十一月公演)


・切場の前半を伊達大夫と喜左衛門が勤める。何とも贅沢な話である。しかしこの前場は見事なものであった。極上の練り物を食すが如しで、これを口にしたならば、和風テイストなどというゴマカシやイカサマの浅薄さが、たちまちに洗い出されるというものである。マクラ、江戸繁盛の描写、主人庄兵衛の病、お駒の情は声質に関わらず、そして番頭丈八。このまま段切まで聴いていたいのに、盆が回ってしまう。喜左衛門や寛治が伊達と組んだ時のすばらしさ、やはり同じ空気を吸ってきた床は、その雰囲気をも現出できるものなのか。甚だ感じ入った次第である。

(「城木屋」『恋娘昔八丈』平成十七年一月公演)


・奥は伊達大夫に寛治師で、襲名披露時の名演がよみがえる。おとくの訴訟、将監の厳しさとりわけ「土佐の名字を惜しむにあらずや」の強さ、又平の無念、狂わんばかりの必死の訴え、誠実・真実心、「名は石塊に留まれ」の全身全霊、そして「直つた直つた」の歓声には感涙を催したのであった。

(「土佐将監閑居」『傾城反魂香』平成十七年四月公演)


・伊達さんと清友、聞き慣れたこの一段を聞き慣れた床、しかし今日もまた新鮮なのは何故だろう。しかも楽日前には慣れではなく、新たに掘り起こしたかの如く粒立って聞こえたのには驚愕した。早春の在所に田舎爺と嫁三人、柔らかな日差しはそのまま一段の趣。しかし白太夫は覚悟を極めている。それは八重が持参した三方土器の件でわかる。そして切場が終わったとき、睦まじき八重との笑いや十作の言う晩に来て寝酒一杯が、すべて夢の中の物語のように思い出されるであろう。とはいえ白太夫は外面を繕っているのではない。心の底からの笑いは時間を止めるのだ。後先を考えてもどうしようもない、時間は淡々と過ぎていくだけである。この一段は客席の心もまさに春菜のごとく柔和にしてくれる。それでいいいのだ。そしてまたこの床をおいて他はないのである。

(「茶筅酒」『菅原伝授手習鑑』平成十八年四月公演)


・伊達さんの独壇場で、清友の三味線がよく合う。任せていて安心の床である。初日も流石だったが、楽日前はよほど脂が乗って客席の反応も抜群であった。前半のしゃべり、中程のいびり、後半は悪の両人の強さと弱さ、お初に声色を使うことなく、他との落差で表現できる。年功による自然体の浄瑠璃とはこのことだろう。

(「廊下」『加賀見山旧錦絵』平成十九年四月公演)


・奥 伊達大夫・清友。三味線の大きさの違いはヲクリから顕著である。太夫は持ち役。とりわけ入墨前後の藤三とおくるの夫婦愛がほほえましい。血が通う人情味、絶妙である。段切も同様で実情実感であった。

(「入墨」『鎌倉三代記』平成十九年七・八月公演)


・あの時当然切語りとして認可されるべきであった(従って当劇評では今後切語りとして処遇する)伊達大夫と相性の良い清友の床。この一段、際立って徳兵衛の若さ、あらゆる意味での若さを余す所なく活写した両人によって、血の通った魅力的な仕上がりとなった。

(「生玉社前」『曽根崎心中』平成十九年十一月公演)

以上は劇評から抜粋したものです。


現在のいかなる優れた浄瑠璃義太夫節を以てしても、
越路大夫、津大夫、そして先代綱大夫、さらに古靱太夫、
これらの奏演を耳にすることができれば、
たちまちにそれは吹き飛ばされて、
もはや聴く必要性を感じないであろう。

しかし、伊達大夫は違う。
彼の浄瑠璃はその中にあっても輝きを失うことはない。
例えば、
襲名披露狂言の「吃又」、
彦六系の「刃傷」、
そのおもしろさ、魅力ときたら・・・
いつも客席でニヤニヤとして聴いていたものだった。

そして、
いろいろなことを考えさせられた。

 ところで、この「近八」はマクラと段切りで近江八景を半分ずつ読み込んであるのが面白い。マクラでは堅田落雁・石山秋月・矢橋帰帆・比良暮雪、段切りは三井晩鐘・唐崎夜雨・粟津晴嵐・瀬田夕照である。しかしこれは単なる言葉遊びではない。まずマクラを見れば、この琵琶湖周辺の鳥瞰図ともいうべき風景を織り込みながら、近江源氏佐々木氏が頼家実朝の反目により盛綱高綱兄弟も敵対せざるを得なくなった武士世界の義を語り起こしている。一方段切りでは小四郎の死に象徴される一家一門の悲劇を近江路の風景の中へ包み込んでいくのである。つまりこの浄瑠璃を聴く者はまず風光明媚なる南湖周辺の景を脳裏に描き、その比良山麓坂本の地に城郭とそこに張り巡らされた陣幕のひらめきとを見出すのである。それは視点の空間的移動であると共に、聴く者の時代からこの物語の時代へと時間的に移動することにもなる。共時性から通時性への巧みな瞬時交換である。それによって我々はごく自然に当たり前のように、小三郎の初陣手柄にわく人々の中へと入り込むことが出来る。もちろん段切りではそれと反対の過程をとる。そして何事もなかったかの如くに園城寺の鐘は鳴り響き夕陽は唐橋を照らして湖面に映えるのである。通時性の記憶つまり歴史的連続性は原自然を人文的地理に変換する。それなればこそ、大阪の陣を鎌倉初期へと移し換えることも可能なのである。そしてまた浄瑠璃を聴く現在(アクセントは低高である。注意!)としての我々=小宇宙が大宇宙の一部であるとともにそれと一体化するものでもあるということを認識させてくれよう。マクラと段切り、これが神の視点からの語り物である浄瑠璃にとっていかに重要なものであるか、「近八」が大曲難曲とされる理由の一端もまたここに存在すると思われるのである。

これは、伊達大夫のマクラと呂大夫の段切りを聴いて感じ取ることがてきたものである。
現今流行の聞き取りやすい筋書きによるわかりやすいお話を語って聞かせる床からは、
この広がりがもたらされることなどあり得ない。

平らに成る文楽。
均等で明白な蛍光灯に隅々まで照らされた文楽。
これでまた一歩、
「平成の文楽」はその完成に近付いたのだろう。

伊達大夫の語る浄瑠璃義太夫節には、
明治大正期の豊穣な大地による実りを、
確かに味わうことができたのである。

最後に。
五代竹本伊達大夫は、
その襲名披露狂言がまた切語り昇進の狂言でもあったのである。