九世 竹本源大夫 (九世 竹本綱大夫)

 

・三人笑いはさすがであった。全体通してこの地味で渋い浄瑠璃をよく語り切った。大道具の襖絵、雪の川面に柳も白くそこに佇む白鷺。これだけですべてこの一段の雰囲気を表現しきっている。それにマクラ一枚語り尽くせば、そのまま段切りまで、この清廉にして潔白(当然無実の暗喩)、静寂にして凛然と引き締まった西風浄瑠璃三段目は完結するのである。
(「園部兵衛屋敷」『新薄雪物語』平成十年四月公演)

 

・地色の勝った近松物ならこの人である。しかも二段目ならなおさら。それと「親のばち駒紙駒の」等掛詞の語り方もきっちりと心得ていて、山城−八世綱からの正統的系譜の伝承者であるのが何よりも心強い。「売り歩(あり)く」との読みも同断。「くわ」音も正確である。しかも襲名後は親子二人三脚で以心伝心の床が結構である。
(『嫗山姥』平成十一年一月公演)

 

・上善は水の如しとはとりもなおさずこの「天満屋」一段を勤めた綱清二郎の床の謂いである。これが音曲の司たる浄瑠璃の正真の姿である。お初のクドキもきちんとアリアになっているし、地色の表現もさすがである。また清二郎の三味線がきちんと全体構成を掴んでいるから、「天満屋」一曲全体に統一感がある。もちろん細部においても例えば「案じながらも表の方うつつともなく目にうつる夜の編笠徳兵衛の思ひ侘びたる忍び姿」のところなど玉男の絶妙の出とともに床の用意周到さは素晴らしいものがある。さすがは近松物なら前代未聞といわれた師綱大夫譲りである。初演当時の清新さをもうかがわれて実に心地よい一段の仕上がりであった。作品に語らせるとはまさにこのこと。曲節の姿もまたよくわかった。それにしてもこの床を白湯汲み場で聴く大夫がいないというのは何とも残念、というよりこれは重大な危機である。おそらく御簾内や襖裏で聴いているのであろうとは思うが、もし中堅若手がこの綱清二郎の床を放置して顧みないというのであれば、いよいよ人形浄瑠璃もそこらの演劇に苔の生えたものとしてせいぜい歌舞伎の付属物扱いに堕することに極まった。
(「天満屋」『曽根崎心中』平成十一年七・八月公演)

 

・近松物それも改作もなく新作曲でもない作品は綱清二郎コンビをおいてよりほか人はいない。この地色の処理こそ故師綱大夫と弥七とがともに極めたものをきちんと伝承している証拠である。さて今回綱大夫は親平右衛門でこの浄瑠璃を括る。もちろん姉おかるの気働き積極性社会性も描き出したし、妹お千代の魅力=男を惹き付ける無意識の媚態・自他が見えなくなるしどけなさも表現し、源太かしらの元武士今は町人半兵衛の若さ端正物堅さも出来たのだが、やはり平右衛門が語れていればこその「上田村」であった。
(「上田村」『心中宵庚申』平成十一年十一月公演)

 

・切場を綱大夫清二郎で勤めるわけだが、これは劇場側の用意周到さであろう。声柄からして難物なのは衆目の一致するところであるが、今回この駒太夫風浄瑠璃の代表曲を当代において正しく上演するためにも、また此曲を後世に伝える意味からも、ここは綱大夫でなければならないのである。ここまでの芸の伝承という視点からは綱大夫をおいて他はない。見台は巧緻にして流麗(立澤瀉紋は山城系?)、これは浄瑠璃一段の風格を表現したものであろう。また漆黒の肩衣とは究極の洒落者、しかしこれも忠度乗馬の「飾り立てたる黒の駒」の謂いでもあろうし、平家物語に描かれた忠度卿黒尽くめの出で立ちをふまえた上の選択かもしれない。
(「林住家」『一谷嫩軍記』平成十二年一月公演)

 

・この床にはいつも感心する。というのも、ああここの節付けはこうなっているのかなど、浄瑠璃の構造を聴くことが可能だからである。難解な「風」についても理解する手がかりを与えてくれるのである。今回もまたマクラからすばらしく、ハルフシの丁寧さ、しかも節付けが派手になされていて、浮き気味に弾き進まれる(東風のごとく)ということもよくわかる。「冬枯れて」「世を忍ぶ」「人目を包む」という詞章に相反するのではということにもなろうが、実はそれが詞章の「隠せど色香梅川が」にリンクして集約されているという発見(語る大夫には自明のことだろうが、聴く側にとってみれば新発見)にまず感じ入ってしまった。要するにここで早くも梅川がシテであるということが聴き分けられるということになるのだ。マクラ一枚に浄瑠璃一段の正否が掛かるとはよくいったもので、綱清二郎の「新口村」はこれでまず保証されたのである。
(『新口村』平成十三年一月公演)

 

・まずはこの一段この長丁場を最後まで勤めて破綻なきことが功一等。次に尾上の沈潜する心理描写によって客席をぐっと引き付けたことと、お初の健気さ実直さに主思いの厚み深みを鮮明にしたこと。それ故に「しなしなり遅かった」で「涙より他に言葉もなき沈む」の詞章通り、客席においても涙ぐまない者はなかったのである。
(「長局」『加賀見山旧錦絵』平成十三年四月公演)

 

・感動した。やはり言葉で言い尽くせぬということはあるものだ。とにかく今回は劇場に足を運ばなかった人は残念だった、いや、人生経験においてひとつ大きなものを獲得し損ねたとまで言ってよいかも知れない。近年稀に見る至上の出来。大きさ、強さ、深み、メッセージ性等々、紋下櫓下格の浄瑠璃と言ってよいだろう。
(「日向嶋」『嬢景清八嶋日記』平成十四年一月公演)

 

・名作なり、幾度も覚えるほど聞いていることもあり、いわゆる芸談で語られている諸眼目はしっかり押さえられているので繰り返さない。今回とりわけ特徴的だった諸点のみ記しておく。「きつと見るより暫くは打ち守りゐたりしが」十二分の気合で、身代り決意の肚を探る源蔵を表現、寺子が連れ立って帰るところが実に面白くたっぷり聞かせる、そして首実検に緊迫感あり、客席で息を詰めたこと数回。
(「寺子屋」『菅原伝授手習鑑』平成十四年四月公演)

 

・綱大夫清二郎。やはり近松物はこの両人に限る。近松物の名手先代綱大夫弥七の衣鉢を継ぐのは第一にこの人なのである。近松の浄瑠璃はいわゆる人形浄瑠璃最盛期のものとは異なっており、またその世話物のほとんどが新しく節付けされたものでもある。しかし、時代物とはいえ「甘輝館」をはじめ、今日まで伝承されている節付けからもわかるように、とりわけその地色を中心とする表現、音遣いに足取りの厳しさを体現するためには、正確な伝承とその深い理解、そしてそれを語り活かす芸格が必要とされるのである。芸力ではどうしても届かない芸格である。それは世話物においても、丸本に誠実に節付けを試みた諸作品ならば同様である。加えて、世話物の場合、近松心中物という一種のファッションのレベルでも消費されるものであるだけに、その真髄に到達することは意外に難しいのである。木を見て森を見ざる浄瑠璃如きではどうにもならない。現在でも録音によって聴くことができる先代綱大夫弥七の「河庄」「上田村」そして「甘輝館」等々、その究極の浄瑠璃こそが、近松物とはどういうものかを端的に示してくれているのである。至高の味わいと感動を伴って。
(「封印切」『冥途の飛脚』平成十四年十一月公演)

 

・まず何と言っても吉田屋主人喜左衛門がすばらしい。揚屋の亭主という者、どうあるべきもので、また逆にこういう人物でなければ勤まらぬということを、すでにその最初の詞で如実に描き出す。人形浄瑠璃をよく耳にする人であれば、この語り口人物造型があの白石噺の大黒屋惣六を彷彿とさせるもの(織大夫時代に燕三の絃で語った時のことが思い起こされた)であることもわかるはずだ。次に伊左衛門の詞が優れる。「七百貫目の借銭負うてびくともせぬはおそらく藤屋伊左衛門、日本一の男、この身が金ぢや、総身が冷えてたまらぬ」など、これだけでその性根境遇を活写する見事なもの。夕霧の事を聞き出しての笑い泣きも上出来で、「無用の涙で紙衣の袖を濡らした」とある詞章がそのまま眼前、見る者の胸にも応えるなど、ただの切語りではとても出来ない。紋下格ならでは叶うまい。すね廻る様も、「折角御機嫌よかつたにまた例の御癇癪」と喜左衛門に言わせる様も、大できである。
(「吉田屋」『廓文章』平成十五年一月公演)

 

・マクラの描出、日暮れとは栄三郎の先刻の心の闇が表出することでもあり、その塞がる胸は門口の大戸を下ろすことでもある。そこへ「お松と言へど色変る」と妹が戻されてくるのであり、「提灯の影も心もかき曇る」という地の文章も合わされば、この一段の心象風景がすべて表現されているのである。そしてこの心の闇は、栄三郎が助右衛門を送りに行く「手早に灯す小提灯」まで続くことになる。そして段切一全音上がって伝九郎と権八との絡みとなる。ちなみに、助右衛門の登場は「蝋燭の始末に闇も苦にならぬ」とあるように、闇の中であることも確認しておこう。したがって陰鬱でもあり、互いに思いを探ることになるのも当然である。その前半、三人の情愛は「浮世の義理合ひほど人を泣かすものはないわいの」が胸に応えて十分。また、「義理と金とに恥を捨つる」「貧ほど術ないものはない」が確実に響いたのも言うことはない。ただ、その「涙落滝津瀬」に加えて「春雨のなほ降りかかるごとくなり」との柔和かつ静かに身に沁むという詞章が用意されているところは、実に難しい一段でもある。後半は、助右衛門の「色も香もある梅干親父辛う見えても粋なりけり」の詞章でピタリと納まったのが、この一段の成功を物語っていよう。さて、段切は伝九郎の性悪に権八がよく動き、非常な働きを見せたのは予想以上であった。この渋い世話浄瑠璃一段をすっくりと聴く者の胸へ納めさせたことは、襲名披露狂言の後ということも考え併せると、流石に紋下格の実力であるといえよう。
(「大文字屋」『紙子仕立両面鑑』平成十五年四月公演)

 

・頭の中には先代綱弥七の奏演が何度となく繰り返し聴いているので自然に浮かんでくる。この西風三段目の切場、同じ物語でも熊谷の派手さはなく、引き締めた間と足取りの変化で聴く者をとらえる。
(「九郎助住家」『源平布引滝』 平成十五年七・八公演)

 

・何よりもその表現に品格を要求されるこの浄瑠璃は、今、綱大夫清二郎より他に勤められる人はいない。聴く者にもまた自然と居住まいを正させるものがある。行儀の良さ、つまり私心のない慎みである(論語「礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ」)。今回とりわけ際立ったのは良弁の述懐で、最初の「烏に反哺の孝もあり、鳩に三枝の例もある。われは闇路の魂よばひ、生れぬ先の父母も、空懐かしさ、はかなさよ」と、段切の「杉の梢も雨露の恩。恩と情の親心。恵みも深き二月堂。日頃の憂きは木の元に、悦び栄ふ孝の道」とが、この一段の骨格を成していることを、その奏演で気付かせたのである。前者には父母の恩愛に報いることも叶わず嘆く、「狐の段」の手が用いられており、後者には哀調を帯びたタタキの手が、全一音上がった華やかな段切の中に浮かび上がる。つまり、自己の内へ内へと省みる視線の下降と、彼方へ外へとあこがれる上昇の視線と、それは両者に共通して対称を成している。そしてまた、前者は落ちる涙に収斂され、後者は微笑みとして拡散されるという、対照的な描出でもあるのである。
(「二月堂」『良弁杉由来』平成十六年一月公演)

 

・「短かい物ではあるが、庵主今日に至るまで、此忠六にはホトホト閉口して居るのである。」と『素人講釈』中でも其日庵が音を上げたように、ここは実に厄介な一段なのである。寡聞ながら、復刻CDでの古靱清六と、TVでの綱弥七より他、十二分に満足した覚えはないのである。詳細な検討は、すでに「補完計画」に掲載してあるので、そちらを参照願いたい。今回は綱大夫、清二郎。とりわけ公演後半に聴いた日は綱師が絶好調で、確かに忠六を聴いたと感じた。
(「勘平腹切」『仮名手本忠臣蔵』平成十六年十一月公演)

 

・マクラがすばらしい。春の夕暮れ入相の鐘に花の散るという心象風景の描写、チン一撥にはらりと散る桜、絶妙であった。マクラ一枚で一段が決まる。
(「酒屋」『艶容女舞衣』平成十七年四月公演)

 

・流石。濡衣のクドキを冗長とし、勝頼の述懐で聞く者を十二分にとらえて、この陰々滅々たる前半を見事に衷心衷情発露の場としたのである。板垣の出からは面白いことこの上なく、義太夫浄瑠璃の正当な流れに各人物の個性が際立つという極上品であった。とりわけ兵部のモドリがしっかりと応えたのは(「潔白」がここへ効いてくる)並の太夫が及ぶところでない。段切りの花尽くしで見事カタルシス、「音曲の司」王道であった。
(「勝頼切腹」『本朝廿四孝』平成十七年十一月公演)

 

・綱大夫清二郎。「音曲の司」体現にはこの両人しかない。母の出からは抜群で、八郎兵衛、弥兵衛、そして極めつけの銀八と、息もつかせず段切までぐいぐいと持っていった。もちろん「鰻谷」がいかに面白い浄瑠璃かを再認識させてくれたのもこの両人である。
(「鰻谷」『桜鍔恨鮫鞘』平成十八年一月公演)

 

・床からは、ヲクリが四段目風であり、マクラ「どりやこちの子と」から「機嫌紛らす折からに」までの足取りや音遣いの伸びやかさ(春先佐太村の野良とは違う)、音の収まり方等々で、はっきりと聞こえては来るのだが、その直後が深刻な源蔵戻りであるだけに、マクラ一枚はとりわけ大切なのである。綱大夫清二郎はそんなこと百も承知で、この一段の格を決める。それが成って、「せまじきものは宮仕へ」にスヱテ、玄蕃登場への変化、松王の大きさは病中とあって正体不明の感を含む、「退引きさせぬ釘鎹」の厳しさ。百姓のチャリで弛緩すると、その後は首実検の緊張感のため釘付けとなり、ここで盆が回るのは確かに無茶だと納得させるまで、二人の床は充実していたのであった。
(「寺子屋」『菅原伝授手習鑑』平成十八年四月公演)

 

・マクラは色模様の後だけに、静寂というよりも大場の展開を予想させるしんしんたる空白である。師弟の探り合いから調子が出、そのままお谷の出まで引き込まれた。「外は音せで降る雪に」雪を降らせると右に出る者はいないのが半二である。「袖萩祭文」「勘助住家」、この「岡崎」。そう言えば三場とも一枚の戸を隔てて内と外の構図でもあった。半二の美意識見るべしである。ここは太夫三味線ともすばらしく、抒情味が雪とともに舞い落ちて劇場全体を覆った。続いての紡ぎ唄がこの上もなき詩情をたたえ、お谷の詞がメリヤス(これがまたすばらしい)を底にひしひしと伝わり、熱い涙がこみ上げてきた。ここで心を掴まれるとそのまま盆が回るまでは直道だった。
(「岡崎」『伊賀越』平成十八年十一月公演)

 

・三重、マクラの音の落とし方、ユリナガシ、そしてスヱテ。これは、と耳にとどめた特徴的なところを床本にチェックしあらためて照合してみると、『素人講釈』の記述に一つ一つ指摘があるではないか。そして二度目はその記述から奏演に耳を傾ける。いつ聴いても、三百年の伝統の直系正統であると実感できる。父娘の対面から三人仕丁、ここのカワリも見事、眼目の琵琶は技巧も上手いがそれ以上に衷心衷情、聴く者の心に染み入って、眼前の責めを非人道的封建的と嫌悪する単細胞の出現を阻止したのであった。段切りの三重まではそのスピード感と突っ込みがすばらしく、ここにも第一人者たる証左があった。
(「松波琵琶」『源平布引滝』平成十九年十一月公演)

 

・マクラから渋い。情感は浮かずにくっくっと煮込む、そして聴く者の胸にぐっと応えなければならない。腰元で一旦ホッとするが、たちまち甘輝の帰館となる。三者三様の喜びはたちまち緊張の一事に収斂し、甘輝の詞から唐猫の件そして老母の口説きまで、一分の隙もなく心を捉えて離さない。次に緩むのはもう盆が回るヲクリ前である。この初演以来連綿と伝えられてきた西風の中の西風の曲を、熟知して語り進める。
(「甘輝館」『国性爺合戦』平成二十年一月公演)

 

・最後休演せざるを得なかったように、ずいぶんとしんどかったようだ。それでもきっちりと浄瑠璃の格が崩れないのは、義太夫節の構造を掴んで語っているからだ。いわば、「浄瑠璃は語らず、綱師をして語らしむ」と言ってよい。お絹のクドキと不可分の半中や繁太夫節という節付を正しく聴かせている。その一段の持つ個性を「風」ととらえるならば、それを体現する第一人者としての綱師の床を聴くことにより、我々は浄瑠璃義太夫節を聴く耳を養い育てることができるのだ。
(「帯屋」『桂川連理柵』平成二十年四月公演)

 

以上は劇評から抜粋したものです。

 

偉大なる人物の逝去に際し、
一時代を画した人であった、という表現がよく用いられる。
源大夫(綱大夫)はそうではない。
というよりも、
そのような表現ではとても収束しないのである。
源大夫(綱大夫)が泉下の客と成ってしまったことにより、
浄瑠璃義太夫節三百年の滔々たる大河の流れが画される、
すなわち断絶の危機を迎えたと捉えられるのである。

上記劇評にみえる演目・段名を列挙するだけでも、
近松物、「風」物を中心に、
大曲がずらりと並ぶことになる。
そしてそこには、
「音曲の司」、浄瑠璃義太夫節の構造、『浄瑠璃素人講釈』、あるいは「くわ」「ぐわ」音という、
絶対的なキーワードが配されているのである。

浄瑠璃丸本の奥付識語
「師若鍼弟子如褸因吾儕所伝泝先師之源幸甚」
これを文字通り体現していたのが、
源大夫(綱大夫)の浄瑠璃義太夫節に外ならなかったのである。

またや聞く難波高津の浄きこゑ瑠璃と輝く夏の曙

贈 紋下