桐竹一暢


・一暢はこういう動きの少ない風格の必要な女性を遣わせるとさすがに映る。(通し狂言『仮名手本忠臣蔵』平成十年十一月公演)

・人形では一暢は簑助の代役とて懸命の遣いぶり。風格ある白牡丹になっていた。(「琴責」平成十一年正月公演)

・人形の一暢はまず武家の娘としての節度ある遣いぶりの上に恋する女相応の色気を加えようとしていた。

(通し狂言『妹背山婦女庭訓』平成十一年四月公演)

・一暢の長吉はチャリよりも愚直さで勝負。丹波の山奥から出てきた洟垂れなら成程そうだろう。
 「ゑぢかり股」などはちゃんと見せてくれた。(『桂川連理柵』平成十一年七・八月公演)

・そして何よりも一暢の更科姫というより鬼女が素晴らしかった。
 品位をわきまえた遣い振りには定評があったが、ここのところ三枚目のチャリ首を遣う機会が多く、その動きにも面白さが見えてきたが、
 今回鬼女となってからの派手な立ち回り等に亡父亀松の面影を見たのも幻覚ではあるまい。
 一皮めくれて次なるステップへの発展が期待できる喜ばしい遣い方であった。(「紅葉狩」平成十一年十一月公演)

・一暢の敦盛と和生の玉織姫描くところの至純かつ爽快な図は、若さというものが持つ極上の部分を見事に取りだして見せてくれた。
 一暢の小次郎はあくまでも敦盛としての品格を保つ。
 それでも対面して名乗るところ、「忘れがたきは父母の恩」以下の詞章では情愛が滲み出ていた。

(通し狂言『一谷嫩軍記』平成十二年正月公演)

・人形は一暢の喜多公が奮闘。例えば古寺、バタンと後ろへ棒状に倒れるなど工夫の跡が見えた。

(『東海道中膝栗毛』平成十二年七・八月公演)

・十次兵衛は玉男の持ち役、それを遣う一暢が如何に心血を注いだかは想像に難くない。
 努力の甲斐(とここのところの芸力の進捗)有って無事勤め果せた(「引窓」『双蝶々曲輪日記』平成十二年十一月公演)

・三千歳姫の一暢はもとより映る(『本蔵下屋敷』平成十三年一月公演)

・岩藤は一暢。八汐首でも「先代萩」とは異なり局役、「お表ならば御用人格」であり、町人出の尾上に対する重みもあり、
 そこをじっとよく人形を持ちこたえ、よくためて、十分な出来。嫌みに堕ちず憎さを出せたのは岩藤として成功例だ。

(『加賀見山旧錦絵』平成十三年四月公演)

・嶋・一暢での権の頭の組み合わせがなかなかよく、雰囲気も出ていた。(「鼠のそうし」平成十三年七・八月公演)

・一暢の景勝がその白柄の大長刀をなるほどと思わせる遣いぶりで存在感があった。
 文七首とて重々しくならず若々しさを失わなかったのは特記に値する。(「景勝下駄」『本朝廿四孝』平成十三年十一月公演)

・人形の才三一暢も、充実ぶりを見せたので、ようやく新春を言祝ぐ気分になれたのである。

(『寿柱立万歳』平成十四年一月公演)

・一暢の源蔵が実にすばらしく、これは床の語りとも相まって公演後半とりわけ胸に響いてきた。
 一暢の源蔵は、初段での心情吐露と気合充実が効いているから、それがこの四段目の仕込みとなって結構な出来。

(通し狂言『菅原伝授手習鑑』平成十四年四月公演)

・人形一暢の復活は嬉しい。 (「海女」 『花競四季寿』平成十五年一月公演)
 
 

以上は劇評から抜粋したものです。


本役の女形の表現が無類であったのは勿論のこと、

若男・源太・検非違使には品格が出、

文七を遣えば存在感があり、

三枚目のチャリがこれまた実に面白く、

八汐など一癖あるカシラには手強いものがあり、

文字通り人形を知り尽くした人形遣いと申せました。

亀松の継承は名実ともに成ったと思われましたのに…

「人形一暢の復活は嬉しい。」との評がすべてを表しています。

残念であり無念であります。
 

万代に尾を引く亀の池なるに千年の松の影ぞはかなき
 

合掌。