八世 豊竹嶋太夫

 

・豆腐の御用のチャリとノリ間、四人の局の底意地悪いいびりの処理、そして鱶七こと金輪五郎が見顕してからの座頭級文七首の大きさと迫力の描出。この三点いずれも見事にクリアしていたのは工夫と稽古の賜物であろう。肝心のお三輪は普通の出来でも映るわけだが、ちゃんとマクラの「迷ひはぐれしかた鶉、草の靡くをしるべにて」を捉えていて、なるほど鳥の雛でもなく花橘でもなく、草深い在所に棲む鶉であることが伝わってきた。段切り前の「因縁かくと哀れなり」も詞章通りの哀切悲痛が描出され、これでこそお三輪の魂は苧環塚の縁起として時空間を超えることができたのである。
(「金殿」『妹背山婦女庭訓』平成十一年四月公演)

・まず際だったのが、アマンジャクの「おそれ」に重点を置いた行き方。「手に負えないいたずらものであった」で、コミカルな存在としてではなく、人間の日常世界とは異なる世界の住人であることを、強く押して語ったのである。とはいえ、ことさらに恐怖心を駆り立てるというのではなく、不可思議な存在であるということを強調するものである。段切で瓜子姫はアマンジャクという存在に「クスリと笑って」機を織り続ける。それは、日常世界のほんのとなりにある非日常の住人を、恐怖の対象として排除するのではなく、一種の畏怖の感情を持ちながらその違い異なりを認識するということである。昭和30年代のいわゆる新作としてのこの作品が、現代日本においてあらためてその価値付けがなされたことは、工夫の賜物であろう。
(「瓜子姫とあまんじゃく」平成十五年七・八公演)

・おかる、絶佳としか評しようがない。前半の興趣と後半の衷心衷情、至高の芸とはかくなるものか。
(「茶屋場」『仮名手本忠臣蔵』平成十六年十一月公演)

・二度聴いてより深く感じ入った。これは最高傑作である。将来嶋大夫全集に収録されるべきものである。マクラで、ああすばらしいと聞き入って、そのまま浄瑠璃世界に引き込まれ、という究極の形である。おさんが抜群で、五左衛門が語れて、治兵衛もちゃんと出来ていて、これほど心地よい体験は、劇場では近年まれになっていただけに、喜びも一入である。自然と情愛に絡まれて、これぞ義太夫浄瑠璃世話物の極上品。改作なら改作の真価を見事に発揮して、本公演第一の聞き物であった。
(「紙屋内」『天網島時雨炬燵』平成十七年一月公演)

・後半、「政岡忠義」と段書きされることもあるところ。「おくわし」「ぐわんぜ」「くわいけん」まずは心している。理屈ではない、そう語られてきた口伝(とは呼べないほど当たり前のことであるはず)である。
(「御殿」『伽羅先代萩』平成十七年四月公演)

・前半は儲かると見えて実は難しい。チャリだけでは場が持たず途中必ず白けるし、第一この場を、割台詞でもなく本読みでもなく、義太夫浄瑠璃としての音曲の中で処理をするというのは大変である。もちろんチャリがチャリにならなければ丸でつまらない。ところがここを完璧に勤めたのである。まず、それぞれの人物の登場時の際立った変化、これが見事であった。「井筒に帯の暖簾も、掛値如才も内儀のお絹」「洗濯物を引伸しの、皺は寄つても頑丈作り」「持て囃したる贔屓口、聞きかねて隠居繁斎」「裏の隠居へ嫁引連れ、行くと戻ると一時に」「と囁く弟、兄長右衛門は棒鞘の」と、すべて人形が出る前に、きっちり床が性根を描いて見せる。失礼な話だが、これほどの床であったのかと驚嘆した次第。もっとも正月公演の「紙治内」でその完成度の高さは感じてはいたのだが、病後見事に克服どころか、この高みにまで至ったのである。嶋大夫清介万歳! 実際、チャリの3人は笑いを堪えるのが一杯でしかもあざとくなく、音曲の流れが中断することもなかった。そしてそれとは対照的に、繁斎、長右衛門、お絹三人の心情はひしひしと伝わり、繁斎の滋味と強さ、渦中のというからではなくやはり主役たる長右衛門の存在感、お絹の捌きと無念の怒り等々、客席にしっかりと届いたのであった。
(「帯屋」『桂川連理柵』平成十七年七・八月公演)

・活写。一言にして足るとはこのことだ。女房の婆は嫌らしい人格ではなく、一人で八百屋を切り盛りしてきた、それゆえの気性の激しさとする。伊右衛門は好々爺ではあるが慈悲深いというよりも寺狂いの念仏三昧。それを婆へのじゃれかかりで描く。この二人、決して「帯屋」の老夫婦と同じに見てはならないのだ。甥の太兵衛や西念坊ら端役も活きている。お千代は無邪気な喜びようにかえって哀れを誘い、半兵衛は元武士という強さを底に描き出す。この一段の難しいところは、どこで半兵衛が死を決意するかということだ。「女房の親と……三筋四筋の涙の糸…」ここはずいぶんと応えた。また、半兵衛がお千代を無理に引き出すところ、あの地の表現は無類で切迫感十分であった。
(「八百屋」『心中宵庚申』平成十九年四月公演)

・宗岸で泣いた、この体験はそうあるものではない。「これまで泣かぬ宗岸が」泣いて客席も涙で包まれたのは、親の情愛以外の何物でもない。「真実心に子を思ふ親の誠と知れば」そして「愚痴なと人が笑はうがおりや可愛い」、それはまたここまでの仕込みが完全であるからだ。
(「酒屋」『艶姿女舞衣』平成十九年十一月公演)

・嶋大夫の語りに尽きる。とりわけおさゐの描写が抜群。全体として弛みなくよく詰んだ語り口は、さすが第一人者とまで上り詰めた感がある。
(「浅香市之進留守宅」『鑓の権三重帷子』平成二十年七・八月公演)

・嶋大夫がもはや余裕の域
(「十種香」『本朝廿四孝』平成二十年十一月公演)

・太夫はというと、伊左衛門の詞が抜群で、かつては美声家だいや違うと言われもしたものだが、これはもはやコトバ語りの域で、こう書けばあの三巨頭の一人である六世土佐太夫に迫るということである。
(「吉田屋」『曲輪[文+章]』平成二十一年一月公演)

・嶋大夫師は気心の知れた富助の三味線とで、その年功を以て語りきって見せた。もはや一言もない。
(「河連法眼館」『義経千本桜』平成廿一年四月公演)

 

以上は劇評から抜粋したものです。
これより以降分の批評はもはや贅言でありましょう。

 

本物の太夫とは。
浄瑠璃義太夫節三百年の滔々たる大河の流れの中にその身を置く者であり、
その語りには「風」がふまえられ、
聞き耳を持つ客に対して決して己の臭い語りによりその鼻をつまませることなどない者である。
そしてそこには、
自然な「くわ」「ぐわ」音もまた聞き取れる。(アリバイ作りか最晩年に突然「くわ」「ぐわ」と醜いアヒルと化した某太夫とは対照的)
嶋太夫はまさに本物の太夫でありました。

「浄瑠璃義太夫節名曲名演奏」なる本を書くとして、
嶋太夫は空前にして絶後の名を少なくとも二曲に連ねる。
一つは駒太夫風の超絶佳「上燗屋」(初演のときのもの)、
もう一つは四段目立端場の魅力「北嵯峨」。
この二段はまた浄瑠璃義太夫節を聞く耳を持つかどうか、
試金石ともなる一段である。(「風」など関係ないと暴言を放った悪臭太夫が試し=例となる一段など皆無)

多くの優れた弟子を育て上げたこと、
嶋太夫はまさしく真の人間国宝でもありました。(対するに己以外下手糞と切り捨てた偽人間国宝=人間極道)

贈 文化勲章