《 其ノ九 「壬生村」に寄す−廃絶から継承へ− 》

【一】
「石川五右衛門の妹小冬が――守り袋は遺品ぞ――といふところが、どうしても語れない
 文句は語れるが情愛が語れないのだ。
 団平は何百回といふほど、此処を繰りかへさせた、大隅はもう泣顔をしてゐた。
 団平は、『のろま』だなとしみじみ思うたがそれでも、いつまでもいつまでも稽古をつけてやつた。
 とうとう団平は蚊帳の中へ入つて横に成りながら大隅の語るところを聞いてゐた。
 大隅は蚊に喰はれながら相変らず、――守り袋――をやつてゐる。
 短い夏の夜はもう明け方に近かつた、大隅は相変らずやつてゐる。
 うとうと眠つてゐたと思はれた団平が、始めて『出来た』と云つた。
 団平は実は一睡もして居なかつたのだ。その為めに彼はとうとう半年ばかり医者通ひをした。」
                木谷蓬吟「血の出るやうな難行苦行記―浄瑠璃道修験者の体験―」

こういう話を、現代の科学的合理的な思考の持ち主は、まったく信用しない、というよりも不快に感じ、嫌悪する。
しかし、荒唐無稽と思われる芸談にも音曲的裏付けがあるのだ。

この「守り袋は形見ぞと」には「表具ハル」と節章表記がある。
馴染みのある一段でこの「表具」を例示すると、
「七段目」後半、平右衛門がお軽に死んでくれと頼むところ、「小身者の悲しさは」。
「堀川」死を決意したお俊が母と兄と最後の夜を明かそうとする、「薄き親子の契りやと」。
「桜丸切腹」物陰で見聞きしていた梅王が走り出て親白太夫に語る、「枯れし命の桜丸」。
「道春館」娘を身代わりとした金藤次が自らも命を賭しての独白、「忘れがたきは恩愛の」。
いずれも主役クラスの人物が述懐し、衷心衷情が溢れ出るところで、
多くがシャン(二と三の糸を掛け)と強く弾いてから、高い音でゆったりと愁嘆の思いを語る。
聞いている者には印象的であり、悲哀が荘重な雰囲気を伴って心にしみわたるところである。
物語の後半、また詞で心中を吐露してきてこの「表具」に至るという構成が多い。
 
ところが「壬生村」冒頭のこの「表具」は、まるっきり「文弥」で奏演される。
「表具といへるふしはまた。文彌に似たる物なれど。」(『節章句早覚の事』「聲曲類纂増補」)ともあるように、
文弥に近い方の表具での奏演というように理解してよいものだろう。
いずれにしても、他流から義太夫節へ取り入れたられたものであり、
哀愁表現の効果的旋律として用いられ、印象的な三味線の手が導入されていることもよく似ている。

「文弥」のうちとりわけ特徴的ですぐ思い出せるのは「鮓屋」若葉内侍の出のところ、
「神ならず仏ならねばそれぞとも知らぬ道をば行き迷ふ」であろう。
美しく柔らかでうっとりするような旋律は、若葉内侍の姿を彷彿とさせるものでもある。
「守り袋は形見ぞと」の場合もまさしく文弥の美しい節が付けてある。
その上その足取り(続く詞も)は可憐な小冬を象徴している如きであった。
そこへ哀愁を乗せる(底に置く)となると相当の力量を要する。
流麗な旋律に寄せて詞章が進んでいくのだから。

さらに「壬生村」の場合は、厄介なところに付けてあるのだ。
ヲクリ「さして出でて行く」が終わって、地ハル「年はいかねど」と語り出し、「孝行を」と中の音に下降して一段落。
そして直ちに「守り袋は形見ぞと」になるわけで、いわゆるマクラの一節なのである。
語り込むも何もなく、そこまでの語りの勢いや重みもありはしないし、
義太夫節に聞き慣れてきた耳に、ぱっと他流の旋律が差し込まれるというのでもない。
むしろ、ここから始まるという雰囲気を与えるという点では、ハルフシの役割にも相当すると言ってもよいのである。
小冬の性根がそのまま切場の最初で印象付けられているということもできようか。

しかしハルフシではなくて「文弥に似たる表具」であり、愁嘆の情愛をしっかりと染み込ませねばならない。
小冬は貧苦のために廓へ身を売ることを承知している。とはいえ少女の身には苦界へ墜ちることへの恐怖心が募るばかり。
明日は桃の節句というその宵に、亡き母の形見でもある雛飾りは、先刻借金の代わりと消えてしまった―納得はしていたけれど。
残ったものは肌身に添えたこの守り袋ただ一つなのである。

その愁嘆を、クドキでもなく詞でもなく、語り出して1分もたたないうちに、
しかも義太夫節一段の格を決めるマクラの地の節章として、観客の耳から心へ伝えなければならない。
端場から詞章を読み込み読み込んで、心持ちを一杯に用意しておくことにより十分に入力しても、
それを出力するのが何と限定された身動きが取れないところであることよ。
だからといってここで力んだり際立たせたりすれば端から浄瑠璃一段の流れが阻害され万事休す。
この「壬生村」の――守り袋は遺品ぞ――がいかに大変であるかということである。

大隅のそして誰よりも団平の苦しみは、「壬生村」一段を知り抜いていればこそ、
「音曲の司」としての義太夫浄瑠璃の構造を知ればこそ、であったのだ。
客席に座ると、まず三味線のヲクリが奏され一段が語り出される、
そして自然に「守り袋は形見ぞと」の詞章が「文弥に似たる表具」の地に響き、
小冬の寂しげなそして健気な心持ちとともに心にしみ入ってくる。
その時もうすでにわれわれは「壬生村」の世界の住人となっているのだ。
 

【二】
「壬生村」はまた詞(コトバ)の浄瑠璃である。
これについては特段書き立てずとも、詞章を一見すればお分かりいただけようし、詞の面白味も自ずからお聞きいただけよう。
ところが、そのコトバ中心であるの浄瑠璃であるということが、対極的な見地からも窺い知れるのである。
それは「フシ」の扱いという点からである。

コトバが連続的に進行する性格を持つと考えれば、フシはそれを終結させる特徴があると捉えることができよう。
そのフシが「壬生村」にあっては、その終結的特徴を詞章のそこここにおいて抑制されているのである。
要するに、コトバの対極に位置するフシからして、コトバ的性格が顕著であるこの一段の特徴を、
より印象付けるべく用いられているということなのだ。

フシはその終結部が下降旋律となり、三味線もまた多くの場合ジャンと締めるから、
安定した区切れ、つまり一段落したという印象を強く与える。
聞く方もまた、話に切れ目が付いて一息つくというところである。
ところがこのフシには「フシカカリ」という節章があり、下降旋律(フシ)であるもののそのまま終結せず、
次の旋律へそのまま続いていく(カカリ)というものであるし、フシを簡略した形態(カカリ)であるととらえることでもある。
そのフシカカリが「壬生村」には多用されている。

試みに同じ「木下蔭狭間合戦」で比べてみる。
「竹中砦」(七之巻)ではフシカカリの系列に属するものは3箇所に過ぎない。
(スヱカカリ2…娘千里および母関路の愁嘆が、それぞれ母・娘のクドキに続く部分で用いられる。
 ハルフシカカリ1…段切の旋律中だから、そこで終結感を出せないのは当然である。)
「壬生村」(九之巻)は何と9箇所に用いられている。
(フシカカリ3、本フシカカリ1、ハルカカリ1、スヱカカリ2、ハルフシカカリ2。
 詞章の長さからすると「竹中砦」の方が約2割増なので、この対比は十分有意性を持つと考えることができるだろう。
 また、用いられているのはクドキでも段切でもない。)

いわば、「壬生村」は一段落をなかなかさせてもらえない語り物なのである。
もちろん、あるべき終結感はきちんと与えられており、小冬の嘆きから五右衛門の出に転換するところはフシ落ちであり、
父が娘の不慮の死を嘆き、また自らを父と呼んだ五右衛門に縋るところも、三ツユリでフシ落ちの止めになっている。
しかしながら、一般的な義太夫浄瑠璃の構成、つまり地―色―詞―フシで一単位ユニット、そしてまた次のユニットへという構成、
が前面に押し出されているというよりも、連続的に進んでいくという形が特徴的であろう。
(ひょっとすると、これは「風」に関係しているのかも知れないが…。)

「壬生村」がコトバの浄瑠璃であるということは、太夫にとっても三味線にとっても、なかなか大変な語り物であるということになろう。
しかも、義太夫浄瑠璃におけるコトバは当然ただのセリフではない。微妙かつ繊細な「音遣い」を要求される極めて高度なものである。
これらの特徴的な一段をいかに生かしていただくか、綱大夫・清二郎の床にはますます期待がかかるというものである。
素浄瑠璃をこれほど待ち遠しいと恋い慕う経験、昨年に引き続きまずはこの幸せに浸る毎日が続いている。 
そして当日、それは現実のものとなって耳に残り胸中に刻まれることになった。
以下とりわけ心を揺さぶられたコトバの部分を書き記してみたい。

・「イヤモ久しぶりの段かいやい」から、再会を喜ぶ父の詞が飛び上がるほど面白い。
 それはそのまま地に足がつかないほどウキウキと歓喜する心境の見事な描写に他ならない。
・「おのれはおのれは情けない」以下父の詞、合の手もともに心にしみわたる。
 高ぶったかと思えばまた沈み、己と述懐しては教訓叱責し、その心境の揺れ動きは語りによって活写された。
・「昨日今日の様に思へども」から、ついに因縁因果の恐ろしい物語が始まる。
 メリヤスが入って「物凄い夜道を芥川へ掛かる所で」と語り進まれると、まさに「物凄い」光景がフラッシュバックする。
 他者との関わり、それが人の間に生まれ落ち生きて行く「自己」というものの在り方を決定するのである。
 当然のことながら因縁因果経は治左衛門ひとりのものではなく、己と相手の一家全員の経るべき道筋となるのだ。
 

【三】
「壬生村」が廃絶の危機にあったこと、そして梗概を知る限り地味で陰惨な浄瑠璃だと認識すること。
つまり一般的に(大いに誤解を含んで)言うところの、滅びるのはつまらないからだとの事前判断をしてしまうのだが、
実際に聴いてみれば、もうもうたまらないの一語に尽き、なぜこれが廃絶の憂き目に遭わねばならなかったか、
少なくとも義太夫浄瑠璃という点からは、信じられぬというより他はないのであった。
いわゆる浄曲の定型に慣れてしまうことなく、耳が洗われる思いであり、鮮烈な音曲体験をすることができたのである。
これは決して個人的な思い込みでも、過大評価でもない。少なくとも義太夫浄瑠璃の本質を聞き取ることができる限りにおいては。
―あとの「野崎村」も、よい物ではありましたが、「壬生村」のあとでは薄い薄いでありました。
 数年前、歌舞伎にて一部改作の「壬生村」を見ましたが・・・なにをかいわんやです。―ある見巧者聞き巧者の方の談である。

・「されば三界に宿り定めず」からの五右衛門の出、変化がすばらしい。
 直前小冬の地からフシ落チ「涙流れの里は只、地獄の様に思ひ取る、子供心ぞ道理なる」が琴線に触れた直後、
 怪しき僧形での五右衛門登場は、「樹下に木の実を甘んずる木食上人」との素敵な詞章とともに鮮明にその姿が伝わってくる。
・「爪木とくとく折からに」から傾城屋の出にかかる足取り節付け、これほど面白いものは聞いたことがない。
 色町の賑わいがこのあばら屋に至るや、下座の囃子がなくとも傾城屋のお出ましと明快に節付けしてある。
 西洋音楽上の分類を持ち込めば、標題音楽としての義太夫浄瑠璃の天晴れな一節であろう。
・「エヽと魂消る」から父の詞へ、この運びがまた絶妙の極み。
 「釜の湯に取り落としたる絵姿の、爛れいりつく大焦熱」これはもちろん五右衛門釜茹での予言であるし、
 それはそのまま「熱湯の涙胸に突かけ膝突かけ」と、父親治左衛門の詞へ縁語脚韻の修辞によって続いていくのである。
・「縋り留むるまとはしの、その上の絹薄紫、赦さぬ親は恩愛に、悲しみ怒り獅子形の、石の帯仕にまた取り付く。
  腕先取つて突き放し、有紋の冠厚額隠し置いたる菅簑より、取り出だしたる蒔絵の太刀、履く浅沓の音高き。
  殿上人はお頭殿、手下も気儘に熨斗目上下、白丁烏帽子、作り済ませし勅使の粧ひ」この運び絶佳としか言いようがない。
 天をも恐れぬ不敵な五右衛門と、それを止める治左衛門に、手下も絡んでの動きが、詞章の表裏から自然に浮かび上がる。
・「心を込めて吹く笛は、凄涼として冴えさゆる、声に感ぜし水龍の、啼くか忽ち帯びたる太刀、
  はためき渡ればあたりの小川、水勢激して朦朧と、打ち煙るこそ怪しけれ」、三味線の冴えにコハリも利いて奇怪な様相ありあり。
 この笛の「凄涼」さこそが、この「壬生村」一段を、主役の悪党五右衛門を、そして眼前因果因縁経を見た治左衛門と小冬を、
 すべて象徴的に表現する音色であったのだ。

この「壬生村」が、まったく平らに成ってしまった現在によみがえるということは、一つの奇跡と呼ぶべきものなのかもしれない。
しかしながら、この音曲体験が洗脳から目覚めた新たな明日をもたらすであろうことは間違いないはずだ。
野生動物はその個体数が一定数を割って減少するとき絶滅の危機に瀕するという。
この曲が伝承され奏演されることは、義太夫浄瑠璃という「種」の生存にとっても不可欠なのである。
 

【結】
―先日、早稲田小野記念講堂に於いて、「壬生村」を謹聴して参りました。
 雨天にも関わらず立ち見が出る程の盛況、また前評判に違わぬ至高の出来の浄瑠璃に、私自身時を忘れた次第であります。
 さて、奏演が終わり、鳴り止まぬ拍手の後、内山教授の肝いりによるカーテンコールで、
 綱大夫師は寛大にも、聴衆からの質問の時間を設けて下さいました。
 そこで二十代とおぼしき青年から出た質問です。
 「血は繋がっていないとはいえ、悶え死にゆく妹に、五右衛門は一瞥もくれなかったのでしょうか。」
 対する師は謙虚にも、
 「そこが一番難しいところ。ちらりとぐらいは見たと思うが、
 なにぶんまだまだ勉強途中で、これから一層の精進を以ってそこの処を明らかにしたい。」
 勘定場様は如何思われますか。
 「一心不乱五右衛門は、一巻とくと読み終わり」
 此処は確かに五右衛門という立役の、人物造詣の要となるところなのでは。
 もし玉男師が此処で文七を遣ったとしたら、小冬と一軸の間で視線はどのように揺れるのでしょうか。
 下手な引き目をちょくちょくくれてしまっては、小冬は却って犬死で、
 役立たなかった守り袋の文弥のフシの美しさも、まるで如何にも散らされるためのあだ花のようです。
 私こそは勉強途中で、この段以外を知りませんので、
 この場の小冬の死に様が、後々五右衛門に何か影響してくるならば素より取り越し苦労です。―(樋口さんの記事による)

―まず、五右衛門の小冬に対する情愛は確実なもので、
 それは「立つ居つ」からのあの浄瑠璃と三味線を耳にすれば、微笑ましくも心温まり、かつ、ひしひしと伝わって参ります。
 本当にいい節付けであり運びも面白く情味溢れる語りでありました。
 そして「一心不乱五右衛門は、一巻とくと読み終わり」ですが、
 これはもう直前の落シで十分にカタルシスへ至らしめた訳ですから、ここはカワって愁嘆は残っていないものと思われます。
 とはいえ、「一瞥もくれなかった」というのではなく、その直前の場面で、人形の引目とアオチが一度はあるでしょう。
 「一心不乱」とはそれが尋常ならざるものと感じてから大内の系図書と理解するまで、
 ならば、小冬の悶絶に対し愁嘆を感じる余地が最初にあっても構わないし
 (実際ここを聴いていて小さい体をくの字に丸めて苦しむ小冬の姿が現出した)、
 理解したので、治左衛門の愁嘆=落シのユリにかかるあたり一旦情愛に向いてもよい
 (一段の最高潮となる節付けであり、そこへ観客も含めてすべてが愁嘆に収斂する)。
 いずれにせよ、三味線が一の糸を弾き流している間には意識は完全に巻物へ向かい、
 「一巻とくと読み終わり」で系図書から正面に向き直りというところでしょうか。―

―プログラムに掲載された桜井弘氏の解説に拠れば、昭和三十三年道頓堀文楽座上演「石川五右衛門」に於いての「壬生村の段」では、
 子供が無残に殺されるのは「憂鬱」であるとして、小冬は最後まで生きているそうです。
 それでは駄作になる筈で、この傑作が今日のような憂き目に遭っているのも、
 全て此処の所の解釈を、疎かにしたためではないかと私には思えてなりません。
 自分が殺めた五右衛門の実母の、まさに祥月命日に、
 今度は自分の娘をその手にかけてしまうのでなかったら、「因縁因果」の恐怖の念も有り得ないわけで、
 治左衛門がわざわざその場で五右衛門に、芥川での過去の事実を語る必要はないのです。
 大事なのは小冬を突き殺した匕首を最後まで手に握っていたのは、五右衛門ではなく治左衛門であった、ということです。
 (もぎとり捨つる剣先に、当たる“娘”が因果の様)
 二十三年の時を経て、遂には自分に跳ね返ってきたこの因果、治左衛門にはさだめし悪夢の惨事でしょうが、
 聴衆の我々にとっては、勘定場様の仰るカタルシスという言葉がぴたりと当てはまるように、不思議とこの場は耳に清々しいのです。
 小冬がこときれてからの五右衛門の(また綱清二郎師の浄瑠璃の)、へんにふっきれたような大胆不敵の明るさは、
 冷酷と映っても仕方ないところを軽々と飛び越え力強い。
 父子で抱き合う所などは、却って絆が強まったようで、過去の呪縛から解き放たれた、二人はまるで新たに生まれた赤子のようです。
 此処で思い至ることは、同じ命日を別った女同士、五右衛門の実母と小冬の二人の同一性です。つまりは小冬の母性であります。
 愚直の父と悪党の兄に挟まれ、初めの頃こそ「腹が痛い」等と年齢相応ではありますが、いまわの際で小冬は確かに保護者であります。
 嘘と秘密に飽和しかけた壬生村の家に、精算、新生の風穴を空けて、父子に呼吸の仕方を教えた。
 二人の男を新たに生まれ変わらせるために、身に余る母性を担いきるために、
 小冬は死ななければならなかった、とすれば浄瑠璃は美しい。
 「憂鬱」という如何にも現実、現代的な感情を物差しにして、ただ徒らに数えた八十五年の目盛りが、
 取り返しのつかないあまりに長い歳月であったと思うばかりです。―(樋口さんの考察による)