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【 式亭三馬 腹之内戯作種本 抄】

文化八年刊

江戸戯作文庫『作者胎内十月図』河出書房新社による


上巻 見返し

一オ

はら(腹)の内、ほつたん(発端)

江戸・通油町書林・鶴屋喜右衛門版

あきうど(商人)も正札附でハ買人(かひて)ががてん(合点)せぬゆゑ、符帳(ふちやう)をあかしてあきな(商)ひ、放下師(はうかし)も小がたな(刀)ののミやうをけんぶつ(見物)にをし(教)へねバちやらくらのならぬ世(よ)の中(なか)、とかくに地(ぢ)がね(金)をあらハ(現)しておめ(目)にかけ、正ぢき(直)・正ろ(路)なることでなけれバ、どなたも御しやうち(承知)なし。そこでつら/\かんがミ(鑑)るに、ちかごろ(近頃)りうかう(流行)のゑざうし(絵双紙)なり、なんのいけざうさ(造作)もない物」とおぼしめ(思召)すも御もつともなれど、作者・画工・板元・筆者・板木師・すり(摺)・仕立の人/\、あまたの手にわたりて、よほど(余程)ほね(骨)のをれ(折)たものなり。まづ来春正月の新板物ハことし(今年)の正月、あるひハ去年のくれ(暮)あたりよりこしらへかゝりて、一年中あせりもがく。そのいそがし(忙)さ、欲(よく)につかハるゝとハいひながら、なまやさしき事にあらず。その地がね(金)をあらハし、其のがくや(楽屋)をおめ(目)にかくるに、たとへ(例)バあやつりしばゐ(操芝居)のごとく、作者ハ太夫にて絵師はハ味せん(線)ひき(弾)なり。それゆゑ合(あい)三味せん(線)とあハ(合)ぬ三味せん(線)あり。又、ひ(弾)きころば(転)さるゝ太夫もあり。又、かた(語)りいか(活)かして三味せん(線)をひきたつ(引立)る太夫あり。その中にも、太夫がふしづけ(節付)をするハ作者が下絵を付るにひとしく、三味せん(線)ひき(弾)がふしづけ(節付)をするハ絵師が下絵から画(ゑが)くにおな(同)し。これきハめ(極)て大せつ(切)なる事にて、太夫・三味せん(線)、作者・画工の心があハ(合)ねバ、やんやとお声(こへ)もかゝらず、ゑらい(偉)とも、うまいとも、三糸(さんし)ずりますともいハ(云)ず、両方のそんもう(損耗)となるなり。そこで板元の座元どの(殿)が、おの/\(各々)大あたり(当)をせんとてほね(骨)をを(折)ることなり。されバ作者・画工の太夫・三味せん(線)、しつくりと心があへ(合)バ、おのづからかたり(語)よく、ひ(弾)きごゝろ(心)もよいゆゑ(故)、いつか一度ハやんやと大あたり(当)をとる。さて


二オ
一ウ

又そのほかのめんめん(面/\)ハ、おの/\(各々)てすり(手摺)へまハる(廻)人/\にて、たとへ(例)バ人形つかひ(遣)の人形をつかふ(遣)がごとく、なかま(仲間)の人/\をつか(使)ふやら下(した)ざいく(細工)をつか(使)ふ。でつち(丁稚)をつか(使)ふ、さいそく(催促)の人をつか(使)ふ。せつ(切)ないときにハるす(留守)をつか(使)ふ。板元・作者・絵師・筆耕、おたがひ(互)につか(使)ハれたりつか(使)つたり、一年中立まハり(回)て、そのいそがし(忙)さ、図のごとし。こればかりハ御しろうと(素人)さまがた(方)のさつぱり御存なきことなれバ、あけすけにお目にかけます。

はやくうり出した人ハたかミでけんぶつ(見物)してゐる 

作者の太夫、うまく(上手)くかた(語)らうとしてハ、がくやおち(楽屋落)がして、きりおとし(切落)へおち(落)ず。ついにハがくや(楽屋)で声をから(涸)してしまうことあり。画工のさミせん(三味線)ハどうしてもはで(派手)を弾くほうかとうせい(当世)と見えた。「イヨ、さんし(三糸)すります」

板木師

はん(板)木師はじめすりもの(摺物)師・したてしよく(仕立職)人、おの/\(各々)弟子(でし)をつか(使)ふ。いづれもなまけるとじれがきて、いjしん(自身)に出づかひ(遣)也。どうぐし(胴串)所か、手もあし(足)もすりこぎ(摺子木)にしてほね(骨)をを(折)るなり

本問屋

つるや 喜ゑもん

 「アヽ、又けふ(今日)も、あとの五丁ハでき(出来)めへ」

 はんもと(板元)ハでつち(丁稚)をつか(使)ふて作者・画師へさいそく(催促)する。手代をつか(使)つてもらちのあかぬときハ、じしん(自身)に出づかひ(遣)とやらかす。

作者も絵師もさいそく(催促)がひどいとくるしくなつてはんもと(板元)のうち(内)へ出がたりにする。もつとせつないときハくろご(黒子)をかぶつて、内にゐながらるすをつかふなり


三オ
二ウ

 あやつりしばゐ(操芝居)のがくや(楽屋)と作者のはら(腹)の内と、よくに(似)たものにて、さんしやう(山桝)太夫あれバ、大とも(友)のまとり(真鳥)あり、折ことひめ(琴姫)もあれバさくらひめ(桜姫)もあり、おちよ(千代)半兵衛・おさん茂兵衛、時代もせわ(世話)もいれ(入)まぜ(混)て、なんでもかでもえり(選)どつ(取)て三十八もん(文)のごとし。

 初日がきハまつて人形をこしらへるごとく、うり(売)出しの月がおしつめ(押詰)てくると、作者のはら(腹)のうち(内)ハ人形いれ(入)た長持にひとし(等)く、ごつたかへして、だら/\きう(急)にこしらへたてる。おかめ(岡目)から見てハ、作者になつたら身がらく(楽)でよからうと思へど、けいせい(傾城)・ほととぎすとくび(首)つびき(引)をして夜どほし(通)(起)きてゐるゆゑ(故)、いろ(色)あを(青)ざめ、目をあかく(赤)して、ひる(昼)ハいつまてもね(寝)てゐるなり。ナントありがたき(有難)事にあらずや。


三ウ

 或(ある)偏屈者(へんくつもの)、浄瑠璃(じやうるり)文句(もんく)の中(うち)、不分明(ふぶんミやう)の事(こと)、且(かつ)、古語(こご)・古実(こじつ)の謬(あやまり)を正(たゞ)して難問(なんもん)す。古人(こじん)近松半二(ちかまつはんじ)が曰(いハく)浄瑠璃の作者。浪花の人。宝暦以来のあたり狂言おほかたハ半二か著述なり。天明五年に没す。「堂上(たうじやう)の事(こと)をしらバ有職家(ゆうしよくか)となるべく、弓箭(きうせん)の古実(こじつ)をしらバ軍学者(ぐんがくしや)となるべし。仏教(ぶつきやう)を覚悟(かくご)せば大和尚(だいおしやう)なるべく、聖経(せいきやう)記典(きてん)を記憶(きおく)せバ、直(ぢき)に博識(はくしき)の儒(じゆ)なるべし。菅丞相(くわんしやう/\)の事(こと)も楠正成(くすのきまさしげ)の事も丸呑(まるのミ)に似(に)つこらしく書(かい)て、聴(きい)たほどの語(ご)を奥深(おくふか)げにつばなかし、和哥(わか)・管絃(くわんげん)、よろづの道(ミち)、何ひとつ正(たゞ)しく覚(おほえ)たことなく、聞(きゝ)とり傍聞(ばうもん)・耳学問(ミヽがくもん)、根気(こんき)をつめて物学(ものまな)ぶことのならぬ自随落者(じだらくもの)が、則(すなハ)ち作者(さくしや)となるなり」※注と答(こた)へしかバ、口(くち)をつぐミて退(しりぞ)きしといへり。作者(さくしや)/\とうたハれて、ちゝちんぷんかんひねくれども、他人(たにん)ハしらず僕(やつかれ)なんども、夫(それ)に等(ひと)しき腹(はら)の内(うち)。想(おも)へぱ半二が御挨拶(ごあいさつ)、吁(あゝ)(ぜ)なるかな是なるかな。

         式亭三馬戯誌(式亭印)


同年刊 『狂言田舎操』

※:近松半二『独判断』近松半二遺艸跋


提供者:ね太郎(2006.01.15)