編輯室の窓

文楽 2巻1号

  

 第二号め編輯をやつと終つた。道一つ距て、松坂屋に接した編輯室の二階で、いま若い店主の今井さんと雑誌の将来についてよもやまの雑談にふけつてゐるのだが、二人ともに仕事を終つたあとのホッとした気持でなく、熱ツぼたい興奮がまだお互ひの神経を充血させてゐる感じだ。発足したばかりの新しい仕事への情熱が、われながら雄々しくも爽々しく思へてうれしい。

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 創刊号の発送が遅れたので、第二号の編輯を終へたけふになつても、まだこの雑誌に対する世評の一つさへ耳にすることの出来ないのは残念でもありもの足りなくもあるが、今のところ全国唯一の綜合的な古典芸能誌として、この第二号の出来栄えも些して読者諸賢の御期待を裏切るていのものでないことだけはいささか自負してゐる次第である。尤もこの第二号にしても最初に企画した内容の三分の一すらも誌上に実現することが出来なかつた。それが編輯者として何よりも遺憾だが、それも結局は発刊当初の単に事務的な面の不揃ひだつた結果に過ぎないのだから、今後とも仕事の段取りさへうまく整備して行けば、さうした理想と現実とのズレもなく、さらになほ御満足を得て、いたゞけるものと信じてゐる。たゞそれには私たち編輯者の努力はいふまでもないが、執筆者ならびに読者諸賢による有形無形の御支援に俟つものが多い。この点、是非とも良識ある御協力のほどを御願し

ておきたい。

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 近ごろ読んだものの中で、佐藤春夫氏が日本敗戦の真因は日本に正しい意味での保守主義者がゐなかつたためだ、といつた意味のことを漏らしてゐるが、これは氏らしい含みのある言葉だと印象に残つた。本誌こそ何よりも、その日本における芸能の「正しい意味での保守主義者」たるべきを念願してゐるものなのである。

 しかし、古典は過去から現在へ、更に現在から未来に継がる歴史の必然的紐帯だといへる。この観点において古典芸能への注視は決して単なる過去への慕情や現在への感傷でなく、それは未来の新文化への建設的な欲求それ自体を意味するものである。即ち正しい「保守」は正しい「前進」の勇敢な旗手であらねばならない。第二号を世に出すに当つて、改めて本誌の使命をかく繰り返へしておく。

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 なほ、地方にある読者諸兄のうち、本誌を書店の店頭で見受けられなかつた場合、或は売切れの場合は直接発行所誠光社へ月極購読を申込まれたい。購読料金は小為替送金が確実でもあり、早くもあり、この方法でお願ひしたい。(A)