平成十七年十一月公演(前半:10日、後半:23日)  

通し狂言『本朝廿四孝』

 百回記念として『廿四孝』を大序ならびに四段目口を含めて通した意欲は評価できる。現代日本人の鑑賞力(端場から一字一句精密に聞き取ろうとする―これは演者側にも問題あり)からしても、上演時間のこれ以上の延長は難しいであろう。とはいえ、角書「武田信玄・長尾謙信」を付けたからは、四段目詰までは出さなければなるまい。これは今回の上演形態にも言えることだが、初段の奥で上手に信玄下手に謙信中央に手弱女御前と北條氏時を配する構図、また三段目は桔梗原がその逆で切場は慈悲蔵横蔵に婆のごとく、奇数段は両家の対照を意識し、偶数段は二段目に信玄館、四段目に謙信館と配置されているところを、無理矢理崩したわけでもあり、せめて大序の鉄砲の件の落着を見せておく必要はあったろう。狂言回しとしての斎藤道三を対照の中心点とすることでもあったのだから。今回はこの二点(現状やむなしとはいえ)のために昼の部が明快で夜の部がもう一つという(「狐火」の人形は措くとして、筋書き第一では「十種香」の音曲的面白みも味わえぬ)結果となってしまったようだ。ちなみに、全体を通しての分析は「聞所」を参照されたい。

第一部

「足利館」
 御簾内の若手が大序の格をわきまえて立派に勤めた。靖は太夫らしい声、希は真っ直ぐな詞が好ましい、呂茂は実力者、芳穂もよく語ったが「召されしかど」を「召されし」「かど」としたのは誤り(理性が「廉」と判断したのだろう)である。彼に限らず若手には義太夫浄瑠璃のシャワーを全身全霊に浴びていただきたい。そうすれば理屈(直接経験過去の助動詞「き」の已然形)などではなく自然な(正当な)語りが口から出てくるはずだ。三味線陣、清丈既に十分、龍爾手強く覇気あり、寛太郎素直に弾くが力や技はこれから、龍聿切先気合と師匠譲り。いずれも未来は明るい。
 なお、上演詞章の不備については「聞所」で補完しておいた。

「奥御殿」
 ここは序切である。四半世紀前は作曲した燕三が呂大夫と勤めた一段。今回は文字久と清志郎の抜擢。力量の差は歴然だが、しかしよく期待に応えた。太夫は難物の手弱女御前と賤の方の詞がよく、信玄出家の一括りも力があり立派な浄瑠璃であった。ただ、新左衛門が胸に一物の怪しさは及ばず、段切も爽快感が不足気味なのは残念であった。もちろん序切の複雑な人物関係図を混乱に陥れず語り分けた実力は評価できる。とはいえ、マクラのハルフシ、本ブシ、またフシ落チや色と、不安定な箇所が間々聞かれたのは、音曲の司たる義太夫浄瑠璃にとってやはり致命的だと言わざるを得ないだろう。筋書きに情の色付けがあればよいとする輩でない限りは…。一方の三味線は従前大きく強いが一本調子の気味であったのが、今回変化が生まれ見事弾ききったのは驚嘆に値する。
 人形陣、将軍義晴大きく出来たし情味もあったのは手柄、手弱女御前は公演前半細かく反応しすぎたが後半は厳しさも出て合格、賤の方は品ある色気を見せる。景勝の剛直に氏時の口あき文七と村上の与勘平も納得、新左衛門の大舅も人形は不敵さを出せたと思う。晴信は枝を切る一連の所作が床との関係上時間的に余裕がないので、孔明カシラがコセついて見える、そこが遣えれば上級である。直江山城はマクラの色男と段切の颯爽ともに出来た。

「百度石」
 まず代役喜一朗は賞賛に値する。掛合の太夫陣、兵部の文字栄は詞に限れば悪くはない(が、「身どもが」のアクセントは不審)、簑作の相子は柔弱な若男を心掛ける、ただ「行て」を「イッテ」と語ったのは道断、「イテ」に決まっているが、やはり浄瑠璃シャワーが不足か。千丈の堤も蟻の一穴からと心すべきである。横蔵の松香はうまいもの。濡衣の咲甫は声柄なり始は敢闘。景勝の新は性根をよく掴む。道三の津国も合う。車遣いの三人も声がよく出ている。面白く聞けたのが収穫の掛合であった。人形は一点だけ、道三が力石を投げられるに慌てたのは如何なものか。性根が小さくなる。

「桔梗原」
 口は始・咲甫ともによろし。奴は始、唐織は咲甫に軍配か。三味線は弥三郎が安定。
 奥は伊達清友、まずマクラでしっとりとさせ、慈悲蔵の詞に情感溢れる。二人の弾正の出からは独壇場、段切はもう少し面白かろうとも思うが、客の質が悪かったためでもあろう、公演後半は結構であった。人形は越名の幸助と入江の清三郎と儲け役を果たすが、もう一段との欲は当然にある。高坂の玉輝と唐織の紋豊(「実に高坂が妻なりし」秀逸)はよく映っていた。

「景勝下駄」
 染太夫場、こういう「風」を語れる太夫が咲である。マクラはもちろんだが、「口はさがなき山道を、ゆがまぬ武士の梓弓」の慈悲蔵の出、それが「流れに添ふて立帰る」と世話になるところなど、流石は実質上の切語りである。そして景勝と老女の出が見事に極まり、「七十に余つて」以下の詞からぐっと引き付けヲクリまで、西風の引き締まった清潔感のある一段、先代綱大夫の衣鉢は確かに継がれている。三味線の燕二郎は実に立派になった。新年度の燕三襲名は万人が待ち望むところである。人形は婆代役の紋寿が厳しいところをよく遣ってみせた。景勝の文司も大きく感心。慈悲蔵の勘十郎は辛い母の一言一言によく応えて観る者の胸に迫る。「下駄場」と呼ばれる一段の価値を表出させた三業の技量は大したものである。

「勘助住家」
 ―俗に云ふ筍の段の三難とは「解らぬ」と「六ケ敷い」と「前に受けぬ」と三ツである。―『素人講釈』にもあるように、厄介な三段目切である。ところが紋下格の住大夫師と錦糸の三味線にかかると、これがするすると腑に落ちるものだから、至芸とは実に恐ろしいものである。マクラに心あり、横蔵面白く、唐織の出のハルフシ、またその詞がぐっと聞く者に迫るから、お種の衷心に同期できる。「コレナウ峰松」からのノリ間、錦糸の三味線が面白く(彼はかつての住師に従属ではなく、文字通りの相三味線となった)、義太夫浄瑠璃の醍醐味を聴くことかできた。それでも言うとすれば、慈悲蔵の突っ込みと「雪より先に愛し子の」からの大音強声なのだろうが、この年齢でこの語りである。その伝で行けば明らかに山城以上であると言ってよいだろう。西風三段目切場を見事に語って、これでこそ紋下と呼べるのである。
 三段目切場後半は富助で極まりだが、太夫が粘らず延びずむしろサラサラと語ったのが好印象であった。あとは三味線だろう、何か物足りなさを感じたのは私だけであろうか。
 人形は、文雀師のお種が論無きすばらしさ。前半の溜があってこそ後半の発散があるわけで、並大抵ではない至芸である。母は紋寿が代役、公演前半は強さ厳しさ今一歩のところもあったが、後半は世話と時代の遣い分けに、「実に勘助が母人」との詞に違わぬ人形であった。横蔵も代役とは見えず本役の力感。玉女の面白いところは、世話の横蔵でも勘助の性根が一本通って見えることで、それは卑俗に堕さぬ美点であるが、いささかまだ硬いのかも知れない。「三国無双の弓取りなり」は左遣いが拙く御旗の示威がぼけたのは残念であった。対する慈悲蔵の勘十郎は実直そのものであるのだが、内から滲み出る男の色気という点からすると、やはりこの人は動く方が性に合っているようだ。唐織の紋豊は床の至芸によく応えこれも実力の程を見せた。

第二部

「信玄館」
 つばさ睦ともによし、龍聿清丈も。明快で前に出る。ただ、通し狂言の御簾内だけに奴二人の詞はもう一段の足取りを。公演前半「話もものの報せかと」のカワリ出来た。

「村上上使」
 三輪宗助。濡衣常盤井の愁いも利くし、上使村上の無慈悲かつ安っぽい権柄も描出、満点と言いたいが地の安定性にやはり不安がある。三味線は拵えからしてもまだ本調子ではないようだ。

「勝頼切腹」
 綱大夫清二郎は流石。濡衣のクドキを冗長とし、勝頼の述懐で聞く者を十二分にとらえて、この陰々滅々たる前半を見事に衷心衷情発露の場としたのである。板垣の出からは面白いことこの上なく、義太夫浄瑠璃の正当な流れに各人物の個性が際立つという極上品であった。とりわけ兵部のモドリがしっかりと応えたのは(「潔白」がここへ効いてくる)並の太夫が及ぶところでない。段切りの花尽くしで見事カタルシス、「音曲の司」王道であった。なお、これには三味線の清二郎について特記しておかねばならない。公演後半ではとくに太夫を助ける功大にして、苦しいところも三味線できっちり義太夫浄瑠璃の骨格が作られているから、安心して身を任せていればよいのであった。
 人形、簑作の和生は若男カシラの柔らかさをよく体現しているが、そこに「甲斐源氏の嫡流たる武田四郎勝頼」の心棒が通っているという点では玉女の方が勝っていたか。とはいえ、それに加えて策略をもよくする知的怜悧さを底にふまえるという、玉男師が遣った域までは至らない。信玄の玉也は堂々たる風格も感じさせる好演だが、べらぼう眉孔明カシラの超人性はやはり玉男師より他はないのである。常磐井の清之助は気品あり情感ありで清十郎襲名は射程内である。ここでの濡衣も一歩控えめであったのが首肯できる。村上の勘禄は底意地の悪さを使い、あと兵部の亀次も存在感があり納得できた。盲勝頼の勘弥も哀感あり。

「道行」
 ここは道行とはいえ、濡衣に始まり濡衣に終わる。「今の我が身はなかなかに」を勝頼の所作に割り振ってあるのは、そうでもしなければ出番がないからである。もちろん詞章は濡衣のものである。この濡衣は「廿四孝」の偶数段のシンである。今回このことが明確になったのは、第一に紋寿の力量あってのことである。愁いの女、濡衣を文字通り描出して見せたのだ。ここではもちろん英団七のシンがよく勤め、二枚目南都団吾の健闘も讃えられよう。

「和田別所」
 チャリ場、前回は咲勝平、今回は呂勢喜一朗でこれはむしろ外した役所だが、村上の薄っぺらさに与勘平カシラの俗人ぶりを加味し、二股大根もきっちりクドキの形として、奴のチャリも軽々と仕上げ、着実に実力を付けているところを聞かせた。三味線も「奥は俄に家鳴震動して」のコハリ大きく印象的で確かな腕前。それもこれもすべては義太夫浄瑠璃が身に沁み込んでいるからである。シャワーの効果は覿面である。大序の奥と打って替えでも面白かったろう、そうすれば力の程がより明快になったはずだ。将来の「四段目」語りはこの人であり、三味線はまた百度石掛合の代役で衆知のところである。ちなみに肩衣と見台は洒落者の極み。
 人形は化性の簑二郎がうまくツボを心得て動いてみせる。村上もよく応じるが、公演後半に大根を段切にまで持ち込んだのはいただけない。化性の結果を実体化しては一段が台無しだ。「吹雪ばかりや残るらん」で、惨めな現実が眼前に展開する落差が面白いのである。こうなると、丸本の改変が悪影響を及ぼしたと言わざるを得なくなり、この三代清六の朱も残る工夫の一段までもが汚されたことにもなるのだ。しかも、ツメ人形までが調子に乗って鉦や太鼓を無駄に叩き回り、寒々とした悲哀の中に大仰な滑稽感が漂うという雰囲気を滅茶苦茶にしてしまった。動けばよいというものではない。この村上遣いは確か定九郎でも勘違い(考えすぎ)の所作を得意そうに見せていたが、詞章をしっかり読み込んで人形を遣うことは、玉男師監修のテキストにも書いてあったはず。それでも最後には、「客に受けた」を印籠とするのだろうか。平伏するのは芸術商人だけであろうのに。

「謙信館」
 千歳清治。序切が持ち場でないのは、どうやらあそこを筋の仕込みと考えてのことか(ならば、文字久でもよいというわけだ)。それはともかく、マクラが今回もすばらしい。厳しさと位と、きっちり詞章が読み込んである。前半眼目はまず景勝だが、上使と実子と語り分けも明白。続いて関兵衛、大舅カシラしかも世話となれば…の予想を超えての真実味ある描写で感心した。ここで全一音上がって足取りもゆったりと駒太夫風に色付けとなるが、内容は変わらず詞も厳しい探り合いが続く。それを地と色だけに風を付けるから、例えば名曲「流しの枝」などとは似ても似つかぬ似非風になっている。切場へ繋ぐ先人の工夫であろうが、今回のように合体しては付け戻しを考えてもよさそうに思われる。ちなみに、ここへ来て千歳の声が割れるのは感心できない。端場の雄で終わるはずもない人、もはや小さくまとまる危惧はなかろうし、万全に整えていただきたいものである。
 人形は今回景勝の文司を高く評価したい。青年とはいえ文七カシラを遣い果たせた実力を認めよう。関兵衛は大序で記した通り納得の玉輝。謙信は悪くないが、鬼一カシラの性根云々には及んでいない。一段の進歩を期待する。

「十種香」
 嶋大夫清介より他はない。十分である。とりわけ今回感じたのは三味線のうまさ。辛いところも三味線がリードして義太夫浄瑠璃の大河をゆくところからゆるがせにはさせない力量。清二郎と同様の感銘を受けた。また、「十種香」が大曲であることもまた実感した。嶋大夫があれだけ語ってもなお余りあるもの、げに恐ろしきは、人口に膾炙する一段が意味する深さ重さである。
 人形、簑助師の八重垣姫に尽きる。ここを、深窓の令嬢が見ず知らずの男に言い寄るとは不可解だという人がいるが、天然系美少女の思考ならびに行動ととらえれば何も不思議なところはない。この系統の少女の大胆な言動は、常識を超えている分ユーモラスにも見えるのであるが、その愛情の深さ強さは、自分自身のすべてを懸けるものとなって現れ出る。文字通り愛に生きることが可能なのであり、そこには計算などというものはこれっぽっちもない。「奥庭狐火」の一段は、もちろん愛する者の危機を命がけで救おうとするものである。そういう点から見ても、簑助師の八重垣姫は、時代を超えたというよりも時代を貫いて輝く造形だといってよいだろう。勝頼は簑作に準ずるが、「衣服大小」となれば玉女の造形にキリリとしたものがより感じられた。「はつと簑作飛び退り」の極まり型もよい。濡衣は恋の仲立ちのところは発散して動けるが、今少し立ち働いてもよかったと思う。

「奥庭狐火」
 何度も聞いてきた、いや見てきたし、簑助師の八重垣姫が楽しみであるのだが、津駒の出来を聞かねばなるまいと控えていた。ところが、寛治師の三味線が弾き出されるや、これはと聴き入りみるみる浄瑠璃に引き込まれた。ここは景事ではない、それは当たり前なのだが、ここ何回かの実体験によって人形のための床以外の何物でもないと認識していたのである。今回確かに四段目切場の後半・奥として聞くことができた。レコードでの越路大夫喜左衛門以来の経験かも知れない。津駒は高潮のあまり汚く怒鳴るという弊は免れたが、もう一つ姫の思いが強く胸に迫ることがなく、線が細くなってしまったのは残念であった。ツレの清馗は調和を心掛けたし、琴の寛太郎はしゃしゃり出て聞かせてやろうという逸脱もなく、ともに結構であった。
 人形は、言うも更なりとはこのことで、とにかく実際この目で見るに限るのである。最後、若い弟子たちの遣う狐に取り囲まれた簑助師は、紋十郎後の花形として顕彰されているようでもあり、それはまた客席からの拍手によって、この稀代の人形遣いが心から称賛される瞬間が舞台に現出したのでもあったのだ。幕が引かれる前に拍手が鳴り響くなど、この他に例を見ないのだから。

 今回の『本朝廿四孝』は、全体として三百年の伝統を持つ「人形浄瑠璃文楽」が健在であることを示したものであった。しかしながら、中堅若手層においてそこここに、おかしく怪しく危なっかしいところも散見した。それは新たな芸の創造などとは無縁の、芸の外の狭い日常世界に引きずられた結果としての誤りであり、当人の至らなさから来るものである。目からも耳からも人形浄瑠璃のシャワーを浴びること。不死鳥は炎の中に身を投じることから飛び立つのだ。芭蕉も子規もそうであった。伝統の炎に焼き尽くされる程度のものならば、それは芸でも何でもない。故きを温めもせず新しきを知ろうなどとは、論語道断だ!と地口にでも透かしておく。
 現在、この国において「いま・ここ」主義者の行き着くところ、二千年余の伝統を一瞬で破壊する愚行を新時代を拓く行為などと妄言するまでに至っている。「滅びしものは懐かしきかな」すべては戦いに敗れ(るように嵌められ)た以上致し方ないのであろう。