平成十七年四月公演(前半:9日、後半:23日)  

第一部

『伽羅先代萩』

「竹の間」
 切場への伏線としては、小巻の件がよくわかるというだけで、あざとい内容である。ただそれだけに、各々のキャラクターが十分に立っていると、かえって面白く感じられる一段でもある。シンの政岡は松香で、堂々としかも乳母としての慈愛も感じられた。が、八汐ならば一層引き立ったろうとも思った。人形は簑助師が若々しく美しい姿とともに、内面の情愛がにじみ出た魅力的な政岡に仕上たのに目を見張った。八汐は新の性質にはまって好印象だが、単語の発音や詞章の読み取り精度に一段の向上が望まれる。勘十郎は遣いすぎずにこの悪役を浮き彫りにするが、あざとい一段なりの前受けもあってよかったのではとも考えられる。沖の井の南都は格段によくなって、例の声色癖に陥らなかったのは重畳。この人は個性を描き出そうとする努力が空回りしてしまうのが非常に残念で、元々声質声量は悪くないのだから、むしろ無色透明に語れば自然と聞こえてくるはずなのである。今回もギリギリのところ、掛合でない端場を短くても語るようになれば、他の注意点はその時に述べることにする。和生はこの手の性根にピタリ。小巻、老けた感じが出ていたといってよいのだろうか、文字栄、玉英。鶴喜代、あの詞と音遣いで胸を熱くさせたのはつばさ(人形は紋秀・玉勢)。千松の一輔が好演、睦も自然。忍びを遣った勘市は認めるが、靖・希はこれからこれから。喜左衛門の中堅・若手をまとめ上げる力はさすがである。
 
「御殿」
 有心、といっても新古今の美学ではなく、無心の逆。幼君を思い育てる乳母の心、我が子を思い育てる母の心、その逆のベクトル、そして幼い主君と家臣との心の交流、重く厚い思いがあふれているこの一間はまた、外からの悪意と善意の思いによって覆われている。当然乳母の思いはまた、その目に見えぬ外圧に潰されぬだけの内圧をもって、この一間を支えている。その、水分子でいえば沸騰状態の一間が、大名の奥御殿という静寂の極致を以て観客の前に広がっている。その有心の危うい静寂が、無心の事物(茶道具、雀、狆)が引き金となって崩れ、涙とともに溢れ出てくるのだ。その有心の静寂はマクラ一枚から浄瑠璃の通奏低音として語られていなければならない。したがってこの御殿を、その沸騰状態のままに溢れ出させ、騒々しく揺さぶりかけて奏演するのは、文字通り「心ない」床に他ならない。前半の飯焚きで居眠る観客は無心の証拠である、罪はない。マクラ「心一つの憂き思ひ」の詞章通り、この有心の静寂が政岡一人の心によって支えられている、その安心感に浸っているからである。そしてそれはもちろん、住師の語りと錦糸の三味線によってもたらされたものである。今回、住師と錦糸は、この至難の一段を見事に勤めた。住師の聞き取りやすくわかりやすい語り口は、まさしく平成文楽というものを築き上げたといってよいだろう。歴史に名を残す太夫である。錦糸の三味線はまた、その語り口に相応しい精緻で明快な音と弾き方を特徴とする。それとともに、今回の「御殿」は、マクラの弾き出しが始まり語り出されるや、その一段が有する義太夫浄瑠璃の音曲的流れに従って、交替のヲクリまで自然に奏演されたのである。これは両人の勤める床では、常に置き去りにされてきたものであった。確かに、ナキ一つで、詞一つで、観客を揺り動かし、感涙を催させるのは超絶の技量である。が、その局部の積み重ねでは、一段全体の流れはもたらされない。そのことに関しては常々苦言を呈してきた。もちろんそれでも、前述の平成文楽という金字塔は微塵も揺るがない。しかし、古靱・綱・津・越路という歴代人間国宝の語りと同列にはうっとりと聞き取れない、という個人的なもどかしさを感じていたのである。住師と錦糸によるこの「御殿」、この床での至高の到達点と聴き取った。錦糸の三味線はまた、年若い妻から女房役としてリードするところまでに至ったのである。客席に座って、意識を失うこともなく、不安もなく緊張もせず、理想の音を頭に描く必要もなく、その床に魅了されながら自然に身を委ねた、至上の時を過ごすことができた喜び。もう贅言は必要ないであろう。
 人形の出来もまたすばらしかった。ただ、政岡は一点、飯焚きが不満であった。ここは見せ場である。器用な手さばき、その上茶道具で焚くわけだから。しかし、政岡の神経はこの飯焚きに集中しているのであろうか。いや、彼女の心は詞章が、あの技巧を尽くした名文が、政岡の心をその手によって使われる茶道具とともに美しく描き出している。掛詞・縁語という修辞法のもっともすぐれた見本でもある。この「景」と「情」との見事な調和は、千年以上の歴史を持つ和歌を源流とする。もちろんその節付はまた空前絶後であり、今回の床が聞かせてくれた通りである。その政岡の心とはあの有心に他ならない。茶道具を使っての飯焚き、それは確かに普通でない非日常的なものである。観客の目にも珍しく映るであろう。しかし、政岡にしてみれば、「朝夕の御膳は皆庭へ棄てさせて、私が手づから拵へて差上ぐる」という非常事態は、もはや日常的になっているわけで、この飯焚きもまた常のことに他ならないのである。袋から取り出した米が多くなりかけたのは、不慣れゆえなのではなく、心が別のことを考えていたと見るべきだろう。あとも無心に茶道具を扱う。もちろん心中ははちきれんばかりの有心である。それはそのまま詞章となっているではないか。目を閉じて床に耳を傾ければ、政岡の心はそのまま伝わってくるのであった。
 後半、「政岡忠義」と段書きされることもあるところは、嶋大夫清介の持ち場である。「おくわし」「ぐわんぜ」「くわいけん」まずは心している。理屈ではない、そう語られてきた口伝(とは呼べないほど当たり前のことであるはず。そう言えば、「竹の間」のつばさも「ぐわんぜ」と語っていた。さらに加点したい)である。今回「御殿」とのみ書いて切語り二人の担当としたが、それに違わず、調和ある立派なものであった。もちろん政岡の堪忍・悲哀、八汐の嫌悪、沖の井の正義、栄の権威と見事に描出され、千松の死骸を抱いてのカタルシスは、簑助師の超絶なる遣い方と相まって、劇場全体に溢れたのである。本公演はこの「御殿」で身も心もすべて持っていかれた。そのために他の演目が、三業の健闘にもかかわらず、どうにもぽっかりと穴が空いたようで、申し訳なかったのである。祭りの後、充実感に付随する放心状態であろうか。せめて「床下」が付いていれば、柝頭とともに一狂言の纏まりを心にも付けることができたのであろうが…。跡場の意義はこういうところにもあるものなのだろう。脇の人形陣も前述の床をよく体現し、勘十郎八汐の千松殺害など正視できないほどの非情さ、事が済んで畳に飛び散った血潮を懐紙で押さえるなど、前受けでない冷酷な奥女中ぶりは流石であった。  
 

『傾城反魂香』「土佐将監閑居」

 この一段の分析は「補完計画」で済ませてあるので、三業の成果のみ記すことにする。
 口を文字久清志郎、このコンビも定着した感がある。清太郎に不慮の事態あり、清志郎に掛かる期待は一段と大きい。文字久は元より住師の一番弟子である。ここのところ安心して身を任せられる床であり、今回も無難というよりも誠実に勤め果せた。これで稽古の跡が感じられぬようにこなれてくればしめたものだ。修理之介は若男かしらに留意したのだろうが、詞章の内容からしても責めが不足して力感に乏しかった。
 奥は伊達大夫に寛治師で、襲名披露時の名演がよみがえる。おとくの訴訟、将監の厳しさとりわけ「土佐の名字を惜しむにあらずや」の強さ、又平の無念、狂わんばかりの必死の訴え、誠実・真実心、「名は石塊に留まれ」の全身全霊、そして「直つた直つた」の歓声には感涙を催したのであった。マクラからの河内地と女房の言葉は絶妙な三味線に感服。佳品に仕上がった。
 人形は又平の文吾が細心かつ正確、石面を清めるところや舞の所作など隙がない。あとはそれが遣うという行為から解放される時、自然と感動も沸き起こってくるだろう。おとくの紋寿は控え気味に感じた。夫婦愛の描出がカギだろう。注進を玉女が遣ったが、これは若手への模範演技のようなもの。型のすばらしさ、安定感、もはやこのレベルの人形は卒業である。将監の玉也が映りよく、奥方亀次も無難、修理之介の清三郎は次に力弥へと進むだろう。
 

『道成寺入相花王』「日高川渡し場」

 三輪と津国で嵌り役、清友・弥三郎以下で安心、簑二郎は動きよく高低にも注意を払い、次次代の華になりうるか。公演後半は未見。ちなみに柝頭は床を聞かず人形に合わせるという近年の悪癖。公演(昭和40年代)記録映画会を見るべし。
 

第二部

『楠昔噺』

「碪拍子」
 分析は「聞所」を見られたし。咲・燕二郎、老夫婦の会話自然にして面白い。婆がいささか強く聞こえるのは、現代的解釈というところだろう。関西風の婆さんとも取れる。団子売、落武者ともにうまいうまい。前半の地やフシも心しているが、三ツユリの響き仮名をすべて語らぬなど、比較的あっさりした仕上がりであった。あそこでもう一段音曲的に応えれば絶品であった(まあ、織・勝太郎を聞いたから言えるようなものであるが)。

「徳太夫住家」
 端場、千歳は例の悪癖を脱し、四人の語り分けも納得、ただヲクリの「ひとーまー・へー」は納得がいかない。「ひとまへー・えー」と仮名を詰める方を支持したい。「へ」文字は次へヲクルのだというのはいただけない。「一間へこそは入りにけり」の「こそは」以下を次へ送るということである。清治の三味線は論無し。
 切場、富助でよく勤めたと思うのだが、何か物足りない。柝頭でヤアという満足感に欠けたのは、作品の難しさであろう。寄り添って語れば派手にという節付けでもない。となると、旨味や渋みで聞く者をうならせる必要があるわけで、かの摂津大掾が引退興行にこの語り物を選んだのも、そう考えると納得がいくというものである。したがって、今回もどこをどうしろとは言いにくいのだが、照葉の詞「この度の天王寺合戦」からの変化、爺婆「はや日も暮れた、看経しませう」「胸の曇りを晴らさう、ござれ」の底意、徳太夫「そちが夫宇都宮は」以下の手強さ、石塔の一件で文字通り「修羅の巷」であったか、等々をとりあえず掲げてみる。西風三段目が語れてこそ紋下受領格ということでもあろう。
 人形は、玉男文雀の両師が理想の老夫婦を見せ、しかも徳太夫は「おれも満更山賤の筋でもない」との詞章通り、手負いになってからの厳しさ、「修羅の巷」で石臼を回すところなど、凄絶さにゾッとさせられた。婆も珍しく小仙と固有名が付いているが、時代物の一本筋の通った婆であった。おとわの和生は正格だが、もう少しシンの強さが前に出てもよい、夫正成の武勇に関わるところなど。照葉の勘十郎は堂々として納得だが、前受けでなく個性を出そうとすると、この照葉などはなかなか難しい。大団七の妻として処理して遣えば楽ではあるが。公綱の玉輝はここのところ荒物や一癖ある敵役を遣うが、随分映るようになってきた。玉昇が早世し、玉幸・玉松と無念の病にある現在、大いに期待が掛かるところだ。正成の文司も安定した中堅としての地位を築き上げた感がある。幸助・勘緑はいい動きで中堅の立役志望者へ仲間入りも遠くはなかろう。
 

『艶容女舞衣』

「酒屋」
 端場を英が勤めるが、立派なものだった。大きい、ゆとりがある。かつて英の浄瑠璃は正格だが外に出ず枠内に籠もる感じがしたものだが、ここのところ何かが吹っ切れたような語りである。若大夫襲名がいよいよ現実味を帯びてきた。慶祝である。宗助もまたそれに相応しく、そろそろ相三味線を組ましてやりたいものである。
 切は今回綱大夫清二郎である。マクラがすばらしい。春の夕暮れ入相の鐘に花の散るという心象風景の描写、チン一撥にはらりと散る桜、絶妙であった。マクラ一枚で一段が決まる。老人三人は手の内だが、やはり宗岸が一番難しい。お園は難声でも聞こえるが、情なら情が染み入るようであればと思われた。手紙の読みからは十分で、三勝半七も応えた。
 人形は、文雀師のお園が内省的な美しさをよく描き、一つの形を見せてくれた。宗岸の文吾は幾分か飄とした力の抜けた軽みがほしい(これは床も同断)。女房の紋豊は十分、半兵衛の玉也は将監の方を買う。三勝清之助、半七玉女は、人物造形の根拠がこの詞章では難しく、精一杯のところだろう。事実目立ち過ぎはいけないので。丁稚(玉佳)は遣いすぎず、自然な阿呆を出せている。

「道行霜夜の千日」
 近松、いや「帯屋」でもよいが、心中の道行を付けるにはそれなりの意味がある。今回、一つには四半世紀ぶりということがあるのだろうが、この三勝半七は「酒屋」のシテでもワキでもない。「駆入らんにも関の戸に」とあるように、今日の狂言建てではあくまでもソトの人間、文字通り「門外漢」なのである。その二人がウチの人物(それは観客でもある)と接触点があるとすれば、それはお通に他ならない。確かに道行の冒頭には「川と寝た夜の可愛い子を、捨てて二人の行く果ての」とあり、三勝もそれを嘆くのだが、張る乳に託しての愚痴だけでは、それはもう切場の段切近くで十分芝居は済んでいるのである(実際、ここでの清之助玉女はよかった)。しかも、詞章にある二人の見事な最期を印象付けるためかと言えば、舞台の上では人形がのたうちまわっている。要するにこの道行は、第一部の「日高川」と同じ、第二部の追い出し景事としか考えようがない。なるほど、太夫は津駒呂勢咲甫以下贅沢なものであるし、三味線もシンが団七で団吾喜一朗と続いている。人形は清之助玉女であるし。それならばなおのこと、一度見ておけばよいものだ。これら三業の実力が、この場に押し込めてよいものではないということは実感させていただいたのであった。