人形浄瑠璃 平成廿二年四月公演(3日:初日・17日―序切から―所見)  

『妹背山婦女庭訓』(通し狂言)

 吉田簑助文化功労者顕彰記念としてあり、平常遷都千三百年記念とのタイアップもされていて、初日には師へ大神神社より杉玉の贈呈があった。なかなかよい趣向である。千秋楽には是非せんとくんに来場願って、舞台上で挨拶をしていただきたい。また、今回のプログラムはなかなか親切で充実しており、隅から隅まで目を通すと面白い。
 肝心の舞台だが、全体として気合い十分でそれぞれに味があり、劇場に出掛けて椅子に座れば幸せになれるという実感が再来した。実質9時間居続けて苦にならないというのは、文楽好きでもそうそうあることではない。
 これほどになるとやはり通し方にも注文を付けたくなる。『忠臣蔵』は春から冬、一方これは冬に始まり秋で終わるのだが、その季節感が前後するというのはいかにも残念なことこの上ない。自然と人事が一体として感じられる日本文化の粋が本作にも凝縮されているわけであるから。しかし、それを断ち切っても齟齬を感じた客はほとんど存在しなかったのだから、季節感のない現代翻訳小説が売れるのも納得がいくというものである。つまり、劇場側はよく現実をみているということだろう。

第一部

「小松原」
 二度目の下阪時、事故のため交通機関が乱れ、到着するとすでに序切が始まっていた。よって、初日の所見のみによる評であることを、ご諒解いただきたい。
 南都がシンでマクラの不即不離を体得しつつある。女に回るとどうしても作ってしまうのだが、こうやって当面男に徹して真っ直ぐ語りを修業していけば自然と女でも映るようになるだろう。もちろん久我之助も若男になろうとせず、節付けを正しくたどって高さなり足取りなりそして間を以て語れば久我之助たるのである。それが今回出来つつあった。
対する雛鳥は前半がつばさだが、まずまずというところか。深窓の令嬢ではあるが「武家育ち」と詞章にもはっきり書かれてあるところの描出、朝顔の深雪もそうだが一本シンが通っていなければならない。恋を積極的に仕掛けるのは女の方でもあるし。その恋を取り持つのは乳母なり腰元なりの仕事である。そのあたりも含め芳穂はなかなか巧みである。もちろん小菊が儲け役ということもあるが、きっちり性根が描けている。人の恋路を邪魔する役は玄蕃であるが、これを始が活写する。どちらかというと不器用で棒状の役作りがうまく嵌ったとも言えようが、それ以上に浄瑠璃がきっちりと出来ていて、作らずとも出来ているという長足の進歩。これは次に端場を一人で語る時が大いに楽しみとなった。采女の希はまだまだで、それ故に段切もいい詞章に節付けもよいのだが、南都とともにこれからの修業を思わせた。三味線の団吾はよく捌いていて、不安なく聞けるようにもなっている。

「蝦夷子館」
 端場を津国が勤めるのは納得もできるし柄にもあっている。トチったのも初日ゆえだろう。先代津の弟子として故師の語りを聞き修業もした経験は、自らの浄瑠璃に反映されているはずだし、実際聞いてみると、伸び盛りの若手など寄せ付けない味が確かにある。どうかそれを再確認し、立端場が勤められるようになってもらいたい。このままではいかにももったいない(貴もそうだった)。三味線は清馗、コンビとしては悪くない。初日はビンビン響く三味線拵えであった。人形だが、久我之助の石に二人が切り込むのは順序が逆。こういう細かいところはどうでもいいとも言えるが、現行の遣い方がより人間に近くリアルにという方向である以上は、触れざるをえないのである。
 切場は松香と宗助。今回は一にも二にもその三味線の出来に驚いた。この序切は、後半から段切までの展開が鮮やかで解放感もあるのだが、その分前半のめどの方の件が何の仕込みもなく突然始まることもあり、共感に至らぬままダレてしまうことも多いのである。それが、盆が回ってすぐの出から哀感が伴い絶妙、そのままクドキまできっちりと描出した。三業の成果としてはめどの方が蝦夷子(人形が今一つで太夫も少し弱かった)よりも上であった。成果ならば中納言の人形も勅使でありめどの方の父であるところを巧みに遣って見せた。入鹿の出からノリ間となって一層面白くなり、ここは文司の人形が威勢があって故師匠の跡目はもう継げるところまで来ていた。このように、序切としてなかなかに満足の行く結果を出したことで、通し狂言の成功が用意されたとしても過言ではないだろう。やはり、人形浄瑠璃が面白くないのは作や演出のためではなく、三業の力量によるものだとあらためて納得した。

「猿沢池」
 淡海に焦点が当たるのなら、和生の人形はいいし三輪と喜一朗も納得がいく。だが、天智帝の悲哀、盲目に采女出奔に加え入鹿叛逆とのいわば三重苦による悲嘆となるともう一歩(勘寿の人形は格があるが)と言わざるを得なかった。とはいえ、今回の建て方では入鹿簒奪の件を納得させればいいわけで、それならば十分及第であるのだ。

「太宰館」
 大判事は既に序切で出ているとはいえ、その性根は入鹿の前で隠されていたからここからが本物。対する定高はまさにここで性根を捉えなければならない。後半から入鹿の独壇場となるので、それに中心を合わせれば客受けも盛り上がりも期待出来るが、重要度は前半が上である。英と団七はこの不和なる中の両人、しかも「老木の柳」とある粘り強さを年功で描出する。この辺りは中堅の勢いだけではなし得ないところである。ただ、初日「イヤ黙り召され。女の差出る処でなし」が入鹿であったことと、中日過ぎて「采女殿の儀はかつて存ぜず」の後絶句したのは、些細なことを揚げ足取って書く必要はないと思うが、上手らしからぬと首を傾げたこともまた事実である。大笑いも手が来たし、満足といってよいだろう。ただこのご両人には、来るべき襲名披露興行での床にその真価を聞くつもりである。人形はまたしても文司の入鹿である。「落花微塵」で客席が反応したのは珍しいことだったし、段切の乗馬では手も来たのがすばらしい。それでも師匠なり故作十郎の域に迫るには、馬上での高さ。そんなもの物理的に腕が届かないのだからとはいえ、それを姿勢が沈まずに大きく遣えれば、最終的には大正期の文三の域(故玉昇なら辿り着けた)にまで達しようというものとなるのだ。通し狂言における入鹿の存在感、これによって悲劇が一層胸に迫る。文司の手柄はやはり抜きん出て賞讃するに値しよう。

「妹山背山」
 両床の個性がよく出て、それだけで飽きさせることがなかった。これで大落シが決まれば文句なしの一段であった。背山の方はまず文字久が健闘する、しかし細部は未だし。二の音もこれから開いてくるはず。富助の三味線は指導という点からもよく弾いていて、背山ならこの人である。住大夫師は別格で、大判事の表現も十分、錦糸の三味線も絶妙であるから、いわゆる三段目切の紋下格ここにありで、これまで妹山の担当が多かったとは思えないほど納得させられた。妹山は呂勢が冒頭のハルフシから全開で腰元もよく動く。そして「雛鳥の」からパッと変わるのが見事で、これはまた清治師の三味線がすばらしいからでもある。そして川を隔てて両床の「心ばかりが〜」が実に魅力的であったのは、ゾクゾクするほどの感覚が生まれたことからも確かである。「鵲の橋はないか〜」をうっとりと聞かせたことも大切で、そういう節付けを弾き生かし語り生かす力量が床になければならないのである。大判事と定高となってからは、父子の誠と母娘の愛が遺憾なく描かれて感動を呼び起こした。綱大夫師に清二郎が華やかさの底の悲哀を熟知しているからでもある。クライマックスは「悔やむも泣くも一時に呆れて詞もなかりしか」に訪れた。さて、一つ問題が残ったのはここから段切まで。雛流しといいクドキといい大落シに段切の旋律と、義太夫節として実に面白くなかなかの節付けが施されている部分である。初日はここで客席の緊張が解けてしまった。当公演もそうであったが、一概に公演前半は常連の慣れた客が多く、後半は初心者や一見客が多いことは、その手の叩き方に代表される客席の反応からも明らかである。その初日に前述の事態が起こったのでこれはと思ったのである。人間あまりに強烈な刺激を前にすると、感覚が麻痺して反応も出ないことはよく知られている。この「山」の場合も、当然の流れとはいえ、雛鳥の首を打ち落とし久我之助の切腹を確認した驚愕は客席にあっても相当のショックである。悲哀の感情はこの後から止めどなく流れ出てくるのであって、それはまた涙も同じである。そこに琴も加わって(寛太郎は公演後半がすばらしかった)の美しく切ない旋律が、その流れを導くように節付けされているのである。にもかかわらず、人形と小道具にばかり目が行って、大落シにも既に事は終わったかの空気(大落シでカタルシスを迎えるというのではなくわざわざここで大仰なという感じ)が感じられたのはなぜか。公演後半の方が、まだそのまま段切まで維持されていたのである。通し狂言として全段をしっかりとらえようとする姿勢の表れなのであろうか。とはいえ、ここから音曲性が高まって聞き所となることは、常連ならば心得ているはずである。義太夫節を楽しむ耳が衰えてしまったのであろうか。あるいは、初日においてここまでの情愛が不十分で、雛流しも今ひとつ乗り切れず、大落シで文字通り一大終焉を迎えることがなかったからか。初日から千秋楽まで、三業ともに文句のない出来で、感動がもたらされただけに、考えざるをえなかったのである。人形陣については、文雀師と簑助師の二大競演によって妹山での情愛が満ちあふれていたことに加え、背山においても武士の誠が、紋寿と玉女のわきまえた遣い方によって描出されたと言ってよいだろう。それにしても、今回は床の充実がそのまま手摺を引っ張った感があり、人形浄瑠璃の心棒はやはり太夫にあると実感することができたのであった。山城と綱という世紀の師弟競演を耳にして客席に臨んだのだが、決して落胆させるものではなかったのである。

第二部

「鹿殺し」
 靖と龍爾が一杯につとめてよい。鹿はバンビでなくホッとした。芝六と三作の人形も性根の片鱗が確かに感じられた。

「掛乞」
 相子は声量豊かで通るが、初日はいかにも棒だった。冒頭のマクラは貴から卑へそして世話に、芝六の詞も、お雉に大納言に局にとその対象が鮮やかに変化しなければならないのに。ところが、公演後半には見事仕上げていたのは修業が行き届いている証拠。この変化がてできてこそ五代目は襲名可能なのである。もっとも、地と詞との差の付け方、鼻濁音「ぐわ」等々課題はまだ残っているが。清丈はスジも悪くない。

「万歳」
 現行の詞章切り取りでは如何ともし難いのだが、この辺りのことについては以下を参照されたい。point0405.htm
 咲甫に清志郎は、芝六と淡海の密談からパッと時代に変わってからが秀逸で、ヲクリ前の「土に生ひても穢れなき」の染太夫風による格もきっちり描出していた。惜しいのは、前述の詞章カットがあるとはいえ、天皇のウレイを響かせるところ、実に美しくできたのだが(鑑賞教室「夕顔棚」でのウットリを思い出した)、あまりのことにウレイが流れてしまった。とはいえ、万歳を聞かせて終わりということがなかったところに、この両人の力量が中堅から先を伺わせるに足るものであると納得されたのである。(何としても前述の完全詞章によった綱・弥七の完璧な奏演を、皆さまにはお聞きいただきたいものである。ただ、パブリックドメインとなるのは難しいであろうから、「芝六忠義」等とともにCD化販売等の道があればなあと願うばかりであるのだが。)

「芝六忠義」
 地味な一段である。もちろん滋味も溢れる一段ではあるが、廃絶の危機にあった曲でもあり、今回のように詞章のカットも常道である上に(「万歳」も同断)、建て方が第二部冒頭となると、どこをどうしろと愚痴の一つも出る所である。そのカットであるが、三作のクドキまで変化に富んでテキパキと飽きさせずに進むという人がいるに違いない。しかしそれは、義太夫節浄瑠璃を知らぬ者の発言、あるいはストーリーが追えてヤマ場で泣き笑いができればよいと考えている人間の誤解に他ならないのである。前半が大切でしんどいとは、一定水準の太夫なら誰でも口にすることだが、この二段目切においてはそれが如実に現れ出る。まず、通常世話にくだける切場は三段目であるのだが、『妹背山』では「山」の段が武家館であるから二段目がその代わりとなっているように見える。しかしながら事は単純ではないので、ここは「藁屋の御殿に入りにけり」なのであり、仮の御所なのである。ところが、端場の「万歳」は肝心の天智帝の件をごっそりカットしているし、初段の蝦夷子館からの流れも分断されているので、観客の心に何ものも明確な形として残っていない。三作と杉松とのやり取りは確かにダレやすいが、ここで一定の情愛を描ききっておかないと、筋の展開に気が変わるばかりという弊に陥る。何と難しいではないか。ここは故綱弥七の完全型が録音として残っているので、引き受けるにはその流れの線上にある太夫でなければならない。今回切場語りの咲大夫と燕三が勤めるのは至極当然であるが、それはまた前述の困難をそのまま引き取るということでもあるのだ。そして、それは綱弥七を聞き込んだ耳からも立派なものであった。とりわけ感心したのは、段切の「采女これにと走り寄りンニ〜」の情味と、「汗か涙の露に濡れ〜」の哀切が、カワリの巧さからそのまま描出されたことで、これでこそ太陽神の回復という大歯車と七つ子の犠牲という小歯車とが刻んだ十三鐘の古跡が、物語として伝説化されることになったのである。とはいえ、次回はやはり建て方と詞章を十全なものとして、再びこの床で聞けることを切望するものである。
 人形陣、玄上太郎の清十郎が忠臣無比の誠を性根とする検非違使首をよく遣った。猟師芝六泥酔の戯れが映るには今少し年功が必要か。お雉の簑二郎はむしろ控えめだが、それが夫とうまく調和して、悲哀も描出できた。三作はよく行き届いている。その他脇役陣も正格な遣い方。淡海の和生は鋭さが見えて上出来、求馬よりこちらがよかったのは評価に値しよう。そして天智帝の勘寿は存在感を見せて二段目全体を引き締めていた。最後に、簑助師の藤原鎌足である。プログラムのインタビューにもあったが、今回座頭ならでは叶わぬ当役を遣われた。孔明首として遙か高みから物語全体を司る、その格が出せなければ二段目はもちろん、王朝時代物としての本作が瓦解してしまう恐ろしい役回りである。天照大神と天智帝とを対面させ、そのまま氏寺への臨幸を指揮するのである。それを持てるのは座頭以外には存在しない。これは自明である。その自明が自然に納得されたことは、まさに簑助師が座頭であることの証左でもあったのである。

「杉酒屋」
 突然のヲクリから四段目が始まる。しかも初秋の(とはいえ新暦では8月中下旬)物憂い夕暮れが感じられなければならない。せめて「井戸替」が出ればだが、それはもう無理だろう。この間の事情は前公演以前の劇評を参照願いたい。
 今回は千歳と宗助が勤める。ここも綱弥七の絶品に晩年の越路大夫のもの、相生重造もなかなかに味わいあって、技よりも何よりも義太夫節を熟知した者が余裕を持って一つの世界に包み込むという一段である。だから、作ってはいけない。冒頭と最後にチャリが用意されているのも、肩肘張ってはいけないとの謂いでもあるのだ。ということで、このコンビにはなかなか大変なのだが、そこは割り切って中堅から一段の高みへ上ろうとする力量で聞かせてみせた。四段目の風はわかっているし、冒頭と最後も面白く、主眼たるお三輪と求馬との絡みも工夫あって、公演後半一層自然体になったのは満足である。ちなみに、「太宰館」とここと床を入れ替えてもよかったのではとも思われた。

「道行恋苧環」
 景事や道行はそれなりの語り方なり弾き方があるのだが、それもまた作ってはいけない。この道行もはんなりと語ろうと作ってしまうと、初日の咲甫や芳穂のようになってしまう。高低と足取りを掴んでしまえば、橘姫にもなるし求馬にもなるのだ。公演後半それを早くも我が物とした両人はやはりただ者ではない。若手から中堅へと歩を進めるだけのことはある。もちろん両師匠がすぐれているからに他ならないのであろうが、公演中に腕を上げるというのが今後へと期待もつながるというものである。呂勢は只一人初日から道行になっていた。流石である。三味線は清介をシンに聞かせるが、公演時間の関係からこのところどの道行も早足になっていて、何とも惜しい気がする。二上り本調子三下りと鮮やかに面白かっただけに、その感を強くした。

「鱶七上使」
 段書きの通り、ここは鱶七と入鹿との応酬が眼目だが、故伊達大夫で聞き慣れているだけに、津駒では物足りないのは仕方のないところ。しかし、三味線は同じ寛治師を得て、入鹿への理屈がよく通って胸に応えたから、これは賞讃を贈って当然だろう。それに比してすばらしかったのが、始めと終わりに据えられた官女の件。冒頭はなるほど四段目で、その節付けが聞こえてきたのは手柄である。音が上がってからはより一層映って、一段全体を通して楽しませてもらったことは、望外の喜びであった。これだから劇場の椅子には座ってみなければならないのである。

「姫戻り」
 道行からの段取りといい、ヲクリからマクラの詞章といい節付けといい、ここからが四段目の切場である。ここでの橘姫と次でのお三輪とが見事に対比されるよう、工夫がなされている。したがってここは切場の導入ではなく、並列として捉えなければならない一段なのである。であるから、勤める床も並大抵でいくはずがない。見込みのある若手がその任に当たることが多いのだが、人形陣は格上であるし、どうにもならないことも間々ある。今回はまさにその実例に遭遇することとなった。しかし、初日でもあるし睦を非難するのは可愛そうな気もするのだが、マクラと官女と橘姫もしっくり来ないのでは致し方ない。掛合の優等生でもさすがに厳しかったかとの思いを強くするとともに、この段の位置付けが予想通りのものであることを再認識した。そして公演後半につばさを聞いたのだが驚いた。マクラをまずまず乗り切ると、官女が動き淡海が映ると感じられ、橘姫の「二つの道に絡まれしこの身はいかなる報ひぞ」が美しく出来たのは、よくやったと快哉を叫んだほどである。もちろん、満足とは行かないが、よく稽古してこの一段を自分のものとしたのは手柄である。三味線の清志郎は前後半通じてこの段すでに及第である。なお、義太夫節における二の音の重要さをこの一段でも痛感した。美声家が勤めるにせよ、二の音が開くということの意味が、今回の若手に聞き取ったというところである。

「金殿」
 お三輪は町娘である。そしてその町も所詮三輪の田舎町である。叢の鶉と詞章にもある通り、その出から性根は明らかである。それを嶋大夫が見事に描き出す。直ちに豆腐の御用、これもお手の物。そして官女、これがまた嫌味が利いて地下の女への見下しも格別(ここは「鱶七上使」終盤での官女の描写がここまでよく届いているからでもあり、寛治師の指導に応えた津駒を褒めておく)。そりの結果お三輪の心痛はそのまま客席に共有され、「調子も秋の哀れなる」との季節感までもが伝わってきた。そして、疑着の相ある女は眼前そのままで、鱶七の刃に貫かれてからの哀傷は、三業と客席とともに劇場一杯に充ち満ちて、涙を保たない者はないという状況が現出したのであった。これでもう一段としては文句ないのだが、段切の苧環塚横笛堂の縁起までもが公演後半には立派に響き、嶋大夫はとんでもない高みに達したのであった。これで追い出されることの幸せを、帰りの電車にてしみじみと実感した。三味線の清友は、初日の前半部分においては太夫に付いていくの感があったが、公演後半には見事な女房役に収まっていた。
 人形について。義太夫節と見事に調和していたためであろう、その自然な存在感は手元の床本にコメントを書き込むことも許さなかった。したがって、正直なところ評するという行為がこれほど難しい公演はないという状態になってしまった。しかし、これはまたこの上ない幸福なのだろうと思う。東海道は鈴鹿峠阪の下の筆捨山ではないが、もう黙って見ていればいいということなのであるから。お三輪の勘十郎は師匠の技を盗みつつ、例えば道行の苧環が切れたところなど、どこでどのようにしてこうなったのかが明らかになる遣い方は実によく研究してあった。もちろん木を見て森を見ざる過ちなどとは無縁の、見上げた姿勢である。求馬は二段目で述べたように淡海の方が数段よく映る。これで求馬も見せられたら、故玉男の芸域となる。鱶七の玉也は初日しっくりこなかったが、公演後半には見応えあるものとなった。ただし、極まり型などはまだまだ上手く見せられるはずで、次回に期待したい。入鹿はここも文司が文句なし。橘姫は齟齬もなかったが、「月の笑顔をピンと拗ね」あたりが出来るようになれば一段の高みに至るところだろう。官女はなかなか存在感があり、遣っている本人もしてやったりの感はあったろうと思う。が、プログラム簑助師インタビュー記事中の文五郎師匠の教えを送ることにする。「人形遣いは、人形と同じ表情をしていては駄目だ、人形と同じように動いても見苦しい。人形と人形遣いの間には、厚い鉄の壁がある」。まだまだ修業、修行なのである。