人形浄瑠璃文楽 平成廿三年十一月公演 (初日・12日所見)

第一部

『鬼一法眼三略巻』
「鞍馬山」
 要するに、牛若丸が鞍馬山で天狗相手に剣術の稽古に励んでいたということ。それに、大天狗僧正坊の存在を「菊畑」のために仕組んでおくこと。これならば、津国も睦も職責を果たしたと言えるが、詞章を見るとそうもいかない。僧正坊が最後に「西海四海の合戦には、汝の影身に付添ひて、弓矢の力を添へるべし」と語るのは、「菊畑」の最後に、鬼一が「西海四海の合戦といふとも、影身を離れず弓矢の力を添へ守るべし」とあるのと、ピタリ呼応している。しかし、そのことに気付いた者は誰一人としていなかったであろう。それは「菊畑」側の責任ではない。ここでの仕込みが不出来だったことに由来する。僧正坊のコトバはすべて一本調子で強く語られており、牛若丸の詞にも悔み嘆きが感じられなかったのである。平家への復仇、その重みがなければ、個として剣の道を究めることを目指す師弟関係としてしか映らず、強くなりたいという牛若丸の切実な気持ちが正しく伝わらないことにもなる。子天狗も出てくるし動きもあるし巌上の大天狗という視覚的効果も抜群であるだけに、それに終始すればいいのなら開幕一番興味を惹き付けて結構と書いておくが、それではいけないはずだ。つまり、「鞍馬山」がわざわざ置いてあるというのは、この狂言全体の骨格を提示しておくという重要な意味を持つのである。津国がシンとして相生紋の肩衣を付けている以上は、そこまで詞章を読み込んでもらいたかった。三味線は清志郎が休演で物足りないが、清馗の代役は音の余韻や厚みはまだまだとはいえ、マクラ一枚の間などなかなかよく、清治門下の質の高さを聞かせた。

「書写山」
 教員免許法が改正され、ペーパードライバーにはその更新が面倒なこともあり、従来のように、大学では教員免許をついでに取っておくものという風潮にもややかげりが見えるようだ。とはいえ、依然として教員免許取得のための単位取得をする学生は多く、その担当教員にとっては、須く発行すべき免許状の形式的講義として位置づけられる現実を、毎年複雑な心境でとらえ続けることになる。専門的な教科教育法はまだしも、大講義室で青年心理学を講義などとなると、いっそ楽勝講座の方が学生のためにもなろうかと苦笑してしまうのだ。その、大多数の学生が学んだはずである青年心理、それはまた高等学校の倫理でも既習事項ではある。いや、そんな遠回りな言い方をせずとも、学習している当の本人の心理が青年心理なのだから、すべては自覚し納得していることであると言えそうなものだが、そうもいかないのである。第一に、自分という具体的個別事象から青年として一般化されたものには共感できないということがある。第二に、一般化するのは大人の側であるから、その時点で青年の心理からは懸隔したものだということもある。二十年以前、「エヴァを見たことがない人に倫理など教えて欲しくない!」と抗議され、AV室でひたすらビデオを見続けていた教師がいたが、今ならさしずめ、「まどマギも知らないのに人生を語りかけてくるなんてバカ?」と嘲笑されるというところだろう。さて、青年心理を特徴付ける重要事項といえば、反社会的行動である。その際、大人が「反抗期」と叫んでも青年は納得しない。自己を客観化できないからだと言えば簡単だが、大人でそれができている者も数少ないのだから言い方を変えなければならない。端的に言えば、何に対して反抗しているか明確でないのだ。反社会的ならば対象は社会となるが、社会の中に生きているのが人間である以上は、その反抗する社会自体が何を意味するかを知らなければ、タコが自分の足を喰う状態に陥ってしまう。まさか、盗んだバイクで走り出すのは、自転車しか買う金がなかったからではあるまいし、夜に校舎の窓ガラスを壊してまわったのは、草野球のボールで割れた音と視覚の効果を再体験したいわけでもない。それは、大人たちが作った既成の枠組み―真っ赤になった流動性の高い熱くほとばしる鉄を、その中へ無理矢理流し込んで冷やし固めてしまうもの―を破壊することの象徴的表現なのである。青年期の溜まりに貯まったエネルギーを、大人たちはガス抜きという形か矯めるという形(昇華という巧みな言葉を持ち出すかもしれない)でしか扱うことができない。様々な形(その形は未成で大人たちには形として見えない)になろうとしているものを、既成の最も価値があるとみなす型へと押し込めるのが教育だと言わんばかりに。青年にとっての進路選択とは、自由な喜びに満ちた行為ではなく、自らの可能性を一つずつ放棄していく苦渋に満ちた悲しい作業なのである。それを拒否するなら、まさにその型枠に抗うしか方法はない。しかし、自然に固体化されて新しい型枠が完成する見込みがあるわけでもなく、その型枠が認知され価値あるものとされるのでもなければ、そんな危ない反・型枠などを生成させるわけにはいかないのである。そう、あなたのために。あなたが不幸にならないために。あなたが否応なしに取り込まれる社会の先輩として、あなたが社会へスムーズに組み込まれるようにしてあげよう。そんな親切な大人から顔を背けるとは、「反抗期」「反社会的行為」以外の何ものでもない。いや、そう言われても青年は、膨大なエネルギーの噴出口にわざわざ顔を突っ込んでくる大人たちが悪いのだと思うだろう。
 今回、勘十郎の遣う鬼若丸が顔を常に下手へ背けるのを見ていると、そのようなことを考えた。鬼若カシラは大団七の若い頃という位置付けであり、腕白だが気はまっすぐという印象をもたせる。したがって、成人して弁慶(大団七)となる鬼若丸は、まさにその名称の起こりとなるにふさわしいカシラである。その分、文七―源太と比べると精神的深みやそれによる懊悩も欠如していることになる。ところが、今回の鬼若に見た顔を背けるという遣い方は、心に思うところが屈折したものとして浮かび上がり、その現象から本質を探りたいという気を起こさせたのである。ただし、ひとつ間違えば浅薄でふてくされた醜いものという印象を与えてしまうのは、そのカシラの位置付けからも確実であるから、言うことをきかぬ暴れ者のがさつな動作として処理する方が無難であるし、前受けも保証されている。それをしなかったのは、丸本を読んで鬼若丸の性根をしっかりと把握していたからである。
 明治・大正期には上演されていた序切、浄瑠璃五段構成において悲劇の発端となる「深草里」はこうなっている。平清盛の昵近広盛は源氏方弁真の妻に横恋慕し、懐胎中の身に襲いかかって惨殺する。乳母の父文藤治はその傷口から出生した男子を甥の鬼三太に託すが深手を負い、その場へ出向いてきた清盛によって血祭りとされる。これは今回の二段目で乳母が語って聞かせるところであり、上演せずとも問題ない(丸本で読み込まなくともかまわない)と受け取られるであろうが、それは違う。観客にするとあくまでも間接的情報であり、いくら乳母が全身全霊で語ったとしても(その点は究極的には太夫の力量にも左右されるものであり、今回の千歳はよく語ってはいたが、例えば故伊達や津などの表現と比べると、その弱さを指摘されても致し方のないところである)、その場のおぞましい状況を脳裏に描くことはやはり困難である。もともと、この物語の手法は、「熊谷陣屋」等を持ち出すまでもなく、あらかじめ見聞きさせておいた場面を再現し、観客に既視感を与えながら脳裏に情景を浮かび上がらせ、かつそれを再構築することにより、新たに付加された意味と解釈をとらえさせるものである。みどり上演のための便利なあらすじ機能であるはずがない。また、序切という点からは、清盛の登場により敵方の中心的存在に焦点を当て、その巨悪を如実に描き出すことにより、主人公側の危機を際立たせ、今後訪れるであろう悲劇の深刻性、すなわちドラマの深奥さを感じさせるという働きを示すことになる。比較的上演頻度が高いなじみのある演目でいえば、『妹背山』の序切「蝦夷館」における蘇我入鹿を思い浮かべれば明瞭であろう。とはいえ、時間的制約からカットすることも興行上はやむを得ない。ならば、それゆえにこそ、丸本を読み込んでおかなければ、半分とはいえ通し狂言の形で上演する意味も充実感も失われることになるのだ。そして、誤った解釈をも生み出してしまうことにもなりかねない。この点に関して、少し検討してみることにする。
 鬼若丸は身体と精神のバランスが取れていない。それゆえに乱暴狼藉をはかる。そこには、母の胎内に七年の長きにわたってとどまったことがそもそもの原因としてある。ここまでは誰しもが納得する(狂言綺語としての超現実性は措くとして)。問題は、そのアンバランスを、七年の間に成長した身体と赤子としての精神との差から始まったことに求める解釈である。確かに乳母の言葉にはそのように考えていた節が見られる。しかしながら、鬼若の学才はその七年の差によって、いやそれを遙かに超えてすぐれていたのであり、それはアンバランスというよりも秀でたるものとすべきである。加えて、その乱暴狼藉をアンバランスのためとすることに関しても、それは精神年齢が身体成長に追いつかないことを理由にすべきではない。むしろこの点において、序切をしっかりと読み込まねばならないのである。鬼若丸は七年間母の胎内にいたために、父の無念の死と母の無惨な最期を感知することになった。とりわけ後者は、すでに産み月に達して七年も経過した妊婦の殺害であるゆえに、生身の人間ではない人形を遣っての所作とはいえ、その酷たらしさは見る者聞く者を震撼させる。それはとりもなおさず、平氏にあらざれば人にあらずとする世に便乗した、虎の威を借る平広盛によってもたらされたもの。しかも、段切には清盛が瀕死の文藤治を見せしめとして首を引き抜き投げ捨てるという、極悪非道の傍若無人ぶりを見せつける。こうなれば、平家憎しはすべての者が共有する感情となり、源氏の再起と復仇が、最終的結果としてはすでに知っているにせよ、目の前に現実のものとなることを強く願うことになる。そういう場においてようやく誕生した鬼若丸は、まるでその憎しみを意識の底に通奏低音として響かせるために七年間胎内にいた、と解釈する方が適切と考えられるのである。詞章に「理なるかな成人して、西塔の武蔵坊弁慶と、世に名も高き此の赤子」とあるからには、やはりこの鬼若丸こそ平家滅亡の鍵となる「選ばれし子」であることが、自他共に強く意識されるに違いない。つまり、この世になすべきことがその出生の段階において決められており、そのための超人的能力も備わっているのが、鬼若丸なのである。その子どもという身体にとてつもなく大きな精神が組み込まれている、それこそがアンバランスの正体なのである。しかも、その出力先は観客には知らされていても、当の本人には心身の底から沸々とわき出てくる正体不明の抑えがたい膨大なエネルギーという漠然としたものとしかわからない。加うるに、目の前の現実としては出家という、エネルギーを解放させない方向性が示されているのである。この状態で心身の平衡を保つなど、よほどできた大人でも困難であるのに、ましてや鬼若丸は青年期の真っ直中にいるのである。性慶阿闍梨はそれと知って広千代を迎え入れ、現実によって鬼若丸を矯めようとする。乳母もまた出家による学問を勧め、エネルギーの現出を妨げるものである。それらはもちろん、この平家全盛の世に源氏に縁のある者が生きてゆくための方便である。軍国社会、学歴社会、そしてスポーツ芸能社会と、その内実は変化しても、その中で無事過ごそうとすれば、エネルギーをそれに合致した形でコントロールしなければならない。平家全盛の世なればこそ発生したエネルギーは、しかしその全盛なる平家によって消滅させられる危機にある。まして鬼若丸は「選ばれし子」である。ここでダメにしてしまっては源氏の再興自体がダメになる。すべてを見通した大人たちの鬼若丸への教訓は、それゆえにこそ青年自身に反発を起こさせる。勘十郎による顔を背けた鬼若丸という造形は、まさに青年期の苦悩というものの表現だったのである。
 この「選ばれし子」の苦悩は、ハリーポッターにしろあるいはアムロ・レイにしろ、根は同じものである。そしてさらに、この青年たちには真なる覚醒の時が訪れなければならない。これまで潜在化していた選ばれたことの意味を、現在化する瞬間である。一般的には子どもから大人への節目と呼んでもいいだろう。いわゆる、自立の時である。けれども、彼らの場合は一個人や家族の問題に留まらず、彼らをそのようにあらしめた世界存在そのものの問題であるから、そこには大いなる犠牲が必要とされる。すなわち、自らを育んでくれた者との永遠の別れである。保護者・庇護者がなければ、青年になる前に彼らは命を落としてしまう。しかしながら、永遠の少年であり続けると、新しい世界は現出せぬまま腐ってしまうのだ。鬼若丸の場合、乳母の落命はあまりにもあっけないものであったが、それだけにあらかじめ予定されていたものともいえる。観客がその死とそれを嘆く鬼若丸を前にして悲哀の情を抱くのは確かだが、反面やりきれなさや矛盾を感じることはない。たとえば、「寺子屋」の小太郎や「盛綱陣屋」の小四郎に対して、それこそ封建道徳の権化たる死の押し付けのように感じる(この点については別途丁寧に検討する必要がある)のとは、まったく対照的なものである。なぜならば、乳母の役目は終わったのであるから。卵中の養分がすべて成長の資となった時、雛は殻を破って外の世界へ出てくる。卒啄同時の機縁がまさにこの瞬間だったのである。しかも、その終わりを示すだけでなく、その必要性=教育者としての使命が果たされたことを知らされるからでもある。無償の愛によって抱き留めることによりその存在を全肯定すること、主であろうと是々非々たる絶対的価値観により戒めること。「弁慶が忠心と誉れを残すもこの乳母が育て方とぞ知られける」との詞章は、未来の世界が現実化することを保証しているのである。もし乳母が存在し続ければ、鬼若丸は現状世界で認知された形での出家をするより仕方ないのであった。しかし、乳母の死によってもたらされた鏡井戸での自剃髪は、「形を変ゆるは乳母への手向け、心を変へぬは親の為」という、導師の剃刀も受けないものであり、阿闍梨の言う「法の道にも武の道にも叶ふは忠孝初発心」も、燃えたぎる炎を吹き消すニルバーナ=涅槃に至る発心とは、まったく懸け離れたものであった。これこそが、現在の暗黒世界(「兵法」マクラの詞章に「悪逆無道まさに一天暗鬱なり」とある)を未来の光明世界へと転じる一大契機となった出家なのである。その大いなる懸隔を示すために、剃髪して弁慶と名乗る前の鬼若丸には立ち回りが用意されている。現実と戦う姿を現前に見せるのであり、その常識を越えた超人的な力が床と手摺で表現されることになるのだが、それに加えて、人形芝居独特の破天荒な面白さがもたらされることにもなるわけである。
 さて、床も手摺も、こんな理屈を人形浄瑠璃に仕立てて披露するわけではない。しかし、実際の語りと遣い方は、時代物という姿を借りて、その時空を超えた本質を「いま・ここ」に現象しているように見えまた聞こえたのである。端場の相子と喜一朗は、三味線はこの程度の端場は弾き慣れているとはいえ、太夫が真っ直ぐに端場語りと呼ばれる手前にまで至っていたことに喜びを覚えた。ただ、人形が深いところまで解釈しての遣い方であった分、鬼若丸が単調かつ平板気味に聞こえたのは、もう一歩踏み込みが足らなかったと言わざるをえない。岩千代を嫌悪し盃を大酒に乱すのは、彼奴がまさしく現世の価値観継承を具現化した存在だからであり、それをそのまま拳骨にすることは周囲が許さないから、兄弟子嘲笑という世間的価値観を持ち出したわけである。なお、ヲクリの「みなみー、なー」はやはり「みなみなー、アー」であるべきだろう。最後の一字を送って意味不分明になるのは、どう考えても本末転倒である。産み字より後の詞章は次へ送る、これしかあるまい。奥は千歳と富助で、半通しの二段目切場という大層重い役場である。次の切語りには誰が昇進するかと考えると、決して抜擢ではない当然の役割であるが、そう思ってしまうのは、ここのところの停滞感・頭打ち状態のためである。マクラの音遣いからいつも感心させられるが、先へ行くほどに乱れて汚く聞こえてくるのは、前半の内への巻き込みと後半の外への解き放ちという、義太夫節浄瑠璃一段の構造から来るものではなく、力量不足による破綻ととらえざるを得なかった。今回も、初日から段切の痛んだ声には平原期の常態化かと落胆したのであるが、公演後半には持ち直していたので、驚くとともに安堵もしたのである。この二段目切場、弁慶誕生話として筋を追うだけになると、単なる仕込みの一段としてあらすじにでも書いておけば、わざわざ上演せずとも十分ということになる(東京十二月「善知鳥文治住家」などもその危険は多分にある)。ところが、鬼若丸の描出が勘十郎の人形と相まってしっかり構築され、乳母もニンではないところを、ちゃんと鬼若丸に収斂させて表現したのは、この一段の結構ができていた証拠である。豪放磊落の弁慶は双葉より芳しかったということを、大団七を鬼若でただ表現したのではない勘十郎。千歳もまた、鋭く切り込む富助の三味線を得て、光強きがゆえに影も濃い青年の、深く鋭い谷間をかっちりと硬質に語って見せた。久しぶりに、彼が越路の弟子中白眉であり、古靱(山城ではなく)の孫弟子に当たるということを再認識できたのは、斯界の未来にとって幸いである。

「兵法」
 呂大夫で聞いて堪能したのは、もう随分と前のこと。しかし、その記憶が耳に残っているというのは、喜びというよりも悲しみの色の方が勝る。それ以後掛合が続いているということもあるのだろう。今回、清友の三味線を束ねとして、清盛の松香は相応、皆鶴の文字久は姫の感じは出たものの凛とした強さには至らず。湛海の南都は与勘平カシラをしっかり踏まえているが、清盛に回答するうち皆鶴への恋慕にコトバが向かうところなど工夫が欲しかった。広盛の文字栄はそれでも笑いが来た。

「菊畑」
 「書写山」で述べたことが、ここでは洗練された明確な形で現出する。それは、「選ばれし子」が御曹司だからである。牛若丸は世を忍ぶ姿とはいえ、平家打倒というエネルギーの放出口は定まっているし、その準備もあとは虎の巻を入手するばかりである。しかも、「兵法」において明日までの期限が設定され、清盛の手に渡すはずがない以上、この場で決着することが予想されるから、あとは劇進行がどのようになるかを見届ければよいのである。段切でそれが実現し、乳母とは異なり鬼一が落命することも、当然のこととして受け止められる。牛若丸が「跡を見捨てて出で給へば」とあるのも、非情ではなく明日への旅立ちとしてそうなければならないものなのである(ここで人形が鬼一には目もくれず皆鶴ばかりを見て手を引くという遣い方を見せたのは、よく作品ならびに詞章を読み込んでいたものとして顕彰に値する)。したがって、この一段においては、「選ばれし子」の苦悩よりも、教育者(しかも表向きは平家方である)として最後の一日をいかにするかという鬼一が中心となるのであり、そこに真意を探ろうとする(ということは最終的に鬼一の真意が明らかになるということでもある)鬼三太が加わる形となる。もちろん、形式的な主人公である牛若丸と、奥義伝授への媒介となる皆鶴が絡むのはもとよりである。こうしてみると、冒頭の三下り唄は単に菊畑への打ち水を呼び出すものではなく(もちろん元は庶民の労働歌であり男女の恋情がそこに含めてある。この例は万葉の昔から存在する―多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき―等)、最後まで守秘しなければならぬ鬼一の心象風景を描いたものともなり、三下りの音調と併せて秘めた深みを感じさせるものとなる。それに続く鬼三太の出で、鬼一が四君子の一たる菊を愛する老人ということ、病身であることが伝えられる。そして、鬼一自身の登場となり、「この花開いて後、更に花なしと思へば、取り分け色香の身にぞしむ」の詞で、最後の一日への覚悟が底に湛えられていることを知るのである(詞の最後が「齢を延ばえん」とあるのは、菊の縁でもあるし本心を明かさぬからでもあるし矛盾しない)。もちろんその覚悟は塵も無き清冽なものであって、悲哀や憂愁とは無縁である。
 この一段は八世綱大夫が廃曲の危機から救ったもので、現綱大夫そして咲大夫と継承されてきたいわば綱大夫家の芸というべきもの。伝承の偉大さ正統さは、丸本奥書にある師若針弟子如糸をまさに体現したものである。「芝六忠義」なども同様である。八世綱大夫は神様だったと当時を知る老人は語るが、残されている音源からもそれは確かで、神太夫正統記なら古靱(山城ではない)―綱という系譜が間違いないところである。それは、三味線が清六の三・四世であり仙糸―弥七であったということも大きい。その浄瑠璃は文字通り浄らかな瑠璃のごとくであり、卑しさがいささかもなく(表現されたものとしての陀羅助や八汐などはまさに卑しいが)、義太夫節浄瑠璃の本質をまっすぐ映し出すものであった。そして何よりも、「風」という神髄を理解し体現できたことが、櫓下・紋下に相応しい太夫なのであった。この「菊畑」は西風の典型的な浄瑠璃であって(清潔な厳しさを尖って角を立てて語るのはひょっとすると後に染大夫風が加えられたのかもしれない)、その意味からも、八世綱大夫以外には伝承出来なかったものであろう。太夫が浄瑠璃を語るのではなく、浄瑠璃が太夫をして語らしめる。これを体現できたのも、古靱であり綱であった。そして現在、咲大夫がその域に達しようとしていることは、プログラムのインタビュー記事からも明らかである。八世綱大夫の子息でもある咲大夫は、断絶の危機から救わねばならない使命を有している。それはもちろん「風」であり、とりもなおさず紋下・櫓下制度なのである。切語りとなり銀襖の前で敢えて語っているのは、その使命を果たそうとする意思の表れであると信じたい。
 実際の奏演としては、何と言ってもその綱・弥七のものが残されていて、それを聴いてしまっている以上、よく衣鉢を受け継いでいるという評言を使うよりほかはない。が、それこそ本筋本道を行くことの証言ともなるであろう。咲大夫は次代いや当代の柱となったと見ていいし、あとは襲名と就任を待つばかりである。燕三はよくここまで相三味線として支えている。師の系譜は友治郎であるが、団平に繋がるものでも咲大夫ならば、綱―古靱―清六―大隅と遡ることが可能であるはずだから、是非とも自らのものとしてもらいたいものだ。それが、来るべき襲名と就任の隣に座る三味線としての責務である。

「五条橋」
 山城・藤蔵/綱・弥七ほかによる究極の奏演が残されている。もちろん景事ではあるのだが、鷹揚とした貫禄はもちろん気韻とか風格が感じられ、しかも耳目(人形の動きが自然と浮かび上がる)を喜ばしむる奏演であり、幸福感に包まれるとはまさに音楽そのものとも言える。今回は通し狂言を締め括る一段としての位置付けであり、当然人形入りであるが、これがまた素晴らしい出来で、国立劇場開場時の上演以来最高のものであった。清治師の景事は、従来から迫力といい引き締まり方といいただならぬものがある。今回の奏演にはその上に幅と大きさが加わり、かつ足取りにも悠揚さが感じられ、前述の位置付けにふさわしいものとなった。シンの呂勢はその三味線をよく踏まえて玲瓏たる語りを聞かせ、若男カシラの貴公子牛若丸にピタリであった。ワキの咲甫もこれは鬼若カシラの若々しい力感にユーモラスな弁慶として聞こえたし、宗助も相応の出来であった。ただ全体として、偉大なる名人たちの鷹揚とした貫禄や気韻とか風格に及ばないのは、仕方のないところである。がむしろ、今回は人形の遣い方から見てもそれでよかったのではないか。追い出しの景事として、これほど楽しくも面白くニコニコと満足して劇場を後にすることができるという体験は、そうあるものではない。六月の鑑賞教室での「五条橋」を経験していた客が、まるで違うものを見聞きしているようだったと感想を漏らしていたのが、今回の出来を如実に表現していたといえよう。

 人形陣を総括する。勘十郎は次代と言わす現時点で座頭であるとしてよい。長々と叙述したことの他に、立ち回りや型の極まり、加えて感情表現とそれに直結するカシラの遣い方等々、まったくもって言うことなし。続いて、牛若丸の和生がまたよい。御曹司としての品位を踏まえたふるまいが基礎にあり、ここに動きの軽快さがかつてなく加わって、さらには鬼三太や皆鶴そして弁慶との息がピッタリであった。中でも、「五条橋」での弁慶との所作は「主従三世の縁の綱、約束長き五条の橋」とある詞章が文字通り体現されていた。カレンダー用にどこから静止画を切り取っても、まさに絵になる舞台であった。これほど溌溂として存在感のある人形を見たことは、これまでまとまった優等生との印象を持ち続けていただけに、予想以上のものがあった。鬼三太の玉也は、奴として家来としてそして弟としてそれそれの場面で隙なく十全にふるまい、しかも「小分別もある奴」と鬼一が言うとおりの機敏な働きも見せ、第一等の遣い方であった。これに比すと、二段目での鬼次郎(文司)および京(勘弥)は地味な存在であるが、源氏再興のカギとなる鬼若丸を支える脇役として、誠実に真っ当にその性根通りに遣ったのは賞賛に値する。そこに絡む乳母飛鳥、これはむしろ中心的な役割を果たす重要な役どころで、ベテラン勘寿に抜かりはなかったが、より感情を露わにし、愚直に鬼若丸大事との姿勢が前面に出れば、その死への観客の思い入れ=鬼若丸への心情同期がより強くなったはずである。ただし、今回は床の問題でもある。その他、取り立てて評することもないが、団平(幸助)が鬼若丸に投げられて死ぬところの段取りが抜群で鮮やかだったと褒めておきたい。残るのは立役鬼一の玉女である。故師の継承者の道を行くことに腹を決めたことにより、その括った覚悟がようやく前公演の光秀から見え始めた。それまでは、動かない肚と意味不明な動き(単に故師のを真似たためその遣い方の依拠する解釈を自分のものとしていなかった)とが齟齬を来す事態に陥ることも間々あったのだが、本公演もそれはなく、好ましい方向へ進歩していた。ただ、現在は床の力量の反映として自らの力量が映し出されるというところが、他の人形遣いに増してあり(床がどうあろうと関係ないのは下等、床と響き合うのが上等)、今後とも丸本詞章をよく読み込んで、性根をつかんだ人物造形を追求し続けてもらいたい。そうすれば、玉女の人形に触発されて、評言が汲めども尽きず溢れ出てくるという、現在勘十郎の人形に対してそうなっているのと同じことが、現実のものとなるだろう。その日を楽しみにして、これからも劇場に通い続けることにしたい。
 

第二部

『恋女房染分手綱』
「道中双六」
 イヤホンガイドをつけていたお婆さんが、「三味線人間国宝やて!」と大きな声。なるほど。大阪でも人間国宝が出ると割れんばかりの大拍手が起こるようになった理由の一端が、わかったような気がする。もちろん、こと文楽に関してはその看板に偽りのある御仁は一人もないので、その期待は無駄にはならないのではあるが。となれば、このイヤホンガイドなるものがどのタイミングで何を「ガイド」するのか、一度は検証しておく必要があると思ったのだが、おそらく商売の邪魔をする結果になるだろうから、やはりそれは控えておく。劇場にイヤホンをつけたお客さんが増え(新規客層の開拓)、イヤホンをつけないお客さんが多数を占めている(継続客層の安定)というのが、今後とも望ましい状況である。
 津駒は寛治師に弾いてもらうようになってから、その進捗の度合いが著しい。本役としてみっちり稽古してもらった分が、しっかり結果となって現れている。今回は段書きにあるとおり、道中双六が聞き所であるが、師の三味線主導で語りも好ましく堪能できた。また、重の井が三吉や腰元そして姫君に呼びかけるところでは、当然とはいえ声の遠近法が的確になされ、全体を通して安定しており、中堅の立端場格としての地位は固めたとしてよいだろう。ここまで至ったのかという感慨は深い。なお、ツレは地が不安定で修行修行である。

「子別れ」
 嶋大夫休演につき呂勢が団七の三味線で語る。この切場は大和風の権化といってよい一段で、これについては以前聞き所として分析しておいたので、そちらを参照されたい。
 故師南部紋の肩衣をつけてこの難しい音遣いの「風」を見事にそして「くわ」「ぐわ」音にも留意して語り進めていくのを聴いていると、脳裏には摂津大掾が若い頃もこのようであったろうかと勝手な想像もわいてくる。そして、義太夫節浄瑠璃というものが西洋音楽に比しても高度な音楽性とともにあり、鋭敏な耳をもち再現能力のある太夫によってのみトレース可能だということも、如実に感じた。以前「爪先鼠」を代役で勤めていた時はそこまでは感じなかったが(呂紋であったことは別にして)、今回は確実に「風」という、わからない者には仮想理論としかとらえられない、義太夫節浄瑠璃にとっての究極の本体が姿を現した。長く遠かった回り道も、次代にようやく本道に復するだろうという光が、呂勢を照らし出していたのである。「菊畑」の咲大夫とともに。
 大和風で情を語ることはとてつもなく難しい。それは、分析にもあるように、独特のノリ間が抜群に面白く、またその浄瑠璃には言葉が少ないから、泣けるお話(義太夫節浄瑠璃一段自体が悲劇的ストーリーではないかという主張は当たらない。現代の観客の傾向として節に乗せて語られるとたちまち字幕へ顔を向け、詞の部分と断絶してしまうのである)による感覚刺激を繰り出すことも出来ない。それでも今回、奥に行くにつれ客席にはすすり泣きがちらほらあったから、代役としてよく語ったと言えるだろう。ただ、カカリやオトシや馬子唄など情感の不足は否めなかった。三味線の団七は嶋大夫とならあれでよいのだろうが、指導的立場となった今回はいささか齟齬が感じられた。やはり相三味線を組むということは大きな意味がある。
 人形は簑助師の重の井が文句なし。色気を振りまいては台無しであり、かつ三吉には冷たく接しなければならず、それでいて情愛を胸中に溢れさせ、言動に滲み出さなければならないという難役。これを何の作為性も無理もなく遣うというのが、人間国宝たる真の所以である。対する三吉も、師弟共演(競演の域にも迫っていた)の見本のようにすばらしかった。もともと才を感じさせる遣い手だが、今回は道中双六から馬子唄まで、三吉の性根の表現として記憶に残る出来であった。詞章をよく読み込んでいることも、例えば道中双六で箱根関所を越えるところ、悪い目出れば振り出しに戻る云々のやり取りが活写されていた。ただ遣えるだけに勇み足もするのが若手の若手たるゆえんで、重の井の詞「アレ聞きや人が来る」で打掛の裾に隠れるところは客席に受けてもよいが、「出てたも」で太夫がウレイを込めているにもかかわらず、まだ戯れを続けて客席を笑わしたのは遺憾であった。詞章を読むということは、床の奏演にも耳を傾けるということである。おつるや禿を遣う時になって床の三味線と合わせるために旋律を覚えるようでは、上を目指す者として失格であろう。今回は瑕瑾としておくが、傷も度重なれば玉も石となることを肝に銘じてもらいたい。本田の猩々緋が今日を迎えたことの喜びに輝いて、足腰は弱っていながら凛々しく見えたのは、遣った玉也の手柄である。第一部の鬼三太といい、本公演は実にすばらしい遣い方で、次代を背負う五人衆の一人として完全に安定したと思われる。

『伊賀越道中双六』
「沼津」
 ここのところ、典型的なみどり建てになっているのは、人間国宝の至芸をその得意な演目で提供しようという制作側の意図からである。したがって、六人のうち五人まで第二部に固められているのも当然であろう。その中にあって、第一部が夜に回った時に劇場へ足を運んだ人々、客席は一杯にはならなかったが、あの夜の一体感はまさしく人形浄瑠璃文楽を支える愛情が顕在化したものであった。そう考えると、今回の二部制は大きな意味を持つものであったともいえる。まず昼の第二部が満席となり、夜の第一部に納得のいく質と量をもって客席が埋まること。この状態がある限りは、観客動員によって屋台骨が崩されることはないであろう。
 前を源師で後を住師というのは当然である。小揚げというのは立端場の端場を指す普通名詞であるが、この場の固有名詞となったのは、語りの風が鮮やかで印象に残ったからである。例えば「妙心寺」の端場を割って語っていても、とりたてて特徴付けるものはないのである。その点で、源師・藤蔵によるものはまさしく小揚げと呼んでよいものであった。途中休演で津駒が代演し、期待したが届いてはいなかった。平作が映らないのは仕方ないとして、十兵衛があまりにいけなかった。一本調子で棒読みに近いところもあった。「得心かいの、どうでごんす」などは、脅しているのではとさえ感じられた。故師津大夫のあの歴史的名演を聞いていないはずはない。いったい何を手本として稽古していたのだろう。力量不足という一語で済ませればいいのだろうか。
 後は住師一世一代。芸術院賞受賞(錦糸も)の、国家的に裏打ちされた芸である。今回も段切平作の詞に、これぞ人間国宝だと感心の声が上がっていた。それを体験できる機会はもはやそう多くはない。正月公演は「桜丸切腹」、もちろん白太夫である。この制作側の配慮に、観客は劇場へ足を運ぶことによって応えなければならない。なお、お米のクドキ、十兵衛の詞、そして道具替わり三重の表現法等に注目して、昭和初期からの歴史的名演を聞き比べて検討してみたい。現代の決定版住大夫「沼津」の位置付けを明確にしておかなければならないと思うからである。
 人形陣。十兵衛の玉女、「町人なれども十兵衛は、武士に劣らぬ丈夫の魂」に迫ろうとしていた。が、今回は床によって割を食った感じで気の毒であった。平作の勘十郎、小揚げから「南無阿弥陀仏」の口の動きまで見事なものだが、この役を今褒めるのはどうかと思うので控えておく。池添も今回は「轡虫」の解釈がまともになっていたし、安兵衛も、「主に劣らぬ達者もの、心安兵衛」とある詞章はよくとらえていたが、主人の目の前で息を切らして汗を拭うのは、現代の奉公人である。また、「逸散に」とあるのに思わせぶりな態度を見せたのは、この若手のいつもの悪い癖が出た。そして、文雀師のお米である。一段のシテとワキは平作十兵衛親子であるのは確かだが、「上手な娘の饗応」があればこそ、街道から平作内へと自然に移れたのであるし、そのクドキがあったから、千本松原が現出したのである。これは、筋書きがそうなっているから当たり前のことなのではなく、不十分な芸ならば、観客はただ筋追いにとどまり、例えば、雨が降り出す中を池添と出会って後を追うところの切迫感も、まるで感じられないまま終わってしまうのである。
 なお、今回もまた観客の驚くべき反応が見られた。平作が最初に「南無阿弥陀仏」と唱えるところでクスクスと笑いが起きたのである。『夏祭』三婦の念仏で笑いが起きるのはまだわかる。しかし、これはどう考えても腑に落ちない。局部的に反応しているとしか言いようがないが、要するに義太夫節浄瑠璃の流れに乗れていないのである。三業いずれも至芸が繰り広げられているのに、この局所的筋追いがなぜ発生するのか。ここ数年で現れてきた事象は、しっかりと分析してみなければならないだろう。ただし、道具替わりの大道具方の工夫に客席から嘆声が漏れていたのは、これぞ文楽における文字通りの道具替わりなわけで、まったくすばらしいことである。

景事「紅葉狩」
 近年、都市部の紅葉は12月のものとなってしまい、クリスマスイルミネーションにも気圧されて、何とも哀れな様相を呈しているが、戸隠ならばこの時期にピタリである。英と清介をシンにして、なかなかの仕上がりを見せた。ワキの二枚目は三輪と団吾であるが、「影も長月、治まれる御代は平維茂が」と道行の節付けになっているのにハッとされられもした。琴も悪くない。人形も、鬼女で見せるのはさすが紋寿であったものの左遣いが弟子でないのは一抹の淋しさ、維茂の和生は手順や段取りに遣われて不自然に見えることもなかった。山神は鬼若カシラで(またしても!このほかにも本公演の狂言建てはわざとと思わせるほどにカブリが多かった)、八幡神の権化としては軽薄な所作であるが、面白く前受けするようになっている。全体として、追い出しの景事であるし、母子別れ、親子別れと愁嘆場が続いたのであるから、やるなら徹底的にということで、より華麗に豪壮であってもと感じた。再度鑑賞とならなかったのは、その点もあったのだ。